音が響く。
音が響く。
機関の揺籃から鳴り響くのは鋼鉄の産声か。
ロンドン地下深くに建造された空間。ロンドンのありとあらゆる情報が集まり、それを集積する複数連結式超巨大演算機関が存在するその
場所は、《機関回廊》と呼ばれている。
その存在を知るものは少ない。殺人さえ厭わぬ犯罪組織の重鎮あるとか、生命の法を無視した背徳の科学者であるとか。
そこに何が存在するのか、想像してはいけない。命が惜しければ。
音が響く。
機関の揺籃から鳴り響くのは鋼鉄の産声か。
ロンドン地下深くに建造された空間。ロンドンのありとあらゆる情報が集まり、それを集積する複数連結式超巨大演算機関が存在するその
場所は、《機関回廊》と呼ばれている。
その存在を知るものは少ない。殺人さえ厭わぬ犯罪組織の重鎮あるとか、生命の法を無視した背徳の科学者であるとか。
そこに何が存在するのか、想像してはいけない。命が惜しければ。
その《機関回廊》に、F08はいた。意識は無いが、繰り返される呼吸が、F08の生存を証明している。傷は完治しているようで、折ら
れた手首も元の状態に戻っており、胸の傷も塞がっている。そのF08の瞼が、ゆっくりと開かれていく。
「なんだ……わたしは……いったい……」
茫洋とした意識の中で、F08は周囲を見回した。薄暗い空間に視線を走らせ、すぐにここが《機関廻廊》であることに気がついた。
そして、記憶の空白の間に、自分がどうなっていたのかも。
あの敗北の後、F機関の構成員が自分をここに運び込み、修理を施したのだろう。
身体からは一切の痛みが取り除かれていた。流石はF機関、といったところか。
短く息をついて、安堵する。が、戦いの記憶が呼び覚まされ、背筋に冷たいものが流れた。
恐怖――久しく感じていなかったあの感覚。
「くそ……くそっ、くそっ、くそっ!」
悪態をつくのは、あの人造人間が憎いから、ではない。恐怖を感じ、敗北した自分が、あまりに情けなかったからだ。
力を手にしたのに。自分を笑う人間をすべて殺せる力を手にしたのに。その結果が、これか。
「殺してやる……」
恐怖を糧にして、憎悪の業火がF08の中で燃えさかる。
そうだ――自分が敗北するなど、あってはならない。惨めな過去を清算するには、あの人造人間の死が必要不可欠だ。
初めて、F08は、たった一人を憎悪していた。戦いの理由にしようとしていた。
重油のように粘ついた殺意は、復讐という火種を得て、一気に燃え上がる。歯を剥いて、虚空に絶叫を迸らせた。
「殺されるんじゃねえぞ……わたし以外の、誰にもな!」
そう言って、F08は立ち上がろうとした。
だが、出来なかった。
代わりに、がちゃり、という金属音がした。
「な……なんだよこれは!」
――F08の全身は、鎖でがんじがらめに拘束されていた。
手足には幾重にも巻かれた鋼鉄が鈍い光を放ち、頑丈な拘束具で壁に括り付けられている格好になっている。
どんなに力をこめても、外れない、引きちぎれない。がちゃがちゃと空しい音が鳴るだけ。
F08は混乱した。いったい何故、自分はこんな目にあっているのか。
「お目覚めになられたようですね」
声がした。F08はその方向に視線を向ける。
――美しい女性が佇んでいた。気品あるかんばせには慈愛の笑みが溢れており、閉じられた瞼からは静かな知性が感じられる。
余談だが、盲人というのは、聾唖よりも賢者めいて見えるのだという。
彼女は盲人ではなかったが、ともかく、誰かに危害を加えるような女性にはとても見えない。
だが、F08は心の底から震え上がった。
「じゅ、ジュスティーヌ、さん……」
何故なら彼女は、F08の上司であったから。F08の震えた声に、ジュスティーヌと呼ばれた女性は微笑みをもって応える。
<装甲戦闘死体>、ならびにF機関の全指揮権を統括する、フランケンシュタイン博士の代理人。
常にフランケンシュタイン博士に寄り添い、彼を支え続けてきた女性だ。
彼女にはあらゆる権限が認められている。<装甲戦闘死体>への処罰も、果ては廃棄処分さえ、彼女は下せるらしい。
既に、自分の敗北は彼女の耳に入っているのだろう。ならば、この仕打ちは、彼女が命じたのか……。
ジュスティーヌの微笑みが、怯えるF08に向けられる。
「まずは、スコットランドでの任務、ご苦労様でした。あなたのおかげで、イギリスのモントリヒトはあらかた一掃出来ました」
「は、はい……」
「ですが」
ジュスティーヌの顔が、間近に迫る。
「負けましたね?」
悲鳴が喉まで出かかる。怒りなど微塵も感じさせない笑顔がそこにあった。その表情の裏にはどんな感情が巡っているのだろうか。
理解できない。それが余計にF08の恐怖を煽り立てる。
「<装甲戦闘死体>は、人類の未来をモントリヒトの手から守るために戦っているのです。敗北は許されないのです。あなたが目覚める
時に、それは十分に説明したつもりですが」
「そ、それは……!」
「しかし」
F08の弁解の言葉を、ジュスティーヌはすかさず遮った。最初からF08の言葉など聞く気がないようだ。
「しかし、しかし。それも仕方がないこと。あなたは何かを失った人間の強さを知らない。あなたは何かを失ったことがないのですから」
ジュスティーヌはF08の頬を撫でた。体温がなく、氷のように冷たい指先。
自分の命など、容易く摘み取ってしまえそうな。
ただ、獰猛な肉食獣を目の前にしたような感覚が、F08を支配していた。生きた心地が、まったくしなかった。
「反省してますか、F08さん」
「は、はい……」
「もう敗北しないと誓えますか、F08さん」
「は、はい……」
「よろしい。では、次からは頑張ってくださいね」
と、ジュスティーヌは顔を離した。
極度の緊張から開放されて、F08は安堵の息を漏らした。これでこの拘束も解かれるはずだ。
だけど――いつまでたっても、F08に自由は戻らなかった。
「あ……あの……」
「なんです?」
「これ、外してくれませんか。身体にくいこんで、痛いんです……」
「まだだめです」
有無を言わさぬ言葉に、F08は口を噤むしかない。何故――そう問いかけることさえ、出来ない。
「あなたにはまだ伝えていませんでしたが――」
ふ、と唇に笑みを浮かべる。それはどこか、これまでの慈愛の表情とは違っていた。
「<装甲戦闘死体>となる時、避けられぬ儀式が存在します」
言いながら、巨大な機関の前で、ジュスティーヌは何か操作を行っている。きれいな指がコンソールの上を踊り、
ある情報が入力されていく。それが何を意味しているのか、下層市民の出身で教養の無いF08にはわからない。
「その儀式を見事終えたとき、あなたは、何かを失うことの恐怖、悲しみ、怒りを知るでしょう。
それがあなたに無限の活力を与えてくれるでしょう」
そして、何かのスイッチを押した。突然、背後に何かの気配を、F08は感じた。
機関から、何本もの鋼鉄の触手が伸びる。うねうねと蠢き、F08に近づき、その頭部に絡み付いていく。
「な!? ジュスティーヌさん、なんですかこれ!?」
「ご安心ください。何の心配もございません」
ジュスティーヌの声音は依然として穏やかだ。だが、F08の悪寒は止らない。いったい、自分は何をされるんだ――
そして、F08の頭蓋に、こめかみに、鋼鉄の触手の先端が突き刺さっていく。
「ぎあっ!? ぐ、が、ぎゃああ!」
入力されたプログラムを実行するだけの鋼鉄の触手に、慈悲など存在しない。
激痛に悲鳴を上げるF08を無視し、頭蓋のさらに奥に穿孔する。そして、脳髄に鋼鉄の先端が到達した時、
「あなたにはこれから、フランケンシュタイン博士の記憶を追体験し、博士の恐怖、悲しみ、怒りに触れていただきます」
ジュスティーヌはそう言い、実行のキーを押した。
「……げくっ」
莫大な情報が、F08の脳髄に注ぎ込まれた。衝撃が、F08の頭蓋に弾ける。白目を剥き、眼球がぐるぐると蠢動する。
「あああああああ!! ぎゃああああああ!!」
人一人の記憶をそっくりそのまま流し込むのだ。あまりの負荷に、F08の脳細胞が悲鳴を上げる。
F08の脳髄は高熱を帯び、ぶすぶすと焼け焦げる音がした。意識が一瞬で失われ、残るのは生理的な反応のみ。
その死と生の境界で、F08の魂は、ここではないどこかに飛んでいた。ゆっくりと飛翔し、そして、落下していく。
その先にあるものは――フランケンシュタイン博士の、過去。
れた手首も元の状態に戻っており、胸の傷も塞がっている。そのF08の瞼が、ゆっくりと開かれていく。
「なんだ……わたしは……いったい……」
茫洋とした意識の中で、F08は周囲を見回した。薄暗い空間に視線を走らせ、すぐにここが《機関廻廊》であることに気がついた。
そして、記憶の空白の間に、自分がどうなっていたのかも。
あの敗北の後、F機関の構成員が自分をここに運び込み、修理を施したのだろう。
身体からは一切の痛みが取り除かれていた。流石はF機関、といったところか。
短く息をついて、安堵する。が、戦いの記憶が呼び覚まされ、背筋に冷たいものが流れた。
恐怖――久しく感じていなかったあの感覚。
「くそ……くそっ、くそっ、くそっ!」
悪態をつくのは、あの人造人間が憎いから、ではない。恐怖を感じ、敗北した自分が、あまりに情けなかったからだ。
力を手にしたのに。自分を笑う人間をすべて殺せる力を手にしたのに。その結果が、これか。
「殺してやる……」
恐怖を糧にして、憎悪の業火がF08の中で燃えさかる。
そうだ――自分が敗北するなど、あってはならない。惨めな過去を清算するには、あの人造人間の死が必要不可欠だ。
初めて、F08は、たった一人を憎悪していた。戦いの理由にしようとしていた。
重油のように粘ついた殺意は、復讐という火種を得て、一気に燃え上がる。歯を剥いて、虚空に絶叫を迸らせた。
「殺されるんじゃねえぞ……わたし以外の、誰にもな!」
そう言って、F08は立ち上がろうとした。
だが、出来なかった。
代わりに、がちゃり、という金属音がした。
「な……なんだよこれは!」
――F08の全身は、鎖でがんじがらめに拘束されていた。
手足には幾重にも巻かれた鋼鉄が鈍い光を放ち、頑丈な拘束具で壁に括り付けられている格好になっている。
どんなに力をこめても、外れない、引きちぎれない。がちゃがちゃと空しい音が鳴るだけ。
F08は混乱した。いったい何故、自分はこんな目にあっているのか。
「お目覚めになられたようですね」
声がした。F08はその方向に視線を向ける。
――美しい女性が佇んでいた。気品あるかんばせには慈愛の笑みが溢れており、閉じられた瞼からは静かな知性が感じられる。
余談だが、盲人というのは、聾唖よりも賢者めいて見えるのだという。
彼女は盲人ではなかったが、ともかく、誰かに危害を加えるような女性にはとても見えない。
だが、F08は心の底から震え上がった。
「じゅ、ジュスティーヌ、さん……」
何故なら彼女は、F08の上司であったから。F08の震えた声に、ジュスティーヌと呼ばれた女性は微笑みをもって応える。
<装甲戦闘死体>、ならびにF機関の全指揮権を統括する、フランケンシュタイン博士の代理人。
常にフランケンシュタイン博士に寄り添い、彼を支え続けてきた女性だ。
彼女にはあらゆる権限が認められている。<装甲戦闘死体>への処罰も、果ては廃棄処分さえ、彼女は下せるらしい。
既に、自分の敗北は彼女の耳に入っているのだろう。ならば、この仕打ちは、彼女が命じたのか……。
ジュスティーヌの微笑みが、怯えるF08に向けられる。
「まずは、スコットランドでの任務、ご苦労様でした。あなたのおかげで、イギリスのモントリヒトはあらかた一掃出来ました」
「は、はい……」
「ですが」
ジュスティーヌの顔が、間近に迫る。
「負けましたね?」
悲鳴が喉まで出かかる。怒りなど微塵も感じさせない笑顔がそこにあった。その表情の裏にはどんな感情が巡っているのだろうか。
理解できない。それが余計にF08の恐怖を煽り立てる。
「<装甲戦闘死体>は、人類の未来をモントリヒトの手から守るために戦っているのです。敗北は許されないのです。あなたが目覚める
時に、それは十分に説明したつもりですが」
「そ、それは……!」
「しかし」
F08の弁解の言葉を、ジュスティーヌはすかさず遮った。最初からF08の言葉など聞く気がないようだ。
「しかし、しかし。それも仕方がないこと。あなたは何かを失った人間の強さを知らない。あなたは何かを失ったことがないのですから」
ジュスティーヌはF08の頬を撫でた。体温がなく、氷のように冷たい指先。
自分の命など、容易く摘み取ってしまえそうな。
ただ、獰猛な肉食獣を目の前にしたような感覚が、F08を支配していた。生きた心地が、まったくしなかった。
「反省してますか、F08さん」
「は、はい……」
「もう敗北しないと誓えますか、F08さん」
「は、はい……」
「よろしい。では、次からは頑張ってくださいね」
と、ジュスティーヌは顔を離した。
極度の緊張から開放されて、F08は安堵の息を漏らした。これでこの拘束も解かれるはずだ。
だけど――いつまでたっても、F08に自由は戻らなかった。
「あ……あの……」
「なんです?」
「これ、外してくれませんか。身体にくいこんで、痛いんです……」
「まだだめです」
有無を言わさぬ言葉に、F08は口を噤むしかない。何故――そう問いかけることさえ、出来ない。
「あなたにはまだ伝えていませんでしたが――」
ふ、と唇に笑みを浮かべる。それはどこか、これまでの慈愛の表情とは違っていた。
「<装甲戦闘死体>となる時、避けられぬ儀式が存在します」
言いながら、巨大な機関の前で、ジュスティーヌは何か操作を行っている。きれいな指がコンソールの上を踊り、
ある情報が入力されていく。それが何を意味しているのか、下層市民の出身で教養の無いF08にはわからない。
「その儀式を見事終えたとき、あなたは、何かを失うことの恐怖、悲しみ、怒りを知るでしょう。
それがあなたに無限の活力を与えてくれるでしょう」
そして、何かのスイッチを押した。突然、背後に何かの気配を、F08は感じた。
機関から、何本もの鋼鉄の触手が伸びる。うねうねと蠢き、F08に近づき、その頭部に絡み付いていく。
「な!? ジュスティーヌさん、なんですかこれ!?」
「ご安心ください。何の心配もございません」
ジュスティーヌの声音は依然として穏やかだ。だが、F08の悪寒は止らない。いったい、自分は何をされるんだ――
そして、F08の頭蓋に、こめかみに、鋼鉄の触手の先端が突き刺さっていく。
「ぎあっ!? ぐ、が、ぎゃああ!」
入力されたプログラムを実行するだけの鋼鉄の触手に、慈悲など存在しない。
激痛に悲鳴を上げるF08を無視し、頭蓋のさらに奥に穿孔する。そして、脳髄に鋼鉄の先端が到達した時、
「あなたにはこれから、フランケンシュタイン博士の記憶を追体験し、博士の恐怖、悲しみ、怒りに触れていただきます」
ジュスティーヌはそう言い、実行のキーを押した。
「……げくっ」
莫大な情報が、F08の脳髄に注ぎ込まれた。衝撃が、F08の頭蓋に弾ける。白目を剥き、眼球がぐるぐると蠢動する。
「あああああああ!! ぎゃああああああ!!」
人一人の記憶をそっくりそのまま流し込むのだ。あまりの負荷に、F08の脳細胞が悲鳴を上げる。
F08の脳髄は高熱を帯び、ぶすぶすと焼け焦げる音がした。意識が一瞬で失われ、残るのは生理的な反応のみ。
その死と生の境界で、F08の魂は、ここではないどこかに飛んでいた。ゆっくりと飛翔し、そして、落下していく。
その先にあるものは――フランケンシュタイン博士の、過去。
始めは幸福な記憶だった。
何一つとして不自由のない生活。父と母、兄弟、そして、ジュスティーヌ。
穏やかな生活。悪意ある者がいない、優しい世界。
愛する者と一緒に、いつまでもこの世界が続いていくのだと信じていた。
私は、幸福のままで死ぬのだと、信じていた。
何一つとして不自由のない生活。父と母、兄弟、そして、ジュスティーヌ。
穏やかな生活。悪意ある者がいない、優しい世界。
愛する者と一緒に、いつまでもこの世界が続いていくのだと信じていた。
私は、幸福のままで死ぬのだと、信じていた。
次は絶望の記憶だった。
私の世界は脆くも崩れ去った。モントリヒトという怪物に、すべて打ち砕かれた。
父も、母も、兄も弟も、すべて殺された。
私と、ジュスティーヌだけが、残された。
私の世界は脆くも崩れ去った。モントリヒトという怪物に、すべて打ち砕かれた。
父も、母も、兄も弟も、すべて殺された。
私と、ジュスティーヌだけが、残された。
最後は歓喜の記憶だった。
禁忌を犯し、復讐の手段を手に入れた。墓を暴き、死体を弄び、命を蘇らせた。
<装甲戦闘死体>を、完成させた。彼女らを使って、私は、復讐を完遂する。
父と、母と、兄と弟の味わった苦しみを、奴らに思い知らせてやる! 最後の一匹まで!
禁忌を犯し、復讐の手段を手に入れた。墓を暴き、死体を弄び、命を蘇らせた。
<装甲戦闘死体>を、完成させた。彼女らを使って、私は、復讐を完遂する。
父と、母と、兄と弟の味わった苦しみを、奴らに思い知らせてやる! 最後の一匹まで!
フランケンシュタインの記憶と、F08の記憶が、混ざる。溶け崩れる。一つになる。そして――
「――ああああああっ!」
F08は、現実へと帰還した。
「いかがですか?」
フランケンシュタインの記憶を追体験したF08は、疲弊していた。だらりと首が下がり、開いた唇からは唾液が垂れ落ち、
ぴくぴくと全身を痙攣させている。満身創痍と言っていい状態だ。だが――
「はあ、はあ、はあ……く、くく」
喘ぎ声が、次第に笑い声に変わっていく。
「くはははは! あはははは……!」
哄笑と共に、F08は、鎖を引き千切った。いまやF08の身体には、途方も無く強大な力が宿っていた。
精神の変容は、肉体をも変容させる。フランケンシュタイン博士と魂の婚姻を果たしたF08は、いま、
真の<装甲戦闘死体>として覚醒したのだ。
先程まで自由を奪っていた鎖を、いとも容易く破壊することが出来た。これが、これが――<装甲戦闘死体>の力か。
新しく身に宿った力に、F08は酔いしれる。
「ありがとうございます、ジュスティーヌさん! これで……これで、わたしは本当の力を手に入れたんだ。
わたしを笑った人間すべてを殺せる力が!」
「それはよかった」
ジュスティーヌは笑って、F08の覚醒を祝福する。
「では――その力を試す機会を与えましょう」
「え?」
その言葉と共に、暗がりの向こうから、フード姿の人影が何人も姿を現した。
中には、フード姿ではなく、素顔を曝しているものもいる。同じ人種は、一人としていない。
手に持つ得物も、多岐に渡っている。日本刀、サーベル、ウィップ、へヴィハンマー……その持ち主の個性が窺える。
目が眩むような美貌が唯一共通している、その集団の名は――
「儀式の最後は、"現役"の<装甲戦闘死体>の方々と戦うことで締めくくらなければなりません。これはあなたの最終調整も兼ねています。
どうか、先輩方から多くを学んでください」
「そういうことだ」
と、一番先頭にいた<装甲戦闘死体>が言った。
「よぉちんくしゃ。まずはあたしが相手だ」
黒味がかった紫色の髪をツインテールにして、両目を眼帯で覆った少女。その頭にはミニサイズのシルクハットがちょこんと乗っている。
可愛らしい容姿だが、その顔に浮かぶ好戦的な笑みと、携えた巨大なハンマーがいかにも不釣合いだ。
「<装甲戦闘死体>の本当の戦い方をみっちり叩き込んでやる。覚悟しろよ?」
かつてカリブ海を荒らしまわった海賊――<装甲戦闘死体>、F03だった。
巨大なハンマーを振り回しながら、F03は近づいてくる。細腕に宿る力ではない。自分とそう変わらない背丈であるはずなのに、
その膂力は、おそらく自分を負かした人造人間を凌駕しているだろう。
だが、F08は臆しなかった。
全身に力が漲っている。今なら、何でも出来る気がする。そう、目の前のこいつにだって、容易く勝てる気がする。
何よりこいつは、自分のことをちんくしゃと呼んだ。自分を馬鹿にするものは、絶対に許さない。こいつも黙らせてやる!
「けっ、わたしが引退させてやるよ、ロートル!」
F08の姿が、消える。彼女はいまさらながらに自分の変化に驚いていた。
嘘のように、身体が軽い。これならば、目の前の人造人間は言うに及ばず、自分を敗北させたあの人造人間すら容易く破壊できる。
にぃ、とF08は笑った。どうやって、壊してやろうか。
刃を突き立て、一気に解体してやるのもいい。その細腕を切断して、武器を奪ったあとじっくりと悲鳴を愉しむのもいい。
だが、まずは、その生意気な口を永遠にきけなくしてやろう。
そして、ナイフがF03に迫り――
――届くことは、なかった。
「な……!」
「は!」
F03は、ハンマーの柄――その先端で、ナイフを受け止めていたのだ。鈍重な得物を、この細腕で、こうまで使いこなせるとは。
これほどの技量に到るまでに、いったい幾度の修羅場を潜り抜けてきたのか、どれほどの屍を築きあげてきたのか、想像もつかない。
驚愕するF08に対して、F03は歯を剥きだしにし、凄絶な笑みを作った。そして、
「先輩への口の聞き方がなってねぇぞ!」
ハンマーを、振るう。巨大な質量が、F08の右手を打ち据えた。右手は、骨を粉々に打ち砕かれ、有り得ない方向に折れ曲がった。
「ぎ……い……!?」
「ぼさっとつっ立ってんじゃねえ、よ!」
脳が痛みを認識する前に、F03は巨大なハンマーを振りかぶる。そのまま、F08の身体を薙ぎ払う。
「ぐえぇぇぇっ!」
全身を打ち据えられ、為すすべなく、F08は壁に叩きつけられた。
人間であれば絶命必至の一撃であったが、<装甲戦闘死体>であるF08は、まだ生きていた。
とはいえ、骨が折れ、内臓のいくつかが破裂している。蹲って、何度も血の塊を床にぶちまける。
「ご……おげえぇぇ……」
「んだよ、もうおねんねかよ。しらけちまったぜ、やめだやめだ」
興味を失ったように、はぁとF03は溜め息をつく。激痛に苛まれているF08は、血塊を吐き出し、悔しがるも、同時に安堵していた。
"現役の"<装甲戦闘死体>と、自分との間にある、高い壁。実戦と経験を積めば、いつか同じ高みにたどり着けるに違いないが、
ここで殺されてしまっては意味が無い。興味の対象外にされたのはとても腹立たしかったが、それでも自分の命の方が大切だ。
ここで殺されなくて済んだ。よかった。
「んじゃ、次だ」
――え?
「なら、わたくしがいきますわ」
「んだよ毒殺ババアか。は! ご自慢の毒は自重しろよ? せっかく身体直してやったのに、ドロドロにしちまったら意味ねーからな」
からからと笑いながら、F03は倒れ伏すF08に顔を寄せた。そして、
「気をつけろよ、ちんくしゃ」
愉しげに、囁く。
「あいつ、昔の任務でF08を失ってるんだ。おっと、お前じゃなくて、前のF08な。毎晩同衾して、まあ、そういう仲だったんだよ。そ
んで、前のF08が壊れた後、あの毒殺ババア、それはもう悲しんでな。大変だったぜ。悲しみを紛らわすために誰彼構わず人のメシに毒盛
りやがったからな。んで、ここからが重要だ。毒殺ババアは、F08の名に並々ならぬ想いがある。そして、お前は仮にもF08のナンバー
を受け継いでる。そのお前が、あまりに不甲斐なかったら――」
にぃ、と口の端を吊り上げる。
「殺されるぜ、お前」
笑いながらばんばんとF08の背中を叩いて(その度にF08は激痛に呻いた)、立ち去るF03と入れ替わりに、
一人の女性が歩み寄ってきた。その豊満な肉体には、男を惑わしてやまない色香が漂っている。胸元から腹部までざっくりと開いた淫靡なコ
スチュームは、精気を啜る淫魔を思い起こさせる。
かつて、パリを恐怖に陥れた毒殺魔――<装甲戦闘死体>、F05だ。
「立ちなさい。あなたにF08のナンバーが相応しいかどうか、わたくしが見定めましょう」
鞭を腰から引き抜き、佇むF05の周囲からは、禍々しい妖気が立ち昇っている。
そして、鋭い視線がF08を射抜く。
自分は、試されている――そのことに気づいたF08は、ばらばらになっていた思考を必死に纏め上げた。
立ち上がり、ナイフを構える。攻撃が来た時、いつでも対応できるように。
「では、いきますわよ」
びしり、と。音が先に来て、次に結果が明らかになる、音速を超えた鞭の一撃。
それで、呆気なく勝負は決まった。
鞭は、何の抵抗も許さず、F08からナイフを叩き落していた。
「あ……」
F08は唖然とする。鞭の軌道が、まったく、見えなかった――
「あら、もうお仕舞いですの? だめですね、戦いで武器を奪われたら、死を覚悟しなければならないというのに」
鞭の先端を手元に戻し、舌を這わせる。
「――あなたは、その覚悟がおありなのでしょうね?」
軽い手首の動作とともに、鞭が、F08の首に巻きついた。そして、ぎりぎりと喉を締め上げる。
「あ……ぐ……」
鞭は、肉にめり込み、血の流れを阻害する。断ち切ろうにも、肝心のナイフがない。
ならばと、手で引きちぎろうとしたが、地面に引き摺り倒された。そして、まだ無事な左手をF05のヒールが刺し、動きを封じた。
「か……は……」
あらゆる反撃の手段を奪われたF08は、苦しみに喘ぐしかない。
次第に意識が朦朧としてきて、視界に霞がかかっていく。そして、ぐるんと眼球が回転して――
F08は、気絶した。
「――ああああああっ!」
F08は、現実へと帰還した。
「いかがですか?」
フランケンシュタインの記憶を追体験したF08は、疲弊していた。だらりと首が下がり、開いた唇からは唾液が垂れ落ち、
ぴくぴくと全身を痙攣させている。満身創痍と言っていい状態だ。だが――
「はあ、はあ、はあ……く、くく」
喘ぎ声が、次第に笑い声に変わっていく。
「くはははは! あはははは……!」
哄笑と共に、F08は、鎖を引き千切った。いまやF08の身体には、途方も無く強大な力が宿っていた。
精神の変容は、肉体をも変容させる。フランケンシュタイン博士と魂の婚姻を果たしたF08は、いま、
真の<装甲戦闘死体>として覚醒したのだ。
先程まで自由を奪っていた鎖を、いとも容易く破壊することが出来た。これが、これが――<装甲戦闘死体>の力か。
新しく身に宿った力に、F08は酔いしれる。
「ありがとうございます、ジュスティーヌさん! これで……これで、わたしは本当の力を手に入れたんだ。
わたしを笑った人間すべてを殺せる力が!」
「それはよかった」
ジュスティーヌは笑って、F08の覚醒を祝福する。
「では――その力を試す機会を与えましょう」
「え?」
その言葉と共に、暗がりの向こうから、フード姿の人影が何人も姿を現した。
中には、フード姿ではなく、素顔を曝しているものもいる。同じ人種は、一人としていない。
手に持つ得物も、多岐に渡っている。日本刀、サーベル、ウィップ、へヴィハンマー……その持ち主の個性が窺える。
目が眩むような美貌が唯一共通している、その集団の名は――
「儀式の最後は、"現役"の<装甲戦闘死体>の方々と戦うことで締めくくらなければなりません。これはあなたの最終調整も兼ねています。
どうか、先輩方から多くを学んでください」
「そういうことだ」
と、一番先頭にいた<装甲戦闘死体>が言った。
「よぉちんくしゃ。まずはあたしが相手だ」
黒味がかった紫色の髪をツインテールにして、両目を眼帯で覆った少女。その頭にはミニサイズのシルクハットがちょこんと乗っている。
可愛らしい容姿だが、その顔に浮かぶ好戦的な笑みと、携えた巨大なハンマーがいかにも不釣合いだ。
「<装甲戦闘死体>の本当の戦い方をみっちり叩き込んでやる。覚悟しろよ?」
かつてカリブ海を荒らしまわった海賊――<装甲戦闘死体>、F03だった。
巨大なハンマーを振り回しながら、F03は近づいてくる。細腕に宿る力ではない。自分とそう変わらない背丈であるはずなのに、
その膂力は、おそらく自分を負かした人造人間を凌駕しているだろう。
だが、F08は臆しなかった。
全身に力が漲っている。今なら、何でも出来る気がする。そう、目の前のこいつにだって、容易く勝てる気がする。
何よりこいつは、自分のことをちんくしゃと呼んだ。自分を馬鹿にするものは、絶対に許さない。こいつも黙らせてやる!
「けっ、わたしが引退させてやるよ、ロートル!」
F08の姿が、消える。彼女はいまさらながらに自分の変化に驚いていた。
嘘のように、身体が軽い。これならば、目の前の人造人間は言うに及ばず、自分を敗北させたあの人造人間すら容易く破壊できる。
にぃ、とF08は笑った。どうやって、壊してやろうか。
刃を突き立て、一気に解体してやるのもいい。その細腕を切断して、武器を奪ったあとじっくりと悲鳴を愉しむのもいい。
だが、まずは、その生意気な口を永遠にきけなくしてやろう。
そして、ナイフがF03に迫り――
――届くことは、なかった。
「な……!」
「は!」
F03は、ハンマーの柄――その先端で、ナイフを受け止めていたのだ。鈍重な得物を、この細腕で、こうまで使いこなせるとは。
これほどの技量に到るまでに、いったい幾度の修羅場を潜り抜けてきたのか、どれほどの屍を築きあげてきたのか、想像もつかない。
驚愕するF08に対して、F03は歯を剥きだしにし、凄絶な笑みを作った。そして、
「先輩への口の聞き方がなってねぇぞ!」
ハンマーを、振るう。巨大な質量が、F08の右手を打ち据えた。右手は、骨を粉々に打ち砕かれ、有り得ない方向に折れ曲がった。
「ぎ……い……!?」
「ぼさっとつっ立ってんじゃねえ、よ!」
脳が痛みを認識する前に、F03は巨大なハンマーを振りかぶる。そのまま、F08の身体を薙ぎ払う。
「ぐえぇぇぇっ!」
全身を打ち据えられ、為すすべなく、F08は壁に叩きつけられた。
人間であれば絶命必至の一撃であったが、<装甲戦闘死体>であるF08は、まだ生きていた。
とはいえ、骨が折れ、内臓のいくつかが破裂している。蹲って、何度も血の塊を床にぶちまける。
「ご……おげえぇぇ……」
「んだよ、もうおねんねかよ。しらけちまったぜ、やめだやめだ」
興味を失ったように、はぁとF03は溜め息をつく。激痛に苛まれているF08は、血塊を吐き出し、悔しがるも、同時に安堵していた。
"現役の"<装甲戦闘死体>と、自分との間にある、高い壁。実戦と経験を積めば、いつか同じ高みにたどり着けるに違いないが、
ここで殺されてしまっては意味が無い。興味の対象外にされたのはとても腹立たしかったが、それでも自分の命の方が大切だ。
ここで殺されなくて済んだ。よかった。
「んじゃ、次だ」
――え?
「なら、わたくしがいきますわ」
「んだよ毒殺ババアか。は! ご自慢の毒は自重しろよ? せっかく身体直してやったのに、ドロドロにしちまったら意味ねーからな」
からからと笑いながら、F03は倒れ伏すF08に顔を寄せた。そして、
「気をつけろよ、ちんくしゃ」
愉しげに、囁く。
「あいつ、昔の任務でF08を失ってるんだ。おっと、お前じゃなくて、前のF08な。毎晩同衾して、まあ、そういう仲だったんだよ。そ
んで、前のF08が壊れた後、あの毒殺ババア、それはもう悲しんでな。大変だったぜ。悲しみを紛らわすために誰彼構わず人のメシに毒盛
りやがったからな。んで、ここからが重要だ。毒殺ババアは、F08の名に並々ならぬ想いがある。そして、お前は仮にもF08のナンバー
を受け継いでる。そのお前が、あまりに不甲斐なかったら――」
にぃ、と口の端を吊り上げる。
「殺されるぜ、お前」
笑いながらばんばんとF08の背中を叩いて(その度にF08は激痛に呻いた)、立ち去るF03と入れ替わりに、
一人の女性が歩み寄ってきた。その豊満な肉体には、男を惑わしてやまない色香が漂っている。胸元から腹部までざっくりと開いた淫靡なコ
スチュームは、精気を啜る淫魔を思い起こさせる。
かつて、パリを恐怖に陥れた毒殺魔――<装甲戦闘死体>、F05だ。
「立ちなさい。あなたにF08のナンバーが相応しいかどうか、わたくしが見定めましょう」
鞭を腰から引き抜き、佇むF05の周囲からは、禍々しい妖気が立ち昇っている。
そして、鋭い視線がF08を射抜く。
自分は、試されている――そのことに気づいたF08は、ばらばらになっていた思考を必死に纏め上げた。
立ち上がり、ナイフを構える。攻撃が来た時、いつでも対応できるように。
「では、いきますわよ」
びしり、と。音が先に来て、次に結果が明らかになる、音速を超えた鞭の一撃。
それで、呆気なく勝負は決まった。
鞭は、何の抵抗も許さず、F08からナイフを叩き落していた。
「あ……」
F08は唖然とする。鞭の軌道が、まったく、見えなかった――
「あら、もうお仕舞いですの? だめですね、戦いで武器を奪われたら、死を覚悟しなければならないというのに」
鞭の先端を手元に戻し、舌を這わせる。
「――あなたは、その覚悟がおありなのでしょうね?」
軽い手首の動作とともに、鞭が、F08の首に巻きついた。そして、ぎりぎりと喉を締め上げる。
「あ……ぐ……」
鞭は、肉にめり込み、血の流れを阻害する。断ち切ろうにも、肝心のナイフがない。
ならばと、手で引きちぎろうとしたが、地面に引き摺り倒された。そして、まだ無事な左手をF05のヒールが刺し、動きを封じた。
「か……は……」
あらゆる反撃の手段を奪われたF08は、苦しみに喘ぐしかない。
次第に意識が朦朧としてきて、視界に霞がかかっていく。そして、ぐるんと眼球が回転して――
F08は、気絶した。
「あーあ」
興が削がれた、といった表情をF03は浮かべる。
「いきなり本気だす奴があるかよ。かわいそうに」
「そんなこと、わたくしの自由ですわ」
それに、あなたが言えたことじゃないでしょう――と、F03に視線を向ける。
「ま、そうだな。で、お眼鏡には叶ったかよ」
「……今後の頑張り次第ですわね」
「あたしの目にゃ、"こんな出来の悪い生徒は初めてだ"って映ったんだが、まあいいや。それでこそ鍛え甲斐があるって言えるしな。
んじゃ、目が醒めたらもっかいだな。次はだれがいく?」
「私が行こう」
鈴を鳴らしたような美声が響き渡った。暗がりに満ちたこの場所の、深い闇を切り裂く光のような。
日本刀を携えたその佇まいには、凛とした気品が漂っている。
それは彼女の高貴な生まれも関係しているのだろうが、それ以上に、その精神の高潔さ故だろう。
<装甲戦闘死体>、F11だった。
「お姫様、か。いいぜ、やってみろよ。あたしが教えたこと、しっかり生かせよ? あ、でもやりすぎるんじゃねーぞ。
死なせちまったら元も子もねーからな。お姫様は真面目だからな、適度に力抜けよ」
「わかった」
「よしよし」
「では、その次は私が」
さらに名乗りを上げたのは――F04。生前のF03と共に、カリブ海を荒らしまわった元海賊だ。
サーベルの使い手で、その技量はF11と同等か、それ以上。
「わかったわかった。ま、こんだけいりゃ十分だろ。次あいつが気絶するまでは、お姫様とF04の担当だぜ。順番は守れよな。
適度に休憩とらなきゃなあっちもこっちも大変だし、あんまりいじめすぎてへこませるのもなんだし」
興が削がれた、といった表情をF03は浮かべる。
「いきなり本気だす奴があるかよ。かわいそうに」
「そんなこと、わたくしの自由ですわ」
それに、あなたが言えたことじゃないでしょう――と、F03に視線を向ける。
「ま、そうだな。で、お眼鏡には叶ったかよ」
「……今後の頑張り次第ですわね」
「あたしの目にゃ、"こんな出来の悪い生徒は初めてだ"って映ったんだが、まあいいや。それでこそ鍛え甲斐があるって言えるしな。
んじゃ、目が醒めたらもっかいだな。次はだれがいく?」
「私が行こう」
鈴を鳴らしたような美声が響き渡った。暗がりに満ちたこの場所の、深い闇を切り裂く光のような。
日本刀を携えたその佇まいには、凛とした気品が漂っている。
それは彼女の高貴な生まれも関係しているのだろうが、それ以上に、その精神の高潔さ故だろう。
<装甲戦闘死体>、F11だった。
「お姫様、か。いいぜ、やってみろよ。あたしが教えたこと、しっかり生かせよ? あ、でもやりすぎるんじゃねーぞ。
死なせちまったら元も子もねーからな。お姫様は真面目だからな、適度に力抜けよ」
「わかった」
「よしよし」
「では、その次は私が」
さらに名乗りを上げたのは――F04。生前のF03と共に、カリブ海を荒らしまわった元海賊だ。
サーベルの使い手で、その技量はF11と同等か、それ以上。
「わかったわかった。ま、こんだけいりゃ十分だろ。次あいつが気絶するまでは、お姫様とF04の担当だぜ。順番は守れよな。
適度に休憩とらなきゃなあっちもこっちも大変だし、あんまりいじめすぎてへこませるのもなんだし」
F03の視線の先では、F機関の構成員がF08に応急処置を施している。
本来はすぐにでも本格的な修理が必要だったが、ジュスティーヌによって禁じられている。
フランケンシュタインと魂の同化を果たし、さらに、現役の<装甲戦闘死体>達の"洗礼"を受ける――それが必要不可欠と、
ジュスティーヌは言った。だが、儀式に必要なのは魂の同化のみで、本来は戦いなど必要ない。おそらく、それにはF08に
対する"お仕置き"の意味合いが含まれているのだろう――
ともかく。
現役の<装甲戦闘死体>、その全員と戦い終わるまでは、F08はここから出ることは出来ない。
目が醒めても、F08は悪夢はしばらく続く――それだけが、確たる事実だった。
本来はすぐにでも本格的な修理が必要だったが、ジュスティーヌによって禁じられている。
フランケンシュタインと魂の同化を果たし、さらに、現役の<装甲戦闘死体>達の"洗礼"を受ける――それが必要不可欠と、
ジュスティーヌは言った。だが、儀式に必要なのは魂の同化のみで、本来は戦いなど必要ない。おそらく、それにはF08に
対する"お仕置き"の意味合いが含まれているのだろう――
ともかく。
現役の<装甲戦闘死体>、その全員と戦い終わるまでは、F08はここから出ることは出来ない。
目が醒めても、F08は悪夢はしばらく続く――それだけが、確たる事実だった。
「ふふ」
ジュスティーヌは笑う。彼女の視線の先では、F03とF11の戦いが始まっていた。
予想通り、F03は苦戦している。だが、それが彼女の成長を促すのだ。
そう、フランケンシュタイン博士の意思を完遂できなければ、<装甲戦闘死体>に価値など無い。
そうなって欲しくないからこそ、ジュスティーヌはF08に試練を与えた。
彼女ならば、必ずそれを踏破してみせる、そう信じていた。
何故なら――彼女は<装甲戦闘死体>を愛していたから。<装甲戦闘死体>は、愛するフランケンシュタイン博士の創造物だから。
「やはり、愛の力とは偉大ですね。あれほど許せないと思っていたのに、あれほど八つ裂きにしたいと思っていたのに、
今では死地に立ち向かうあなたを応援せずにはいられない。ああ――頑張ってください、F08さん」
しばしF08の戦いを見つめた後、ジュスティーヌは振り向いた。
その視線の先には、一人の女軍人がいた。赤と黒の軍人の服を纏っている、背の高い女性。近衛のそれとよく似ているが、陸軍のものだ。
まるで機械のように感情のない顔をしている。その色の薄い瞳は、磨き上げられた刃のような輝きを放つ。
ジュスティーヌはその女軍人に深々とお辞儀する。
「《結社》の方々のご協力には、とても感謝しております――セバスチャン・モラン大佐」
「はい。いいえ」
と、モラン大佐と呼ばれた女性は答え、続ける。
「《結社》としても、モントリヒトの存在は無視できないものでした。モントリヒトは《結社》の活動を阻害しており、
英国政府も市民の安全面で彼らの存在を危険視していました。あなた方の活動のおかげで、《結社》、ならびに英国政府の目的は
果たされました。《ディオゲネス・クラブ》から、あなたがたへの礼を言付かっています」
「まあ。畏くもおそれ多い女王陛下のお役に立てたこと、身に余る光栄ですと、お伝えください」
「はい」
――と、言葉ではそう語っているが、水面下では探りあいが繰り返されている。
《結社》とF機関は、敵対関係ではないが、友好的ともいえない。今回の同盟は、ただ利害が一致したに過ぎない。
まず、ジュスティーヌが、《結社》に同盟を持ちかけた。
ロンドンを初めとして、英国全土のモントリヒトを、<装甲戦闘死体>が殲滅する。
見返りとして、《機関廻廊》を貸し与えろ、と。
「ともかく、《機関回廊》の超演算能力のおかげで私達の目的は達成されました」
超巨大演算機関が存在する《機関廻廊》を、ジュスティーヌが必要とした理由。それは――
「――すなわち、<装甲戦闘死体>、その全員の最終調整が」
いかにF機関といえども、その規模は全世界の闇を支配するとまで言われる《結社》には及ばない。保有する設備の数も、だ。
しかし、大碩学フランケンシュタイン博士の技術力は、《結社》のそれに勝るとも劣らない。わざわざ《結社》の手を借りなくても、
<装甲戦闘死体>の調整は十分に可能なのだ。時間の問題を無視するならば。
ジュスティーヌは笑う。彼女の視線の先では、F03とF11の戦いが始まっていた。
予想通り、F03は苦戦している。だが、それが彼女の成長を促すのだ。
そう、フランケンシュタイン博士の意思を完遂できなければ、<装甲戦闘死体>に価値など無い。
そうなって欲しくないからこそ、ジュスティーヌはF08に試練を与えた。
彼女ならば、必ずそれを踏破してみせる、そう信じていた。
何故なら――彼女は<装甲戦闘死体>を愛していたから。<装甲戦闘死体>は、愛するフランケンシュタイン博士の創造物だから。
「やはり、愛の力とは偉大ですね。あれほど許せないと思っていたのに、あれほど八つ裂きにしたいと思っていたのに、
今では死地に立ち向かうあなたを応援せずにはいられない。ああ――頑張ってください、F08さん」
しばしF08の戦いを見つめた後、ジュスティーヌは振り向いた。
その視線の先には、一人の女軍人がいた。赤と黒の軍人の服を纏っている、背の高い女性。近衛のそれとよく似ているが、陸軍のものだ。
まるで機械のように感情のない顔をしている。その色の薄い瞳は、磨き上げられた刃のような輝きを放つ。
ジュスティーヌはその女軍人に深々とお辞儀する。
「《結社》の方々のご協力には、とても感謝しております――セバスチャン・モラン大佐」
「はい。いいえ」
と、モラン大佐と呼ばれた女性は答え、続ける。
「《結社》としても、モントリヒトの存在は無視できないものでした。モントリヒトは《結社》の活動を阻害しており、
英国政府も市民の安全面で彼らの存在を危険視していました。あなた方の活動のおかげで、《結社》、ならびに英国政府の目的は
果たされました。《ディオゲネス・クラブ》から、あなたがたへの礼を言付かっています」
「まあ。畏くもおそれ多い女王陛下のお役に立てたこと、身に余る光栄ですと、お伝えください」
「はい」
――と、言葉ではそう語っているが、水面下では探りあいが繰り返されている。
《結社》とF機関は、敵対関係ではないが、友好的ともいえない。今回の同盟は、ただ利害が一致したに過ぎない。
まず、ジュスティーヌが、《結社》に同盟を持ちかけた。
ロンドンを初めとして、英国全土のモントリヒトを、<装甲戦闘死体>が殲滅する。
見返りとして、《機関廻廊》を貸し与えろ、と。
「ともかく、《機関回廊》の超演算能力のおかげで私達の目的は達成されました」
超巨大演算機関が存在する《機関廻廊》を、ジュスティーヌが必要とした理由。それは――
「――すなわち、<装甲戦闘死体>、その全員の最終調整が」
いかにF機関といえども、その規模は全世界の闇を支配するとまで言われる《結社》には及ばない。保有する設備の数も、だ。
しかし、大碩学フランケンシュタイン博士の技術力は、《結社》のそれに勝るとも劣らない。わざわざ《結社》の手を借りなくても、
<装甲戦闘死体>の調整は十分に可能なのだ。時間の問題を無視するならば。
「新大陸で、"不死者秘儀団"の活動が確認されました」
ぴくり、とモラン大佐の眉が動く。
「"ノスフェラトウ"ですか」
「はい」
吸血鬼には、階層といったものが存在する。転化したばかりの吸血鬼は新生者(ニューボーン)と呼ばれ、吸血鬼のヒエラルキーの中でも
最も下層に位置する。それから数百年の時を経て、新生者は力を蓄え、日光その他の弱点を克服し長生者(エルダー)に位階を上げる。
さらにその上には、多神教の一柱と同等の力を持つと言われる"貴族"、そして、それすらも凌駕するノスフェラトウが存在する。
その危険度の最も高い夜の眷属が、活動を見せたとすれば――
「事態は切迫しています」
表情を堅くしながら、ジュスティーヌは言う。
「長い間、私どもは不死者秘儀団に対して<装甲戦闘死体>を差し向け、かの秘密結社を打倒すべく戦ってきました。
しかし、いずれの<装甲戦闘死体>も返り討ちにあい、不死者秘儀団とは一定の距離をとらざるを得ませんでした。
ですが近年、何か彼らの予測不可能な事態が発生し、彼らは浮き足立っています。
この機会を逃がす手はありません。ですから一気に、<装甲戦闘死体>全員の調整を完了する必要がありました。
これをもって、作戦の第一段階が発動します。
すでにヴァチカンと連絡をとりつけ、他にも名だたるハンターに協力を嘆願しました。決戦です」
ぴくり、とモラン大佐の眉が動く。
「"ノスフェラトウ"ですか」
「はい」
吸血鬼には、階層といったものが存在する。転化したばかりの吸血鬼は新生者(ニューボーン)と呼ばれ、吸血鬼のヒエラルキーの中でも
最も下層に位置する。それから数百年の時を経て、新生者は力を蓄え、日光その他の弱点を克服し長生者(エルダー)に位階を上げる。
さらにその上には、多神教の一柱と同等の力を持つと言われる"貴族"、そして、それすらも凌駕するノスフェラトウが存在する。
その危険度の最も高い夜の眷属が、活動を見せたとすれば――
「事態は切迫しています」
表情を堅くしながら、ジュスティーヌは言う。
「長い間、私どもは不死者秘儀団に対して<装甲戦闘死体>を差し向け、かの秘密結社を打倒すべく戦ってきました。
しかし、いずれの<装甲戦闘死体>も返り討ちにあい、不死者秘儀団とは一定の距離をとらざるを得ませんでした。
ですが近年、何か彼らの予測不可能な事態が発生し、彼らは浮き足立っています。
この機会を逃がす手はありません。ですから一気に、<装甲戦闘死体>全員の調整を完了する必要がありました。
これをもって、作戦の第一段階が発動します。
すでにヴァチカンと連絡をとりつけ、他にも名だたるハンターに協力を嘆願しました。決戦です」
静かに、だが強くジュスティーヌは言う。
「この作戦が成功すれば、吸血鬼による脅威は、一掃されるでしょう。フランケンシュタイン博士の悲願が、ようやく叶います」
"明日"がやってくるのです――とジュスティーヌ言い、続ける。
「誰もが暗がりに怯えることのない、素晴らしい明日が。……モラン大佐。《結社》の一員であるあなたにも、大切な誰かがいるはずです。
あなたも、その誰かのために、そしてその誰かの"明日"を守るために戦っているのでしょう?」
「いいえ。はい。私が戦う理由は、ただ一つ。そして、それはあなたにお話しすることではありません」
「ああ……そうですね。申し訳ありません。すこし、昂ぶってしまって……」
「いいえ。はい。お気になさらず。ともかく、定時までに《機関廻廊》からの撤収をお願いします。
以後、ここは《結社》と《ディオゲネス・クラブ》、および英国空軍の手で運営されます。
その後のF機関及び<装甲戦闘死体>の方々の立ち入りは許可されません」
「はい。わかっておりますわ」
「それから」
と、無表情のまま、機械を思わせる起伏の無い声音で、モラン大佐は言う。
「ご武運を」
「……ありがとうございます」
そして、モラン大佐は去っていった。その背中に、ジュスティーヌは再び深く頭を下げた。
……ジュスティーヌは思う。過去を。そして、未来のことを。
これまでの歩みは、平坦なものではなかった。<装甲戦闘死体>を完成させるまで、たくさんの挫折があった。
だが、そのたびに、愛するフランケンシュタインは立ち上がってきた。決して諦めなかった。
そして、これからも彼の戦いは続く。
自分は、死ぬまで、彼のそばに在りつづけるだろう。愛する彼を支え続けるだろう。例えそれが血塗られた道だとしても。
「すべては人類の未来のために。そして、フランケンシュタイン博士のために――」
ただそれだけのために。ジュスティーヌの誓いの声は、《機関廻廊》に朗々と響き渡った。
「この作戦が成功すれば、吸血鬼による脅威は、一掃されるでしょう。フランケンシュタイン博士の悲願が、ようやく叶います」
"明日"がやってくるのです――とジュスティーヌ言い、続ける。
「誰もが暗がりに怯えることのない、素晴らしい明日が。……モラン大佐。《結社》の一員であるあなたにも、大切な誰かがいるはずです。
あなたも、その誰かのために、そしてその誰かの"明日"を守るために戦っているのでしょう?」
「いいえ。はい。私が戦う理由は、ただ一つ。そして、それはあなたにお話しすることではありません」
「ああ……そうですね。申し訳ありません。すこし、昂ぶってしまって……」
「いいえ。はい。お気になさらず。ともかく、定時までに《機関廻廊》からの撤収をお願いします。
以後、ここは《結社》と《ディオゲネス・クラブ》、および英国空軍の手で運営されます。
その後のF機関及び<装甲戦闘死体>の方々の立ち入りは許可されません」
「はい。わかっておりますわ」
「それから」
と、無表情のまま、機械を思わせる起伏の無い声音で、モラン大佐は言う。
「ご武運を」
「……ありがとうございます」
そして、モラン大佐は去っていった。その背中に、ジュスティーヌは再び深く頭を下げた。
……ジュスティーヌは思う。過去を。そして、未来のことを。
これまでの歩みは、平坦なものではなかった。<装甲戦闘死体>を完成させるまで、たくさんの挫折があった。
だが、そのたびに、愛するフランケンシュタインは立ち上がってきた。決して諦めなかった。
そして、これからも彼の戦いは続く。
自分は、死ぬまで、彼のそばに在りつづけるだろう。愛する彼を支え続けるだろう。例えそれが血塗られた道だとしても。
「すべては人類の未来のために。そして、フランケンシュタイン博士のために――」
ただそれだけのために。ジュスティーヌの誓いの声は、《機関廻廊》に朗々と響き渡った。
<了>