涼宮ハルヒの切望Ⅱ―side K―
いったい夕べ何があったのか。
実は俺の記憶は途中から完全に飛んでいる。確か、蒼葉さんが部屋に現われたとき、いったいあの小さな体のどこにこんな力があるんだろうというくらい彼女の姿が見えなくなるほどの酒樽を、それも二つほど重ねて持ってきていて、あっという間になし崩しに酒盛りが始まって、俺は元の世界では二十歳過ぎないと酒は飲んじゃいけないと言ったけど、なんともいつの間にか目が据わっていたリラさんに「ここは元の世界ではない」とか言われて無理矢理ビールっぽい外見の結構ウイスキーっぽいあと口のそれでいてアルコールのきっついお酒をジョッキ一杯呑まされて……
そこでぱったり記憶が途切れたのである。
んで、朝日の光とともに目が開いたのだが、正直言ってどうやってベッドに行ったのかも覚えていない。
「目が覚めた?」
って、居たのかよ!?
「むろん。私の役目はあなたの護衛。だからここにいる」
思いっきりびっくりした俺の傍からかけられた抑揚のない声。むろん、それは長門ではなくリラさんである。
とと、先に言っておくが別に俺の横で寝ていたわけではないぞ。
窓際のソファーに腰掛けてまたまた分厚い本を読んでいたんだ。
う、ううん……本当にわざとやっているんじゃないだろうな?
俺は思いっきり苦笑を浮かべていた。
ん? 待てよ。蒼葉さんはどこ行った?
「心配ない。今日の準備のために一時的にカンパニーに戻っただけ。もうすぐ来る」
きょろきょろしていた俺に速やかに説明してくれるリラさん。
しかしまあ昨日ほどの辛さはないな。
喋り方は長門に似ているが、長門と違うところを昨日からいくつも見つけたからかもしれん。
となると逆に彼女の話し方は俺の不安を和らげてくれるってもんだ。なんせ俺にとってここは何も分からない世界なんだからな。だったら少しでも似ているところがあるとホッとするってもんだぜ。
と、思ってしまったものだからちょっとやってみた。
「何読んでんだ?」
俺の問いにひょいと本を上げて背表紙を見せてくれる。つっても何て書いてあるのか全然分からん。
「面白い?」
「ユニーク」
マジか?
「どういうとこが?」
「ぜんぶ」
「本が好きなんだな」
「わりと」
おいおいここまで同じ反応してくれるのかい? なんだか妙に嬉しくなってくるじゃないか。
ついでに聞いてみよう。
「リラさんは宇宙人?」
「その質問に対する答えは二通りある。我々が生きるこの惑星外の二足歩行生命体を指すのであればノー。宇宙も含めた全世界を指すのであればイエス」
そうかい。しかしまあこれでまた一つ長門と違うところが見つかった。
「私からも質問していい?」
おっと俺の目を見て聞いてきたな。
なんだい?
「あなたは昨日、私の話し方に不快感に近い沈痛の感情を持ったはず。なら、どうして今は私と話をしたがる?」
さてどうしてだろうね。
とぼけることにした。
「そう。しかし、あなたの精神状態が良好の状態で安定するのは好ましいこと。私もここに居る甲斐があるというもの」
そうかい。
まったく照れることも焦ることもなく淡々と言って、リラさんは再び分厚い本へと視線を向けた。
と同時に、開けられる部屋の扉。
「リラさん。ありがと♪ んじゃあちょっと行ってくるね」
「了解した」
朗らかに入ってきた蒼葉さんはいきなり俺の手を掴んで、俺を引きずるように連れ出した。
って、俺もですか!?
俺のツッコミは蒼葉さんの耳にもリラさんの耳にも届くことがなかったことだけは確かだったようである。
俺は今、蒼葉さんに連れられてなんとも言えない感情を味わっていた。
確かにあの時、蒼葉さんは宙に浮いていた。だから『飛べる』ことは知っていたが、まさか移動手段で飛んでいるというのは何とも新鮮な気持ちになった。
仕方ないだろ? 俺たちの世界では航空手段は飛行機、ハングライダー、パラグライダー、気球、飛行船と言った自分の力ではないものに頼らざる得ず、自力で飛ぶなんてのはまず不可能。
人間は飛ぶようにできていないわけで、それがこっちの世界では『魔法』で飛んでいるという訳である。
普通驚くって。
基本的には爽快で気分も悪くないのだが、ただひとつ不満があるとすれば、俺が今、背中にしがみついているのが蒼葉さんではなくて、柔らかい茶髪の長髪がふわりと揺れる鋭くも優しい視線のローレシアさんという美男子であるということだろうか。
しかもである。
つか、今の容姿説明でなんとなく理解してもらえたのではないかと思うが、このローレシアと言う人、なんとも話し方が古泉によく似ているのである。
ですます調で無意味に爽やかな笑顔を浮かべているし、なぜか男の俺がしがみついていても顔色一つ変えないのだ。
「どうされました? 御気分が優れないようで?」
という感じでにこやかに話しかけてくるわけである。
「何でもないです」
「それは何より。あなたに何かありますとアクリル様と蒼葉様に色々と言われるものでして」
そうですか。
そのままでも歯ブラシのCMに起用されそうなくらい白い歯を輝かせやがる。
つか、何であなたは蒼葉さんとアクリルさんにそこまで気を使う訳で?
「おや、どうして私がアクリル様と蒼葉様に気を使っているということをご理解いただけたのですか?」
ふむ。この人はどうやら一人称を『私』にするんだな。
リラさんにしろ、この人にしろ、話し方は俺の知り合いに似てても細かいところで違っているようなのでどこかホッとする。
「普通、俺の気分を聞いた後に、わざわざ蒼葉さんとアクリルさんの機嫌の話をすること自体、変です。となれば、あの二人に気を使っている以外の答えはありません」
「ごもっとも」
言って、ローレシアさんは器用に肩をすくめる。
「もうひとついいですか?」
「あなたから質問を受けるとはこれは興味深い。じっくりと拝聴させていただきましょう」
もういいって。
というツッコミも二回目なのだが、それは心の中だけに押し込めて、
「あなたは男の俺がしがみついていて嬉しいんですか?」
と聞いてみた。
「さて、それはどういう意味でしょうか?」
そのままの意味です。俺は逆の立場だったら正直言って笑えません。
「ふふっ。面白い人です。しかしまあ私も同じですよ。できるなら男性ではなくて女性の方にしがみついてほしいものです。ですが、今はそういう場合ではありませんからね。自分の感情は二の次ですよ」
そういう場合じゃない?
「ああ、まだ言ってませんでしたね。いえ、蒼葉様からも何もお聞きしていないのですか?」
聞いていませんが?
「あ、そう言えば言うの忘れてたわね」
うお!? いつの間にか蒼葉さんが並んで飛んでるし!
が、驚きは一瞬。
なぜならもっと驚くことを蒼葉さんが言ってくれたから。
「今回、キョンくんを元の世界に戻すことってカンパニー最優先指令になったのよ。もちろん、担当官は私とアクリル。んで、私たちの指示にはカンパニー所属員は誰も逆らえないって意味でもあるの。だからローレシアさんが男のあなたにしがみつかれていようとも文句ひとつ言えないって訳ね」
さ、最優先指令!? 俺如きを元の世界に戻すことを企業トップ自らやるなんて正気ですか!?
「何言ってんだか。キョンくんは私たちの世界の救世主よ。だったら何を差し置いても恩に報いるのが当然じゃない」
とびっきりの笑顔を向ける蒼葉さんに俺は絶句した。
この異世界に来てから二度目の夕日が俺を照らしてくれている。
感慨深い気持ちは湧きそうにない。
なぜなら、時間が経てば経つほど俺の中の焦燥感が大きくなっていくからである。
今日も何もできなかった……明日はなんとかなるのだろうか……いやもしかしたらこれからずっともうどうしようもなくなるのだろうか……
などというネガティブシンキングに支配されてしまうのである。
もし、この人がここに居なければ泣き喚いてしまうんじゃないかという不安感にな。
「なあリラさん……今日の蒼葉さんのセリフと行動は本当なのか……?」
「すべて事実であり真実。だから私がここにいる」
ということは、リラさんもカンパニーとやらの指令で動いているってことですか?
「私はアクリル様の指示で動いている」
同じだろ? アクリルさんはカンパニーの指令で行動しているわけで――
「違う。確かにアクリル様と蒼葉様はカンパニーの指令で動いているが、自らが指示を出すのは本当に信頼されている人のみ。それが私であり、ローレシアさん。そしてもう一人、アクリル様と蒼葉様が絶大の信頼を置く人もいるが、その人も含めて、我々五人が今回の、あなたを元の世界へ戻すための任務に携わることになる」
ご、五人て……いちおー聞いていいですか……?
「何?」
蒼葉さんとアクリルさんが絶大の信頼を置く人って男? 女?
「なぜ気になる?」
「いやまあ深い意味はないんだが……」
長門のようなリラさん、古泉のようなローレシアさん、とくれば、当然、朝比奈さんのような誰か、を連想してしまう訳だが、
「その人は男の人」
しばし考えたリラさんは、その割には何の感慨もない棒読み口調で答えてくれる。
そっかー男かー安心したような残念なような……
なんか複雑だぞ。
つってもよく考えてみれば、性格はともかく、体の起伏はアクリルさんが、小柄で童顔なところは蒼葉さんが受け持ってしまえばもう既に朝比奈さんのような誰か、ってのはいるってことか?
思わず苦笑してしまったね。
「もうすぐ蒼葉様が来る」
って、何ですと!?
ええっと……もしかしてまた夕べのようなことになるのでしょうか……?
「問題ない」
その言葉、信じていいんですね?
「ここはあなたの本来在るべき世界ではなく、二十歳前でも飲酒は許可されている」
そっちかよ!
などとツッコミを入れる俺に昨日をそのままVTRで流しているような声が届く。
「やっほー♪ 来たよー♪」
むろん、その声の主は再び体以上の大きな酒樽を二つ重ねて現れて、
やっぱり気が付いたときにはもうすでに朝日が昇っていたのである。