SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ ロンギヌスの槍 part.5


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 鉤十字騎士団再来の報はオーストリア政府を震撼させた。
 これまでオーストリア国内に存在するネオナチは、民族主義、人種差別、外国人追放などを主張する反社会的な団体でしかなかった。
 かつては戦争裁判を逃れたナチ軍人がその活動の中心を担っていたが、現在の主流は社会に不満を持つ若者達が占めている。
 しかも思想的にはかつての第三帝国のそれと食い違う部分が多く、その実態は奇形的に発展した国粋主義者の集まりでしかなかった。
 ルサンチマン的な感情から他民族排斥活動や暴行・略奪などの犯罪行為を繰り返すただのごろつきでしかなかったのだ。
 だが鍵十字騎士団ならば話は別だ。
 オーストリア諜報部に残存する資料によれば、重戦車の群れと互角以上に渡り合った鋼鉄の偉丈夫、戦況全体を算出するほどの
演算能力を備えた機械仕掛けの戦乙女などが、鍵十字騎士団に在籍していたという。
 それほどの常識外れが集まる組織なのである。
 さらに最高レベルの"遺産"であるロンギヌスまでが魔女の手中に収まってしまった。事態は最悪だった。


 政府は速やかに対策を講じた。アーカム財団に協力を求めたのだ。
 対テロ作戦を専門とする憲兵隊には屈強な猛者が集まっていたが、鉤十字騎士団が相手では少々心もとない。
 世界の戦場を渡り歩いているアーカム・エージェントやスプリガンならば、心強い味方となってくれるだろう。

 アーカムとしても、この申し出は歓迎すべきものだった。
 魔女グルマルキンが目的を達成する前に、何としてもロンギヌスを取り戻しておきたかった。
 そしてアーカムとオーストリア政府の間で協議が行われた結果、まずはネオナチから叩くことが決まった。
 鉤十字騎士団は一騎当千の超人ぞろいだが、その人数は少なかった。
 もし大規模なテロを目論んでいるとすれば、彼らはネオナチを手足として利用するだろう。
 逆にネオナチさえ叩いてしまえば、鉤十字騎士団の行動の大部分を削ぐことができる。

 かくしてウィーン全土で、ナチス狩りが始まった。


 ウィーン郊外にその建物はあった。
 それは不況で所有者が権利を放棄して以来、一度も買い手がつかないまま放置されていた旧い屋敷であった。
 手入れされていない庭は荒れ放題で、老朽化が進んだ壁には亀裂が走っている。
 廃墟同然ではあったが、情報によればここはネオナチの中心人物が一同に会する場所であるという。
 屋敷の外には堅牢な包囲網が形成されていた。
 完全武装した憲兵隊とアーカム・エージェントが突入前の最終確認をしていた。
 銃器などの装備、屋敷の間取り、敵の配置の予想図、部隊の展開。
 単純な作業だが、それを繰り返すだけ、命を落とす可能性が減る。

 そして全ての確認が終わると、突入開始の合図が出された。
 兵士達が音もなく屋敷に入り込み、やがて見えなくなった。
 あとは結果を待つだけだ。

 同じような作戦が、ウィーン全土で行われていた。
 作戦指揮は対テロ作戦を主任務とする憲兵隊がとっていた。
 テロが起こった際、それに乗じてネオナチが混乱を助長することを危惧した政府は、
 憲兵隊にネオナチのアジトの所在をピックアップさせ、市街戦が発生したケースに基づく訓練をさせていた。
 今回の作戦にはそのノウハウが役に立った。

 強襲を受けたネオナチは為すすべなく制圧された。
 大半が正規の訓練を受けていない素人であったため、目立った抵抗はなかった。
 武装していた人間も少なからずいたが、日夜訓練を積んできた憲兵隊やアーカム・エージェントの敵ではなかった。

 だが、それはネオナチが相手ならばこそ。
 本物の戦鬼は、彼らの予想を遥かに越える戦力を保有していた。 

 魔女は信頼の置ける部下をウィーンに派遣した。
 御伽噺部隊=<メルヒェン・ゲゼルシャフト>
 魔女が自分の意のままに動かすために作り上げた特殊部隊だ。

 その一騎当千の戦鬼達が、この屋敷の中で、獲物を待ち構えていたのだ。
 まずは屋敷の外から、殲滅戦は始まった――

 憲兵隊の兵士が、血を流しながら倒れている。すでに息はない。
 その身体には、胸の辺りに大きな空洞があった。戦槍にでも貫かれたような傷跡であった。

「劣等どもが」

 地に伏した死体を踏み据えながら、その乙女は吐き捨てた。
 切れ長の瞳で、長い金髪を後ろにまとめている。歳はおそらく十代の後半ほどだ。
 その瞳には抜き身の刀のような剣呑さが宿っていた。
 彼女は、武装親衛隊の軍装を、その重厚な印象に負けず、しっかりと着こなしていた。
 服に着られるタイプではない。この軍装に秘められている歴史の重みを理解しているに違いない。


 乙女が現れたのは、屋敷の中に部隊が突入してから間もなくのことだ。
 彼女は音もなく出現し、憲兵隊の一人を殺害した。警戒を怠っていなかったにも関わらずだ。
 屋敷の外に待機していた兵士の間に面々に緊張が走った。
 認めたくなかったが、この年端もいかない乙女は、鉤十字騎士団の一員なのだろう。 
 武装親衛隊の漆黒の軍装は、半世紀たった今でもトラウマを残している。

「もう嗅ぎつけてきたのか。ごくろうなことだ。狗風情が忌々しい。だが、それもここまでだ。
我々鉤十字騎士団は、第三帝国のあらゆる敵を蹂躙する。半世紀前、お前達の卑怯なパルチザン
行為で、多くの命が奪われた。彼らの無念、わたしが晴らす。かかってこい」

 その言葉が契機になった。憲兵隊は一斉にトリガーを引き、機関銃が鋼鉄の咆哮をあげた。
 たとえ乙女のなりをしていても、スプリガンと互角の戦いを演じた鉤十字騎士団の一員だ。
 躊躇は死につながる。容赦ない攻撃こそが上策なのだ。

 だが鋼鉄の銃弾は、乙女を穿ちはしなかった。それどころか、一発も当たらなかったのだ
 乙女は銃弾が身体に届く前に、姿を消していた。銃創の出来た壁が後に残された。
 それと同時に、何人もの兵士が血飛沫を撒き散らしながら倒れた。
「な……!?」
 兵士の一人は、目の前の光景を信じることが出来なかった。銃弾より速く動くことが出来る?
 常識からは考えられないことだった。そんなことが可能なら、もはやそれは、人間ではない。 
 倒れた兵士は的確に急所を貫かれていた。当然、既に息絶えている。
 人間を絶命せしめる箇所を正確に把握していなければ出来ない芸当だった。
 彼は銃を乱射しながら後ずさった。その間にも、犠牲者は増えている。
 日夜訓練を積んできた憲兵隊が、木偶のように斃されていく――。
 恐怖に駆られながら後退していると、どん、と背中に何かがあたった。
 背中越しに気配がする。嘲るような声が耳朶に響いた。

「のろまだな、お前達は。そんなことでは、私の″赤い靴″からは逃れられない」
 恐怖の叫びを上げる前に、乙女の足が彼の心臓を貫いていた。
 灼熱が胸に生じ、ごぶり、と彼は血塊を吐き出した。
 彼を貫く靴。それは奇妙な靴だった。
 真紅に彩られたその靴は、鋭利な刃のような形状をしていた。
 特殊な金属で出来ているのか、仄かな燐光を放っていた。

「贖罪の時だ。あの世でわび続けるがいい」
 その言葉とともに、足が引き抜かれた。胸から勢いよく血が噴出した。
 朦朧としていた意識が途絶え、彼は絶命した。

 ――数分後。屋敷を取り囲む部隊の殲滅を終えた彼女は、自分の成し遂げた"成果"を見つめていた。
 彼女の目の前には憲兵隊とアーカム・エージェントの死体が転がっていた。それを見つめる顔には、
やり遂げたという達成感などない。ただ嫌悪感だけが滲んでいる。
 凄まじい形相で、死体の山を睨み付けている。それはまるで人間すべてを敵視しているような視線だった。
 決して消えない憎悪の炎が、彼女の胸で燃え盛っている。

「……ふん」
 不快極まりないといった表情で、彼女は屋敷を見上げた。
 それと同じ時刻、屋敷の中で圧倒的な暴力による虐殺が行われていた。
 屋敷内に侵入した突入班は、外からの連絡が途絶えたことで混乱していた。
 何度試みても、一向に通じない。他の班についても同じことだった。
 妨害電波が発生しているのか、無線からは耳障りな雑音しか聞こえなかった。
 屋敷の中にいる仲間にも、何かが起こったのに間違いない。

 敵の襲撃の可能性もある。考えにくいことだが、既に仲間達は、全滅したのかもしれない……。
 ネオナチ風情にやられたとは到底思えなかった。
 鉤十字騎士団の仕業と考えるのが自然だった。
 スプリガンとも対等に渡り合ったとされる彼らなら、いかに精兵である自分達といえど、あっさり虐殺できるだろう。

 ともかく、情報が少なすぎた。鉤十字騎士団の襲撃が真実だとしても、焦るのは不味かった。
 状況を把握するまでは、へたに動かないことが得策だ。
 不安がじわじわと胸に広がる中、辛抱強く連絡を続けていた。
 その努力が功を奏したのか、無線が何かの音声をキャッチした。


         なじかは知らねど 心わびて
         昔のつたえは そぞろ身にしむ
         さびしく暮れゆく ラインのながれ
         いりひに山々 あかくはゆる


「なんだ、これは」
 鈴のように透明で、絹糸をより合わせたような、美しいソプラノが無線から流れ始めていた。
その歌声は、困惑する彼らを嘲るように響き渡った。


         うるわしおとめの いわおに立ちて
         こがねの櫛とり 髪のみだれを
         梳きつつくちずさぶ 歌の声の
         くすしき魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう


「う、うう……」
「おい、どうした?」
 隊員の一人が頭を抱え、うずくまった。他の何人かの兵士達もそれにならった。
「頭が割れそうだ……」


         こぎゆく舟びと 歌に憧れ
         岩根もみやらず 仰げばやがて
         浪間に沈むる ひとも舟も
         くすしき魔歌(まがうた)
         ……うたうローレライ


 柘榴のように、男達の頭が破裂した。頭部を失った彼らは、自分が撒き散らした血の海に沈んだ。
 唯一頭が爆発せず、仲間の脳漿混じりの返り血を受けた兵士の一人が、へなへなと床に座り込んだ。
 あたりの惨状は酷いものだった。頭欠した死体がいたるところに転がり、鮮血で床が真っ赤に彩られていた。
 生き残っているのは、彼だけであった。彼は無線機から、つまり、歌声から最も離れた位置にいた。

 ――これは、攻撃なのか? 襲撃なのか?
 あまりにも非現実的な出来事に、彼の理性は半ば崩壊しかけていた。
 わずかに残された彼の理性はある答えを出していた。
 ……もしもこれが攻撃であるのなら、敵は、殺しそこなった自分に止めを刺しにくるに違いない。
 そして彼の予想は的中した。
 少女だった。ちょうど肩のところで切り揃えられた黒髪。薄い唇。細い顎。憂いをたたえた瞳。
 そして、襟章に稲妻のSSが刻まれた、武装親衛隊のブラックスーツ。
 うっすらと微笑を浮かべながら、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
 彼は何の抵抗も示さなかった。恐怖が彼のすべてを拘束していた。
 そして少女は、彼の耳元に唇を寄せ、優しく囁いた。
 ローレライの魔歌(まがうた)を。



「ああ、もう、退屈」

 頬杖しながら、不機嫌そうに少女は呟いた。
 少女の目の前にあるテーブルには、豪華なティーセットが乗っている。茶葉のバリエーションも完璧だ。
 ダージリン、ウバ、アッサムにセイロンやアールグレイ。少女の嗜好はすべて網羅していた。
 だが少女の機嫌は直らない。

「ああ、もう、退屈」

 少女が機嫌を損ねているのは、パーティに同席する者たちが、彼女の提案した遊びを上手く出来なかったからだ。
 それは、幼年期に誰もがやったことのある、自分に役柄を与え、それを全力で演じきる、ごっこ遊びだ。

「ああ、もう、"東部戦線ごっこ"は失敗ね。
 まったく、拍子抜けよ。ボルシェヴィキ(憲兵隊とアーカム・エージェント)の連中には。
 弱すぎるから、すぐに勝敗が決まっちゃって。まったくゲームにならないんだもの。
 何年もグルマルキン大佐の言いつけを守って、いい子にしてたのに。
 久しぶりのお茶会(ホロコースト)だから、とっても楽しみにしてたのに。
 どうしてこんなことになっちゃったのかしら」

 憮然としながら、足元の"生首"を蹴飛ばす。
 凄絶な表情を貼り付けたまま床を転がるそれには、何か尋常ではない力で引きちぎられた跡があった。
 少女の周りには――ばらばらにされた憲兵隊とアーカム・エージェントの死体が撒き散らされていた。
 彼らを解体したのは、少女ではない。彼女の細腕ではどうやっても無理だ。ならそれを為したのは、一体何か。
 少女のお茶会には、まだ参加者がいた。それは人間ではなく、怪物であった。

 三月ウサギ。
 きちがい帽子屋。
 ネムリネズミ。 

 名高きマッド・ティー・パーティーの参加者。彼らはかつての姿を留めていながら、まったく別の生き物と化していた。
 彼らの姿は、童話の残酷さと不条理さを過度に強調したものだった。
 子供の頃に誰もが想像する普遍的な悪魔のイメージ。
 それが童話のキャラクター像に結びついて、微笑ましく可愛らしい登場人物を、見るものに恐怖と狂気を喚起させずには
いられない悪夢の出演者へと変貌させていた。

 この悪夢の怪物たちが、憲兵隊とエージェントを殺戮したのだった。
 怪物の殺害方法は凄惨を極め、どの人間も五体をとどめないほどに解体された。
 少数対多数の戦いではあったが、結果は、きちがいお茶会の参加者の圧倒的勝利に終わった。
 少女はそれに拍子抜けして、自分が提案した"東部戦線"ごっこに興味を失い、不満げに紅茶を飲んでいる。

 きちがいお茶会の参加者もまた、午後のお茶を楽しんでいた。

 三月ウサギは苦悶の表情が張り付いたままの生首に齧りついていた。
 口のまわりを血で汚しながら、素手で貪りつく。

 きちがい帽子屋は上機嫌に鼻を鳴らしながら、巨大な鋏でせっせと憲兵隊を解体している。
 人間の皮で出来た帽子でも作る気なのだろう。

 ネムリネズミは自分の巣に作り変えた頭蓋骨の中で惰眠を貪っていた。
 好物である脳味噌の味を思い出しながら、寝返りをうっている。 

 きちがいお茶会の参加者は遠慮という言葉をママの子宮の中に置いて来た様な奴らだったから、
テーブルマナーを守ることなど、頭の片隅にすら存在しなかった。

 清潔だったテーブルクロスは血だらけ。そこらじゅう散らかり放題。せっかくのお茶会が台無し。
 少女――アリスの機嫌は、最高に悪かった。 

「あーあ、つまらないわ」

 不機嫌に鼻を鳴らす少女は、病的なまでに肌が白く、精巧な作り物のような、それでいて今にも壊れそうな危うい雰囲気を放っていた。
 年齢は十に届いているかどうか怪しい。瞳の色が蒼く、髪が金色の、典型的なアーリアンだ。
 当然のように武装親衛隊の軍装を纏っていたが、それは、全体的にゴシック・ロリータ的な改良が施された改造制服だった。
 軍服の重厚な印象を残しながら、全身のそこかしこでフリルが波打ち、漆黒のスカートがはためく。
 過剰な装飾が目立つその二つの相反するファッションの融合には、本来の制服に込められた武装親衛隊の理念や歴史を冒涜する
ような、背徳と退廃に満ちた蠱惑的な美しさがあった。

「いいわ。あなたたち、もう消えなさい」

 その一声で、きちがいお茶会の参加者は身体の輪郭を失い、泥のように形を崩し不定形の塊になって、少女の影に吸い込まれていった。
テーブルもまたべきべきと騒々しい音を立てながら折り畳まれるように小さくなり、少女の影の中に消えた。

「まあ、落ち込んでいても仕方ないわ。きっとスプリガンとなら、もっと素敵なお茶会が開けるわ。そうよ、きっとそうよ!
 じゃあこうしちゃいられないわ。"お掃除"が済んだ後のお茶会を準備をしなくちゃ。
 みんなのきっと"お掃除"で喉が渇いてるに決まってるから」

 うきうきしながら少女はいった。そうと決まれば話は早い。
 こんなところからさっさと抜け出して、新しいお茶会の準備をしなければ。
 すっかり機嫌がよくなった少女は立ち上がり、鼻歌を歌いながら血まみれの廻廊を歩いていった。

 ――そして、最後に残された突入班。
 この班は、憲兵隊との混成部隊ではなく、アーカム・エージェントのみで構成されていた。
 彼らは世界の特殊部隊に比肩する実力を備えていた。どんな死地からも生還する力量を備えていた。
 だが、何事にも絶対に超えることのできない壁というものが存在する。
 彼らは屋敷に突入してすぐ、敵と交戦状態に入った。
 敵は一人。戦いは数が多い自分たちに有利なはずだった。だが、今は、劣勢に追い込まれている。
 それも当然のことだった。
 敵は鉤十字騎士団だったのだから。

 もしこの敵と接敵していたのがオーストリア憲兵隊なら、即座に全滅していただろう。
 彼らがアーカム・エージェントだったから、抵抗らしい抵抗ができて、なんとか全滅を免れているのだ。
 だが、その命運も尽きつつある。銃火器は十分にあるが、それが有効な手段になると思えない。
 敵は尋常ならざるスピードで、床を、壁を、天井を縦横無尽に駆け巡り、銃撃を回避している。
 ただの一発も当たらない。逆にこちらが、ばたばたと倒れていく始末だ。
 敵が両手に持つ二挺のMG42機関銃。
 それが電動ノコギリじみた咆哮をあげるたび、まるで玩具の兵隊のように、仲間が薙ぎ倒されていく。

 ――百戦錬磨の我々が、こんなにも容易く。
 その班の指揮官は、まだ若いスプリガンの言葉を思い出していた。
 鉤十字騎士団と接触した時は、すぐに逃げたほうがいい。奴らの実力はスプリガン級だ。
 その忠告は正しかった。
 この敵と遭遇した時点で、即座に撤退すべきだったのだ。だが、もう遅い。
 他の仲間はすべて殺された。
 自分もまた、脇腹にMG42機関銃の洗礼を受けた。血が止まらない。長くはもつまい。 

 痛みにうめき、歯を食いしばっていると、敵がすぐ傍に来ていることに気づいた。
 彼はその敵を見上げた。そして自分の正気を疑った。
 敵は、狼の頭をしていた。狼頭に武装親衛隊の軍装。
 信じられないことだが、たった今まで、自分達は狼人間を相手にしていたのだ。
「残りはあなただけだ」
 狼人間の口から出た言葉は、人間の発声器官から発せられたものとまったく変わらない、十分に聞き取れるものだった。
 声音からいって狼人間は女性らしい。女性にしては、しっかりとした体躯を持っていた。特殊部隊の猛者達と比べても
遜色ない見事な身体つきだ。狼人間は、僅かばかりの情けを含めながら、話しかけてきた。
「残念ながら我々は、あなたたちの虐殺を命令されている。捕虜を取ることは許されていない。自決をお勧めする」
「そうかよ」
 男は、拳銃を取り出し、躊躇せず狼人間を撃った。
 至近距離から銃弾を撃ち込まれた狼人間は、わずかに姿勢を崩した。だが、それだけだった。
 銃弾は狼人間の肉体を抉っていたが、致命傷を与えてはいなかった。皮膚の表面を削ったに過ぎない。
 からんと乾いた音を立てて地面に銃弾が転がり、うねうねと肉が蠢き、数秒もせずに、傷は完全に塞がった。
 何の感情も匂わせずに、狼人間は言った。

「残念だ」
「俺もそう思うよ」
「だが、勇気ある行為だった」
 電動ノコギリのような唸りが響き渡った。



 屋敷から外に出ると、歌声が聞こえてきた。絹糸をより合わせたような美しいソプラノ。
 ゼクスが歌っているのか――そう思いながら、狼人間は眩しい太陽の下に姿を現した。

         旗を高く掲げよ 隊伍を固く組め
         突撃隊はおごそかに 力強く進む
         我が同士よ きみは倒れたが
         きみは常に我らとともにある

 共産主義者の手で命を落としたホルスト・ヴェッセルを称えた歌だ。
 本来は勇壮なマーチなのだが、歌い手によって、こうも印象が変わるものか。
 彼女の口から流れ出る歌は、まるで清流に咲く花のようだ。
「あ、ツヴァイ! こっちよ、こっち!」

 屋敷から出てきたツヴァイに気がついたのか、ゴスロリ親衛隊服で身を着飾る少女――フュンフがぶんぶんと腕を振っていた。
 鮮血の香がまだ生々しい場所で、お茶会が開かれていた。
 清潔なテーブルクロス、多くのニーズに応える豊富な茶葉のバリエーション、高級そうなティーセット。
 すべて世界に一つだけの、フュンフお手製の品だ。

 ツヴァイはその呼びかけに手を上げた。掃討はすべて終わったらしい。
 他の仲間も、既に席についていた。
 フュンフの席の向いには、屋敷外で待機中の部隊の殲滅を任されたフィーアが、生真面目な表情のままカップに口をつけている。
 ゼクスも歌うのをやめて、フュンフからカップを受け取っていた。
 どうやら自分が最後だったらしい。
 ツヴァイは微笑むと――長年付き合った者でないと、彼女の笑みは分かりづらい、狼面であるから――最後に残された席に腰掛けた。
「ツヴァイはダージリンでよかった?」
「ああ」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 ツヴァイは仄かに香る紅茶を楽しんだ。そして確認するように言った。
「全員無事だな」
 フィーア、フュンフ、ゼクスの三人がうなずく。
 聞くまでもなかった。奇襲は成功に終わったようだ。
 ツヴァイは密かに胸を撫で下ろした――今日も誰一人欠けることなく、無事に任務を終えれたことを喜んだ。

「ツヴァイ、次の出撃はいつだ?」
 フィーアはティーカップを置き、表情を引き締めてツヴァイを見やった。
「すでにスプリガンは大佐の所在を掴んでいると、ネオナチからの連絡があった。これが本当だとしたら、一大事だ。
 儀式が奴らに妨害される恐れがある」

 ツヴァイら四人の中でも、フィーアの任務にかける情熱は群を抜いている。
 その熱心さが、しばしばツヴァイの手にあまることも少なくなかった。
 フィーアの言うことには一理ある。
 今回鉤十字騎士団が進めている作戦は、ナチ残党にとって乾坤一擲の一手となる。
 その成否は自分達にかかっている、といっても過言ではない。
 とはいえ――つい先ほど戦闘を終えたばかり。顔には出さないが、さすがに皆疲労しているだろう。
 さてどう彼女をなだめようか――そう思案している間に、

「フィーア、あなたの中には、休息という言葉はないのかしら?」
 そういったのはフュンフだった。
 フィーアの言葉に機嫌を損ねたのか、眉をしかめている。せっかくのお茶会が、台無しになったと思っているのだろう。
「休息ならもう十分だ。早くスプリガンを排除しなければならないのに、こんなところでぐずぐずしていられない」
「フィーア、あなたにぴったりの言葉を贈るわ。ワーカーホリックよ」
「……フュンフ。お前は今回の任務の重要性を、本当に分かっているのか?」
「もう。任務外の時は、アリスと呼んでって言ってるでしょう」
「質問に答えろ」
「もちろん分かってるわ。久しぶりにみんなでお茶会を楽しもうって事でしょ?」
「……話にならない」
 フィーアが苛立たしげにテーブルを叩いた。
 大きな音に驚いたのか、ゼクスがびくりと身体を震わせた。
「前から言っておきたかった。お前は任務を軽く見すぎている」
 フィーアの鋭い眼光が、フュンフに向けられている。対するフュンフも、真っ向からそれを受け止める。
「奇遇ね。わたしもフィーアに一つ言っておきたかったの。お茶会の時くらい、任務のことは口に出さないで欲しいの。
正直、息が詰まるわ」

 二人の間の空気が見る見るうちに冷えていった。 
 フュンフの隣に座っていたゼクスは、そのやりとりをおろおろしながら聞いていた。
 ツヴァイは落ち着いて紅茶を楽しんでいた。
 二人の衝突は、いつものことだ。慌てることはない。
「フュンフ、お前は、ブリーフィングの時に何も聞いていなかったのか?
 スプリガン、奴らをすみやかに始末しなければ、大佐に危険が及ぶ可能性がある。
 私たちはそのためにここに来たんじゃないか。もう忘れたのか?」
「馬鹿にしないで。ちゃんと覚えてるわ。でも、そんなに心配することないじゃない。
 私たちが全員そろったら、敵なんていないんだから」
「その慢心が敗北に繋がるんだ。なぜ、わからない」
「あーあー、説教なんて聴きたくないわ」
「……」
 フィーアのこめかみがぴくぴくと痙攣する。
「……よくわかったよ、フュンフ。そうだ、わたしが愚かだったんだ……。
 馬鹿にはつける薬はないと、そんな簡単なことに気がつかなかったなんて……」
「ご愁傷様ね」
「黙れ! いいか、そこでじっとしていろ。わたしの"赤い靴"で修正してやる!」

 激昂したフィーアが席を立ち、それに呼応するようにフュンフもまた影をざわつかせた。
 そして二人の衝突が決定的なものになる、そのとき――

「そこまで」
 ツヴァイの静かな声が、二人の動きをぴたりと止めた。
「二人とも落ち着きなさい。
 フィーア。スプリガンの抹殺は急務だが、アリスが言うように、いまは休息すべきだ。座りなさい。
 アリス。フィーアのことも筋が通っている。私たちは大佐の障害を取り除きにきたんだ。
 たしかにアリスのお茶はおいしいが、それを楽しむだけにここに来たわけじゃない」

「……わかったわ」
「……軽率だった」

 爆発寸前だった二人の怒りはすっかり霧散し、どちらともなくあっさりと退いた。かたわらでほっとゼクスが息をついた。
 ツヴァイは満足げに微笑んだ。
「それに、そんなに焦る必要もないさ。
 ――確かに、我々の身辺を嗅ぎまわる活動家によって、スプリガンに大佐の所在は悟られたが、
 フュルステンベルク城にスプリガンが攻めようとするなら、それなりの準備をするはずだ。
 時間は十分にあるし、アインやドライも大佐の傍についている」

「それは……確かにそうだが……」
「さっすがツヴァイ! どこかの考えなしのお馬鹿さんとは違うわね」
「……」
 凄まじい形相で睨みつけるフィーアを、フュンフは知らん顔で無視する。
 ゼクスはかわいそうなほど狼狽していた。
 ツヴァイはやれやれと嘆息しながら、これからの作戦について述べた。
「まずは、オーストリア憲兵隊の詰所を片端から襲撃する。我々の得意な電撃戦だ。そして、スプリガンをおびき寄せる。
 御神苗優は殺してもかまわないが、ティア・フラットだけは生け捕りにしてつれてこいと大佐が仰っていた」

「生け捕り?」
 フィーアが怪訝そうに視線をむける。大佐の命令が信じられないようだ。
「そのティアっていう人、大佐と同じくらい強いんでしょ? 殺しちゃうのはまだしも生け捕りって、ちょっと難しすぎない?」
 フュンフも同意した。殺すことと生かすのでは、後者のほうが遥かに困難だ。両者の実力が拮抗していれば、尚更のことだ。
「大佐はあの魔女を自分の手で殺したがっている。他は好きにしていいが、奴だけは生きたままで連れて来い、とのことだった」
「……そうか。だが、厳しいな。スプリガンは一人じゃない。御神苗優とかいう東洋人も、油断ならない相手だ」
 フィーアの危惧ももっともだった。魔女のみにかかずらっていれば、足元をすくわれるだろう。
 必勝を期すなら二対一。魔女を捕獲するのなら、もっとだ。
 本来なら困難を極める作戦だ。だが彼女らには、それを達成できる手段があった。 

「ゼクス……できるか?」
 今まで会話に参加していなかったゼクスに話が振られた。声を出さないだけで、彼女は話の内容をしっかり聞いていた。
 ゼクスは表情を引き締めた。ツヴァイは魔女を捕獲できるのかと聞いているのだ。
 ゼクスの魔歌(まがうた)は人体に作用する。
 先ほどは頭部の破壊に特化していたが、やり方次第では意識を失わせ、身体の自由を奪うことも可能だ。
 ティア・フラットにどこまで通用するかは分からないが、現状では、それが最も効果的な手段といえた。
 魔性の歌姫であるゼクスは少し考え込んだ後、こくりと頷いた。
「ゼクス、心配しないで!」
 フュンフがゼクスに抱きついた。突然の抱擁に、ゼクスはどぎまぎしていた。
「わたしと"悪夢の国"の住人が、あなたを守るわ。だから安心して歌ってね」
 任務の困難さに、自分は緊張していたのだろう。フュンフはその緊張を解そうとしているのだ。
 少女の心遣いに、ゼクスは花のような笑みで応えた。

「ならば、御神苗優には私達が当たろう。いいな、フィーア」
 返答はなかった。フィーアは、別のことに心を奪われていた。
 フュンフとゼクスがはしゃいでいるのを、複雑な表情で見つめている。
 それは、これまで見せてきた人間への憎悪や、任務への情熱とはまた違う、彼女が持つ極めて人間的な"嫉妬"という感情だった。

「……フィーア?」
「あ、え? あ、ああ。すまん。了解した」
「よし。……ではみんな、お茶会は終了だ」 
 その言葉で、全員の表情がさっと変わった。目つきが変わる。
 厳粛といっていい雰囲気が、あたりに満ちていく。それは軍人の顔だった。
 彼女らは殺戮を繰り返す戦鬼でありながらも、決して理性を失わない第三帝国の兵士だった。
 立ち上がり、指揮官であるツヴァイの言葉を待つ。

「鉤十字騎士団、特別遊撃擲弾兵――御伽噺部隊=<メルヒェン・ゲゼルシャフト>、これより状況を開始する」

 そして一拍置いた後、最後に、鉤十字の亡霊達は揃いの言葉で締め括った。

「我らに勝利を与えたまえ(ジークハイル・ヴィクトーリア)」