これから大和が使おうとしている最後の切り札、奥義『無空波』は、拳を相手に当てた後、
実際に相手の肉体が打撃を受けるまでに時間のずれがある。それはごく僅かなので
本来なら気にするほどではないのだが、今の勇の拳では……無理だ。無空波が先に
決まったとしても、次の瞬間には大和の頭を勇の拳が砕いているだろう。
が、大和は止まらない。勇を倒すには、もう無空波しかないのだ。ならばやるしかない。
正成や尊氏の思い、大和の怒り、そして何より大和の体を流れる修羅の血が、
大和自身の生存本能をも凌駕し突き動かして、
「くらえっっ!」
腰を落とした大和の拳が、勇の腹部に触れた。瞬間、その拳から力が完全に消失する。
そこへ一気に、超人的に高めた全身の力を叩き込むことで拳を振動させ、
相手の体内に破壊の波を起こす。それが無空波である。
勇の拳が迫る。その風圧が大和の髪を揺らす。一瞬後、大和の頭蓋が粉砕されるかも
しれないがそれには構わず、大和は脱力させた拳に向かって全身の力を集中……
「え!?」
大和は目を見張った。極限まで研ぎ澄まさせれた大和の拳の感覚が、異様なものを
感じ取ったのだ。
同時に勇も、大和の拳の『気』と『力』から無空波の性質を感じ取って……その貌に、
恐怖の色を浮かべた。
「っっ!」
大和も勇も、互いの必殺の拳・最強の技を寸前で止めた。そして弾けたように
後方に跳び、大きく距離をとって離れる。
大和は、勇に触れていた拳をまじまじと見つめて、それからその視線を勇に向けて、
「お、お前……もしかして……」
勇は、大和が拳で触れていた辺り、腹部に手を当てて俯き、怯えたような顔をしている。
「……ぅくっ……無念……こ、このわたしが、このわたしが、『半魔』とまで呼ばれたこの、
勇がっっ! 敵に情けをかけられるなどっっっっ!」
顔を上げた勇。その頬に、確かに涙が流れていた。
大和の拳が感じたもの。それは、勇本人のものとは違う、もう一つの息吹。命の存在。
それはすなわち……
「無念、無念、無念、無念! これが……これが女の身の限界……か……っ!
わたしは絶対に負けない、けど、仮にもしも万が一、負けて死ぬようなことがあっても
そんなのは構わない! 戦いの中で死ぬことなど怖くはない……のに、『これ』が……
『これ』がわたしと共に死ぬことだけは耐えられない……どうして、なぜ、こんな!?」
とめどなく涙を流しながら、勇は自分の腹部を押さえ、そこを忌々しげに睨んでいる。
勇が見抜いた通り、大和はまだ色を知らない。が知ったとしても、こればかりは永遠に
大和には理解できない感情であろう。
そう、理解はできない。それでも知識としては備えている。だから大和は、勇に向かって
動くことも声をかけることもできないでいた。
すると勇が、
「邪アアアアアアアアァァァァッッ!」
突然、振り上げた拳を床に叩きつけた。寺全体が大きく揺れ、既に焼け焦げていた柱や
梁がその振動を受けてあちこちで折れ、次々と落ちてきた。
「な、何を……うわっ!」
頭上に落ちてきた炎の塊、太い梁を大和は身を引いてかわした。続けざまに天井が
崩れ壊れて炎の塊となって落ちてきて、あっという間に目の前に積み重なる。
向こう側にいる勇の姿が、見えなくなった。
「陸奥! 今日は、この場は退きましょう! ですが何十年何百年ののち、わたしは再び
貴方の前に現れます! 次は、このような煩わしさのない体で……のちの世に、
次に生まれてきたわたしは、必ず! 必ずや貴方を、陸奥を…………殺すッッ!」
炎の向こうで叫ぶ勇の声、その気配が、だんだん遠くなっていく。
追いかけたいのだが、炎の森と化した寺の崩壊はどんどん進んでいく。一刻も早く
脱出しないと危険だ。
「次、だって……? そうはいくかっ! お前が次に生まれてきた時、それがどんな野郎
でもぶっ倒してやる! 何十年、何百年のちの世になろうとも、絶対にだっっ!」
炎の向こうへと叫び返した大和の声は、はたして勇に届いたかどうか。
ともあれ、もうこの寺は限界だ。大和は脱出……しようとして、思い出して足を止めた。
最後の最後に、やらねばならぬことがある。大和は腰の後ろに差した刀を抜き、振り上げた。
実際に相手の肉体が打撃を受けるまでに時間のずれがある。それはごく僅かなので
本来なら気にするほどではないのだが、今の勇の拳では……無理だ。無空波が先に
決まったとしても、次の瞬間には大和の頭を勇の拳が砕いているだろう。
が、大和は止まらない。勇を倒すには、もう無空波しかないのだ。ならばやるしかない。
正成や尊氏の思い、大和の怒り、そして何より大和の体を流れる修羅の血が、
大和自身の生存本能をも凌駕し突き動かして、
「くらえっっ!」
腰を落とした大和の拳が、勇の腹部に触れた。瞬間、その拳から力が完全に消失する。
そこへ一気に、超人的に高めた全身の力を叩き込むことで拳を振動させ、
相手の体内に破壊の波を起こす。それが無空波である。
勇の拳が迫る。その風圧が大和の髪を揺らす。一瞬後、大和の頭蓋が粉砕されるかも
しれないがそれには構わず、大和は脱力させた拳に向かって全身の力を集中……
「え!?」
大和は目を見張った。極限まで研ぎ澄まさせれた大和の拳の感覚が、異様なものを
感じ取ったのだ。
同時に勇も、大和の拳の『気』と『力』から無空波の性質を感じ取って……その貌に、
恐怖の色を浮かべた。
「っっ!」
大和も勇も、互いの必殺の拳・最強の技を寸前で止めた。そして弾けたように
後方に跳び、大きく距離をとって離れる。
大和は、勇に触れていた拳をまじまじと見つめて、それからその視線を勇に向けて、
「お、お前……もしかして……」
勇は、大和が拳で触れていた辺り、腹部に手を当てて俯き、怯えたような顔をしている。
「……ぅくっ……無念……こ、このわたしが、このわたしが、『半魔』とまで呼ばれたこの、
勇がっっ! 敵に情けをかけられるなどっっっっ!」
顔を上げた勇。その頬に、確かに涙が流れていた。
大和の拳が感じたもの。それは、勇本人のものとは違う、もう一つの息吹。命の存在。
それはすなわち……
「無念、無念、無念、無念! これが……これが女の身の限界……か……っ!
わたしは絶対に負けない、けど、仮にもしも万が一、負けて死ぬようなことがあっても
そんなのは構わない! 戦いの中で死ぬことなど怖くはない……のに、『これ』が……
『これ』がわたしと共に死ぬことだけは耐えられない……どうして、なぜ、こんな!?」
とめどなく涙を流しながら、勇は自分の腹部を押さえ、そこを忌々しげに睨んでいる。
勇が見抜いた通り、大和はまだ色を知らない。が知ったとしても、こればかりは永遠に
大和には理解できない感情であろう。
そう、理解はできない。それでも知識としては備えている。だから大和は、勇に向かって
動くことも声をかけることもできないでいた。
すると勇が、
「邪アアアアアアアアァァァァッッ!」
突然、振り上げた拳を床に叩きつけた。寺全体が大きく揺れ、既に焼け焦げていた柱や
梁がその振動を受けてあちこちで折れ、次々と落ちてきた。
「な、何を……うわっ!」
頭上に落ちてきた炎の塊、太い梁を大和は身を引いてかわした。続けざまに天井が
崩れ壊れて炎の塊となって落ちてきて、あっという間に目の前に積み重なる。
向こう側にいる勇の姿が、見えなくなった。
「陸奥! 今日は、この場は退きましょう! ですが何十年何百年ののち、わたしは再び
貴方の前に現れます! 次は、このような煩わしさのない体で……のちの世に、
次に生まれてきたわたしは、必ず! 必ずや貴方を、陸奥を…………殺すッッ!」
炎の向こうで叫ぶ勇の声、その気配が、だんだん遠くなっていく。
追いかけたいのだが、炎の森と化した寺の崩壊はどんどん進んでいく。一刻も早く
脱出しないと危険だ。
「次、だって……? そうはいくかっ! お前が次に生まれてきた時、それがどんな野郎
でもぶっ倒してやる! 何十年、何百年のちの世になろうとも、絶対にだっっ!」
炎の向こうへと叫び返した大和の声は、はたして勇に届いたかどうか。
ともあれ、もうこの寺は限界だ。大和は脱出……しようとして、思い出して足を止めた。
最後の最後に、やらねばならぬことがある。大和は腰の後ろに差した刀を抜き、振り上げた。
新政府の暦で建武三年。西暦にして一三三六年。
『湊川の合戦』において楠木正成は没した。側近の少年によって届けられた
正成の首を、足利尊氏は丁重に正成の故郷へ送り届けたという。
その少年と、正成の首に尊氏は誓った。戦のない、平和な世を築くことを。
だがその誓いは、易々とは達成できなかった。新政府=後醍醐天皇派の頑強な抵抗により
(尊氏が天皇に遠慮して全力で攻め立てなかったせいもあり)、天皇二人・朝廷二つという
日本国史上空前絶後、前代未聞の異常事態が起こってしまったのである。
後の世に言う『南北朝時代』の始まりだが、そこに師直・直義らとの内紛まで重なって、
初期の足利幕府(室町幕府)はとてもとても天下統一などと言えたものではなかった。また、
そのドロドロの戦乱の裏で、争いの火種を撒き散らす女がいたとかいなかったとか。
『湊川の合戦』において楠木正成は没した。側近の少年によって届けられた
正成の首を、足利尊氏は丁重に正成の故郷へ送り届けたという。
その少年と、正成の首に尊氏は誓った。戦のない、平和な世を築くことを。
だがその誓いは、易々とは達成できなかった。新政府=後醍醐天皇派の頑強な抵抗により
(尊氏が天皇に遠慮して全力で攻め立てなかったせいもあり)、天皇二人・朝廷二つという
日本国史上空前絶後、前代未聞の異常事態が起こってしまったのである。
後の世に言う『南北朝時代』の始まりだが、そこに師直・直義らとの内紛まで重なって、
初期の足利幕府(室町幕府)はとてもとても天下統一などと言えたものではなかった。また、
そのドロドロの戦乱の裏で、争いの火種を撒き散らす女がいたとかいなかったとか。
結局、平和な時代の到来は尊氏の死後まで待たねばならなかった。が、それがどれほど
平和であったかは……尊氏の孫・室町幕府三代将軍足利義満が、名もなき小坊主に
とんち勝負を挑み、はしを歩かず真ん中を歩かれたりして何度も凹まされた、という
有名な言い伝えからも窺い知れよう。尊氏や正成が命を懸けて求めていた光景が、
そこには確かにあった。
平和であったかは……尊氏の孫・室町幕府三代将軍足利義満が、名もなき小坊主に
とんち勝負を挑み、はしを歩かず真ん中を歩かれたりして何度も凹まされた、という
有名な言い伝えからも窺い知れよう。尊氏や正成が命を懸けて求めていた光景が、
そこには確かにあった。
更にそれから、何百年もの刻が流れて。
勇は、己が子孫の血筋を辿って、再びこの世に生まれ出でた。あの頃よりも更に強大な
力と、凶悪な意思を宿して。望み通り、今度は煩わしさのない雄(オス)の肉体をもって。
陸奥一族の末裔が、自らの手で圓明流の歴史を閉じようと動き出した時代に、
まるでそれを逃がすまいとするかのように、『半魔の勇』は現世に再来したのだ。
勇は、己が子孫の血筋を辿って、再びこの世に生まれ出でた。あの頃よりも更に強大な
力と、凶悪な意思を宿して。望み通り、今度は煩わしさのない雄(オス)の肉体をもって。
陸奥一族の末裔が、自らの手で圓明流の歴史を閉じようと動き出した時代に、
まるでそれを逃がすまいとするかのように、『半魔の勇』は現世に再来したのだ。
あの時。勇が陸奥を呪い、大和が打倒を叫んだ、『勇の次の野郎』。その名は…………