俺のラクダの為にお祈りしておくれ。それにまたがり、砂漠を越えて行く時に。
噂が吹き飛ぶようお祈りしておくれ。――戦争の噂が。
第四話 『THE BOONDOCK SAINTS』
時は、西の良き吸血鬼と日出ずる国の少女が出会う、その二ヶ月前に遡る。
――アメリカ合衆国 メイン州 ジェルーサレムズ・ロット
ジェルーサレムズ・ロットはどこにでもある、ごく普通の小さな田舎町だった。
農夫は畑仕事をして、主婦は日曜の午後にミートパイを焼き、子供達は廃材を使って森の中に
秘密の隠れ家を作り、誰かが死ねば町中の人間が葬式に集まる。
いや、もしかしたらこんな町の方がむしろ、もうあまり見られないのかもしれない。
例えば、町中の家庭の食卓を一手に担うマーケットの店主グレッグはサワークリームや冷凍ピザなどという
洒落た物を仕入れた事は無かったし、熱心なカトリック教徒のライアースン先生は「聖書の教えに反する」と
ダーウィンの進化論を否定して、授業のカリキュラムから外していた。
また、頑固者のアダムスじいさんのミュージックショップはCDなど見当たらず、未だにアナログ盤、
それも“カーター・ファミリー”や“ハンク・ウィリアムス”といった化石物のカントリー・ミュージックしか
置いていない。
まれに噂を聞きつけた都会のコレクターがレコードを抱えて歓喜の表情でレジに立っても、
アダムスは老眼鏡越しの三白眼で、「そのレコードより若いお前さんなんかに価値がわかるものかね」と
憎まれ口を叩く事を忘れなかった。
要するに、この大層な名前の町はどこかで時間が止まっていたのだ。
農夫は畑仕事をして、主婦は日曜の午後にミートパイを焼き、子供達は廃材を使って森の中に
秘密の隠れ家を作り、誰かが死ねば町中の人間が葬式に集まる。
いや、もしかしたらこんな町の方がむしろ、もうあまり見られないのかもしれない。
例えば、町中の家庭の食卓を一手に担うマーケットの店主グレッグはサワークリームや冷凍ピザなどという
洒落た物を仕入れた事は無かったし、熱心なカトリック教徒のライアースン先生は「聖書の教えに反する」と
ダーウィンの進化論を否定して、授業のカリキュラムから外していた。
また、頑固者のアダムスじいさんのミュージックショップはCDなど見当たらず、未だにアナログ盤、
それも“カーター・ファミリー”や“ハンク・ウィリアムス”といった化石物のカントリー・ミュージックしか
置いていない。
まれに噂を聞きつけた都会のコレクターがレコードを抱えて歓喜の表情でレジに立っても、
アダムスは老眼鏡越しの三白眼で、「そのレコードより若いお前さんなんかに価値がわかるものかね」と
憎まれ口を叩く事を忘れなかった。
要するに、この大層な名前の町はどこかで時間が止まっていたのだ。
そして、ザ・ロット(ほとんど皆が町の名を縮めてこう呼んでいた)に一軒しかないアイリッシュ・パブは
毎日毎晩、決まりきった光景の連続だった。
店内には牧歌的なケルティック・ミュージックが響き渡り、いつも同じ顔ぶれのアイルランド系
アメリカ人が酔っ払い、音楽と笑い声の洪水が巻き起こっていた。
ギネス、キルケニー、レッドブレスト、ブッシュミルズ。パイントグラスやウィスキーグラスが行き交い、
手に握られ、それを満たす液体は大きな話し声の合間に口中へ流し込まれる。
たとえママの葬式があった日でも、この移民の子達は音楽とガブ飲みと大笑いを絶やさなかった。
ここで不機嫌な顔をしている者といえば、白髪と斜視が特徴の店主エディくらいなものだ。
彼はいつも、聖パトリックの祭日ですら、眉間に皺を寄せた仏頂面で酒を注ぎ、グラスを拭いている。
毎日毎晩、決まりきった光景の連続だった。
店内には牧歌的なケルティック・ミュージックが響き渡り、いつも同じ顔ぶれのアイルランド系
アメリカ人が酔っ払い、音楽と笑い声の洪水が巻き起こっていた。
ギネス、キルケニー、レッドブレスト、ブッシュミルズ。パイントグラスやウィスキーグラスが行き交い、
手に握られ、それを満たす液体は大きな話し声の合間に口中へ流し込まれる。
たとえママの葬式があった日でも、この移民の子達は音楽とガブ飲みと大笑いを絶やさなかった。
ここで不機嫌な顔をしている者といえば、白髪と斜視が特徴の店主エディくらいなものだ。
彼はいつも、聖パトリックの祭日ですら、眉間に皺を寄せた仏頂面で酒を注ぎ、グラスを拭いている。
そのエディがドアの開く音に気づき、入り口の方を見遣った。
カウンターやテーブルにいる耳の良い酔漢達も同様に首をねじって振り返る。
一人の背の高い男がドアを押し開け、右脚を若干引きずりながら店の中に入ってくるところだ。
男は酒場に相応しくない黒の法衣に身を包み、これまた酒場に相応しくない十字架を首にかけている。
カウンターやテーブルにいる耳の良い酔漢達も同様に首をねじって振り返る。
一人の背の高い男がドアを押し開け、右脚を若干引きずりながら店の中に入ってくるところだ。
男は酒場に相応しくない黒の法衣に身を包み、これまた酒場に相応しくない十字架を首にかけている。
彼の名はドナルド・キャラハン。
ジェルーサレムズ・ロット教区の司祭を務める、聖アンドルー・カトリック教会の神父である。
ジェルーサレムズ・ロット教区の司祭を務める、聖アンドルー・カトリック教会の神父である。
キャラハン神父の齢は堂々たる五十二歳を数える。
顔貌もまた年齢や職業に恥じぬ堂々たる初老男性のそれだった。
白いものが混じり始めた髪は銀色、眼は人の心を見通すような澄み切ったブルーで、アイリッシュ特有の
笑い皺に囲まれた口は力強く、かすかに割れた顎は更に力強い。
キャラハンは摺り足気味の歩調でカウンターに近づき、中でグラスを拭くエディより少し離れた椅子に腰掛けた。
よし、“今日は”調子がいい。これなら“たくさん”飲める。
己の足取りに内心、上機嫌でほくそ笑むキャラハンへ、エディが例の仏頂面でボソリと挨拶をした。
「らっしゃい」
「いつものだ。ストレートでね。チェイサーはいらないよ」
彼はジム・ビーム専門だ。更に飲む際も“割らない、食べない、休まない”をモットーにしている。
いつも通りの決まりきった注文を受け、エディは眉根を寄せて呆れたように首を横に振りながら、
グラスに“いつもの”バーボンであるところのジム・ビームを注ぐ。
あの透き通った琥珀色の液体に満たされたグラスが目の前に置かれるのを、キャラハンは掌を擦りながら
今か今かと心待ちにしていた。
そんなキャラハンの後で何やら喚き散らす声が聞こえてきた。声はテーブルの方からキャラハンに
向けられているようだ。
「よう! 神父さん、よう!」
声を掛けたのは小さな大豆農場を営むニックだった。彼は酔って話す自慢話が“今までに撃ち殺した鹿と
ベトコンの数”という独り者の六十代だ。
キャラハンはグイと身体を捻り、ニックとその飲み仲間の四、五人の方へ手を振った。
「やあ、みんな。やってるね」
仲間がいるのは心強い。皆、仲間だ。誰も彼も飲んだ後は帰り道がダンテの“地獄の門”に見える事だろう。
酔っ払って帰る場所があるのは辛いものだ。
まだまだニックの喚き声は止まらない。
「神父さん! ひとつ、例のお祈りを頼むよ! アレが無えとどうも酒が進まねえ!」
「オーケー。いいとも」
自分の前に置かれたグラスを手に取り、眼の高さまで掲げると、キャラハンは滑稽なくらい厳かな顔つきと
重々しい声で次のような冒涜的な祈りを唱えた。
顔貌もまた年齢や職業に恥じぬ堂々たる初老男性のそれだった。
白いものが混じり始めた髪は銀色、眼は人の心を見通すような澄み切ったブルーで、アイリッシュ特有の
笑い皺に囲まれた口は力強く、かすかに割れた顎は更に力強い。
キャラハンは摺り足気味の歩調でカウンターに近づき、中でグラスを拭くエディより少し離れた椅子に腰掛けた。
よし、“今日は”調子がいい。これなら“たくさん”飲める。
己の足取りに内心、上機嫌でほくそ笑むキャラハンへ、エディが例の仏頂面でボソリと挨拶をした。
「らっしゃい」
「いつものだ。ストレートでね。チェイサーはいらないよ」
彼はジム・ビーム専門だ。更に飲む際も“割らない、食べない、休まない”をモットーにしている。
いつも通りの決まりきった注文を受け、エディは眉根を寄せて呆れたように首を横に振りながら、
グラスに“いつもの”バーボンであるところのジム・ビームを注ぐ。
あの透き通った琥珀色の液体に満たされたグラスが目の前に置かれるのを、キャラハンは掌を擦りながら
今か今かと心待ちにしていた。
そんなキャラハンの後で何やら喚き散らす声が聞こえてきた。声はテーブルの方からキャラハンに
向けられているようだ。
「よう! 神父さん、よう!」
声を掛けたのは小さな大豆農場を営むニックだった。彼は酔って話す自慢話が“今までに撃ち殺した鹿と
ベトコンの数”という独り者の六十代だ。
キャラハンはグイと身体を捻り、ニックとその飲み仲間の四、五人の方へ手を振った。
「やあ、みんな。やってるね」
仲間がいるのは心強い。皆、仲間だ。誰も彼も飲んだ後は帰り道がダンテの“地獄の門”に見える事だろう。
酔っ払って帰る場所があるのは辛いものだ。
まだまだニックの喚き声は止まらない。
「神父さん! ひとつ、例のお祈りを頼むよ! アレが無えとどうも酒が進まねえ!」
「オーケー。いいとも」
自分の前に置かれたグラスを手に取り、眼の高さまで掲げると、キャラハンは滑稽なくらい厳かな顔つきと
重々しい声で次のような冒涜的な祈りを唱えた。
「主よ、改め得ないものをあるがままに受け入れる“心の平安”と、改め得るものを改める“不屈の意志”と、
毎度糞垂れな失敗(fuck up)を繰り返さぬ“幸運”を我に与えたまえ。アーメン」
毎度糞垂れな失敗(fuck up)を繰り返さぬ“幸運”を我に与えたまえ。アーメン」
「アーメン!!」
ニックのテーブルだけでなく店中の客を巻き込んだ復唱の後は、大きな大きな笑い声と意味の無い
歓声奇声が飛び交った。
その様子を見ていたエディはまたもや眉根を寄せて呆れたように首を横に振り、丁寧に皿を磨く。
これらすべてがこの店で繰り返される毎日毎晩の決まりきった光景なのだ。
歓声奇声が飛び交った。
その様子を見ていたエディはまたもや眉根を寄せて呆れたように首を横に振り、丁寧に皿を磨く。
これらすべてがこの店で繰り返される毎日毎晩の決まりきった光景なのだ。
そして、この光景が示す通り、ドナルド・キャラハン神父はザ・ロットの住人と概ね良好な関係を築けていた。
良識あるご婦人方や「我こそは熱心党」とばかりに胸を張る一部のカトリック教徒等の連中は
キャラハンを悪し様に非難していたが、それ以外の者には比較的根強い人気があったと言える。
それ以外の者とはつまり“働く男”や“子供達”、それに何事にも寛容な人種である“老人”である。
また、キャラハンが所謂“良い司祭”と好かれているのには理由があった。
それは葬式である。彼の葬式は静かで、心が休まり、いつも短時間で終わった。
普段、彼の飲酒癖について陰口を触れて回っていたペトリー夫人も、キャラハンの祈りの下に
執り行われた実母の葬式が終わった後には、「神父様のお酒を非難出来る資格のある人がどれだけ
いるというの?」と多分に弁護じみた口ぶりに変わっていた。
鼻と頬の毛細血管が破れた赤ら顔の飲んだくれも、本来の仕事となればそれなり以上の“らしさ”を
見せられるのだろう。
とはいえ、ザ・ロットにいる他のキリスト教関係者(町の人間は彼らを“まじない師”と呼んでいた)と
比べての話だから、もしかしたらキャラハンの人気も大して当てにならないのかもしれない。
キャラハン以外のまじない師と言えば、メソジスト派のグロッギング牧師はいかにも偽善的な
老いぼれだったし、モルモン教会のパタースンは正真正銘のキチガイだった。
彼らと比べればこの半病人の酔いどれ神父の方が幾分マシ、という事も充分考えられる。
良識あるご婦人方や「我こそは熱心党」とばかりに胸を張る一部のカトリック教徒等の連中は
キャラハンを悪し様に非難していたが、それ以外の者には比較的根強い人気があったと言える。
それ以外の者とはつまり“働く男”や“子供達”、それに何事にも寛容な人種である“老人”である。
また、キャラハンが所謂“良い司祭”と好かれているのには理由があった。
それは葬式である。彼の葬式は静かで、心が休まり、いつも短時間で終わった。
普段、彼の飲酒癖について陰口を触れて回っていたペトリー夫人も、キャラハンの祈りの下に
執り行われた実母の葬式が終わった後には、「神父様のお酒を非難出来る資格のある人がどれだけ
いるというの?」と多分に弁護じみた口ぶりに変わっていた。
鼻と頬の毛細血管が破れた赤ら顔の飲んだくれも、本来の仕事となればそれなり以上の“らしさ”を
見せられるのだろう。
とはいえ、ザ・ロットにいる他のキリスト教関係者(町の人間は彼らを“まじない師”と呼んでいた)と
比べての話だから、もしかしたらキャラハンの人気も大して当てにならないのかもしれない。
キャラハン以外のまじない師と言えば、メソジスト派のグロッギング牧師はいかにも偽善的な
老いぼれだったし、モルモン教会のパタースンは正真正銘のキチガイだった。
彼らと比べればこの半病人の酔いどれ神父の方が幾分マシ、という事も充分考えられる。
寒風吹きすさぶパブの帰り道。聖アンドルー教会までの道のりは約二十分といったところ。
勿論それは“素面”で“健康”な人間の足で、だ。
さあ、地獄の門が待っている。
キャラハンは凄まじい酩酊の嵐が吹き荒れる己の身体を持て余しながら、必死に足を運んでいた。
北風が彼を撫でていき、あまりの寒さに身が縮む。
アメリカ最東北端に位置するメイン州は十二月に入り、寒さも本格化してきている。そろそろ雪が降っても
おかしくない時期である。
時折、電柱にぶつかり、さして広くもない道路の真ん中を蛇行するようにヨロヨロと歩く。
酔いと寒さで右脚は鉛のように重い。股関節や膝関節が粘つく。靴底がおかしな具合に減るから、
あまり足は引きずりたくないのに。
とうの昔に日付が変わった深夜。この無様な姿を見ているのは街路灯と月だけ。
それはキャラハンも自覚している。
彼の頭蓋の中では取り留めも無い思考と記憶がごちゃ混ぜに渦を巻き、呂律の回らない言葉となって
幼児のよだれの如く口から漏れ出ていった。
勿論それは“素面”で“健康”な人間の足で、だ。
さあ、地獄の門が待っている。
キャラハンは凄まじい酩酊の嵐が吹き荒れる己の身体を持て余しながら、必死に足を運んでいた。
北風が彼を撫でていき、あまりの寒さに身が縮む。
アメリカ最東北端に位置するメイン州は十二月に入り、寒さも本格化してきている。そろそろ雪が降っても
おかしくない時期である。
時折、電柱にぶつかり、さして広くもない道路の真ん中を蛇行するようにヨロヨロと歩く。
酔いと寒さで右脚は鉛のように重い。股関節や膝関節が粘つく。靴底がおかしな具合に減るから、
あまり足は引きずりたくないのに。
とうの昔に日付が変わった深夜。この無様な姿を見ているのは街路灯と月だけ。
それはキャラハンも自覚している。
彼の頭蓋の中では取り留めも無い思考と記憶がごちゃ混ぜに渦を巻き、呂律の回らない言葉となって
幼児のよだれの如く口から漏れ出ていった。
――後の祟りが、審判の日に、神様は私を罰してしまうのだろうか。その時、いくら祈ったとしても。
「キャラハン神父、君には失望したよ。君への処分は追って沙汰する」
主よ、お赦し下さい。私は罪を犯しました。
“教皇庁”を捨てたから? “武器”を捨て、己の“職務”を捨てたから?
“能力(チカラ)”のせいか? 欲しくなんかなかった、生まれながらの、神を主を否定する“能力”故に?
殺人者だから? 化物でもない、異教異端でもない、人の子を殺したから?
“能力(チカラ)”のせいか? 欲しくなんかなかった、生まれながらの、神を主を否定する“能力”故に?
殺人者だから? 化物でもない、異教異端でもない、人の子を殺したから?
ごらんなさい、お巡りさん。私はこの通り白線にそって真っ直ぐ歩けますよ。ね? そんなに飲んでないんです。
ああ、ちくしょう。右脚が動かない。右手もだ。医者はこう言いやがった。
「ミスター・キャラハン、あなたはラッキーでした。発症から三時間ですべての手術を終えられたのですから」
そうかい、ありがとうよ。どうせならケタミンでもどっさり注射して永遠に眠らせてくれりゃよかったんだ。
「ミスター・キャラハン、あなたはラッキーでした。発症から三時間ですべての手術を終えられたのですから」
そうかい、ありがとうよ。どうせならケタミンでもどっさり注射して永遠に眠らせてくれりゃよかったんだ。
主よ、お赦し下さい。私は罪を犯しました。また酒を飲んだのです。私は飲んだくれの堕落した司祭です。
告解なんてもうたくさんだ。主よ、ジェルーサレムズ・ロットの住人はロクデナシばかりです。
(私は麻薬をやりました。私は女房を殴りました。私は万引きをしました。私は恋人を中絶させました。
私は嘘を吐きました。私は、私は、私は、私は私は私は私はわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは――)
もうやめてくれ。もうたくさんだ。
(私は麻薬をやりました。私は女房を殴りました。私は万引きをしました。私は恋人を中絶させました。
私は嘘を吐きました。私は、私は、私は、私は私は私は私はわたしはわたしはわたしはわたしはわたしは――)
もうやめてくれ。もうたくさんだ。
「貴様の信仰が潰える時、それが貴様の命が潰える時だ。忘れるな、キャラハン」
こんちくしょう、足が上がらないぞ――
瞬間、世界が反転した。
キャラハンは受身を取る事無く、五体をしたたかに道路へ打ちつけた。
痛みは無かった。酒は不自由な右手足を鈍麻させるだけではなく、痛覚までも取り去っていたのだ。
そして、キャラハンに身を起こすという選択は考えられなかった。
只々、酔いと眠気と寒さと厭世観が「このまま就寝といこう」などという馬鹿げた思考を生み出す。
そう、どうでもよかった。何もかもどうでも。
意識は思ったよりも急速に遠のいていく。いい感じだ。
キャラハンは受身を取る事無く、五体をしたたかに道路へ打ちつけた。
痛みは無かった。酒は不自由な右手足を鈍麻させるだけではなく、痛覚までも取り去っていたのだ。
そして、キャラハンに身を起こすという選択は考えられなかった。
只々、酔いと眠気と寒さと厭世観が「このまま就寝といこう」などという馬鹿げた思考を生み出す。
そう、どうでもよかった。何もかもどうでも。
意識は思ったよりも急速に遠のいていく。いい感じだ。
「――……ラハン神父。キャラハン神父」
呼ぶ声がする。
誰だろう、こんな夜遅くに。非常識な奴だ。
ああ、そうか。遂に私にも御使いが遣わされたのか。
あのヤブ医者め、ざまあみろだ。こういうのを本当の“ラッキー”と言うんだ。
御使いが遣わされたんだ。私を主の御国へ導いてくれるのさ。
誰だろう、こんな夜遅くに。非常識な奴だ。
ああ、そうか。遂に私にも御使いが遣わされたのか。
あのヤブ医者め、ざまあみろだ。こういうのを本当の“ラッキー”と言うんだ。
御使いが遣わされたんだ。私を主の御国へ導いてくれるのさ。
「起きて下さい、キャラハン神父!」
声はますます大きくなっていく。
それは女性の声。物腰柔らかな中にもどこか強い意志を感じさせる声。
やや怒りと呆れが含まれている気もするが。
それは女性の声。物腰柔らかな中にもどこか強い意志を感じさせる声。
やや怒りと呆れが含まれている気もするが。
「キャラハン神父! ……まったくもう、しっかりして下さい」
呼び声のあまりのしつこさに、うっすら眼を開けるとそこには女性の顔があった。
青みがかったショートヘア。銀縁の眼鏡の奥にはキャラハンに負けない、澄んだ青い瞳が輝いている。
「……ん? 君は……?」
最初、キャラハンは己の網膜に映し出された映像と過去の記憶を結びつける事が出来なかった。
げっぷと共に低く唸りながら、目の前の女性の顔をジッと見つめる。
そのうちに顔だけではなく、身に着けている衣服等も見る余裕が出来てきた。
ユラユラと定まらない視線で彼女の顔の下に続く深い青のカソックを観察するに至り、
ようやく器質的に一部壊れた脳が“昔の同僚”の記憶を引っ張り出してきた。
ああ、何だ。あの“かわいそうな子”じゃないか。懐かしいな。
「シエル……? シエルじゃないか。やあ、何年ぶりだろう……」
「七年ぶりといったところですね。それよりも、こんなとこで寝ていては凍えてしまいますよ。
さあ、立って。行きましょう」
シエルは挨拶もそこそこにキャラハンの手を取り、引っ張り上げて強制的に立ち上がらせる。
腕を自分の肩に回させ、シエルはこのどうしようもない酔っ払いの身体をしっかりと支えた。
最大重量120kgの兵器を振り回す殲滅集団の機関員なのだから、脱力した人間一人を抱える事など朝飯前だ。
シエルに肩を借り、支えられるがままのキャラハンは、愚痴にも似た響きのうわ言をブツブツ呟いている。
「空の鳥にねぐら、狐に穴あり、されど人の子に枕するところなし。フフッ、なのに私には神の家が
与えられてしまった……」
「はいはい。ホラ、行きますよ」
未だ酔眼朦朧醒めやらぬキャラハンの横顔に、シエルは「本当に仕様が無い」と苦笑、いや、微笑みを洩らす。
そして、キャラハンの枕する聖アンドルー教会への道のりを歩き始めた。
足音はひとつ。あとは何かを引きずる音。
青みがかったショートヘア。銀縁の眼鏡の奥にはキャラハンに負けない、澄んだ青い瞳が輝いている。
「……ん? 君は……?」
最初、キャラハンは己の網膜に映し出された映像と過去の記憶を結びつける事が出来なかった。
げっぷと共に低く唸りながら、目の前の女性の顔をジッと見つめる。
そのうちに顔だけではなく、身に着けている衣服等も見る余裕が出来てきた。
ユラユラと定まらない視線で彼女の顔の下に続く深い青のカソックを観察するに至り、
ようやく器質的に一部壊れた脳が“昔の同僚”の記憶を引っ張り出してきた。
ああ、何だ。あの“かわいそうな子”じゃないか。懐かしいな。
「シエル……? シエルじゃないか。やあ、何年ぶりだろう……」
「七年ぶりといったところですね。それよりも、こんなとこで寝ていては凍えてしまいますよ。
さあ、立って。行きましょう」
シエルは挨拶もそこそこにキャラハンの手を取り、引っ張り上げて強制的に立ち上がらせる。
腕を自分の肩に回させ、シエルはこのどうしようもない酔っ払いの身体をしっかりと支えた。
最大重量120kgの兵器を振り回す殲滅集団の機関員なのだから、脱力した人間一人を抱える事など朝飯前だ。
シエルに肩を借り、支えられるがままのキャラハンは、愚痴にも似た響きのうわ言をブツブツ呟いている。
「空の鳥にねぐら、狐に穴あり、されど人の子に枕するところなし。フフッ、なのに私には神の家が
与えられてしまった……」
「はいはい。ホラ、行きますよ」
未だ酔眼朦朧醒めやらぬキャラハンの横顔に、シエルは「本当に仕様が無い」と苦笑、いや、微笑みを洩らす。
そして、キャラハンの枕する聖アンドルー教会への道のりを歩き始めた。
足音はひとつ。あとは何かを引きずる音。