※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

抜け殻』の続きです

 

========

『脱皮』

 

 

日曜日の夜はなんとなくメランコリー、明日からはまた学校だ。朝比奈さんプレゼンツの華麗なる放課後ティータイムまでは、背後からのシャーペンツンツン攻撃も含めて、頭のいたい授業が続く一週間が再開される。

夜十一時を過ぎて、妹も寝たようだ。そろそろ突然俺の部屋に飛び込んでくるのはやめて欲しいのだが、優しい兄貴としては、そんなことがなくなってしまう日々が来るのは少し寂しくもある。

 

机の引き出しを開ける。今日、長門が置いていった長門の抜け殻の入った小箱を取り出した。それにしても、付き合い始めてそこそこの時間が経っているが、宇宙人の有機アンドロイドには謎が多い。まさかここにきて脱皮するとは思わなかった。

箱の蓋を開ける。目に入る薄い肌色の小さな物体を右手でつまんで取り出す。軽くて滑らかな手触りを確認して床にそっと置くと、パタパタという感じで静かに広がって、うつ伏せ状態の長門の抜け殻が現れた。確かに背中の部分が大きく割れている。

そこから脱皮したんだな。それにしてもよくできている。

俺は、うつぶせの長門の両脇に手を入れて持ち上げ、くるっとまわして正面を向けた。

あらためて顔を見てみる。ショートカットの髪も、そっと結んだ口元も、無表情な長門そのものだ。さすがにあの黒曜石の瞳の輝きまではないが。

恐る恐る視線を下げる。

すらりとした首筋に鎖骨のふくらみがくっきりと出ている。時おり制服の襟元に見えていたものと同じだ。

さらに視線を下げる。ここから先は未知の世界だ。

 

カタン。

 

廊下で物音がして、驚いた俺は長門の抜け殻を落としてしまった。そっと振り返ってみたが、扉は閉じたままだった。

ふぅー。

別にやましいことをしているわけではないが、なんとなく背徳の香りがする。

これは観察だ、宇宙人の神秘を確かめるための、科学の心だ。

俺は自分自身に言い聞かせた。まぁ、文系の俺がいまさら科学だなんだと言ったところで説得力は限りなくゼロに近いことは致し方ない。

 

再び床にうつぶせに横たわっている長門の抜け殻に目を向ける。背中の裂け目が部屋の照明でくっきりと見えた。

 

ここで、俺の雀の涙ほどの探究心が頭をもたげた。

この抜け殻の中に入れるのだろうか? 長門と俺では大きさが違いすぎる。無理か? 

 

俺は抜け殻を持ち上げると背中の裂け目の辺りを両手で持ち、ぐーっと引っ張ってみた。かなり伸びる。さらに力を入れてみるが、伸びるだけで破れるような様子もない。かなり丈夫だな。

これなら……。

 

俺はパジャマ代わりのジャージのズボンを脱ぐと、右足を抜け殻の背中の裂け目からそっと入れてみた。途中まではすっと入ったが、さすがに俺のつま先が抜け殻のふくらはぎあたりまで入ったところで詰まってしまった。

長門、やっぱり細いんだなぁ。

 

ここからは少しばかりの力仕事だ。抜け殻の足先辺りを延ばしながらゆっくりと俺の足を入れていく。足の指先一つ一つまできれいに残されている抜け殻に、俺も苦労して全部の指を入れた。しなやかに伸びるので入ってしまえば締め付け感はほとんどない。

うーん、それにしても不思議な素材だ。

その後、足先から順に少しずつ伸ばしながら手繰り上げて、ひとまず太もものところまで足を入れた。結局、十分ほどかかってしまった上に、少しばかり汗ばんでしまった。

 

結構透明な素材のはずなのだが、俺の足の小汚いスネ毛が見えない。きれいな肌色の足が天井の蛍光灯の明かりの下ですらっと伸びている。そっと膝の上の辺りを触ってみる。つるつるできめが細かい。弾力や太さは間違いなく俺の足なのだが、手触りだけは長門のものだ。そりゃ純正の長門の抜け殻なんだから……。

太ももの内側辺りに指を滑らす。ううぅ、くすぐったいがスベスベで気持ちがいい。いかん、だんだん変な気になってきた。

 

俺は引き続き、左足、左手、右手、そして頭と、全身を長門の抜け殻の中に入れようと考えたが、右足だけで十分近く費やしたわけで、このまま続けると夜が明けてしまうかもしれない。しかも、このまま自分自身が長門の抜け殻の中にすっぽり入ったとしても、何がうれしいのか自分でもわからなくなってきた。

もし、朝比奈さんでも入ってくれたら、それはそれで、非常に貴重なものを拝むことができるはずだが、さすがに朝比奈さんに入ってください、と頼むわけにはいかないしな。

 

ふっ、俺はいったい何をやっているんだろうね。

 

とりあえず、俺のささやかなる探究心を満足させることができたので、苦労して入れた右足だが、抜け殻を引っ張って脱ぐことにした。

 

ん、あれ、ぬ、抜けん……。

 

何故だかわからないが、長門の抜け殻が俺の足にぴったり張り付いてびくともしない。引っ張ると、俺の皮膚までついてくる。

ど、どうなっているんだよ……。

 

その後、指先やら、膝の辺りやらを引っ張ってみても、まるでもともとの俺の肌だったように長門の抜け殻が張り付いている。太ももの辺りもぴったりくっついて隙間もない。

 

な、なんてことだ!?

 

日付が変わった俺の部屋で唖然と立ち尽くしてしまった。俺の右足は長門の抜け殻の右足の中にあり、俺の体のすぐ前には透明な長門の抜け殻がべろーんと立っている。そう、背中にチャックのついた着ぐるみの大きく開いた背中から右足だけ突っ込んだ状態なのだ。

どうする、こんな状態のままで明日、いやもう今日になってしまったが、学校に行けるわけがない。抜け殻の残りの部分は小さくたたむことはできるが、いつ何時広がるかもわからない。授業中にでも広がってみろ、教室中パニックになってしまう……。

 

しかたない、恥を忍んで長門に電話だ。まだ、起きているだろうか?

 

一コール目、二コール目……、すまん、長門、起きてくれ……、三コール目……、

『…………』

出た。

長門、俺だ、夜分にすまん。

『何か?』

いや、あの、今日のお前の抜け殻なんだけど……。

『あれが何か?』

あのー、ちょっとトラブルで……、そのぅ……。

『非常事態?』

いや、非常と言うほどではないんだが、こんな時間に申し訳ないが、今からそっちへ行ってもいいか?

『……零時過ぎ』

うん、わかってる。迷惑だと思うが、た、助けて欲しい。

『了解した。待っている』

すまん、長門、恩に着る。

『礼は問題が解決してからでいい、では』

 

俺はあわててズボンを履き、右足以外の抜け殻を小さくたたんでズボンの中に押し込んで、そーっと家を出た。深夜の街は人通りもすくないが、万が一にも道中でこの抜け殻が広がったら、不審者として警察に連れて行かれることは必至だ。俺は注意しながら自転車を飛ばし、長門のマンションへと急いだ。

 

いつも以上にインターフォンを押し間違わないように注意して七〇八号室を呼び出し、開錠されたエントランスを通り抜け長門の部屋へと急いだ。

ドアチャイムを押す。

カチャリ・カチャリと二回、鍵の開く音がしてドアが開いた。

「どうぞ」

普段と変わらない無表情の長門の顔を見て俺は安堵した。これで助かる。いったい俺は何度長門に助けられたら気が済むんだ。しかし今度だけは我ながら情けない……。

長門は以前の夏合宿の時に来ていたようなパジャマ姿だった。さすがに制服ではなかったな。廊下を歩きながら、そのパジャマの後姿に俺は話しかけた

「すまん、長門、こんな時間に……」

振り返ることなく、長門は答えた。

「とにかくリビングで話を……、お茶を用意するから、お先にどうぞ」

「うん、すまん」

 

リビングのコタツ机で長門を待つ間、俺はいったいどういう風に話を切り出そうか、考えを巡らせたが、考えがまとまらないうちに、長門が急須と湯のみを用意してやってきた。腰を下ろした後、お茶を淹れながら、長門が尋ねてきた。

「いったい何が?」

「ん、あの、例の抜け殻、あれ、よくできてるな」

「……?」

長門は、何言ってるの? と言う感じで首を少しだけ傾けた。

「ちょっと、いろいろ触っているうちに、その、足を入れたら抜けなくなった」

「……??」

長門は漆黒の瞳を大きく見開いた。これほどはっきりと長門が驚きの表情を見せたことはなかった。

「ぴったり張り付いて取れなくなった。助けて欲しい」

俺は、恥をしのんで告白し、頭を大きく下げて長門に懇願した。

「取ってくれ」

長門は静かに答えた。

「とにかく状況を確認したい。張り付いたのはどこ?」

「右足なんだが……」

「見せて」

う、長門に見てもらうにはズボンを脱がないといけない。ためらう俺に、

「脱いで」

容赦なく響く長門の声が追い討ちをかける。

もういい、とにかく今は抜け殻から抜け出さないといけない。覚悟を決めた俺は立ち上がるとズボンを脱いだ。と、同時に、折りたたんでいた抜け殻がぱっと開いて透明な長門の姿が現れた。

トランクス姿の俺の前に透明な長門の抜け殻、さらにその前にパジャマ姿の生身の長門が立っている。場所は長門のマンション、時間は午前一時前、いったい俺はなんてことをしでかしたんだ。

長門はそんな俺の姿をまじまじと眺めた後、興味深そうに俺の右足が抜け殻と張り付いている部分に手を伸ばした。

「お、おい、何を……」

「確認する」

長門のほっそりした指先が、俺の太ももの上を滑っていく。抜け殻との境目を押したり、引っ張ったりしながら、何度も触ってくる。今、俺の下半身はトランクス一枚だ。そんなに触られると、ちょっと……。

「な、長門、くすぐったい……」

「……不思議」

「お前が言うなよ」

と、一応突っ込みつつ、

「とにかく何とかしてくれ」

「体表保護皮膜は、表面は滑らかだが、裏面は若干の粘着力を持っている」

若干? 結構強力な気がするが……。

「内部にあなた右足を挿入するために強引に伸張したので、より皮膚に密着し粘着力が高められたものと思う」

「か、解説はいい、早くはずしてくれ」

「了解した」

そう言うと長門は、俺の太ももに両手をそっと当てると、例の高速呪文を一瞬唱えた。

「もう、大丈夫」

長門が抜け殻をつかんでそっと引き下ろすと、今までのことがうそのようにするするすると裏返しに抜けていく。

「抜けた」

長門は、裏返った抜け殻の右足をもう一度、表向けにしながら言った。

「なぜ、足を入れようと?」

うぐ、別にその、深い意味があったわけでは……。

すべてを見通す黒曜石の瞳が俺を捉えて離さない。

「ん、ちょっとした好奇心さ……」

「そう? では、その好奇心のためにこれは持って返って」

長門は再び小さく折りたたんだ抜け殻を俺に差し出した。

「すまん、まずズボンを履かせてくれ」

 

長門のマンションを後にしたのは、もう午前一時半過ぎだった。俺は、マンションの前で後ろを振り返り、七〇八号室辺りを見上げた。長門のことだ、今日の出来事はあいつの心の中だけにしまっておいてくれるはずだ。信頼しているぞ。

それにしても、まさか俺まで右足だけとはいえ脱皮することになるとは思わなかったし、ここまで苦労するとも思わなかった。

俺はポケットの中の小さくたたまれた長門の抜け殻を握り締めながら、深夜の街を我が家へと急いだ。

 

 

Fin.

 

====

小箱』に続きます

|