抜け殻』『脱皮』『小箱』の続きになります。

 

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『空蝉』

 

 

「緊急事態です!」

暑い日だ。燦々と輝く日差しが降り注ぐ部室に、爛々と目を輝かせる古泉がいる。

「どうした、古泉」

「どうも、機関の非主流派が橘の手の者と通じているようで、あなたのことを狙っているとの情報が入りました」

橘? あの機関の敵対組織のやつか?

「ど、どういうことだ?」

「最近の安定した状況に、機関の存在意義が危ぶまれていると勝手な解釈を……」

「それで、俺を狙ってハルヒを焚きつけようというのか?」

どうしてみんなハルヒにちょっかいを出したがるんだ。酷い目に遭うのはいつも俺なのに。

「とにかく、差し迫った危険を回避するためにあなたは身を隠す必要があります」

「どうすればいい?」

古泉は長机を回りこむと、ぐっと俺に近づいてきた。そして、ポケットから小さな箱を取り出すと、俺の目の前に差し出した。

「ここに僕の抜け殻があります、これを被って僕に成りすましてください」

「何?」

「あなたと僕では、ほぼサイズ的には問題ないと思います。ごく一部分を除いては」

「一部分ってどこなんだよ」

「まぁまぁ。とにかく服を脱いで裸になってください。そして、これを身に着けるんです。一部分も含めてです」

「こ、こら、それ以上変に近づくな、自分でできる……」

「いえ、あなたはただじっとしていればいいんです、フフ」

「やめろ、古泉! ベルトから手を離せ!」

「いいじゃないですか、お手伝いしますよ」

「や、やめろおぉぉぉぉぉー」

 

 

……ぉぉぉぉおおおお、お?

視界の中に見慣れた天井の模様がはっきりしてきた。暗い……、夜か? ここは、俺の部屋? どうなっているんだ?

 

今のは……、そうか、夢、か……。

 

ベッドから身を起こして時計を見ると三時だった。

いやな夢だ。なぜ俺が古泉にズボンを脱がされなければならないんだ。しかもあいつは自分の抜け殻を着ろと迫ってきた……。

俺は額の冷や汗を右手で拭うとベッドから降りて机の前に行き、引き出しの奥から、三つの小箱を取り出した。

これのせいであんな夢を見たのか……。

成り行きで手にすることになった、宇宙人と未来人の抜け殻が入った小箱を、俺はぼんやりと見つめている。

成り行き? いや、長門が半ば強引に……、でも、俺にも興味があったのは事実だ。まだ、小箱の中身を三つを並べてじっくりと眺めてみたことは無いけれど。

 

『緊急事態に陥った時に使って』

 

先日の長門の言葉が思い出された。とりあえず、しばらくの間は、常に持ち歩いた方がよさそうだ。緊急事態が起ころうが起こるまいが、この小箱の存在を誰かに知られるわけにはいかないしな。

ふぅ、もう一眠りできるだろうか?

小箱を引き出しにしまい、俺は再びベッドに潜り込んだ。

 

結局、その後もたいして眠れなかった。おかげで、今日は授業中も寝てばかりだった。なに、普段と変わりないって? ほっといてくれ。

「あんた、相変わらずよく寝るわねー、どっか悪いんじゃない?」

午後の授業が始まる前のことだ。俺の後ろの席のハルヒはあきれた様子だった。

「いろいろ苦労があるんだよ」

「なにが苦労よ。ホントに苦労してるんなら、寝てるヒマなんかないわよ」

「へいへい」

当面の苦労の種は、かばんの中の三つの抜け殻だが、なぜそんなものを俺が手にする事態になったか、ということについて「なぜなぜ」と、とことん辿っていくと、行き着く先は、ハルヒ、お前にぶち当たるんだぜ。すべての道はハルヒに通じている。責任とってくれよな。

「なに? なんか言いたいことでもあるの?」

「いいや、なんでもない」

「ふん」

ハルヒはプイっとふくれて窓の外を見ている。でも、心底怒っているわけではなく、会話を楽しんだ、と言う感じのリラックスした横顔だった。

 

その後の午後の授業も記憶がはっきりしないうちに終了したようだ。気がつけばすでに放課後モードになっていた。

「じゃ、お先」

「うん、あとで」

掃除当番のハルヒを残して、俺は教室を出て部室へとむかった。ハルヒは結構律儀に掃除はしている。適当に理由つけてサボったりしそうにも思えるんだが、こういうところも常識が支配しているようだ。その勢いで、妙な灰色空間など出現させないでいて欲しいわけだが、その辺は古泉の守備範囲なので俺としては深入りはしないし、したくもない。

 

いつものようにノックして部室のドアを開けると、デフォルトの長門に加えて珍しく古泉も来ていた。いつもの笑顔に少し怪しい光を感じたが、それは昨夜の夢のせいかも知れない。朝比奈さんもまだのようなので、おいしいお茶はいましばらくお預けだ。

「よお、早いな」

「どうもです」

古泉は少しばかり頭を下げた。

「涼宮さんは掃除ですか?」

「そうだ、まじめにやっているようだな」

俺はいつもの場所に腰を下ろした。長門は、普段どおり丸テーブルの横でなにやら分厚い本に目を落としている。たまにはマンガでも読んでみてはどうだ、と言ってやりたいね。結構気に入るかもしれないしな。

一方、古泉は長机の上で組んだ指先をじっと見つめていたが、顔を上げるとすこしばかりまじめな表情で静かに話し始めた。

「涼宮さんがいらっしゃる前にお話ししておこうと思うのですが、実は、あなたに危機が迫っているようなのです」

「なに? 俺に?」

長門も少し驚いた様子で顔を上げた。

古泉は軽く腕組みし、やや伏し目がちに物憂げな様子で続けた。

「機関の非主流派の一部が、例の橘の手の者と通じているようで……」

ん、あ、あれ? どこかで聞いたような状況……。

「どうやら、最近の安定した状況に対して、機関の存在意義が危ぶまれていると勝手な解釈をしているようです」

な、な、な、なにぃ?

「そこで、涼宮さんを焚きつけてコトを起こすために、あなたに危害を及ぼそうと……」

そこで古泉はぐっと体を乗り出すと、少しばかりいつものニヤケ顔に戻った。

「でも大丈夫です、フフ」

眼前に迫ってくる古泉の笑顔に、昨夜の夢に登場した古泉の危険な笑顔が重なって、俺の背中に電気が走った。思わずズボンのベルトを確認し、少しばかり後ずさりすると、俺は叫んだ。

「ま、ま、待て、まさかお前の抜け殻を被って身を隠せ、なんて言うんじゃないだろうな!?」

「は? 僕の抜け殻? 何のことですか?」

あっけにとられた古泉がぽかんと口を開けた後ろから、長門の声がかぶさってきた。

「彼は今、わたしの抜け殻を持っている」

「な、長門さんの抜け殻? なんですか、それは?」

こんな表情の古泉など見たことが無い。狐と狸に同時につままれたようだ。

どうやら古泉は俺のズボンを強引に下ろそうとしているわけではないことははっきりした。とりあえず落ち着いた俺は、椅子に座りなおすと、古泉に面と向かい、状況を説明することにした。

「うん、いや、実はな……」

 

俺は例の抜け殻のことをかいつまんで古泉に話した。古泉は、時折、「ほぉ」とか「なるほど」とか、大げさに相槌を打ちながら話を聞いていたが、最後に、

「安心してください、僕は脱皮はしません。あなたと同様にこの時代を生きる普通の人間ですので」

そういって、いつもの笑顔で微笑んでいた。

「頼むぜ、お前の抜け殻まで俺は持ち歩きたくはないからな」

古泉は無言で肩をすくめて苦笑いを見せたが、すぐに真顔になって話し始めた。

「いずれにせよ、あなたに危険が迫っていることは確かです。どうやら長門さんの抜け殻をうまく利用することも考えないといけないようです」

「同意する」

「長門……」

「そろそろ涼宮さんも掃除を終わってこちらにこられる時間です。続きは、よろしければ長門さんのご自宅で、いかがですか?」

古泉の問いかけに長門は間髪を入れずに答えた。

「わたしは構わない」

「わかったよ、なんだか知らんが、俺もヒドい目には遭いたくないからな」

「では、今日の解散後にあらためて長門さんのところに集合しましょう」

「朝比奈さんはどうする?」

「そうですね、とりあえず僕たち三人だけでいいんではないでしょうか」

「同意する」

再び即答する長門。

うん、そうだな。ここに朝比奈さんが入っても、申し訳ないが正直役に立つとは思えない……。古泉の言う通り、俺たち三人でコトに当たるのがよさそうだ。

「じゃ、よろしくな」

 

その後すぐにハルヒと朝比奈さんが前後して部室に到着した。そして、いつもと変わらぬように団活動にいそしんだ俺たちは、長門の合図と共に今日のメニューを終了し家路についた。

 

坂の下で解散した一時間後、俺と古泉は長門のマンションのリビングでコタツ机の定位置に座っていた。このコタツ机とも長い付き合いになるわけで、おのずと座る位置が固定してしまっている。慣れとは恐ろしいもので、たまに違う位置に座るとなんとなく落ち着かない気がするようにさえなった。

今、その机の上には、長門が出してくれた三つの湯飲みと、例の三つの小箱が並んでいる。古泉は長門の抜け殻の入っている青い箱を手に取ってしばらく観察しいていた。

「そうですか、これがTFEI端末の体表保護皮膜ですか」

「あとそのピンクのやつが朝比奈さんの、えっと、SPSだったっけ?」

長門の方に振り向いて確認してみると、即座に応答が返ってくる。

「そう、Surface Protect Shield

「それが入っているらしい。俺も実物はまだ見ていないんだが」

朝比奈さんが『見ないで』と言ったので今のところ俺はその言葉に忠実に従っている。箱の中になにが入っているか確認したわけではないが、生真面目な朝比奈さんのことだ、きっときれいにたたまれた朝比奈さん自身の抜け殻がそっと納められているはずだ。

 

「先ほどの話だと……」

古泉は、手にした小箱を再び机の上に置いた。

「中に入ることができるそうですね」

「彼は、わたしの中に入ろうとした」

「『わたしの抜け殻の中』だ」

俺は少しばかり情報の伝達に齟齬が発生しそうな言い回しを修正した後、話を続けた。

「長門は小柄なんで、抜け殻の中は狭いんだ。肌に密着するし大変だったんだ。片足入れるだけでも結構時間がかかった」

俺はあの夜のことを思い起こした。右足だけ抜け殻に入れたところで抜けなくなってしまったことを。そして、夜中にここまで駆けつけて、長門が俺の太ももをサワサワしてくれたおかげで、やっとのことで俺も脱皮することができたことを……。

「大丈夫、少しばかり情報操作を行うことにより、抜け殻の着脱は以前より容易に行うことができるようになるはず」

「そうすると、後は衣装ですね」

古泉は俺と長門を交互に見ながら、自信たっぷりに頷いた。

「幸い、長門さんはほとんどいつも制服をお召しです。つまり、あなたの体のサイズに合わせたセーラー服があれば、いつでも長門さんに成りすますことができます。すぐにでも機関の方で用意させましょう」

「おい、待てよ、すると俺は抜け殻と一緒にセーラー服まで持ち歩く必要があるわけか?」

「当然です。さらに言うなら、必要に応じて長門さんと行動を共にした方がいいですね」

「長門と?」

「長門さんになりすまし追っ手を振り切るためには、まずは長門さんと行動を共にしないと意味がありません」

ふむ、そりゃそうだ。俺一人のときにいきなり長門に変身したら怪しいことこの上ない。

「今週末は、久々に例の不思議探索が予定されています。入手した情報によると、どうやらその日に何か計画されているようです。おそらく、探索が終了し解散した後、あなたが一人になった時を狙ってくるのではないかと予想しています」

古泉は、一言一言を噛みしめる様にはっきりと話すと、湯飲みを手にしてお茶をすすった。一瞬の静寂が無機質なリビングを包み込んだ。

「残念ながら、連中がどのような手段で来るかまではわかっていません。とりあえず探索終了後、敵の出方を見るために、長門さんと一緒に少しばかり街中を歩いてください」

「了解した」

長門は小さく肯いた。何かこう闘志というか決意に満ちた無表情だった。

「機関のものも適切に配置させます。うまく、連中の裏切りの証拠を入手できれば、今後の動きも抑えることができます」

ううむ、それってつまり……、

「……俺は囮か?」

「すみません」

申し訳なさそうに頭を下げた古泉だが、静かに頭を上げると力強く宣言した。

「しかし、当初予定していなかった長門さんの抜け殻を使うことによって、危険度はかなり緩和されると思われます。大丈夫です、あなたに危害が及ぶようなマネはさせません」

「わたしもついている。安心して」

長門が漆黒の瞳を輝かして俺のことをじっと見つめている。そんな長門は小柄ながらもとてもたくましく見える。長門がそういってくれるなら、それは俺にとって十分な重みを持っている。

「わかった、任せる。よろしく頼む」

 

翌日の放課後には、古泉から俺サイズの北高指定セーラー服が届けられた。

今、かばんを開けられると、俺は『変態』の称号をほしいままにできそうな状況ではある。女性の抜け殻三つにセーラー服だ。しかし、これらのアイテムは俺の身の安全のために必要なものらしい。あぁ楽しきかな、この日常……。

 

そして、毎日かばんの中身を気にしているうちに、あっという間に週末がやってきた。

 

========

 

 

週末、天気はよかったが俺の気分は晴れなかった。

そういえば久しく不思議探索はやっていなかったので、なんとなく新鮮な気もするのだが、やっぱり俺の奢りからスケジューリングされていたので、結局は、以前と一緒だった。

ただひとつ違うのは、今日は、俺に危機が迫っているらしいということだ。ただし、それも探索終了後ということなので、それまではごく普通に振舞わなければならない。

例の小箱と変装用のセーラー服は駅のロッカーに入れておいた。普段手ぶらで探索に来ているので、今日だけ紙袋をぶら下げるわけにもいかないからな。探索終了後に取り出して、長門と一緒に街中をうろつく予定だ。

 

ハルヒは、久々の探索と言うことで、すこぶる上機嫌だった。さらに午前の探索は、珍しく俺とのペアになった。いろいろありそうな今日一日のことに思いを巡らし若干ブルーな俺に、

「どうしたの、元気ないわね。あたしが元気あげようか?」

などと優しい言葉をかけてくれる。普段からこれくらいのことをしてくれれば、俺も苦労することは何もないのだが。

「お前の元気を貰ったら、俺はオーバーフローしてしまうよ」

「ははは、じゃあほどほどにしておいてあげるわ」

確かに、今日のハルヒからはいつも以上に、こっちまで元気させてくれるオーラが湧き上がっているのを感じる。午前中、一緒にあちこち回っているうちに俺の気分にも少しばかり晴れ間が差してきた。

 

午後は、長門と古泉と一緒の組になった。どうも、長門がくじ引きに少し細工をしたようだが、まぁ、いいだろう。俺たち三人は喫茶店に入って、今日のこの後の段取りについて、もう一度確認した。

「すでにあなたには尾行がついているようですね」

「ほんとか、古泉?」

「おっと、なるべく普通に話してください。二、三名が入れ替わりながらずっと尾行(つけ)ているようです。それ以外にも何人かいるようですが、まだ全貌はつかめていません」

せっかく午前中にハルヒに貰った元気だったが、一気にしぼんでしまいそうな感じだ。いったい、俺をどうしようと言うのだ。

「とにかく、普段どおりにしていてください。解散後もできるだけ長門さんと行動を共にしてください」

「わかったよ。長門、よろしくたのむ」

「了解した。大丈夫」

その後は三人でできるだけ人の多いところを選んで探索を行った。もちろん、万が一のことを考えてのことだったが、特には何も起こらなかった。確かに、万能宇宙人と、機関の主流派が一緒じゃ手出しはできまい。

 

「今日は、久しぶりに楽しかったわ。やっぱり不思議探索は我がSOS団の活動の原点ね」

午後の探索も終了し集合場所に集まった俺たちを前に、ハルヒは満足したように宣言した。

「今日は解散! お疲れー」

「お疲れ様でしたー」

朝比奈さんと一緒に去っていくハルヒの後姿を見送りながら、いよいよこれからが俺にとって本番であることを自覚し、少しばかり身が引き締まる思いだ。

「では、僕も失礼します。この後は長門さんにお任せして、僕はバックアップの方に回ります。大丈夫です、安心してください」

俺は機関に百パーセントの信頼を置いているわけではないが、SOS団結成以来のゴタゴタを通して、古泉のことは良き戦友として信頼してやってもいいと思っている。

「頼むぜ、古泉、長門」

そして、長門だ。この万能有機アンドロイドには俺は言葉にならないぐらい世話になっている。何か恩返しができればいいんだが、俺にできることは残念ながらほとんど何もないのが悔しい。

「例のものを……」

俺は長門と一緒に、駅のロッカーから小箱とセーラー服の入った紙袋を取り出すと、街の探索を再開した。

 

その後、しばらくウィンドウショッピングしたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしたが、俺は気が気じゃなかった。長門はいつもの様に終始無表情だったが、おそらく全身全霊をかけて周囲の状況を探り続けていたのだろう。

「なぁ、長門」

「なに?」

「やっぱ尾行されているのか?」

「店の外に一名、さらにその後方に二名。ただしそのうちの一名は古泉一樹側のもの」

「そ、そうなのか」

ううむ、どうしようもないな。長門がいてくれて助かった。俺一人だと、あっという間に敵の手に落ちて、すき放題されていたことだろう。

喫茶店を出てしばらく歩いていたが、そろそろ、街は暮れなずんできた。いつまでも長門といれば俺はおそらく安泰だが、ここは囮となって今後の憂いを排除する方向に持っていかないと、いつまでたっても危険と隣り合わせの追われる立場だ。

 

ふと隣の長門を見ると、漆黒の大きな瞳の輝きが五割ほど増しているのがわかった。何かある。

「どうした? 長門……」

「徐々に追っ手が間合いを詰めている」

「なに、ほんとか?」

「人数も増加している。危険」

「お前と一緒なら大丈夫だろ」

「そう。だが、彼らは、あなたがわたしと別れて一人になる時を待っている。そして、その時が近いと判断している」

「じゃあ、そろそろ……」

「そう」

通りを曲がると、急に人通りが少なくなった。しばらく行くと、長門が、

「こっち。ここに行く」

といって、俺の手を取って右側の建物に入ろうとした。

「おい、どこに……、って、これラブホ……」

「そう、ここで休憩」

「いや、あの、ちょ、ちょっと待て……」

「待てない」

こんなところを誰かに見られたらどうするんだよ、という突っ込みを入れる隙もなく、俺は長門に引っ張られるままにラブホテルに連れ込まれてしまった。

 

しばらくは何がどうなったのかよくわからなかった。ロビーのようなところの各部屋を紹介するパネルを操作しているうちに、気がつけば、シックな内装の少し大きめの部屋の、やはり少し大きめのベッドに長門と並んで腰掛けていた。

こんなところに長門と二人でいるなんて、なんか場違いだ。危険が迫っていることも忘れて、思わずあちこちきょろきょろしてしまうのが情けない。

テレビドラマなんかで見たことのあるようなケバケバしさはなく、全体的に落ち着いた感じのする部屋なのだが、妙に大きい鏡とかベッドの枕もとの用途のわからないスイッチ群とかが、怪しげな雰囲気を醸し出している。

「何がなんだかわからん」

「はじめて?」

「そうだよ」

「そう、わたしもはじめて」

そのわりにはチェックイン(というのか?)の手際はよかったな。長門のことだから何か情報操作でもしてくれたのだろうか。

「変装してすぐに出て行く必要はない。少しばかり時間をつぶし、相手の注意を引いてからの方がよい」

ベッドの縁にちょこんと座った長門は、隣に座っている俺の方を見上げながら少し首を傾けて言った。

「せっかくだから、少し休憩していく?」

二・三度まばたきした長門の大きな瞳に壁際の間接照明の明かりが映り込んでなんとなく潤んで見える。

「え、え、休憩って?」

「そう、休憩」

いや、あの、長門、それって……、えっ?

長門はそのまま仰向けにベッドの上に倒れこむと、組んだ手をおなかの上に載せて天井を見上げている。

「天井も鏡……」

その言葉で俺も見上げてみたが、確かに鏡だ。ベッドの上の長門と、首だけ見上げている俺の姿が映っている。

「なぜ?」

「ん、なぜって言われても……」

「不思議……」

長門はそうつぶやくとそっと瞳を閉じた。

「おい、長門……」

淡い灯りのなかで、長門の白い頬にやや朱みが差しているのがわかる。制服の胸元のリボンがゆっくり上下しており、やがてゆったりとした寝息が聞こえてきた。どうやら本当に休憩するつもりのようだ。

「……長門」

宇宙人製万能有機アンドロイドとしてかなりのエネルギーを使って、ここまで俺のために注意と警戒を払っていてくれたんだろう。さすがの長門でも少しばかり疲れたに違いない。

「すまんな、長門……」

俺はしばらく長門の寝顔を見つめていた。が、長門が初めて脱皮した日の俺の部屋のベッドで見たうつぶせ姿の白い裸身が浮かんできて、どうにもこうにも頭の中で妄想と言う名の大竜巻が暴れまわっている。こんな時に俺って奴は……。

「も、もういい。俺も寝る!」

勝手に宣言した俺は、長門の隣に寝転がると少しばかりの眠りに落ちたようだった。

 

 

「……ねぇ、お・き・て」

ん、あぁ?

「そろそろ、時間。お・き・て」

目を開けると、俺のことを覗き込む長門の黒い瞳が視界に入った。さらにその後方では、ぼんやりと目を覚ましつつある俺の姿が、天井の鏡の中に映りこんでいた。

「……な、長門?」

何か妙に甘い起こされ方をしたような気がするのは、夢の続きだったのかも知れない。俺はゆっくりと上体を起こすと、長門の方に振り返った。すでに長門からは戦闘モードに突入したような力強さが感じられる。やはり夢だったのか……。

「着替えて」

長門は、青い小箱とセーラー服の入った紙袋を俺に手渡した。

「えっと、服は全部脱いだ方がいいか?」

「その方が抜け殻が肌になじむと思われる」

「そ、そうか」

「手伝う?」

長門は、じっと俺の目を覗き込むように問いかけてくれたが、長門の前で素っ裸になるわけには行かない。

「いや、いいよ、あっちで着替えてくる」

俺はあわてて小箱と紙袋を受け取ると、洗面所の方に飛びこんだ。

 

それにしてもどこに行ってもでかい鏡がある。こういうところはどこもそうなのか? それともこの部屋だけのことなのか?

俺は小箱を開けると、長門の抜け殻を取り出した。ふわっという感じで広がると、以前に見た透明な長門が現れた。

 

まさか本当にこれに全身入ることになろうとは……。

 

俺は服を脱ぎ捨てると、以前と同じように抜け殻の背中の裂け目から右足をそっと入れた。今度は、長門が何か細工をしてくれたようで、前と比べると、あっさりと右足を入れることができた。ふくらはぎを触ってみたが、やはりキメが細かくつややかな肌だ。

おっとそんなことを確認している暇はない。

俺は、左足も同じように突っ込むと、太ももの辺りを手繰りあげながら、腰から下を抜け殻の中に納めようとした。さすがに太ももも腰回りも小さかったが、抜け殻は弾力よく伸びて、俺の下半身はすんなり納まった。

よし、このまま一気にいくか。

今度は上半身だ。長門と俺では十センチ以上の身長差があるので、肩の位置は結構違ったのだが、やはりこの抜け殻はよくできている。グーンと伸びて結局、両手と頭を入れるのにも苦労はしなかった。まぶたと鼻の位置を合わせるのに少しばかり手間取ったが。

ふぅ、入った……。

入ってしまえば締め付け感は少しもない。俺は、口の辺りのしわを延ばしつつ、ゆっくりの目を開けて、鏡に映った自分自身の姿をそっと見つめた。

 

そこで見たのは、洗面所の蛍光灯の明かりの中で、つややかで滑らかな白い肌が輝いている長門の姿だった。

もっとも、全体的な体つきは小柄な長門ではなく、俺だった。ふたまわりぐらい大きな俺が入ったおかげで抜け殻は伸びきってしまい、せっかくの胸もぺったんこだ。ただし、先端の薄いピンクの小さな突起だけははっきり残されている。

思わず指でつまんでみたが、ぺこっとつぶれてしまった。そりゃそうだ、抜け殻なんだからな。

さらに視線を下のほうに向ける。

当然ウエストラインにはくびれも変化もない。そしてもっとも神秘的な場所なんだが、こればかりはどう表現してよいものか……。所詮中身は男だ、根本的な造りが違う。あとは想像してくれ。

すまん、長門。

 

そういえば、この状態ではトイレにも行けない。先に用を済ましておくべきだった。

そんなことを考えながらひと通り観察が終了したので、俺は紙袋から制服を取り出した。その時、白いものが床に落ちた。さすがだ古泉、下着まで用意していたのか。

少しばかりレースで縁取られた純白の女物のパンツをはく。このパンツは古泉の趣味なのか、それとも森さんあたりが用意してくれたものなのか。小さいくせにきちんとはくことができた。抜け殻同様によく伸びるようだ。

ブラは入っていなかった。どうやら、ブラをする必要がないことに古泉は気づいていたと見える。あらためて言おう、さすがだ古泉!

その後、どうにかセーラー服を身に着けた。短いスカートがどうもなじめない。女性たちはよくこんなスカスカするものをはいていられるもんだ、無防備なことこの上ない。

最後に紺のソックスをはいて、あらためて鏡の前に立ってみた。

うーん、でかい長門だな、やっぱり。

顔の輪郭は違うが、個々のパーツは長門そのものだし、セーラー服を着ると、体のラインが隠される。スカートから伸びる足も、皮膚の色と質感だけは長門と同じだ。太さはどうしようもない。スカートでなくパンツルックだとごまかせそうだな。

俺は、鏡の前でくるっと一回りして、ポーズを取ってみた。さらりとたなびくショートカットの髪、そして、一瞬舞い上がったスカートの中に白い下着が見えたような気がしてドキリとする。

鏡の中の俺に向かって、首をかしげて軽く微笑んでみる。ふむ、長門が微笑むとこんな感じなのか。か、かわいいじゃないか……。

いかん、いかん、あれは俺自身だ。俺は決して変な趣味はない。

 

「よし」

気合を入れた俺は洗面室を出て、長門の待つベッドルームへと向かった。

「すまん、待たせた、な、な、長門? その格好……」

ベッドの横で振り返った制服姿は、長門ではなくて喜緑さんだった。

「喜緑江美里の抜け殻を着た、……あなたもセーラー服がよく似合っている」

さすがに俺が長門の抜け殻を着るより、喜緑さんの抜け殻を着た長門の方が遥かによくマッチしている。どこからどう見ても喜緑さんだ。

その喜緑長門は、俺のことをじっと見つめている。何か珍しいものでも見るような表情に思えたのは、俺が気にしすぎているからか。

「あなたがここを出てしばらくしてから、わたしはこの格好で出る。できるだけ人の多いところを通ってわたしのマンションに向かって」

そういって、喜緑長門はマンションの鍵を俺に手渡した。

「ここを出るときには、見た目が小さくなるように、少し体を縮めた方がいい」

「うん、わかった。じゃ、行ってくる」

「気をつけて」

 

おそらくは古泉側の誰かが俺のことをフォローしてくれているはずだ。頼むぞ、古泉。

俺は、少し体を縮めるようにしながら、できるだけ自然な感じでラブホテルを後にした。追っ手が来ているかなんて俺にはわからない。長門に言われたように、人通りの多いところを選びながら長門のマンションを目指した。

 

長門に変装しセーラー服まで着ているので周囲の視線が気になって仕方がなかった。どれほどの時間が経過したかもわからないし、どこをどう通ったのかもわからないまま、やっとのことで長門のマンションが見える所まできた。もう少し、向こうの角を曲がってちょっと行けば、エントランスだ。だんだん歩みが速くなる。

ついには少し小走りになって角を曲がった瞬間、誰かに腕をつかまれた。

「うぐっ?」

「そんなにあわててどうしたんですか?」

聞きなれない太い声が耳元で聞こえた。

「どこで手にいれたのか知りませんが、妙なものを着ていますね。すっかり出し抜かれるところでした」

「誰だ?」

「名乗ったところであなたはご存知ないですからね、どうでもいいじゃないですか」

しまった、角を曲がるときには注意しろ、と言われていたのに。ここまできて油断した。

「離せ!」

「それは無理な注文です」

「くっ!」

ごつい腕に両肩をがっしりとつかまれて俺は身動きが取れなかった。長門、古泉、頼む、早く来てくれ!

無駄な足掻きと知りつつも、俺は何とか振りほどこうともがいていた。

と、その時、

「あれ、長門さん、どうしたの?」

どこかで聞いたことがある声がして、俺は頭を上げた。

「あ、あ、朝倉ぁ!?」

 

========

 

マンションのエントランスの方からゆっくり歩いてきたのは、制服姿の朝倉だった。

なぜだ、なぜ朝倉がこんなところに。

やばい、ますますやばい。すでに機関の非主流派は情報統合思念体の急進派とも連携していたというのか? 

くそっ、ここまでか……。

 

「誰だ、お前は!」

男が朝倉に向かって叫んだ。

おや、こいつは朝倉を知らない?

「それより、あなたは何? 長門さんをどうしようというわけ?」

ん、どういうことだ? この朝倉は……。

朝倉が一歩前に進み出ると、俺の肩をつかんでいた男の力がフッと抜けたのがわかった。俺は男の手から抜け出すと、転がるようにして朝倉の背後の電柱の影に駆け込んだ。

「わたしと戦うつもりなら、容赦はしないわ」

朝倉は以前に俺を襲った時と同じ様に、にこやかな微笑みを浮かべながら男との間合いを徐々に詰めている。

「……TFEI端末か?」

男はふり絞るようにつぶやくと、ゆっくりと後ずさりを始めた。

「そうね、あなたたちの言葉を借りるなら、そう言うことになるわね」

朝倉は、今にも飛びかかろうとする猫科の動物のように体を少し縮めた。

「ちっ」

男が後方に走り出そうとした瞬間、白い影が曲がり角から飛び出して男の足を払った。

勢い余った男は地面の上で二回転ほどして受身を取ったところで、今度は別の影が飛び出してきて後ろ手に男を押さ込んだ。

「き、喜緑さん!」

俺は思わず叫んだが、最初の影は、喜緑さんの格好をした長門だ。二番目の影は白いブラウスにタイトスカート、そして髪をポニーテールにまとめた、できる秘書風OLの姿に変身した森さんだった。

「大丈夫?」

喜緑長門がスカートの埃を手で払いながら、電柱の横でしゃがみこんでいる俺に近づいてきた。そして、俺の前に立っている朝倉を見つめると、わずかに頭を下げた。

「朝倉涼子……ありがとう」

「え、え、え?」

「うん、気にしないで。それよりホントに大丈夫? えっと、とりあえず大きい方の長門さん」

この朝倉は味方なのか? それとも休戦中の敵なのか? どうして復活したんだ? 少なくとも俺の見た目は今は長門のはずだ、中身が俺であることを知っているのか?

差しのべてくれた朝倉の手をつかんで、やっとのことで立ち上がった俺は、目の前で微笑みながら俺のことを見つめている朝倉を見つめ返した。あまりに疑問が多すぎる。

 

その時、背後から森さんの声がした。

「とりあえず後はわたしたちが何とかしますから、まずは長門さんのマンションに行ってください、って、ぐ、動くな、このぉ」

あの大男が森さんに押さえ込まれて身動きができないようだ。ポニーの髪を揺らしながら男に馬乗りになっている森さんのどこにそんな力があるんだろう。不思議な人だ。

「さ、早く!」

「了解した」

喜緑長門と朝倉に支えられて、俺は長門のマンションのエントランスを目指して走り始めた。一見、仲の良い女子高生三人組だが、見た目はともかく中身は大違いなんだけど。

 

やっとのことで、長門の部屋にたどり着くことができた。朝倉がいることだけが腑に落ちないのだが、喜緑長門はそんなことを何も気にしていない様子だった。どういうことだろう。

リビングに入ると、喜緑長門はまだ疑問を抱えたままの俺に振り返った。

「とりあえず、着替えては?」

「うん、そうだな、そうする」

「和室を使って」

長門はもともと俺が着ていた服が入った紙袋を手渡すと、和室に案内してくれた。

「たぶん、問題なく脱げるはず。もし、うまくいかない時は呼んで」

「わかったよ」

和室の襖を閉めてセーラー服から脱ぎ始めた。結局スカートだけは馴染めなかったな。これを着ることはこれで最後にしたい。俺はそんな思いを胸に秘めながら、背中の部分をぐっと開き、長門の抜け殻からの脱皮を始めた。

長門が言っていたように、特に苦労することも無く、するすると抜け殻から出ることができた。そういえば、肌に密着していたのに、汗ひとつかいていない。なんという通気性に優れた素材なんだろう。

 

長門の抜け殻と制服をたたんでリビングに戻ると、長門も朝倉もいなかった。別の部屋で、長門の脱皮と着替えでも手伝っているのだろうか? 

何とか危機は乗り切ることはできたようだな。全身の力がどっと抜けた俺は、コタツ机でグターとのびていた。しばらくすると、廊下から長門と、その後ろからもう一人、見たことのある姿が……。

「え、あれ? 喜緑さん?」

長門はすでにもとの長門の姿に戻って、キッチンへお茶の用意に行った。と、言うことは、この喜緑さんの中身は朝倉なのか? いったい誰が誰なのかわからなくなってきたぞ?

「大丈夫でした? キョンくん」

「本物の喜緑さん、ですか? それとも朝倉……」

「うふふ、ほら、これを見てください」

そういって喜緑さんが手を広げると、ぱぱぱっと透明なものが大きく広がった。

こ、これは……。

「そう、朝倉涼子の体表保護皮膜です」

「な!」

コタツ机の上に横たわった朝倉の抜け殻を、俺は呆然として眺めていた。

「さっきの朝倉さんは、実はわたしだったんです。だって、長門さんがわたしに成りすましていたから、やっぱり、二人同時に登場したら変じゃないかなって」

いやいや、こんな抜け殻があること自体、十分変ですよ、喜緑さん……。

「朝倉さんはずいぶん前に、長門さんに情報連結を解除されてしまいましたが、保護皮膜はなぜか情報統合思念体によって保管されていたみたいです」

喜緑さんは朝倉の抜け殻を再び小さくたたむと、水色の小箱を取り出してその中にそっとしまった。

「驚きました?」

「はぁ、それはもう」

朝倉が現れた時、俺はもうすべて終わったと、一度はあきらめたんだから。

「それにしても危ないところだった」

お茶を持ってリビングにやってきた長門は、そういいながら腰を下ろした。

「朝く、いや、喜緑さんが来てくれたおかげでホントに助かりました」

俺も、あらためて喜緑さんに頭を下げた。

「いいんです。気にしないでください」

 

長門が淹れてくれたお茶はおいしかった。おかげで、心の底から一息つくことができた。長門も喜緑さんも、静かにお茶を飲んでいたが、やがて喜緑さんが俺の方に向かってにっこり微笑んできた。

「わたしたちの体表保護皮膜を集めているそうですね?」

き、喜緑さんまで何を言い出すんですか……。

「いや、別にそういうわけでは……」

「よかったらこの朝倉さんのものも持って帰ってください」

喜緑さんは水色の小箱を差し出した。

「そんな、別に俺は……」

「また、何かのときに役に立つこともある。あなたは持っておくべき」

「『持っておくべき』ってなぁ、長門……」

「いらない?」

一ミリほど首を傾ける長門。

「え?」

「いらない?」

「えーっと……」

「いらない?」

「…………い、いります」

またしても、俺の負け。三顧の礼かよ、まったく。

そんな俺たちの様子をニコニコして見つめていた喜緑さんだった。

 

その後、家に帰る俺を、念のため、といって喜緑さんと長門がエスコートしてくれた。万能有機アンドロイドとはいえ、女性二人に家まで送ってもらえて、なんとなく歯痒い様な嬉しい様な妙な気分だった。

 

やっと、我が家へ、俺の部屋に無事に帰りつくことができた。それにしても長い一日だった。

結局、今、俺の手元には、俺が身につけた長門の抜け殻と、長門が身につけた喜緑さんの抜け殻と、喜緑さんが身につけた朝倉の抜け殻と、そしてまだ現物は見たことがない朝比奈さんの抜け殻が残されている。特に真ん中の二つは微妙にコレクターズアイテムとしての価値が高まったような気がするな。

そうだ、もう一つおまけに俺サイズの北高指定のセーラー服とレースつきパンツもあった。……誰か欲しい奴はいるか?

これらのスペシャルアイテムを俺はどうすればいいんだ? 毎日かばんに入れて持ち歩けというのか。と、言うか、持ち歩かざるを得ないではないか。うぅむ、教科書すらろくに入っていないかばんに、こんなものを入れておかないといけないなんて……。

「あーあ、もう、どうでもいい、なるようになれ、だ……」

四つの小箱はまた机の引き出しの奥に入れた。セーラー服は紙袋に入れたまま、クローゼットの奥に押し込んだ。くたくたに疲れた俺は、深い深い眠りについた。

 

 

そんな怒涛の週末が終わって、月曜日を迎えた。

ハルヒはその週末以降もずーっと機嫌がいいようで、授業中、しょっちゅう俺の背中をつついては、楽しげにいろいろ話しかけてきた。頼むから先生の話を聞かせてくれ。

え、いつも寝てるだけだから一緒だろって、ほっといてくれ。

 

そして、あっという間に放課後になった。

掃除当番のハルヒを残し、部室へと向かっている途中で、古泉と出会った。

「よお、古泉」

「あ、先日は、お疲れ様でした」

俺は、古泉と並んで歩きながら、週末の騒動の結末について尋ねてみた。

「結局、機関の非主流派とやらは何とかできたのか?」

「えぇ、あなたを見失った後、連中、あわてて行動を始めましてね……」

そこで古泉は俺の方に振り向いて軽く頭を下げてにっこり笑った。

「最後は少し危ないところでしたが、長門さんと森さんのおかげで、首謀者も捕まえることができました。あなたのおかげです。ありがとうございました」

そうか、あの大男が黒幕だったのか。

「そういえば、森さんの話によると、あの時もう一人、北高の制服を着た女性がいたとか」

「うん、あれか、あれはな……」

と、ここで古泉の携帯が鳴った。

「すみません、失礼します」

古泉は携帯を耳にあて、少し横を向いて会話している。

 

「え、えぇ。本当ですか? はい、わかりました。すぐに伺います」

通話を終えた携帯をポケットにしまいつつ、古泉の笑顔に憂いが宿った。

「久しぶりに閉鎖空間が発生したそうです」

「はぁ? どういうことだ。ハルヒはすこぶる機嫌がよかったぞ」

俺はついさっき別れたばかりのハルヒの姿を思い出した。ほうきを握り締めて、阪中と何か楽しげに話をしていたが……。

「とにかく行ってきます。涼宮さんにはよろしくお伝えください」

「わかった、気をつけろよ」

「ありがとうございます。それにしても、ここに来て閉鎖空間とは。皮肉なもんです」

古泉は力なく笑っていた。確かに、安定状態が続くことを嫌った非主流派の企みが潰えたとたんに閉鎖空間が発生するなんて……。

「僕も何か身を守ることのできる抜け殻が欲しいですね、では」

そう言いながら古泉は階段を駆け下りて行ってしまった。

抜け殻、か……。

今、俺のかばんの中には、四つの抜け殻が入っている。さすがに今日はセーラー服は置いてきたが。それにしても、まさかの朝倉の抜け殻まで手に入ってしまった。これらの抜け殻のおかげで俺は危機から脱することができたわけだが、あんな風に役に立つとは思いもしなかった。

 

それにしてもどういうことだ? なぜ急に閉鎖空間が発生したのだろう。

教室に戻ってハルヒの様子を見に行くことも考えたが、俺はひとまず部室でハルヒを待つことにした。何か気に入らないことがあるのなら、きっとドアを蹴破る勢いで部室に飛び込んでくるはずだ。対処するのはそれからでいい。

 

部室には、長門とすでにメイド姿に変身していた朝比奈さんが座っていた。

「こんにちは、キョンくん」

「どうも、朝比奈さん」

俺は朝比奈さんに軽く会釈していつものようにかばんを置くと、やはりいつものように本を読んでいる長門を見た。

「よお、元気か?」

「元気」

あいかわらずの平板な表情の長門を見ていて、あのラブホテルの鏡で見た、俺自身が変身した長門(俺)の笑顔を思い出していた。もし長門が表情豊かに微笑むならば、きっと今以上に輝いて見えるに違いない。えーっと、仮定法過去だったっけ?

「古泉くんは?」

「急にバイトが入ったそうで……」

「えっ!」

朝比奈さんと長門が驚いたように顔を上げた瞬間、ばこーんという大音響と共に部室の扉が吹き飛んだ。

「キョーーン! そこにいるの!?」

ものすごい勢いで飛び込んできたハルヒは、俺のネクタイを握りしめると長机の上に俺をねじ伏せた。

「な、何をする! どういうことだ!」

「ええい、問答無用よ、これからあたしの質問にきりきり答えなさい!」

「落ちつけ、問答無用なのか答えなきゃいけないのかどっちだ!」

「キョン、あんたこの前の不思議探索のあと、有希と一緒に、ラ、ラブホテルに行ったわね!」

「なっ?」

「えっ、キョンくん……」

「阪中さんに聞いたわ、あんたが強引に有希を引っ張り込んだところを見た人がいたって! どういうことよ、あんた、有希に無理やり変なことをしたんじゃないわよね?!」

ちょ、ちょっと待て! 行ったのは事実だが、俺たちは何もしていないし、そもそも、俺が引っ張り込んだんじゃない、俺が長門に引っ張り込まれたんだ。誰だ、いい加減なことを阪中に伝えた奴は!

それにあそこに行ったのは必要に迫られて仕方なくだなぁ……、なんて、言い訳はできない。くぅー、どうすればいい?

俺はそっと長門の方に助けを求める視線を向けたが、長門は相変わらずの無表情だった。

「有希! 大丈夫だった? キョンに何かされなかった?」

ハルヒの問いかけに、長門は小さくつぶやくように答えた。

 

「そこで、彼はわたしの中に入った」

 

「ふへっ?」

「な、ながとぉー!」

前にも言っただろ、『わたしの抜け殻の中』だぁぁぁ…………。

 

もはや簡単には修正できないほど、情報の伝達に齟齬が発生してしまった。

激しく往復ビンタを食らわせた後も、ハルヒは俺のネクタイを締め上げながらなにやら叫んでいた。そんな目に遭いながら、俺にもしものことがあったら、かばんの中の四つの小箱はどうなるのだろう、なんて事が頭の中を駆け抜けていった。

誰かに見られたら、俺は怪しげな脱皮を繰り返す『完全変態』だと思われるではないか。いやいや、蛹にはならないようだから『不完全変態』か、困ったもんだ。

 

結局、どんなに手を尽くしたところで、最後にひどい目に遭うのはやはり俺ってことだ。あぁ、いっそ、俺自身の抜け殻を身代わりに残して、しばらくどこかに雲隠れすることができたらどれほどいいだろう……、やれやれだよ、まったく。

 

 

Fin.

 

 

 


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