「おっと、失礼。NS社からですね……はい、山崎です」
山崎は二言三言会話して電話を切ると、携帯電話をしまいながら立ち上がった。
「貴理香さんが……ああ、NS社の技術者なんですけど、今グローブ・オブ・エンチャント
のことを報告しましたら即刻修理させろと怒鳴られましてね。近くの施設におりますので、
すぐ届けてきます。何かありましたらご連絡下さい」
穴の空いたグローブ・オブ・エンチャントを持って、山崎が出て行った。
布団に寝かせている女の子は、今はすやすやと寝息を立てている。この分なら心配
ないだろう、と斗貴子が思ったその時。
今度は斗貴子の携帯電話が鳴った。覚えのない番号からだ。
「……鈴木か?」
《おや、解りましたか》
電話の向こうから、予想通りの声が聞こえてきた。
「私の電話番号を知っているぐらいで驚きはしないぞ。正確な情報収集は
ビジネスマンの嗜みだそうだから」
《山崎さんのお言葉ですか? 確かにその通りですけど、ま、それはそれとして。ご連絡
差し上げましたのは、あなた方が保護されました先ほどの女の子について》
「今更何を言う気だ。お前に心配されなくても、この子なら何の異常もないぞ」
《それなんですよ。あなたもご覧になられましたでしょう? バヅーが食事をする為に、
人間を高所から叩き落して潰して、食べやすくしていたのを。グムンの場合はある特殊な
毒を注入して内臓から肉、骨まで全身を柔らかく、ゲル状に溶かすんです。が、グムン自身
が試作品ですからね。普通はすぐ溶けますが、相手の体質によってはなかなか毒が効かず、
ちょっと時間がかかってしまうことがあるんです。その子のように》
斗貴子の顔色が変わった。が、怯まない。
「よく知らせてくれたな。それなら、今すぐ戦団の医療部に連絡して治療するまでだ。
……ああ、もしかして解毒剤か何かで私と取引するつもりだったのか? ふん、戦団の
技術をみくびるな。お前たちのような、昨日今日錬金術を知った素人とはわけが違う」
《いえいえ、そういうことは理解しておりますよ。ただ、研究用のサンプルとして、
そういう体質の人体が欲しいのです。体液や臓物を調べて、以後のホムンクルス製造の
資料にしたい。というわけですから、その子を連れてきて頂けませんか。持ち帰って、
研究所でじっくりと解剖しますので》
ふざけるな! と怒鳴り返す斗貴子の気迫に押されず、鈴木は淡々と話を続ける。
《津村さん、先ほどのご自分の言葉をお忘れですよ。我々は、昨日今日錬金術を知った
素人。それがどうして、不完全とはいえホムンクルスを創ることができたとお思いです?》
「……どういう意味だ」
《錬金戦団がNS社に核鉄の資料やサンプルを提供したように、我々にも協力者がいる
ということですよ。人間型ホムンクルスを頂点として、銀成市に根を張る共同体でしてね。
その名は超常選……おっと。ここから先が取引です》
鈴木は言う。パレットにホムンクルスの技術を伝えた共同体の情報と引き換えに、
グムンの毒を受けた女の子を連れて来いと。
《あなたの持つ核鉄を渡せと言いたいところですが、それでは拒否されると思いましてね。
あなたが核鉄を失うのは、戦団が核鉄を失うのと同じ。共同体一つの情報とは釣り合わ
ないでしょう。が、何の縁もないただの一般市民、女の子一人の命ならどうでしょう?》
「……」
《わたしの伝える情報によって、戦団がその共同体に先制攻撃を仕掛けて壊滅できれば。
そうすれば、犠牲者の大幅軽減となりましょう。逆に、この取引に乗らず情報がなかった
ばかりに、戦団が後手を踏んでしまえば、犠牲者の増加となります。なお、当社は既に
独自の、大量生産用ホムンクルスの研究開発に着手しておりますので、その共同体から
得るものは、もうありません。むしろ、その共同体も今後の商売のジャマになるかも
しれませんからね。あなた方に潰して頂ければ、ありがたいぐらいでして》
鈴木の言うことは、悪辣だが筋は通っている。斗貴子にはそう思える。しかし……
《よくお考え下さい。この取引に応じて頂ければ、共同体の構成人員や本拠地の
場所まで、詳細な情報をご提供致しますよ。戦団にとっては貴重なものでしょう?
わたくしは、先ほど交戦しました場所でお待ちしてます。期限は日の出までということで》
一方的にそう告げて、鈴木は電話を切った。
『……一人の命……共同体の情報……犠牲者の大幅減少、あるいは大幅増加……』
幼い頃、我が身を襲った凄惨な事件の記憶が、斗貴子の中で不鮮明ながら渦巻く。
あの光景が、より大規模に、より多くの人々を巻き込んで繰り返されたら。そんなことは
あってならない。絶対に。そもそも自分は、その為に厳しい訓練を乗り越えて戦士に
なったのだ。
ならば、そんな事態を防ぐ手立てが目の前にあるのならば、何を考えることがあろう。
斗貴子はそう考え、決意した。眠り続ける女の子へと手を伸ばし……
「すみません、忘れ物をしました」
いきなりドアを開けて山崎が入ってきた。息を飲んで身を竦ませた斗貴子の様子に
気付いたのか気付いていないのか、山崎は室内をぐるりと見渡して、
「ここにもないようですねぇ。どこかで落としたのかな。津村さん、ワタクシの
定期入れを見かけませんでしたか?」
「え、いや、み、見てないが」
「そうですか。仕方ないですね、また買いましょう。ところで」
山崎は、明日の天気について語り合うような口調で言った。
「アナタぐらいの年頃の戦士は、学校への潜入などもする為、怪しまれぬよう普通の
高校生同様の各種教育を受けているとブラボー氏からお聞きしました。そこで一つ、
アナタの教養を試してみたいのですが」
「教養?」
「はい。こんな言葉をご存知ですか?」
山崎は二言三言会話して電話を切ると、携帯電話をしまいながら立ち上がった。
「貴理香さんが……ああ、NS社の技術者なんですけど、今グローブ・オブ・エンチャント
のことを報告しましたら即刻修理させろと怒鳴られましてね。近くの施設におりますので、
すぐ届けてきます。何かありましたらご連絡下さい」
穴の空いたグローブ・オブ・エンチャントを持って、山崎が出て行った。
布団に寝かせている女の子は、今はすやすやと寝息を立てている。この分なら心配
ないだろう、と斗貴子が思ったその時。
今度は斗貴子の携帯電話が鳴った。覚えのない番号からだ。
「……鈴木か?」
《おや、解りましたか》
電話の向こうから、予想通りの声が聞こえてきた。
「私の電話番号を知っているぐらいで驚きはしないぞ。正確な情報収集は
ビジネスマンの嗜みだそうだから」
《山崎さんのお言葉ですか? 確かにその通りですけど、ま、それはそれとして。ご連絡
差し上げましたのは、あなた方が保護されました先ほどの女の子について》
「今更何を言う気だ。お前に心配されなくても、この子なら何の異常もないぞ」
《それなんですよ。あなたもご覧になられましたでしょう? バヅーが食事をする為に、
人間を高所から叩き落して潰して、食べやすくしていたのを。グムンの場合はある特殊な
毒を注入して内臓から肉、骨まで全身を柔らかく、ゲル状に溶かすんです。が、グムン自身
が試作品ですからね。普通はすぐ溶けますが、相手の体質によってはなかなか毒が効かず、
ちょっと時間がかかってしまうことがあるんです。その子のように》
斗貴子の顔色が変わった。が、怯まない。
「よく知らせてくれたな。それなら、今すぐ戦団の医療部に連絡して治療するまでだ。
……ああ、もしかして解毒剤か何かで私と取引するつもりだったのか? ふん、戦団の
技術をみくびるな。お前たちのような、昨日今日錬金術を知った素人とはわけが違う」
《いえいえ、そういうことは理解しておりますよ。ただ、研究用のサンプルとして、
そういう体質の人体が欲しいのです。体液や臓物を調べて、以後のホムンクルス製造の
資料にしたい。というわけですから、その子を連れてきて頂けませんか。持ち帰って、
研究所でじっくりと解剖しますので》
ふざけるな! と怒鳴り返す斗貴子の気迫に押されず、鈴木は淡々と話を続ける。
《津村さん、先ほどのご自分の言葉をお忘れですよ。我々は、昨日今日錬金術を知った
素人。それがどうして、不完全とはいえホムンクルスを創ることができたとお思いです?》
「……どういう意味だ」
《錬金戦団がNS社に核鉄の資料やサンプルを提供したように、我々にも協力者がいる
ということですよ。人間型ホムンクルスを頂点として、銀成市に根を張る共同体でしてね。
その名は超常選……おっと。ここから先が取引です》
鈴木は言う。パレットにホムンクルスの技術を伝えた共同体の情報と引き換えに、
グムンの毒を受けた女の子を連れて来いと。
《あなたの持つ核鉄を渡せと言いたいところですが、それでは拒否されると思いましてね。
あなたが核鉄を失うのは、戦団が核鉄を失うのと同じ。共同体一つの情報とは釣り合わ
ないでしょう。が、何の縁もないただの一般市民、女の子一人の命ならどうでしょう?》
「……」
《わたしの伝える情報によって、戦団がその共同体に先制攻撃を仕掛けて壊滅できれば。
そうすれば、犠牲者の大幅軽減となりましょう。逆に、この取引に乗らず情報がなかった
ばかりに、戦団が後手を踏んでしまえば、犠牲者の増加となります。なお、当社は既に
独自の、大量生産用ホムンクルスの研究開発に着手しておりますので、その共同体から
得るものは、もうありません。むしろ、その共同体も今後の商売のジャマになるかも
しれませんからね。あなた方に潰して頂ければ、ありがたいぐらいでして》
鈴木の言うことは、悪辣だが筋は通っている。斗貴子にはそう思える。しかし……
《よくお考え下さい。この取引に応じて頂ければ、共同体の構成人員や本拠地の
場所まで、詳細な情報をご提供致しますよ。戦団にとっては貴重なものでしょう?
わたくしは、先ほど交戦しました場所でお待ちしてます。期限は日の出までということで》
一方的にそう告げて、鈴木は電話を切った。
『……一人の命……共同体の情報……犠牲者の大幅減少、あるいは大幅増加……』
幼い頃、我が身を襲った凄惨な事件の記憶が、斗貴子の中で不鮮明ながら渦巻く。
あの光景が、より大規模に、より多くの人々を巻き込んで繰り返されたら。そんなことは
あってならない。絶対に。そもそも自分は、その為に厳しい訓練を乗り越えて戦士に
なったのだ。
ならば、そんな事態を防ぐ手立てが目の前にあるのならば、何を考えることがあろう。
斗貴子はそう考え、決意した。眠り続ける女の子へと手を伸ばし……
「すみません、忘れ物をしました」
いきなりドアを開けて山崎が入ってきた。息を飲んで身を竦ませた斗貴子の様子に
気付いたのか気付いていないのか、山崎は室内をぐるりと見渡して、
「ここにもないようですねぇ。どこかで落としたのかな。津村さん、ワタクシの
定期入れを見かけませんでしたか?」
「え、いや、み、見てないが」
「そうですか。仕方ないですね、また買いましょう。ところで」
山崎は、明日の天気について語り合うような口調で言った。
「アナタぐらいの年頃の戦士は、学校への潜入などもする為、怪しまれぬよう普通の
高校生同様の各種教育を受けているとブラボー氏からお聞きしました。そこで一つ、
アナタの教養を試してみたいのですが」
「教養?」
「はい。こんな言葉をご存知ですか?」
【怪物と戦う者は誰であれ、戦っている間に自らも怪物とならぬように心せよ】
ぐっ、と何かを詰まらせたように、斗貴子が沈黙する。
山崎は、そんな斗貴子の瞳を覗き込んで言った。
「ドイツの哲学者、ニーチェの言葉です。ご存知ありませんでしたか?」
「……」
「まあ、受験勉強に出てくるようなものではありませんしね。ただ、日々実際に
怪物と交戦しておられる錬金の戦士の皆様にとっては、いろいろ考えるところの
ある言葉かと思いまして。……では」
山崎は再び、斗貴子と女の子とを部屋に残して出て行った。
山崎は、そんな斗貴子の瞳を覗き込んで言った。
「ドイツの哲学者、ニーチェの言葉です。ご存知ありませんでしたか?」
「……」
「まあ、受験勉強に出てくるようなものではありませんしね。ただ、日々実際に
怪物と交戦しておられる錬金の戦士の皆様にとっては、いろいろ考えるところの
ある言葉かと思いまして。……では」
山崎は再び、斗貴子と女の子とを部屋に残して出て行った。