※このお話は『えれべーたー☆あくしょん』の後日談です※


「はーっ…」


 何とは無しに手に取った文庫本をパタンと閉じて、わたしは小さく息を吐きました。ダメです。内容が全く頭に入ってきません。

 そもそもわたしはなぜ、こうして放課後の図書室で時間を潰すような真似をしているのでしょうか。今日も生徒会室で会議があるのですから、さっさと行ってお茶の用意でもしていれば良いのに。
 頭の中で自分自身がそう言っているのですが、なぜだか体の方が動こうとしてくれません。


「恨みますよ、長門さん。あなたがあんな誘導尋問みたいな物の言い方をするから…」


 そう、あれ以来わたしは会長の一挙手一投足が、やたらと気に掛かるようになってしまいました。意識のし過ぎで、彼の前では動作がひどくギクシャクしてしまうほどです。そんな自分の姿を晒したくなくって、わたしはこんな無為な時間を過ごしているのです。


 ふぅ、とわたしはもう一度、息を吐きます。いいえ、長門さんを責めるのはお門違いですね。確かに彼女は、わたしの意向をある方向へ作為的に向けさせようとしていましたが、それは長門さんなりのエールだと捉えるべきでしょう。何かあれば協力する、という意味合いの発言もありましたし。
 長門さんは長門さんで、情報端末と人間とのコミュニケーションに関して、何かしら思う所があるのでしょうね。でもだからといって、変にわたしを焚きつけられても困るのですが。


「そう、ほんの数日前まで…わたしはただ彼の部下で、それだけでいいと思っていたのに…」


 今では“それ以上”を望んでいる自分が居て。わたしはわたし自身に戸惑ってしまいます。
 それ以上…部下以上? たとえば、本当の意味でのパートナーとして…?


「お前は有能だな、江美里」


 眼を細めて微笑む、会長の秀麗な顔立ちが脳内で構成されます。そうしてわたしの頭を優しく撫ぜてくれたなら――。
 次の瞬間、わたしはハッと我に返りました。気付かぬ内に、わたしは両手で掴んだ文庫本で、ばっしばっしと自分の頭を叩いていたようです。慌てて左右を見渡し、近隣にこの痴態を見ていた者が誰も居ない事を確認したわたしは、文庫本を書架に突っ込むと頬に熱を帯びたまま、そそくさと図書室を後にしました。


 何でしょう、今のは。最近、同様のエラーが頻発しています。自分に都合の良い場面を妄想して、それにひたる。もう、恥ずかしいなんてものではありません。正気に戻る度にいつも、己の卑小さにげんなりしてしまうほどです。
 でもその妄想には、それだけ抗い難い魅力があるのです。エラーのはずのデータを、なぜか削除もしないで放置してしまうくらいに。そして気が付くと、またそれを再生している自分が居たりするのです。そんな異常データで埋め尽くされたログファイルが、ここ数日でもう既に…。


「…そろそろ生徒会室へ行きましょう。まかり間違って会議に遅刻でもしたら、それこそ会長に怪しまれてしまいますし」


 努めて平静なフリをしながら、わたしは誰にともなく、そう呟きました。ええ、いずれにせよ会議には出席しなければならないのですから。単純にそれだけの事です。結局やっぱり会長にお会いしたくなったとか、決してそういう事ではありませんよ?




 そうして廊下を進んでいたわたしは、途中でふと窓の外に、向かいの校舎の角を曲がろうとしている人影を見かけました。その先はいつぞやわたしが新入生の子から告白を受けた、普段はほとんど人気のない場所です。
 あの人もまた、そういった用件で呼び出されたのでしょうか。そんな思いで何気なく目を凝らしたわたしは、途端に息を詰まらせてしまいました。だって、その人影は。少し物憂げな表情で大股に歩を進めている長身の男子は、他でもない生徒会長その人だったのです。


 思わずわたしは窓枠に駆け寄り、両手を掛けて身を乗り出しますが、会長の姿はすぐに死角に隠れて見えなくなってしまいます。元よりそういう場所だからこそ、告白などに利用されているのでしょう。

 告白。その単語の響きに、わたしは血流がサーッと引いていくような錯覚に陥りました。が、すぐに2、3度頭を振って、わたしは冷静さを取り戻します。
 落ち着きなさい、喜緑江美里。ただの憶測で取り乱すなど、人間の小娘でもあるまいし。わたしは穏健派のヒューマノイドインターフェース。抑えるべき情報を抑えた上で、適切な行動を選択しなくては。


 自分にそう言い聞かせて、わたしは向かいの校舎裏の視聴覚情報と、瞬時にリンクを結びました。以前にも述べた通り、わたしたち情報端末は未検索の情報に関してはひたすら無知ですが、代わりに知ろうとして知れない事柄などほとんど無いのです。この程度の遮蔽物など、何の障害でもありません。

 けれどもそうして得られた情報に、わたしはまた息を呑んでしまいました。会長を待ち受けていたのは、一人の女生徒。会長の靴音に、彼女は自分の体が隠れてしまいそうなほど豊かで艶のある黒髪をふわりと翻らせ、軽やかに振り向きます。


「やっはー、よく来てくれたねっ。わざわざのご足労、感謝するよっ!」
「ほう。あの手紙の呼び出し主は、キミだったか」
「そ、意外だったかい?」


 仁王立ちで両手を腰に当て、えっへんと胸を反らせて屈託の無い笑みを浮かべるその人物の事は、わたしもよく存じています。あながち涼宮ハルヒと無関係でもない、どころか、多分に影響力のある存在ですから。でも――。


「どうして…鶴屋さんが、会長と? まさか…?」


 そこから先を、わたしはなぜか言葉にする事が出来ませんでした。
 鶴屋さんとはクラスこそ違いますが、わたしたちの学年で彼女の事を知らない人は、まず居ないでしょう。人間の抽象的な表現を用いるなら、『華のある人』となるでしょうか。いつの間にか皆の中心に居て、けらけらと明るく笑っている。文化祭や球技大会などのイベント事では特にムードメーカーとして、非常に目立つ存在です。
 その鶴屋さんが、なぜ会長と二人で密会を? 会話から察するに、どうやら彼女の方から会長を呼び出したようですが。


 そういえば学年性別関係なく人気のある人なのに、なぜか鶴屋さんからはあまり浮ついた噂が聞こえてきません。彼女の生家は、この界隈では財経面で多大な権勢を持ち、『機関』にさえそれなりの出資をしているそうですが、そういう家柄ゆえに実は色恋沙汰には割と慎重になっているのでしょうか。
 だとしたら、選びに選んだ末に彼女は今日、会長に白羽の矢を…?


「い、いえ、まだそうと決まったわけじゃありません。こういうのは往々にして下衆の勘繰りなんですよ、ええ!」


 自分をゲス呼ばわりするというのも、何か悲しいものがありますが。そんな事も気にならないほど情報取得に集中しきっているわたしとは裏腹に、会長はまったく普段通りのクールな態度で、鶴屋さんに応じていました。


「ふむ。意外かと問われれば、まさしく意外だったな。キミからはあまり良い目で見られてはいないようだと、私自身はそう思っていたのでね」

「そうっさねぇ、ハルにゃんや有希っこたちをイジメるよーなら、おねいさん黙っちゃいないよっ!って、目を光らせてた時もあったにょろ。
 でもそんな会長さんの雰囲気もここんとこ、ちょーっと変わってきたみたいだし? あたしもいっぺん、腹を割って話しときたいなって思ってさ」
「それは光栄の至り。と言いたい所だが、私もそれなりに忙しい身でな。今日もこれから生徒会の会議がある。出来れば手短に願おうか」


 腕組みをして斜に構え、相手を値踏みするような眼差しの会長に対して、鶴屋さんは全く臆する様子も無く、ポンポンと弾むような口調で話を続けています。
 これは…逢引というよりは、むしろ果たし合いっぽい感じですね。例えて言うなら、相対する水戸黄門と悪代官のような。ええ、どちらがどちらとは敢えて言いませんけれども。
 ともかく、わたしの心配はやはり杞憂だったようです。そうして、わたしがホッと胸を撫で下ろした瞬間。しかし鶴屋さんは、意表を突く質問を口にしました。


「んじゃ、単刀直入に訊くっさ。最近、会長さんは書記の子、えーっと、喜緑さんと一緒に下校してるみたいだよね? 二人は付き合ってるのかい?」
「ふっ、特に否定はしないでおこう」
「じゃあ、その提案はどっちからだったのかなっ?」
「私の記憶が確かなら、彼女の方からだな」
「へえーっ、そんじゃさ…」


 そう、長い髪の下で両手を組み、会長の顔を下から覗き込むようにして、鶴屋さんはまっすぐに訊ねかけたのです。


「たとえば、の話だけど。たとえば他の女の子が、自分も会長さんと一緒に帰りたい!って願い出たりしたら…まだ一考の余地はあったりするのかな?」
「なっ…!」


 思わず驚きの声を上げてしまって、わたしは慌てて口元を押さえました。いえ、この距離ではあの二人に聞こえているはずは無いのですが。代わりにわたしの後ろで廊下を通り抜けようとしていた男子生徒が、

「うおっ!?」


と背筋を引きつらせて飛び退き、それからヘラヘラとした愛想笑いでわたしの顔色を窺ってきます。
 何でしょう、うざったいですね。わたしがキッ!と鋭く睨み据えると、彼は


「WAっ…WAWAWAわ~すれ~もの~」


険悪な空気をごまかすつもりなのか、調子外れの歌を口ずさみながら、及び腰で逃げるように去っていきました。ああもう、苛立たしい。腹いせに情報連結でも解除してさしあげましょうか。


 って、わたしは何をそんなにカリカリしているのでしょう。いけません、こんな瑣末な事柄に気を取られている場合ではないのです。会長の返事をきちんと聞き届けなければ。ええ、これはむしろ、あの人の考えを聞く絶好のチャンスじゃないですか。会長、今こそハッキリ仰ってください!
 祈るような面持ちで見守る、わたしの視線のその先で。くいっと指先で眼鏡のフレームを押し上げた会長は、おもむろに口を開きました。


「その質問はつまり、そういう事だと解釈して良いのかな?」
「やっははは、そもそも興味が無かったら、こんな質問してないっさ」
「ふふん、物好きな事だ。しかし、そうだな。私は可能性はとことん追求する主義ではある。一考の余地があるかないか、と問われたなら、“ある”と答えよう。
 斬り込めそうな隙があればまず跳び込んでみる、という考え方は嫌いではないしな。それはさておき、キミは――」


 そこから先を、わたしは聞く事が出来ませんでした。
 別に、何の障害が発生した訳でもありません。ただなぜか、わたしはその先を「聞きたくない」と思ってしまったのです。
 こんな事は初めてです。わたしは情報統合思念体によって造られた、ヒューマノイドインターフェース。集め得る情報という情報を収集する事こそが、わたしの存在意義のはずです。それなのに――


――知る事が恐い、そんな風に考えてしまうなんて。




 小走りにその場を離れたわたしは、とにかく誰とも顔を合わせたくなかったのでしょう、気が付くと女子トイレの個室で、ぼーっと突っ立っていました。


「ふ、ふふふっ…」


 ひとりでに、口から笑いが洩れます。だって、いずれこういう日が来る事は、わたしには分かっていましたもの。

 ええ、鶴屋さんとはベクトルこそ違いますが、会長だって女子には人気があるんですよ? 端整な顔立ちに、怜悧な立ち振る舞い。選挙でも断トツの女生徒票が勝敗を決したのだとか。
 上昇志向が強く、演技とはいえ涼宮ハルヒにすら平気で文句を付けられるほど厳然とした人なので、これまでは遠巻きに憧れているだけの娘が多かったのですが。鶴屋さんならば容姿の面でもアクの強さでも、そうそう会長に引けは取らないでしょう。


 そうです。会長の判断は至極真っ当なのです。どこにもおかしな点などありはしません。
 そもそも会長が『機関』の指令に従っているのは、主に進学面での見返りを期待しての事です。首尾よく大学に入学したその後は、官僚か実業家でも目指すつもりだとあの人は以前、尊大に語ってくれた事がありました。どうせなら使われる側より使う側の人間を志したいものだ、と。

 そんな会長にとって、鶴屋家の財力は非常に魅力的であり、もしも鶴屋さんその人から交際を申し込まれたなら、それは一考の余地があるどころの話ではないでしょう。わたしから見ても、鶴屋さんは好意に値する人間であり、双方共にメリットのある案件だと考えられます。そして、何より…。


「だから言ったじゃないですか、長門さん。
 わたしと会長は、そんな関係じゃありませんよって。変に焚きつけられたりしても困りますって――」


 そう、もしも鶴屋さんのような、何ひとつ文句の付け所が無い女性から交際を申し込まれたなら。会長が導き出す答えは、初めから決まっているのです。なにしろ彼は人間で、私は人間じゃないのですから。


「本物のパートナー? ちゃんちゃらおかしいですね。
 第一、情報端末たるわたしに人間ごときのパートナーなんて…最初から必要じゃ…ないんですよ…」


 そう呟くと、これまで散々わたしを悩ませてきたエラーの類が、スーッと消えていくのが実感できました。ふふっ、なぁんだ…こんな簡単な…事だったんですね…。


 ええ、これは当然の帰結です。わたしと会長は、単に利害関係の一致から、仮面恋人の約定を交わしていただけですもの。それが解消される日が、ほんの少し早く訪れただけ。
 頬を伝って流れた一粒の水滴は、きっと最後のエラー。わたしが動作不良に悩まされるような事は…もう、無いのでしょう…。



生徒会長の悪辣 その2へつづく


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