静・ジョースターが合成人間ユージンこと天色優と出会い、彼を縁として『異世界人』たる黒鋼、ファイと関わりを持つことになったその一方で、
遠野十和子もまた合成人間ラウンダバウトこと奈良崎克巳と出会い、同じく『異世界人』の小狼、サクラと個人的な関わりを結ぶに至った。
だが、その奇妙な符合に彩られたそれぞれの邂逅は、いまだ何をも意味していない。
水面下でゆっくりと運命の二重の輪が運動を開始していたとしても、表層上にその徴は浮かび上がっていなかった。
彼女たちが出会ったこの街は、彼女たちのその出会いに対し、なにも求めていない。
いずれ世界が彼女たちを必要とするとしても、それはまだ先の話──どれだけ奇妙で不気味な馴れ初めだったとしても、
総括しまうと「友達が増えました」という当たり障りのない表現に落ち着いてしまうだろう。
つまるところ──杜王町は平和だった。
遠野十和子もまた合成人間ラウンダバウトこと奈良崎克巳と出会い、同じく『異世界人』の小狼、サクラと個人的な関わりを結ぶに至った。
だが、その奇妙な符合に彩られたそれぞれの邂逅は、いまだ何をも意味していない。
水面下でゆっくりと運命の二重の輪が運動を開始していたとしても、表層上にその徴は浮かび上がっていなかった。
彼女たちが出会ったこの街は、彼女たちのその出会いに対し、なにも求めていない。
いずれ世界が彼女たちを必要とするとしても、それはまだ先の話──どれだけ奇妙で不気味な馴れ初めだったとしても、
総括しまうと「友達が増えました」という当たり障りのない表現に落ち着いてしまうだろう。
つまるところ──杜王町は平和だった。
実際、この街は平和だと静は思う。
特に初夏の日曜日、ホームステイ先のいわゆる『第二の我が家』という家屋のなかに与えられた一室で、
ホストファミリーの広瀬夫人の焼いてくれたケーキをフォークで切り分けて口に運びながら寝そべって雑誌を眺めているときなど、
これ以上に平和な時代はもうないんじゃないのか、この時代に生まれて良かったなあなどとしみじみと実感する。
「平和なのはいいんだけどね」
と、十和子は自分の分のケーキを皿からひょいと手で持ち上げながら言った。
「こんないい天気の日に部屋に閉じこもってたってしょーがないでしょ」
んあ、と大きく口を開け、たったの二口で完食。
んぐ、んぐ、んぐ。けっこう惚れ惚れするほどのスピードで咀嚼し、嚥下する。
「平和を満喫しに行こうぜ。外に」
「でも、なんか今日は由花子さんが家にいなさいって……」
「なんでよ? なんかの用事? だったらあたしがいたら邪魔じゃねーの?」
「んー、よく分からない」
「なんだそれ」
十和子を上目遣いに見ながら、控え目に弁明する。
「だって本当によく分かんなかったんだもん。なんて言うか……由花子さんも、康一さんも、『わたしが家にいなきゃいけない』
ことは分かってるけど、『十和子がそこにいてもいいのか』ってことについては、どちらとも言えない、って感じだった」
まるで説明になっていないような静の説明だったが、十和子はそこに『なにか』を感じたように眉をひそめさせた。
「……なんか、匂うわね」
「それって、『カスタード・パイ』?」
『カスタード・パイ』──それが、静が聞かされた十和子の『能力』だった。
それは『魂の匂いを嗅ぐ能力』という、話に聞いただけじゃ今ひとつ全貌がつかめないもので、
具体的にどういう感覚や現象を伴って発現するのか、静は知らない。
だからこそ今のような問いも出てくるのだが、十和子は手を振ってそれを打ち消した。
「違うわよ。今のはただの乙女の閃き」
「でも、じゃあ──なにが匂うの?」
「……そうね、多分……『待ち人』、かな。あんたに会わせたいと思ってるやつがいるんじゃないかしら。
しかも、『来るか来ないかはっきりしない』或いは『何度も伸ばし伸ばしになっている』とかいう類の」
「なんでそう思うの?」
「ふむ。いい質問ね、ワトソン君」
いたずらっぽく微笑みながら、十和子は人差し指を立てる。
てっきり先の発言についての説明を披露するのだと思っていたが──十和子はつい、と指を振って静の口元のクリームをすくい取り、
ペロリ。
「ただの思いつきになんでもクソもないでしょう」
「……真面目に聞いて損したよ」
ちょっと呆れて溜め息をつく静へ十和子はひょいと肩をすくめてみせ、
「だったら自分で確かめてくればいいでしょーが。あんたもそのことが気になってるんでしょう?
でも、この家の人に遠慮して面と向かって訊けないでいる。違う? ──あ、今のは『カスタード・パイ』ね」
その澄ましたようなというような口ぶりが少し悔しくて、静は口を尖らせた。
「……なんでもお見通しなのね」
「いやいや、あんたが思ってるほど万能じゃないわ。『カスタード・パイ』に出来ることなんて、ほんの些細なもんよ」
十和子の口調は謙遜などとはかけ離れていて、本当にそう思っているのだということを静に感じさせる。
『魂の匂いを嗅ぐ能力』──それはきっと、とんでもなく物凄い『能力』──静自身の『アクトン・ベイビー』なんかとは
ケタ違いの『能力』であるはずなのに、十和子自身にはそれに依存しているような態度が全くない。
ちょっとした手品のタネを持っている程度の、本当にどうでもいいことのように自分の『能力』を語っている。
『カスタード・パイ』なんて、遠野十和子という少女にとっては大した『能力』ではないのだろう──、
彼女の精神には他にもっと『信じるべきもの』が確実に根ざしていて、『それ』はほんのささやかな『香りづけ』程度のものなのだろう。
そう思うと、十和子の強さがちょっと羨ましかった。
「それにしても、今のケーキは美味かったわ。あたしも色んな店のケーキ食べてきたけど、ここまでのものはなかなかねーわよ」
「あ、うん。由花子さん、料理の腕はセミプロ級なの。それ言ってあげたら、喜ぶんじゃないかな」
「さっきトイレに行ったとき挨拶したわ。鬼のような美人とはあのことね」
「でも、怒ると怖いのよ。『怒髪天を突く』って言葉は由花子さんのためにあるようなものだから」
「ふーん……あの人も『スタンド使い』?」
「そうだよ。あと、ダンナ様の康一さんも」
「夫婦揃ってかよ──」
「高校の頃からお付き合いしていて、大恋愛の末にゴールインなんだって……羨ましいよね」
「──あんたはどーなの?」
「どうって……?」
「ニューヨークに残してきたオトコはいないのかって訊いてんのさ」
話の矛先が急に自分に向かってきたことで、静はついうろたえる。
「い、いないよ、そんなの」
できるだけ平静を装って答えたつもりが、つい口ごもり気味になってしまった。
「へーえ……」
なにか微妙そうな顔をして静の顔を眺めていた十和子だったが、
「じゃあ、さあ──」
なにを思いついたのか意地の悪そうなにやにや笑いを浮かべる。
「今は?」
「い、今? ──いま?」
「そーだよ、今。人間、いつだって大事なのは『今』よ。そうでしょう? ズバリ訊くけどさ──どっちよ?」
「ど、どっちって?」
「とぼけんじゃねーわよ。ネタは上がってんのよ。最近、秋月とやたら仲が良いみたいじゃない。
あと、奈良崎の『元同僚』だとかいうあいつ……」
いきなり身近で具体的な名前を突きつけられ、みっともないくらいに慌てふためく静。
顔を真っ赤にしながら、必要以上に勢い込んで反論する。
「ゆ、優くんとはそんなんじゃないよ! それに秋月くんとも──そ、それに、そんなこと言うなら十和子だってそうじゃない!」
「はあ? あたしが? 誰と?」
「だから、奈良崎くんと──」
静のなかでは、それはもうこの上ないくらいに見事な切り返しであったはずなのだが、
「ばーか」
なぜか、十和子は静の思惑とは正反対に醒めた視線を送る。
「ば、馬鹿じゃないもん」
「あのね、静。今から大事なこと言うからよく聞きなさいよ──奈良崎ちゃんはね、女の子なの」
「あ、なんだそうだったの──」
そうか女の子だったのか、と頷きながら紅茶を口に含んで──その言葉の意味をやっと認め──凍った。
ごくっ、と喉が鳴る。
「──嘘ぉ!?」
「なんであたしがこんな馬鹿な嘘つかなきゃいけねーのよ」
「え、いや、だって」
静はどうにかして自分の中の常識──『学ランを着た女の子などいない』というジェンダー論を相手に伝えようとするが、
普段そういうことを考えていない悲しさか、 思いは言葉にならずただ無為にわたわたと手が動き、変な踊りを披露することしか出来なかった。
そんな静の挙動不審に決着をつける、十和子のどこか達観したような意見。
「人間、見た目じゃないっていう好例ね」
「うそぉ……世の中って想像以上だ……」
呆然とつぶやく静の前で、十和子はやはり平然とした面持ちでティーカップを持ち上げる。
そうして、初夏の日曜日の午後は過ぎてゆくのだった。
特に初夏の日曜日、ホームステイ先のいわゆる『第二の我が家』という家屋のなかに与えられた一室で、
ホストファミリーの広瀬夫人の焼いてくれたケーキをフォークで切り分けて口に運びながら寝そべって雑誌を眺めているときなど、
これ以上に平和な時代はもうないんじゃないのか、この時代に生まれて良かったなあなどとしみじみと実感する。
「平和なのはいいんだけどね」
と、十和子は自分の分のケーキを皿からひょいと手で持ち上げながら言った。
「こんないい天気の日に部屋に閉じこもってたってしょーがないでしょ」
んあ、と大きく口を開け、たったの二口で完食。
んぐ、んぐ、んぐ。けっこう惚れ惚れするほどのスピードで咀嚼し、嚥下する。
「平和を満喫しに行こうぜ。外に」
「でも、なんか今日は由花子さんが家にいなさいって……」
「なんでよ? なんかの用事? だったらあたしがいたら邪魔じゃねーの?」
「んー、よく分からない」
「なんだそれ」
十和子を上目遣いに見ながら、控え目に弁明する。
「だって本当によく分かんなかったんだもん。なんて言うか……由花子さんも、康一さんも、『わたしが家にいなきゃいけない』
ことは分かってるけど、『十和子がそこにいてもいいのか』ってことについては、どちらとも言えない、って感じだった」
まるで説明になっていないような静の説明だったが、十和子はそこに『なにか』を感じたように眉をひそめさせた。
「……なんか、匂うわね」
「それって、『カスタード・パイ』?」
『カスタード・パイ』──それが、静が聞かされた十和子の『能力』だった。
それは『魂の匂いを嗅ぐ能力』という、話に聞いただけじゃ今ひとつ全貌がつかめないもので、
具体的にどういう感覚や現象を伴って発現するのか、静は知らない。
だからこそ今のような問いも出てくるのだが、十和子は手を振ってそれを打ち消した。
「違うわよ。今のはただの乙女の閃き」
「でも、じゃあ──なにが匂うの?」
「……そうね、多分……『待ち人』、かな。あんたに会わせたいと思ってるやつがいるんじゃないかしら。
しかも、『来るか来ないかはっきりしない』或いは『何度も伸ばし伸ばしになっている』とかいう類の」
「なんでそう思うの?」
「ふむ。いい質問ね、ワトソン君」
いたずらっぽく微笑みながら、十和子は人差し指を立てる。
てっきり先の発言についての説明を披露するのだと思っていたが──十和子はつい、と指を振って静の口元のクリームをすくい取り、
ペロリ。
「ただの思いつきになんでもクソもないでしょう」
「……真面目に聞いて損したよ」
ちょっと呆れて溜め息をつく静へ十和子はひょいと肩をすくめてみせ、
「だったら自分で確かめてくればいいでしょーが。あんたもそのことが気になってるんでしょう?
でも、この家の人に遠慮して面と向かって訊けないでいる。違う? ──あ、今のは『カスタード・パイ』ね」
その澄ましたようなというような口ぶりが少し悔しくて、静は口を尖らせた。
「……なんでもお見通しなのね」
「いやいや、あんたが思ってるほど万能じゃないわ。『カスタード・パイ』に出来ることなんて、ほんの些細なもんよ」
十和子の口調は謙遜などとはかけ離れていて、本当にそう思っているのだということを静に感じさせる。
『魂の匂いを嗅ぐ能力』──それはきっと、とんでもなく物凄い『能力』──静自身の『アクトン・ベイビー』なんかとは
ケタ違いの『能力』であるはずなのに、十和子自身にはそれに依存しているような態度が全くない。
ちょっとした手品のタネを持っている程度の、本当にどうでもいいことのように自分の『能力』を語っている。
『カスタード・パイ』なんて、遠野十和子という少女にとっては大した『能力』ではないのだろう──、
彼女の精神には他にもっと『信じるべきもの』が確実に根ざしていて、『それ』はほんのささやかな『香りづけ』程度のものなのだろう。
そう思うと、十和子の強さがちょっと羨ましかった。
「それにしても、今のケーキは美味かったわ。あたしも色んな店のケーキ食べてきたけど、ここまでのものはなかなかねーわよ」
「あ、うん。由花子さん、料理の腕はセミプロ級なの。それ言ってあげたら、喜ぶんじゃないかな」
「さっきトイレに行ったとき挨拶したわ。鬼のような美人とはあのことね」
「でも、怒ると怖いのよ。『怒髪天を突く』って言葉は由花子さんのためにあるようなものだから」
「ふーん……あの人も『スタンド使い』?」
「そうだよ。あと、ダンナ様の康一さんも」
「夫婦揃ってかよ──」
「高校の頃からお付き合いしていて、大恋愛の末にゴールインなんだって……羨ましいよね」
「──あんたはどーなの?」
「どうって……?」
「ニューヨークに残してきたオトコはいないのかって訊いてんのさ」
話の矛先が急に自分に向かってきたことで、静はついうろたえる。
「い、いないよ、そんなの」
できるだけ平静を装って答えたつもりが、つい口ごもり気味になってしまった。
「へーえ……」
なにか微妙そうな顔をして静の顔を眺めていた十和子だったが、
「じゃあ、さあ──」
なにを思いついたのか意地の悪そうなにやにや笑いを浮かべる。
「今は?」
「い、今? ──いま?」
「そーだよ、今。人間、いつだって大事なのは『今』よ。そうでしょう? ズバリ訊くけどさ──どっちよ?」
「ど、どっちって?」
「とぼけんじゃねーわよ。ネタは上がってんのよ。最近、秋月とやたら仲が良いみたいじゃない。
あと、奈良崎の『元同僚』だとかいうあいつ……」
いきなり身近で具体的な名前を突きつけられ、みっともないくらいに慌てふためく静。
顔を真っ赤にしながら、必要以上に勢い込んで反論する。
「ゆ、優くんとはそんなんじゃないよ! それに秋月くんとも──そ、それに、そんなこと言うなら十和子だってそうじゃない!」
「はあ? あたしが? 誰と?」
「だから、奈良崎くんと──」
静のなかでは、それはもうこの上ないくらいに見事な切り返しであったはずなのだが、
「ばーか」
なぜか、十和子は静の思惑とは正反対に醒めた視線を送る。
「ば、馬鹿じゃないもん」
「あのね、静。今から大事なこと言うからよく聞きなさいよ──奈良崎ちゃんはね、女の子なの」
「あ、なんだそうだったの──」
そうか女の子だったのか、と頷きながら紅茶を口に含んで──その言葉の意味をやっと認め──凍った。
ごくっ、と喉が鳴る。
「──嘘ぉ!?」
「なんであたしがこんな馬鹿な嘘つかなきゃいけねーのよ」
「え、いや、だって」
静はどうにかして自分の中の常識──『学ランを着た女の子などいない』というジェンダー論を相手に伝えようとするが、
普段そういうことを考えていない悲しさか、 思いは言葉にならずただ無為にわたわたと手が動き、変な踊りを披露することしか出来なかった。
そんな静の挙動不審に決着をつける、十和子のどこか達観したような意見。
「人間、見た目じゃないっていう好例ね」
「うそぉ……世の中って想像以上だ……」
呆然とつぶやく静の前で、十和子はやはり平然とした面持ちでティーカップを持ち上げる。
そうして、初夏の日曜日の午後は過ぎてゆくのだった。
その日も夕方に近づき、「晩御飯も十和子と一緒でいいか」ということを広瀬夫人に尋ねるために部屋を出てリビングに向かう静は──、
「はあ!? 今さらなに言ってるの!」
という広瀬夫人の怒声を耳にした。
リビング手前の廊下でびくっと硬直した静は、夫人──由花子の更なる怒鳴り声をも聞いてしまう。
「──仕事!? アンタねえ、その言い訳何度目よ! 仕事と家族とどっちが大事なの!?」
恐る恐るリビングに首だけ差し込む静は、電話機相手に怒り狂う由花子の姿を目にする。
こめかみをひくひくいわせ、電話機を壊さんばかりに握り締める彼女の横顔は、素が美人なだけ余計に壮絶だった。
もしかして、これは夫婦喧嘩なのだろうか。
だとしたら、二人のプライバシーを立ち聞きするのは良くないことだ。
そう判断した静は、由花子に気づかれぬようそっと回れ右をし、その場から立ち去ろうと──、
「──静ちゃんに会わないつもりなの!?」
足が止まった。
胸の中の心臓が、どくんと弾む。
電話の相手は、由花子の夫君である康一氏ではありえなかった。なぜなら、氏とは毎日会っており、
つい今朝も休日出勤する彼を由花子とともに見送ったのだから。
「──アンタって昔からそう! 向こう見ずの馬鹿の癖にどうでもいいところでは変にヘタレでさ!
康一さんから聞いてるわよ、ジョースターさんに会ったときもグダグダ抜かして尻込みしてたって!」
動悸が早まる。
由花子はなにを言っている? ──『誰』と話している?
「ぐだぐだ言ってねーでさっさと来いよ、このトンマ! ──ちょっと!? 切るな! もしもし!?」
数拍の間の後、由花子は美貌に似合わぬ口汚い罵声とともに受話器を本体に叩きつける。
「ああ、もう!」と誰に向けるでもない苛立ちを溜め息ともに吐き──、
「…………っ!」
いつの間にか、背後に静が立っていたことを知る。
「し、静ちゃん──!」
「……今の、誰ですか」
胸の中で鳴り響くビートとは真逆に、その声は静自身が驚くほど静謐だった。
ただ、確信があった。
それが何かは知るべくもないが、なにかのひとつの歯車が噛み合おうとしているという──実感が。
「静ちゃん──『聞いていない』?」
なにを、とは問い返さなかった。
そう訊かれてなにか思い当たるくらいなら、もっと前の時点でそのことを思い起こしているはずで、
また由花子の質問もそれを見越した上のものだと分かったから。
だから、静は簡潔に答える。
「いいえ。なにも」
「そう──」
続く言葉を濁らせる由花子だったが、やがて言い繕うための思案を放棄し、ひとつ深呼吸して静に向き直る。
「静ちゃん……実はね、あなたには『お兄さん』がいるの」
静は『自分が何者か』を知るためにこの街に来た。
そして今、その答の欠片を成す一つのピースが──拍子抜けするくらいに呆気ない前兆を経て、静の前に差し出されていた。
「彼の名前は『東方仗助』──あなたの養父であるジョセフ・ジョースターさんの実子よ」
「はあ!? 今さらなに言ってるの!」
という広瀬夫人の怒声を耳にした。
リビング手前の廊下でびくっと硬直した静は、夫人──由花子の更なる怒鳴り声をも聞いてしまう。
「──仕事!? アンタねえ、その言い訳何度目よ! 仕事と家族とどっちが大事なの!?」
恐る恐るリビングに首だけ差し込む静は、電話機相手に怒り狂う由花子の姿を目にする。
こめかみをひくひくいわせ、電話機を壊さんばかりに握り締める彼女の横顔は、素が美人なだけ余計に壮絶だった。
もしかして、これは夫婦喧嘩なのだろうか。
だとしたら、二人のプライバシーを立ち聞きするのは良くないことだ。
そう判断した静は、由花子に気づかれぬようそっと回れ右をし、その場から立ち去ろうと──、
「──静ちゃんに会わないつもりなの!?」
足が止まった。
胸の中の心臓が、どくんと弾む。
電話の相手は、由花子の夫君である康一氏ではありえなかった。なぜなら、氏とは毎日会っており、
つい今朝も休日出勤する彼を由花子とともに見送ったのだから。
「──アンタって昔からそう! 向こう見ずの馬鹿の癖にどうでもいいところでは変にヘタレでさ!
康一さんから聞いてるわよ、ジョースターさんに会ったときもグダグダ抜かして尻込みしてたって!」
動悸が早まる。
由花子はなにを言っている? ──『誰』と話している?
「ぐだぐだ言ってねーでさっさと来いよ、このトンマ! ──ちょっと!? 切るな! もしもし!?」
数拍の間の後、由花子は美貌に似合わぬ口汚い罵声とともに受話器を本体に叩きつける。
「ああ、もう!」と誰に向けるでもない苛立ちを溜め息ともに吐き──、
「…………っ!」
いつの間にか、背後に静が立っていたことを知る。
「し、静ちゃん──!」
「……今の、誰ですか」
胸の中で鳴り響くビートとは真逆に、その声は静自身が驚くほど静謐だった。
ただ、確信があった。
それが何かは知るべくもないが、なにかのひとつの歯車が噛み合おうとしているという──実感が。
「静ちゃん──『聞いていない』?」
なにを、とは問い返さなかった。
そう訊かれてなにか思い当たるくらいなら、もっと前の時点でそのことを思い起こしているはずで、
また由花子の質問もそれを見越した上のものだと分かったから。
だから、静は簡潔に答える。
「いいえ。なにも」
「そう──」
続く言葉を濁らせる由花子だったが、やがて言い繕うための思案を放棄し、ひとつ深呼吸して静に向き直る。
「静ちゃん……実はね、あなたには『お兄さん』がいるの」
静は『自分が何者か』を知るためにこの街に来た。
そして今、その答の欠片を成す一つのピースが──拍子抜けするくらいに呆気ない前兆を経て、静の前に差し出されていた。
「彼の名前は『東方仗助』──あなたの養父であるジョセフ・ジョースターさんの実子よ」