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「シュガーハート&ヴァニラソウル 47-4」(2007/12/24 (月) 09:32:04) の最新版変更点
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『初めての友達、そして転校生 ②』
静と十和子の目の前で自動ドアが開かれ、男子学生と思しき人影が一つ、オーソンの店内から道路へ飛び出した。
命からがら逃げ出してきたのだろうか。彼は一度たりとも振り返ることなく、彼に群がる野次馬たちを突き飛ばして、
風のようにその場を駆け抜けていってしまった。
規定時間内に動体を検出しなかったセンサーの命令で、ガラス戸が自動的に閉まっていく。
その瞬間、静は確かに見た。レジカウンターの前で包丁を持つ男を。
そいつの腕の中には小さな赤ん坊がいたことを。
だが、すぐに戸は閉まってしまい、朝の逆光を受けたガラスのために店の中は見えなくなってしまう。
「いた……」
「え?」
「赤ちゃんが、いた……」
それは十和子の「え?」に答えたのではなく、自分のなかで確認するために繰り返したというような、そういう呟き方だった。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる、足は瘧のように震えている、視界は歪んでいた。
退屈な日常の慰めにしようと、無責任な人々が集まってくる。
これから始まるものが大捕り物なのかスプラッタなのかは知るべくもないが、朝の物憂げな空気を吹き飛ばしてくれるものなのは間違いない。
そして彼らは会社で、学校で、ランチの場を盛り上げるネタとして興奮気味にこう言うのだろう。
『今朝スゴイもの見ちゃっってさー』、と。
……みんな最低だ。
「──あんた、なにするつもり?」
その言葉で静は我に返って背後を見る。十和子に肩を掴まれていた。痛みすら覚える、爪を立てた万力のような力だった。
「別になにもしようとしてないわ……痛いよ。離して」
腕を振ってそれから逃げると、今度は手首を取られた。
「嘘だね。『わたしは赤ん坊を助けに行く』、そんなツラしてるわよ」
言われて気が付いた。
野次馬の輪が幾重にもオーソンを囲んでいるのだが、その出入り口付近だけはぽっかりと穴が空いている。
まるでその空間が立入禁止であるかのように、『向こう側』と『こちら側』の緩衝地帯であるように。
静は、その空白の領域に足を踏み出しかけていたのだった。
「あんたはやめときなさい。もうすぐ警察が来るから、それに任せるのが冴えたやり方ってヤツよ」
その、どこか突き放したような十和子の言葉に、静の中で『なにか』が切れた。
きっ、と彼女を睨みつけ、
「泥棒がそういうこと言うの? 自分に都合の悪いときだけ、警察頼りなの?
それが『冴えたやり方』だっていうなら、わたしそんなの知らない!」
今度こそ突き飛ばすように十和子から離れ、
「わたし、馬鹿でいい!」
言い捨て、一直線にオーソンの入り口へ走り出す。
静が戸の前に立つと、動体を感知したセンサがドアを開く。
自動ドアが開ききるのももどかしく、割り込むように隙間に身を差し入れる。
僅かにたたらを踏んで入り口横のコピー機に手を突いた静は、素早く店内を見回した。
人は疎らだった。一人ひとりを観察する余裕は無かったが、所々に散らばって二、三人。
それとは別に、正面のレジカウンター内には怯えて固まっている店員、そして、
奇妙なものを見るようにこちらへ視線を向けている男が一人。先ほど静が見た男だった。
「──く、来るな!」
静と目線がかち合うなり、男はそう言って静に向けて包丁を突き出した。
五メートルはある彼我の距離を、刃渡り十五センチの包丁で埋めることが出来ると本気で思っているのか、
必死に何度も突く動作をする。明らかに精神の平衡を欠いた挙動だった。
静は心を落ち着けるように一つ深呼吸をし、
「ねえ、それ」
すう、と指で男の胸の辺りを指差す。
それと同時に、その場の誰にも理解できないであろう単語を吐いた。
「『Achtung Baby』」
次の瞬間、静の指す場所を目で追う男の顔が、驚愕に歪む。
腕に持っていたはずの赤ん坊が──消えていた。
男がおたおたと周囲に視線を泳がせるその隙を突いて、静は早足で男へ歩み寄っていく。
ぽかんと口を開けている男は、その静の動きに気が付いていない。気が付くはずもない。
今や男の目には、腕の中の赤ん坊も、彼に近づく静の姿も、どちらも映っていなかった。
「な、な……!?」
はっきりと顕在し始めたその異常に、男の精神は混乱を極める。
赤ん坊の姿はないくせに、自分の右腕にはしっかりとした重みを感じている。
目の前には誰もいないくせに、こつこつと床を叩く靴音が──。
「なんだああぁッ!?」
奇妙な状況に耐え切れなくなった男が包丁を滅茶苦茶に振り回す。
その背後に、静は立っていた。……男から奪った赤ん坊をその腕に抱きながら。
それすらも、男には見えていない。ひたすらに、なにもない前方の空間に刃を突き立てるだけである。
『物質を透明化させる』──それが、静の持つ常人には無い特殊能力、『スタンド能力』だった。
『アクトン・ベイビー』。
それが静・ジョースターのスタンド能力であり、静の運命を大きく狂わせた力そのものだった。
十五年前、静は私用で杜王町を訪れていたジョセフ・ジョースターに拾われた。
その彼の尽力も空しく、彼の滞在中に両親を見つけることができず、結果、彼の養女として引き取られることになる。
養父ジョセフ・ジョースターからその事実を言葉少なに聞かされたとき、静は直感した。
──それらの経緯は、ある一つの無慈悲な現実を意味していると。
自分は捨てられた子供なのだ、と。
治安もへったくれもないスラム街や、人口が多すぎてどうにもならない大都市でもなく、
ただの小さな町で赤ん坊が一人消えたというのに、それが事件になることがなかった。
親が『消えた子供』に騒ぎ立てないとはどういうことか──静には一つの答しか浮かび上がってこない。
静の両親は、最初から『いなかったこと』にするつもりだったのだ。きっと捜索願すら出されていないのだろう。
紛れもなく自分は捨てられたのだ。『いなかった子』として、彼らの記憶から消されてしまったのだ。
捨てられた赤ちゃん。そんな自分の運命を象徴するような、『消える』スタンド『アクトン・ベイビー』。
そしてある日、静は決意する。
「両親に会いに行こう。会って、『わたしはここにいる』ということを教えてやりに行こう」、と──。
それが、彼女にとっての、人生に立ち向かうたった一つの方法だった。
「う、うう……どこだ……どこに消えやがった……。いるのは分かってるんだ……」
目を血走らせて、男は苦悶の声を漏らしていた。歯を剥き出しにしてだらだらと涎を垂れ流している。
普通の人間なら「一瞬の隙を突いてどこかへ隠れた」などそういう解釈をするものだったが、
そうした分かりやすい答には飛びつくつもりはないようで、執拗に静と赤ん坊の姿を求めて空中を睨んでいた。
それは素人目にも分かるくらいの「危険な状態」で、暴発寸前だった。
静はそんな男を刺激しないように息を殺してゆっくりと後じさる。姿は無く、音も無い。だが、
「ふぇぇぇ……」
静の腕の中の赤ん坊が、むずがって泣き声を上げた。まずいと思うがすでに遅く、男がこっちを見る。
「そこかああああああぁぁッッ!」
口角泡を飛ばして男が突進してくる。その腕の先には包丁が光っていた。
「──っ」
逃げる暇はなく、それでも静は赤ん坊を庇うように男へ背を向け、目を固く閉じた。
「せええぃっ!」
瞬間、耳を疑った。その叫び声は女の子のもので、しかも十和子の声に似ていて、でも彼女は店の外にいたはずで──。
がちゃん、と金属が落ちる音がして、静の横に包丁が滑ってくる。
訳が分からないながらも、慌てて『アクトン・ベイビー』の能力を使ってそれを透明化させた。
その静の背後では、なにかが立て続けにぶつかり、激しい衝突を繰り返し、商品を並べた棚が盛大に倒れているのが聞こえる。
やっと静かになった頃、恐るおそる後ろを振り向いた静の目に映ったのは、
「ったく……あたし低血圧なんだから、こーゆーハードなのは勘弁して欲しいわ、マジで。……あ痛、子宮吊った」
レジカウンターに座って足を投げ出している十和子と、その足元に力なく伸びている男の姿だった。
「と、わ……こ……?」
静はつぶやいた。その声は喉に引っかかったとても小さなもので、距離的にも彼女に聞こえるはずはなかったが、
「飲む? 静」
カウンターから滑り降りた十和子は、ガラスの戸で遮られた陳列棚から缶コーヒーを取り出し、
それを静に向かって放り投げたのだ──まだ『アクトン・ベイビー』で透明になっているにも係わらず、である。
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