第三話「ぼくが、ぜったい、まもってあげる」
―――それは昔の話。
意地悪な男子にいじめられて、女の子は泣いていた。
大した理由でもない。
女のくせに生意気だ、とか、それこそ言いがかりみたいなものだった。
「やめろ!」
いじめっ子に、殴りかかる男の子がいた。女の子の隣の家に住む子供だった。
「みやちゃんをいじめるなー!」
どれだけ殴り返されても男の子はいじめっ子に食ってかかって、とうとう最後には逆にいじめっ子を大泣きさせて
退散させた。
そして、まだ泣き続けている女の子に、笑いかけた。
「泣かないで、みやちゃん」
「う…ぐすっ…」
「みやちゃんをいじめる奴は、ぼくがやっつけてあげるから」
「てるくん…」
「みやちゃんは、ぼくが、ぜったい、守ってあげる」
「―――うん!」
意地悪な男子にいじめられて、女の子は泣いていた。
大した理由でもない。
女のくせに生意気だ、とか、それこそ言いがかりみたいなものだった。
「やめろ!」
いじめっ子に、殴りかかる男の子がいた。女の子の隣の家に住む子供だった。
「みやちゃんをいじめるなー!」
どれだけ殴り返されても男の子はいじめっ子に食ってかかって、とうとう最後には逆にいじめっ子を大泣きさせて
退散させた。
そして、まだ泣き続けている女の子に、笑いかけた。
「泣かないで、みやちゃん」
「う…ぐすっ…」
「みやちゃんをいじめる奴は、ぼくがやっつけてあげるから」
「てるくん…」
「みやちゃんは、ぼくが、ぜったい、守ってあげる」
「―――うん!」
―――それは、子供時代の思い出。
(輝明は、きっともう…あの頃の事なんて、全部忘れちゃってるんだろうな…)
それでも、都子にとっては大事な記憶だった。
大切な―――輝明との思い出だった。
(輝明は、きっともう…あの頃の事なんて、全部忘れちゃってるんだろうな…)
それでも、都子にとっては大事な記憶だった。
大切な―――輝明との思い出だった。
―――夜の帳(とばり)が落ちた街外れ。
数年前に廃校となり、取り壊しもされずに打ち捨てられたとある学園。
ボロボロに朽ちた校舎の前で杏子は鯛焼きを頬張りながら、うんざりして言う。
目の前にいるのはキュゥべえ―――そして、都子。
「キュゥべえ。あたしは言ったろ?後輩育成はガラじゃねえって」
「まあ、今回だけ頼むよ。都子にはもう少し、現場を体験してもらいたいんだ」
ちっ、と舌打ちして、目線を都子に移す。
「都子…あんたにも、何度も忠告したろ。魔法少女になんかなるなって」
「分かってる。これで…最後にする」
都子は、そう言った。
「これで、決める。進むのか、踏み止まるのか」
「ね?都子もこう言ってるし、今夜の魔女退治に同行させてあげてよ。知らない仲じゃないんだし」
「…はぁーっ」
わざとらしく息をついて。
「言っとくけど、一から十まで面倒は見切れないよ。基本的に、何かあったら見捨てる方向で行く」
「うん。ごめんね、杏子。無理言って」
「何かあったら見捨てるっつってるだろうが。そう言いながら助けてくれる、なんて期待すんなよ」
「大丈夫さ、都子。何かあったらボクを呼んで契約すればいい。一瞬で終わる」
任せておきたまえ、とでも言いたげに、キュゥべえは胸を張った。
と思うと、くるりと振り返って歩いていく。
「おい、どこ行くんだよ?」
「ボクにもちょっと用事があるんだ。大丈夫、すぐに戻るよ」
そのまま返事も聞かずに去っていくキュゥべえ。それを見送った杏子は、忌々しげに眉を歪める。
「あの野郎、何を企んでやがる…まあいい。とりあえず、準備するか」
杏子はソウルジェムを右手に掲げる。身体から魔力が溢れ、真っ赤な光の洪水に呑み込まれていく。
一瞬にして杏子はラフな普段着から、勇壮な魔法少女の姿へと変身していた。
「…すごい。分かってたけど、本当に魔法少女なんだね」
「感心すんなよ、こそばゆい…」
「ふふ、ごめんね」
「ちっ。いいか、都子。さっきも言った通りあたしはあんたを助けない。来るのなら、自己責任だ」
「うん…覚悟はしてる、つもり」
「…なら、行くよ。ついといで」
さっさと歩き出す杏子の背を、慌てて追いかけていく。
しばし進むと、杏子は立ち止った。
「…ここだ」
手にした槍の穂先で指し示した場所は、一見するとごく普通の壁にしか見えない。しかし―――
よく目を凝らしてみると、分かる。
空間が―――世界が、歪んでいる。
臆する事なく、杏子は足を踏み出した。こんな事はもう、何十回と繰り返したとでも言いたげに。
そして実際に、彼女にとっては何百回と繰り返した事であった。
都子は少々腰を引かせつつも、杏子に倣って歪みへと飛び込む。
魔女の張り巡らせた、結界へと―――
数年前に廃校となり、取り壊しもされずに打ち捨てられたとある学園。
ボロボロに朽ちた校舎の前で杏子は鯛焼きを頬張りながら、うんざりして言う。
目の前にいるのはキュゥべえ―――そして、都子。
「キュゥべえ。あたしは言ったろ?後輩育成はガラじゃねえって」
「まあ、今回だけ頼むよ。都子にはもう少し、現場を体験してもらいたいんだ」
ちっ、と舌打ちして、目線を都子に移す。
「都子…あんたにも、何度も忠告したろ。魔法少女になんかなるなって」
「分かってる。これで…最後にする」
都子は、そう言った。
「これで、決める。進むのか、踏み止まるのか」
「ね?都子もこう言ってるし、今夜の魔女退治に同行させてあげてよ。知らない仲じゃないんだし」
「…はぁーっ」
わざとらしく息をついて。
「言っとくけど、一から十まで面倒は見切れないよ。基本的に、何かあったら見捨てる方向で行く」
「うん。ごめんね、杏子。無理言って」
「何かあったら見捨てるっつってるだろうが。そう言いながら助けてくれる、なんて期待すんなよ」
「大丈夫さ、都子。何かあったらボクを呼んで契約すればいい。一瞬で終わる」
任せておきたまえ、とでも言いたげに、キュゥべえは胸を張った。
と思うと、くるりと振り返って歩いていく。
「おい、どこ行くんだよ?」
「ボクにもちょっと用事があるんだ。大丈夫、すぐに戻るよ」
そのまま返事も聞かずに去っていくキュゥべえ。それを見送った杏子は、忌々しげに眉を歪める。
「あの野郎、何を企んでやがる…まあいい。とりあえず、準備するか」
杏子はソウルジェムを右手に掲げる。身体から魔力が溢れ、真っ赤な光の洪水に呑み込まれていく。
一瞬にして杏子はラフな普段着から、勇壮な魔法少女の姿へと変身していた。
「…すごい。分かってたけど、本当に魔法少女なんだね」
「感心すんなよ、こそばゆい…」
「ふふ、ごめんね」
「ちっ。いいか、都子。さっきも言った通りあたしはあんたを助けない。来るのなら、自己責任だ」
「うん…覚悟はしてる、つもり」
「…なら、行くよ。ついといで」
さっさと歩き出す杏子の背を、慌てて追いかけていく。
しばし進むと、杏子は立ち止った。
「…ここだ」
手にした槍の穂先で指し示した場所は、一見するとごく普通の壁にしか見えない。しかし―――
よく目を凝らしてみると、分かる。
空間が―――世界が、歪んでいる。
臆する事なく、杏子は足を踏み出した。こんな事はもう、何十回と繰り返したとでも言いたげに。
そして実際に、彼女にとっては何百回と繰り返した事であった。
都子は少々腰を引かせつつも、杏子に倣って歪みへと飛び込む。
魔女の張り巡らせた、結界へと―――
―――その、僅かに数分後。
息を切らせて、一人の少年が魔女の結界の前に立っていた。
都子の幼馴染…輝明。
どこから調達したのやら、その手には鉄パイプが握られている。護身用という事か。
その足元には、キュゥべえの姿。
「こ…ここに、都子が…?」
「うん。急いだ方がいいよ。こうしている間にも、彼女に危機が迫っているかもしれない」
したり顔で、キュゥべえはそんな事を言う。
大体がお前のせいなんだろうが、と言いたいのを、輝明はぐっと堪えた。自分にはそれを言う資格はない―――
自分がもっと都子の気持ちを察していれば、そもそもこんな事になっていないのだ。
輝明がキュゥべえと出会ったのは、昼間の事だった。
都子の影も形も見つからず、当然携帯も繋がらず、焦りだけが募っていた所へ現れた、この怪しい生き物。
彼は驚く輝明に対して、簡潔に説明した。
魔法少女。魔女。己との契約。都子の置かれた現状。
あまりにも信じ難かったが…ならば目の前にいる明らかに規格外のナマモノを、どう説明しろというのか。
「残念ながらボクも都子とはぐれちゃってね。居場所は分からない―――けど、見つけたらキミにも伝えよう」
「…………」
どこまで信じていいか分からないが、都子を探す手立てもない今、このキュゥべえとかいう胡散臭い珍獣の言う事
を聞くしかなかった。
そして、夜になって、ようやくキュゥべえが「都子が見つかったよ」とやって来た。
そして、ここまで来る道すがら。
息を切らせて、一人の少年が魔女の結界の前に立っていた。
都子の幼馴染…輝明。
どこから調達したのやら、その手には鉄パイプが握られている。護身用という事か。
その足元には、キュゥべえの姿。
「こ…ここに、都子が…?」
「うん。急いだ方がいいよ。こうしている間にも、彼女に危機が迫っているかもしれない」
したり顔で、キュゥべえはそんな事を言う。
大体がお前のせいなんだろうが、と言いたいのを、輝明はぐっと堪えた。自分にはそれを言う資格はない―――
自分がもっと都子の気持ちを察していれば、そもそもこんな事になっていないのだ。
輝明がキュゥべえと出会ったのは、昼間の事だった。
都子の影も形も見つからず、当然携帯も繋がらず、焦りだけが募っていた所へ現れた、この怪しい生き物。
彼は驚く輝明に対して、簡潔に説明した。
魔法少女。魔女。己との契約。都子の置かれた現状。
あまりにも信じ難かったが…ならば目の前にいる明らかに規格外のナマモノを、どう説明しろというのか。
「残念ながらボクも都子とはぐれちゃってね。居場所は分からない―――けど、見つけたらキミにも伝えよう」
「…………」
どこまで信じていいか分からないが、都子を探す手立てもない今、このキュゥべえとかいう胡散臭い珍獣の言う事
を聞くしかなかった。
そして、夜になって、ようやくキュゥべえが「都子が見つかったよ」とやって来た。
そして、ここまで来る道すがら。
「頼りになる魔法少女が一人、そばに付いてるとはいえ、危険だよ。連れ戻した方がいいだろうね」
「…………」
「それを任せられるのは、キミだけだ。彼女もキミの言う事なら、聞いてくれるだろう」
「…………」
「今の都子は、精神的に随分と参ってる。そこにつけ込んで契約したくはないよ。ちゃんと落ち着かせて、その上
で決断してほしい。そのためにキミも都子を説得してくれないかな?」
「…………」
「…………」
「それを任せられるのは、キミだけだ。彼女もキミの言う事なら、聞いてくれるだろう」
「…………」
「今の都子は、精神的に随分と参ってる。そこにつけ込んで契約したくはないよ。ちゃんと落ち着かせて、その上
で決断してほしい。そのためにキミも都子を説得してくれないかな?」
「…………」
そんな言葉を、並べ立てた。
はっきり言って、つつけばいくらでもボロが出そうな相手だが、今は追及している時間もない。
キュゥべえ自身、恐らくはそれを分かっていて、多少強引にでも輝明を焚きつけているのだ。
―――ボクに難癖つけてる暇があったら、都子を追いかけなよ―――
その一見とぼけた顔に底知れない真意を隠して、キュゥべえは輝明を急き立てる。
「…テメェになんか、言われるまでもねえよ」
鉄パイプを強く握り直して、輝明は魔女の結界へと一歩、歩み出す。
「都子は俺が、絶対に守る―――絶対にだ」
歪みが、輝明を呑み込んでいく。それを見送り、キュゥべえは表情一つ変えずに呟く。
「都子を守るって…脆弱な人間であるキミが、魔女から?無理に決まってるじゃないか」
淡々と、事実だけを告げるように。
「ま、いいさ。キミは大倉都子を釣り上げる為の餌に過ぎないからね―――何十億という多少増え過ぎた哺乳類が
一人くらいどうなろうと、宇宙全体から見れば、どうという事はない。誤差ですらないよ」
はっきり言って、つつけばいくらでもボロが出そうな相手だが、今は追及している時間もない。
キュゥべえ自身、恐らくはそれを分かっていて、多少強引にでも輝明を焚きつけているのだ。
―――ボクに難癖つけてる暇があったら、都子を追いかけなよ―――
その一見とぼけた顔に底知れない真意を隠して、キュゥべえは輝明を急き立てる。
「…テメェになんか、言われるまでもねえよ」
鉄パイプを強く握り直して、輝明は魔女の結界へと一歩、歩み出す。
「都子は俺が、絶対に守る―――絶対にだ」
歪みが、輝明を呑み込んでいく。それを見送り、キュゥべえは表情一つ変えずに呟く。
「都子を守るって…脆弱な人間であるキミが、魔女から?無理に決まってるじゃないか」
淡々と、事実だけを告げるように。
「ま、いいさ。キミは大倉都子を釣り上げる為の餌に過ぎないからね―――何十億という多少増え過ぎた哺乳類が
一人くらいどうなろうと、宇宙全体から見れば、どうという事はない。誤差ですらないよ」
―――結界内を、杏子の背に張り付くようにして、おっかなびっくり都子は歩く。
まるで童話に出てくるような暗い森の中だった。
木々は歪み、曲がり、捩子(ねじ)れて、捻(ひね)くれて、鳥や獣どころか虫の気配さえもない。
今の自分の心の中みたい、と都子は思った。
何をしていいのか分からなくて、グチャグチャで、真っ暗で。
「なんか…今にも、お化けとか出そうだね」
「出るに決まってるだろ、おっそろしい魔女が」
にやり、と杏子はシニカルに言ってみせる。
「怖くなったのなら、家に帰りな。そして魔法少女だの魔女だの忘れて、二度と関わろうとするんじゃない」
「杏子は、そればっかりだね」
「それが一番平和だからさ。あたしは商売敵が増えずに済む。あんたは人間やめずに済む」
「…………そうなの、かな」
「そうだとも。あたしに言わせりゃどいつもこいつもあれこれ考えすぎだよ。もっとシンプルに、そして自由気儘に
やればいいのにさ」
「自由気儘」
「自分勝手と言ってもいいよ…特に、都子」
杏子は、鋭い目付きで都子を見据える。
「あんたに関しては魔法少女になるにせよ、ならないにせよ…もうちょっと、自分勝手に生きるべきだよ」
「そんな事、言われたって」
「そうじゃないと、辛いばっかりさ―――あたしの知ってる、とある魔法少女のようにね」
そう前置きして、杏子は語り始めた。
「そいつの名は巴(ともえ)マミ…銃使いの魔法少女。なんつったらいいかな…あたしとは、正反対だ」
「正反対」
「あたしは他人なんざ、知ったこっちゃねえ。自分の為だけに生きてる正統派魔法少女だ。対してあいつは自分
の身の危険を省みる事なく、他人を救う為に生きてる。云わば異端系魔法少女さ」
「立派…だと、思うけど」
「魔法少女としちゃ、失格だよ。この稼業はテメェの事を第一に考えなきゃ、死ぬだけだからな―――自分よりも
他人を優先するようなやり方で、よくぞ何年も生き残ってるもんだと思うよ、マミの奴は」
ただね、と。
杏子は顔を曇らせて続ける。
「そのせいで、あいつはきっと、あたしとは比べ物にならないくらいキツイ思いをしてる」
「…………」
「マミがどれだけ他人の為に戦おうが、誰にも感謝なんてされない。それ以前にマミが魔法少女として戦っている
事そのものを誰も知らない。見返りなんて何もない」
「そん、なの」
聞いているだけで―――辛すぎるじゃない。
どれだけ必死になっても、誰にも理解されないなんて。
「そう。だからあたしも、顔を合わせる度に言ってやるんだ。もっと自分に正直に生きなよ、ってね―――けど、
あいつはいつも笑って言うだけだ。これが自分の生き方なんだって。逆にあたしに説教する始末だよ、もっと他人
を思い遣りなさい、ってね」
「…本当に、そう思ってるのかな」
「無理矢理にでもそう思わなきゃ、やってられねえんだろ…と、あたしは解釈してるよ」
くくく、と杏子は薄く笑う。
「分かったかい。他人の為に生きるなんてバカらしいんだ。開き直って、自分勝手にやるべきなんだよ」
「でも…杏子だって」
「あん?」
「杏子だって、本当は、誰かの為に戦う魔法少女に憧れてるんじゃないかな」
「なっ…」
虚を突かれたように、杏子は絶句した。都子は、続ける。
「それこそ自分勝手にだけど、あたしは、そう思うな」
「…はっ。昔はそうだったかもね。こんな力を手に入れて、正義の味方気取りだった気もするよ―――今じゃもう
見る影もないけどね」
杏子は殊更に悪ぶってみせる。照れているのかもしれない。都子は何だか、微笑ましい気持ちになった。
「杏子。杏子はまるで自分の事を、悪い奴みたいに言うけど…あたしは、そうは思わない」
「な、何だよ。じゃあどう思ってんだ」
「杏子は、いい子だよ―――口が悪いだけで、とってもいい子」
今度こそ、杏子は顔を真っ赤にして押し黙る。それがおかしくて、都子は少し気持ちが晴れた。
「―――ちぃっ!」
その時だった。血相を変えて、杏子が槍を構える。
「え。きょ、杏子、どうし―――」
「じっとしてろ!魔女の使い魔だ―――!」
森の奥から、たくさんの影がタンゴでも踊る様に軽快な音楽を響かせて這い出てきた。
グネグネと蠢きながら、影は形を変えていく。
能面のように無表情な人の頭部に蝶の翅が生えて、パタパタと飛んでいる。
子供の落書きみたいなデッサンの崩れた馬の背に乗った、これまた歪んだ姿の白い鎧の騎士。
そんな、出来の悪いホラー映画の怪物みたいな連中が、大挙して押し掛けてくる。
「な、何、これ…」
「魔女の手下…使い魔だよ。強かねえけど、数が多いのはちょっと厄介だ」
ヒュンヒュンと、槍を風車のように振り回しながら、杏子がこの状況をむしろ楽しむように言う。
「離れときな、都子。下手にしゃしゃり出てあたしの邪魔するなら、こいつらに食わせちまうぞ」
「う、うん…」
顔面蒼白のまま、都子は後ろに下がる―――と、その瞬間、底なし沼に落ちたかのように足が地面に沈んだ。
「え―――」
「…!都子っ!」
杏子が手を伸ばしても―――遅かった。一瞬にして、都子は地面に吸い込まれるようにして消えていた。
「く、くそっ…!あのバカ、どんだけあたしを困らせりゃ気が済むんだ!」
地団駄を踏みたかったが、そんな余裕は杏子にはない。使い魔達が一斉に襲い掛かってくる。
「…おおおおぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
一閃。
傍目には闇雲にブン回したようにしか見えない槍が、正確に使い魔達を貫き、薙ぎ払う。
都子を探すにしろ何にしろ、とにかくこいつらを手早く片付けないことにはどうにもならない。
魔法少女としての長年の経験が、杏子の思考から闘争に必要な事柄以外の全てを消していく。
冷徹に。冷酷に。余計な事は一切考えない、単なる戦闘マシーンになれと、己に言い聞かせる。
それでもなお、その片隅に―――都子の姿が、僅かではあったが、残っていた。
まるで童話に出てくるような暗い森の中だった。
木々は歪み、曲がり、捩子(ねじ)れて、捻(ひね)くれて、鳥や獣どころか虫の気配さえもない。
今の自分の心の中みたい、と都子は思った。
何をしていいのか分からなくて、グチャグチャで、真っ暗で。
「なんか…今にも、お化けとか出そうだね」
「出るに決まってるだろ、おっそろしい魔女が」
にやり、と杏子はシニカルに言ってみせる。
「怖くなったのなら、家に帰りな。そして魔法少女だの魔女だの忘れて、二度と関わろうとするんじゃない」
「杏子は、そればっかりだね」
「それが一番平和だからさ。あたしは商売敵が増えずに済む。あんたは人間やめずに済む」
「…………そうなの、かな」
「そうだとも。あたしに言わせりゃどいつもこいつもあれこれ考えすぎだよ。もっとシンプルに、そして自由気儘に
やればいいのにさ」
「自由気儘」
「自分勝手と言ってもいいよ…特に、都子」
杏子は、鋭い目付きで都子を見据える。
「あんたに関しては魔法少女になるにせよ、ならないにせよ…もうちょっと、自分勝手に生きるべきだよ」
「そんな事、言われたって」
「そうじゃないと、辛いばっかりさ―――あたしの知ってる、とある魔法少女のようにね」
そう前置きして、杏子は語り始めた。
「そいつの名は巴(ともえ)マミ…銃使いの魔法少女。なんつったらいいかな…あたしとは、正反対だ」
「正反対」
「あたしは他人なんざ、知ったこっちゃねえ。自分の為だけに生きてる正統派魔法少女だ。対してあいつは自分
の身の危険を省みる事なく、他人を救う為に生きてる。云わば異端系魔法少女さ」
「立派…だと、思うけど」
「魔法少女としちゃ、失格だよ。この稼業はテメェの事を第一に考えなきゃ、死ぬだけだからな―――自分よりも
他人を優先するようなやり方で、よくぞ何年も生き残ってるもんだと思うよ、マミの奴は」
ただね、と。
杏子は顔を曇らせて続ける。
「そのせいで、あいつはきっと、あたしとは比べ物にならないくらいキツイ思いをしてる」
「…………」
「マミがどれだけ他人の為に戦おうが、誰にも感謝なんてされない。それ以前にマミが魔法少女として戦っている
事そのものを誰も知らない。見返りなんて何もない」
「そん、なの」
聞いているだけで―――辛すぎるじゃない。
どれだけ必死になっても、誰にも理解されないなんて。
「そう。だからあたしも、顔を合わせる度に言ってやるんだ。もっと自分に正直に生きなよ、ってね―――けど、
あいつはいつも笑って言うだけだ。これが自分の生き方なんだって。逆にあたしに説教する始末だよ、もっと他人
を思い遣りなさい、ってね」
「…本当に、そう思ってるのかな」
「無理矢理にでもそう思わなきゃ、やってられねえんだろ…と、あたしは解釈してるよ」
くくく、と杏子は薄く笑う。
「分かったかい。他人の為に生きるなんてバカらしいんだ。開き直って、自分勝手にやるべきなんだよ」
「でも…杏子だって」
「あん?」
「杏子だって、本当は、誰かの為に戦う魔法少女に憧れてるんじゃないかな」
「なっ…」
虚を突かれたように、杏子は絶句した。都子は、続ける。
「それこそ自分勝手にだけど、あたしは、そう思うな」
「…はっ。昔はそうだったかもね。こんな力を手に入れて、正義の味方気取りだった気もするよ―――今じゃもう
見る影もないけどね」
杏子は殊更に悪ぶってみせる。照れているのかもしれない。都子は何だか、微笑ましい気持ちになった。
「杏子。杏子はまるで自分の事を、悪い奴みたいに言うけど…あたしは、そうは思わない」
「な、何だよ。じゃあどう思ってんだ」
「杏子は、いい子だよ―――口が悪いだけで、とってもいい子」
今度こそ、杏子は顔を真っ赤にして押し黙る。それがおかしくて、都子は少し気持ちが晴れた。
「―――ちぃっ!」
その時だった。血相を変えて、杏子が槍を構える。
「え。きょ、杏子、どうし―――」
「じっとしてろ!魔女の使い魔だ―――!」
森の奥から、たくさんの影がタンゴでも踊る様に軽快な音楽を響かせて這い出てきた。
グネグネと蠢きながら、影は形を変えていく。
能面のように無表情な人の頭部に蝶の翅が生えて、パタパタと飛んでいる。
子供の落書きみたいなデッサンの崩れた馬の背に乗った、これまた歪んだ姿の白い鎧の騎士。
そんな、出来の悪いホラー映画の怪物みたいな連中が、大挙して押し掛けてくる。
「な、何、これ…」
「魔女の手下…使い魔だよ。強かねえけど、数が多いのはちょっと厄介だ」
ヒュンヒュンと、槍を風車のように振り回しながら、杏子がこの状況をむしろ楽しむように言う。
「離れときな、都子。下手にしゃしゃり出てあたしの邪魔するなら、こいつらに食わせちまうぞ」
「う、うん…」
顔面蒼白のまま、都子は後ろに下がる―――と、その瞬間、底なし沼に落ちたかのように足が地面に沈んだ。
「え―――」
「…!都子っ!」
杏子が手を伸ばしても―――遅かった。一瞬にして、都子は地面に吸い込まれるようにして消えていた。
「く、くそっ…!あのバカ、どんだけあたしを困らせりゃ気が済むんだ!」
地団駄を踏みたかったが、そんな余裕は杏子にはない。使い魔達が一斉に襲い掛かってくる。
「…おおおおぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
一閃。
傍目には闇雲にブン回したようにしか見えない槍が、正確に使い魔達を貫き、薙ぎ払う。
都子を探すにしろ何にしろ、とにかくこいつらを手早く片付けないことにはどうにもならない。
魔法少女としての長年の経験が、杏子の思考から闘争に必要な事柄以外の全てを消していく。
冷徹に。冷酷に。余計な事は一切考えない、単なる戦闘マシーンになれと、己に言い聞かせる。
それでもなお、その片隅に―――都子の姿が、僅かではあったが、残っていた。
―――都子は狭いトンネルの中を転げ落ちていた。
雪だるまなら、ものすごい大きさになってるなあ、なんて呑気な事を考えている場合ではない。
やがて、トンネルの向こうに穴が開いたかと思うと、ポイっと放り出された。
無造作に地面に投げ出されて尻餅をつき、涙目になりながらもどうにか立ち上がる。
広大な空間。その中央には、大きな泉。
「…………?」
気になって、泉に近づき、覗き込む。
ゴボッ…ゴボッ…ゴボッ…奇怪な音を立て、水泡が上がる。
「な、何か、いるの…?」
後ずさる都子の目の前で、ゾゾゾゾッ…と泉が盛り上がっていく。
そして―――<魔女>が、その異形を露わにする。
それは、蛙だった。
トラックほどの巨大な身体を持つ蛙。
まるで甲殻類のような外殻に覆われたその巨体は、しかし鈍重さを感じさせない。
異常なまでに大きな目玉をぐりぐり動かしながら、無限に伸びているのではないかと思わせる長い舌をチロチロ
と覗かせながら、蛙の姿をした魔女は、形容不能な叫び声を上げる―――
雪だるまなら、ものすごい大きさになってるなあ、なんて呑気な事を考えている場合ではない。
やがて、トンネルの向こうに穴が開いたかと思うと、ポイっと放り出された。
無造作に地面に投げ出されて尻餅をつき、涙目になりながらもどうにか立ち上がる。
広大な空間。その中央には、大きな泉。
「…………?」
気になって、泉に近づき、覗き込む。
ゴボッ…ゴボッ…ゴボッ…奇怪な音を立て、水泡が上がる。
「な、何か、いるの…?」
後ずさる都子の目の前で、ゾゾゾゾッ…と泉が盛り上がっていく。
そして―――<魔女>が、その異形を露わにする。
それは、蛙だった。
トラックほどの巨大な身体を持つ蛙。
まるで甲殻類のような外殻に覆われたその巨体は、しかし鈍重さを感じさせない。
異常なまでに大きな目玉をぐりぐり動かしながら、無限に伸びているのではないかと思わせる長い舌をチロチロ
と覗かせながら、蛙の姿をした魔女は、形容不能な叫び声を上げる―――
「蛙の魔女―――その性質は<空想>」
「大好きな童話の世界を模した自らの結界の中で、空虚な妄想と戯れる魔女」
「自分を迎えに来てくれる白馬の王子様を待ち続ける、夢見がちな魔女」
「さあ。大倉都子。仕上げだよ」
「彼女の儚い空想を、魔法少女と化したキミの力で、打ち砕いてやるといい」
「大好きな童話の世界を模した自らの結界の中で、空虚な妄想と戯れる魔女」
「自分を迎えに来てくれる白馬の王子様を待ち続ける、夢見がちな魔女」
「さあ。大倉都子。仕上げだよ」
「彼女の儚い空想を、魔法少女と化したキミの力で、打ち砕いてやるといい」