「愛と書いて、何と読む―――?
答え、あいとし。西薙 愛(にしなぎ あいとし)です、よろしくだね!」

その場で起立して、クラス中に響き渡る声で元気よく自己紹介した初対面の同級生を、しかし私は内心「ふあっ!?」と奇声をあげて見つめていた。

クラスの男子と比較しても高いその身長、日本人離れした大づくりな体のパーツ、赤い短髪、衆目の中、能天気そうにマイペースを貫く無邪気にふてぶてしいその態度。

間違いない。

彼女だ。

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第一章

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誰もが小学生から中学生になったぐらいの頃に一度は感じたと思うけど、感じていなければ幸いだ。
世間とはまったくなかなかにどうしようもない。傑出した誰かを羨み褒め称える一方で、その誰かをいわれもなくけなし、距離を置くような者達もいる。要は、良くも悪くもいかに突出せず、平々凡々と人の中にまぎれて過ごすか。事実とは無関係にそういう意志を見せる事。それが人間関係を円滑にする上で重要な事なのだと、私はいつしか悟っていた。

かといって、そんな付和雷同を嫌うと後はまあ、お定まりのように当然のごとく、一人で過ごせるような趣味に興じる、孤立した存在になっていくだけだった。

自分を曲げずにいる事の何が悪い。当時はそう考えて密かに誇りと矜持を抱いていた、つもりになっていたが、要は自分と違う価値観を認めずにいた、子供だったというだけの事であり、学校にもほどほどにしか顔を出さずに卒業した中学校から進学した先には、幸いにも同じ出身の子達がおらず、いい加減に人と仲良くやれるようにしようと、さすがの私も気持ちを改め『高校デビュー』をするつもりでいた。

いながらに、まあ、

それはそれとして、目覚めてしまった方の趣味は今更やめられないわけで……

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2002年、4月。
無限に広がる第七世界・アイドレスの宇宙を、今、一隻の戦艦が飛び続ける。

「情報ドライブ安定、ようそろ」
「さすがに我が艦が誇る技族達だねえ……この分だと、次の改修イベントも危なげないか」

技族とは、アイドレス世界を支える技の担い手達。
それは心に浮かぶ情景を、時には目に見える形で図示し、また時には頭に聞こえる形で文字化する、心の技の、使い手達の事である。

「アイ、マム。特に俺はヒメオギさんの絵が好きです」
「可愛い線描くのにおっさん好きなんだよな」
「坂上先生が趣味とは変わっている」
「馬鹿を言え、先生は最高だ、軍人の鑑だ」
「出たなミリタリーオタクめ、先生と言えば本田先生の方だろうが」
「ロック!ロック!」
「パンクじゃね?」
「あーもう全員解散! 判定終了だから、とっととチャットにたむろってないで各所に伝えてきな!」
『アイアイ、マム!』

ったく…と、艦長席に座っている太い面構えの女はぼやいた。
こいつらみんな、腕はいいけど馬鹿で困る。それとも、たまにはノリがいいとでも誉めるべきだろうか。

「…やめとくかねえ」

思い出されるのはオープニングセレモニーの進宙式。
何が艦のエンジンを暖めるのに一番効率がいいか、それは祭りだ、祭をやろう…そうのたまって、ノリと勢いだけで三日三晩遊び明かした馬鹿達の残した、「つわものどもの夢の跡」的な惨劇は、忘れようにも忘れられない。

ログと集まった作品で艦の運営費はグンと潤った。そこまでは、よくやった、と休日返上してゲームをしているゲーム馬鹿達を誉めるべきなのだが……と、女艦長ヤツガネ=ミレイは溜め息をつく。

自業自得の社会人はともかく、まだ若い、変な癖のついていない学生達に馬鹿が伝染したら取り返しがつかない。ああ、日本の尊い未来がこうしてなし崩しに危うくなる、と、一人嘆きながら、それともこれは、由緒正しき先輩から後輩への風習の相伝かしらんとも危険な事を考えつつ、マウスをクリック、チャットルームの移動先を指定する。

「暁、自動航行、よろしく頼むよ」
『アイ、マム。またのお越しを』

ひらり、艦橋に設置されている巨大モニターに手を振るロールプレイをして、彼女は私室に飛んだ。

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無名世界観。
宇宙と書いてネットと読むアイドレスの世界を内包したこの世界観は、マルチメディアにも展開したプレイステーション用ソフト『高機動幻想ガンパレードマーチ』や、Web小説『男子の本懐・女子の本懐』などの作品の奥に潜む、共通した設定背景によって成り立っている。そしてアイドレスというゲームは、この作品群のファン達が、犬の帝国と猫の共和国に分かれて仲良くケンカするものである。

辺境宇宙への遠征。
それが今回のゲームの目的であり、ゲームの名を、儀式魔術とも言った。

『共和国大本営発表:東方遠征軍所属艦・暁:本日の航続判定:大成功』

他艦(チーム)の成績に紛れて並んでいる、我が艦名を、誇らしげに確かめて艦長・ヤツガネ=ミレイのプレイヤーは深く腰を落ち着けた。

いい調子だ。

艦と言えば女船長、それもとびきり肝っ玉の太い、ビッグ・マム型の、女権集団がかっこいい。
異性のロールプレイ(演技)をするのは照れて出来ないという人もいたが、何をいう、ゲームだからこそ本来の自分には出来ないはっちゃけた事をして楽しむのが醍醐味ではないか。

みんなの取りまとめをする艦長という役職は、苦労も多かったが、好みのキャラを演じられ、またそのキャラのノリを理解してついてきてくれるメインクルーや乗員達さえいれば、なんてことのない些事よ。

次に、割り当てられた専用サイト内のページを覗く。
整然と区分けされた各セクション。チャットやBBSの形で宇宙船内部の構造を再現しているので、例えば『第一機関室』(イラスト投稿BBS)だとか、通信室(全体ロビーチャット)のような、特異な表記が踊っている。

報告所という名の連絡事項BBSに入ると、『本日の使用イラスト数:3/生産数:2/残枚数:29』と、この艦の在庫確認スレッドの枝が伸びていた。

ファンアートによって動力源を得る設定なので、主力となるイラスト部門の管理は重要な戦力把握作業なのだ。自分は絵が描けないからと毎日のカウントを手伝ってくれている仲間に、彼は深く感謝する。

「戦闘に備えてのストックも順調、か……学生プレイヤーに感謝感謝、だな」

余暇に時間をあまりかけてはいけない社会人は、通常技術力が高いかわりに生産力が低く、学生は、技術力にばらつきがあるが、若さに任せた大量生産モードに常時突入しているのが特徴である。

中でも、このチームに所属している学生メンバーの中で、文章・イラストの生産量における双璧が、ヒメオギとアイトシというキャラクターのプレイヤー達だった。

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艦内のイラスト展示室を見て回る小さな人影。
人影は少女で、そして白く、もっとありていにいってしまえば、その何もかもが、白かった。長い髪も、その瞳も、身にまとう衣も、何もかも、だ。

絵のモチーフとなっているのは、無名世界観のキャラクターに加え、多彩なプレイヤーキャラクター達。前に置かれたホワイトボードへは感想や、それに対する作者の返事などが書き込まれている。

その前に少女も足を止め、線の汚さが情熱溢れてていい、とか、色の使い方が新鮮で気持ちいいとか、背景ないのはもったいないよ、とか、思う様コメントを寄せていく。

イラストなどのファンアートに限らず、あらゆる情報がエンジンの推進力に変換されるこの艦内では、チャット・BBS、あらゆるログを増やすべく、キャラクターロールプレイが全面的に推奨されていた。そして彼女は、自分に課せられた設定の通り、幼く、だがそれゆえにずけずけとものを言うロールプレイであちこちこうして飛び回っている。

彼女のようなのがいるにも関わらず、皆、和気藹々とやっているのが不思議なところだ。特に衝突する理由がないので仲がいいのかも知れない。

「キャラクターで行動しているというワンクッション置いた形が、互いに考えて言葉を喋るいい制限になっているんじゃない?」

とは、コラムに寄せられたとある意見の一つ。

一方でキャラクターのする事だからと言い訳し、露骨に無茶をするプレイヤーもいないではなかったが、そういう人に対してはきちんと注意が下され、場合によっては罰則の対象になるものもいるという。

「ただサイト上で暮らすのの、何がゲームかって言われたら、普段の自分とは違うキャラになれるところだっていうのは確かなんだろうけどねー…」

モラルがないのは馬鹿のする事よね、と、歯に衣着せぬ独り言は、そのプレイヤーは実際の口でだけ呟いた。

少女はすべての気に入った絵に対して感想を書き終えると、ぽん、と敷設されたスロットにコインを放り込む。

「お布施お布施ー」

この艦では、全員に給料が定期的に支給される。溜めれば原作キャラクターと遊びにいけたり、ここではアイテム代わりとなる設定を買う事も可能であるが、少し特殊なのは、自分が誰かに与えた分だけ使えるという仕様だ。これを通称お布施という。

もちろん作品を作れば作るほど給料も上がるが、粗製濫造を防ぐためにチェックする仕組みもある。

少女のプレイヤーは、これらの仕組みを活発な創作が促される面白いシステムだと思っていた。

感想は嬉しい。嬉しいと頑張る。頑張るとまた感想がつく。感想をつける方もお金が使えるようになって、どこもかしこもバンバンザイだ。おまけにお布施に一回の給料半額分以上を使うと、次にボーナスが出る。この感想を専門にして稼ぐ人達の事を、技族に対応して大族と呼んでいる。感想を書くのもみんな自然と頑張るわけだ。

さらには感想の数の偏りがモチベーションの低下を招かないよう、技術研鑚も兼ねて、天戸という公式に認められた技術力の持ち主が、アドバイスや感想コメントをつけて回る義務を、上乗せされる給料の代償として担うようになる。かくて教育システムの完成という寸法だ。

「おうやっほーヒメオギちゃん!(ぎゅー!)」
「うお、いたし、作者真後ろにいたし!…わあいミギワさんー(ぎゅー!)」

少女はいきなり後ろから抱きつかれ、次にはぎゅーと肩越しに生えた頭を抱きしめ返す。実に幸せそうな光景だが、もちろん現実世界の出来事ではない。登録したキャラクターになりきって、チャット上で抱擁を交し合っているのをイメージ映像化しただけ。

そして、このヒメオギという少女の方が、『私』の演じているキャラクターである。

ちなみに私は実物も背が低い。
髪の色とかのありがちなキャラ付けは、そうすれば背が低くても様になるだろうという苦肉の策から誕生した設定だ。泣けてくる話なことに。

さて、もうちょっとだ。一気に説明を済ませてしまおう。

技族や大族の他に、数値の移動が正しいか、監査する仕事を吏族、迷惑行為が働かれていないかチェックするのが法官、相談を受け付けるのが護民官という天戸もあり、これらは地戸である技族大族の区別とはまた異なるカテゴリー分けとなっている。

さらには、日々の大本営発表、どの艦がどれだけ進んだかという情報から逆算して、アイドレスの法則がゲームとしてどうなっているのか推論を戦わせている、星見司という天戸もあるにはあるが、答えがなかなか出ないため、現在はあくまで推論を見せ合い、穴を指摘しあう程度のレベルに収まっている。

すべてが手作り。

開催者側から用意したものはサーバーぐらいで、作業に必要なプログラムの開発などもプレイヤーが担当しているのは、これもやはり設定的に必要な事だかららしい。

私こと、石野 雫(いしの しずく)は、そんな随分ケッタイでコアな、オンラインゲームにハマっていた。

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二章

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最終更新:2008年01月29日 00:24