SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ ロンギヌスの槍 part.13


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「ふふふ……ははははは!! いかにスプリガンの魔女といえど、
 わらわの悪夢の世界の前には、何もできぬか!?」

 黒の女王アリスが、傲岸に、傲慢に、哄笑をあげる。背後に漆黒の悪夢達を従えて。
 いまや彼女が従える悪夢の軍勢は、ティアの完全に包囲していた。そこに逃げ道はなく、また、逃がす気もないのだろう。

 雲霞のごとき数の黒の兵士達が鎧を軋ませ、醜悪な容貌をした悪夢の怪物達が気味の悪い笑い声を上げる。
 ひとつの生き物のように、彼らはざわめき、蠢き、嘲笑う。たったひとりで自分達に立ち向かうことの愚かさと、
たったひとりの人間の無力さを。

 無力な人間を恐怖させ、嬲り、いのちを奪う――それが彼らに与えられたキャストだ。その割り振られたキャストを演じる限り、
彼らには、人間を容易く殺せる権能が約束される。人間の不安や恐怖といった負の想像が彼らの由縁であり、原典たる
グリモワール・オブ・アリスが殺戮の物語を描き続ける限り、彼らは、永遠に人間の涙と血を吸い続けるだろう。

 純粋な恐怖の塊。ただの人間では発狂を免れまい。だがティアはまったく恐怖を感じていなかった。
 いつものように、その唇に冷たい微笑みを浮かべている。こんなもの、まったく脅威ではない、とでも言いたげに。
 その態度が、黒の女王アリスの癇に障る。

「貴様……何故、怯えぬ。何故、悲鳴をあげぬ。いまから貴様は、それはそれは惨めな死を遂げるのだぞ」

「怯える? 悲鳴をあげる? どうして、そんなことをしなくちゃいけないのかしら」

「わらわの悪夢の世界を前にした人間は、そうするしかできないからだ! 自らの無力さに涙し、迫りくる死に何もできず!
 ただ終焉を享受することしかできない! そしてそのときこそ、わらわという存在が輝く瞬間なのだ!
 人間の敗北――それが訪れるとき、わらわの権勢が永久不滅であることが証明される!」 

 ふっ、とティアは息をつく。それには蔑みと哀れみが含まれている。

「あなたは、そんなことのために戦っているの? くだらない。
 きっとフュンフちゃんだって、そんなものに何の価値もない、って言うでしょうね」
「気でも違ったか魔女。フュンフ=〈アリス〉とはわらわのことだ!」

「いいえ。あなたは、フュンフちゃんに取り憑く哀れな影。そうすることでしか力を発揮できない、空ろなる夢まぼろし。
 ……そんな空虚なものを、どうして恐れることができるのかしら?
 それに、あなたは人間を侮りすぎている。こんな悪夢の世界よりよほど人間は、強く、まばゆいものよ」

「ハッ! わらわに恐怖することしかできない人間どもが、わらわより強いだと? 世迷いごとも大概にせよ!
 人間など、赤子の手を捻るより簡単にくびり殺せるわ!」

「あなたは人間の強さを知らない。あなたは人間の可能性を知らない。たしかに人間は儚く、脆い。
 けれどその手には無限の可能性が秘められている。なにかを生み出すことができる。
 古代文明が残した遺産よりよほど素晴らしいものをね。そしてそれは、フュンフちゃんにも言えることよ」

「馬鹿な。貴様はこやつのことを、人間と見なしているのか」

「ええ、そうよ」

「はははは! おもしろいぞ、魔女! 貴様の冗談はおもしろい! 馬鹿め、わらわが空ろなる夢まぼろしというのなら、
 もうひとりのわらわ、このフュンフ=〈アリス〉も同じ! 人間ではない。
 グリモワール・オブ・アリスから生まれた物語のキャラクター、架空の人物に過ぎぬ!」

 黒の女王アリスのキャストを演じ、もはや別人になり果ててはいるが、他ならぬフュンフ自身が語る。自分は人間ではないと。
 だが、そうではないと、ティアは揺るぎない確信を以ってそう思う。その理由は、奇妙なお茶会でフュンフの言葉だ。
 自分の物語がほしい――そう語る彼女の瞳には、自分の未来を切り開こうとする確固たる意思が存在していた。
 ならば、たとえ肉を持たぬ幽玄な存在だとしても、一冊の本から生まれた架空の存在だとしても、

「自分の物語を手に入れるということは、自分の人生を手に入れることと同じ。誰にも強制され、自分の意思で道を切り開いていく。
 その先にあるのは、決して光り輝くものではないかもしれないけれど。少なくとも、誰かに強制されず、自分の未来を選択することが
 できるわ。それができるのは、人間だけよ。そして――」
 ティアは、黒の女王アリスへと冷ややかな、けれど、確かに熱いものを含んだ視線を向ける。

「私は人間を愛している。人間の意志を愛している。そして、人間の意志を歪めるものを、決して赦しはしない。
 だから、フュンフちゃんの意思を歪め、他人の物語を強いるあなたを、私は絶対に赦しはしない」

 ティアは何かの言葉を囁いた。それはただの言葉ではなかった。魔女の紡ぐ言葉には力が宿るのだ。
 それはルーン文字であり、黒の女王の世界を崩壊に導く革命の楔だった。

「――ぐ、あ、があァッ!?」

 突然、黒の女王アリスの様子が変わった。胸を強く握りしめ、何かを恐れるような表情を浮かべている。
 彼女の背後の影もまた、不安げにざわめいていた。そばに控える悪夢の軍勢も同じく。
 彼らの存在の根幹を揺るがすような事態が、静かに進行している。
 自分の中で致命的な変化が進んでいる――そのことに黒の女王アリスは怯える。
 自身の世界を、支配を脅かす何か。それは、ひとつの声だった。
 心の深奥より響いてくる声。暗闇の中でささやかに響き渡る、誰かの声。
 ティアの力ある言葉に応えて、その声の主が、意識を取り戻したのだ。
 グリモワール・オブ・アリスが用意したキャストに塗りつぶされていた彼女が、黒の女王の支配に抗い、意識の表層に現れ始めたのだ。

 ――アリスの顔に、ふたつの貌があらわれていた。
 ――小さく形のよい鼻を境に、きっちり半分、黒の女王の貌と、もうひとつ。

「馬鹿な……黒の女王の時間はまだ終わりを迎えてはいないはずだ。白兎の時計は正しく進み続けているはずだ。何故、貴様が――!」

 もはや恐慌状態に陥った黒の女王が言葉にならない声でわめく。

「この革命のルーンは、あらゆる王政を瓦解させる言霊。黒の女王、あなたが統べる悪夢の世界に終わりをもたらす言葉よ。
 革命のルーンは圧制に苦しむ誰かの声に応える。その声がなければ、起動さえ叶わないけれど。
 つまり、あなたのキャスト――黒の女王を演じているその子は、あなたの王政を望んでいない。
 こんな物語なんて望んではいないということよ。そうでしょう? フュンフちゃん――」
 ティアの言葉に応えて。無意識の深淵に封じられていたひとりの少女が目を醒ます。
 それはあり得ないことだった。グリモワールの筋書きは絶対だ。ただひとを殺せと囁き、自由意志を奪い、
己の望みを叶えさせる人形へと書き換える。哀れな少女の意思など一顧だにしない。その筋書きには、いかなる意思も介入する余地はない。
 それは少女のあるじである鉤十字の魔女でさえ例外ではない。

 だが――
 もしも物語の登場人物が意思を持ったならば。一切の齟齬を赦さぬ絶対の予定調和を紡ぐ筋書きに対して、反逆するのではないか。
 それが、自分の願いに反する筋書きならなおさら。
 それが、己が物語に息づくすべての存在を支配する神であると僭称する、愚かで傲慢な書き手が紡ぐ筋書きならなおさらのことだ。

 物語の登場人物の意思。 
 大河のように大きな流れを形成する物語において、それは、確かにささやかな力に違いない。
 だがこの刹那において、彼女の意思は――フュンフ=〈アリス〉の意思は、グリモワールが描く筋書きさえも凌駕するのだ。

「控えよ! いまは貴様が出るときではない! 残酷な女王のキャストを全うしろ!
 グリモワール・オブ・アリスの物語を紡げ! 人間を恐怖させ絶望を味あわせろ!」

『イヤよ』

 声が――
 黒の女王の最奥から響いて――

 確かにそれは否定の言葉だった。彼女の本心からの願いだった。
 グリモワール・オブ・アリスの筋書き。それは、無辜の人間に涙を流させ、悲鳴を上げさせる、嘆きと絶望の物語。
 物語の登場人物の運命を絡めとり隷属させる、チャールズ・ラトウィッジ・ドジスンが数と言葉とで組み上げた絶対なる恐怖の機構。
 だがそれはまだ筋書き(みかんせい)であるがゆえに、まだ、物語の結末を書き換えることができる。
 そして、彼女は否定の言葉を口にした。拒絶の言葉を口にした。ならば、まだ彼女を助けることができる。まだ、言葉は届くのだ。

「フュンフちゃん。あなたはさっき、グリモワール・オブ・アリスの筋書きに従わなくちゃいけない、そう言ったわね。
 わたしは物語から生まれた登場人物だから、と。でも、それは間違いよ。物語の登場人物が筋書きに従わなくちゃいけないなんて、
 誰が決めたの? 物語は最初からすべてが決まっているものじゃないわ。常に流動する、一個の生き物のようなものよ。
 それに、その物語の主人公は、作者ではなく、その物語の登場人物なのよ。グリモワール・オブ・アリスに、そしてグルマルキンに従い、
 最悪の物語を紡ぐ必要なんてないわ。 そんなキャストを演じなくても、あなたは、あなた自身の物語を掴めるはずよ」

「黙れ! 黙れ魔女! そのような妖言で、わらわを、わらわの世界をかき乱すなァッ!」

 ぴしり、ぴしり、と。黒の女王の貌に亀裂がはしっていく。少女を縛る鎖が軋みをあげる。少女を苛める悪夢が終わりを迎える。
 自分が終わる――その恐怖に、黒の女王は震え、怯えた。

「あなたの時間は、これでおしまいよ。黒の女王。夢は醒める、それがどんな怖ろしい悪夢でも、必ずね」

 そう言ってティアは、指で虚空に軌跡を描く。"革命"のルーンが、黒の女王の額に刻まれる。
 あらゆる王政を瓦解させる力強き言霊。魔力と想いが込められた神秘文字が、悪夢の世界を崩壊へと導いていく。

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 禍々しい叫び声をあげて――
 悪夢の怪物たちが崩れていく。歪み捻じ曲がった不思議の国の住人達が、壊れていく。
 硝子細工のように身体の全身に亀裂がはしって、金属音を奏でながら、砕けていく。
 砕けた破片は黒い液体のようなものに変わり、太陽の下で蒸発し、儚き幻想へと還っていく。
 グリモワール・オブ・アリスの物語が、終わりを告げる――

「あ、ああ……馬鹿な……わらわの悪夢の世界が……グリモワール・オブ・アリスの物語が……!
 ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!」

 ――黒の女王の断末魔の叫びとともに、
 ――黒の女王のキャストが、少女から剥がれ落ちる。

 そしてあらわれたのは――
 黒の女王のキャストを演じていた少女。
 グリモワール・オブ・アリスが紡ぐ残酷で無慈悲な物語ではなく、別の物語を求める少女。
 フュンフ=〈アリス〉だった。

「……まさか黒の女王のキャストを強制的にキャンセルするなんてね。恐れ入ったわ、魔女さん」

「私だけの力じゃないわ。あなた自身が、こんなことしたくないと思っていたからこそ、解呪に成功したのよ」

「……そう。それで? 黒の女王のキャストが剥がれて、すべてを失った哀れな少女にあなたは何を望むの? 何をさせたいの?」

「なにも。あなたは、あなたのしたいことをすればいいわ。あなたにはすべてが許されているのだから」

 そう言ってティアは、手を差し伸べる。やわらかな微笑を浮かべながら。

「わたしといっしょにいらしゃい。グルマルキンなんていう怖くて悪い魔女のところから逃げて。
 あなたの望みはわたしのところで叶えればいいわ。わたしのところで、あなたの物語を探せばいい。
 誰もあなたに強制なんてしない。あなたがたくさんの人間を殺してきたという罪も、きっと、時間が解決してくれるわ。
 グリモワール・オブ・アリスの呪縛からも、完全に解き放ってあげる。大丈夫、心配はいらないわ。
 わたしもまた魔女なんですからね」

「そう――そう、ね。魔女さんの言うとおりにして、人を殺すことなんかしなくても、おいしいお茶を飲んでいられる。
 不安も恐怖も感じることなく、ずっと黄金の午後の中にいられる。それはきっと、素敵な物語なんでしょうね。でも、でもね」

 差し伸べられた手へ向けて、フュンフの小さな手が伸びる。
 けれど、ふたりの指が触れ合う、その寸前に。
 フュンフは、ぱちん、と指を鳴らした。

『GAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 ――瞬間、耳を塞ぎたくなるような、身の毛のよだつおぞましい叫び声が轟いた。
 ティアはその方角を向き――汚らしい唾液がしたたる牙を垣間見る。

 半ば崩れ落ち、醜悪なかたちと成り果てた怪物――ジャバウォッキーが、ティアを喰らうべく襲いかかったのだ。
 悪夢の中でも最強を誇るこの怪異は、黒の女王が消え去ったあとでも、こうしてしばらくは顕現することができる。
 即座にティアは護符から幻想の魔獣を召喚する。激突する二匹の怪物の牙と爪。響き渡るふたつの雄々しい咆哮。

「フュンフちゃん……」

 唖然とした顔で、ティアは少女に振り向いた。何故、この少女はふたたび牙を剥いたのか。自分の言葉は届かなかったのか。
 いいや、違う。たしかに言葉は届いていた。ただ、それが遅すぎただけで。
 少女は、フュンフは、いまにも泣きそうな顔をしながら、言う。

「ごめんなさいね、魔女さん。あなたの好意を無駄にしてしまって、本当に、ごめんなさい。
 こんなこと言ってもいまさら信じてくれないと思うけど、魔女さんの言うとおりにしてもいいかなって思ったのよ。
 魔女さんの語る物語、それも、きっと素敵なものなんでしょうね。
 でも、もう遅いのよ。すべてが手遅れよ。だってわたし、グルマルキン大佐と契約しちゃったんだもの」

 そう言ってフュンフは二の腕を捲りあげる。その白いやわ肌には――ある文字が刻まれていた。
 それを見たティアの表情が悲しみと怒りで歪む。
 その文字の意味するところを理解してしまった彼女は、彼女の残酷な運命が、もはや不可避であることを悟った。

「――"服従"のルーン」
「ええ。グルマルキン大佐が契約が守られるための保険と言って、わたしに刻みこんだのよ」
「なんてことを……」

 鉤十字の魔女――グルマルキン・フォン・シュティーベルの傲慢な嗤い顔を思い浮かべ、ティアは嫌悪をあらわにする。
 服従のルーン。それは、ひとの自由意志を歪めて使い勝手のいい操り人形にする、ティアにとっては最も唾棄すべきもの。
 おそらく、グルマルキンは自分の物語を探すフュンフの弱みに付け込み、最も得意とするルーン魔術を用いて、少女の意思を歪め、
なんでも言うことを聞くお利口な人形へと仕立て上げた。契約を守れば少女のささやかな願いは叶うのかもしれないが、その代償は
自由のない魔女の奴隷への転落だ。少女が積み上げてきた屍と犯してきた罪とを比較すれば、あまりに割が合わない代償だ。契約の
果てに魔女が得るものは、使い勝手のいい武器。少女が得るものは、ささやかな願いの成就と、破滅。

「……なるほど、甘言を使って誰かの弱みにつけこみ、滅びへと陥れる。まさに古の魔女そのものね。吐き気がするわ」

「……優しいのね、魔女さんは。うちの魔女とは大違いね。そう、わたしは、魔女グルマルキンの奴隷。
 だからあなたの手をとることはできないの。きっとあなたの手をとった瞬間に、わたしに死が訪れるだろうから。
 だからあなたといっしょにはいけないわ。ごめんなさい。――ああ、いまとなっては無為なことだけど、それでも、もしもの
 おはなしを想像するのは、とっても魅力的ね。けれど、それよりももっと魅力的なおはなしを、わたしは知っている。それは、
 御伽噺部隊にいることでしか得られないの。それは――ふふ、口に出すのはちょっと恥ずかしいけど、ええ、そう。愛のおはなしよ」 

 僅かに頬を赤く染めて、フュンフは語り出す。彼女の本当の願いを。彼女が求める物語を。

「わたしには守りたいひとがいるの。
 そのひとはわたしのことを危なっかしいって言ってお節介ばかり焼くの。
 けれど本当は、自分が一番危なっかしいってことに気がついてない。
 そのひとは誰よりも先に闘いに出ようとするの。
 その度に身体を傷だらけにしてしまって、見てられない。
 そのひととわたしはいつも喧嘩してばかりいるの。
 けどそれはわたしのことを本当に心配してくれるからで、ああ、仕方ないなって、最後には全部許しちゃうの。
 そのひとは決して諦めないの。
 どんなに難しい任務でも、どんなに強い敵が相手でも、最後まで諦めることなく、わたしのところに帰ってきてくれる。
 ――わたしは、そのひとのすべてを愛してる。そのひとの強さ、弱さ、好きなところも嫌いなところもなにもかも。
 わたしはそのひとの隣にいることが何よりもうれしい。そのひとといっしょに生きることこそが――ああ、そう。そうね……」

 フュンフは何かを悟ったような表情を浮かべ、まるで花咲くような笑みで、言った。

「それがわたしの物語だったのね」

 悲鳴を上げて、ティアの魔獣がジャバウォッキーに組み伏せられる。
 ジャバウォッキ―の牙がティアの魔獣を引き裂き、そのままバリバリと捕食してしまった。
 そして悪夢の怪物の双眸が、ティアを映す。怪物の牙と爪が、いままさにティア目掛けて振り下ろされようとして――  

「わたしはそのひとと、ずっといっしょにいたい。そのひとを死なせたくない。そのためなら何でもするわ。
 そのひとを守り、ともに生きる――そんな戦いの物語が、わたしが本当に欲しかった物語なのよ。
 だから、わたしの物語を阻むあなたの手を取ることはできないわ。
 だから、こんなわたしに手を差し伸べてくれたあなたを殺してさえ見せるわ。
 さあ、お願いだから死んで! 魔女ティア・フラット!」

「そいつは困る」

 その声は頭上から届いた。弾かれたようにその方向へ視線を向けるティアとフュンフ。
 その先にあるものは――
 空から高速に落ちてくるひとりの男だった。
 黒い服、黒い髪、黒い眼帯。そして、黒い翼。
 その男のすべてが黒かった。
 男は、その瞳に剣呑な光を宿らせ、肉食獣を思わせる獰猛な笑みを浮かべていた。
 およそ堅気の人間とは思えない。それに、まっとうな生まれでもあるまい。
 その背中から生える黒い翼――おそらく、遥か極東に伝わる妖怪、鴉天狗の血を引いているのか。
 それとも、厳しい修行の末に天狗の力を習得した修験者であるのか。
 それは定かではないが、どちらにしろ、この男がただの人間ではないことは確かだ。

 ティアはその顔に見覚えがあった。
 直截対峙した経験はないものの、その名とその力量はいやというほど聞き及んでいる。
 裏社会に轟く伝説。黒ずくめの死神――スクリーミング・クロウ。 

「平群天神奇峰伊予ヶ岳に棲まいし大天狗! 太郎丸より継ぎし大うちわ!
 妖嵐暴風を巻き起こす! 央基五黄! 一白太陰、九紫に太陽! 乾坤九星、八卦良し!」

 ――男は眼帯に右手を突き入れ、
 ―― 一息に何かを引き抜いた。

 それは、大きな大きな団扇だった。比類なき自然の猛威を喚ぶ、名高き奇峰伊予ヶ岳の遥か高みに座す大天狗の秘宝。
 そして、彼の口上に応じて、天地自然、森羅万象あらゆるものを象る幾何学模様――八卦図が男の足元に出現する。
 大団扇と八卦図。そのふたつは、破壊の大光を孕む暗雲を青空に導いて――

「――落ちよ怒槌、神鳴る力!」

 雷光が輝く。
 雷音が轟く。

 大団扇、そして、男の足元に展開される八卦図に導かれて、異常に膨張した乱雲から無数の稲妻が迸り、悪夢の怪物に降り注いだ。
 すべてを消し炭にする雷の力が、ジャバウォッキーの体内で荒れ狂う。
 稲妻は破壊を撒き散らす。悪夢の怪物のすべてを蹂躙し、その身体中を食い荒らす。

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』

 耳を塞ぎたくなるようなおぞましい断末魔があがる。
 雷撃の一撃を受けたジャバウォッキーは、身をくねらせて、爆発四散した。
 稲妻は、怪物の欠片すら一瞬で、慈悲も容赦もなく、灰燼へと還した。

「カッ、カカッ、カカカカカカカカカカァッ!」

 ――暗雲を背にして、低気圧の王が笑いを張り上げる。
 ――地上を蠢く哀れなものどもに嘲笑を捧げる。

 すべてのひとを怖れさせる悪夢さえも打ち砕く破壊を振りまきながら、黒服の男は、地上にいる哀れな少女を睥睨する。
そして、天へと右腕を掲げる。それは、あらゆるものを焼け焦がす破滅の大光を導くのだ。

 ――輝く光。比類なき破壊を孕む光。それは、呆然と空を見上げるフュンフをとらえて。
 ――暗雲から放たれたひとつの稲妻が、フュンフの頭上に迫る。

 周囲の景色が、そして自分の動きが、とても遅く流れているように、フュンフは感じた。
 奇妙な感覚。時間が限界まで引き伸ばされるような。死の間際に脳が見せる錯覚。

 あの稲妻に打たれれば、自分はあっけなく死ぬだろう。
 最強の悪夢ジャバウォッキーが為すすべなく滅ぼされたように、自分もまた、塵芥へと還るだろう。

 間に合わない。フュンフはその場から逃れようと思考するが、光より早く動ける人間などいるはずがない。
 ――彼女の最愛のひとならば、神速の"赤い靴"を履く彼女であれば、可能だったかもしれないが。

(これで……終わりなの? フィーアともういちど会うこともできず、わたしの物語は――)

 だが、彼女の物語は終わらない。いまは、まだ。
 呆然と終わりを享受しようとする少女には、仲間がいる。手を差し伸べてくれる誰かがいる。
 それは、水妖(ローレライ)の声を持つ少女と、その少女を己の背に乗せて飼い主の下へと迫る一匹の黒猫だ。

 ――呆然と終わりの雷光を見つめるフュンフに大きな獣の影が迫り、
 ――その背に乗る小さな影が彼女の身体を引き寄せ、終わりから救った。

「……ダイ、ナ……?」

『にゃおおん』

 ダイナと呼ばれた獣――巨大な黒猫は、飼い主に名を呼ばれて、ごろごろと嬉しそうに喉を鳴らした。
 〈黒猫〉ダイナ。この雌の黒猫も、フュンフによって召喚された幻想の怪物だ。
 だが、過度に滑稽さを強調され歪められたかたちを持つ悪夢の住人達とは別のものだ。
 ダイナの姿かたちは歪んでなどいなかった。しなやかな猫の身体が放つ気高さと凛々しさ。

 フュンフが支配する悪夢の世界のモチーフが、かのチャールズ・ラトウィッジ・ドジスンが書き記した狂える不思議の国ならば、
この〈黒猫〉ダイナは、少女アリスが不思議の国へと誘われる前に物語に登場した、彼女がもっとも愛する黒猫をモチーフに
しているのだろう。
 ジャバウォッキーを始めとする歪み果てた怪物が、彼らの原典グリモワール・オブ・アリスの狂気の象徴ならば、
この〈黒猫〉は、フュンフ=〈アリス〉の正気の象徴なのだろう。

 だからこうして、黒の女王のキャストを演じてなどいなくても、彼女が狂気にとらわれていなくても、
〈黒猫〉ダイナは世界に顕現し、愛する飼い主を救うのだ。

 そして、もうひとり。黒猫の背に乗り、フュンフに向けて手を差し伸べた誰か。

「……ゼクス」

 フュンフの声に応えて、漆黒の軍服――武装親衛隊の勤務服に身を包んだゼクス=〈ローレライ〉が微笑を返した。
 そして、彼女に何事かを告げようとして、フュンフは気絶した。悪夢召還のために多大な負担を負った精神が限界に達したのだろう。
 眠りに堕ちたフュンフを黒猫の背に寝かせたゼクスは、一瞬のうちに表情を引き締めて、次の行動に入った。

 彼女の視線の先には、これまでフュンフと戦っていた魔女の姿と、黒雲と稲妻を従える黒服の男の姿が映っていた。
 黒服の男。突然現れたイレギュラー。そして、たったいま彼が見せた、悪夢の蹂躙。
 それは、彼が保有する戦力が、魔女と同等か、それ以上であることを物語っていた。
 これでは、魔女の生け捕りは望めそうにない。それどころか、こちらの命さえ危ういだろう。

 任務は失敗した。だが、魔女グルマルキンは自分たちを罰したりはしないのだろう。あの戦争が好きな魔女は。
 同じ鉤十字を信仰する狂える『少佐』とその配下の吸血鬼たちには及ばずとも、己のあるじである魔女は戦争の愉悦に狂っている。  
 こうして自分たちが魔女ティアを殺すことに失敗しても、鉤十字の魔女は、己の手で宿敵を縊り殺せると歓喜するだろう。
 そして、自分たちは最初の目的を果たしたのだ。
 スプリガンの注意を自分たちに引きつけ、フュルステンベルク城の地下に在る黒き円卓にて胎動する儀式の準備が、
完成を迎えるまでの時間を稼ぐこと。
 ――ロンギヌスを中核として、すべての人間の〈歴史〉に終焉をもたらす儀式が起動するまでの時間稼ぎを。
 だからもう、ここに留まる理由はない。

 ゼクスは胸に手を当てて、口を開いた。小さくかたちのよい唇。
 そこから零れる、鈴のように透明で、絹糸をより合わせたような、美しいソプラノ。

   時よとまれ、お前は美しい
   私の地上の日々の痕跡は
   永劫へと滅びはしない
   その幸せの予感のうちに
   今味わうぞ、この至高の瞬間を

 歌声が響く。
 歌声が響く。

 それは、ゼクスの魔歌(まがうた)のひとつ。それは、時を凍らせる詩。
 ただしその魔歌は、時間と空間そのものを停止させるものではない。そこまでの力は、森羅万象あらゆるものを停止させるだけの力は、
ゼクスの魔歌にはない。だが限りなく等しい結果を、彼女とその仲間の敵へともたらす。
 ゼクスの声は、脳髄に直截突き刺さり、響き渡る。
 意識の間隙に滑り込み、魔女と黒い男の心理を掌握し、ふたりの体感時間に錯誤を刻み込む――

 ――魔女と黒服の男、ふたりの動きが止まっていた。
 ――まるで時間が止まったかのように。

 〈ローレライ〉の魔歌。ひとの心理のみに作用し、ひとの意識に錯誤を生み、正しい時間経過を錯覚させるもの。
 数多の人間を深淵へと沈める水妖を模倣した、偽なる御伽噺の力。
 そう、この力は偽物なのだ。自分の身体に宿る本当の力――〈沈んだ歌姫〉、〈黒の神子〉の力のほんの一部を利用して再現復元された、
いまは儚き幻想に成り果てた水妖の声を模したもの。魔術魔法という幻想の論理ではなく、いつか人間が自己の能力として獲得する
であろう超能力と呼ばれる力。

 それは魔術魔法ではない、超能力というティアの知らない力であるが故に、こうして魔女の動きを止めてしまうことも可能だった。
 動きを止めるとはいえ、その持続時間はあまりに限られている。あと数十秒もたてば、ふたりは意識を取り戻すだろう。

 怖ろしい魔女は彫像のように動きを止めている。この隙に逃げることが出来る。それどころか、ここで命を奪うことも可能だ。
 だが、古の叡智を秘めたこの魔女が、〈ローレライ〉の声だけで殺せるとは思えない。
 自分の声は、ひとに暗示をかけて、その肉体を砕くことさえ可能ではあるが、それだけでこの魔女を殺せるとは思えない。

 それに、個人的にも、ゼクスはこの魔女のことを殺したくはなかった。
 ゼクスは、この魔女が、フュンフに向けて手を差し伸べる光景を見ていた。
 自分の仲間を救おうとした魔女。しかし、出会うのがあまりに遅すぎた魔女。
 ゼクスは思う。もしもあのとき、恐怖と絶望の奥底で涙する自分の前に訪れた魔女が、彼女であったのなら。
 きっと、いまとは違う運命を歩めていたのだと思う。
 けれどそれは、あまりに無為な想像だった。
 自分たちは選択した。ただひとつの願いをかなえるために、鉤十字の魔女の手を取った。いまさら戻れはしないのだ。
 それにフュンフのこともある。狂気に冒された彼女の精神を、いますぐにでも癒す必要があった。
 そしてゼクスは、ありえた可能性、いまとは違う未来を自分たちにくれたであろう魔女に背をむけて、

「おい、待てよ」

 ――背後からかけられた声によって、その場に縛り付けられた。
 それは、ひとりの男の声。〈ローレライ〉の魔歌によって、体感時間が止まっているはずの男の声。

「……!?」

 自分の予測を超える事態に、ゼクスは混乱し、そして恐怖した。
 魔歌の効果は持続しているはずなのに。背後にいる男が動けるはずが、ないのに。
 弾かれるように振り向いたゼクスの視線の先に、こきこきと首を鳴らす黒服の男の姿が――

「ったくまさか超能力とはな。油断したぜ。だが、残念だったな。俺に超能力は通用しねえよ。
 俺に頭にはな、人造精霊が埋め込まれてるんだ。
 こいつは、俺の精神が念波もしくは呪波に侵食された瞬間、意識を自動的にシャットダウンして、すぐに正常な状態に再起動させるんだ。
 以前にお前みたいなサイコキノとやりあって痛い目にあったことがあってな。
 高い金積んで心霊医療師に手術してもらった甲斐があったぜ。こうして――」

『GAAAAAAAAAA!!!』

 肉食獣が如き獰猛な笑みを浮かべて、自分の飼い主と、その仲間であるゼクスに迫りくる黒服の男に、黒猫ダイナが踊りかかった。
 だが、その牙と爪は届かない。その寸前に、〈黒猫〉ダイナは、黒服の男に殴り飛ばされていた。
 ダイナの背に乗っていたゼクスは、衝撃に吹き飛ばされて、地面に叩きつけられて、痛みに呻く。
 そして、黒服の男に顎を掴まれ、強引に彼の下へ引き寄せられた。

「――すこぶる快適な気分で、お前らに訊くことができるんだからな」

 なにを、とゼクスは言いたかったが、彼女の喉はすでに正常な声を発する機能を失っていた。
 かつて経験した耐えがたき恐怖によって、心に刻まれたトラウマによって、彼女は唖者となっていたのだ。
 いいや、たとえ彼女が健常者であったとしても、いまこの場において、ゼクスは声を出すことはできなかっただろう。
 恐怖が、ゼクスのすべてを支配していた。

 己の力を撥ね退けて、じっとこちらの瞳を覗き込む男の姿が、たまらなく怖い。
 〈ローレライ〉の魔歌が通用しないことが、たまらなく怖い。
 フュンフと〈黒猫〉ダイナが戦闘不能となり、いまや縋れるものがなくなったことが、たまらなく怖かった。

 ゼクスは思う。まるであのときのようだ、と。
 それは、過去の忌まわしい出来事、御伽噺部隊に入隊する以前に経験した恐怖。
 〈教団〉から逃げ出した自分たちに追いすがる黒い追跡者。ひとり、またひとりといなくなっていく仲間たち。
 耐え切れぬ恐怖に追われ、逃げて、逃げて、逃げて――
 そして自分が犯してしまった罪を想起して――
 ゼクスは、涙していた。

「答えてもらうぜ。俺の本当の目的。魔女グルマルキンが持ってる真紅の宝石が、どこに在るのかを――」

「そこまでにしておきなさいな」

 声。それは、女の声だった。静かではあったが、けれど、有無を言わせない力が込められた声。
 男の肩の上に、手が置かれていた。それは何気ない動作ではあったが、この手のあるじが魔女であるが故に、
拳銃を突きつけることよりもよほど、男の動作を封じることができるだろう。黒服の男が僅かでも動けば、この手のあるじは、
即座にルーン魔術を起動させるだろう。

「――エドワード・ロング。いいえ、長谷川虎蔵と呼ぶべきなのかしら?」

 〈ローレライ〉の魔歌の支配から脱したティアが、黒服の男に語り掛けていた。 

「こっち(欧州)じゃあロングで通ってるんだ。できればそっちで呼んでくれると嬉しいな、魔女ティア・フラットさんよ。
 それとな、頼むから仕事の邪魔しないでくれ。あんたとは、出来れば戦いたくないんでね。魔女を相手にするのは、随分と面倒だ」

 背後を取られているのにもかかわらず、黒服の男――ロングは身じろぎもしない。
 それどころか、不遜な言葉を投げかけてみせる。
 依然としてロングは、ゼクスの顎を掴んでいた。彼女の目尻には涙が溜まっていた。
 それを見て、ティアの表情が一瞬だけ曇る。きっと彼女もまた、魔女グルマルキンの奴隷なのだろう。
 服従のルーンを身体に刻まれて、望まぬ戦いを強いられて。

「そう。私とは戦いたくないのね。なら、この子たちは見逃しなさい」

「……なに?」

 まったく予想していなかった言葉だったのだろう。ロングは、僅かに眉を顰めた。
 ゼクスもまた、魔女の言葉が信じられない、というような驚愕の表情を浮かべていた。
 何故、自分達を見逃すのか。敵である自分達を。先ほどまで命のやり取りをしていた相手を。
 ティアはその疑問に答えなかった。ただ短く、言葉を告げるのみ。 

「行きなさい。戦いは、終わりよ。
 ……フュンフちゃんのことをお願いね」

 ロングは懐から紙巻煙草を取り出し、火をつける。肺いっぱいに吸い、紫煙を吐き出す。
 彼の視線の先にいるのは、魔女ティアひとりだけだ。鉤十字の少女たちの姿は、すでにない。 
 悪夢を従えていた少女(アリス)と水妖の声を発する少女(ゼクス)は、巨大な黒猫の背に乗せられて、どこかへと逃げ去った。
 その行先は、彼の仲間でありいまも少女たちを追跡しているピンカートン上級探偵たちが突き止めるだろう。

 問題なのは、目の前で佇む魔女だった。彼女は静かに、鉤十字の少女たちが逃げ去った方向を、言葉もなく見つめていた。
 魔女の心に去来するもの。それがなんであるか、ロングにはわからない。
 それは、古の叡智を持ちながら、たったひとりの少女すら助けられなかったことへの悔恨と無力感か。
 それは、ひとの意思を捻じ曲げる鉤十字の魔女への怒りか。
 魔女は語らない。ただ冷ややかな光を双眸に宿して佇むのみ。

「あんたがなにを思っているのか知らないが」

 と、ロングは紫煙を吐き出しながら言う。

「あいつらは、あんたより先にグルマルキンに会っちまった。ただそれだけのことさ。世界は優しく出来てない。
 あんたのように無償で手を差し伸べる奴もいるし、グルマルキンのように己の欲望を満たすために手を差し伸べる奴もいる。
 そして弱い奴は強い奴に喰われるんだ。それが世界の在り方さ。あんたが気に病むことはねえよ」

「――それでも」

 続く言葉はなかった。言葉を操り、そして弄ぶ魔女は沈黙していた。
 彼女の胸には、ただ決意があった。それは、この場において、口に出しても無意味なものだ。
 運命を歪められた少女たち。少女たちの運命を操り弄ぶ魔女。
 自分がそれらのものに対して何を選択し、何を成すのか。それは言葉ではなく、行動で示すべきだった。
 そしてひとつの決意を秘めたティアは、 
 彼女に相応しい、冷ややかな、そして得体の知れない魔女の笑みをロングへ向けた。
「エドワード・ロング。黒雲と稲妻を従える低気圧の王。あなたのことはソフィアから訊いているわ。
 勝手で気侭な彼女に振り回された者同士で昔話をするのもいいけれど――さっそく本題に入りましょう。
 あなたがここにいる理由は、あなたの望みは、ロンギヌスでもなければ、その対価として支払われる大金でもない。
 そうよね?」
「あらら。ぜんぶお見通しってわけか」
「当然よ。魔女に嘘は通用しないのよ。妖怪"さとり"ほどの精密さはなくても――魔女の瞳は
 心さえも見通す。そして魔女は心を弄び、利用し、自分の望みを叶えるの」

 そしてティアは、手をロングに向けて差し伸べた。その動作は、涙にくれる誰かを助けるためではない。
 古の魔女の如く、甘言を用いてひとの弱みにつけこみ、己の望みを叶えるために、彼女は手を伸ばしたのだ。

「あなたの望みは私が叶えましょう、エドワード・ロング。私はあらゆるものをあなたに与えるでしょう。
 ――怖ろしい魔女(わたし)との契約を交わし、私の望みを叶える助けをするのなら」