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「THE DUSK 第零話」(2008/04/21 (月) 15:32:00) の最新版変更点
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――汝が久しく深淵を見入る時、深淵もまた汝を見入るのである。
「私は声を聞いたのだ。深淵から叫ぶ声を。『ベイビー、いついつまでも一緒に眠ろう』と」
第零話 『SALEM’S LOT』
「ときこさん、あんぐりー、まいぶらざー、いえすたでーもーにんぐ。『げっとあっぷ!
はりー! はりーはりー! はりーはりーはりー!』」
1年A組の教室に張りのある明るい声が響き渡る。
声の主はクラス一の元気娘、武藤まひろ。
生来活発が売りの彼女らしい教室の隅々まで広がる、いや、隣の教室までも届きそうなくらいに
大きくてよく通る声である。
しかし、その発声の良さに比べると発音の方はひどいものだ。
日本人にありがちなカタカナ英語とでも言うべき発音を、更に斜め上に飛び越えている。
クラスメートには充分通じるだろうが、肝心のアメリカ人がこれを聞いたならば『ロズウェル』や
『エリア51』等の単語を思い浮かべるかもしれない。
最早、“まひろ語”と名づけていいだろう。
今や教室中の生徒達が必死になって笑いを堪えている。それどころか、中にはまひろの親友の
一人である河合沙織のように無遠慮に笑いを発している者も少なからずいた。
そして、笑いを誘うのは珍妙な発音だけではなく、その内容にも大きな原因があったのは
言うまでも無い。
「ばっと、まいぶらざー、せい、『あいらぶゆー』。ときこさん、どんとせい、えにしんぐ、
あんど、べりーべりー、れっどほっとふぇいす。いっと、いず、えぶりーないと!」
英語の教科担任である火渡赤馬が「自分の好きな事や興味がある事を英訳文にして発表しろ」と
一昨日、皆に申し渡した直後から、まひろは真っ先に自分の兄武藤カズキとその恋人である
津村斗貴子の日常を発表しようと思い立っていた。
自分の家族をネタに笑いを取る捨て身の技法は、お笑い芸人によく見られる。
だが、まひろにそのような意図は無かった。
ただ単純に、自分も羨ましくなるくらいに仲の良い二人の様子を皆にも知ってもらいたいという、
少し間違った善意によるものだ。
「まいぶらざー、あんど、ときこさん、いず、すとろべりー!!」
まひろが一際声を高くして結びの文を言い終えた時、教室内はドッと笑いの渦に巻き込まれた。
一応は教師としての威厳を保たなくてはならない筈の火渡もさえも、教卓をバンバン叩きながら
笑い転げている。
「ギャハハハハハハハハ!! おい、武藤! グッジョブ! マジグッジョブ!!」
「へへー」
まひろはやや艶の足りない茶髪に包まれた頭を掻きながら、眉尻を下げている。
皆を喜ばせる事が出来たと嬉しさこの上無い様子だが、どうやらクラスメイトや火渡が笑っている
真の意味はあまり理解していないようだ。
大爆笑の生徒達の中、もう一人のまひろの親友である若宮千里だけは唯一笑っていなかった。
眼鏡を上げながら密かに溜息を吐いている。
「まったく、もう。これが斗貴子さんに知れたらどうなるやら……」
天然気味のまひろに対して軽く苦言を呈するのは生真面目な斗貴子の日課のようなものであったが、
自分が触れて欲しくない姿をこれだけ面白おかしく大勢の人間に広められては流石の斗貴子も
激怒するのではないかと、千里は一人嘆いていた。
火渡は笑い過ぎのあまりに眼に浮かんだ涙を擦りながらほくそ笑む。
「あー、笑った笑った。それにしても、あのクソガキをからかってやる絶好のネタが出来たぜ」
クソガキとはもちろんカズキの事だ。
火渡とカズキには錬金の戦士だった過去に少しばかり因縁があり、仲が良い関係とは決して言えなかった。
そう、過去――
火渡は、世界を脅かす可能性のある怪物“ヴィクターⅢ”と変貌を遂げつつあったカズキを討つ為の
“再殺部隊”を率いていた。
そして過ちとはいえ、火渡はカズキの師であるキャプテン・ブラボー(防人衛)に対し、
再起不能に近い重傷を負わせてしまう。
そこから生まれた因縁であった。
現在は、若干ではあるがお互いの感情は解きほぐれ、以前程の殺伐とした関係ではなくなっていたが。
次は誰を指そうかと火渡が教室を見渡していると、少しばかり忌々しい光景が眼に入った。
「あァん……?」
机の列の最後尾、窓側の席。
一人の女子生徒が居眠りをしているのだ。
それも机の上に小さなクッションを置き、その上に顎を乗せる形で堂々と。
おそらくメイクの崩れや顔に跡が残る事を嫌がっての振る舞いなのだろうが、それにしても
教師を舐めた所業である。
しかも、この授業で教壇に立っている教師は、泣く子も黙ると(一部男子生徒の間で)評判の
火渡先生だというのに。
「ちょっと、晶。起きなって……!」
隣に座る友人らしき女生徒がそっと注意を促すが、時既に遅し。
火渡は教科書を筒状に丸めながら、眠る彼女に近づいていく。
「オラァ、棚橋! テメエの発表が終わったからって寝てんじゃねえ!」
丸められた教科書がポーンとその頭を打った。語気の荒さの割には加減した力だ。
相手が女子生徒だからか、それとも校長の小言やPTAのご婦人方の苦情に辟易してるせいか。
「ふあぁ……。へいへ~い」
棚橋と呼ばれた女子生徒は悪びれもせず、アクビをしながら身体を起こした。
眠そうにしばたかせた眼はアイシャドウ、アイライン、マスカラ、ハイライトに至るまできつく濃く、
いかにも“ギャル”といった風情のアイメイクに覆われている。
ただ、目鼻の整い方が日本人離れした随分の美形である為に、その濃すぎるメイクが逆に
若さ故の麗しさを殺している感があった。
「あ~、眠っ……」
まだまだ寝足りない様子の晶は左右に頭を揺らしながら、ブロンドに近いロングヘアを
手櫛で整え出した。
先程とは打って変わった腹立たしさでいっぱいの火渡は、ボヤキながらも授業を進めようと
次に指す生徒を選ぶ。
「ったくよォ。じゃあ、次はーっと……――柴田。お前、発表してみろ」
「はい……」
ひどく低い小さな声の返事だ。
そして、返事の主である女子生徒の容姿も、大多数の人間がその暗い声からステロタイプに
イメージするものと概ね合致していた。
何の手入れも加えられず、ただ伸ばしっぱなしにしたボサボサの黒髪をまとめた三つ編み。
分厚い眼鏡の奥には厚ぼったい一重瞼の眼があり、その眼の周りから頬に至るまでそばかすに
覆われている。
漫画的な言い回しをするならば“ガリ勉キャラ”とでも言うべきだろうか。
女子生徒は“柴田瑠架”と名前の書かれたノートを手に立ち上がった。
「ROKUSHO‐CHO in My hometown is cursed...(私の住む町である緑青町は呪われています……)」
聞く者によってはネイティブかと思う程の流暢な発音が瑠架の口から発せられた。
ただし、文の意味は高校の英語授業に似つかわしくない不気味なものだった。
まひろや沙織などは内容そのものがわからずに「外人さんみたーい」と眼をパチクリさせるだけだが、
千里を始めとした少しでも聞き取り能力に長けた者は皆、その異常な内容に眉をひそめている。
ネットを主な生息地にしている男子生徒は、同類の生徒と共に「中二病」「邪気眼」といった
単語を並べて嘲笑する始末である。
火渡も教師という職務上、一旦発表を止めさせて何かしらの指導をあたえるべきと頭にはあったものの、
子供っぽい好奇心が勝ったのか、そのまま口を挟まなかった。
ざわつく教室内をよそに、瑠架は何の感情も込めない無機質な声で発表を続けた。
「私が生まれ育ち、今も住む緑青町は人口5000人程の小さな町です。特産物も観光名所も一切無い、
ただの住宅都市です」
「この町で育った若者のほとんどは隣の埼玉や東京に就職してしまい、二度と帰ってきません。
反対に移り住んでくる人もいますが、すべてがマイホームを求めてやってくる家族連ればかりで、
町の古くからの住人とは折り合いがよくありません」
「そして、そんな古くからの住人、つまり年寄り達が揃って口にする言葉は、『この町は呪われている』
という言い伝えです。どんなものか聞いたところ、『この町には三十年に一度、厄災が降りかかるのだ』と
教えてくれました」
ここに至り、瑠架にある変化が起こっていた。
無表情で抑揚が無く、発音だけが際立っていた喋り方が徐々に違うものになっているのだ。
まるでリズムを取るように単語ひとつひとつに調子をつけ、何とも楽しげに美しい言葉の糸を
紡ぎ出していく。
よく見れば口元にはうっすらと笑みさえ浮かんでいる。
それは“喜”や“楽”に属する表情の筈だが、どういう訳か正体不明のおぞましさとある種の
迫力に満ちていた。
「私はそれを年寄り達に詳しく聞きました。一番最近の厄災は伝染病であり、感染源になった
病院を始めに、抵抗力の弱い年寄りや子供がバタバタと死んでいったそうです」
「その前は、村が大規模な火災に見舞われました。その頃はまだ町ではなく村だったそうです。
村の三分の一以上が全焼、百人近くが焼け死にましたが、火元は最後までわからないままでした」
教室内のざわつきは頂点に達している。
男子も女子も嫌悪の表情を露にし、中には不快のあまりに耳を塞ぐ者まで出始めた。
まひろにしてみれば何故皆がそんな反応を示すのかわからなかった。幸いなのかどうなのか、
瑠架の話している英語がひとつも理解出来ないからだ。
そして、まひろとは別に、皆とは違う表情を浮かべる者がもう一人。
眠たげな晶だけが憐れむような眼で瑠架を見ていた。
「更にその前になると詳しく知っている人はいないのですが、頭の狂った村人が住民を
次々に惨殺したり、ひどい飢饉に襲われたり、野盗が暴れ回ったり、そんな惨劇が三十年ごとに
繰り返されています」
「……驚く事に、今年は一番最初に言った伝染病の年からちょうど三十年目に当たります。
つまり今年、また新たな厄災が町に降りかかるのでしょう」
教室内は静まり返っていた。
もう誰も悪罵や嘲笑の囁きなどは出来ない。
それをした途端に彼女の言う“町の呪い”が己にも降りかかるのではないかという錯覚すら
覚える程に、“恐怖”が“嫌悪”を凌いでいたからである。
まるで、百物語の最後のロウソクを吹き消すような雰囲気の中、瑠架は締めの一文を読んだ。
「My hometown is SALEM’S LOT…(私の住む町は“呪われた町”なのです……)」
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