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「悪魔の歌 54-1」(2008/01/31 (木) 22:36:22) の最新版変更点
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リングの上では、鷹村が言った通りの理由で一歩が困惑していた。
どうにも手加減ができない理由はというと、レッドの外見が怖いとか、かわし易いとはとえ
パンチ力があるからとか、そういう理由で本能的警戒心が体を突き動かしてるんだ、と。
最初はそう思ってたが、違う。倒れないのだ。殴っても殴っても。20%の力で効かない、
なら30、40、まだダメか、50、60、とやっている内にいつの間にか……である。
じわじわと恐怖心で呼吸が詰まってきた。さほど手加減していないパンチを打ち続けている
為、汗も出てくる。まるで本番の試合のようだ。
『この人、強い……いや、違う。普通の強さとは質の違うこの感じ、前にどこかで……』
「うおおおおぉぉっ!」
顔を腫らせたレッドが疲労もダメージも無視して、衰えぬ猛攻を仕掛けてくる。風を巻いて
飛んで来た左フックを一歩がかわすと、間髪入れず右アッパーが来た。これをブロック、
『っっ!?』
できなかった。ボクシングの基本を無視した、顎を弾くのではなく喉を抉り取るような
深い深い角度の一撃が、一歩のブロックを叩き壊し、貫通する。そして顎を突き上げるが
飛ばしはせず、そのまま力任せに一歩の全身を高く持ち上げる。
青木と木村が驚き叫ぶが一歩の耳には届かない。身長差が大きくモノを言って、
巨漢・レッドがまっすぐ突き上げた腕の先端の拳の上に、一歩は顎を乗せられたのだ。両足
が完全に宙に浮かされている。
「幕之内君っ!」
根岸の声で一歩は意識を取り戻した。レッドのグローブから一歩の顎がずり落ち、それによって
持ち上げられていた全身が落ち、足から着地する。だがダメージは大きく、膝が抜ける。と、
「くらええぇぇぇぇっ!」
トドメとばかりにレッドの追撃が来た。姿勢が低くなっている一歩めがけて、思いっきり
大きく振り被って、打ち下ろしの右を放つ。
だがそれを許すほど日本チャンピオンは甘くない。冷静に見切って、低くなっている自分の
姿勢を利用して、そこから伸び上がりのアッパー、ではなく縦軌道のフックを放つ。これは、
「ガゼルパンチ!?」
「おい一歩、落ち着け! 相手は素人だぞ!」
「どうやら90%、いったな」
青木と木村が叫び、鷹村が呟く。一歩の得意とする一撃が、上から降ってきていた
レッドのパンチに対し、見事なカウンターとなって炸裂した。
先ほどと立場逆転、今度はレッドが顎を跳ね上げられてよろめく。まるで、後ろから
頭に縄をつけられて引っ張られているかのように、背を反らせて後退していく……が、
レッドはその縄を強引に首の力で引っ張り千切り、ムリヤリ顎を前方へ戻して、
「んがあっっ!」
吠えて、こらえた。汗だくの顔面に鬼の形相を浮べ、荒い息をついて立っている。
これには、充分な手応えを感じてレッドを殴り飛ばした本人、一歩が誰よりも驚愕した。
信じられないものに相対した戦慄で、目を見開いている。
その目に、レッドは己の視線を叩きつけていく。疾風のような烈風のような気迫を込めて。
「負けねえ……倒れねえ……俺は、やられるわけにはいかねぇんだ……俺は、俺が、
俺の、俺に……クラウザー……さん……俺、こんな生意気なこと言うのはこれが
最初で最後、だから……だから今だけでいい、俺に力をくれクラウザーさんっっ!」
『! ……この人は……』
固まっている一歩めがけて、レッドが走った。もう、いくらも残っていないであろう
体力気力を振り絞って、砲弾のような右ストレートを放つ。
レッドの、焼けるような気迫に押さえ込まれて動きを鈍らされた一歩は、その一撃を
かわしたつもりがかわしきれなかった。こめかみを掠めて、また意識が揺らいでしまう。
だがそこから先が、ボクサーだ。意識による判断能力が鈍っても、筋肉が動き続ける。
頭で考えずとも、体が最善手を選択するのだ。
だから一歩は、かわした動きそのままで左のレバーブローを叩き込んだ。それで「く」の
字に折れたレッドの体、降りてきた側頭部めがけて、まるで反復横飛びのように
右へ跳んでから、大きな右フックを叩き込む。続けて反対側に跳び、頭を∞の字に
振りながら思いきり反動をつけて左フックを打……
「っ!」
そこで、一歩の意識が戻った。今の一発目のフックでとうとう限界を迎えて倒れ伏す
レッドと、リングに駆け上がってきて自分に抱きついて制止する青木と木村、
リングの下で迫力に飲まれ呆然としている根岸、ただ一人落ち着いている鷹村、が見える。
「何考えてんだ一歩! 今、まさか、」
「あの踏み込み、角度、スピード、筋肉の張り、どう見てもお前は本気で、」
「……」
一歩が黙っていると、鷹村が代わりに言った。
「限りなく100%に近かったが、ギリギリで思い留まったようだな。大丈夫、安心しろ。
そいつは昔、このオレ様に素手で殴られまくってた男だぞ。その程度でくたばりゃしねえよ」
「…………」
一歩は一言も発せず、ただレッドを見つめていた。リングの下から、根岸も見ていた。
そして二人は、同じことを考えていた。レッドがなぜ、ここまで倒れなかったのか……を。
バケツの水をかけられて目を覚ましたレッドは、一歩に一礼すると言葉もなく帰ろうとした。
が、ダメージのせいか足がふらふらしている。
「あ、僕が駅まで送っていきますよ」
根岸が申し出て、肩を貸してやった。ジムを出ようとすると一歩が申し訳なさそうに、
「すいません根岸さん。せっかく来てくれたのに、ボク何もできなくて」
「とんでもない、凄いの見せてもらったんだから。じゃ、また来るよ」
体重差1.5倍はあろうかというレッドを支えて、根岸はひょこひょこ歩いていく。
多分、まだ頭痛とか目まいとかしているのであろうレッドが、苦しそうな声で言った。
「悪ぃな……面倒かけて」
「いいよ。ほら、僕だってDMC信者なわけだし。仲間同士、遠慮は無用ってことで」
「ははっ、なるほど。今日はその仲間にカッコ悪いとこ見せちまったが、それにしても……」
レッドは、一歩との打ち合いの一瞬一瞬を反芻するように語った。
「本当に強かったよ、あいつは。正直、ルール無用のケンカなら確実に勝てる、とは
言いきれねぇ。マジで素手で殴ったら、充分に人を殺せるレベルだと思う。そして多分、
イザとなりゃそれができるだけの精神力もある」
「そ、そう?」
「ああ。だからこそ、クラウザーさんもあそこまで褒めたんだろ。結局、クラウザーさんの
眼力を疑った俺がバカだったってことだ。こうなっちまったら、もうあいつのことを認めねぇ
ワケにはいかねえよな。何たって今、こんなザマだし」
まだ顔色は悪いが、レツドの表情に涼やかなものが浮かんでいた。
どうやら一歩への敵愾心(=嫉妬)は消えたようだ。おそらくこれが鷹村の計算、
というか望んでいた展開なのだろう。
根岸は心からホッとする。いろいろあったが、丸くおさまって本当に良かった。
「あのさ、それじゃこれからはクラウザーさんが言ってた通り、幕之内君が世界一になれる
ように応援しようよ」
「ああ、そうする。それがクラウザーさんの望みでもあるだろうしな」
「うんうん。絶対そうだよ」
「よしっ。早速、次の幕之内の試合には、DMC信者を大勢引き連れて大応援団といくか!」
レッドの元気な一言。根岸の脳は一瞬、その言葉の理解を拒んだ。
「……え。お、応援団って」
「あ。ここでいいぜ。ありがとな」
丁度駅についたので、レッドは根岸に手を振って歩いていった。そこそこ回復したらしく、
ゆっくりだがふらつかずに歩けている。
しかし根岸は、もうそんなことどうでも良くて。
『DMC信者大勢による、幕之内君の大応援団……………………』
昨日は鷹村犯したぜ! 明日はリカルドほってやる!
殺せ殺せ殺せ会長など殺せええええぇぇぇぇっ!
ゴートゥ幕之内! ゴートゥ幕之内!
その光景を想像した根岸の顔から、血の気が滝のように引いていった。
「ど、ど、ど、ど、どうしようっっっっ!?」
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