第八章

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窓(ウィンドウ)を覗くと青の流れが見える。
艦尾から続くその流れは、まるで飛行機雲のように描いた軌跡を余す事なく残していて。

「あーあ、明日から何して過ごそうか」

指をかみ合わせた両手のひらを、体の外側に向け、腕と脇と、背中の筋肉ごと「んっ」と前にのばして見せた少女は、そう、あっけなさそうに言葉を投げた。与えられた私室のベッドの上で、腰掛けながら宇宙を眺めている。

白く、白く、白い少女であった。
その、幼い肌や、衣はおろか、小柄な体躯の足元まで届かんばかりの髪も、また、瞳も、目にする印象すらも、白かった。

ヒメオギである。

「学校行けよ、とりあえず」

飛んできたいらえに対し、むっつりと子供っぽく表情の豊かな顔で、凪いで見せる。
やかましいなーと反駁。そして、

「そっちはそっちで名残惜しいとか、感慨深いとか、ないのか」
「ありあまるこの青春の情熱を次はどこにぶつければいいのか語るべき舌をしか私は持たないなあ」
「相変わらずよく回る舌だ…」

呆れ返る。

同室にいるのは大柄長身の女で、見栄えのする、大づくりな体のパーツを持った、良くも悪くも目立つ容姿の持ち主。短く赤い髪の他には服装もろともに標準的現代日本人から逸脱したところはない。

アイトシであった。

二人はあれから、大勝利の報に我を忘れて喜ぶ群集と共に、今度は戦勝を祝う席へと急遽変更されたイベントの間で、夜を忘れて歌い明かした。

判定は被弾状況・中破の上、かろうじての突破成功。
応援した者達の挙げた声援も、評価に加えられてのギリギリのものだったという。
今後このルールは正式にアイドレスの中へと組み込む予定という話だ。

難を逃れて安住の地にやっとたどりついた遠征艦は、今は最後の時を待ってエンジン停止中。
破損状況を聞いた技族達も、もはや改修イベントのために働く事はないのだと思うと、感慨深いらしく、誇らしげに皆、思い思いの構図で、傷ついたままの艦を描いてアップロードしている。

「これでお別れかと思うと、寂しいよねえ……」

自分も一枚、油とススで汚れたぼろぼろのタキシードとドレスを着た技族達を、艦をバックに描いていた石野は、ヒメオギに物憂げな頬杖をつかせてしんみりさせる。

このキャラクターとも、今日が最後になるのだ。

次のアイドレスが開催されるのはずっと先の事で、おそらく環境が変わっているだろうその時に、自分がもう一度参加出来るかもわからないし、また、もう一度このキャラクター達が使えるかどうかは、その時になるまでわからないという。

「んまあ、たまには思い出して描いてやりなよ、うん。嫌じゃなかったら」

アイトシは、笑いながらそう言った。
きっとモニター越しの西薙も、今頃いつもの笑顔でにんまりと、楽しそうに笑っているのだろう。

「いつかのまたの、再会を、楽しみにしようじゃないか。残したものとじゃなく、去っていった後の『その後の物語(アフターストーリー)』が何をどう変えたのか、きっとその時変わっているであろう私達自身が、新しくなった世界を前にして、今との違いを大切に振り返る、その、思い出達との再会を、さ」

西薙が、いつになく読み手を考えず、自分の思いを吐露したかのように長々と語ったその言葉に、私はちょっと本気で感動しつつ、頬杖をついた。

さすがは文族という事か。

思えば自分の本当のアイドレスは、彼女ともう一度出会ったその時から始まっていたように感じられる。振り返ると、その存在はアイドレスの内外を問わず、大きい。

「ふうん…………」
「なんだ、にまにまして」
「してないわよ。っていうか見えないでしょ」
「いや、見える。にまにましてた、モニターの向こうで」
「それはあんたの方じゃないの、アイトシ?」

じいー。
チャットを通して、やりあう間が溜められる。

「………ふ」
「あっはっは!」

間を、崩すように、私はヒメオギを唐突に笑わせた。
アイトシも、かんらからと大きく、その無駄に大きな胸を張り出させて、やはりほとんど同時に笑った。

「こんなやりとりも、思えばもう、随分長い事当たり前になってたわねえ」
「実際明日から顔を合わせて話す時、ここでの前フリを仕込まなくていいかと思うと肩の荷が下りた気分だなあ」
「あら、好きでやってたんじゃないの?」
「受けをとらねばというプレッシャーとそれとはまた別々に確固として存在しあっているのだよ、うん」

ほんっと、阿呆なやりとりだ。
でも、これももう、おしまい。

「あなた、やっぱりこれを題材にして書くんでしょう? 小説」
「うん…まあね」

プロットも既にまとめてあるし、これまで提出してきた戦記をまとめた随想録みたいな形に出来るといいなと、そう彼女は語る。つくづく手際がいいものだ。

「どんな終わりにするの?」

あと一時間も経たないうちに、すべてのデータがオンライン上から削除されるという今、石野はこの友人が書こうとしているものに興味があった。私達は…ううん、みんなは、どうやって終わりを受け止める事に、なるんだろう。

毎日を同じサイト、同じチャット、同じ学校で過ごしてきた、この仲間は、どんな風にしてそれを、受け止めるつもりなんだろう。

指を立てて得意げに説明するアイトシのロールプレイを伴い、ぱん、と窓が発言更新される。

「決まっている。物語のおしまいは、いつもこうだ。『この物語はフィクションです、実在の事件・団体・人物とは関係ありません』」
「ぶ、不粋だなあ」

ほんとに最後までこいつは…と、変わりなくケレン味たっぷりの答えに、思わず苦笑い。
もちろんすぐに真面目な答えも後から注ぎ足された。室内を歩き回ってみせるアイトシ。

「もちろん、物語的にはこうさ。『登場人物たちはそれぞれ問題を抱えていましたが、がんばったおかげでみんなしあわせになりました、めでたしめでたし』。私達が使っていたキャラクターだって、きっと今回生み出されるという世界で、また新たな日常と共に楽しくやっていくさ」
「だと、いいけど……」

自分とは異なる容姿、異なる性格、異なる過去を持って演じられてきたキャラクターは、今やもう一人の自分として以上に、ひょいと頭の中で想像すれば、何をしているか目に浮かぶようにわかる、とても身近な存在なのだ。

こいつとの別れは、正直忍びない。

どれだけ人の感情を察する事に長けていても、ほぼ自分の素のままでキャラを設定して、その通りにやってのけた西薙にはわからない悩みなのだろうか。

石野は想像する。今、モニターの前で、西薙はどんな顔をしているのだろう。

チャットウィンドウからは何も伝わってこない。揚々と、いつもの調子でアイトシの語りが続けられる。

「そして読者にはこうだ。『物語は終わり、そして現実がやってくる』」
「物語、終わっちゃうんだ?」
「ああ、どんな物語も読者を空想の世界へと永久に浸らせておくわけにはいかない。帰さなくちゃいけないんだ。だから、物語には、必ずそういう作法が含まれている。導入によって物語世界へとやってきた読者を、物語の終わりを告げる事で、現実へと帰す作法がね。物語は私達にさよならを言う。だから私達はそれを受けてありがとうと笑って返す。それが、読者としての作法だよ、石野」
「そっか……」

チャット上の時刻が刻限へと近づいていく。

針なき時計は時間を刻まない。ただそれが、確かに流れている事だけを、発言に付随して見せ付けるだけだ。

室内に時計と呼べるものはパソコンの他に持っていない石野は、その事に気付きながら、じいっとモニター上を、見つめ続けた。

「石野はそういうの、書かないのかい?」
「私はもう、描いちゃったからなあ…」
「ああ、あの艦をバックにした絵か。あれもよかったけど」
「?」

不思議そうに聞き返すヒメオギに、アイトシは続けて言った。

「石野も、書いてみたらいいんじゃないかなあと思って。小説」
「私ー!?」

無理無理無理、と、ぶんぶん首を、リアルでも、チャットの中でも横に振りまくる。

「そういうのは文族の仕事じゃない」
「元々同じ技族だろう。ただそれが、絵という形を取るのか、文章という形を取るのかという、表現手段の違いがあるだけで、コツは同じなんじゃないかと、そう私なんかは思うけどね」

普段のヒメオギのロールを見てても案外いけるんじゃないかと思ってるし、などと、またいつもの無責任な言い方で勧めてくる。

「そうかなあー…」
「そうだよー」
「そうかなあー…」
「そうだって」

うー…ん。

実は、書いてみたいネタが、ないわけでもなかった。
でも、ずっと技族だからと遠慮していた事もあり、いまいち踏み出せないでいる。

「…書きたい事、なきにしもあらず?」
「…うん」
「そっか」

にひひ、とアイトシが笑った。

「んじゃあ、気が向いたら、書いてあげなよ。どうせもう、アイドレスが終わったら、技族も文族もなくなるんだし」
「んー…じゃあ、ほんとに気が向いたらね」
「うん」
「学校とかで顔をあわせても、催促するの、なしだからね?」
「うん」
「神かけて誓う?」
「坂上先生にかけて誓おう」
「それ私の主神じゃない。狩谷のなっちゃんと加藤にかけて誓ってよ」
「じゃあ、彼と彼女にかけて誓おう。学校でも催促しない」
「…よし」

いつか出来たら、読ませてね、と、彼女はにこにこしながら聞いてきた。
うん、と頷いた、私の顔は、多分とても恥ずかしそうだった事だろう。

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「そろそろだね」

アイトシが不意に発言した。ほとんど無意識のうちに、タイピングで頷く。

「うん」

すると、全チャットルーム向けに全報機能でアナウンスが流れ出した。

同時に、不思議な事に、チャットのウィンドウ上から自分以外のすべてのキャラクターが消える。
後で聞いたところ、西薙もまったく同じ現象に陥ったらしい。そして連絡が取れた限りの全員も。

それは、青い光が起こるという、無名世界観における物語の終わりを告げる、風景の描写だった。

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光が、

巻き上がるようにして、すべてが、

青い光の粒子に崩れ、

溜めた給料で買った個室の、二人で作った明るいクリーム色の壁紙も、坂上先生と遊んだ時に買った、小箪笥の上に置いてあった小物も、艦長からのもらいもののぬいぐるみも、

すべてが、

巻き上がるようにして青い光の粒子に崩れ、そうして砂のようにさらさらと瞬く間にもほどけていく。

「えへへ」

にんまり笑うのは、図体の大きい、赤い髪の女。

にんまり笑う、その腕肌肩からも、砂の舞い上がるように青い光の粒子が、ほどかれている。

「終わるねえ」

微笑みを受けたのは、皮肉そうに幼い小さな白の少女。

二人を背後に世界はほころびを見せ、そうして漆黒の闇が虫食いのように部屋を崩し始めた。

眼下に見渡せば、虚空に浮かぶようにして次々と、

頭上に見上げれば、虚空に浮かぶようにして次々と、

思い思いに過ごしていた人々の私室やお気に入りの場所が見えて、

見える、隙間の虫食いが、そうしている間にも広がって。

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「楽しかったね」

そうね、と、ヒメオギならざる石野は、自分の指が打った言葉に頷いた。おそらくなんらかのサーバー上のトラブルで、会話が消えているだけだろう、と、変わらずアイトシに向かって紡いでいるつもりだった。

これが最後のキャラクターロールになる。喋っているのは、彼女を演じている自分だろうか、それとも、本当に第七世界に存在する、ヒメオギ自身なのだろうか。ふと、そんな事を考えながら、石野は笑った。

そんなの……

どっちでも、同じ事じゃない。

「いつかまた、どこかで」

チャット上、入室メンバー欄に、ヒメオギ、と、たった一人佇む、物言わぬ名前を見つめながら、物思う。

うん、また、きっと会える。

「あなたも、そこにいるんだよね」

ヒメオギ達が、さよならを言うんなら。

私もちゃんと、言ってあげないとな。

頷き、目をつむると、もう一度だけ、これまでの事を思い返す。

アイドレスという、ゲームの中で、ゲームを通じて、このキャラクターを通じて。

私はたくさんの楽しい思い出を貰った。

現実では、言いたくてもうまく言えなかった事や、言う勇気のなかった事、やる勇気のなかった事を、ヒメオギがやってくれた。そしていつの間にか、現実でも言いたかった事や、やりたかった事が、少しずつ、自信を持って、出来るようになっていった。

ヒメオギが、私を変えてくれた。

ヒメオギと出会わなければ、今の自分はなかった。

ヒメオギと出会わなければ、あんなにも大勢の人達と知り合って、あんなにも濃い日々を過ごす事は、出来なかった。

だから――――

「ありがとう、ヒメオギ」

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「…またね」

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その言葉を入力すると共に、サーバーは刻限を迎え。次に自動更新された時、そこにあったのは『404 Not Found』という無機質な表示だけだった。

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…………

ああ、終わったなあ……

心地よい疲労感に包まれながらも、しかし、天井を見上げた石野は、同時にそれと矛盾した、もう一つの言葉を胸に思い描いていた。

その矛盾は心悩ませるものではなく、窓の外に目を向ける彼女の目を晴れ晴れと輝かせる。

だって、

「世界は、終わらないし、なくなったものなんてなにひとつ、ないんだから―――!」

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次の瞬間、第七世界の艦上で、すべてが光に崩れた。

星の爆発にも似た閃光が横に広がり、直後、爆発の中に穴が生まれる。

光はすべてその一点に雪崩れ込み、

―――そして聖なる静寂が生まれた。

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「石野ちゃん、石野ちゃん」

嬉しそうに隣の席から話し掛ける顔。

「自分を好きに、なれたの?」

にこりと笑い、頷き返す。

「――――うん!」

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終章

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最終更新:2008年01月29日 00:33