エグリゴリの最高責任者であるキース・ブラックの執務室に、『そいつ』はいた。
「サー・ブラック。残念なお知らせがあります。貴方の妹君であるサー・バイオレットが、重大な機密漏洩を行っていることが発覚しました。
その上、彼女はエグリゴリの監視網にあるESP能力者を次々と殺害しています」
「ほう……」
その報告を受けるキース・ブラックは、どこか面白そうに口の端を歪ませる。
「事情聴取に向かった監査官を手に掛け、おまけに周囲に居合わせた職員・警備兵八人を殺害して逃走中です。
おそらく、次の犠牲者を求めてESP能力者の元へ向かったのでしょう。至急、彼女を追跡するための──」
「いや、その必要はないだろう」
中途で遮るブラックの声に、『そいつ』は怪訝そうに眉を寄せる。
「は? それは、どういう……」
「妹はそこにいる」
と、組んでいた手を解いて『そいつ』の背後を指差す。
それを追って振り返った『そいつ』の顔が、一瞬で驚愕の相を呈する。
腰に手を当て、辺り威風を払って立つ少女──セミロングのブロンド、エメラルド色の瞳、純血アーリア人種の彫像のような美貌──、
キース・バイオレットその人だった。
「……貴様が一連のESP能力者殺害の『犯人』だったというわけか──『熱心党』の『シモンズ』──その『本体』」
バイオレットの苛烈な瞳は、『そいつ』──白衣の研究者に向けられていた。
彼女が最初の『シモンズ』である黒服と接触したときに側にいた、あのユダヤ系の研究者へ。
「ば、馬鹿な……いったい、いつの間に……!?」
「わたしのARMS『マーチ・ヘア』にとっては容易いことよ。
そんなことより、貴様のことのほうが驚きだわ。まさか、エグリゴリの研究者の中にテレパシストがいたとはね」
「う、うう……」
「『熱心党』……イエス・キリスト時代に実在した、ユダヤ民族の被支配的構造からの脱却を目指した今で言うレジスタンス組織。
貴様はそれになぞらえて名乗っていたいたわけだな? そして重要な社会的地位にあるESP能力者を『支配階級』と看做して殺害していた」
鬱屈した笑みを浮かべて事態を見守るブラックの前で、バイオレットは淡々と語っている。
「だが……貴様それはただの被害(ヴィクティム)妄想だ。貴様が殺して回っていたESP能力者たち……
彼らは、普通人を『ESPを持たない』という理由で見下すことなどなかった」
『シモンズ』──いや、今は単数であるがゆえに──シモンは、わなわなと肩を震わせてバイオレットを凝視している。
そんな彼に、ゆっくりとだが着実に一歩一歩近づいていくバイオレット。
「このわたしをテレパシー能力で操作して、ママ・マリアの殺害を目論んでいたのか? わたしのヒトに対する劣等感を利用して?」
「フ……ククク……」
シモンが急に笑みを顔に浮かべる。
それはさんざん見た『シモンズ』とそっくりで、まさにその『オリジナル』だと実感できる、どうしようもなく下卑たにやにや笑いだった。
「それがどうした……! そうさ! 私は憎い! 『能力』を使って栄華を極める者たちが!
この私はこうして『能力』があることを押し殺して生きていかなければならなかったのに!
それもこれも、貴女たちキースのお陰だ! エグリゴリの非人道的実験を目の当たりしては、隠すしかないだろう!?」
開き直ってそんなことを述べるシモンを、やはりブラックは冷淡な微笑を浮かべて眺めている。
バイオレットもまた、顔色一つ変えずに彼へと歩み寄っている。
「私を殺すか? やれるものならやってみるといい!
だが──私のテレパシーによる催眠暗示能力には誰も抗えない! 貴方たちには兄妹同士で殺しあってもらうことにしましょうか!」
そんなシモンの雄叫びをあっという間に無意味なものに変える、ブラックのぼそりとした声。
「無駄だ。この部屋にはESP拮抗装置が作用している」
「なに──」
「私は最初から──お前がこの部屋に入る前から、お前を疑っていたということだ。サイモン・ゴールドバーグ研究員よ」
シモンは見る、ブラックの瞳に込められた明らかな侮蔑の色を、虫けらを見下すような容赦のない視線を。
「このキース・ブラックが、旧人類ごときの言葉を信じて、我が妹に咎を着せるはずがあるまい。違うか?」
「こ、この……ヒトの皮を被った怪物どもが……!」
顔面蒼白となって呟くシモンの前に、バイオレットが立つ。
そっと白い手を差し伸べ、彼の額に二指をあてがう。
そして、静かな声で、その言葉を肯定した。
「そうね……貴様の言うとおり、わたしはヒトではないのかも知れない。
だが……どれだけ滑稽でもいい。ごっこ遊びでもいい。ヒトになりきれぬ哀れな怪物で構わない。それでも……」
バチィッ、と爆ぜる音を立て、シモンの頭部が揺れる。
周囲に散布されたナノマシンが、微細だが人間の意識を奪うには十分な量の電撃を放った音だった。
「──わたしはヒトになりたい」
力なく倒れる哀れでちっぽけな人間へ、そっと呟いた。
ふと視線を外し、ブラックを見る。
初めて『マーチ・ヘア』を発動させたとき──あの途方もない虚無の中でなお、共に立ってくれた兄。
『感情』をこの手につかんだ今なら分かる。
あの時、手を差し伸べてくれたブラックに、例えようもない感謝の念を抱いていたことを。
「わたしは一人じゃない」と教えてくれたことが、嬉しかった。
これまで、彼女はブラックと、そしてシルバーと力を合わせ、エグリゴリを支えてきた。
それはこれからも変わらないだろう、でも──。
「ブラック兄さん。あなたと初めて会ったときのことを覚えていますか」
「無論だ。忘れるはずがない。私はお前を愛している。シルバーも、グリーンも、そしてレッドやセピアも、すべて愛すべき私の兄弟だ」
「わたしも、あなたを愛しています」
でも──わたしはあなたと違う道を進みます。
それが『アリス』の、キース・ブラックの定めたプログラムの中のものでしかないとしても。
もしかしたら、いつかは、その枠を乗り越えた『道』に辿り着けると信じて。
「サー・ブラック。残念なお知らせがあります。貴方の妹君であるサー・バイオレットが、重大な機密漏洩を行っていることが発覚しました。
その上、彼女はエグリゴリの監視網にあるESP能力者を次々と殺害しています」
「ほう……」
その報告を受けるキース・ブラックは、どこか面白そうに口の端を歪ませる。
「事情聴取に向かった監査官を手に掛け、おまけに周囲に居合わせた職員・警備兵八人を殺害して逃走中です。
おそらく、次の犠牲者を求めてESP能力者の元へ向かったのでしょう。至急、彼女を追跡するための──」
「いや、その必要はないだろう」
中途で遮るブラックの声に、『そいつ』は怪訝そうに眉を寄せる。
「は? それは、どういう……」
「妹はそこにいる」
と、組んでいた手を解いて『そいつ』の背後を指差す。
それを追って振り返った『そいつ』の顔が、一瞬で驚愕の相を呈する。
腰に手を当て、辺り威風を払って立つ少女──セミロングのブロンド、エメラルド色の瞳、純血アーリア人種の彫像のような美貌──、
キース・バイオレットその人だった。
「……貴様が一連のESP能力者殺害の『犯人』だったというわけか──『熱心党』の『シモンズ』──その『本体』」
バイオレットの苛烈な瞳は、『そいつ』──白衣の研究者に向けられていた。
彼女が最初の『シモンズ』である黒服と接触したときに側にいた、あのユダヤ系の研究者へ。
「ば、馬鹿な……いったい、いつの間に……!?」
「わたしのARMS『マーチ・ヘア』にとっては容易いことよ。
そんなことより、貴様のことのほうが驚きだわ。まさか、エグリゴリの研究者の中にテレパシストがいたとはね」
「う、うう……」
「『熱心党』……イエス・キリスト時代に実在した、ユダヤ民族の被支配的構造からの脱却を目指した今で言うレジスタンス組織。
貴様はそれになぞらえて名乗っていたいたわけだな? そして重要な社会的地位にあるESP能力者を『支配階級』と看做して殺害していた」
鬱屈した笑みを浮かべて事態を見守るブラックの前で、バイオレットは淡々と語っている。
「だが……貴様それはただの被害(ヴィクティム)妄想だ。貴様が殺して回っていたESP能力者たち……
彼らは、普通人を『ESPを持たない』という理由で見下すことなどなかった」
『シモンズ』──いや、今は単数であるがゆえに──シモンは、わなわなと肩を震わせてバイオレットを凝視している。
そんな彼に、ゆっくりとだが着実に一歩一歩近づいていくバイオレット。
「このわたしをテレパシー能力で操作して、ママ・マリアの殺害を目論んでいたのか? わたしのヒトに対する劣等感を利用して?」
「フ……ククク……」
シモンが急に笑みを顔に浮かべる。
それはさんざん見た『シモンズ』とそっくりで、まさにその『オリジナル』だと実感できる、どうしようもなく下卑たにやにや笑いだった。
「それがどうした……! そうさ! 私は憎い! 『能力』を使って栄華を極める者たちが!
この私はこうして『能力』があることを押し殺して生きていかなければならなかったのに!
それもこれも、貴女たちキースのお陰だ! エグリゴリの非人道的実験を目の当たりしては、隠すしかないだろう!?」
開き直ってそんなことを述べるシモンを、やはりブラックは冷淡な微笑を浮かべて眺めている。
バイオレットもまた、顔色一つ変えずに彼へと歩み寄っている。
「私を殺すか? やれるものならやってみるといい!
だが──私のテレパシーによる催眠暗示能力には誰も抗えない! 貴方たちには兄妹同士で殺しあってもらうことにしましょうか!」
そんなシモンの雄叫びをあっという間に無意味なものに変える、ブラックのぼそりとした声。
「無駄だ。この部屋にはESP拮抗装置が作用している」
「なに──」
「私は最初から──お前がこの部屋に入る前から、お前を疑っていたということだ。サイモン・ゴールドバーグ研究員よ」
シモンは見る、ブラックの瞳に込められた明らかな侮蔑の色を、虫けらを見下すような容赦のない視線を。
「このキース・ブラックが、旧人類ごときの言葉を信じて、我が妹に咎を着せるはずがあるまい。違うか?」
「こ、この……ヒトの皮を被った怪物どもが……!」
顔面蒼白となって呟くシモンの前に、バイオレットが立つ。
そっと白い手を差し伸べ、彼の額に二指をあてがう。
そして、静かな声で、その言葉を肯定した。
「そうね……貴様の言うとおり、わたしはヒトではないのかも知れない。
だが……どれだけ滑稽でもいい。ごっこ遊びでもいい。ヒトになりきれぬ哀れな怪物で構わない。それでも……」
バチィッ、と爆ぜる音を立て、シモンの頭部が揺れる。
周囲に散布されたナノマシンが、微細だが人間の意識を奪うには十分な量の電撃を放った音だった。
「──わたしはヒトになりたい」
力なく倒れる哀れでちっぽけな人間へ、そっと呟いた。
ふと視線を外し、ブラックを見る。
初めて『マーチ・ヘア』を発動させたとき──あの途方もない虚無の中でなお、共に立ってくれた兄。
『感情』をこの手につかんだ今なら分かる。
あの時、手を差し伸べてくれたブラックに、例えようもない感謝の念を抱いていたことを。
「わたしは一人じゃない」と教えてくれたことが、嬉しかった。
これまで、彼女はブラックと、そしてシルバーと力を合わせ、エグリゴリを支えてきた。
それはこれからも変わらないだろう、でも──。
「ブラック兄さん。あなたと初めて会ったときのことを覚えていますか」
「無論だ。忘れるはずがない。私はお前を愛している。シルバーも、グリーンも、そしてレッドやセピアも、すべて愛すべき私の兄弟だ」
「わたしも、あなたを愛しています」
でも──わたしはあなたと違う道を進みます。
それが『アリス』の、キース・ブラックの定めたプログラムの中のものでしかないとしても。
もしかしたら、いつかは、その枠を乗り越えた『道』に辿り着けると信じて。
「あなたに言いつけられた任務は完了したわ、シルバー兄さん」
「……そうか」
街の雑踏の中の小さなオープンカフェで差し向かいに座る兄妹──バイオレットとシルバー。
アメリカ式ではない、まるで冗談かなんかのように濃いエスプレッソコーヒーを、シルバーは水でも飲むように口に運ぶ。
「それで? 『例の任務』を受ける覚悟は出来たのか?」
一方のバイオレットは、爽やかな香りを漂わせるハーブティーを、匂いそのものを食べるようにゆっくりと嗅いでいる。
「ええ。『エクスペリメンテーション・グリフォン』……その計画を第二段階へと移行させるトリガーは、このわたしの手で引きます」
「……フン。どうやら、前の腑抜けた状態からは回復したようだな」
つまらなさそうに鼻をならしてカップを置くシルバーへ、バイオレットはちょっと面白そうな口調で訊ねてみる。
「心配だったかしら?」
そこではじめて、シルバーはコーヒーのとんでもない苦さを感じたかのように顔をしかめる。
「馬鹿を言うな。オレがお前の心配をする必要がどこにある」
「あら、心配をしない必要もないんじゃなくて?」
「……そんな減らず口が叩けるのなら問題はないな」
そこで会話は途切れた。
だが、それも仕方ないだろう。意味のない茶飲み話に花を咲かせるような性格の持ち主ではない、お互いに。
これがレッドやセピア、グリーンなどだったら、歳相応の他愛ない話でもするのかも知れない、とバイオレットは少しだけ想像する。
「──は、──だ?」
いきなりのシルバーの発言を受け取り損ね、
「今、なんて?」
そう問い返すと、シルバーはますます苦いものでも飲んだように顔を歪ませた。
「茶の味はどうだ、と訊いている」
不覚にも、唖然とした。
こともあろうに、いや、人もあろうにキース・シルバーが茶飲み話そのものの話題を口にするとは──。
ここは笑うべきところなのだろうか?
笑いはこみ上げてはこなかったが、そうしたほうが良いと思って顔の筋肉を操作して微笑を浮かべる。
「良くわからないわ。少なくとも、美味いとは感じないわね。ハーブのレシピが悪いのかもしれないわ」
「そうか」
ぎこちない会話、ぎこちない微笑み。まるでマッド・ティー・パーティーごっこ。
だが、いつかは心からこうして、兄弟とお茶に興じることのできる日が来るのかも知れない。
それも、ママ・マリアから与えられたささやかな『希望』だった。
その思いとともにハーブティーを飲み干し、席を立つ。
再び、彼女に会いに行くために。彼女に話したいこと、聞いて欲しいことはまだまだあった。
「じゃあ、失礼するわ、シルバー兄さん」
そこでシルバーが物言いたげにバイオレットを見るが、結局なにも言わないので、彼女はそのまま街の雑踏へと姿を消した。
その後姿を見送りながら──誰にも聞こえぬシルバーの呟き。
「……自分の勘定を払わずに行くのか、バイオレットよ」
「……そうか」
街の雑踏の中の小さなオープンカフェで差し向かいに座る兄妹──バイオレットとシルバー。
アメリカ式ではない、まるで冗談かなんかのように濃いエスプレッソコーヒーを、シルバーは水でも飲むように口に運ぶ。
「それで? 『例の任務』を受ける覚悟は出来たのか?」
一方のバイオレットは、爽やかな香りを漂わせるハーブティーを、匂いそのものを食べるようにゆっくりと嗅いでいる。
「ええ。『エクスペリメンテーション・グリフォン』……その計画を第二段階へと移行させるトリガーは、このわたしの手で引きます」
「……フン。どうやら、前の腑抜けた状態からは回復したようだな」
つまらなさそうに鼻をならしてカップを置くシルバーへ、バイオレットはちょっと面白そうな口調で訊ねてみる。
「心配だったかしら?」
そこではじめて、シルバーはコーヒーのとんでもない苦さを感じたかのように顔をしかめる。
「馬鹿を言うな。オレがお前の心配をする必要がどこにある」
「あら、心配をしない必要もないんじゃなくて?」
「……そんな減らず口が叩けるのなら問題はないな」
そこで会話は途切れた。
だが、それも仕方ないだろう。意味のない茶飲み話に花を咲かせるような性格の持ち主ではない、お互いに。
これがレッドやセピア、グリーンなどだったら、歳相応の他愛ない話でもするのかも知れない、とバイオレットは少しだけ想像する。
「──は、──だ?」
いきなりのシルバーの発言を受け取り損ね、
「今、なんて?」
そう問い返すと、シルバーはますます苦いものでも飲んだように顔を歪ませた。
「茶の味はどうだ、と訊いている」
不覚にも、唖然とした。
こともあろうに、いや、人もあろうにキース・シルバーが茶飲み話そのものの話題を口にするとは──。
ここは笑うべきところなのだろうか?
笑いはこみ上げてはこなかったが、そうしたほうが良いと思って顔の筋肉を操作して微笑を浮かべる。
「良くわからないわ。少なくとも、美味いとは感じないわね。ハーブのレシピが悪いのかもしれないわ」
「そうか」
ぎこちない会話、ぎこちない微笑み。まるでマッド・ティー・パーティーごっこ。
だが、いつかは心からこうして、兄弟とお茶に興じることのできる日が来るのかも知れない。
それも、ママ・マリアから与えられたささやかな『希望』だった。
その思いとともにハーブティーを飲み干し、席を立つ。
再び、彼女に会いに行くために。彼女に話したいこと、聞いて欲しいことはまだまだあった。
「じゃあ、失礼するわ、シルバー兄さん」
そこでシルバーが物言いたげにバイオレットを見るが、結局なにも言わないので、彼女はそのまま街の雑踏へと姿を消した。
その後姿を見送りながら──誰にも聞こえぬシルバーの呟き。
「……自分の勘定を払わずに行くのか、バイオレットよ」
番外話 『紫』 了