「お疲れ様でしたー」
午後八時過ぎ、ぼくはそう言ってバイト先のコンビニから出ていった。春とはいえ、夜はまだ少し冷える。
「…帰ろう」
誰が待っているわけでもない、一人暮らしの部屋だけど。それでも、少しは寒さから身を守ってくれるだろう。
「ん…これは…」
郵便受けに封筒があった。その中には手紙と、一枚の写真。
「ボーちゃんからだ」
写真の中では考古学者の卵になった、いまでも鼻を垂らしている友人が、荒れ果てた岩場を背景にピースサイン
を送っている。手紙によると、今はアフリカで調査活動の傍ら、趣味の珍しい石集めに精を出しているそうな。
「変わらないなあ、ボーちゃん」
少し安心して―――少し悲しくなった。ぼくは…こんな風になりたくないと思ってた大人になってしまったから。
なんてぼやきながら部屋に入って、ぼくは缶ビールを片手にTVをだらだらと眺める。いい具合に酔ってきた頃、
見慣れた顔が大写しになった。
「あ…ネネちゃん」
画面の中で<ボーちゃん>と同じく幼稚園からの幼馴染が、笑顔で司会者とトークを繰り広げていた。彼女は高校
の頃に念願のアイドルデビューを果たし、一躍国民的スターに躍り出た。そして20歳で女優に転身し、今や押しも
押されもせぬ芸能界随一の売れっ子である。
そうそう、マサオくんは高校卒業した後、彼女のマネージャーになっちゃったんだよな。大学受験に失敗してしまい、
落ち込んでたところを<暇ならあたしのマネージャーやんなさいよ。どういうわけかあたしのマネージャーになった
人、みーんなすぐにやめちゃって、仕事に差し支えてるの>と、こんな具合に。
さすがにマサオくんも渋っていたが、彼女は最終的にはその顔を般若に変えて凄んで見せることで解決した。
<あんた、あたしの言う事が聞けないっての!?>
<ひぃ~っ!是非ぼくをネネちゃんのマネージャーとして雇ってください!お願いします!>
こういう性格だから彼女に付いたマネージャーはすぐにやめちゃったんだろうな…当時のぼくは思ったけれど口には
出さなかった。何せ顔は可愛いくせに恐ろしい女なので。
「子供の頃は毎日のように<リアルおままごと>に付き合わされたっけ…はは、懐かしいな」
ちなみにリアルおままごととは、ネネちゃんの書いた台本を元に、実にリアルな設定で行われるおままごとである。
大抵の場合、非常にブラックな内容だった。
その時は最悪の遊びだと思ってたけど、あれはあれで楽しかった気もする。そんな勝気で破天荒なところも多い彼女
だからこそ、逆に気弱で優しいマサオくんとは上手くやっていけたのかもしれない。
いまだにネネちゃんの専属マネージャーをやっているマサオくんは、ぼくと会うたびにネネちゃんの我儘にいかに
迷惑しているのかを愚痴りながらも、とても楽しそうに笑っていたから。
―――ぼくには、あんな笑顔はできないだろうな。
「ちくしょう…暗くなるなよ、ぼく」
チャンネルを変える。そこに映し出されたのは、ヤンチャ坊主がそのまま大きくなったような、どこかとぼけた顔の
青年と、幸せそうに彼に寄り添っている、酔いも一発で醒めそうな美女だった。
この二人も―――ぼくの幼馴染。
「しんのすけ…」
―――<天才>だの<日本の宝>だの、彼を語る時、マスコミはそんな陳腐な言葉を惜しみなく使う。しかしながら、
それも仕方ないだろう。野原しんのすけはまさに天才で、その功績はまさに日本の宝というべきものだ。
彼は7年前のオリンピックにおいて、若干18歳にして実に3つもの金メダルを日本にもたらした。若き英雄の出現に
日本中が色めき立ったものだ。ぼくらが通っていた幼稚園の先生方にまでインタビュアーは押しかけ、そして先生方
を代表して、組長…否、園長先生は照れ笑いしながらこう言ったものだ。
「いやあ、あの子は本当に他とは違う雰囲気を持ってました。いずれ何かやらかすと思ってましたよ、はっはっは」
うん。園長先生は嘘は言っていない。ただ、曖昧な表現をしただけだ。
そして彼は3年前のオリンピックでも当然のように日本代表に選ばれ、必然のように出場した種目全てで黄金色のメダル
を手にした。来年のオリンピックでは、どれだけの活躍を見せてくれるのか―――
日本中が彼に注目していると言っても過言ではない。だがぼくの目は彼よりも、傍らの美女に釘付けだった。
「あいちゃん…」
酢乙女あい。日本はおろか、世界でも指折りの資産家の令嬢。のみならず幼少時からあらゆる分野で英才教育を受けた
万能家にして、絶世の美貌の持ち主。絵に描いたような完璧な女性であり―――ぼくが恋い焦がれた相手だった。
「片想い…だけどな」
だって、彼女は子供の頃から―――しんのすけしか、見ていなかったのだから。
だけど、いいんだ。ぼくは、彼女が大好きだったから。大好きな彼女が幸せなら―――喜ぶべきじゃないか。
「おめでとう…あいちゃん」
でかでかとブラウン管に踊る<電撃結婚>の文字を見ながら、ぼくは呟いた。
午後八時過ぎ、ぼくはそう言ってバイト先のコンビニから出ていった。春とはいえ、夜はまだ少し冷える。
「…帰ろう」
誰が待っているわけでもない、一人暮らしの部屋だけど。それでも、少しは寒さから身を守ってくれるだろう。
「ん…これは…」
郵便受けに封筒があった。その中には手紙と、一枚の写真。
「ボーちゃんからだ」
写真の中では考古学者の卵になった、いまでも鼻を垂らしている友人が、荒れ果てた岩場を背景にピースサイン
を送っている。手紙によると、今はアフリカで調査活動の傍ら、趣味の珍しい石集めに精を出しているそうな。
「変わらないなあ、ボーちゃん」
少し安心して―――少し悲しくなった。ぼくは…こんな風になりたくないと思ってた大人になってしまったから。
なんてぼやきながら部屋に入って、ぼくは缶ビールを片手にTVをだらだらと眺める。いい具合に酔ってきた頃、
見慣れた顔が大写しになった。
「あ…ネネちゃん」
画面の中で<ボーちゃん>と同じく幼稚園からの幼馴染が、笑顔で司会者とトークを繰り広げていた。彼女は高校
の頃に念願のアイドルデビューを果たし、一躍国民的スターに躍り出た。そして20歳で女優に転身し、今や押しも
押されもせぬ芸能界随一の売れっ子である。
そうそう、マサオくんは高校卒業した後、彼女のマネージャーになっちゃったんだよな。大学受験に失敗してしまい、
落ち込んでたところを<暇ならあたしのマネージャーやんなさいよ。どういうわけかあたしのマネージャーになった
人、みーんなすぐにやめちゃって、仕事に差し支えてるの>と、こんな具合に。
さすがにマサオくんも渋っていたが、彼女は最終的にはその顔を般若に変えて凄んで見せることで解決した。
<あんた、あたしの言う事が聞けないっての!?>
<ひぃ~っ!是非ぼくをネネちゃんのマネージャーとして雇ってください!お願いします!>
こういう性格だから彼女に付いたマネージャーはすぐにやめちゃったんだろうな…当時のぼくは思ったけれど口には
出さなかった。何せ顔は可愛いくせに恐ろしい女なので。
「子供の頃は毎日のように<リアルおままごと>に付き合わされたっけ…はは、懐かしいな」
ちなみにリアルおままごととは、ネネちゃんの書いた台本を元に、実にリアルな設定で行われるおままごとである。
大抵の場合、非常にブラックな内容だった。
その時は最悪の遊びだと思ってたけど、あれはあれで楽しかった気もする。そんな勝気で破天荒なところも多い彼女
だからこそ、逆に気弱で優しいマサオくんとは上手くやっていけたのかもしれない。
いまだにネネちゃんの専属マネージャーをやっているマサオくんは、ぼくと会うたびにネネちゃんの我儘にいかに
迷惑しているのかを愚痴りながらも、とても楽しそうに笑っていたから。
―――ぼくには、あんな笑顔はできないだろうな。
「ちくしょう…暗くなるなよ、ぼく」
チャンネルを変える。そこに映し出されたのは、ヤンチャ坊主がそのまま大きくなったような、どこかとぼけた顔の
青年と、幸せそうに彼に寄り添っている、酔いも一発で醒めそうな美女だった。
この二人も―――ぼくの幼馴染。
「しんのすけ…」
―――<天才>だの<日本の宝>だの、彼を語る時、マスコミはそんな陳腐な言葉を惜しみなく使う。しかしながら、
それも仕方ないだろう。野原しんのすけはまさに天才で、その功績はまさに日本の宝というべきものだ。
彼は7年前のオリンピックにおいて、若干18歳にして実に3つもの金メダルを日本にもたらした。若き英雄の出現に
日本中が色めき立ったものだ。ぼくらが通っていた幼稚園の先生方にまでインタビュアーは押しかけ、そして先生方
を代表して、組長…否、園長先生は照れ笑いしながらこう言ったものだ。
「いやあ、あの子は本当に他とは違う雰囲気を持ってました。いずれ何かやらかすと思ってましたよ、はっはっは」
うん。園長先生は嘘は言っていない。ただ、曖昧な表現をしただけだ。
そして彼は3年前のオリンピックでも当然のように日本代表に選ばれ、必然のように出場した種目全てで黄金色のメダル
を手にした。来年のオリンピックでは、どれだけの活躍を見せてくれるのか―――
日本中が彼に注目していると言っても過言ではない。だがぼくの目は彼よりも、傍らの美女に釘付けだった。
「あいちゃん…」
酢乙女あい。日本はおろか、世界でも指折りの資産家の令嬢。のみならず幼少時からあらゆる分野で英才教育を受けた
万能家にして、絶世の美貌の持ち主。絵に描いたような完璧な女性であり―――ぼくが恋い焦がれた相手だった。
「片想い…だけどな」
だって、彼女は子供の頃から―――しんのすけしか、見ていなかったのだから。
だけど、いいんだ。ぼくは、彼女が大好きだったから。大好きな彼女が幸せなら―――喜ぶべきじゃないか。
「おめでとう…あいちゃん」
でかでかとブラウン管に踊る<電撃結婚>の文字を見ながら、ぼくは呟いた。
ぼく―――風間トオルは、誰もが名前を知る一流大学を首席で卒業し、誰もが名前を知る一流企業に入社した。誰もが
認める順風満帆の人生だった。
途中までは。
入社して一年で、その会社はあっさり潰れた。何が原因なのか、一々語りたくもない。本当にあっさりと、何もかも
なくなってしまった。
再就職もままならず、ぼくはバイトでどうにか生計を立てる、しがないフリーターに成り下がった。親を頼ろうにも、
半端なプライドばかり高いぼくは、それがどうしてもできなかった。
こんなはずじゃなかったのに、どうしてこうなったんだろう―――考えてもしょうがないけど、だからこそ、ぼくは
考えてしまう。何故みんなは幸せになっているのに…ぼくはこんな、ろくでもないんだろう。
「―――おい、さっさとしろよ!」
「あ、はい!すいません、お待たせしました!」
ぼけっとしていたせいで、レジに来ていた客に怒鳴られた。慌ててレジを打ち、商品を袋に入れる。
「全く、ウスノロが!」
捨て台詞を残して、そいつは店を出ていった。怒る気もない。ああいう奴なんて、いくらでもいるんだ。ムキになって
相手にしてもいいことはない。
―――仕事を終えて、店を出た。明日の予定は何もないので、ブラブラしようか。そう思って、一人寂しく夜の街を
歩いていた。その時だった。
肩を叩かれ、反射的に振り向く。ぼくの頬に、そいつの人差し指がめり込んでいた。
「アハーン。カザマくんのほっぺた、やわらかーい」
「…お前、よくその年で、恥ずかしげもなくこんなしょうもないことができるな」
そこにいたのは、子供の頃とまるで変わらぬ態度で笑う野原しんのすけ。天才だの、日本の宝だの言われたところで、
ぼくにいわせりゃ、こいつはただのおバカだ。
認める順風満帆の人生だった。
途中までは。
入社して一年で、その会社はあっさり潰れた。何が原因なのか、一々語りたくもない。本当にあっさりと、何もかも
なくなってしまった。
再就職もままならず、ぼくはバイトでどうにか生計を立てる、しがないフリーターに成り下がった。親を頼ろうにも、
半端なプライドばかり高いぼくは、それがどうしてもできなかった。
こんなはずじゃなかったのに、どうしてこうなったんだろう―――考えてもしょうがないけど、だからこそ、ぼくは
考えてしまう。何故みんなは幸せになっているのに…ぼくはこんな、ろくでもないんだろう。
「―――おい、さっさとしろよ!」
「あ、はい!すいません、お待たせしました!」
ぼけっとしていたせいで、レジに来ていた客に怒鳴られた。慌ててレジを打ち、商品を袋に入れる。
「全く、ウスノロが!」
捨て台詞を残して、そいつは店を出ていった。怒る気もない。ああいう奴なんて、いくらでもいるんだ。ムキになって
相手にしてもいいことはない。
―――仕事を終えて、店を出た。明日の予定は何もないので、ブラブラしようか。そう思って、一人寂しく夜の街を
歩いていた。その時だった。
肩を叩かれ、反射的に振り向く。ぼくの頬に、そいつの人差し指がめり込んでいた。
「アハーン。カザマくんのほっぺた、やわらかーい」
「…お前、よくその年で、恥ずかしげもなくこんなしょうもないことができるな」
そこにいたのは、子供の頃とまるで変わらぬ態度で笑う野原しんのすけ。天才だの、日本の宝だの言われたところで、
ぼくにいわせりゃ、こいつはただのおバカだ。
立ち話もなんだからと、二人して居酒屋に入る。
「カザマくんったら、最近めっきりオラに電話もくれないんだから。オラ、とっても寂しかったのよん!」
「気色悪いしゃべりはやめろ、このバカ!」
「も~、つれないんだから。オラとカザマくんの仲じゃな~い」
「お前とそんな仲だった事実は宇宙誕生まで遡っても絶対にないよ!」
昔から思っていたが、こいつ、マジでそっちの気があるんじゃないだろうか。嫌すぎる幼馴染だった。
「全く…本当になんでお前が日本の英雄なんて言われるのか、理解に苦しむよ」
「いや~。照れますなあ」
「褒めてないよ!」
「え?だってカザマくん、オラがアクション仮面と並ぶ日本最高のヒーローだって言いたいんでしょ」
「どこをどう解釈すればそんな結論に至るんだよ!」
この大バカは、この年になって、いまだにアクション仮面が本物のヒーローだと信じてやがるのだ。理由を聞けば
<だってオラ、アクション仮面と一緒にハイグレ魔王と戦ったんだも~ん>ときたもんだ。アホらしい。
「まったく…お前は気楽でいいよな」
「そうでもないぞ。オリンピックの準備は大変だし、ひまの奴も反抗期だし、あいちゃんも結婚しても相変わらず
マイペースでワガママだし、オラはオラで困ったもんだぞ」
<ひま>とは彼の5歳下の妹、野原ひまわりのことである。
「ひまわりちゃん、今は女子大生だっけ。しかし反抗期って年でもないだろ」
「いやいや、それがねカザマくん。ひまの奴ったらウチに美人の友達連れてこいって口を酸っぱくして言ってるのに
全然連れてきてくれないんだ」
「口を酸っぱくしてそんなことをほざくんじゃねえ!」
そりゃ遅まきながらの反抗期にもなるわ!
「つーかお前、妻帯者になってもそんなこと言ってるのかよ…あいちゃん泣くぞ」
「いや~、それを言われるとオラも綿棒ない…」
「それを言うなら面目ないだ!」
「まあまあ…それで、カザマくんはどう?楽しくやってる?」
ぐっ、と、ぼくは答えに詰まる。
「…それなり、かな」
「ほうほう、それは何よりですな。いやー、カザマくん、幸薄そうな顔してたから、どうしたのかなと思って」
「…………」
ぼくは何も言わない。言えなかった。そんなぼくに気付かずに、しんのすけは快活に笑いながら話し続ける。
「ま、でも、カザマくんも元気みたいで、オラも安心したぞ。オラ―――」
「笑うな!」
しんのすけの言葉を、ぼくはそう叫んで遮った。
「…ヘラヘラ笑うな」
「か…カザマ、くん…?」
「バカにしやがって、ちくしょう…どうせお前だって、腹の中じゃぼくをバカにしてるんだろう!」
落ちぶれたぼくを。夢なんて何一つ叶わず、幸せ一つも手にできなかったぼくを。
「お前なんて―――大嫌いだ!」
ぼくは居酒屋を飛び出していた。そして走る―――走る―――走る。
何かから、必死に逃げだすように。
「ちくしょう、畜生、チクショウ―――!」
息を切らせながら、路地裏で薄汚れた壁に、何度もケリを入れる。けれど、胸の中の黒い塊は、そんな事では消えて
くれない。
「―――カザマくん」
振り返ると、そこにはしんのすけがいた。
「カザマくん…どうしちゃったのさ?」
「…………」
「何か…嫌なことでもあったの?」
「…………」
「オラにできることなら、オタスケするぞ。だってオラ、カザマくんの友だ―――」
しんのすけは言葉を切り、自分の胸を見つめた。正確には―――自分の胸に突き立った<それ>を。
「カザ、マ、くん…」
「言ったろうが…ヘラヘラ笑うなって…!」
ぼくはぜえぜえと息を荒げて、しんのすけを睨み付けた。<それ>を引き抜く。ドバっと真っ赤な血が溢れ出す。
<それ>は、ぼくが最近持ち歩くようになったバタフライナイフ。別に意味があって持ち歩いてたわけじゃない。
ただ、なんとなくだ。ただ、なんとなく。その程度の気紛れ―――
それが、こんな結果になるなんて、思いもしなかったけど、ぼくは罪悪感の欠片も感じなかった。だって、こいつは。
「ぼくがこんなに苦しんでるのに―――なんでお前はそうやって笑っていられるんだ!なんで―――なんで
お前ばかり―――お前らばかり成功して、幸せになって、なのに、なんでぼくはこんな風なんだ!」
しんのすけは酷く悲しそうに顔を歪めて、地面に倒れ伏す。そしてぼくは、あいつの消え入りそうな声を聞いた。
「ごめん…」
「え…?なんだと?おまえ…今、なんて、言った…?」
思わず、ぼくは聞き返した。
「ごめん…ごめんよ、カザマくん」
「…………」
その声で、はっと、ぼくは我に帰った。ぼくは―――何をしたんだ?しんのすけに―――何をしたんだ?
「オラ…オラ、知らなかったんだ。カザマくんが、そんなに…苦しんでる、なん、て…」
「やめろ…」
謝るな―――なんで謝るんだよ。ぼくはお前を―――お前を、自分勝手な理由で、こんな目に遭わせたのに。
「なのに…ヘラヘラ…笑ったりして…ごめ…ん…」
「やめろやめろやめろやめろ!謝るなよ、偽善者め!」
ぼくは叫んだ。そうしないと―――押し潰されそうだったから。
「オラ…カザマくんの、ともだち、なのに…ともだちは…大事にしなくちゃ、いけない、のに…」
友達は、大事に。なら―――ぼくはどうだ?ぼくはしんのすけを―――友達を、殺し―――
「やめろぉぉぉぉーーーーーーーーっ!!!」
ナイフを。
「お前は!お前なんて!」
振り被って。
「昔から、ぼくは、お前なんて友達だと思っていない!」
あいつの胸に。
「お前なんて―――大嫌いだった!」
ナイフを。もう一度、ナイフを。
タイセツナトモダチノムネニ、ナイフヲツキタテタ。
「カザマくんったら、最近めっきりオラに電話もくれないんだから。オラ、とっても寂しかったのよん!」
「気色悪いしゃべりはやめろ、このバカ!」
「も~、つれないんだから。オラとカザマくんの仲じゃな~い」
「お前とそんな仲だった事実は宇宙誕生まで遡っても絶対にないよ!」
昔から思っていたが、こいつ、マジでそっちの気があるんじゃないだろうか。嫌すぎる幼馴染だった。
「全く…本当になんでお前が日本の英雄なんて言われるのか、理解に苦しむよ」
「いや~。照れますなあ」
「褒めてないよ!」
「え?だってカザマくん、オラがアクション仮面と並ぶ日本最高のヒーローだって言いたいんでしょ」
「どこをどう解釈すればそんな結論に至るんだよ!」
この大バカは、この年になって、いまだにアクション仮面が本物のヒーローだと信じてやがるのだ。理由を聞けば
<だってオラ、アクション仮面と一緒にハイグレ魔王と戦ったんだも~ん>ときたもんだ。アホらしい。
「まったく…お前は気楽でいいよな」
「そうでもないぞ。オリンピックの準備は大変だし、ひまの奴も反抗期だし、あいちゃんも結婚しても相変わらず
マイペースでワガママだし、オラはオラで困ったもんだぞ」
<ひま>とは彼の5歳下の妹、野原ひまわりのことである。
「ひまわりちゃん、今は女子大生だっけ。しかし反抗期って年でもないだろ」
「いやいや、それがねカザマくん。ひまの奴ったらウチに美人の友達連れてこいって口を酸っぱくして言ってるのに
全然連れてきてくれないんだ」
「口を酸っぱくしてそんなことをほざくんじゃねえ!」
そりゃ遅まきながらの反抗期にもなるわ!
「つーかお前、妻帯者になってもそんなこと言ってるのかよ…あいちゃん泣くぞ」
「いや~、それを言われるとオラも綿棒ない…」
「それを言うなら面目ないだ!」
「まあまあ…それで、カザマくんはどう?楽しくやってる?」
ぐっ、と、ぼくは答えに詰まる。
「…それなり、かな」
「ほうほう、それは何よりですな。いやー、カザマくん、幸薄そうな顔してたから、どうしたのかなと思って」
「…………」
ぼくは何も言わない。言えなかった。そんなぼくに気付かずに、しんのすけは快活に笑いながら話し続ける。
「ま、でも、カザマくんも元気みたいで、オラも安心したぞ。オラ―――」
「笑うな!」
しんのすけの言葉を、ぼくはそう叫んで遮った。
「…ヘラヘラ笑うな」
「か…カザマ、くん…?」
「バカにしやがって、ちくしょう…どうせお前だって、腹の中じゃぼくをバカにしてるんだろう!」
落ちぶれたぼくを。夢なんて何一つ叶わず、幸せ一つも手にできなかったぼくを。
「お前なんて―――大嫌いだ!」
ぼくは居酒屋を飛び出していた。そして走る―――走る―――走る。
何かから、必死に逃げだすように。
「ちくしょう、畜生、チクショウ―――!」
息を切らせながら、路地裏で薄汚れた壁に、何度もケリを入れる。けれど、胸の中の黒い塊は、そんな事では消えて
くれない。
「―――カザマくん」
振り返ると、そこにはしんのすけがいた。
「カザマくん…どうしちゃったのさ?」
「…………」
「何か…嫌なことでもあったの?」
「…………」
「オラにできることなら、オタスケするぞ。だってオラ、カザマくんの友だ―――」
しんのすけは言葉を切り、自分の胸を見つめた。正確には―――自分の胸に突き立った<それ>を。
「カザ、マ、くん…」
「言ったろうが…ヘラヘラ笑うなって…!」
ぼくはぜえぜえと息を荒げて、しんのすけを睨み付けた。<それ>を引き抜く。ドバっと真っ赤な血が溢れ出す。
<それ>は、ぼくが最近持ち歩くようになったバタフライナイフ。別に意味があって持ち歩いてたわけじゃない。
ただ、なんとなくだ。ただ、なんとなく。その程度の気紛れ―――
それが、こんな結果になるなんて、思いもしなかったけど、ぼくは罪悪感の欠片も感じなかった。だって、こいつは。
「ぼくがこんなに苦しんでるのに―――なんでお前はそうやって笑っていられるんだ!なんで―――なんで
お前ばかり―――お前らばかり成功して、幸せになって、なのに、なんでぼくはこんな風なんだ!」
しんのすけは酷く悲しそうに顔を歪めて、地面に倒れ伏す。そしてぼくは、あいつの消え入りそうな声を聞いた。
「ごめん…」
「え…?なんだと?おまえ…今、なんて、言った…?」
思わず、ぼくは聞き返した。
「ごめん…ごめんよ、カザマくん」
「…………」
その声で、はっと、ぼくは我に帰った。ぼくは―――何をしたんだ?しんのすけに―――何をしたんだ?
「オラ…オラ、知らなかったんだ。カザマくんが、そんなに…苦しんでる、なん、て…」
「やめろ…」
謝るな―――なんで謝るんだよ。ぼくはお前を―――お前を、自分勝手な理由で、こんな目に遭わせたのに。
「なのに…ヘラヘラ…笑ったりして…ごめ…ん…」
「やめろやめろやめろやめろ!謝るなよ、偽善者め!」
ぼくは叫んだ。そうしないと―――押し潰されそうだったから。
「オラ…カザマくんの、ともだち、なのに…ともだちは…大事にしなくちゃ、いけない、のに…」
友達は、大事に。なら―――ぼくはどうだ?ぼくはしんのすけを―――友達を、殺し―――
「やめろぉぉぉぉーーーーーーーーっ!!!」
ナイフを。
「お前は!お前なんて!」
振り被って。
「昔から、ぼくは、お前なんて友達だと思っていない!」
あいつの胸に。
「お前なんて―――大嫌いだった!」
ナイフを。もう一度、ナイフを。
タイセツナトモダチノムネニ、ナイフヲツキタテタ。
ぼくは茫然と座り込んでいた。さっきまでのことは夢だった気もするが、そうじゃない。
傍らに横たわる、赤く染まった身体。全ては―――現実だ。
「しんのすけ」
語りかけても、返事はない。酸素に触れた赤色は、黒に近くなっていた。その事実が、どうしようもなく指し示す。
野原しんのすけは、ぼくが殺したから死んだ。
「なあ…ぼくは、どうしたらいい?」
どうしたらいいんだろう。どうしようもないんだろうか?
「…………」
手にしたままのナイフ。それをぼくは。ぼくは―――
「ごめんな。あの世で会えたら―――ぼくはお前に詫び続けるよ、しんのすけ」
そして、ぼくはナイフを。
ミズカラノノドニ、ナイフヲツキタテタ。
傍らに横たわる、赤く染まった身体。全ては―――現実だ。
「しんのすけ」
語りかけても、返事はない。酸素に触れた赤色は、黒に近くなっていた。その事実が、どうしようもなく指し示す。
野原しんのすけは、ぼくが殺したから死んだ。
「なあ…ぼくは、どうしたらいい?」
どうしたらいいんだろう。どうしようもないんだろうか?
「…………」
手にしたままのナイフ。それをぼくは。ぼくは―――
「ごめんな。あの世で会えたら―――ぼくはお前に詫び続けるよ、しんのすけ」
そして、ぼくはナイフを。
ミズカラノノドニ、ナイフヲツキタテタ。
―――ぼく(風間トオル)はネネちゃんから手渡された<リアルおままごと>の台本を読み終えた。
例によって例の如く、非常にブラックな内容だった。
「……何、これ……」
「どう?リアルおままごと・20年後のネネたち編。今回のは我ながら力作よ」
「黒過ぎるしグロ過ぎるよ!」
思わずぼくは台本を地面に叩きつけてしまった。
「ああ!何すんのよカザマくん!」
「なんでぼくが落ちぶれて殺人犯になった挙句に自殺しなくちゃいけないのさ!?いくらなんでも酷いよ!ネネ
ちゃんはぼくをそんな奴だと思ってたのか!」
「うん」
「あっさり頷きやがった!」
末恐ろしいどころか、今すでに恐ろしい女だった。
「ぼくだってどうして勝手にネネちゃんのマネージャーにされてるのさ!しかもネネちゃんは超人気アイドルから
女優になって芸能界一の売れっ子!?おこがましいにも程があるよ!」
隣にいたマサオくんも抗議した。だが―――
「あ``あ``ん!?なんか言ったか、オニギリ!?」
「ひいっ!?ご、ごめんなさい!」
ネネちゃんの一睨みで泣きながら黙ってしまった。本当に肝っ玉が小さすぎる。
「ボ…ぼくとしては、いい出来、だと、思う」
少し離れて座っていたボーちゃんはそう言った。
「そりゃボーちゃんはいいよ。考古学者の卵だし、趣味の石集めも続けてるし…おい、しんのすけ!お前もなんとか
言えよ!お前だってナイフで刺し殺される役回りにされてるんだぞ!?」
「うーん、オラとしては、カザマくんに殺されちゃうのもあれだけど…」
ゲンナリした顔で、しんのすけは言った。
「…なんで、オラがあいちゃんとケッコンしなくちゃいけないの?」
「ふっ…そっちの方が面白いと思ったからよ!」
ネネちゃんは堂々と言い放った。人権もくそもなかった。
例によって例の如く、非常にブラックな内容だった。
「……何、これ……」
「どう?リアルおままごと・20年後のネネたち編。今回のは我ながら力作よ」
「黒過ぎるしグロ過ぎるよ!」
思わずぼくは台本を地面に叩きつけてしまった。
「ああ!何すんのよカザマくん!」
「なんでぼくが落ちぶれて殺人犯になった挙句に自殺しなくちゃいけないのさ!?いくらなんでも酷いよ!ネネ
ちゃんはぼくをそんな奴だと思ってたのか!」
「うん」
「あっさり頷きやがった!」
末恐ろしいどころか、今すでに恐ろしい女だった。
「ぼくだってどうして勝手にネネちゃんのマネージャーにされてるのさ!しかもネネちゃんは超人気アイドルから
女優になって芸能界一の売れっ子!?おこがましいにも程があるよ!」
隣にいたマサオくんも抗議した。だが―――
「あ``あ``ん!?なんか言ったか、オニギリ!?」
「ひいっ!?ご、ごめんなさい!」
ネネちゃんの一睨みで泣きながら黙ってしまった。本当に肝っ玉が小さすぎる。
「ボ…ぼくとしては、いい出来、だと、思う」
少し離れて座っていたボーちゃんはそう言った。
「そりゃボーちゃんはいいよ。考古学者の卵だし、趣味の石集めも続けてるし…おい、しんのすけ!お前もなんとか
言えよ!お前だってナイフで刺し殺される役回りにされてるんだぞ!?」
「うーん、オラとしては、カザマくんに殺されちゃうのもあれだけど…」
ゲンナリした顔で、しんのすけは言った。
「…なんで、オラがあいちゃんとケッコンしなくちゃいけないの?」
「ふっ…そっちの方が面白いと思ったからよ!」
ネネちゃんは堂々と言い放った。人権もくそもなかった。
「あら?何をなさっているのかしら?」
と―――そこに、一人の女の子がやってきた。長い黒髪を靡かせた、可憐にして優雅なる少女。
彼女こそが、件の酢乙女あいである。あいちゃんは地面に落ちた台本を拾い、読み始める。
「ふーん…20年後のわたくしたち?…まあ!あいとしん様が結婚ですって?台本の上の事とはいえ、なんて素晴しい
ことかしら!ねえ、しん様?」
心底嬉しそうにしんのすけに熱い視線を送るあいちゃんだったが、当のしんのすけはゲンナリを通り越してグッタリ
した顔になった。いくら美少女のあいちゃんとはいえ、しんのすけにとっては同年代などお子様であり、まるで興味
はないのだそうだ。
ぼくがこいつを嫌いな理由の中でも、これが最も大きなウェイトを占める。
「もう、相変わらずつれないお方ですわ…ん…まあ!ちょっと、カザマくん!なによこれは!?」
「は、はい!なんでしょう!?」
あいちゃんの剣幕に、思わず敬語になってしまうぼくだった。
「なんでしょうじゃないわ!しん様を殺すだなんて、許しませんわよ!もうあなたとは絶交ですわ!」
「そ、そんなの台本に書いてあるだけじゃないか!」
「台本…そうよ!こんなロクでもない台本を書いたネネさんが一番の悪党ですわ!」
「何ですってぇ!?ネネの最高傑作をロクでもない!?もっぺん言ってみな、このバ金持ち!」
「何度でも言って差し上げますわ。こんなロクでもない台本を書くなんて、あなたは血も涙もない悪党ですわね!」
「言ったわねぇ!?今日という今日はそのすかした顔、人力で整形手術したらあ!」
言い争いを始めた二人を尻目に、ぼくたち男子一同は見つめあい、頷き、同時に駈け出した!
「あ、待ちなさいよあんたたち!リアルおままごとはどうするのよ!?」
「そうです、しん様!あいとの結婚はどうなるのですか!?」
二人の女王様からの怒声も無視して、今はただただ、後先考えずに走るのみ!
「なにせおままごととはいえ、友達を殺すなんてごめんだからね!」
と―――そこに、一人の女の子がやってきた。長い黒髪を靡かせた、可憐にして優雅なる少女。
彼女こそが、件の酢乙女あいである。あいちゃんは地面に落ちた台本を拾い、読み始める。
「ふーん…20年後のわたくしたち?…まあ!あいとしん様が結婚ですって?台本の上の事とはいえ、なんて素晴しい
ことかしら!ねえ、しん様?」
心底嬉しそうにしんのすけに熱い視線を送るあいちゃんだったが、当のしんのすけはゲンナリを通り越してグッタリ
した顔になった。いくら美少女のあいちゃんとはいえ、しんのすけにとっては同年代などお子様であり、まるで興味
はないのだそうだ。
ぼくがこいつを嫌いな理由の中でも、これが最も大きなウェイトを占める。
「もう、相変わらずつれないお方ですわ…ん…まあ!ちょっと、カザマくん!なによこれは!?」
「は、はい!なんでしょう!?」
あいちゃんの剣幕に、思わず敬語になってしまうぼくだった。
「なんでしょうじゃないわ!しん様を殺すだなんて、許しませんわよ!もうあなたとは絶交ですわ!」
「そ、そんなの台本に書いてあるだけじゃないか!」
「台本…そうよ!こんなロクでもない台本を書いたネネさんが一番の悪党ですわ!」
「何ですってぇ!?ネネの最高傑作をロクでもない!?もっぺん言ってみな、このバ金持ち!」
「何度でも言って差し上げますわ。こんなロクでもない台本を書くなんて、あなたは血も涙もない悪党ですわね!」
「言ったわねぇ!?今日という今日はそのすかした顔、人力で整形手術したらあ!」
言い争いを始めた二人を尻目に、ぼくたち男子一同は見つめあい、頷き、同時に駈け出した!
「あ、待ちなさいよあんたたち!リアルおままごとはどうするのよ!?」
「そうです、しん様!あいとの結婚はどうなるのですか!?」
二人の女王様からの怒声も無視して、今はただただ、後先考えずに走るのみ!
「なにせおままごととはいえ、友達を殺すなんてごめんだからね!」
―――幼稚園は、今日も平和で大騒ぎだった。