【巫神話】


水名潟(みなかた)はたいそうな力持ちだった
彼は村一番の力持ちと自負していたし、誰もがそれを認め、そして恐れていた
ある日、巳火槌(みかづち)という名の旅人が村にやって来た
彼はとても小柄で、水名潟の半分ほどの大きさだった
彼は村をたいそう気に入り、そこに家を建てて生活を始めた
そんな巳火槌にむかって水名潟はこう言った
この村に住むのなら俺の言う通りにしろ、と
巳火槌はしばらく考え、そして答えた
それでは力比べをしよう もしも負けたら従おう、けれど勝ったらお前が従え
水名潟は大きな声で笑って、いいだろう、と答えた
その返答に、巳火槌は小さく微笑んだ

※※※※※※※                 ※※※※※※※

褌は男の正装!!

ある祭参加者の言葉

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【浜のけんか祭】


 有馬信乃は、今日も神主との打ち合わせで白浜宮神社を訪れていた。ほぼ毎日、かれこれ二週間ぐらいになるだろうか。他の仕事も抱えながらでの祭の打ち合わせであるため、どうしても多くの時間をとれず、こうして回数を小分けにして進めていくしかない。
 さて、あとは参加者の最終調整くらいかな。
 手にした書類をぱらぱらとめくりながら今後の予定を考え、みたらし団子茶房<巫>に向けて足を進めた。
「信乃さん」
 白浜宮神社の鳥居を抜けて少し歩いたところで、信乃を呼び止める声がした。声の方に目を向けると、そこにはボロマールがこちらに向かって手を振っていた。
「おや、ボロマールさんじゃないですか。こんにちわ」
 たけきの藩国民であるはずの彼だが、最近、巫連盟の方へ遊びにいることが多い。よほどこの国が好きなのか、それとも別の用件のためか、どちらでも良いことではあるが、いくら仕事の忙しい時でもこうして友と会うことは嫌いではない。
「これから団子でも食べようかと思っているんですが、良かったら一緒にどうです?」
「いいですね。僕も信乃さんにお話があったとこなんですよ」
「僕に? どのようなご用件で?」
「まあそれは団子でも食べながら、ということで」
 ボロマールは1カートンの煙草を取り出して、笑みを浮かべた。
「これ、お土産です。よかったら吸ってください」

 摂政、七比良鸚哥の体調はここのところ芳しくはない。それでも今日も書類の束と格闘していた。普段から仕事熱心であることは皆の知るところであるが、ここ数日はいつも以上に仕事に打ち込んでいた。その結果体調を崩しているわけであるが、それでも彼は仕事を止めない。ある時は布団の中で、ある時はドラッカーに薬物を借りながら、寝る間も惜しんで仕事を片付けていった。
 全ては祭のために!
 休養を勧めるメイド達に対しての返答はこの一言のみであった。
 彼のやっている仕事が祭の準備というわけではない。祭に参加するために休暇を申請しようと、前倒しで仕事をしているのだ。摂政と言う仕事は藩国内だけでなく藩国外からの仕事も有しているため、年中無休と言っても良い。ところが鸚哥はこの祭の日だけは毎年休暇を申請している。いや、この祭以外に休みは取っていないとも言える。一週間ほどの長期休暇を申請し、本番に向けての特訓を行うほどの気合いの入れ様なのだ。
 今年こそ、今年こそ!
 鬼のような形相で、彼は仕事を片付けていった。

「こんな感じで良いかな」
 雹は最後の神輿を見上げながら呟いた。これで今年参戦する神輿八台を全て作り終えたことになる。
 神輿をぶつけ合うという性質上、各村ごとに神輿を製作するとどうしても公平さにかけてしまう。そのため神輿の基礎部分は全て藩国の方で作り、飾り付けなどを村ごとで自由に行なわせている。雹は今年の神輿製作責任者に任命されていた。
「雹様〜」神輿製作組の一人が、雹の元へ走ってやってきた。「有馬様から、もう一台神輿を追加して欲しいとの注文が入りました」
「えぇ〜、何でまた?」
「それがですね……、国外からの参加者が予想以上に多いので、作って欲しいとのことでして……」
 確かに今年は国外参加者が例年よりも多いとの話は雹の耳にも届いていた。経緯のほどは定かではないが、ここ最近帝国内で和装が流行りとなっていることの影響ではないだろうか、と以前に信乃が言っていたことを思い出した。
「ふむ、そういうことならしょうがないなぁ。まあ、材料も余裕はあるし、すぐに取りかかるとしようか」
 雹は道具箱からのこぎりと金槌をとり出して、木材置き場の方へ向かおうとした。
「あ、お待ち下さい。じつはもう一つ、これを有馬様から受け取って参りまして」
 そう言って雹に一枚の紙を手渡した。
 雹はそれにじっくりと目を通す。
「この通りに作れ、と?」
「はい。何でもその神輿を担ぐのは特別な人ばかりだから、とのことです」
 雹が手にした信乃の紙、そこには保育園児のような絵で神輿の設計図が描かれていた。

 団子屋が一年で最も忙しい日はたいてい月見の時期である。ところが、みたらし団子茶房<巫>では少し異なる。というのも店主、柊久音が政庁勤め、店員の大半が見習いメイド達、という事情もあって、国事として行われる祭の無料配布飲食物を一手に取り仕切っているため、現在、けんか祭に向けての団子製作が通常業務の傍らで行われていた。
おかげで、いつも以上にみたらしのたれの香りが店の外にまで広がり、客足が増えて忙しさが増すという歓迎すべき悪循環が起こっている。
「ほらほら、手休めたあかんよ。今年は予想参加者がごっつ多いからね。国外からもぎょうさん来るみたいやし、いっぱい配って<巫>の名を帝国一にできるように頑張ろう」
 今日何百個目かの団子を握りながら久音がはっぱをかけると、はい、と爽やかな返事が返ってくる。まだまだ皆気力は十分のようだ。

 国境付近にさちひこはやって来た。後に数人の供を従えて。
「国王、この建国で多忙な時期に国を空けることはあまり感心できませんがね」
 声をかけてきた側近らしき男に顔を向け、そしてにやっと口の端をあげた。
「つまらんことを言うなよ。立国申請の済んでいない現状、俺はまだこの国の民なんだからな」
「ですが、戦火に晒されていると言うわけでもなく、たかがお祭りごときで……」
 続く言葉を、さちひこは手をあげて止めた。
「国の礎は民だ。戦火から守ってやることも大事かもしれないが、日常の生活を笑顔で暮らせるようにしてやることの方が大事だと思わないか?」
「そうかもしれませんが、何も国王になろうというお方がなさらなくとも」
「国王だからこそするのさ」
 そう言ってさちひこは町の方へと向かって歩き出した。
 お待ち下さい、と言いながらも、従って来た者達がさちひこを追いかける。
「せっかくの祭なんだ。賑やかしは一人でも多い方が良いだろ」

 あすふぃこは国境警備隊のほぼ全員を引き連れて、堀の外へと戻ってきた。
「明日からの祭、参加したい者は行って良い。三日間の休暇を与えよう」
 後につづく隊員に振り返って大きな声で言った。そして、あすふぃこ自身はまた国境警備隊詰め所に向かって足を進めた。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい。あすふぃこ様は参加なさらないんですか?」
 あすふぃこは何を言っているのか、と考え込むように首をかしげた。
「私は男じゃないからな。特にこの祭へ参加したいとも思わないよ。それに……」
 そう、こんな時でも敵は待ってはくれないのだ。国中が浮かれているいま、それを守る者だって必要なのだ。
 しかし、あすふぃこはそのことは口にはしなかった。
 警備隊の者達だって、祭に参加したいだろう。そんなことを口にしてしまえば、おそらく彼らはまた警備の方へ戻ってしまう。だから何も告げずに、自分だけで戻ろうと考えた。
「俺達も戻ります!」
 隊員達は誰一人として街の中へは入らなかった。
 来た時と同じように、あすふぃこを先頭にして国境へと向かって帰っていった。
 そこが我が家であるかのように。

 神聖巫連盟において、他国からの来客はほとんどない。小国である巫はこちらから出向くことの方が多いくらいだ。だがこの日は違っていた、珍しくたけきの藩国から、なんとたけきのこ藩王自らが赴いていたのだ。ただ用件と言っても公務ではない。一般的にはお忍びと言われる部類である。なので公式の待遇はとられず、みぽりんと藻女の二人が彼女のお相手することになった。
 宮廷官達の寮の一室、そこにある茶室において三人は午後の茶席を設けていた。
「このような時期においでになるなんて。何かございましたか?」
「いえ、そう言うわけではありません。気晴らし、とでも言いましょうか……」
「気晴らしならFVBの方がよろしいんじゃないですかあ? あちらの方がいっぱいいろんなものがありますよ?」
「ええ、そうなんですがね。ただ、うちの国民達が、巫で祭がどうとか、話をしておりましたので、他国にまで名を轟かすようなお祭りでしたら少し行ってみようかと思いましたの」
「ええ、もうすぐ五穀豊穣祈願の祭があるんです。そのせいか、摂政なんかいつもの三倍は働いてるのよ。ねぇ、みぽりん」
「そうですよ。近づくのも怖いくらいに……がくがくぶるぶる」
 みぽりんは何かを思い出したのか、いまにも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃに歪めていた。
「へー、あの七比良さんが、ねぇ……」
 どうやらたけきのこにはそんな鸚哥の姿は想像できないようだった。

 こんこと霞月は、たけきのこの供をして神聖巫連盟にやって来た。自分たちの国からあまり出たことのない二人には、巫連盟の全てが目新しく、そして面白かった。否、普段の生活を見ているだけであれば、そこまでの興味は抱かなかったかもしれない。祭が近いせいか、街中がとても活気に溢れていて、いたるところでとんてんかんかんと屋台や催し物会場が組み上げられている。
「こんこさん、屋台や舞台が作られているのはわかるんですけど、なんで柵や壁までつくられてるんでしょうね?」
 まるで戦争でも始まるかのように、建物の周囲には柵や防護壁のようなものが作られていた。しかもそれらを組んでいるのは役人のようで、戦場で陣地作成なんかをやっていたのを見かけたこともある。
「神輿をぶつけ合うって言ってたからなぁ。あれくらいのことをしないと、建物なんか簡単に壊せるほど、きっと盛大なものなんじゃないかな」

 それぞれの思惑を胸に秘め、けんか祭の日は一歩一歩迫っていた。


【たけきの藩の祭前】


「ふー、たまにはこういう祭もいいものね」
 お供にこんこ、霞月を従えて、たけきのこが先頭を歩く。
 祭の前日だと言うのに大通りにはたくさんの屋台が並び、変わって通常営業を行っている店はほとんどない。国全体がほぼお祭仕様に生まれ変わっている。たけきのこは、ほんの数ヶ月前に行われた自国の祭、たけきのこ祭を思い出した。
 あの祭はとても面白かったし、うちの方が楽しかったと胸を張って言えるが、いかんせん自国では、誰もが自分のことを知っている。三歩歩けば、あらあらたけきのこちゃん、と近所のおばさんがよってきて、十歩も歩けば人だかりができる。それはそれで嬉しい限りだが、こうして思うままにふらふらとあちこち行けることもまた面白い。自国ではできぬ楽しみである。
「そう言えば、ボロマさんの姿が見えないけど、どこに行ったのかしら?」
「さあ、何も聞いてませんが……、こんこさんは知ってます?」
「さて、どこに行ったやら。ですが、この国には友達が多いようですから、その方々の元へ行かれたんじゃないでしょうか」
「ふーん、そっか」
 彼は彼で楽しんでいるようなら、それも良いだろう。そう考えることにして、たけきのこはあちこちの屋台に突撃をかけることにした。

「どうぞお受け取り下さい、ボロマールさん。なかなか良い褌でしょ」
 自慢げに笑いながら、信乃はボロマールにきれいにたたまれた布を手渡した。
「どれどれ」
 ボロマールはそれを手にとって広げ、鑑定士のように目を凝らしながら、時には布を引っ張ったり丸めたりして、褌を眺めた。
「確かにこれは良い。さすが巫の褌だ」
「いえいえ、恐れ入ります」恐縮して信乃は頭を下げる。
「いえ、お世辞ではありませんよ。しかしよろしいのですか? こんな上等な褌を無料配布するなんて」
「ははは、しょせん褌ですからね。それにこれは参加者の証でもありますから。できれば記念に残るようなものに、と思いまして。よその国ではてぃしゃつやら、すたっふじゃんぱあやらを作られるでしょ。それと同じようなものですよ。と言っても、他国の方では日常に褌を着用することなんてないでしょうから、あまり喜んで頂けないかもしれませんね」と言って、申し訳無さそうな顔で苦笑した。
「ふむ、しかし……、これは、良い褌だ」
 ボロマールは目を爛々と輝かせて、褌に見入っている。
 褌には赤い布地で、中央には「甲」の文字が黒で描かれている。布地の色と文字によって神輿の分担地区ごとに分かれている。赤は他国参加者で、甲の字は一組目という意味である。そんな説明を信乃はしていたが、ボロマールの耳には届いていないようにも見える。
「そうそう、それからこれが当日の参加者集合場所と時間、それから諸注意を書いたものになります。くれぐれも、集合場所は間違えないようにしてくださいね。色々と危険がありますから」
「ほうほう、なるほど。しかし危険とはいったい?」
「まあ、いろいろとね。あるんですよ、この祭には……」
 ぷかりと煙草の煙をふかし、信乃は遠くを見るように視線をそらした。

「ただいまですー」
 信乃と団子屋での面会を終えたボロマールは、たけきの藩宿舎に戻ってきた。
「あ、ボロマさん。お帰りなさい」
「お帰りなさい」
「あれ、お二人だけですか?」
 部屋にいたのはこんこと霞月だけで、たけきのこの姿は見当たらなかった。
「ええ、藩王様は藻女様の元へ遊びに行かれてます」
「そうですか。まあ、いいや。そんなことより……どうです、これ!」
 ボロマールは懐から赤い褌を取り出した。
「ボ、ボロマさん……、それは……」
「さすがに他国でそれは、ちょっとまずいんじゃ……」 
 こんこと霞月の二人は顔を凍らせている。
「ははは、そうじゃありませんよ。この褌は明日、祭の神輿担ぎに参加するものに配布される褌ですよ。どうです、お二人も神輿担ぎに参加しませんか?」
 ああ、なるほど、と二人は納得し、安堵の息を漏らした。
「ん〜、面白そうですけどパスします」霞月はやんわりとした口調で断る。
「俺は……、せっかくの祭だし、参加できるなら担いでみようかな」こんこは乗り気のようだ。
「じゃあこれはこんこさんにお渡ししましょう」
 ボロマールはついさっき信乃から貰った褌を当日の概要が書かれた紙と一緒に、こんこに手渡した。
「え、これはボロマさんの分じゃないの?」
「いや、僕の分は別にあるから心配ご無用です」


【巫連盟の祭前】


 祭の前日だと言うのに、政庁の中はてんやわんやになっていた。一部の女官達にとっては例年のことなので慌てたりすることもないが、新人や中堅手前の若手女官達はぎゃあぎゃあと不満をまき散らしながらも、次々に仕事をこなしていく。
 毎年祭の一週間くらい前から徐々に男性職員は休暇をとりはじめ、前日ともなれば、九割近くの男性職員は政庁から姿を消してしまう。残っているのはひ弱か、エリートのみでおいそれと手伝いなど頼むのは気が引けるような男達ばかりだ。そのため女性職員にとっては一年で最も過酷な一週間となる。
「ふえええ、ふええええ、仕事がぁ、仕事が、襲ってくるです〜〜〜!!」
 と言うような、錯乱一歩手前とも取れる叫び声が、政庁のあちこちからあがっていた。

 完成はしたが、本当にこれで良いんだろうか?
 雹は信乃特注の神輿を眺めながら首を捻った。
 他の神輿よりも一回り以上を大きく、しかも神輿内の空洞部分がやたらと広い。特別、というからこれで良いのかもしれないが、この神輿はあきらかに他の神輿よりも強度がなかった。もって二戦というところだろう。どう考えても境内戦まで辿り着けるとは思えない。
 しばらくの間雹は頭を悩ませた。そして、
 ——よし、もう少しだけ補強しておこう。
 そう結論をだして、工具をとって改良を始めた。
 信乃さんは文族だからな。きっと強度計算を間違えたのかもしれない。

 厨房は戦場である。武官であるはずのメイド達が<巫>で研修を受けるのは、ここがもっとも激戦区だからかもしれない。……、んなわけはない。
 だが、その忙しさ、気の抜けなさ、それはまさしく戦地での状況と似通っていることだけは確かである、祭前の<巫>に置いては。
 司令官、もとい、団子屋店主、久音も最前線である竃の前に立ち、味の決め手となるたれの製作を引き受けていた。
「店長、三千個上がりました!」
「店長、粉が底をつきかけてます!」
「店長、追加注文が入っています!」
 店長、店長、店長、メイド達が口を開いてまず最初に出る言葉は久音を呼ぶ声ばかりである。
 普段の業務はほとんど店員任せにしているが、たまにふらっと現れては誰よりも鮮やかな手つきで仕事をこなしていくため、店員達からは格別の信頼を得ている。だがそれも、こんな忙しい日には災いとなってしまう。指示さえ与えればあとは完璧にこなしてくれるので楽と言えば楽ではあるが、責任者と言う立場はやはりしんどいものなのだ。
「上がった三千個は政庁へ持ってって。粉は裏の倉庫にあと三袋予備があるからそれ全部使てまお。で追加注文は何個なん?」
「それが……、一万個ですっ!」
 厨房にいた誰もが凍りつき、時が止まる。
「誰か……、材料買うてこーい!!」
 久音の叫び声が、メイド達を現実へと引き戻した……。

 かこーん、と小気味良い音をたてて、ししおどしが水を吐き出し跳ね上がる。
 六畳ほどの畳の間、寮にある藻女の自室だ。庭園に面しているため、格子を開けば、自分のもののように楽しむことができる。
「良い音。私ししおどしって好きなの」
「うん、たしかに。風情があっていい音ですね」
 部屋の中央には机があって向かい合って座る藻女とたけきのこ。二人は同時に手にした湯のみをずずっと啜る。のんびりとした、穏やかな雰囲気が彼女達を包んでいる。
「そうそう、思い出した。あのね、せっかくうちに来てくれたから、お土産を用意しておいたの」
「お土産?」
「いまはまだ秘密ね。来れなかった人達に配ってあげて」
「そんな、わざわざありがとうございます」
 かこーん、とまた、ししおどしが鳴いた。


【神輿出陣】


 雲一つない晴天、とはいかないまでも空は青く、太陽も国民達の熱気に煽られたように煌煌と輝いた快晴となった。今日は熱くなりそうだ、と思った信乃は少し満足げな笑みを浮かべた。
「さて、それでは最終確認をさせて頂きます」
 白浜宮神社の境内には各地区からの神輿担当役人と担ぎ手達の長が集まっている。信乃は彼らに向かって説明を始めた。
「今回の神輿台数は国外参加二つを含め全十神輿となっています。順路道理に進んで頂くと、ここ白浜宮境内までに二回、もしくは三回の神輿競り場所を通ることになります。大体同じような時間で辿り着けるように順路調整は行ってありますが、もし早くついた時は相手が来るまでそこでしばらくお待ち下さい。経路図は後ほどお渡しいたしますので、忘れずに持って帰るようにお願いいたします」
 ここまで言って信乃は集まった一同の顔をぐるりと一週見渡した。この辺りは例年のことなので信乃よりも詳しい人間の方がこの場には多い。
「それとですね、今年は他国参加者が多いことから不慣れな方々もいらっしゃると思いますので、彼らと当たる時は十分な注意をお願いします。一応何人かは我が国の者をつけてはおりますが、担当の者はしっかりと確認の方よろしくお願いします」
 信乃の言葉に鸚哥がうむ、と深く頷く。
「では皆様、説明は以上ですが、何か質問はございますか?」
 遠くの方から太い腕がにょきっと伸びた。
「国外参加者と当たった時は、やっぱ手を抜いた方が良いのか?」
 からかい半分の質問なのだろう、その声を聞いた周りの男達がわははと大声を出して笑った。
「浜漢の栄誉を他国の方に持って行かれてもよろしければ、手を抜いて頂いて構いませんよ」
 信乃は軽い冗談で返す。
 持って行かさねーよ、今年の浜漢は俺達のもんだ、などと男達は口々に言い合いながらさらに笑い声を高めた。
「それでは皆様、それぞれの地区に戻って正午の鐘をお待ち下さい。今年も派手に、大暴れして頂くことを期待しています」
 おおっ、と野太い男達の叫び声が境内に溢れ、各人それぞれに解散した。
「やあ、信乃さん。さすがに良い仕事をしてくれるね」
 境内から立ち去ろうとした信乃に、鸚哥が声をかけてきた。
「あ、摂政さま。担当地区の方、よろしくお願いしますね」
「もちろんです、任せなさい」
 鸚哥は胸を張って自信満々に答える。
「ところで、摂政さま……」
 信乃は項垂れるように少しだけ頭を落とした。
「どうしました? 何か問題でも?」
「いえ、問題と言うか。摂政さまがこの祭に相当な気合いを入れてらっしゃることは重々承知しておりますが、せめて祭が始まるまでは法被くらい羽織って頂けませんか? 一応他国からの観客もいらっしゃいますので……」
 真っ赤な褌に黒字の乙、いまの鸚哥が身に纏っているものはそれだけだった。

「今日は天気もよくてとってもいい気持ちです。こんな日をお祭り日和っていうんでしょうね。私は……、神輿も担げないし、屋台とかまわろうかな。あ、わらび餅が食べたいです。どこか美味しい屋台が出てたらあとで教えてくださいね。ではみなさん、今年の浜漢を目指してがんばってください」
 神社の境内では藻女が舞台に昇って祭の開催を宣言する。
 そして、境内の隅に立っている釣り鐘堂から、低く重みのある鐘の音が、三度打ち鳴らされた。境内で耳を澄ませば、各地区から一斉に神輿を担ぎ上げる声が聞こえてきそうな気がした。


【祭の裏方達】


 本当ならば今頃は、屋台でも食べ歩きをしながらのんびりと楽しんでいる予定だった。それは久音だけでなく、今ここで働いている全てのメイド達も同じだっただろう。ところがそれは儚い夢と消えてしまった。今日も引き続き、みたらし団子の作成に追われている。
 追加注文一万個、ようやく七千個を作り終えたところだ。
「後、三千個〜!」
 数を数えていたメイドの一人が叫ぶように数を伝えるが、帰ってくる声はほとんどため息ばかりである。
「はいはい、手を休めんと。さっさと終わらせて遊びに行くんやで〜」
 叱咤激励する久音だが、やはり彼の声にも今までのような力はない。作り終えたところで、くたくたで<巫>から一歩外に出ることは、元気な時に国の外まで歩くよりも難しいことだろう。
 くそ〜、信乃さんめ、あとで覚えとれよ〜。
 追加注文を持ってきた信乃に向かって、<巫>職人一同の怨みは時が経つに連れて積み重なっていった。

「一班配置に付きました」
「二班、準備完了です」
 白浜宮神社境内に設置した豊穣祭実行委員本部。その片隅で椅子に座っている信乃のもとに次々と報告者達がやって来る。彼はを黙ってそれを聞き、ただ首を縦に振るだけだった。
「祭のほうは順調みたいだね」
 ひとつ、報告とは違う言葉が紛れ込んでいた。
「さちひこさん! 来てらしたんですか」
「まあね。建国はしてるけど、俺だってまだこの国の藩民ではあるからな。こんな日くらいは遊びにもくるよ」
 さちひこは信乃のとなりに椅子を持ってきてそこに座った。
「今年は何か警備が厳重だねぃ〜」とぼけた口調で言葉を出すが、すぐに真顔になって声を潜めた。「何かあったのかい?」
 信乃は小さく、そして薄く微笑を浮かべた。
「何もないようにするため、ですかね」
「それにしちゃあ、変装した兵士が町ん中をごろごろと歩き回ってるようだけど?」
「あちゃー、そんな簡単にばれちゃってますか」信乃は苦笑して頭を掻いた。
「いや、俺はここの兵士の顔は大体知ってるからな。戦時と同じ組み分けで行動してたから、公務中なんだろうって思っただけさ」
 なるほど、と納得し、相手にそれを悟られていないだろうかと信乃は考える。せっかくここまで順調に事は運んでいるのに、最後の詰めで失敗なんてことになったらまったく情けない話だ。
「人手が必要なら何か手伝おうか?」
 さちひこが心配げな顔をして提案してきた。
「いえ、ご心配には及びませんよ。そちらの方は大方順調です。……いや、やっぱり少しだけ手伝ってもらえますかね」
「何をすれば良いんだい?」
「いや、たいしたことじゃないんですけどね。そろそろ僕はここを離れて別行動をしなくちゃならないんです。それで、代わりが来るまでここの留守番をお願いできます?」
「なんだ。そんなことで良いのかよ」
 笑いながらさちひこは、良いよ、やってやる、と快諾した。
「すいませんね、祭を楽しむ邪魔をしてしまって。それでは、失礼します」
 さちひこと別れ、信乃は白浜宮神社をあとにして、目的地へと向かった。


【祭の観客達】


 藻女とみぽりんはそれぞれ右手にわらび餅、左手にわらび餅、お付きのメイドもわらび餅、いや、わらび餅持ちと、わらび餅に埋め尽くされての祭散策である。藻女がほんの一言わらび餅を食べたいと言ったために、屋台中のわらび餅屋が挨拶の後一斉に押し寄せてきたせいだ。
「ひえははー、ひぽひんわはひほひひはひほはへはいへふー」
 口の中いっぱいにわらび餅を詰めてみぽりんが喋る。
「どうしたの? あ、もっとわらび餅が食べたい?」
 にっこり笑う藻女に、みぽりんは勢いよく首を振る。
「大丈夫、冗談だから。そうね、私もわらび餅はそろそろ飽きたかしら」
 その瞬間、周囲にあった屋台のおやじ達の目の色が変わる。出し物を作る手に力を入れ、藻女の次の言葉をまっている。彼女に美味しいと言わせれば、半年くらいは好調な売れ行きを見込めるからだ。
「そうだ、摂政にケーキ作ってもらおう」
 がしゃーんとあちこちの屋台から調理器具が音を立てて、屋台のおやじと共に崩れ落ちる。
「でも今日は摂政さまは朝からお仕事してらっしゃいましたよ?」
「うん、お仕事だからいいの。遊んでるのを邪魔しちゃったら悪いけどお仕事だったら残業してもらえば良いんだし」
「ああ、なるほど〜」
「じゃあ摂政を探しにいきましょう」
「はいですうー」
 みぽりんと藻女はわらび餅を食べながら鸚哥を探しに雑踏へ消えた。

「あら? こんこさんとボロマさんはどこにいっちゃったの?」
 たけきのこは後を歩く霞月に向かって尋ねた。
「お二人とも神輿を担ぎにいかれましたよ」
「神輿って、あれよね?」
 たけきのこが指し示したところには、褌一丁の男達がヨイヤサッと威勢の良い掛け声とともに神輿を担いで街の中を練り歩いている。
「ええ、そうだと思いますよ。昨日ボロマさんが赤い褌を持っていましたから」
 たけきのこははた、と足を止めた。
「どうなさいました、藩王様?」
「不安だわ、激しく不安だわ……」
 こんこはともかくボロマールにいたっては過去数度に渡って自国内で暴走したことがある。しかも今回は祭ということもあって、半ば公認的に褌一丁で暴れることが出来るのだ。
 たけきのの恥とならないだろうか。
 それで収まれば良いのだが(いや、良いとは言えないが)、下手をすれば外交問題にもならないかと、たけきのこの頭の中はめまぐるしい早さで回転していく。
「霞月さん、二人がどこで神輿を担いでいるか知ってる?」
 そう尋ねられた霞月は、神輿競りの案内を見ながら答える。
「えっと、こんこさんは赤字に甲の字が入った褌をしていたので、さっき通り過ぎた神輿と競り合う予定になってますね。そろそろ競りが始まる頃かもしれません。ボロマさんは……、赤い褌で出かけられてたのでおそらく一緒だと思います。赤い褌の神輿は一台しかないようですから」
「そう、わかったわ。ちょっと急ぐわよ」
 言ったすぐ後に、たけきのこは競り会場に向かって駆け出した。
「ちょ、ちょっとおまち下さーい」
 霞月もすぐにその後を追って走り出した。
 角を曲がればもう競り会場というところに二人が差しかかったとき、屋根の上を一つの影が通り過ぎた。たけきのこは足を止めてそちらの方に視線を向ける。嫌な予感が心の奥底で沸々と音を立て込み上げてくる。
「今の影、見た?」
 後ろを振り返ることなく、同じく立ち止まった霞月に声をかける。
「影ですか? どこにそのようなものが」
 どうやら彼には見えなかったようだ。
「そう、じゃあいいわ。霞月さんはこんこさんの応援に行ってあげて。私はちょっと野暮用ができたから、ここで別れましょう」
 たけきのこは影の向かった屋根の先を見据えて言う。すると、もう一度影がふっと飛び出してきた。今度はしっかりと予測して眺めていたので、遠目からでもはっきりと、それが人影であることは見て取れた。


【神輿のかき手達】


 真っ赤な褌を締めた男達が集まっている。たけきの藩国からの参加者はこんこ一人だけのようで、辺りを見回すと、赤い髪やら白い髪やら様々な国から人が集まっているようだ。
 ボロマさんの姿が見えないが、もう一つの組に回ったのかな。
「それではみなさん、参加者の確認を行いますので、神輿担ぎの方から順に並んでください」 
 背中に祭と書かれた青の法被を着た男が叫んでいた。それを聞いたこんこは確認の列に並ぶ。
「はい、それでは次の方〜」
 こんこの番がやって来た。たけきの藩国のこんこです、と担当者に名を告げると、ぺらぺらと手にした用紙からこんこの名を探そうとしていたのだが、時間が経つにつれて表情が険しくなっていく。
「あの、申し訳ありませんが、たけきの藩国からの参加はボロマールさんという方になっておりまして、こんこ様はご登録されていないようなのですが……」
「あれ、そうなんですか。そのボロマールさんから褌とかいろいろ渡されたのですが」
「では代理登録された、ということなんでしょうかね。いや、まあ、気になさらないでください。たけきの藩国の登録は信用ある方からの指示が出ておりますので、問題はありませんから」
「問題なんてあるんですか?」
「え? ええ、まあ……。ほら、祭と言っても世界的には戦時中ですからね。てろりすとやらの対策や、諜報員なんかが紛れているなんてこともありますので」
「あぁ、なるほど……」
 なかなか厳重に管理されているものだ、とこんこは感心する一方で、ボロマールの参加資格を奪ってしまって大丈夫だったんだろうかとも案じていた。
「それでは、もうすぐ神輿の出陣となりますので、準備の方をよろしくお願いいたしまーす」

 神輿の最後列、雹はそこで神輿を担いでいた。今日の祭は自分の作った神輿をそれぞれどんな風に活躍するかを見て回るつもりでいたが、通りかかった先で人手が足りねえと騒いでいる男達に出会ってしまった。よくよく見てみると、それは職人町の男達、技族である雹にとって知らない仲ではない者も何人かいる。特に彼らを取り仕切っている飯屋のおやじさんには、昼食なんかを奢ってもらったりと世話にもなっていた。
 仕方ないよなぁ。
 ほぼ二つ返事で引き受けてしまったために、こんな場所にいる。てっきり提灯持ちか太鼓叩き辺りだろうと思っていたのに、褌一丁で神輿を担ぐハメになっていた。
 職人町地区は毎年優勝候補に挙げられながらも、未だ優勝したことがないという万年二位地区と不名誉な称号を手に入れている地区で、毎年汚名返上のために年々威勢だけはうなぎ上りであり、今回も相当な意気込みで祭に臨んでいた。普段は寡黙な男達も、今日は荒々しく雄叫びを吠えまくる。
「すまねえな雹さん」飯屋のおやじが後から声をかけてきた。
「いえいえ、皆さんにはいつもお世話になってますから」ほんの少し苦笑を混ぜた顔で返事を返す。
「今年はうちの主力がごっそり抜けちまってよ。いや、公務だってんだからしょうがねえのはわかっちゃいるんだけどなぁ……」
「公務、ですか?」
「ああ、何でも神輿の警備担当が足りねえとか何とかでな。うちの地区の岡っ引きなんかが皆そっちに連れてかれたのさ」
 警備担当?
 雹は少し首を傾げる。祭の実行委員の人数は足りているようなことを信乃が言っていたからだ。警備にしても兵士達を動かしているなんて噂もあったほどだから、岡っ引きにまで声がかかるはずはないのだが……。
 雹がそんなことを考えているうちに、神輿は競り会場へたどり着いた。
「さあ雹さん、こっからが本番だぜ!」
 飯屋のおやじさんが普段の倍以上の大声で突撃の合図を出した。


【浜漢への道】


 良くわからないままに神輿を担いで来たこんこだが、進むごとに声援が増えているような気がした。もともとが国外参加者で構成されている神輿だから、それほど応援があったわけではない。さきほど壊した相手の応援者達が、今度は自分たちのことを応援してくれているようだ。中にはさっき神輿を担いでいた男が法被を纏って応援してくれていたりもする。
 祭っていいなぁ〜。
 なんとなくだが、こんこはぼんやりと考えた。
「おう、あんちゃん。そろそろ気入れろよ。次のお相手がお待ちかねだぞ」
 こんこの隣で神輿を担いでいる四十過ぎのおやじが、こんこに声をかけてきた。どこの国の男かはわからないが、なんでもこの祭には十年以上参加している他国参加者の主と呼ばれている男だ。ここまでの道で初参加のこんこにいろいろと祭のことを教えてくれていた。
「今度の相手は強えぞ。なんたって毎年優勝候補に挙げられている職人地区組だ。ただ、今まで一度も優勝したことがねえってことから万年二位なんて呼ばれててな、だから俺たちにも勝機はあるってことよ」
 こんこは少し首を伸ばして相手の神輿を眺める。
 先に神輿競り会場に入場した彼らは、野太い掛け声を叫び、神輿を高らかに掲げて士気を高揚させている。とんでもない気合の入りようだ。ほんの少し身震いをさせる。
 こんこ達の神輿も競り会場へと入り、二つの神輿は気合いを入れるため(正しくはそれも儀礼の一つであるが)大きな円を描くように会場内をぐるぐると回り始める。三周ほどしたところで競り審判の巫女が鐘を鳴らして、両方の神輿は中央に引かれた二本の開始線まで移動して、開始の合図を待つ。
 開始線の間に審判が立ち、両手を大きく横に開いて、見合って見合って、と今にも飛び出しそうな神輿を抑える。その間それぞれの神輿は、よいやさぁっ、えいさーっ、とそれぞれの地区ごと独自の掛け声で自分たちを鼓舞している。神輿の声の高まりとは打って変わって周りの観客達の声は静かになっていく。
「はっけよーいっ」審判が少しずつ神輿からは慣れていった。「のこったぁっ」
 開いていた両手を大きく振って交差させた。
 ほぼ同時にお互いの神輿が相手めがけて突進していく。こんこも神輿の支えを肩に乗せて、力一杯相手に向けて神輿を押し出す。
 木材と木材の激しくぶつかり合う音、そして、裂ける音。渾然一体となって、こんこの耳に、競り会場に、大きく響き渡る。同時に観客達からも応援の声がどっと沸き起こる。
 一度目ではお互い決着がつかなかったようだ。審判はまだのこったぁ、のこったー、と声を出している。
 二つの神輿は少し下がって距離をとり、大きな掛け声を出した後、相手に向かってまた突撃していった。

 何度神輿をぶつけ合っただろうか、雹はもう回数を覚えていない。身体中のあちこちに痣ができ、肩には擦り傷らしきものが無数の線を作っている。それでも気合いだけは萎えることがなかった。むしろ傷が一つ出来る度、もっと力をっ! と身体中の血が騒いで仕方がないほどだった。
「よいやさぁー!!」
 掛け声とともに再び神輿がぶつかり合う。
 ばきばきと音をたてて木材が崩れていく音が雹の耳に入った。同時に観客達の間からはおお〜、とざわめきが走り、すぐさまそれが大歓声に変わった。
「ひが〜し〜〜!」
 審判が勝者の方角を指して高らかに宣言した。観客達の声はより一層に大きくなる。
 雹の目の前を、壊れた相手の神輿の欠片がどさどさと落ちていった。
 終わった……。
 ただ茫然とそれを見ていた。そして、
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
 誰から始まったのはわからない、だが雹自身も歓喜の雄叫びを上げていた。職人地区組の男達は近くにいる誰でも彼でもかまわず、肩を組み、抱き合い、そして、感極まって泣きじゃくる者までいた。
 何十年と続いてきた歴史の中で、職人地区初めての栄誉をその手にしたのである。万年二位という屈辱的汚名をようやく返上したのだった。
「ありがとよ、雹さん。あんたのおかげだぁ!」
 飯屋のおやじさんが雹の手を握って力強く上下に振る。
「いや、私なんてたいしてお役に立てたかどうか……」
「いやいやいや、雹さんのおかげさぁ!」
 おやじさんは大きく手を振り上げて、雹の背中をばしっと叩く。背中に紅葉をつけた雹はふらふらっと前に飛ばされて倒れた。
 あたたた……、おやじさんの方がまだまだ体力あるじゃないか……。
 背中をさすりながら立ち上がろうとするが、どうやら全力を出し尽くしたようで、起き上がろうとして失敗して地面に転んだ。仕方がないので雹はそのまま境内に大の字に寝転がって、大きく息を吸う。
「おおおおおおーーーーーー!!!!」
 大声を出した。ただそれだけのことだが、何故かとても爽快な気分になれた。



【祭の終わり】


 境内のあちこちで篝火が焚かれ、夜の闇を払う。昼の神輿競りとはうってかわって、静かな、厳かな儀式となるのがこの祭である。五穀の豊穣を祈願して、神に贈り物を奉る。
 境内中央の石畳を、藻女、神主、そして巫女達が進み、その後には浜漢に選ばれた者達が穀物の苗や、農具などを持って従っている。それぞれが指定された位置に座すと、神官が最初の祝詞を読み始め、それに続いて楽が奏でられる。
「今年も私達に豊かな食がありますように……」
 神主に続いて藻女が奏上文を読み上げて、一連の式は滞りなく過ぎていった。

 今年も豊かな実りがあったかどうか、それはまた別の祭である……。

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最終更新:2007年05月23日 02:20