リングの上では、鷹村が言った通りの理由で一歩が困惑していた。
どうにも手加減ができない理由はというと、レッドの外見が怖いとか、かわし易いとはとえ
パンチ力があるからとか、そういう理由で本能的警戒心が体を突き動かしてるんだ、と。
最初はそう思ってたが、違う。倒れないのだ。殴っても殴っても。20%の力で効かない、
なら30、40、まだダメか、50、60、とやっている内にいつの間にか……である。
じわじわと恐怖心で呼吸が詰まってきた。さほど手加減していないパンチを打ち続けている
為、汗も出てくる。まるで本番の試合のようだ。
『この人、強い……いや、違う。普通の強さとは質の違うこの感じ、前にどこかで……』
「うおおおおぉぉっ!」
顔を腫らせたレッドが疲労もダメージも無視して、衰えぬ猛攻を仕掛けてくる。風を巻いて
飛んで来た左フックを一歩がかわすと、間髪入れず右アッパーが来た。これをブロック、
『っっ!?』
できなかった。ボクシングの基本を無視した、顎を弾くのではなく喉を抉り取るような
深い深い角度の一撃が、一歩のブロックを叩き壊し、貫通する。そして顎を突き上げるが
飛ばしはせず、そのまま力任せに一歩の全身を高く持ち上げる。
青木と木村が驚き叫ぶが一歩の耳には届かない。身長差が大きくモノを言って、
巨漢・レッドがまっすぐ突き上げた腕の先端の拳の上に、一歩は顎を乗せられたのだ。両足
が完全に宙に浮かされている。
「幕之内君っ!」
根岸の声で一歩は意識を取り戻した。レッドのグローブから一歩の顎がずり落ち、それによって
持ち上げられていた全身が落ち、足から着地する。だがダメージは大きく、膝が抜ける。と、
「くらええぇぇぇぇっ!」
トドメとばかりにレッドの追撃が来た。姿勢が低くなっている一歩めがけて、思いっきり
大きく振り被って、打ち下ろしの右を放つ。
だがそれを許すほど日本チャンピオンは甘くない。冷静に見切って、低くなっている自分の
姿勢を利用して、そこから伸び上がりのアッパー、ではなく縦軌道のフックを放つ。これは、
「ガゼルパンチ!?」
「おい一歩、落ち着け! 相手は素人だぞ!」
「どうやら90%、いったな」
青木と木村が叫び、鷹村が呟く。一歩の得意とする一撃が、上から降ってきていた
レッドのパンチに対し、見事なカウンターとなって炸裂した。
先ほどと立場逆転、今度はレッドが顎を跳ね上げられてよろめく。まるで、後ろから
頭に縄をつけられて引っ張られているかのように、背を反らせて後退していく……が、
レッドはその縄を強引に首の力で引っ張り千切り、ムリヤリ顎を前方へ戻して、
「んがあっっ!」
吠えて、こらえた。汗だくの顔面に鬼の形相を浮べ、荒い息をついて立っている。
これには、充分な手応えを感じてレッドを殴り飛ばした本人、一歩が誰よりも驚愕した。
信じられないものに相対した戦慄で、目を見開いている。
その目に、レッドは己の視線を叩きつけていく。疾風のような烈風のような気迫を込めて。
「負けねえ……倒れねえ……俺は、やられるわけにはいかねぇんだ……俺は、俺が、
俺の、俺に……クラウザー……さん……俺、こんな生意気なこと言うのはこれが
最初で最後、だから……だから今だけでいい、俺に力をくれクラウザーさんっっ!」
『! ……この人は……』
固まっている一歩めがけて、レッドが走った。もう、いくらも残っていないであろう
体力気力を振り絞って、砲弾のような右ストレートを放つ。
レッドの、焼けるような気迫に押さえ込まれて動きを鈍らされた一歩は、その一撃を
かわしたつもりがかわしきれなかった。こめかみを掠めて、また意識が揺らいでしまう。
だがそこから先が、ボクサーだ。意識による判断能力が鈍っても、筋肉が動き続ける。
頭で考えずとも、体が最善手を選択するのだ。
だから一歩は、かわした動きそのままで左のレバーブローを叩き込んだ。それで「く」の
字に折れたレッドの体、降りてきた側頭部めがけて、まるで反復横飛びのように
右へ跳んでから、大きな右フックを叩き込む。続けて反対側に跳び、頭を∞の字に
振りながら思いきり反動をつけて左フックを打……
「っ!」
そこで、一歩の意識が戻った。今の一発目のフックでとうとう限界を迎えて倒れ伏す
レッドと、リングに駆け上がってきて自分に抱きついて制止する青木と木村、
リングの下で迫力に飲まれ呆然としている根岸、ただ一人落ち着いている鷹村、が見える。
「何考えてんだ一歩! 今、まさか、」
「あの踏み込み、角度、スピード、筋肉の張り、どう見てもお前は本気で、」
「……」
一歩が黙っていると、鷹村が代わりに言った。
「限りなく100%に近かったが、ギリギリで思い留まったようだな。大丈夫、安心しろ。
そいつは昔、このオレ様に素手で殴られまくってた男だぞ。その程度でくたばりゃしねえよ」
「…………」
一歩は一言も発せず、ただレッドを見つめていた。リングの下から、根岸も見ていた。
そして二人は、同じことを考えていた。レッドがなぜ、ここまで倒れなかったのか……を。
どうにも手加減ができない理由はというと、レッドの外見が怖いとか、かわし易いとはとえ
パンチ力があるからとか、そういう理由で本能的警戒心が体を突き動かしてるんだ、と。
最初はそう思ってたが、違う。倒れないのだ。殴っても殴っても。20%の力で効かない、
なら30、40、まだダメか、50、60、とやっている内にいつの間にか……である。
じわじわと恐怖心で呼吸が詰まってきた。さほど手加減していないパンチを打ち続けている
為、汗も出てくる。まるで本番の試合のようだ。
『この人、強い……いや、違う。普通の強さとは質の違うこの感じ、前にどこかで……』
「うおおおおぉぉっ!」
顔を腫らせたレッドが疲労もダメージも無視して、衰えぬ猛攻を仕掛けてくる。風を巻いて
飛んで来た左フックを一歩がかわすと、間髪入れず右アッパーが来た。これをブロック、
『っっ!?』
できなかった。ボクシングの基本を無視した、顎を弾くのではなく喉を抉り取るような
深い深い角度の一撃が、一歩のブロックを叩き壊し、貫通する。そして顎を突き上げるが
飛ばしはせず、そのまま力任せに一歩の全身を高く持ち上げる。
青木と木村が驚き叫ぶが一歩の耳には届かない。身長差が大きくモノを言って、
巨漢・レッドがまっすぐ突き上げた腕の先端の拳の上に、一歩は顎を乗せられたのだ。両足
が完全に宙に浮かされている。
「幕之内君っ!」
根岸の声で一歩は意識を取り戻した。レッドのグローブから一歩の顎がずり落ち、それによって
持ち上げられていた全身が落ち、足から着地する。だがダメージは大きく、膝が抜ける。と、
「くらええぇぇぇぇっ!」
トドメとばかりにレッドの追撃が来た。姿勢が低くなっている一歩めがけて、思いっきり
大きく振り被って、打ち下ろしの右を放つ。
だがそれを許すほど日本チャンピオンは甘くない。冷静に見切って、低くなっている自分の
姿勢を利用して、そこから伸び上がりのアッパー、ではなく縦軌道のフックを放つ。これは、
「ガゼルパンチ!?」
「おい一歩、落ち着け! 相手は素人だぞ!」
「どうやら90%、いったな」
青木と木村が叫び、鷹村が呟く。一歩の得意とする一撃が、上から降ってきていた
レッドのパンチに対し、見事なカウンターとなって炸裂した。
先ほどと立場逆転、今度はレッドが顎を跳ね上げられてよろめく。まるで、後ろから
頭に縄をつけられて引っ張られているかのように、背を反らせて後退していく……が、
レッドはその縄を強引に首の力で引っ張り千切り、ムリヤリ顎を前方へ戻して、
「んがあっっ!」
吠えて、こらえた。汗だくの顔面に鬼の形相を浮べ、荒い息をついて立っている。
これには、充分な手応えを感じてレッドを殴り飛ばした本人、一歩が誰よりも驚愕した。
信じられないものに相対した戦慄で、目を見開いている。
その目に、レッドは己の視線を叩きつけていく。疾風のような烈風のような気迫を込めて。
「負けねえ……倒れねえ……俺は、やられるわけにはいかねぇんだ……俺は、俺が、
俺の、俺に……クラウザー……さん……俺、こんな生意気なこと言うのはこれが
最初で最後、だから……だから今だけでいい、俺に力をくれクラウザーさんっっ!」
『! ……この人は……』
固まっている一歩めがけて、レッドが走った。もう、いくらも残っていないであろう
体力気力を振り絞って、砲弾のような右ストレートを放つ。
レッドの、焼けるような気迫に押さえ込まれて動きを鈍らされた一歩は、その一撃を
かわしたつもりがかわしきれなかった。こめかみを掠めて、また意識が揺らいでしまう。
だがそこから先が、ボクサーだ。意識による判断能力が鈍っても、筋肉が動き続ける。
頭で考えずとも、体が最善手を選択するのだ。
だから一歩は、かわした動きそのままで左のレバーブローを叩き込んだ。それで「く」の
字に折れたレッドの体、降りてきた側頭部めがけて、まるで反復横飛びのように
右へ跳んでから、大きな右フックを叩き込む。続けて反対側に跳び、頭を∞の字に
振りながら思いきり反動をつけて左フックを打……
「っ!」
そこで、一歩の意識が戻った。今の一発目のフックでとうとう限界を迎えて倒れ伏す
レッドと、リングに駆け上がってきて自分に抱きついて制止する青木と木村、
リングの下で迫力に飲まれ呆然としている根岸、ただ一人落ち着いている鷹村、が見える。
「何考えてんだ一歩! 今、まさか、」
「あの踏み込み、角度、スピード、筋肉の張り、どう見てもお前は本気で、」
「……」
一歩が黙っていると、鷹村が代わりに言った。
「限りなく100%に近かったが、ギリギリで思い留まったようだな。大丈夫、安心しろ。
そいつは昔、このオレ様に素手で殴られまくってた男だぞ。その程度でくたばりゃしねえよ」
「…………」
一歩は一言も発せず、ただレッドを見つめていた。リングの下から、根岸も見ていた。
そして二人は、同じことを考えていた。レッドがなぜ、ここまで倒れなかったのか……を。
バケツの水をかけられて目を覚ましたレッドは、一歩に一礼すると言葉もなく帰ろうとした。
が、ダメージのせいか足がふらふらしている。
「あ、僕が駅まで送っていきますよ」
根岸が申し出て、肩を貸してやった。ジムを出ようとすると一歩が申し訳なさそうに、
「すいません根岸さん。せっかく来てくれたのに、ボク何もできなくて」
「とんでもない、凄いの見せてもらったんだから。じゃ、また来るよ」
体重差1.5倍はあろうかというレッドを支えて、根岸はひょこひょこ歩いていく。
多分、まだ頭痛とか目まいとかしているのであろうレッドが、苦しそうな声で言った。
「悪ぃな……面倒かけて」
「いいよ。ほら、僕だってDMC信者なわけだし。仲間同士、遠慮は無用ってことで」
「ははっ、なるほど。今日はその仲間にカッコ悪いとこ見せちまったが、それにしても……」
レッドは、一歩との打ち合いの一瞬一瞬を反芻するように語った。
「本当に強かったよ、あいつは。正直、ルール無用のケンカなら確実に勝てる、とは
言いきれねぇ。マジで素手で殴ったら、充分に人を殺せるレベルだと思う。そして多分、
イザとなりゃそれができるだけの精神力もある」
「そ、そう?」
「ああ。だからこそ、クラウザーさんもあそこまで褒めたんだろ。結局、クラウザーさんの
眼力を疑った俺がバカだったってことだ。こうなっちまったら、もうあいつのことを認めねぇ
ワケにはいかねえよな。何たって今、こんなザマだし」
まだ顔色は悪いが、レツドの表情に涼やかなものが浮かんでいた。
どうやら一歩への敵愾心(=嫉妬)は消えたようだ。おそらくこれが鷹村の計算、
というか望んでいた展開なのだろう。
根岸は心からホッとする。いろいろあったが、丸くおさまって本当に良かった。
「あのさ、それじゃこれからはクラウザーさんが言ってた通り、幕之内君が世界一になれる
ように応援しようよ」
「ああ、そうする。それがクラウザーさんの望みでもあるだろうしな」
「うんうん。絶対そうだよ」
「よしっ。早速、次の幕之内の試合には、DMC信者を大勢引き連れて大応援団といくか!」
レッドの元気な一言。根岸の脳は一瞬、その言葉の理解を拒んだ。
「……え。お、応援団って」
「あ。ここでいいぜ。ありがとな」
丁度駅についたので、レッドは根岸に手を振って歩いていった。そこそこ回復したらしく、
ゆっくりだがふらつかずに歩けている。
しかし根岸は、もうそんなことどうでも良くて。
『DMC信者大勢による、幕之内君の大応援団……………………』
が、ダメージのせいか足がふらふらしている。
「あ、僕が駅まで送っていきますよ」
根岸が申し出て、肩を貸してやった。ジムを出ようとすると一歩が申し訳なさそうに、
「すいません根岸さん。せっかく来てくれたのに、ボク何もできなくて」
「とんでもない、凄いの見せてもらったんだから。じゃ、また来るよ」
体重差1.5倍はあろうかというレッドを支えて、根岸はひょこひょこ歩いていく。
多分、まだ頭痛とか目まいとかしているのであろうレッドが、苦しそうな声で言った。
「悪ぃな……面倒かけて」
「いいよ。ほら、僕だってDMC信者なわけだし。仲間同士、遠慮は無用ってことで」
「ははっ、なるほど。今日はその仲間にカッコ悪いとこ見せちまったが、それにしても……」
レッドは、一歩との打ち合いの一瞬一瞬を反芻するように語った。
「本当に強かったよ、あいつは。正直、ルール無用のケンカなら確実に勝てる、とは
言いきれねぇ。マジで素手で殴ったら、充分に人を殺せるレベルだと思う。そして多分、
イザとなりゃそれができるだけの精神力もある」
「そ、そう?」
「ああ。だからこそ、クラウザーさんもあそこまで褒めたんだろ。結局、クラウザーさんの
眼力を疑った俺がバカだったってことだ。こうなっちまったら、もうあいつのことを認めねぇ
ワケにはいかねえよな。何たって今、こんなザマだし」
まだ顔色は悪いが、レツドの表情に涼やかなものが浮かんでいた。
どうやら一歩への敵愾心(=嫉妬)は消えたようだ。おそらくこれが鷹村の計算、
というか望んでいた展開なのだろう。
根岸は心からホッとする。いろいろあったが、丸くおさまって本当に良かった。
「あのさ、それじゃこれからはクラウザーさんが言ってた通り、幕之内君が世界一になれる
ように応援しようよ」
「ああ、そうする。それがクラウザーさんの望みでもあるだろうしな」
「うんうん。絶対そうだよ」
「よしっ。早速、次の幕之内の試合には、DMC信者を大勢引き連れて大応援団といくか!」
レッドの元気な一言。根岸の脳は一瞬、その言葉の理解を拒んだ。
「……え。お、応援団って」
「あ。ここでいいぜ。ありがとな」
丁度駅についたので、レッドは根岸に手を振って歩いていった。そこそこ回復したらしく、
ゆっくりだがふらつかずに歩けている。
しかし根岸は、もうそんなことどうでも良くて。
『DMC信者大勢による、幕之内君の大応援団……………………』
昨日は鷹村犯したぜ! 明日はリカルドほってやる!
殺せ殺せ殺せ会長など殺せええええぇぇぇぇっ!
ゴートゥ幕之内! ゴートゥ幕之内!
殺せ殺せ殺せ会長など殺せええええぇぇぇぇっ!
ゴートゥ幕之内! ゴートゥ幕之内!
その光景を想像した根岸の顔から、血の気が滝のように引いていった。
「ど、ど、ど、ど、どうしようっっっっ!?」
「ど、ど、ど、ど、どうしようっっっっ!?」