【漢達の序曲】


 今日も暖かい日になりそうだ。
 雲一つない空を眺めながら、藤江はうんと両手を高く上げて体を伸ばした。ようやく春らしい好天が何日も続くようになってきた。そんな日の朝早くのことだった。
「いよぉう……」
 お食事処「たたら」の開店とほぼ同時と言っても良い頃合い、げっそりとやつれきった男が店にやって来た。
「え、ええっと……、七さん? いらっしゃい。なんかお疲れのようだねぇ」
 四月の空に負けないほどの爽やかな笑顔を一瞬引きつらせ、藤江は彼を出迎えた。
 ここ最近まったく姿を見せないお得意さんなのだが、以前店に来た時とは別人のような顔つきに変わっている。
「へへへ、ちょっとね……。祭で休みを貰うために働きすぎたってとこよ……」
 本来岡っ引きであるはずの七さんだが、にやりと笑ったその顔は、まさしく悪人のそれに等しい笑いだ。
「ま、まあねぇ、祭のために頑張んのはいいんだけどさ。それで体壊して祭に参加できなくなっちゃ本末転倒ってもんだよ。ちょっと気を抜いても良いんじゃない?」
「へへへ、仕事も昨日で終わりさ。明日っから休みってもんよ」
「ならいいんだけどさぁ。父ちゃん、七さんご来店だよ!」
 藤江が厨房に向かって声をかけると、客席との仕切りから男が顔を覗かせた。
「よぉ、七さん。話ぁ聞かせてもらったぜ。その心意気や良し、だ。今日の飯は俺のおごりだ。じゃんじゃん食って力つけてくれぃ!」
 そう言ったおやじは、丼に山と盛られたごはんとみそ汁、生卵のはいった椀を乗せた盆を取り出して藤江に渡した。「さあ、小鉢は何が良い。焼き物は何にするよ」
「すまねえ、おやっさん。それじゃあ、いつもの鮭の焼きを頼むぁ」
 おうよ、とおやじの返事が返ったあと、魚を焼く香ばしい香りが、客席の方まで漂ってきた。

「てぇへんだ、てぇへんだ〜!」
 七さんが食事を終えて、腹をさすりながらもう食えねえ、と唸っているところに、新しいお客がやって来た。否、正確には客ではない。七さんに厄介ごとを持って来る、同僚の十三が、毎度のごとく大声を張り上げながら、たたらの中へ飛び込んできた。
「どうしたんでぃ、十三」
 うぷっ、と胃の中の空気を放出しながら、七さんが十三を自分の席に呼ぶ。
「七さん、奴らだ。今度は祭用の褌を百八枚もかっさらって行きやがったんだよ!」
「何だとぉ!」
 机を真っ二つにするかのような勢いで、七さんが机を叩く。
「しかも盗まれたのは宮廷の中にあったものばっかなんだ。こいつぁちょっとした問題じゃねえかって政庁の方でも噂んなってやがるよ」
「ちぃっ。やってくれるぜ、褌小僧共めっ!」七さんは楊枝で口の中をすすきながら、立ち上がる。「せっかくの休暇だってのによぉ! おい、いくぜ、十三」
「がってんだ!」
 七さんと十三は暴れ馬のごとき勢いでたたらを飛び出していった。
「まったく、いつもながら、慌ただしいお人達だねぇ」
 七さんの机を片付けながら、ぼそりと藤江は呟いた。

「信乃さん、また奴らが現れたそうだね」
 宮廷の一画、祭の準備にてんてこ舞いになっている有馬信乃に向けて、七比良鸚哥が声をかけた。
「おや、摂政さま。いかがなさいました? たしか今日から祭の終わりまで、休暇をとられていたはずでは?」
「ああ、そうなんだが……、奴らが現れたのなら休暇もなにもあったもんじゃないだろう」
 いつになく真顔で、ぽっこり膨れたお腹をさすりながら信乃を見る。
「ははぁ、十倉のやつですね。まったく心配しなくてもいいと言っているのに、困ったもんだ」
「なぜ? ……、あ、また今回も追跡用の理力褌を紛れ込ませたとか?」
「いや、まあ……、そうではないんですがね。盗まれたのは無料配布用の祭褌なので、たいしたことじゃないかと」
「何を言ってるんです。たとえ無料配布用であっても、それはれっきとした犯罪。たとえやつらでなかろうとも、放っておくわけにもいかんでしょ」
「まあ、そうなんですがね……。いや、今回の件に関しては、大袈裟に考えなくても問題はありませんよ」信乃は、ふと口元を緩める。
「じつはですね、少し前のことなんですが、祭に参加したいという他国の方がいらっしゃったのですが、諸処の事情によって全員参加して頂くわけにはいかなかったのですよ。その数が百八人、今回盗まれた褌の総数と同じです。しかもご丁寧に祭の参加要項も一緒に盗っていっている。おそらく彼らでしょう。まあ、その辺りのことはすでに手を打ってあるので、心配するほどのことではない、というわけなんですよ」
「ふむぅ……」
 鸚哥は顎に手をやってしばらく考え込むようにおし黙った。
「わかりました。しかしここは念には念を入れて、私も加わりましょう。場合によっては外交問題にもなりかねない。そいつらの神輿管理は私が担当します」
「いえ、そのようなことして頂かなくとも……。摂政さまは休暇中なのですから、担ぎ手としてご自身の地区に参加して頂いて構いませんよ?」
「いやいや、仮にも摂政の身、私事よりも国事を優先させるのは当然のことです」
「いえ、だから手は打ってあるのですが……」
 何故か意気揚々としている鸚哥の前に、信乃の言葉はむなしく宮廷に広がるだけであった。

 町の中心から離れた地区にある、うらさびれた食堂。昼の日中だというに、店内はほの暗い。先に座っていた二人の前に、一人の男が席につく。どうやら待ち合わせのようだ。
「遅かったですね、黄金様」
「ああ、すまん。これでも忙しい身でね。それよりも首尾はどうだ、赤よ?」
 赤と呼ばれた男は、うっすらと笑みを浮かべた。
「ほぼ完璧です。さすが、としか言い様がありません。黄金様に頂いた地図通りで、大変仕事しやすかったですよ。よくこんなものを持ち出せましたね」
 食卓の上に一枚の紙を置く。黄金はそれを取って、懐にしまった。
「それなら結構。俺の力を持ってすれば、こんなもの雑作もないことだ。それよりも、奴らの方も何かしらの手を打っているようだ。とりあえず俺の方でも対処はしておいたが、お前達も気を抜くなよ」
「心配ありませんって。黄金様がお戻りになるまで、俺と赤にお任せ下さい」
「ふむ、青よ。お前達の実力はちゃんとわかっているつもりだ。だがやつら、特に有馬信乃は見かけによらず、かなりの策士。どのような手段を用いて来るかは俺でも読めん。くれぐれも油断は禁物だぞ」
「はっ!」
 赤と青、二人の声が同時に響く。
「さて、と。俺はまたいつものところへ戻る。ここの勘定は俺が出そう」
 黄金は銀子一枚を卓に置いた。
「そんな、こんなに多くはありませんよ」
「なに、あまりは外で待っている連中に美味いものでも買って持っていってやってくれ。せっかくの祭なんだ、やつらにも精を付けてやらんとな」
 くくく、と悪そうな笑いを浮かべながら、黄金は席を立ち、後に手を振りながら店を出た。
「なあ、赤よ。俺ぁ計算が苦手だが、この量じゃ百五人分の飯なんて買えねえんじゃねえか?」
「言うな、青よ。足らず分は俺達で出そうじゃないか……。黄金様の心意気を俺達で買うのさ」



【漢達の前奏曲】


「ほんっと済まねえ、おやっさん!! この借りは必ず別のことで返すから、今回だけは見逃してくれぃ!」
 夕餉時まで一時閉店中のたたら。土下座しそうな勢いで、七さんは頭を下げた。
「いや、仕方ねえってのはわかってるよ。さすがに公務じゃしょうがねえさ」
 たたらのおやじはぷかりとキセルの煙を吹き出しながら、笑って答えた。
「ああ、ほんっとすまねえ。今年こそはこの地区に勝者の振る舞い酒を持って帰るつもりだったのによぉ……」
 そう言って、また深く七さんは頭を下げる。
「いや、だから七さんが悪いわけじゃねんだからさ。気にしなくていいってよ。まったく、役人達もこんなときに仕事を押し付けるなんて、なんてぇやつらだ」
「それはちげえよ、おやっさん。別に休んでも良いたぁ、言ってくれてんだけどよ。それじゃ、俺っちの正義の心ってやつが納得してくんねえのさ」
「くぅ〜、格好良すぎるぜ、七さんよぉ」
 おやじはけむくじゃらの腕を目に当て泣きまねをする。よほど七さんの行動に感動しているようだ。それが七さんの良心にちくりと刺をさす。
「いや、そんなこたぁねえよ。俺のわがままで、おやっさん達に迷惑かけちまうんだからな。けどよ、何事も起こんなかったら、俺の担当する神輿と、おやっさん達の神輿、境内で勝負しようじゃねえか。そんときぁ全力でいかせてもらうぜ」
「おうよ! それこそ望むところさ。こっちだって手ぁ抜かねえぜ」
 七さんとおやじはがしっと腕を組んだ。
 ……、熱っくるしいなぁ。
 買い出しから戻った藤江が、呆れた顔でその光景を眺めていた。

 今回は相当に大規模な褌対策本部、通称マルフン達が動員されている。しかも兵部省の方から兵員の借り出しを行ったらしい、との噂までマルフン達の間に出ているほどだった。
「信乃様、これほどまでに大規模な動員が必要でしょうか?」
 マルフンにおける信乃の片腕、十倉助三郎は、祭当日の兵員配置図を見ながら尋ねた。
「これでも少ないと思ってるんだけどなぁ。ここだけの話だが、どうやら他国からの褌一味が相当数紛れ込んでいるのだ。せっかくの好機、ここで一気に叩いておきたいんだよ」
「ですが、祭当日は多くの参加者が褌姿ですよ。どうやって見分けをつければ良いものやら……」
 十倉は両手を挙げてお手上げです、と仕草で示した。
 そんな彼に、信乃はふっと笑って口の端を斜めにあげて見せた。
「そのための無料配布褌さ。我々が参加者に手渡したものは全て記録がとってある。褌の枚数も地区ごとに制限があるし、偽造できないように簡単には手に入らない布も使ってあるからな。それらと見合わせれば一般人か褌一味かは簡単に見分けられるよ」
「なんとっ、そのようなことをなさっていたとは……」
「祭の実行委員も兼ねているからな。これくらいは役得と言うもんだよ。良いか、この話は誰にも漏らすなよ。どこで奴らの耳に入るかわからないからな」
「ええ、わかりました……」
「さて、じゃあ残りの作戦もさっさと組み上げてしまおう。もう時間はないんだからな」
 それから翌日の太陽が昇るまで、褌対策本部の間から明かりが消えることはなかった。
 こうして、マルフン達の最も長く熱い一日が始まる。

「褌こそは男の正装! 褌に力を、褌に勝利を、褌に栄光をーーー!」
 神輿の上に立って男が叫ぶ。今は祭の規則上、乙の字入りの赤い褌姿だが、普段は金色の褌を纏う男、黄金が担ぎ手達を叱咤激励する。
 それに応える声は低く地を揺るがしそうな野太い男達の声。
「我ら褌のために! 全ての力を出し切るのだ!」
「いくぜ、野郎共! 褌の力を今こそ見せつけてやるんだ!」
威勢の良さだけであれば、どこの地区よりも彼らは勝っていたことであろう、と後の観客の一人は語る。なぜ彼らが境内戦まで残れなかったのかが不思議である、とも。
「いくぞ、褌藩の名の下に!」
「おおぅっ!!」
 盛大な男達の掛け声のあと、他国参加乙組の神輿は、その巨体をゆっくりと宙に舞わせた。

「良いか、これ以上褌を冒涜させるような輩をのさばらせるわけにはいかん。ここで奴らを一網打尽にしてやるんだ。褌共に罰を、褌共に制裁を、褌共の撲滅をーーー!」
 マルフン諸隊を前に、男が盛大な演説を行っている。有馬信乃が祭実行委員のため朝の間は代わって十倉助三郎が隊を仕切っているのだ。
 マルフン達も楽しみにしていた祭参加を奪われる形となって、褌一味に対する恨みの念からか、今日はいつも以上に士気が高い。奴らに目にものを、奴らを排除せよとの声が、あちこちから沸き上がる。
たとえ帝国本体が相手だったとしても、彼らのやる気がそがれることはなかっただろう。後にマルフンを退役した者は当時の状況をそう語る。それがなぜ、あのような結果に終わったのだろうか、とも。
「行くぞ、褌小僧を根絶やしに!」
「おおぅ!!」
 マルフン達は勢いよく駆け出し、それぞれの持ち場へと散っていった。


【漢達の行軍歌】


 褌のために!
 彼らの勢いは衰えることがなかった。一台目の神輿を完膚なきまでに叩き壊した彼らは、観客からの応援を受けて得意気になっていた。普段街中で褌一丁で暴れ回っていれば、変態だの狂人だのと後ろ指を指されるのに、今日だけは彼らの勇姿に対して、男からは熱い賞讃を、女からは黄色い声援を投げられる。彼らにとってこんなに嬉しいことはない。俺達は間違っちゃいなかった、そんな錯覚すらも覚えていた。
「青よ、褌とは、良いものだな」
 赤は隣で神輿を担ぐ青に向かって呟いた。
「ああ、俺も同じことを思ったさ」
 青も同じように考えていたらしい。
 二人は顔を見合わせて。ふっと満足げな笑みを浮かべた。
「まだだ、こんなもので終わらんよ」
 二人の会話に割り込んできたのは黄金だった。
「黄金様」
「これはまだ始まりでしかないのだ。もっと多くの民に、もっと多くの国に、そう、褌こそが世界を繋ぐものとして、全ての民に褌の栄光を知らさねばならんのだよ。この祭はそのための第一歩にしか過ぎんのだ」
 それは王が国を治めるように、神が世界を創造するように、遥か高きを目指すかのごとくに黄金は言った。
「申し訳ありませんでした。そうですね、まだこれは単なる始まり」
「黄金様の目指す頂まで、俺たちぁどこまでもついて行きます」
 黄金の言葉に感銘を受けた赤と青は、自分たちの浅慮を改め、そして再び気合いを入れ直した。
「さあ、次の相手はどこのどいつだ! 褌の力みせつけてやるぞっ!」

 おかしい、順路道理に進んでいるはずなのだが……。
 黄金は実行委員から手渡された地図を見て首を傾げた。一戦目を終えてから、およそ一時間ほど神輿を進めたのだが、二戦目の会場に未だ辿り着いていない。それどころか、白浜宮神社から遠ざかっているようにさえ思えた。道端にいる観客の数もあきらかに減っている。
 大体にしてこの地図が不親切すぎることも一つの原因だ。順路を描くのであれば、地図に線を引けば良いものを、神輿の出発地から一戦目の神輿競り会場までしか記されておらず、その先は、突き当たりを右、三つ目の十字路を左、と言った具合に、言葉だけで道が表記されている。一応担当者としてこの国の人間が道案内をしてくれているのだが、本当に彼らがちゃんと場所をわかっているのか、少々不安になってきた。
 黄金は巫国内の地図を頭の中に描き、現在の位置を割り出そうと試みる。やはり、白浜宮神社とは逆方向へ向かっているようだ。
「おい、この道だと白浜宮神社へいくには相当な遠回りになると思うのだが、間違っているのではないか?」
 黄金は担当の一人に声をかけた。
「いえ、間違ってはございませんよ。私は何度も有馬様と共に順路を歩いておりますので、経路はばっちり頭に入ってございます。もう少し先に行くと広い空き地があるのはご存知でしょう? そこで二戦目となっておるのですよ」
 黄金は道の少し先に目をやった。確かにあそこの角を曲がれば、相当に広い空き地へ出る。だが、祭の会場としては適当だろうか? なにより周囲の観客数があきらかに少ないのだ。屋台の出も多くなく、中には見知った顔のもの達が掃き掃除なんかをしている。
 ふむ、まあこんな神社から離れた所では、観客も来たがることはない、ということか。
 そんなことを思いつつ、黄金達の神輿は二戦目の神輿競り会場へと辿り着いた。

「来たか」
 神社から遠く離れた空き地にて、信乃は数人の部下と共にその中央に立ち、神輿が入ってくるのを眺めている。
「もう合図を出しましょうか?」十倉が声をかける。
「いや、もう少し引きつける。どうやらまだ気付いていないようだからな」
 信乃は静かに言葉を返した。
 やがて、他国参加乙組の神輿が中央にやって来た。ちょうど信乃達と向かい合うような形で、神輿は止まる。
「有馬様、他国参加乙組、全員連れて参りました」
 担当の一人が有馬の前で跪き報告をする。
 ご苦労、と小さく首を縦に振った信乃は、左手を高く上げた。そして、
「褌小僧一味の皆様、お疲れさま。あなた方の祭はここで終わりです。この空き地は完全に包囲してあります。おとなしく投降するのなら、手荒な真似はいたしませんので」
 静かに、だが冷たく、神輿の男達に向かって言った。
「な、何を馬鹿なことを! そもそも俺達は他国からの祭参加者だぞ。そんなもんのわけねえだろうが」
「そうだそうだ、ひでぇ言いがかりだ!」
 誰ともなしに神輿担ぎの男達からそんな声が上がる。 
「てえことだ。俺達を捕まえるってんなら相応の証拠ってもんを持ってきてもらおうじゃねえか!」
 一人の担ぎ手が前に出てきて、信乃に向かって啖呵を切った。
「先日、宮廷から赤い褌が百八枚盗まれたのですよ。乙組参加者百八名。数はぴったり合うわけです」
「そ、そんなの偶然だ! 俺たちゃちゃんとした参加者だよ!」
「やだなぁ、ちゃんとした参加者なら、赤褌は甲の字なんですよ。……乙字の赤褌は、祭運営委員では作っちゃいないんだ!」
 最後の台詞を勢いよく言い放ち、信乃が左手を下ろすと、空き地の周囲に伏せていたマルフン達が箒型銃を構えて立ち上がる。彼らは皆制服ではなく、祭の観客やら何やらに変装していたのだ。
「く、くそぉ! 謀ったなっ!」
 赤褌の集団は抵抗しようと構えるが、如何せん今まで神輿を担いでいたために、武器となるものは何一つ持ち合わせていない。素手対箒型銃、あきらかに不利であると悟ったのか、彼らはクモの子を散らすようにバラバラの方角へ逃亡しようと試みた。
「誰一人として逃がすなよ!」
 信乃の声でマルフン達は一斉に神輿に向かって突撃する。
 熱き漢達の戦いの火ぶたが切って落とされた。


【漢達の舞踏曲】


「褌のために!」
 黄金は神輿の陰に隠れて同志達に発破をかけた。祭への意気込みがそのまま士気に繋がっているようで、彼らは威勢よくおう、と返事を返してくる。
 だがそうは言っても周囲をぐるりと取り囲まれているため、状況は圧倒的不利。一部ではマルフンと同志達の殴り合いも始まっている。なんとかして打開策を見つけなくては、と黄金は策を練り始めた。
 その時である。神輿を内側から叩く音が聞こえ、やがてそこから腕が伸びてきた。
 何だこの腕は!?
 よく見ると出てきたの袖は、マルフン達の制服のものであった。
「ちぃ、神輿の中に伏せ手がいるぞ!」黄金は声をあげて注意を促す。
 その間にも神輿のあちこちから腕や脚が出現し、神輿自体が割れ中からマルフンの増援が現れるのも、もはや時間の問題に思えた。
「ええい、一点突破を試みる。全員頭を低く下げよ。突撃をかますぞ!」
 指示を出した黄金は自らも頭を低くしてマルフン達に向かって突っ込んでいった。箒型銃は本来敵を威嚇、足止めすることを前提に作られてあるので、平時の出力では殺傷能力が全く無いことを彼は知っていた。弾が当たっても数発までなら耐えきれる、そう踏んでの行動である。
 だが、黄金の予想は簡単に裏切られた。
「ぎゃあぁぁぁ!」
 後方から断末魔のような叫び声。ふと後ろを振り返ると、数人の同志が気を失って崩れ落ちていく。それを見た黄金は出力が平時の鎮圧設定ではなく、戦時の裁定出力に調節されていたことを理解した。
「ここは街中だぞ! なんてことをー!」
 黄金は大声で信乃に向かって叫ぶが、その声はマルフン達の威嚇、同志達の悲鳴、二つによってすぐさまかき消された。
 仕方ない、ここは下手に戦うより逃げる方を優先しよう。
 そうと決めた黄金は、マルフン達の囲いを破って何とか戦場から立ち去ることに成功した。

 伏せ手の奇襲が予想以上に出遅れた。その結果こちらの意図が悟られてしまい、多くの褌小僧達を逃亡させる結果となってしまったようだ。もっと強度を落としておくべきだったか、と信乃は戦況を見ながら後悔をしつつも、頭の一方では今後の方針についても考えを巡らせる。
 神輿競り会場はかなりの乱戦になっている。褌小僧をマルフンが羽交い締めにし、縄をかけようとしたところにべつの褌小僧が体当たりをかまし邪魔をする。それを別のマルフンが羽交い締めにして……、と千日手のように事態は膠着していた。その中から一人の男が上空へと飛び出し、民家の屋根へと登った。
 あの身のこなし、後ろ姿、やつに違いない。
「十倉、ここは任せる。何人かは僕に続け!」
 信乃は屋根の上を悠々と走る一人の男を追いかけた。褌小僧一味における実行部隊の長と目される人物、通称「赤」。せめてやつ一人でも押さえてしまえば褌被害の大半は防げると踏んだからである。
 信乃にとって幸運だったのは、赤が神社方面へ向かわなかったことだ。あちらに逃げられては道を走る追跡隊は人ごみに邪魔されて身動きが取れなかっただろう。ところが何故か赤は人通りの少ない北を目指して走っていた。
「あいたっ!」
 上ばかり見ていたせいで、横から飛び出してきた女の子に気付かなかった信乃は、彼女とぶつかって大きくよろめいた。女の子の方は尻餅をつく。
「これは失礼しました。お怪我はありませんか?」
 信乃は女の子に向かって手を差し伸べる。
「あ、ええーと、大丈夫、です」
 信乃は手を掴んだ女の子を引き起こす。
「本当に申し訳ありません。ただいま祭を濁す無粋な者が現れました故、追いかけてるのに夢中でお気付きできませんでした」
「あ、いえ、私の方こそ……」
「ただ、この先は女性には危険ですので、しばらく立ち入られない方がよろしいと存じます。では、私は賊を追いかける任務がございますので、失礼させて頂きます」
 信乃は女の子の前でくるりと踵を返し、再び赤を追いかけて走っていった。

 くそぅ! なんて狡猾な!
 誰よりも早く神輿競り会場から逃げ出したのは赤だった。忍者でもある彼は、いつものようにその跳躍力を活かし、一瞬で包囲網を飛び越え、次には民家の屋根へと飛び移り、あとは屋根伝いに逃亡した。ふと後をみると、有馬信乃を先頭に数人のマルフン達が道を走って追いかけて来る。
 よりにもよって信乃さんとは……。
 赤は唇を噛みながら忌々しげな思いを胸に伏せ、さらに脚を速めて屋根を走る。
 とにかく宿舎に戻ってしまえば、あとは何とかなるはずだ。
 そう考えた赤は、ぐるりと周囲を見渡した。宿舎までの最短路を探すために。だがそれは、予想だにしない出来事を引き起こした。
 それはお互いほんの刹那の出来事であっただろう。一人の女性とばっちり目が合ってしまった。
 いや、それは赤の錯覚であったかもしれない。平時であれば気にしなかったかもしれない。しかし、こんな逃走劇のまっただ中ではそんな思考も悪い方へと向かってしまうのも当然だろう。
 まずい、まずいぞーーー!!!
 このまま宿舎に戻るのも危険だと感じた赤は、追手からも宿舎からも離れるように進路を変更した。
 北に広がる森を目指して……。

 手遅れだったか……、まさか役人に追われるとは。いったい何をしたんだろうか。
 ……いや、当然の報いね。
 たけきのこは、屋根伝いに逃げる男を追いかけていく役人達を眺めながら、そんなことを考えた。いつの間にか自国で暴れる褌達に慣れ過ぎていたようだ。普通に考えればあんな姿で街中をうろつくこと自体十分に犯罪的だ。
 あいつの制裁は彼らに任せてしまおうか、とも考えたが、ぼろを出してうっかりたけきのの名を出されても困る。自国内ならまだしも他藩に迷惑をかけるなど藩王としての矜持が許さなかった。
 仕方ないわね……、使いたくはなかったけど……。
 たけきのこは右手を首の後へ持っていき、するするっと金色に輝く鉄の棒を取り出した。長さ三尺三寸、先へいくほど太くなっている。二度三度軽く素振りをして、たけきのこは屋根を走る影を追いかけた。


【漢達の鎮魂歌】


 森の中は意外と暗かった。朝はそれなりに晴れていたのだが、いつの間にか太陽は雲に隠れてしまったようだ。夕立でも来なければ良いのだが、と信乃は別の人間に任せきりにしている祭のことが少しだけ気になった。
 わずか数名で森の中を捜索するのはやはり無茶だったかもしれない。信乃についてきた追跡隊は誰一人として信乃の周囲にはいない。皆迷子になっていなければ良いのだが。
 ……、迷子は僕の方か。
 いやいや、森は広いのだから手分けして探しているのだ、ということにして信乃は一人で森の奥へと進んでいく。しばらく森の中央へ向かって歩いたが、結局赤はおろか、追跡隊一人として出会うことはなかった。
 さて、どうしたものか……。
 信乃は両手を逆の袖の下にしまって考え込む。すると右手の袖の下に何やら小さな箱が当たった。取り出されたその箱は、先日ボロマールに貰った紙巻き煙草だった。悪いとは思いつつも、封を切って一本取り出し、口にくわえる。考え事をする時にはどうしても吸ってしまうのは信乃の悪い癖だが、それをわかっていながらも、頭が冴えてしまう(それが錯覚と知りつつも)のだから止めようとは思わない。
 火打石をとり出して煙草の先に火をともす。ぽわっと小さな赤い光が、信乃の周りを照らした。

「いたか?」
「いや、こっちにはいないようだった。そっちはどうだ?」
「すまん、こっちでも見つけられなかった」
 一本だけある森の奥への道で、巫の兵装をした男達がそんな話をしている。
 たけきのこは近くの木に身を隠して彼らの話を聞いていた。男達の話をまとめると、どうやらこの森に逃げ込んだのは確実で、現在のところ誰も見つけてはいないらしい。さらに、彼らはどうやらここで一旦引き上げるらしく、事態はたけきのこにとって都合の良い方向へと進んでいるようだ。
 ふっふーん、まってろよー
 たけきのこは男達に見つからないように、そっと身を伏せて森の奥へと向かって進んでいった。
 五分ほど進んだところで、鼻をくすぐる嫌な臭いが漂ってきた。この臭いには十分に心当たりがある。誰かさんが吸っているのを何度か見かけたことがあった。煙草だ。
 臭いのする方に目を向けると、うっすらと人影が見え、たまに顔の近くがぽっと赤く光るのが見える。
 たけきのこはにやり、と口元を歪め、そっと近づいていく。絶対に逃がしはしないと万全の体勢を整え、大きく上段の構えをとった。
「なにをやらかしたーーーー!!!!」
 大きな叫びとともに人影に向かって「粉砕バット改」を振り下ろす。
「え?」
 振り向いた人影、彼はたけきのこが頭に描いていた人物とはまったく別の顔をしていた。そこにあるのは先ほど街中でぶつかった役人の顔だ。
「え、えーっ!?」
 慌てて腕を止めようとするが時すでに遅く……、鈍い音とともに彼は地面へと横たわっていた。見間違いかもしれない、と倒れた男の顔を覗くが、やはりそこにあるのはあの役人の顔だった。
 …………、
 ……え、えーと。
「ぎゃーーーー!!」
 加害者であるたけきのこが倒れた男に変わって大きな悲鳴を上げる。
 ど、どっどどっどどうしよーーーー!
 え、えーと……、だ、誰も見ていなかったから知らないふりをしてればいいのかな。あ、いや、まずはこの死体をどこかに埋めないと。発見を遅らせることが捜査攪乱の第一歩よね。
 ……、違うって! そうじゃなくってー!
 落ち着け、冷静になれ、とぶつぶつ口の中で呟きながら、男の容態を確認する。男の胸に耳を当てると心臓の鼓動が聞こえ、顔に手をやるとかすかながら息が当たるので、幸いにして命に別状は無さそうだ。
 ふー、何とか最悪の事態は免れたようね。
 男の側にへなへなっと座り込んで、たけきのこは安堵の息を漏らした。そして顎に手をやってどうしようかと思案する。
 こういう場合はたしか頭を固定してやればいいはず。
 戦闘訓練で気を失っている兵士にそんな応急処置を施していた軍医がいたことを思い出した。だが、頭を固定させようにも、周りに適当な枕となりそうなものは見つからない。
 し、しかたないわ、ね……。
 たけきのこは男の頭を自分の膝の上に乗せてみた。不本意ながら頭の納まり具合はちょうど良い。しばらくの間、たけきのこは男を膝枕の状態で様子を見ることにする。
 早く起きないかと男の頬をペチペチと叩きながら、途中で見かけた兵士達が早くやってくることを願った。

 たたらのおやっさん達は境内戦に辿り着いたか。頑張れよ、おやっさん……。
 白浜宮神社境内、息を切らせた七さんは鳥居をくぐってくる神輿を眺めていた。
「七さん、七さんてぇへんだーーー!」
 そんな七さんの元へ、神を振り乱した十三が駆け寄ってきた。
「どうしたんでい十三。褌小僧達の残党共が現れやがったのか!?」
「ち、違うんだ。いや、そうかもしれねえんだけど……。有馬様が褌小僧の一人を追いかけたまま森の中で行方不明になっちまったらしいんだ!」
「なんだとー!!」七さんは祭の掛け声よりも大きな声をあげる。「今すぐ手の空いてる者を森の入り口へ集合させ……、いや、集めるんでぃ!」
 七さんは十三と共に政庁方面へと向かった。

 摂政七比良鸚哥はメイド達を率いて、有馬信乃の行方を捜索するため森の中へと進んでいった。半刻ほど森の中をうろついたところ、森の中で一人の女性が座り込んでいるのを発見した。よく見るとその膝の上には人の頭が乗っており、彼女の膝枕で男が横になっているようだ。もしやと思い、鸚哥は彼女達に近づいていく。
「七比良さん!」
 お互いを視認できる距離になって、先に声をあげたのは相手側だった。
「これは、たけきのこ様ではありませんか。このような場所で何を……、それに、そこで横になっているのは信乃さんか」鸚哥は二人の元へ駆け寄る。「一体、何があったのですか!?」
「え、えーと……」
 束の間、黙り込んだあと、たけきのこが言葉を発した。
「じつは……、私が森に迷い込んでしまってですね。えっと……、そうだ、褌の暴漢に襲われそうになったんですよ。うん、それで、この方に助けて頂いたのですがね。ただそのときに、ちょっと頭を殴られたみたいで、気を失ってしまわれて……」
 たけきのこがどもりながらたどたどしい言葉を続けようとした時、信乃がゆっくりと目を開けた。
「あれ、摂政さまではありませんか。それに、貴方はたしか……」
「信乃さん、大丈夫ですか? ええ、貴方はよくやってくれましたよ。貴方のおかげで外交問題にならずに済みました」
「は? 何のことです?」
「貴方がお救いしたこのお方はたけきの藩国たけきのこ藩王様なんですよ。ご存じなかったのですか?」鸚哥はたけきのこに手を向けて信乃に説明した。
「なんと、それはご無礼を」信乃は慌ててたけきのこから離れ、膝をついて頭を下げる。「ですが、藩王さまをお救いしたとは一体どういうことでしょう?」
「たけきのこ様が暴漢に襲われていたところを信乃さんが助けたそうじゃないですか?」
「え? いえ、確かに暴漢らしき人物は現れまし……」
「七比良さん! この方は頭を強く打っておられますので、早く医師の元へお連れした方がよろしいかと」
 信乃の言葉を途中で断ち切り、たけきのこが提案をはさむ。
「ええ、そうですね。誰か、信乃さんを医務室までお連れしてください」


【漢達の子守唄】


 祭も無事に終わった夜の政庁。マルフン達の仕事場にはまだ灯りが灯っていた。部屋の中には二人の男、有馬信乃と十倉助三郎である。
「というわけで、逮捕者総数四十七人、ですが、黄金、青、赤、をはじめとした首謀者達は残念ながら一人も捕縛することは出来ませんでした」
「そうか。僕の不注意で迷惑をかけた。本当にすまない」
「いえ、有馬様がご無事であった事の方が大事です。それに、たけきの藩王様をお救いしたとか。大変な栄誉ではありませんか」
「ああ、そのことは……」信乃はわずかに溜息を漏らす。「確かに暴漢は現れたんだが、その時は僕一人だったんだ。あのとき僕がたばこを……」
 言いかけて信乃は言葉を止める。森林では火災予防のため禁煙区域に指定されていたことを思い出したのだ。法官出仕を予定している者がそのような規則違反を犯したことは出来れば伏せておきたかった。
「どうなさいました?」
「いや、なんでもない。たけきのこ様がそうおっしゃるのなら、きっとあの方の言い分が正しいのだろう。僕は気を失っていたのだから……」

 浜のけんか祭は今年もまた熱く盛り上がったようである、翌日の瓦版にはただそのことだけが記されていた。

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最終更新:2007年05月24日 01:50
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