大魔王の名を呟いた少年へ振り向いた魔族は、黙って彼を見つめた。
ダイは目を瞬かせて呟いた。
「バーンじゃ……ない」
改めて見ると別人であることが分かる。
腕や腹など筋肉がついていてたくましいが、引き締まった体つきは大魔王に比べれば細く、すらりとしている。
背も低く、全盛期の姿からさらに若くなればこのような姿になるだろう。
そして、最大の違いは性別だった。筋肉が発達していてわかりにくいが、胸のふくらみや腰のくびれなど男の体型ではあり得ない。
大魔王を連想する顔立ちも、鋭すぎる眼光を除けば美女の範疇に入るだろう。武骨な角も無い。
額に巻かれている黒い布をそっと手で押さえ、彼女はダイを睨みつけた。
「お前のような小僧がどうして魔界にいる?」
「おれ、どうしてこの世界に来たのかわからないんだ。どんな状況なのかも」
すっかり混乱しているダイを見て魔族はどう接するべきか迷ったようだ。
溜息をついて適当な岩に腰をおろす。立ち去る気にはならなかったらしい。
「ありがとう。助けてくれて」
「好奇心だ」
答えはそっけない。弱肉強食の理が支配する世界なのだから、珍しい相手――外見はただの人間の子供である――でなければ気に留めることなく放っておいただろう。
「それより、なぜ父の名を呼んだ」
魔族の値踏みする視線に対抗するかのように、ダイは勢いよく尋ねた。
「父って!?」
「大魔王バーンは我が父だ」
彼女の眼には純粋な尊敬の光が宿っている。声も敬虔な信者が神について語るような、命の恩人の名を告げるような厳粛さに満ちている。
ダイは思わずうつむき、頭を働かせた。
大魔王には家族がいるような様子はなかった。
バーンやミストバーンほどの力はなくとも、それなりに強ければ戦力に加えたはずではないか。
それに、大魔王は若さと力をこめた分身体を作り、凍れる時間の秘法をかけて永遠に近い生命を得ていた。彼女が同じことをしていなければ老いて先に死ぬはずである。
「大魔王は何千年も生きてきたんだろ? それなのに――」
「私は父にある秘法をかけられていた。野望が叶った時に起こすつもりだったのだろう」
見ず知らずの子供に洗いざらい話すことをためらって詳しい事情は伏せたのだろうが、バーンの秘密を知ったダイにはわかる。
おそらく、分身体だけでなく彼女も一緒に凍れる時間の秘法をかけられていた。そしてずっと意識を失い、時を止められた冷たい体で眠っていた。
野望というのは、言うまでもなく地上破滅計画だ。
目を覚ました彼女が最初に目にするものは光溢れる故郷と誇らしげな王の姿。新たな時代の幕開けを告げるかのように天高く輝く太陽だったはずだ。
だが、大魔王の死をきっかけとして秘法は解けてしまった。待っていたのは父の死という現実だった。
「驚かせたかったのかな。自分の力がすごいって思わせたかったのかも」
目覚めと同時に世界の様子が一変していれば、こっそり誕生日パーティーを企画され、突然明かされた子供以上に驚くに決まっている。
遊び心のある大魔王はその表情や反応を楽しんだことだろう。
「父について知っているのか?」
ダイは言葉に詰まった。
大魔王を尊敬している家族に、自分が命を奪った張本人だと告げることはためらわれる。
答えられない少年を見、彼女は不快そうに鼻を鳴らした。
「フン、勇者の冒険譚でも耳にしたか」
まさか目の前にいる子供が、恐るべき強さで大魔王を圧倒した勇者だと判断できるはずもない。
外見などの限られた情報だけでは、無力に見える少年と魔界最強の男を葬った“化物”を結びつけることは極めて難しいだろう。
ダイは唇を噛み、意を決してある質問をぶつけた。
「父さんを殺した相手のこと……憎んでる?」
「一対一の、力と力の激突の果てに敗れたと聞いている。恨み事をぬかしては父の信念を汚すことになりかねん」
大魔王は力こそがすべてを司る真理だと主張し、最期までそれを貫き通した。
跳ね返ってきた時に否定しては、今までの生き様や誇り、掲げてきた正義をも否定することになる。
それは彼女もわかっている。
だからこそ受け入れようとしているが、拳が震えている。納得しようとしていても感情がついてこないのだろう。
「私は、いずれ復讐に関係なく勇者と戦う。父の遺志を継ぎ、魔界に太陽をもたらすのだ!」
魔族は暗い空に向かって手を掲げ、何かを掴み取るような仕草をした。
炎のような眼光にダイは言葉を失っている。
第三勢力を止めてもこのままではバーンと同じ目的を持つ魔族が行動を起こすだろう。
第二、第三の魔王が現れる可能性は高い。
支配するにせよ、破壊するにせよ、太陽の恩恵を求めて地上の平和を壊そうとするに違いない。
世界のあり方が変わらなければ地上と魔界の間で戦いは永遠に続くだろう。
今は大魔王をも倒したダイがいる。
だが、もし竜の騎士の力が戻らなければ。
生命を落としてしまったならば。
大魔王をも超える力の魔族が出てくれば、どうなるか。
見通しは暗い。
暗澹たる気持ちになったダイの前で彼女は拳を握りこんだ。
「父は偉大だった。私ももっと力をつけねば」
先ほどの火炎呪文を思い返したダイは軽く目を見開いた。大魔王には及ばないだろうが、立ち上った火柱は圧巻だった。
「さっきのメラ、すごい威力だったじゃないか!」
純粋な感嘆に対して魔族は整った顔をこわばらせ、ぷいっと横を向いた。
「今のはメラではない。メラゾーマだ」
「えっ?」
彼女は勢いよく向き直り、顔を赤くして叫んだ。
「わ、私のメラゾーマは父のメラにも及ばん! 父に匹敵する力の持ち主がそう簡単にいてたまるかッ!」
妙に迫力のある台詞にダイは反射的にこくこくと頷いた。
身内びいきも含まれているにせよ反論する気はない。大魔王のように強大な力を持つ者がそこらへんに転がっていては、地上など簡単に滅びてしまう。
痛いところを突かれた彼女の顔は険しくなっており、そっぽを向いてぶつぶつ呟いている。
「敵に逃げられることもしょっちゅうだ。格好がつかん……!」
結界を張ることもできず、大魔王との実力の差は遠く隔たっているようだ。
大魔王を名乗るどころか魔王と呼ぶにも力が足りない。
この調子では、分身体を作って若さと力を込めることも、凍れる時間の秘法をかけて永遠に近い生命を得ることもできないだろう。
大魔王と違って感情が読みやすい相手である彼女は、話題を変えるべく少年の名を尋ねた。
「お前の名は?」
やはりダイが答えられずにいると「まあいい」と呟いて視線を外した。これからも小僧呼ばわりするつもりだろう。
「じゃあおまえ――君は?」
バーンを連想するため、初対面の相手だということも忘れてつい「おまえ」呼ばわりしてしまった。王の血縁者なのだから無礼者と怒るかと思われたが、彼女は気に留めていない。
名を知ろうとするダイに意外そうな顔をしている。
「奇妙な小僧だな。地上の人間だというのに魔族を恐れんのか?」
大魔王の家族なのだから、なおさら恐怖の対象のはずなのに、まったく物怖じしていない。
魔族の名を知る機会は意外な方向からやってきた。
「イルミナ様!」
突然現れた魔族の男――リリルーラを使ったのだろう――が慌てた様子で名を叫び、傍らのダイを見て目を警戒に光らせた。
「この小僧は?」
「地上の住人が迷い込み、奇特にも魔界に関心を持ったらしい」
ダイはしげしげと額に黒い影が集っている魔族の男を眺めた。
「この魔族は誰? イルミナ」
「無礼な! 何という口のきき方を――」
激高する男をイルミナが制した。
「玉座の間で謁見するわけでもない。流浪の身の一魔族に礼儀を尽くせと言う方が無茶だろう」
「へっ?」
ダイはぽかんと口を開けた。
豪奢な宮殿に住まい、侍女たちにかしずかれ、贅を尽くした食事を味わい、大魔王の名の下に軍勢を率いるのだと思っていたのである。
血筋だけでは上に立てないのは魔界らしいと言えるかもしれない。
「部下もいなくて放浪してるの?」
「部下はいる。このシャドーだ」
イルミナが促すように顔を動かすと、魔族の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。内側からにじみ出た黒い霧が人のような姿をとる。
鬼岩城を操縦していたミストバーンの分身によく似ている。ミスト本体と分身を足し合わせたような外見だ。
名前が同じなのだから分身の一つなのだろうか。
だが、本体であるミストは滅んだ。ミストバーンに生み出され、魔力を供給されているならば存在できないはずである。
「お前は……?」
「私はミスト様に拾われ、力を与えられたのだ」
シャドーは誇らしげに胸を張ってみせた。
ミストがミストバーンという役職名を与えられる前にイルミナと共に眠らされていた。
分身体ではないためミストが消滅しても生きている。
今の彼を動かしているのは最大の、そして最後となってしまった命令だった。
「ミスト様のお言葉により、イルミナ様に仕えお守りする。それが私の使命だ」
その言葉に彼女はわずかに顔を曇らせたが、シャドーは気づいていない。
「どうしてイルミナは放浪しているの?」
「それは――」
ダイは目を瞬かせて呟いた。
「バーンじゃ……ない」
改めて見ると別人であることが分かる。
腕や腹など筋肉がついていてたくましいが、引き締まった体つきは大魔王に比べれば細く、すらりとしている。
背も低く、全盛期の姿からさらに若くなればこのような姿になるだろう。
そして、最大の違いは性別だった。筋肉が発達していてわかりにくいが、胸のふくらみや腰のくびれなど男の体型ではあり得ない。
大魔王を連想する顔立ちも、鋭すぎる眼光を除けば美女の範疇に入るだろう。武骨な角も無い。
額に巻かれている黒い布をそっと手で押さえ、彼女はダイを睨みつけた。
「お前のような小僧がどうして魔界にいる?」
「おれ、どうしてこの世界に来たのかわからないんだ。どんな状況なのかも」
すっかり混乱しているダイを見て魔族はどう接するべきか迷ったようだ。
溜息をついて適当な岩に腰をおろす。立ち去る気にはならなかったらしい。
「ありがとう。助けてくれて」
「好奇心だ」
答えはそっけない。弱肉強食の理が支配する世界なのだから、珍しい相手――外見はただの人間の子供である――でなければ気に留めることなく放っておいただろう。
「それより、なぜ父の名を呼んだ」
魔族の値踏みする視線に対抗するかのように、ダイは勢いよく尋ねた。
「父って!?」
「大魔王バーンは我が父だ」
彼女の眼には純粋な尊敬の光が宿っている。声も敬虔な信者が神について語るような、命の恩人の名を告げるような厳粛さに満ちている。
ダイは思わずうつむき、頭を働かせた。
大魔王には家族がいるような様子はなかった。
バーンやミストバーンほどの力はなくとも、それなりに強ければ戦力に加えたはずではないか。
それに、大魔王は若さと力をこめた分身体を作り、凍れる時間の秘法をかけて永遠に近い生命を得ていた。彼女が同じことをしていなければ老いて先に死ぬはずである。
「大魔王は何千年も生きてきたんだろ? それなのに――」
「私は父にある秘法をかけられていた。野望が叶った時に起こすつもりだったのだろう」
見ず知らずの子供に洗いざらい話すことをためらって詳しい事情は伏せたのだろうが、バーンの秘密を知ったダイにはわかる。
おそらく、分身体だけでなく彼女も一緒に凍れる時間の秘法をかけられていた。そしてずっと意識を失い、時を止められた冷たい体で眠っていた。
野望というのは、言うまでもなく地上破滅計画だ。
目を覚ました彼女が最初に目にするものは光溢れる故郷と誇らしげな王の姿。新たな時代の幕開けを告げるかのように天高く輝く太陽だったはずだ。
だが、大魔王の死をきっかけとして秘法は解けてしまった。待っていたのは父の死という現実だった。
「驚かせたかったのかな。自分の力がすごいって思わせたかったのかも」
目覚めと同時に世界の様子が一変していれば、こっそり誕生日パーティーを企画され、突然明かされた子供以上に驚くに決まっている。
遊び心のある大魔王はその表情や反応を楽しんだことだろう。
「父について知っているのか?」
ダイは言葉に詰まった。
大魔王を尊敬している家族に、自分が命を奪った張本人だと告げることはためらわれる。
答えられない少年を見、彼女は不快そうに鼻を鳴らした。
「フン、勇者の冒険譚でも耳にしたか」
まさか目の前にいる子供が、恐るべき強さで大魔王を圧倒した勇者だと判断できるはずもない。
外見などの限られた情報だけでは、無力に見える少年と魔界最強の男を葬った“化物”を結びつけることは極めて難しいだろう。
ダイは唇を噛み、意を決してある質問をぶつけた。
「父さんを殺した相手のこと……憎んでる?」
「一対一の、力と力の激突の果てに敗れたと聞いている。恨み事をぬかしては父の信念を汚すことになりかねん」
大魔王は力こそがすべてを司る真理だと主張し、最期までそれを貫き通した。
跳ね返ってきた時に否定しては、今までの生き様や誇り、掲げてきた正義をも否定することになる。
それは彼女もわかっている。
だからこそ受け入れようとしているが、拳が震えている。納得しようとしていても感情がついてこないのだろう。
「私は、いずれ復讐に関係なく勇者と戦う。父の遺志を継ぎ、魔界に太陽をもたらすのだ!」
魔族は暗い空に向かって手を掲げ、何かを掴み取るような仕草をした。
炎のような眼光にダイは言葉を失っている。
第三勢力を止めてもこのままではバーンと同じ目的を持つ魔族が行動を起こすだろう。
第二、第三の魔王が現れる可能性は高い。
支配するにせよ、破壊するにせよ、太陽の恩恵を求めて地上の平和を壊そうとするに違いない。
世界のあり方が変わらなければ地上と魔界の間で戦いは永遠に続くだろう。
今は大魔王をも倒したダイがいる。
だが、もし竜の騎士の力が戻らなければ。
生命を落としてしまったならば。
大魔王をも超える力の魔族が出てくれば、どうなるか。
見通しは暗い。
暗澹たる気持ちになったダイの前で彼女は拳を握りこんだ。
「父は偉大だった。私ももっと力をつけねば」
先ほどの火炎呪文を思い返したダイは軽く目を見開いた。大魔王には及ばないだろうが、立ち上った火柱は圧巻だった。
「さっきのメラ、すごい威力だったじゃないか!」
純粋な感嘆に対して魔族は整った顔をこわばらせ、ぷいっと横を向いた。
「今のはメラではない。メラゾーマだ」
「えっ?」
彼女は勢いよく向き直り、顔を赤くして叫んだ。
「わ、私のメラゾーマは父のメラにも及ばん! 父に匹敵する力の持ち主がそう簡単にいてたまるかッ!」
妙に迫力のある台詞にダイは反射的にこくこくと頷いた。
身内びいきも含まれているにせよ反論する気はない。大魔王のように強大な力を持つ者がそこらへんに転がっていては、地上など簡単に滅びてしまう。
痛いところを突かれた彼女の顔は険しくなっており、そっぽを向いてぶつぶつ呟いている。
「敵に逃げられることもしょっちゅうだ。格好がつかん……!」
結界を張ることもできず、大魔王との実力の差は遠く隔たっているようだ。
大魔王を名乗るどころか魔王と呼ぶにも力が足りない。
この調子では、分身体を作って若さと力を込めることも、凍れる時間の秘法をかけて永遠に近い生命を得ることもできないだろう。
大魔王と違って感情が読みやすい相手である彼女は、話題を変えるべく少年の名を尋ねた。
「お前の名は?」
やはりダイが答えられずにいると「まあいい」と呟いて視線を外した。これからも小僧呼ばわりするつもりだろう。
「じゃあおまえ――君は?」
バーンを連想するため、初対面の相手だということも忘れてつい「おまえ」呼ばわりしてしまった。王の血縁者なのだから無礼者と怒るかと思われたが、彼女は気に留めていない。
名を知ろうとするダイに意外そうな顔をしている。
「奇妙な小僧だな。地上の人間だというのに魔族を恐れんのか?」
大魔王の家族なのだから、なおさら恐怖の対象のはずなのに、まったく物怖じしていない。
魔族の名を知る機会は意外な方向からやってきた。
「イルミナ様!」
突然現れた魔族の男――リリルーラを使ったのだろう――が慌てた様子で名を叫び、傍らのダイを見て目を警戒に光らせた。
「この小僧は?」
「地上の住人が迷い込み、奇特にも魔界に関心を持ったらしい」
ダイはしげしげと額に黒い影が集っている魔族の男を眺めた。
「この魔族は誰? イルミナ」
「無礼な! 何という口のきき方を――」
激高する男をイルミナが制した。
「玉座の間で謁見するわけでもない。流浪の身の一魔族に礼儀を尽くせと言う方が無茶だろう」
「へっ?」
ダイはぽかんと口を開けた。
豪奢な宮殿に住まい、侍女たちにかしずかれ、贅を尽くした食事を味わい、大魔王の名の下に軍勢を率いるのだと思っていたのである。
血筋だけでは上に立てないのは魔界らしいと言えるかもしれない。
「部下もいなくて放浪してるの?」
「部下はいる。このシャドーだ」
イルミナが促すように顔を動かすと、魔族の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。内側からにじみ出た黒い霧が人のような姿をとる。
鬼岩城を操縦していたミストバーンの分身によく似ている。ミスト本体と分身を足し合わせたような外見だ。
名前が同じなのだから分身の一つなのだろうか。
だが、本体であるミストは滅んだ。ミストバーンに生み出され、魔力を供給されているならば存在できないはずである。
「お前は……?」
「私はミスト様に拾われ、力を与えられたのだ」
シャドーは誇らしげに胸を張ってみせた。
ミストがミストバーンという役職名を与えられる前にイルミナと共に眠らされていた。
分身体ではないためミストが消滅しても生きている。
今の彼を動かしているのは最大の、そして最後となってしまった命令だった。
「ミスト様のお言葉により、イルミナ様に仕えお守りする。それが私の使命だ」
その言葉に彼女はわずかに顔を曇らせたが、シャドーは気づいていない。
「どうしてイルミナは放浪しているの?」
「それは――」
答えはすぐに明らかになった。
見たこともない魔物の集団が周囲に現れた。
見たこともない魔物の集団が周囲に現れた。