ハルヒの唐突な思いつきによって生まれたくだらん演劇から早三ヶ月が過ぎ、正月を終え巷では寒い風も段々と自重してきているようだ。
 そう、今は春。初春の小鳥の囀りが心地よく聞こえるハイキングコースのおかげで、俺の気分も上々である。
 実はあの演劇は大きな反響を呼び、生徒の間ではよく噂されたほどの人気であった。それは長門のあのコスチュームからなのか、それとも朝比奈さんの人気からなのかは定かではない。
 俺への罵倒の声が少し胃の方へ痛みが刺さったが、俺はただただ頭を下げることしかできない。無力な自分に嫌気がさしてくるね。
 それで無論のこと、この世界の神兼時空間の歪み(以下略)は調子付いたのだ。季節が変わった今でも、その話題が出てくるほどにね。
 
――天使が出してくれる温かいお茶がいつも以上に有難く感じる、部室でのこと。
「本当に大好評だったわね! あの日から、あの興奮を忘れた日は一度もないわ。」
「それもこれも、全ては総監督様のシナリオが良かったからこそですよ。」
「嬉しいこと言ってくれるわね、古泉くん。まぁそうなんだけどねっ」
 美少女団長とハンサム副団長がニヤケながら会話している。ハルヒはいつから古泉のスマイル影響を受けたんだろうか。
 会話に入れない――入りたくないと言った方が正確か――残された俺ら三人だが、読書好き有機アンドロイドが世間的会話などするはずもなく、とりあえず俺は朝比奈さんに前から抱いていた疑問をぶつけることにした。
「朝比奈さん、いつも部室に来てますが……受験の方は大丈夫なんですか?」
「ああ、そのことなら心配ないんです。」
「まさか未来的な解決法を……?」
「いいえ、違いますよぅ。わたし、勉強の方は結構自信あるんです! 家に帰ったら毎日勉強していて…」
「いや、油断は禁物よ、みくるちゃん!」
 いつのまにか朝比奈さんの前で腰に手を当てて堂々と立っていた団長さんは、そのまま続けた。
「進学は何処なの?」
「ええっと…○○大学の方へ。」
「かなり難しい所じゃないの! 本当に大丈夫?」
 いつもここへ来させたのはお前だろうが。
「SOS団卒団者から浪人生や落第生が出たなんて噂がたったら、せっかく評判の付いたSOS団の人気はガタ落ちになるわ。」
「ふぇ……浪人だなんて……」
「おい、ハルヒ。朝比奈さんに失礼だろ。」
「……ちょっと言いすぎたかも。ん~……ま、頑張ってねみくるちゃん!」
「へ、ふぁいっ!」
 ハルヒの奴、今日は妙に素直に謝ったな。こんな珍しい日には隕石でも落ちてくるんじゃないのかね。こいつならやりかねないし。
 また厄介事に繋がらないかと心配したが、進展はないようだ。いやあ、良かった良かった。
「ならば、僕の家でお勉強会でも致しましょうか?」
 ……ニヤケ顔の口先から放たれた不意打ち攻撃――俺にとって、テポドンやどどん波級のものすんごいやつだ――を喰らう。
「それはいい考えね、古泉くん!さすがだわ。」
「勿体無いお言葉。」
「でもね、こういう時は有希の家の方が最適なのよ。ね、有希いいでしょ?」
「いい」
「じゃあ明日、有希ん家に集合ね! 何時にしようかしら…」
「おいおいちょっと待て! まずは朝比奈さんの了承を得るなどしてからだな…」
「つべこべ言うな! 全部みくるちゃんのためよ!」
「……でも、全員ですることはないだろう?そもそも受験生の勉強内容なんて俺には…」
「えぇっ、キョンくん、来ないんですかぁ?」
 俺の視界に世界三大美女さえ凌駕する天使のウルウル顔が飛び込んできた。
 やめてください朝比奈さん、俺が失神する前に。
「そんな思いやりのない奴だったなんて…サイテーね!」
「わ、分かったよ。俺も行かさせてもらう。」
 朝比奈さんのビューティフルフェイスに免じてな。
「そっ、それでいいのよ。じゃあ明日、1時に有希の家ね!解散!」
 
 
どうしてこうも都合よく明日が休日なのかという大きな疑問が脳で渦を巻いている中、下校中に俺は大きな溜息をひとつこぼした。
二年生は愚か、一年生の内容でさえよく理解できなかった俺の頭だぜ? それがなんで難解大学の入試の勉強など手伝える。
手伝えるのは、そうだなぁ……古泉とか長門くらいの頭脳じゃないといけないんじゃないか? ハルヒに入試問題が解かるかどうかも怪しいところだ。
ま、俺は部屋の片隅で根暗なダメ男の役でも演じてやるよ。今回ばかりはどうしようもない。
 
 
 明くる日の土曜日。今日はちょっぴしカジュアルに決めて、昼飯後に長門の家へと自転車を飛ばす。
 家までの道のりを特に描写する必要もなく、何事もなく長門宅マンションに到着。俺が自転車を駐輪所に止めていると、あのお方が目に入った。
「朝比奈さん、こんにちは。」
「あっ、キョンくん。こんにちは。」
 私服姿のマイエンジェルは、栗色の髪を揺らしながら微笑み、小さい歩幅でマンションに入っていく。
 長門にマンションの鍵を開けてもらい、エレベーターに乗り込み、七階のボタンを押すまでの過程を、俺は数十秒で済ませた。
「あの……今日のキョンくん……」
「はい?」
「なんだか……格好良い……ですねっ」
 これは……素直に喜んでいいんだよな。というかどうしたんだ、この朝比奈さんは。まさか偽者か?
 胸の星型ホクロでも確認してやろうかと思っていた時、朝比奈さんが紅潮しながら
「あのっ……別に、深い意味はありませんから!」と慌てて話した。心配はないようだ、この慌てっぷり様はいつもの朝比奈さんである。
 
 
ここから俺と朝比奈さんと長門とのほのぼのした時間も、古泉&ハルヒという異色のコンビ襲来も、俺の役立たず振りも、別に詳しく公表する気はない。
脳の中で少しイメージが出来たらそれで十分だ。そう、今回はこの後が大事だからさ。
 
 
 勉強:遊び で 4:6 程の割合だった今日の勉強会も終わり、団員に別れを告げたハルヒはそそくさと帰っていった。それに続く古泉は営業スマイルの如き笑顔で挨拶をし、帰宅していった。
 何事もなく終わったことに安堵しつつ自転車のペダルに足をかけたその時、今日の主役の朝比奈さんが声をかけてきた。
「あのっ……キョンくん、話があるんです。」
「どうしました? もし悩みがあるなら是非俺に頼ってください。」
「……ええ、じゃあわたしの我侭、聞いてくれますか?」
「もちろんです。」
「じゃあ、あの……わたし……」
 朝比奈さんは顔の前で人差し指を合わせもじもじしている。時折こちらを見たかと思うと、またうつむいて頬に朱の色を浮かべている。なんかデジャヴだな。
「わたしっ、キョンくんのことが禁則事項ですっ!」
「……は、はあ……?」
 俺のことが禁則事項ですと言われてもどう言い返していいか分からない。だって、そうだろう?
「それは一体どういう……」
「あ、ごめんなさい……これじゃあ、解かりません…よね。」
「ええ、残念ながら……」
「うんと、キョンくんのこと禁則事項しています……いいえ、すっごく禁則事項ですっ!」
 目の前で超美少女にこんな真剣な目で解読不能なことを連呼されたら、逆に可愛く思えてきてならない。
「そのぉ…世界で一番禁則事項です、キョンくん!」
「それはそれは、どうも」
 誰か、俺の役と変わろう。朝比奈語検定準二級(未公認でいいから)の資格持ってる奴、今すぐここに来るんだ。
「だから、わたしと付き合っ……禁則事項してください!」
「へ?今、付き合うって……」
「お、おお願いしますっ……!」
 突然、俺の脳の奥底に眠っていた記憶の糸が目覚めた。
 ああ……もう、そんな時期だったのか。
 今から約一年ほど前。今年の学校祭のそのまた前に遡った初春の日。俺が『俺』と出会ったあの日。
 『俺』は朝比奈さんと付き合っていると俺に自慢してきた。そして今、『俺』が俺になろうとしているのだ。
「わたしが卒業する日まで、お付き合……禁則事項させてくださいっ」
「も、もちろんです朝比奈さん! 俺も……好き、ですよ。」
 俺がOKするのも規定事項であり、そうでもなくとも朝比奈さんの告白を断るわけがない。断る理由を考え出すのに数年費やしてしまいそうだ。
「本当ですかぁっ!? 嬉しいっ……」
 がばっ、と抱きついてくる柔らかい体。今にも溶けてしまいそうな可愛らしい顔で俺を見上げたあと、俺の胸板に額を突きつけて僅かに震えている。
 ここまで男に『ずっと守ってみせる』と決意表明させてしまう女性もこの国にはこの方を含め指の数程も居ないだろう。
 長かった抱擁の時間の後、俺は朝比奈さんを家まで送ってやることにした。その帰り道の会話。
「キョンくん、わたしのこと、これからはみくるって呼んで欲しいの。」
「み、みくる……ですか?俺にそんな勇気は…」
「お願いっ、ね?」
「み、み、みくる……」
「もうちょっと、はっきり。」
「みくる……」
「もう一度だけ……」
「みくる。」
「ふぇ、キョン……くんっ……」
 朝比奈さん――改めみくるが今までにないような真っ赤な顔と歓喜の顔でこちらを見ては顔を伏す。ちょっと変な気持ちになってもおかしくはないような状況だった。
 すまん、これ以降の展開は禁則事項なんで、これくらいで勘弁してくれ。
 
 
俺とみくるが付き合ったというニュースはたちまち広がっていき、俺は人と会う度に冷やかされることになった。
でもまあそんなじゃれ合いも、付き合い始めて一ヶ月程経った今ではほとんど無くなっている。
 
 
 
 そして、例の時は来た。
 俺たちが付き合い始めたことによって、団長様からのサービスで『キョンみくアツアツデー』というのが設けられた。
 いつもの団活時間に、他の三人は自由時間で、俺とみくるはイチャイチャしてて良いという週に一度ある変梃りんなイベントだ。
 長門は学校の図書館、ハルヒは気まぐれに学校をうろつき、古泉は知らんが皆部室には居ないのを知っていた。今日も俺とみくるは文芸部室へと足を運ぶ。
 みくるがドアを開いた途端、足が止めて「あ、えっと……ああ。」と小声で呟き、上手く表現できない表情を浮かべている。
 どうしたんだと声をかけても返事がない。みくるの視線の方に目をやると、『俺』が居た。
 …そうか、これは『あの時』か。
「過去の俺だよな。初めましてと言うべきか?」
「あ、ああ……。」
 『俺』の顔には、どうすればよいのか、という文字が浮かんでるが、俺はあのことを伝える為に俺を呼び出す。
「ちょっとついてこい。」
 『俺』は言われるがまま部室を出たすぐの廊下までついてきた。
「大ニュースだぞ、仰天して気絶するなよ?」
 俺は1年前に、1年後の『俺』に話されたことをそのまま、記憶の限り話した。
 全てを話し終えると、『俺』は心配そうな声で聞いてきた。
「……ハッピーエンドで終える事ができる……んだろ?」
「禁則事項だ。」
「……ああ、そう。」
 くくく、『俺』をおちょくることに成功した。あの時俺が味わったウザさをこいつにも味あわせてやったのだ。自分自身に言っているのだとか、そんなの関係あるか。今の俺が満足ならそれでいい。
「朝比奈みくるを探す、それが目的だったはず。」
 ん?この声は……
「おお、1年前の長門か! ほんと変わってねえな。」
 どこか初々しい長門の頭をグシグシと弄ってやる。少しは抵抗してくれないと面白くないぜ、長門さん。
「…探さないのならわたし一人で探す。」
「いや、勿論俺も探すさ。ただコイツに捕まっちまってな。」
 俺を指差す『俺』に、俺は不機嫌な顔を『俺』に向けてやった。
「朝比奈さん、過去のあなたはこの時何処に居たか…ってのは教えてもらえませんよね?」
「屋上です。」
 『俺』は拍子抜けした様な表情を露にしてから、
「どうして屋上に? ま、まさか自殺を!?」
「自殺…というのも考えていたかもしれませんね。でも、キョンくんが止めてくれたから。それに…あの人達にもね。」
 『俺』は少し考えた風に顎に手を添えたあと、吹っ切れたように言い放った。
「じゃあ行くか、長門!」
 長門はこくり、と機械的な動きで肯定。
 みくるは『俺』に優しく微笑みかけて「頑張ってね♪」と励ましの言葉を一言。その言葉を受け取った『俺』は長門と一緒に屋上へと走っていった。
「ふふっ、朝比奈さんだって……懐かしいね。」
「そうだな……まだ幼いな、あいつも。」
「あの時のキョンくんは長門さんとキスしちゃう前かー。」
「んっ?あ、あれはだな、その……」
「ちょっとだけ長門さんに嫉妬しちゃった。」
「……みくる、あの時から俺のことを?」
「いつからかは分からないの。でも……ずっとずっと前から、かなぁ。」
 イタズラ娘の様な表情でペロッと舌を出して笑ったみくるを見て、俺は頬を赤く染めっぱなしだった。この後にも雑談やじゃれ合いをしていたがその時間もメンバーの集合が終わりを告げ、今日も俺たちは下校道を肩を並べて歩いた。
 この日常が俺にとって、普通で当たり前だった。だから俺は解からなかった。月日が流れていくうちに、その日常にも終わりが来ることを。
 
 
 人間必ず学生時代に行う行事には、色々なもんが存在する。始業式に終業式、体育祭や学園祭等。数多いその行事の中でも、俺の脳の隅っこにあってそれがくるまで気付かなかったものがある。
 北高卒業式――すなわち、みくるの卒業式だ。
 何故今まで気付かなかったのか、自分の脳内がセミの抜け殻のようにスッカラカンになってるのではないかと疑ったね。俺は高校2年生であり、みくるは高校3年生だ。みくるが卒業してしまえば少なからず、確実に会う機会が減少する。
 とても簡単な理屈だ。歳がひとつ違えば色々なことが違ってくる。そんなことは解かっていたはずなのに、いざこの時になると、なぜこうも不快感に陥ってしまうのだろう。
 そんなことを白昼夢の中で考えている内に、長いようで意外と短かった卒業式が終わった。俺にとっては、数十分も経っていないように感じたのにな。
 
 卒業生一同が校門辺りで屯って、卒業証書が入った黒い筒をポコンポコンと開け閉めするという定番の変梃行事も終わり、徒歩で帰る生徒や親に送り迎えされる生徒たちが居る中、みくるはまた、校内へ足を忍ばせた。
 それはみくるに限ったことではなく、古泉然り、長門然り、俺然り……そして、ハルヒ然り。
 この5人がわざわざ卒業式の後に集まってすることを推理するのは1匹の蟻を潰すことよりも容易いことで、俺の推理が正しければ俺の行くべき場所は文芸部室だ。
 扉の前で立ち止まり、手を軽く固めて木の板をノックする。いつもの、俺を部屋へと迎え入れてくれる優しい声を求めて。
「どうぞ、お入りください。」
 ドアノブを捻りかけた俺の手が静止した。返ってきた声の主は説明好きのハンサムフェイス……そのことを思い返すと、閉じかけていた心の傷口が開きそうになる。
「ん……お前らだけか。」
 珍しく部屋の中にはメイド服を着て甘露なお茶を出して奉仕してくれる彼女は居なく――入る前から、解かっていたことだが――居たのは
いつものスマイルに3割程哀愁を漂わせる表情をして椅子に腰掛ける古泉と、俺の錯覚ではなければ眉の辺りから悲しさを感じさせる顔をつくって、今日も厚いハードカバーの本を読んでいる長門だった。
「ハルヒはまだなのか?」
「涼宮さんは朝比奈さんを迎え入れに行きましたよ。彼女にしては、珍しく涙道に水を流しそうな表情をしていましたよ。」
 表情なんか聞いてない。そんな情報を聞いて俺が喜ぶとでも思ったのか?
「いいえ、ちっとも。」
 さっきの哀愁は何処へやら、またいつものニヤケ顔を露にした古泉はフリーになっていた両手を組んだ。
「そういえば、みくるが卒業して……ハルヒの灰色空間とやらは現れないのか?」
 古泉は微笑して、
「彼女も成長したんですよ。あなたが朝比奈さんと交際を開始した、あの日からね。」
「あの日から?」
「ええ、本当はその日以降、閉鎖空間の出現率が一時的に高まってしまいましてね。日が経つ内に徐々に減少していって……今では全くと言っていいほどに、精神は安定していますよ。」
 ちょっと待て、その閉鎖空間がいつから出始めたって?
「朝比奈さんがあなたに告白をした日からです。理由は……解かりますよね?」
 俺は顎に手を添えて思考を巡らせる。考えている内に、何故俺がそんなこと考えなきゃならんのだという気持ちになったから、強制的に思考をブラックアウトさせた。
 ひょいと古泉の方へ視線を向けると、「おやおや、大丈夫ですか? もしかして、解からないのではないでしょうね。」と言わんばかりの顔でこちらを見つめている。やめろ、気持ち悪い。
 ……ダメだ、思いつかない。そんな灰色空間出現についての理屈は、ハルヒの不機嫌な時に現れるってことくらいしか教わってないぜ。何故ハルヒが不機嫌になったかなんて、ハルヒ専属ストーカーでもしない限り俺には解からん。
「どうしてだ?」
 古泉は呆れたような顔で視線を机に落とす。今日のお前は百面相か?
「知らないほうが幸せなのかもしれませんね……。それにこれは、あなた自身が気付かなければいけないものでもあるでしょう。」
 なんだよそれ、余計に気になるじゃねぇか。
 唇に人差し指を近づけて口角を上げながら古泉は、
「今は内緒にしておきます。……おっと、来たようですよ。」
 その報告で俺はまだ扉のすぐ近くで棒立ちになっていたのに気が付き、座ろうとした時にはもう遅かった。片手にしっかりと今日の主役の手首を掴んだ団長さんが、勢いよく扉を開ける。間一髪、扉との衝突は俺の持ち前のフットワークで免れた。
「ほら、キョンどきなさい! みくるちゃんも席について!」
 固定していた手を離してそのままづかづかと団長席へ向かうハルヒは、無理矢理笑顔を作ろうとしているように見えた。
 そして団長席に鞄を置いて、机の上に仁王立ちした。メンバー全員が席についたのを確認すると、
「まず最初に! みくるちゃん、ご卒業おめでとうございますっ!」
「ふぇ、ありがとうございます……!」
 俺が拍手でもしてあげようかと両手を構えようとしたのを遮るようにハルヒは続けた。
「あなたはSOS団設立から初めての卒団者だからねっ、そこらへんは大いに誇りに思ってちょうだい!」
 ハルヒはみくるがうんうんと頷くのを見て、満足そうにまた続ける。
「じゃあ本題に入るけど、今日集まってもらったのは他でもないわ。さっきちまちまと長ったらしい卒業式が終わったけど、そんなものは記憶の中から抹消してくれちゃってもいいからね。それでは今から、第1回SOS団卒団証書授与式を始めますっ! まず初めに、メンバー一人ひとりからの激励とお別れの言葉です。」
 なっ、俺はそんなスピーチ文、1ミクロン程も考えてないぞ。古泉や長門じゃあるまいし、即座に言葉が思い浮かんでくるほど日本語力も備わってねぇ! どうせお前はもともと用意してたんだろ?
 ハルヒは机から降りて、みくるに視線を当てながら話を始めた。
「まずあたしからね……。みくるちゃん、SOS団のメイドさんとして毎日よく頑張ってくれましたっ。本当にお疲れ様。」
 黒い髪を揺らしてにこっと笑うハルヒはどこか辛そうで、思わず俺は下を向いてしまった。
「あたしにとってみくるちゃんは、とても大きな存在でした。もちろん、みんなにとってもね。あなたが出してくれるお茶はどんなお茶よ
りも美味しくて、あなたの仕草は、誰よりも可愛くて……っ」
 ハルヒを見なくても、どんな顔をしているのかすぐに解かった。震える声を抑えて、きっと涙を必死に堪えているかもう流してしまっているかになっているだろう。
「今まで、色んなことに付き合わせちゃったけど……どんな時でも、みくるちゃんはあたしの中で一番でしたっ……!ほ、ほんとうにっ…本当に……」
 恐る恐る顔を上げてみる。丁度俺が垣間見たのは、ハルヒはみくると向かい合った後、我慢できずに抱き付いてしまっている光景だった。
「ふわああぁぁん……みくるちゃんっ……みくるちゃぁぁん……!」
「涼宮さん……」
 ハタから見れば、なんとも華のある絵になってるが、どうやら俺も感動できる心を持ち合わせているようで、すぐに目を背けてしまった。
 目を背けた先には、じーっと二人を見つめている長門の姿があった。こいつも感動しているのだろうか。徐々に自分の感情を表情を顔に出してくるようになったが、泣くところなんて見たことがない。長門はただただ、互いの感触を強く感じあう二人を遠くの景色を見るかのような眼で見ていた。
 ならば古泉はどうだろうか、なんて好奇心らしき感情が心に沸いて、古泉の顔を伺い見る。うわっ、見なきゃ良かった。まさか一生の内に、こいつの涙なんて見ることになるとはね。
 もう4,5秒も見ていればもらい泣きを喰らいそうだった俺は、もう一度視線を自分の膝へと落とした。
「涼宮さん、大丈夫ですか……?」
「あ、ありがとうみくるちゃん……もうだいぶ落ち着いたわ……」
 みくるの両手の中から離れたハルヒは「あっ、そうそうっ!」と呟いて団長机の引き出しから画用紙程の強度を持ってそうな紙を1枚取り出し、それを読み上げる。
「朝比奈みくる! あなたを我がSOS団卒団者として、ここに栄誉を讃える! SOS団団長、涼宮ハルヒ!」
 いつもの破天荒な声でそれを高らかに読み上げたハルヒは、みくるにその証書を授与する。
「ありがとうございますっ……!」
 しっかりとそれを両手で受け取ったみくるは、そのまま一礼して眼を潤わせた。
「な、なんか辛気臭い空気になっちゃったわねっ……!これで第1回SOS団卒団証書授与式は終わりですっ!」
「え……もういいのか? ハルヒ。」
「もうって何? いいのよ、あとはあんたに任せるから。」
 お前以外の3人の激励とお別れの言葉はいいのかと口を開こうとしたが、自分から棘畑に飛び込むような無茶なことだと気が付いてそれをやめる。ひとつ気がかりなのが、「あんたにまかせる」というフレーズだ。
「ほら古泉くん、何泣いてるのよっ! 古泉くんらしくないじゃない。」
「すいません、我慢はしたつもりなんですが……」
「有希も固まってないで、二人とも帰るわよ! あとは……お2人さんに任せなきゃねっ!」
「涼宮さん、いいんですかぁ……?」
「とりあえず、今のあたしたちはお邪魔虫だからねっ、ゆっくりしてていいわよ!」
 どうやらハルヒは気を遣ってくれたらしく、目を見開いたままの長門と頬に涙が流れた跡がある古泉を引き連れて部室を出て行った。気が利くというか、なんというか……。
 少しの静寂の中、俺がこれからどうしたものかとちょっとしたプランを考えていると、先にみくるが沈黙を打ち破った。
「キョンくん……話があるの。」
 少しドキッとした。何か聞き覚えがある声のトーン、真面目な顔、そして台詞……
「これから話す事は禁則事項に含まれるから……心して聞いてね。」
 瞬間的に思い出した。これは丁度一年前の、あの時のみくるから話された時と一緒だ。
「あのね、キョンくん……」
 本能的に、この話がどんな内容かに感付いた。ただ、その予感が当たらないように俺は見えざる手で祈ることしか――この時には出来なかった。
 
「――わたし、未来へ帰らなきゃいけないの。」
 
「未来へ……?」
「そう、わたしの元居た時空間へ。」
 予感は見事的中してしまった。こんな時に予感が当たるなら何故テストの空欄に適当な文字を入れた時は当たらないんだ。……いや、今はそんなことはどうでもいい。
「わたしの『組織』の中で、わたしは涼宮さんと最も近い位置に立っていたから、凄い近くで観測を続けることが出来たの。でも、卒業してしまったら、その関係も無くなってしまうから……わたしは、未来へ帰って報告をまとめなきゃいけないの。」
「ずっと、帰って来られないのか……?」
「……それが、解からないの。まだ解からないけれど……わたしの任期はもう……。」
「そうか……」
 違う。ここで納得してはいけない。まだ俺の心の中にはモヤモヤした黒いブツが渦巻いている。一番大事なこと、聞いてないじゃないか。
 みくるがここから離れてしまう理由は解かった。でも、みくるは何も感じないのか?ハルヒや長門、古泉……それに、鶴屋さんや他の奴らだって、そいつらと別れてしまうのに……どうして帰ってしまうんだ、どうして涙も流してくれないんだ……!
 どうして俺と別れるのに、辛そうな顔をしてくれないんだ!
「わたしが告白した時に、言ったこと覚えてる? わたしが卒業するまで、お付き合いを……」
「そんなこと、俺は解かってたよ。みくるがいつか未来へ帰ってしまうことなんて、ずっとずっと前から解かっていたことなんだ……!覚悟だって出来ていた、それなのに……どうしてこんなに辛いんだよ……」
 俺の頬に、こそばゆい感触が伝わった。視界の半分はなんだかモヤモヤとしてみくるの姿でさえよく見えない。なんだ、これは。俺はどうなってしまったんだ。
「……キョンくんっ、ごめんなさいっ……!!」
 突如としてがばっ、と抱きついてくる柔らかい体。今にも溶けてしまいそうな一掬の涙を流した顔で俺を見上げたあと、俺の胸板に額を突きつけて哀愁に震えている。
「キョンくんにそんな辛そうな顔させて……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……っ!」
 みくるの髪に水滴が跳ねるのを見て気付く。俺は……泣いているのか。
「みくる……そんなに泣くなよっ……」
「本当は、こっちで恋なんかしちゃダメだった……でも、わたしキョンくんへの気持ち、抑えられなかった……!」
「……もう何も謝らなくていいからな……今まで、本当にありがとう……」
「ふぁぁん、キョンくぅん……ずっとずっと、大好きですからねぇっ……!」
「ああ、俺も……ずっとずっと、大好きだ。」
「ふぇぇ、キョンくんはダメですぅ……! キョンくんはわたしのことを忘れて、この時空間の人と……」
「みくるだったから、俺はここまで人を好きになれたんだ……! だから、そんなこと言わないでくれ……」
「……キョンくん、ありがとう……」
 俺とみくるは一層力を強めて抱擁し合った。互いの存在を確かめ合う為に、互いの愛を壊さぬように。
 
 
「キョンくん、わたし……そろそろ……。」
「……そうか。あ、ちょっと待ってくれ。」
 文芸部室の机に置かれていた卒団証書を手に取り、その裏に文字を書き入れる。みくるに見えないように、背を向けて。
「どうしたの……?」
「いいや、これを未来へ持って帰ってくれないかと思ってさ。」
 枯れる程に涙を流したみくるに、卒団証書の表を見せて差し出す。せめて、形に残るものを思い出に取っておいて欲しかったんだ。
「あっ、裏はまだ見ちゃダメだぞ? 未来に帰ってから見てくれ。」
「えっ? う、うん……」
 頭の上にハテナマークを光らせた表情で受け取った後、みくるは微笑んだ。その笑みは今までのどんな微笑みよりも可愛く可憐で、何より価値のある微笑みだった。
 俺が大好きなみくるの笑顔。俺が惚れたみくるの笑顔。何物にも替え難い、全世界、いや、全時空間中ただひとつの最高の笑顔。俺はその笑顔を、瞼の裏へしっかりと焼き付けた。
「キョンくん、本当にありがとう。そして……さようなら。」
 片手にたった1枚の紙切れを持った自称時を駆ける美少女は、光の中へと消えて行った。一生懸命の笑みで見送れたことが、みくるへの何よりの感謝の気持ちだった。
 
 
 ――未来のみくるは、ちゃんと取っておいてくれているだろうか? 俺からの最後のプレゼントを、思い出の一部として保管してくれているだろうか?
 いいや、きっとそうであると信じたい。ほんの短い時間だったから、簡潔にしか書けなかったけれど……それでも、精一杯に紡いだ言葉。
 
 
 
 「あいしてる」という 俺から未来(みくる)へのメッセージ。
 
 
                                                                    ~Fin~
 


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