『抜け殻』

 

 

静かな日曜日だ。両親も妹も出かけていて留守、俺は自分の部屋のベッドに横になり、お気に入りの音楽を聴きながら天井の模様をぼんやりと見つめていた。

こんなときに限って、何か変なことが起こるんだよなぁ、なんてことを考えていると、携帯が鳴った。しまった、つまらんことを考えるんじゃなかった。マーフィーの法則にこんな状況があったっけ? 『失敗する可能性のあるものは必ず失敗する』 ちょっと違うか? まぁいい。

俺は机の上で鳴り響いている携帯に手を伸ばした。

 

『……』

「長門か?」

『いま、あなたの自宅の近くにいる。体調が優れないので少し休憩させて欲しい。今からお邪魔したいのだが、許可を』

「どうした、大丈夫なのか?」

長門がわざわざ体調不良を訴えてきて俺の家で休みたい、ってただ事ではないんじゃないか?

『……?』

「許可する、許可する、承認だ。すぐ来い」

『二分後に……』

いったいなにがあったんだ長門? またわけのわからん宇宙人がちょっかいを出してきたのか? ハルヒや俺たちに及ぼうとする脅威に対抗し、身を挺して防ごうとしてくれているのか?

そんなことをあれこれと考えていると、おそらくさっきの電話からきっかり二分後に玄関のチャイムが鳴った。

 

ドアを開けると、見慣れた制服に身を包み、手には紙袋を持った長門が立っていた。おや、想像したほど切羽詰った状況には見えないが……。

「どうした、長門?」

「急に訪問して申し訳ない。少し休ませて欲しい」

「おう、いいぞ、あがれ」

そういって俺は長門を迎え入れた。手に持っていた紙袋を持ってやると、そこには本屋で買ったらしいハードカバーが何冊か見える。借りるだけでなくて購入することもあるようだ

「買い物帰りか?」

「書店に行っていた」

脱いだ靴を一ミリの狂いも無いようにきっちりと揃えながら、長門は静かに答えた。

確かに、普段と比べると微妙に疲れていて元気が無いような気がするのだが、たぶん俺にしかわからない程度なのかもしれない。

「今、誰もいないんだ、シャミセンすら出かけている。とりあえず俺の部屋へ」

そういって、二階の俺の部屋に案内した。SOS団の連中と一緒のことはあったが、長門一人だけで来たのは初めてかもしれないな。

「冷たいお茶でいいか? ちょっと待っててくれよ」

終始無言の長門を部屋に残して、俺は階下のキッチンへ向かった。

 

冷蔵庫から氷とお茶を出してきて、客用のガラスのコップに注ぐ。ついでに冷蔵庫に水羊羹が入っていたので、賞味期限を確認して小皿に載せた。人間ならば、ちょっと疲れたときは甘いものでも食べると元気になるもんだが、果たして宇宙人の有機アンドロイドはどうだろうか?

お盆に載せたお茶をこぼさないように気をつけながら階段を上がり、

「入るぞ」

といって、ドアを開けた。

 

おや?

部屋の真ん中、俺がお茶を淹れに行く時に長門が座っていたところに、丁寧にたたまれた制服が置いてあるのが目に入った。その制服の上には白い下着らしきものも……。

「……?」

 

視線を横にやると、さっきまで俺が寝転がっていたベッドの上に、白くてスレンダーな体が横たわり、窓から入る明るい日差しに輝いている。

 

な、ながとぉ?

あろうことか素っ裸の長門がベッドの上にうつぶせに寝ているではないか!? 

 

「な、長門ー、ど、どうした!」

あまりの衝撃に声が裏返った俺に対して、長門はうつぶせの顔を少し横に向けて、

「しばらくこのままでいたい。そこで待っていてもらってもいいが、できれば部屋の外で待機してもらう方がわたしとしてもありがたい」

と、体はじっと動かないままで、答えだけが返ってきた。

「わ、わかったよ、とにかく何かあったら呼んでくれ」

俺は運んできたお盆をあわてて机の上に載せると、ベッドの上の長門をチラ見して逃げるように部屋から飛び出した。

 

後ろ手にドアを閉め、廊下の天井を見上げた。脳裏に焼きついている白い裸身が俺の冷静な思考の邪魔をする。きれいだ、長門……、いや違う、どうしたんだ、長門……。何なんだ、いったい? あの万能有機アンドロイドに何があったんだ? 

 

永遠と思えるほどの時間が経過した。

頭の中で渦巻く想像と妄想の嵐に耐えられなくなってきた頃、やっと室内からわずかに衣擦れの音が聞こえてきた。どうやら長門が再び制服を身にまとっているようだ。やがて、ととと、と足音が近づき、かちゃり、とドアが開いた。

「どうぞ」

何事も無かったように無表情の長門が顔を出した。

俺は、いつもの制服姿に戻った長門の後に続いて恐る恐る部屋に入った。自分の部屋がこれほど不気味な空間に思えた瞬間はいまだかつて無かった。

しかし、前にいる長門の後姿にも、室内にも特に変わったことはない……、と思ったのも束の間、さっき長門が横たわっていたベッド上に、半透明の人間が寝ているではないか!?

「わ、わ、わ、何だぁ、あれは?」

瞳孔が開いてしまったか、と思った俺に対して、

「あれは、わたしの体表保護皮膜」

と振り向きざまに長門が答えた。

「なに? たいひょう、何だって?」

「体表保護皮膜。わたしの体の表面を有害な宇宙線などから保護してくれるもの」

そう言いながら長門はベッドに近づくと、横たわっている人間状のものを持ち上げた。

それは、透明度九十パーセントぐらいのかなり透明に近い薄い肌色をしたビニールかゴムのような材質で、姿かたちは長門そのものをした代物だった。それも裸の……。無表情な顔も、胸も、へそも、その下も……。ほぼ透明なので、微妙な形状は良くわからないが。

とにかく、それは、そう、まるで、

「……抜け殻のようだ……」

ぽつりとつぶやいた俺の素直な感想に、

「その表現はおおむね正しい。さきほどわたしはあなたのベッドの上で、背中の部分よりこの体表保護皮膜から抜け出した」

俺は、蝶の羽化を思い起こしたが、今の長門の場合、背中を割って出てきたものは元と同じものだ。すなわち、

「……だ、脱皮?」

長門は少しばかり首を傾げたが、

「そういってもらってもいい」

この宇宙人有機アンドロイドは、甲殻類のように脱皮するのか? 脱皮しながら成長するのか? どうなっているんだよ、情報統合思念体!

 

何とか落ち着いた俺は、もうほとんど氷も解けてしまったお茶を一気に飲み干すと、長門が持っている長門自身の抜け殻を近くからまじまじと眺めてみた。

なんと髪の毛一本一本まできれいに抜けているようだ。そっと頬のあたりを触ってみる。微妙にひんやりしており滑らかでつるつるだ。非常に薄いものではあるがコシがあってしっかりした材質のように思える。

「わたしの肌とほぼ同じ感触のはず」

俺は生身の長門の頬なんか触ったことは無いが、たぶんこの抜け殻の感触と同じなんだろう。本人がそういっているんだから、間違いはないはずだ。

 

長門は、抜け殻を再びベッドに寝かせると、部屋の真ん中にちょこんと正座した。俺は、机の上のお茶と水羊羹のお盆を長門の前に置いて、「どうぞ」と勧めてから、ベッドの方を確認し机の前の椅子に座った。その抜け殻はへちゃげることも無く、人型を保ったまま横たわっている。

「それで、今は新しい保護皮膜とやらに覆われているのか?」

「そう」

長門は、小さく切って爪楊枝に刺した水羊羹をじっと見つめながら話し出した。

「保護皮膜の耐用期限が近づいていたのは知っていたが、今日街を歩いている時に、少しばかり強い宇宙線が到達したため、急速に劣化してしまった。迂闊……」

水羊羹を口に入れた後、お茶をコクコクと飲んだ長門は続けた。

「このままだと、わたしの体に影響が出ると考えられたので、急遽あなたに電話した。迷惑をかけた」

そういって長門は小さく頭を下げた。

「いや、まぁ、別にいいんだが、はっきり言って驚いたぞ。いきなり素っ裸でベッドに寝てるんだから」

目の前で水羊羹を食べている長門の姿に、あの白い肌がフラッシュバックして、くらくらする。健全な男子高校生にはあまりに刺激が強すぎるぞ……。

 

その後、長門が買ってきた本の話をしたり、帰ってきたシャミセンと少しばかり戯れていたが、三十分ほどすると、

「では、そろそろ帰る」

といって長門は立ち上がった。

「お、そうか、気をつけてな」

長門は持ってきた本屋の紙袋だけを持って部屋を出ようとするので、

「ちょっと待て。アレ、抜け殻、持って帰ってくれ」

俺は相変わらずベッドで横たわっている長門の抜け殻を指差して言った。

「お世話になったお礼に置いていく」

うぅむ、見た目は長門そのものなので、単純に、『いらない』というのも、長門を否定しているようでなんとなく、はばかれる。それに一度じっくり観察してみたい気もないことはないのだが、ここはぐっと我慢のしどころだ。

「いや、かさばるし、しまっておくところも無い。家族に見られるとコトだ」

家族もそうなのだが、何かのきっかけでハルヒにでも見つかるとさらに厄介だ。

「そう? 小さくたたむこともできる」

長門は、ベッドの上の抜け殻を手に取ると器用にたたみ始め、やがて手のひらに乗せられるぐらいまで小さくなった抜け殻を俺に差し出した。

「この通り。非常に薄くできているので、小さくすることができる。しかも……」

長門は折りたたんだ手のひらサイズの抜け殻をそっと床に投げた。それは音も無く広がって、もとの等身大の長門サイズに戻った。

「折り目もつかない」

いや、あの、通販の商品紹介じゃないんだから……。

困惑する俺にとどめを刺すように長門は言った。

「わたしだと思って大切に扱って欲しい」

うへぇ、そこまで言われたら、持って帰れとは言えないじゃないか。

「わ、わかったよ」

なんとなく長門の口元がほころんだように見えた。

 

長門が帰った後、俺はさっきまで長門の抜け殻が寝かされていたベッドの上に大の字になって、また天井の模様を見つめていた。抜け殻の前は、素っ裸の長門が同じこのベッドの上に横たわっていたと思うと妙な感じだ。

その怪しげな抜け殻は、小さくたたんで小箱に入れて、机の引き出しの中だ。『わたしだと思って大切に扱って』って言われても、俺はどうすればいいんだよ。まぁ、確かに、一つ二つは使い方に思い当たる節がないわけではないが……。

 

「ふうー、やれやれだ」

いろんなことが頭の中を駆け巡り、もはや何も考えられなくなってきた。俺もさっきの長門の抜け殻のように力なくベッドの上で横たわり、大きくため息をついた日曜日の夕方だった。

 

 

Fin.

 

 


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