SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ Der Freischuts~狩人達の宴~51-1


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足音が聞こえる。それは彼女にとって馴染みの深いものだった。
 はるか深淵より響いてくる音。ゆっくりと、だが確実に近づいてくる。
 それはとても恐ろしいものだった。
 そいつに追いつかれてしまえば、どうなるか、本能的に知っていた。

 逃げなければ。逃げて、生きなければならない。
 死ぬのは恐ろしい。死ぬのはいやだ。死ぬのだけはごめんだ。

 彼女は立ち上がろうとしたが、できなかった。
 まったく力が入らない。まるで他人の身体のようだ。
 瞳だけは動かすことができた。
 だが、瞳にうつるのは、どこまでも広がる闇だけだった。
 吸血鬼である自分なら、真夜中でも、まるで昼間のように見えるというのに。
 いくら目を凝らしても、目の前の景色は変わらなかった。
 自分自身が闇になったかのようだ。

 そして、彼女は足音のする方角を見てしまった。
 そこには、まわりの景色よりもなお濃い闇があった。
 闇が隆起し、闇が形を成し、闇が名を得た。
 その闇に横一文字に亀裂が走り、端がきゅっと吊り上った。

 嗤っていた。
 嘲笑っていた。
 彼女のすべてを否定するかのように、ただただ声を張り上げ哄笑していた。

 彼女は動けなかった。恐怖が彼女の心臓を握り締めていた。
 歯がかたかたと音を鳴らし始める。いやな汗が全身から吹き出る。
 目を逸らそうとしても、できない。

 そして魔王(ザミエル)が、彼女の腕を掴んで――


 悪夢はそこで終わった。彼女――リップヴァーンは、死の世界から帰還した。
 まず視界に飛び込んできたのは、白い天井だった。見知らぬ天井ではない。見覚えがある。すぐには思い出せなかった。
まるで靄がかかっているように、意識がはっきりしない。
 すぐ横に視線を走らせた。そこには、点滴が吊るされていた。真っ赤な液体で満たされている。吸血鬼用に濃度を調整された血液だった。
 赤い液体は一定のリズムで垂れ落ち、チューブからリップヴァーンの体内に流れ込んでくる。
 周囲を見回す。白い壁に白い床、何もかもが白い部屋だった。
 徐々に記憶がよみがえって来る。ここは最後の大隊の拠点、南米ジャブローの緊急治療棟の一室だ。そう、自分はニューヨークでの
任務の際、敵との戦闘で深い傷を負った。そして戦闘後、吸血鬼心棒者の手引きによって、無事南米に帰還した。そこまでは憶えている。
 しかし、いつここに搬入されたか、その記憶がない。

 ニューヨークを脱出してからすぐ、自分は深い眠りについてしまった。その眠りは、急激に血液が失われた際に起こる、吸血鬼独特の
習性だった。おそらくその眠りについている間に、治療を受けたのだろう。

「あ、気がついたみたいだね、中尉」

 ひどく幼い声がした。すぐ横に視線を移すと、ヒトラーユーゲントの制服が目に入った。
 背の丈がリップヴァーンの半分にも満たない、頭の上に生える猫の耳が印象的な子どもだった。時折ピコピコと動くのを見るに、作り物
ではないのだろう。無邪気な笑顔のままリップヴァーンの顔を覗き込んでいる。
「シュレディンガー准尉……」
「いやー、中尉が無事でよかったよかった。もしこのまま目が醒めなかったら、大変なことになっていたから」
 椅子から降り、ピンと指を立てる。 
「中尉が死んじゃったら、バトル・オブ・ブリテンも延期になっちゃうからね」

 バトル・オブ・ブリテン。最後の大隊の悲願であり、現状での最優先事項。半世紀の時を越え、今またゼーレヴェの群れが英国を蹂躙す
る。もっとも今回動員される兵士は人間ではなく、吸血鬼であったが。吸血鬼と化した怨念の徒が、倫敦を魔都に変え、英国を失墜させるの
だ。彼女はその作戦の重要なファクターだった。英軍の目を引き付け、倫敦へ攻め入る本隊から目を逸らさせるという重要な任務。最後の大
隊の中で、その役を任せられるのは、リップヴァーン以外にいなかった。彼女が落命していれば、英国侵攻の計画も、再検討せざるを得な
かっただろう。


「中尉には、最後の大隊全員が期待しているんだから。このところみんな、怖い顔ばっかりしてる。もう我慢しきれないみたい。はやく
トミィを八つ裂きにしてやりたい、口から出るのはそればっかり。まあ、しょうがないか。半世紀もまったんですからね。そーとー鬱憤が
たまってるはず。それを晴らすのは、中尉以外にいませんよ」
 だから、とリップヴァーンの手を取る。
「はやくよくなってくださいね、中尉。みんなみんな、あなたの帰りを待っているんだ」

「その通りだ、准尉。私も中尉の帰還をとてもとても心待ちにしている」

「しょ、少佐殿!」

 シュレディンガーの背後から、小さな影が現れた。ひどい肥満体だった。頬のたるみ、顎のたるみ。腹部はだらしない稜線を描いている。
そのうえ背丈が低い小男だった。にやにやと笑う顔など、不快感さえこみ上げて来る。醜男といってよかった。
 しかし不思議な活力に満ちている男だった。決して目を逸らすことのできない魅力が、全身から発せられていた。
 彼は第三帝国の救世主だった。頭を潰され、烏合の衆と成り下がった武装親衛隊が今日まで存続していられるのは、すべて彼の手腕によ
る。オデッサ機関、ブラザーフッドに働きかけ、連合軍に狩り立てられる同胞を助け、彼らを纏め上げ、この南米に一大拠点を築きあげたの
はすべて彼一人の偉業だ。そのカリスマから、総統代行と呼ばれることも少なくない。
 リップヴァーンもまた、そのカリスマの虜だった。疲労が嘘のように消え失せている。少佐の瞳が彼女を射抜いているからだ。彼の瞳に
魅入られるだけで、戦意が高揚してくる。
「中尉、君が欲しがっているものをあげよう。君の価値を最も輝かせるものだ。そう、戦争、戦争だ。屍を積み上げ、業火で街角を焼き尽く
し、逃げ惑うトミィを串刺しにするんだ。そして思い知らせてやろう。この半世紀は、ただの小休止に過ぎなかったのだと。連中はとりわけ
自分達に都合の悪いことは忘れやすい。だから我々が教育してやらねばならない。生ける者も死せる者も飲み込む魔女の釜の中に、自分達は
引きずり戻されるのだと。世界がまた狂乱に沸く時代がやってくるぞ。君が、その口火を切るのだ。機は熟した。
――英国に飛びたまえ、中尉。そこが君の、新たな戦場だ」

 頭痛は、いつの間にか消えていた。徐々に、体に活力が戻ってきている。
 震えはもうない。また自分は戦える。死を殺すことができるのだ。

「Ja――Javohl(はい). 〝魔弾の射手〟リップヴァーン・ウィンクル、英国へ進撃を開始します」

 リップヴァーンは――ナイフで切り裂いたような、頬の両端にまで広がる禍々しい笑みを浮かべながら、いった。


濃密な闇が敷き詰められている空……その中で一際強く輝く、光。
 夜天から地上を睥睨するその光の正体は、心の姿形を真似た月だった。
存在しないはずの夜でそれは、白く巨大な城を照らしあげる。奇妙にねじくれたその城は、城壁の一部が時折消滅しては、また現われると
いう現象を繰り返し、この存在しない世界の中心にそびえ立っていた。
 その不可思議な現象は、城主たるノーバディのように、存在の希薄さを示しているのかもしれなかった。だがその城は確かに存在し、そこ
に静かにたたずんでいるのである。

 白き城の一角、その月を最もよく眺める場所に、彼はいた。シグバールを救出し、ここまで運び込んだ者――サイクス。彼もまたシグバー
ルと同じく、上級ノーバディだった。彼は機関でも重要な位置におり、リーダーであるゼムナスを補佐し、機関の活動を円滑にする役割を担
っていた。彼は機関の実質的なナンバー2だった。
 今回のこともシグバールの欠員をよしとしなかったゼムナスに従い、彼の意向に添っただけ……サイクスにとってはそれ以上でもそれ以下
でもない。

「…………」

 今のサイクスの顔に、感情は一切窺えない。感情を模倣する十三機関の中において、彼はそれをしなかった。過去を顧みず、ただ今の自分
という存在を示している。
 すなわち、心を失ってしまった人間の末路を周囲に知らしめていた。彼は偽りの表情を作るのではなく、冷徹な光をたたえ、唇は巌のよう
に固く閉ざし、あらゆるものを拒絶していた――それが心がないということだ。サイクスは己の空虚さを隠そうとはしなかった。
 そのサイクスでも、こうして輝く月を見るとき、全身があわ立つのを覚える。哀れなノーバディを照らす月。同時にそれは、ノーバディす
べての希望の結晶だった。あの月を見るたび、かつて諦めたはずの、そして自分達が掴み取るべき未来が目に浮かぶ。
 ――再び、心を取り戻すことができる。

「お、やっぱここにいたか」
「……シグバールか」

 声のした方へ視線をやると、黒いコートに身を包んだ男が立っていた。
 ひらひらと手を振りながらサイクスに近づいてくる。失ったはずの右腕は、まるで冗談のように、そこにあった。
「無事再生は完了したようだな」
「おうよ。ルクソードさまさま、ってハナシだ」


機関に所属する十三人の上級ノーバディは、それぞれ固有の能力を持つ。火や水といった自然的なものから、空間、さらには時さえも支配
することができた。その稀少である時を操る能力が、シグバールの腕を再生した。トランプを弄ぶ伊達男――ルクソードは、シグバールの時
を、まだ右腕が存在した時にまで戻した。――これがマジックの種である。
 かくして傷の癒えたシグバール。本来なら任務に出ているはずだが、おそらくザルディンあたりに押し付けてきたのだろう。サボタージュ
――シグバールの悪癖。困ったものだとサイクスは思った。
 シグバールはサイクスの隣に立った。この男には珍しく、無粋なお喋りをする気配がない。ただ月を見上げていた。意外とセンチメンタル
な面があるのかもしれない、とサイクスは認識を改めた。
 しばし沈黙が続く。
「……少し、いいか」
 沈黙を破ったのは、サイクスだった。
 珍しい、あの口無しがお喋りとは。からかってやろうとしたが、やめた。奴から話しをふられるのも、一年に一度あるかないかだ。その貴
重な機会を握りつぶすのも気がひけた。だからシグバールは首肯して続きを促した。
 と同時に、さっと暗雲が月にかかった。近くに外灯はなかった。二人の周囲で闇が踊った。
「時々、思うことがある」
 月が翳ったいま、サイクスの横顔は窺えない。闇が彼の顔を覆い隠している。
「心を手に入れてまず、俺は、何をするのだろうかと」
 機関の中で誰よりも心を渇望しているのが、サイクスだ。その焦燥は己のみならず、あらゆるものを飲み込み焼き尽くさんほどだ。だが、
その先は? キングダムハーツが完成間近となり、心が取り戻すことが実感できるようになって初めて、サイクスはそう考えるようになっ
た。
「さあなあ、俺はお前じゃないからわかんねぇけどな」
「そう、俺以外、誰にも俺の心の内は分かるまい。だから、以前、心を持っていた時の記憶をもとに、考えてみた」
 サイクスの声音は、どこまでも虚ろなものだった。

「心を手に入れたとき、俺はお前たちを怨むのだろうか。人の心を研究し始め、ハートレスやノーバディを生み出したお前たちを。俺の心を
奪ったお前たちを。殺してやる、とさえ思うのかもしれない。……そんなことばかり、最近考える」

 過去は常に深淵より覗いている。罪は消えはしない。どこまでも付き纏い、いつか自分を破滅させる。シグバールは無言だった。彼の意識
は遥か昔、まだ人間だった頃に飛んでいた。心という、いまで手付かずの領域。その神秘の聖域を、自分達が解明する。若き研究者達は、そ
れに意欲を燃やしていた。その行為が破滅に繋がることを知りもせずに――
 これは、罰なのだ。心というものを軽んじて、他人の運命を弄んでしまった自分達への。


 だから彼の怒りや悲しみは、自分達が背負わなければならない。ただその前に、せめてもの償いをしよう。キングダムハーツ。心無き者た
ちに、心を与える。それが贖罪になるかどうかは、シグバールにはわからなかった。

「……好きにしろよ」
「何?」
「心が戻ったときに、どうしたいかなんて、それぞれ自由にすればいいじゃねえか。心が決めたことは、誰にも止められないんだしな。ま、
お前が俺達を怨むってんなら、その時はその時だ。殺したきゃ殺せ。ま、おとなしくやられる気はないけどな。
それよりもまずは、アレだアレ」
 シグバールの親指が、頭上の月を指し示していた。
「キングダムハーツを無事完成させてから、考えればいいさ。取らぬナントカの皮算用にならないように、ってハナシだ」
「……そうだな」

 そして一言二言交わした後、二人は別れた。サイクスはゼムナスに計画の進行状況を伝えに、シグバールは任務へと戻った。
 月は変わらずそこで輝いていた。おそらくこれからも輝き続けるのだろう。
 罪科の炎が彼らの身を焼く、そのときまで。 


Der Freischuts end







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