さて、どうして俺はこんなところにいるのだろう?
 土曜日にSOS団不思議探索があって、ただその日はどうしても吉村美代子、通称ミヨキチを預かることになっていたものだからミヨキチと一緒に団活に行かなければならず、連れていったはいいがどうにもハルヒの機嫌が最高潮に悪くなって、しまいには分かれ際に「あんたの顔も見たくない!」とまで言われてしまったのである。
 とりあえず月曜になったら多少は機嫌が直ることを祈りつつ、ベッドで横になったはずなのに気がついたらこんなところにいるのだ。
 言っておくが、こういう前振りをかますとたいていは誰もがハルヒの作り出した閉鎖空間を想像するだろうが全然違うぞ。
 一面、灰色で明かり一つない闇の世界ではない。
 まず眼下には鮮やかな新緑の森が広がっているし、上空には澄み切った青空が広がっている。
 またその向こうにはその空との境界線がいまいち分かりにくい、しかしどこまでも続いているかのような海さえ見える。
 つまり『色彩』がある場所なんだ。
 ただ、俺が立っているこの丘に見覚えがないのである。最初は鶴屋さんの家の近くの、妙なパーツが埋まっていた山かとも思っていたのだがそれにしては何かが違う。
 俺も宇宙人、未来人、超能力者のたむろする異質空間に慣れてしまったのだろうけど、あの何とも言えない空気が違う雰囲気がここにあるのである。
 いったいここはどこなんだ?
 頭の周りに?マークを数多く何度も点滅させながら俺は考え込んでいた。




涼宮ハルヒの切望Ⅰ―side K―


 ん?
 先ほどまでは穏やかな日差しに包まれていたはずなのだが、いきなり巨大な影が俺の周囲を覆う。
 雲?
 などと簡単に思い、俺は上空を見上げてみた。
 視界いっぱいに広がったのは先ほどまでの青空を完璧に覆いつくしてしまっている――
「な、なんだぁ!?」
 俺は思わず声をあげていた。
 言っておくが、そりゃ無理ないってもんだぜ!
 なんたって俺の目には見たこともない生き物が飛び込んできたんだからな!
 んで、それが何を目的にしているのかも悟れた瞬間!
 俺は全速力で駆けだす羽目になったのである!


 なんなんだこれは! つか、あれは何だ!
 というツッコミを入れながらも俺はそいつから逃げるために走る続ける。
 思いっきり汗をふき飛ばし、表情に焦燥感を思いっきり浮かべながら。
「ブレイズボム!」
 何だ!?
 いきなり聞こえてきた甲高い声と同時に背後で閃光が走り何かがぶつかった音がしたと思ったら、ちょっとした地震が起こったんじゃないかと錯覚する大地を震わす衝撃音が響く!
 気が付けば俺を覆っていた影から抜け出した。
「こんなところにいると危ないわよ。ここは鳥獣区域なんだから、あたしたち人が入っていい場所じゃないわ」
 え?
 俺はきょときょと周りを見回す。
 が、声の主がどこにいるのか分からない。
 なぜかって? 仕方ないだろ。視界360度に人影が全く捉えられないんだから。
 解るのは、つい今さっきまで嬉々として俺を追いかけてきていたでかい鶏と鷹を足したような化け物鳥が墜落して伸びているってことだけだ。
「で、何たって、あんたはこんなところにいるわけ?」
 うお!?
 という驚きの声を上げるのも無理ないってもんだぜ。
 なんせ、いきなり、こいつは俺の目の前に現れたんだからな。
 しかもだ。目鼻立ちは間違いなく美女の部類に入れていいし、体の起伏は朝比奈さんに勝るとも劣らないグラマラスさであることは一目瞭然で、それも朝比奈さんと違い身長もあるからモデルとかを連想させることもさることながら、その癖っ毛で腰まで届こうとしているロングヘアが派手な桃色だったことに俺は度肝を抜かれたんだ。
「あ、あなたは……?」
 俺は思いっきり意表を突かれた声を漏らすことしかできない。
 この女の格好も言っておこう。
 山吹色のノースリーブシャツにエメラルドグリーンのホットパンツはまあいい。この体の起伏であれば存分に男の目の保養になれるだろうし、ともすれば陶酔に落ちていきそうな格好なのだが、残念ながら俺にそんな感慨は湧いてこなかった。
 仕方ないだろ? その上に何やら宝石を埋め込んだ肩当を付けてるしシルバーグレーのマントを羽織っているんだ。
 桃色のヘアカラーとあいまって、魔女っ子コスプレにしてはあまりに突出し過ぎていて逆に引く。
「あたし? あたしはこういう者よ」
 言って彼女は懐から、というかマントの内側から一つ、長方形のカードを見せる。
 たぶん名刺なのだろう。
 そこには――
 …… …… ……
「何て読むんだ……?」
「は?」
 俺の素直な感想に彼女は思いっきり間の抜けた声を漏らしていた。


 さて、この反応で俺は、どう見てもこいつだけには言われたくないような気がヒシヒシしているわけだが、思いっきり不審者扱いされたらしく、険しく厳しい視線を桃色の髪の女に向けられて、むちゃくちゃ大きく厳かな建物の警察っぽいところへと連行されることになる。
 しかしだな。
 その入り口で思いがけない出会いが俺を待っていた。
 確か、あの時、その人は再会する可能性は0に等しいとか言っていたはずなのだがどういう訳なのか再会することになったのである。
 ということはだ。
 ひょっとしてこの世界は……
 などと思考する俺に、どこか懐かしい声が届く。


「確か、キョンくんだったよね? いったいどうやってこの世界に来たの?」


 俺が生涯、忘れることができない、いやおそらく俺だけでなくハルヒも忘れることはできない人物だろう。
 文化祭での自主制作映画の時の長門のような格好をした、それでいて長門以上にスレンダーボディのシアン色したハルヒと同じく肩までかかるかどうかといったところのセミロングヘアの彼女。
 左右で色の違う瞳の蒼葉さんが俺を、びっくり眼で見つめていた。


「不審者扱いしてごめんなさい。あたしったらなんて罰当たり者なのかしら」
 桃色の髪の美女が後ろ頭をかきながらどことなく『てへっ』とした笑顔で俺に謝罪している。
 場所は蒼葉さんの勤め先と教えられた、この世界一、と言うかぶっちぎりトップで他企業の追随を全く許さない化け物機関・警察&開発機構・なんたらシェリなんとかカンパニーというところで、さっき見たどでかい建物の中の、この桃髪の女の個室である。
 しかしまあ腹は立たないな。
 というか、蒼葉さんもこの女も俺とハルヒのことを、ある意味、誤解しているんだ。
 おっと、説明が遅れたが、なぜ蒼葉さんと俺が顔見知りなのかと言うとだな、端的に紹介させてもらうが、前にハルヒの作りだす閉鎖空間の中で出会ったからなんだ。
 その時、蒼葉さんはたった一人で世界を救うために命を振り絞って戦っていた。古泉が組織ぐるみでやっと一匹倒せる青白い巨人をもう数えるのも馬鹿らしいくらい打ち倒していたんだ。そして、本当に最後の命の灯まで振り絞っていたことも覚えている。というかあの雄姿は絶対に忘れられん。
 ハルヒの力=新世界の誕生でこの世界が滅亡することを阻止するために、ある意味、神に戦いを挑んでいたんだ。
 そしてその姿が神=ハルヒの心を動かし、ついには世界を救うことになった。
 もっとも蒼葉さんもこの桃髪の女もそのことを知らない。本当はハルヒがこの世界を滅ぼしかねない事態を招いたというのに、俺とハルヒをこの世界の救世主と認識してしまっているのである。
 どうにもこの二人の表情を見ていると逆に俺が悪いことをした気分になってしまう。
「で、キョンくんだっけ? 自己紹介が遅れたわ。あたしの名前はアクリル」
「私の親友よ」
 桃髪の女=アクリルさんと蒼葉さんが笑顔を向けてくる。
 念のため聞いておこう。
「えっと、アクリルさんは蒼葉さんと同じくらいの年なので?」
 まあこう聞いてしまうのも無理ないってもんだぜ。なんたって俺は前回、大失態を犯したんだからな。
 朝比奈さん以上に小柄で幼い顔立ちに長門以上に起伏が乏しいスレンダーボディってだけで蒼葉さんを年下扱いしてしまったという目上の人にとんでもない無礼を働いたんだ。だったらこのアクリルさんはどうなのかを確認しておかなくてはな。もっともこれで俺と同い年だったりするようなものなら無理に丁寧語を使う必要はないが――
「くす。直接、女性に年齢を聞かないのはなかなか礼儀がなってるわね。そうよ。あたしと蒼葉は同い年、ついでに実力も同じようなものかな?」
 良かった。どうやら今度は失態を犯さなかったらしい。
 って、蒼葉さんと同じような実力!?
「そ。でもまあ、魔法に関して言えば彼女の方がはるかに上ね。魔力そのものは似たようなものだと思うけど、使い方とかになるとアクリルの方が断然勝ってるわ」
「その代わり、あたしはマコウカガク分野だと蒼葉には全く敵わないけど」
 アクリルさんが言ったマコウカガクというものが何を指すのか全然分からんが、一つだけ分かったことがある。
 あの時、俺が見た蒼葉さんの実力を、このどう見ても危ない人でできるなら絶対に関わらない方がよさそうな人が上回っているということを。
 でなければ蒼葉さんが聞きもしないのに俺にそんな紹介をするわけがない。
 思わず絶句してしまうぞ。これは。
「でさ、本題に戻るけど、どうしてキョンくんがこの世界に?」
「あ、ああ……それは……」
 言おうとして、俺はあることに気がついた。
 まったく分からん。
 最初はハルヒの力かとも思ったが、ハルヒは「あんたの顔も見たくない」と言っただけで「あんたなんかどこかへ行ってしまえばいい」とは言っていないのである。ハルヒには周囲の環境を都合よく改変できる力があると言ってもそれは『本気でそう思った』ときに発動するものであって、と言うことはだ。顔を見たくないのであれば目を塞いでいれば済む話で、何も異世界にまで追いやることはないはずだ。
 それに俺にだってハッキリ認識できるのは、あのハルヒの態度が一過性のものだってことだ。単に頭に血が上っただけでそれ以上でも以下でもない。月曜になって俺が平謝りに徹すれば機嫌を直せる程度のものでしかなく、いくらなんでも俺を元の世界から消してしまおうなどとは思っていないはずだからな。
 つまり。
 なぜ、俺がこの世界に飛ばされたのかがさっぱり理解不能ってことになる。
「ふうん。なんかよく分からないけどここに来たってことね。でもまあここに来た理由だけ(、、、、、、、、、)なら解るわ」
 って、何ですと!?
「あ、誤解しないで。あなたがこの世界に来てしまった理由は分からないけど、理屈なら分かるって意味だから」
 ええっと、どう違うんです? アクリルさん。
「理由は因果関係。理屈は魔道技術って意味」
 もっと分かりません。
「物証を示した方がいいわね。あなたの持っているものを出して」
「俺の……持っているもの……?」
「前に蒼葉から預かったもののことよ。テレパシー用の魔石。持っているんでしょ?」
 ま、まあ……持ってます。なんたって蒼葉さんのことを忘れたくありませんでしたから。
 言って俺はブレザーのポケットからもらった漆黒の楕円形を取り出す。
 って、何で俺はブレザーなんだ!?
「これがあなたをこっちの世界に運んでしまったもの。だって、この石は魔力が込められていてしかもこの世界で生まれたものだからね」
 それを受け取った蒼葉さんは滔々と語り始めた。
 なぜ、自分がこっちの世界に戻れたのかも付け加えて。


 なんでも蒼葉さんは意識不明の状態のまま、あの世界の消失に巻き込まれてしまったとのこと。
 で、世界がなくなればどうなるか。
 もし意識があれば『亜空間』とかいう時空の狭間とか言うところで永遠と彷徨うことになるらしいのだが、意識不明だったがために『帰巣本能』が働いて、こっちの世界へと舞い戻ったということらしい。
 帰巣本能とは動物が自分のすみかや巣あるいは生まれた場所へ帰ってくる性質、または能力であり、これは無意識であればあるほど強く働く全生物固有の能力でであり、これが蒼葉さんの中で発動したとのこと。
 意味不明の単語も混ざっていたが、蒼葉さんとアクリルさんは間違いなく俺以上に異世界関する知識があるんだ。だったら、それを信じるしかないし、否定するなんて利口ぶる真似は馬鹿丸出しでしかない。


「んで、その魔石にも同じことが言えるのよ。それに込められている魔力はこちらの世界で生まれたもの。もともと魔力に『意思』なんてものは存在しないわけだから帰巣本能が働いてこっちの世界に来たってことね」
 って、ちょっと待ってください。
 てことは何ですか? 俺はこの石を持っていたからこっちに来てしまったってことですか?
「だからさっきも言ったけど理屈はそうなんだけど、理由は不明。そもそも何でその石が帰巣本能を発動させる事態に陥ったのかを教えてほしいのよ。本当にまったく覚えがないの?」
 と言われてもな。
「変な空間に放り込まれたとか」
 それだったら俺の記憶に残っているはずですし、何度も帰還しました。
「……なかなか普通の人っぽいのに普通の人と違う生活しているみたいね」
 はっはっはっはっはっはっは。否定できませんね。異世界にはなかなか縁がありまして、これで五回目でございます。あとついでに過去の世界にも二回ほど行きましたよ。いや正確には四回でしょうか。
「ふうん。その割には正気を保てているわね。相当ずぶとい神経してるのかしら」
 アクリルさんの視線がなんともまあ探りを入れている目つきである。
 しかしまあ、俺が多少ゆとりがあるのはたぶん、蒼葉さんがいるからだな。
 彼女がいればおそらく向こうの世界に返してもらえる手段を知っていると思えるからだ。
 なぜかって?
 そりゃそうだろう。前に蒼葉さんは自分の意志でハルヒの閉鎖空間に入り込んだんだ。それも古泉と違ってちゃんと実体化して、しかもその力も一緒にだ。
 つまり、蒼葉さんなら異世界に移動できる術を知っているってことになる。
 だから俺はあまり危機感を感じないんだ。


 が、この考えは甘かった。
 それと俺は『魔法』という力をどうも万能に近い力だと思い込んでいたらしい。
 実際はそうではなかったことをこの後、知らされることになる。


 俺と蒼葉さんはアクリルさんの部屋を後にして、二人、肩を並べてこの建物の廊下を歩いていた。
 もっとも世界が違う訳だから共通の話題なんぞあるわけもなく、しばらくはほとんど沈黙したままで。
 かと言って押し黙っているのもなんだし、ちょっとしたネタふりに、さっき話に出た『マコウカガク』とやらがどういうものか聞いてみた。すると蒼葉さんは嬉々として教えてくれた。まあ自分の得意分野らしいから本当に饒舌に話してくれたよ。
 残念ながら向こうの世界に戻ってしまえば何の役にも立たないのがちと辛いところではあるのだが。
 漢字で書くと『魔工科学』。
 端的に言えば、魔力を乗せた上で誰にでも使える便利な機材を作り出すことを研究するものだそうだ。
 紹介された物のほとんどは俺には理解不能だったが中にはファンタジーのゲームや本で見たようなものもあった。
 フープ型の瞬間移動装置とか、筒のような柄から光の刃が飛び出す剣とか、一見鏡のようでその実テレビ電話みたいな物とか。
 おっと、もちろんあの魔石の説明も聞いた。
 使い方じゃなくてどうやって作られたかだ。
 なんでも作ったのは蒼葉さんで、そこに魔力を送り込んだのがアクリルさんらしい。
 それじゃあ魔力が尽きたらただの石になってしまうんですか?
「ううん。あの石の中はエネルギーが循環型になっているから半永久的に作動するわよ。作動停止になるときは石が破壊された時くらいかしら」
 そうなんだ。あれ? でも、そう言えば前の時にあの石を介して蒼葉さんが声を届けてくれましたよね? あの時は『これは一回だけだから』と言っていた気がするんですけど。
「そりゃそうよ。言っとくけど、異世界の数って天文学的な数がある上に広さも半端じゃないのよ。そうね、この大宇宙全部が一つの世界。そいうのが数えきれないくらいあるんだから。そんな中からどこにあるかも分からないような世界にテレパシーを送る労力って想像できるかしら? しかもあなたもあの時会った、えっと何て名前の子だっけ?」
 ハルヒです。というか俺の呼び名は覚えているのにどうしてあいつの名前は覚えていないんですか?
「ま、まあ……正直言って、もう一度、あなたたちと再会するなんて全く思ってなかったからね。だからあんまり覚える気がなかったの。あなたの名前を覚えていたのは何とも変わった名前だったから」
 やれやれ。俺のニックネームは異世界人にも印象に残ってしまうくらい変だってことかよ。
「んで、話を戻すけどあなたとハルヒって子には魔力がない。目印はあの石だけ。あの時、連結していた世界でさえ、二人がかりのテレポテーションでやっと到達できたのに、どこにあるのかも分からないような世界に声を届けようとすれば一体どれだけの魔力が必要になるか。
 あの時は、このカンパニー総動員でやっとあの短時間だけ届けられたのよ。そんなことを二度も三度もやれるわけないでしょ」
 そりゃまあ確かに。
 って、今、何かさらっと重要なことを言いませんでした!?
「あ……!」
 俺の指摘に得意満面の蒼葉さんの表情からその笑みが消えた。


 俺は今、茫然自失と夕日を眺めている。
 この世界でも朝昼夜の時間の流れになっているらしく、太陽が沈みゆくこの風景を『夕方』というのも同じらしい。
 が、そんなことはどうでも良かった。
 蒼葉さんから聞かされたことがとてつもないショックを俺に与えてしまっていたから。
 ――残念だけど今の私にあなたを元の世界に戻すことはできない――
 この一言は俺を絶望のどん底にたたき落とすには充分だったんだ。
 当然だろ?
 俺は元の世界に戻れない、って最後通告されたんだ。
 もちろんその理由は確かめたさ。
 本当に方法がないのかどうかも含めてだ。
 厳密に言えば、俺を元の世界に戻せる方法はあるとのことだ。この世界に何箇所かあるらしい超空間と繋がっている扉、『ディメンジョンサークルポイント』と呼ばれるものと蒼葉さんがこの世界に舞い戻れた『帰巣本能』を利用することによって俺を元の世界に戻すことは可能だという話。
 しかしだな。
 蒼葉さんたちが知っているディメンジョンサークルポイントは二箇所。ところがその二箇所は両方とも道のりが、あまりに険しいってことが問題だったんだ。ちなみにその二箇所以外は今はまだ発見されていないらしい。
 んで、以前、俺と同じように別の世界からこの世界に迷い込んでしまった異世界人がいたとのことだが、その連中は戦闘力を有していたようで、二箇所あるどちらのディメンジョンサークルポイントにも到達できたそうだが、残念ながら俺に戦闘力など存在しない。必要なのは授業で習う柔道や剣道、ケンカ程度で身に付く戦闘力などではなく、命がけの戦いに生き残るだけの戦闘力だそうで、そんなもの、いくら俺が修羅場をくぐってきていようが、その事象すべては命の危機に瀕するような戦いが必要がなかったものだ。例外は朝倉の一件だけで、しかもあの時は長門が撃退してくれたわけで俺は慌てふためくしかできなかった。
 ということで蒼葉さんにもアクリルさんにも何の力も持たない俺を、自分も命を賭けなきゃならんような場所に連れて行くことはできないって言われた。
 おっと、誤解がないように言っておくが、あの二人は自分の命が惜しいってわけじゃなくて俺の命が惜しいってことで危険な場所には連れて行きたくないって意味だ。
 どうする……? いや……どうしようもないってことか……?
「絶望しなくていい」
 ――!!
 突然、背後からかけられた声に愕然とする俺。
 い、今の淡々とした静かで棒読みに近い言い回しは……まさか……!
 反射的に振り向く。そこには俺の期待する人物が佇んでいるなんてことが――
「どうしたの? 私の顔に何か?」
 ……だよな……そんな都合のいいことが起こるわけないよな……
 俺は苦笑を浮かべて落胆した。
 そこに現れたのが長門かと思ったんだが、その期待は見事に裏切られた。
 そこにいたのは、深くかぶった黒のハットから覗く瞳はどこか余裕がないようにも見えたが、全体的にはクールで知的な女の人だった。ハットから前髪が一房溢れる栗色のつややかなロングヘアの彼女。その頭髪がどこか物静かに揺れている。
 というか、姿かたちはともかく、この佇まいと物腰は俺の知る長門とそっくりだ。
「あ、あなたは……?」
「リラ=ブラウン」
 見事に無関心を完璧なまでにデフォルトした表情で、聞いた三秒後には忘れてしまいそうなくらいの平坦な声で自己紹介してくれる。
 って、自己紹介の仕方も同じじゃないか!?
 しばし二人沈黙。
 しかし、リラと名乗った女性は涼やかに、俺のすぐそばにあったベンチに腰かける。まるで俺に何の関心もないような表情で。
 で、静かに読書を開始した。
 待て。ここまで長門に似ないでくれよ。俺がホームシックにかかって泣きそうになっちまう。
「ナガトとはあなたと友好関係を結ぶ者?」
 いや、だから。
「私はアクリル様の命を受けてここに来た。その目的はあなたを一人にしないこと」
 もういいって。
「今、アクリル様も蒼葉様もあなたを元の世界に返す方法を模索している。しかし、あなたを一人にすることを懸念したアクリル様が私を呼んだ。これが私がここにいる理由」
 マジでやめてくれ――って、今、何て!?
「もう一度説明する?」
「あ、ああ頼む!」
「しかし、あなたは私の言い回しが気に入らないのでは?」
 今は目をつぶるさ! で、蒼葉さんたちが何だって!?
「今、アクリル様も蒼葉様もあなたを元の世界に返す方法を模索している。アクリル様と蒼葉様であれば何か見つけるかもしれない。それに賭けてみて」
 この長門のようなしゃべり方をするリラって人の言葉を聞いて、俺は一抹の希望の炎が胸の中で点灯したのを感じた。


 その日の夜。
 俺は元の世界では『ホテル』にあたる宿泊施設の一室を与えられた。
 周囲360度すべてが窓で、程よい高さなものだから風景と星空が調和を保ってよく見える。
 何と言うか一人で見るにはもったいないくらいの厳かで神秘的な風景だ。思わず魅入ってしまうぞこれは。
 などと思ったのだが――
「ええっと……なにゆえあなたがここに居る訳で……?」
「問題ない」
 そう、どういう訳か、リラ=ブラウンさんがこの部屋のソファーに腰掛けているのである。
 むろん、何やら分厚い本を読みながら。
 いや、問題だって。いちおー俺と君は男と女なわけで、それなのに二人きりで一晩供にするなんて……
「もうすぐ蒼葉様が来る。だから二人きりにならない。それとあなたは今、本能的欲求に基づいた性的行動を取れると思えない。だから問題ない」
 そこはかとなく馬鹿にされたのだろうか?
「そうではない」
 え?
 俺が苦笑を浮かべて嘆息を漏らすと同時にリラさんが顔をあげた。その瞳は真剣そのもの。
 ふぅ……しゃべり方は長門に似ているがあいつはこんな正直に感情を表情に出したりしないな。なんだかあいつと違うところが見て取れてホッとするぜ。
「あなたが本能的欲求に基づいた性的行動を取れないのは臆病とか弱気といった類の心理からくるものではなくまったく別の理由。ただし、それは言葉にして説明したところであなたは信じることはできない。直に体験して知るしかない。しかしその対処は必要。それが私がここにいる理由。蒼葉様がここに来る理由」
 つってもその喋り方はなんとかならないもんかね。
「無理」
 即答かよ!?
「なぜなら偽って話をすれば、その偽りにも気を配るため使用する言語に相違が生まれる可能性がある。それでは情報伝達に齟齬が生じる。確かな情報伝達のためには自分の言葉で話す方が望ましい」
 いやまあそうなんだが、さっきも言ったけど君の喋り方は俺に元の世界への望郷の念を強く抱かせてしまうんだ。
「我慢して」
 と言われてもな。
「もう蒼葉様が到着する。そうすれば私は喋らない。だから大丈夫」
「やっほー♪ 来たよー♪」
 リラさんの話が終わると同時に、というか終わるのを見計らったかのようにドアを開けて聞こえてきたのは妙に明るくてハイな蒼葉さんの声で――


 気が付けばもう既に朝日が部屋の中を眩しく覆いつくしていた。

 

 

 

 

涼宮ハルヒの切望Ⅱ―side K―

涼宮ハルヒの切望Ⅰ―side H―


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