※このお話は『そしてイブはリンゴを齧る』の後日談です※



「はあ。柿の葉寿司の葉やマス寿司の笹は剥がして食べるけれども、高菜おにぎりはそのまま食べる、と」
「うむ。だが柿の葉は若い葉を調理して食べる事もあるし、刺身のツマなどは本来は食べられる物だが、会食の席などでは儀礼的にあまり食べないのが普通だな」
「ややこしいですね」
「率直に言って、その通りだ。しかし食文化というのが人類の歴史と密接に関わりながら成り立っている以上、こちらの方から歩み寄るしかあるまい」


並木道を闊歩しつつ、前を向いたまましたり顔でそう話す会長に、わたしは再度、はあ、と頷く他ありませんでした。まったく、人間の慣習というのは無駄に形骸化している部分も多いので、情報端末といえどもそれらに馴染むのはなかなか大変です。まあ、だからこそ彼との話題に事欠かない、という面もありますが。

わたしと会長が時間の都合の合う限り一緒に下校するようになって、10日ほどが経ちました。当初、それは煩わしい恋愛沙汰を避けるための隠れ蓑のような措置だったのですが、しかし次第に副次的な効能を見せ始めています。会長の博学は、わたしにとって非常に有意義だったのです。

 長門さんが図書館の存在を知らなかったように、我々情報端末は未検索の事柄に関しては、とことん無知ですので。今ではこの時間に得られる情報を、心待ちにしながら授業を過ごしている自分さえ居るほどです。


こんな事なら、もっと早くこうしていれば良かったですね。そうすれば会長とより親密な…時間を…。
いえ、これはエラー、ですよね。わたしが有意義性を見い出しているのは情報であって、時間そのものではないはず――。


「どうかしたか、喜緑くん」
「いえ、会長。なんでもありま…あら?」


不可解な思考の渦を振り払い、会長に微笑で答えようとして。わたしは前方のスーパーから、見慣れた人影が出てくるのに気が付きました。


「長門さん。お買い物の帰り?」
「…………」


わたしの上げた声に、ビニールの買い物袋を片手に提げた、制服にカーディガン姿の長門さんがこちらを向いてほんのわずか頷き、それからわたし、そして会長へと目線を動かします。
ほとんど感情の色の見えない、硬質ガラスのような瞳。会長は会長でそれを平然と見返していますが、内心は穏やかではないでしょうね。


なにせこの人は以前に、公然と文芸部を潰すような発言をしていますから。あれが『機関』主導の小芝居であった事は長門さんも承知しているはずですが、それでも自分の居城を脅かされた彼女が会長に良い印象を抱いていないのは、明々白々でしょう。
ともかく、ここは仲裁役を務めた方が良さそうですね。わたしはいつものおっとりスマイルで、長門さんに声を掛けました。


「それなら、一緒に帰りましょうか。会長、わたしたち同じマンションですので、今日はここで」

「そうか。では喜緑くん、それから長門くんだったな、気を付けて帰りたまえ」


わたしが長門さんの横に立ってそう告げると、会長は長門さんを一瞥し、眼鏡を光らせながらわざわざ憎まれ口のようなセリフを吐いて、踵を返しました。
涼宮ハルヒが居ない所でも敵対者役を演じなければならないとは、彼も彼でなかなか大変ですね。お互いの立場にふぅと小さく息を吐き、それからわたしは改めて、長門さんに向き直ります。


「じゃあ行きましょう。ところでそれは、今夜の晩ご飯の材料?」
「………そう」
「春とはいえまだ肌寒いですから、体の温まる物が良いですよね。ポトフとか――」
「………カレー」


うーん。分かってはいた事ですが、まるで話が弾みません。決して悪い子じゃないんですけどね…。先程までの会長との会話を思い返すと、あまりの落差に「この子、大丈夫なのかしら?」という気分になってしまいます。
そんなお節介な思いから、何となく長門さんの横顔を眺めつつ歩いていると、不意に長門さんもこちらを向いて、珍しく彼女の方からわたしに話しかけてきました。


「二人は、交際している…?」


あら、長門さんが興味を示すなんて。相変わらずの能面からは表情はちっとも窺えませんが、でもその質問はそういう事ですよね?


「ええ、そうなるでしょうか。
と言ってもそれは体裁上の事で、要は余計な雑事に時間を取られないための、お互い同意の上でのカモフラージュですけどね」


端的な事実を告げながら、わたしはどこか晴れがましい気分でいる自分に気が付きました。何でしょうね、この感覚は。
そうして胸を張っていたせいでしょうか。次の長門さんのセリフが、無防備だったわたしにざっくり突き刺さりました。


「………それは、嘘」


えっ? 長門さん、あなた何を言って…?


「あの人と居る時のあなたは、とても良い笑顔をしていた。あれは通常の情報操作では造り得ない、笑顔」


一瞬、思考回路が麻痺してしまいます。先程までのわたしは、そんなに良い笑顔をしていた? いいえ、自己の内部情報を検索してみてもそんなデータはありません。わたしは普段通りのわたしだったはずです。
でも長門さんがそう言うからには、客観的に見て――。


「喜緑江美里の呼吸、心拍数の増加、及び血流の拡張を検知。
………図星だった?」
「は?」


想定外の長門さんの一言に、わたしは不覚にもぽかんと間の抜けた顔をしてしまい、それから慌てて彼女を問いただします。


「な、長門さん? もしかしてあなた、当てずっぽうで…?」
「そう、今のは涼宮ハルヒから教わった概念。人間の世界で言う所の“カマをかける”という行為」


平然とそう答えて、長門さんは小さく舌先を出してみせました。いや、無表情なままそんな仕草をされても…可愛いですけど…。って、それも涼宮ハルヒから教わったというか、おそらく“鍵”の彼に涼宮ハルヒがそう接するのを見ていたんですね?


「情報の伝達に際し、言語を介する事で発生する齟齬を逆に利用する事で、相手の自供を促す…ユニーク」


だからって、それをわたしに試さなくても…。あー、もういいです。なんだか真面目に応対してるのが馬鹿らしくなりました。
つーんと顔を背け、わたしは足早に歩を進めます。わたしたちの居住する分譲マンションは、もう目と鼻の先です。と、わたしの少し後ろをとてとてと附いてきていた長門さんが、背中から小さな声で訊ねかけてきました。


「喜緑江美里………怒った?」

「怒ってなんかいません」
「やっぱり、怒ってる」
「怒ってなんかいませんってば」
「そう、了解した。でも、わたしは…あなたの事が心配」


ぽそっと呟かれた言葉がまた予想外で、わたしの意識に引っ掛かります。いえ、どうせまた心にも無い一言に決まってますけど。でも、あの長門さんが…わたしを、心配?


管理人さんに会釈をしつつマンションのエントランスを抜け、エレベーターの呼び出しボタンを押したわたしは待ち時間の間に、ちら、と横目で隣に立った長門さんを見ました。さっきの『心配』とはどういう意味なんでしょう。
すると、まるでわたしの内心を読み取ったかのように、長門さんが口を開きました。


「涼宮ハルヒは、わたしによく言い含める。男はみんなケダモノだと。甘い言葉を並べ立てて、食べ飽きたらすぐポイなんて話はザラにあるんだから有希も気を付けなさいよね!と。
喜緑江美里、あなたも油断していると身体と情報を喰い物にされた挙句、ボロクズのように…」
「か、会長はそんな人じゃありませんっ!」


思わず語調を荒げてしまった直後、わたしはハッと口をつぐみました。いけないいけない、穏健派の情報端末たるわたしがこの程度の挑発に踊らされるなど、あってはならない事です。
ちょうど、その時。エレベーターが到着して、チン!という軽い音と共に鋼鉄の扉が開きました。わたしは何気ない風を装いながら中に乗り込み、自分の階と長門さんの階、続いて『閉』のボタンを押します。そうして動き出したエレベーターの中、わたしは前を向いたまま、隣の長門さんへ独り言のように話し掛けていました。


「確かに、油断はなりませんね。会長は傲岸で不遜、自分中心に物事を考え、他人を平気でこき使うような人物ですし。
でも、決してただのエゴイストじゃありません。成果を収めた者はきちんと評価し、報いようとする度量もあります。誰をどこでどう用いるべきか、その見極めくらいは出来る人です。単に『機関』の支援のみで、彼の現在の声望があるのだとは思わない方が良いですよ?」


ええ。会長はわたしが情報端末だと知ってなお『役に立つから構わん』とうそぶいて、はばからない人なのですから。清濁を併せ呑み、その上で着実に成果を積み重ねていく。そんな彼に引っ張られる形で北高生徒会が機能している事を、長門さんも知るべきでしょう。


「………そう」


説明を理解したのか、長門さんは4.7ミリほど頷きました。
ところが顔を上げた彼女は、深遠の瞳でじっとわたしを見つめてきます。これに、何ですか?と訊ねようとした矢先、長門さんは不意に真顔で、わたしにこう言い放ちました。


「ところで。以前読んだ本の中に『秘密を共有する男女は、深い仲になりやすい』という記述があった――」
「はい!?」
「――それは、本当?」


わたしが目をしばたたかせたのと、7階に到着したエレベーターがチン!という音を立てたのは、ほとんど同時でした。開いていく扉と同調するような動きでスーッと前へ進み出る長門さんの背中に、わたしは慌てて弁明します。


「で、ですからさっきも言った通り、わたしと会長は、そんな…」


けれどもわたしの声が届いていないかのように、長門さんはさっさとエレベーターの外に降り立ってしまいます。そうして音も無く振り返った彼女はまっすぐわたしを見つめ、平静にこう告げました。


「先の説の検証には、わたしも興味がある。参考になる情報が得られたなら、ぜひ教えてほしい。
そのための協力は………やぶさかではない」
「えっ、あの長門さん、それって?」
「今日のあなたの笑顔に、わたしは憧れを感じた。それは、本当」


そんなやり取りをしている間に、エレベーターの扉が左右から機械的に迫ってきます。そうして長門さんの姿が視界から遮られようとした、まさにその直前。
長門さんは最後に一言、ぽそりと付け加えました。


「ちなみに、わたしは『秘密を共有する男女』と言っただけ。あなたと特定の誰か、とは言っていない」

「っ!?」


思わず喉を詰まらせてしまったわたしが、反論しようとしたその頃にはもう、時すでに遅く。ちろり、と舌先を出した長門さんを向こうに扉は無情に閉まり、わたしだけを乗せたエレベーターは、再び上昇を始めていました。

 しーんと静まり返った密室の中。茫然自失状態のわたしは急に脱力感に囚われて、隅っこの壁に、とすんと体を預けてしまいます。


「まったく、長門さんったらなんて事を…。あんな風に言われたら、変に意識しちゃうじゃないですか…」


呆気に取られたような、くすぐったいような。胸の内で行き場もなく溢れかえっている、このモヤモヤした感覚は何なんでしょう。


「あ~っ、もう! 長門さんの馬鹿っ!」


セーラー服の胸元に、学生鞄をきゅっと抱き締めて。

 一人きりのエレベーターで、なぜだか頬を紅潮させたわたしは、小さくそう叫んでいたのでした。




えれべーたー☆あくしょん   おわり

 

-生徒会長の悪辣 につづく

 

 


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