「決意」

俺が中学1年の時、母が死んだ。
父はもともと家に寄り付かなかったが、母が死んでからはさらに留守がちになり、たまにいても酒ばかり飲んでいた。
正直、この時期のことはあまり思い出したくない。
俺はあまり姉が好きではなかった。
今思うと子供っぽい八つ当たりだったのであろう。
母が死に、世界の全てが冷たいように感じついた俺は、脳天気そうに笑う姉が疎
ましくさえ思えた。
姉「おとうとくん、おとうとくん。」
男「…なんだよ」
姉「いっしょにてれびみよ?」
男「ひとりで見りゃいいだろ」
俺はそっけなく言い放ち自室に篭る。
やたらめったら俺に構うのがうっとおしかったし、母が死んでも関係なさそうに
ニコニコ笑ってる姉に無性に苛ついた。
…なんなんだよ、もう。
電気もつけずにベッドに座り込む。
男「母さん…」
真っ暗な部屋の中で俺は一人ふさぎこんだ。
ガッシャーン!
突然、一階から大きな物音が聞こえた。
急いで下に降りると台所であわあわとしている姉がいた。
男「何やってんだよっ!」
姉「おりょーり…」
見ると床には割れた皿が散らばっている。
男「余計なことすんなよ!」
姉「ごめんね、おとうとくん、ごめんね。」
姉の瞳から涙がこぼれ落ちる。
が、急にはっとなり、顔をごしごし拭くとぎこちなく微笑んだ。
姉「つぎはがんばるね」
その笑顔を見ていると、何故だか胸の奥が苦しくなった。
男「いいから、とっとと部屋に帰れよ。」
そう言い捨てると、姉は一瞬とても悲しそうな顔をして、とぼとぼと部屋に帰っ
ていった。

姉「っう…ぐすっ…」
となりの部屋からの物音で目を冷ました。
不審に思い部屋を抜け出すと、姉の部屋のドアが 少し開いていた。
姉「ううぅ…ぐすっ、おかーさん…うぇ、うえぇぇぇ…」
姉が泣いていた。
綺麗な顔をくしゃくしゃに歪め、大粒の涙をこぼしていた。
姉「おかーさん、おかーさん…さびしいよぉ。ううぅ、うわぁぁぁん…」
母が死んで以来、大声で泣かなかった姉が頭を振り乱して泣いている。
姉「おかーさん、なんでしんじゃったの?ぐすっ、やだよぅ。おかーさぁん…」
姉は脳天気に生きていたわけではない。我慢していたのだ。
俺に涙を見せないよう。
俺を悲しませないために。
本当はいつも泣き叫びたいくらい淋しいのに
…姉ちゃんは俺のことを励まそうとしてくれてたんだ。
胸の中の悲しみを隠し、やさしい笑顔で。
こんな自分のことしか考えないダメな弟のために。
気付くと俺も泣いていた。
死ぬ直前の母の言葉を思いだす。

お姉ちゃんのこと、守ってあげてね

守られていたのは俺の方だった。
鳴咽が洩れないように唇を噛み締める。
姉「おかーさん…ぐすっ、おかーさん、おかーさん、あいたいよぅ…」
男「姉ちゃん…」
姉「…おとうとくん?」
姉は慌てて顔を伏せる。
俺は彼女の頬に手を添え上を向かせると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を
そっと拭いた。
男「…姉ちゃん、ごめん。」
ぎゅっと抱きしめる。
安心したように姉の体から力が抜けた。
姉「おとうとくん、おとうとくん…!」
姉は俺の前で母さんが死んでから初めての鳴咽をあげる。
俺の目にもまた涙があふれる。
今度は俺も我慢せず声をあげて泣いた。
涙を全て流し尽くして、明日から笑顔で姉と接するために。
男「姉ちゃん…俺が絶対に姉ちゃんを守るから。」
小刻みに震える彼女を抱きしめながら、俺はそう誓うのだった。


「彼女の居場所」

これは俺と姉が中学に通っていた頃の話。
授業が終わった俺は、帰り支度を終え、姉を教室まで迎えに行く。
男「…あれ、いない?」
教室の中に姉はいなかった。
どこにいったんだろう。
男「あの~、姉しりませんか?」
上級生「姉さん?んー、5時間目にはもう居なかったけど。」
男「え!?なんかあったんすか?」
上級生「体育の時にちょっとトラブってたみたいだからね。いつもの所にいるわ
よ、たぶん」
男「いつもの所?」
上級生「保健室よ、彼女なんかあるとすぐあそこにいくの。弟なのに知らないの
?」
男「あ…はい。」
俺はつい最近まで姉を避けていた。
今更ながら、姉が学校にいる間の様子を全然知らないことに気付いたのだ。
男「…それで、姉に何があったんですか?」
上級生「あー、それは…」
上級生が気まずい顔をして口ごもった。
教室の奥から彼女を呼ぶ声がする。
上級生「あ、今行くーっ!ってことでごめんね。じゃあ」
明らかにホッとしたような顔をしながら、彼女は教室に引っ込んだ。
俺はそれを不審に思いながらも保健室に向かったのだった。

男「失礼しまーす」
保健医「あら、珍しいわぁ。男くんがここに来るなんて。なに、性の悩み?」
男「違いますよっ!姉ちゃん来てないかなって思って。」
保健「お姉さんを迎えに来てあげたんだ?えらいわねぇ。」
男「いえ…で、姉ちゃんは?」
保健医「残念、ここにもいないのよ。」
男「え、なんでですか?」
保健医「彼女は美術準備室にいるわ。美術教師ちゃんと一緒にねぇ。」
男「美術準備室?」
保健医「あの二人、妙に波長が合うみたいなのよね。お姉さんが放課後までここ
に居ると、ひょこっと来て連れてくのよ。」
姉が美術教師と仲がいいなんて初めて知った。
同時に今まで姉の帰宅が妙に遅かった日があったことも思い出した。
保健医「今日はたまたま午後は授業無かったみたいだから、ここで一緒にお茶し
てたのよ。そしたらお姉さんが入って来てね。」
男「そうだっ!どうして姉はここに通ってるんですか?」
保健「あなた…もしかして知らないの?」
保健医の顔が曇る。俺は背筋を廻る嫌な予感に必死に堪えながら、言葉を促した

保健医「お姉さんは、いじめられているみたいなの。」
背筋に電撃が走ったみたいだった。
無意識に握った手が震える。
男「…いつからですか?」
保健医「入学当初から兆候はあったわ。あの子、人と少しだけ違うからってどん
臭いと馬鹿にされてたみたい。」
男「そんな昔から…」
保健医「でも授業中にも来るようになったのは最近なことね。どうやら今年に入
って、クラスの目立つ子に目をつけられちゃったみたいなのよ。」
俺は怒りと情けなさでどうしようもなくなった。
握った手さ力をいれ過ぎて白くなっている。
男「姉ちゃんは家では何も言ってませんでした…」
保険医「知ってたかな?あの子は見かけより強い子なの。ここに連れて来たのも
一人でポツンとしてたからなんだけど。ここでもあまりそういうこと話したがら
ないのよ。」
姉が強いことはもちろん知っていた。
俺は長い間その強さに甘えていたから。
保険医「それでも私達が守ってあげなきゃいけないのにね。」
保健医が辛そうな目をして呟いた。
その言葉は俺の心に突き刺さる。
不甲斐ない俺を責めている言葉のように聞こえた。
保健医「私はお姉さんのお話を聞くくらいしか出来ないわ。だからあなたがお姉
さんの支えになってあげて。」

保健医が俺の手を取り握った。
保健医「お姉さんね、あなたの話をする時、とてもうれしそうな顔をするのよ。
あなたのことが大好きなの。」
俺は胸が熱くなる。
男「…はいっ!」
俺は力強く頷くと、勢いよく頭を下げた。
男「ありがとうございますっ!…それとこれからも姉のことお願いします!」
保健医「あらあら、いいのよ。私はお姉さんとお話出来て楽しいし。」
男「それでも、先生がいてくれて姉は救われたと思いますから。」
保健医「本当にあなたはお姉さん想いのいい子ね。先生、関心しちゃうわ。」
男「…そんなことないですよ。」
保健医「あー、もうっ!初々しくてかわいいわ。あなたも何か悩みがあったら遠
慮せず来なさいね。先生がなんでも聞いちゃうわよんっ、愛の話でも、性の悩み
でも。」
男「…あはは、考えときます。」
保健医「とにかくあの子は美術授業室にいるわ。早く迎えに行ってあげなさいね
。」
男「はいっ、ありがとうございました!」
俺はもう一度頭を下げ、保健室を飛び出した。

コンコン
男「すいませーん」
美術準備室をノックするが返事がない。
男「誰もいないんですかー?」
ドアノブに手をかけると鍵はかかってないみたいだった。
男「失礼しまーす…」
ドアを開くと、狭くごちゃっとした部屋が広がる。
部屋の奥には二人の女性がいた。
一人はイーゼルの前で筆を振るう美術教師。
もう一人はスケッチブッグにペンを走らせる俺の姉。
二人とも黙って絵を描き続ける。
その部屋は独特の空気で満ちていたので、俺は声をかけられず突っ立っていた。
美術教師「…座ったらどうだ?」
男「え?あ、はい。」
急に声をかけられて驚く。
俺は誘われるまま椅子に座る。
美術教師は何事も無かったようにイーゼルに向き直る。
姉を見ると彼女は珍しく真剣な顔をして、絵を描いている。
姉「できたー!」
絵が描けたみたいだ。
とことこと美術教師の所に向かい、スケッチブッグを手渡す。
姉「せんせい、みて」
美術教師「…ん」
美術教師はスケッチブッグを手に取るとしばらく無言で見つめた。
美術教師「いい絵だな。」
美術教師は笑みを浮かべ、姉の頭をわしわしと撫でる。
それはいつもの愛想のない顔からは想像出来ないやさしい笑顔だった。

姉「えへへ」
気持ちよさそうに姉は目を細める。
姉「あ、おとうとくんっ!」
やっと俺に気がついたみたいだった。
それほど集中していたのだろう。
姉「おとうとくんもみてー!お絵かきしたの。」
うれしそうに今度は俺にスケッチブッグを突きつける。
そこには驚くほど精密にうちの台所が描いてある。
男「…なんで台所?」
俺は思わずそう答えたが、内心その絵の上手さに舌を巻いていた。
姉「おりょーりしてるおとうとくんなのっ!」
彼女がうれしそうに答える。
確かに鍋をおたまで掻き回してるのは俺だ。
姉「へへ~、うまいでしょお?」
男「うん、すごい上手だよ。」
姉「でしょーっ!」
姉は得意げに微笑んだ。
美術教師「男も来てることだし、今日はもう帰りな。鞄は保健室だろ?とってき
なよ。」
姉「はーいっ!」
姉は元気に答えると美術準備室を飛び出した。
男「あ、じゃあ俺も…」
美術教師「待ちなよ、コーヒーでも飲んでけ。」
男「え?あ、はい…」
俺は唐突な言葉にまたも思わず頷いた。
電気ポットからお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを作る。
美術教師「悪いな、砂糖もミルクも無いんだ。」
俺「ブラックで大丈夫です。」
俺はカップを受け取ると、一口含む。
正直苦くておいしくなかったが、続けて胃の中に流し込んだ。
美術教師「…最近、絵のタッチが変わったんだ。」
男「姉のですか?」
美術教師「前は機械みたいにただ精密なだけの絵を描いていた。けれど最近は急
に温かいタッチになったんだ。」
男「…なんでなんですか?」
美術教師「絵には感情が表れる。何かうれしいことでもあったんだろう。」
そう言って、彼女は俺を一瞥する。
美術教師「それにな、前は絶対に人物を描かなかったんだ。でも最近はどの絵に
も必ず描いてある。」
俺は先程の絵を思い返した。
あの絵に描いてあったのは…
美術教師「おまえのこと描いている時が、1番楽しそうだぞ。」
俺の胸がじんわりと暖かくなる。
目元に涙が滲んだ。
美術教師「悪い、煙かったか?」
彼女は無表情で煙を背けた。
俺にはなんだかその顔がとてもやさしく見えた。
ドタドタ、バタンっ!
姉「おとうとくーん、かえろぉっ!」
俺は慌てて目元を拭った。
男「うん。それじゃあ、失礼しました。」
俺は美術教師に礼をして、姉の手を引いた。
美術教師「守ってやれよ。」
美術教師が小さく、しかしハッキリと言ったのが聞こえた。
俺は振り返るが、彼女はもう窓に手をかけ、煙草をふかしていた。
姉「せんせい、さよーならぁ。」
姉が元気よく声をかけると、彼女は後ろを向いたままけだる気に手を振った。
そう言って煙草に火を点けた。

|・・・

男「ねぇ、姉ちゃん」
姉「なぁに?おとうとくん。」
男「今度、俺も一緒に保健室行っていいか?」
姉「うん、いいよー!あ、でもでも、せんせいのとこもいっしょがいいなっ!」
男「美術の?」
姉「うんっ!…だめ?」
男「もちろん、いいよ」
姉「やったあっ!」
俺は繋いだ手に力をこめる。
そこには確かに姉の温かみがあった。
男「姉ちゃん」
姉「んー?」
男「今日はシチューにしようか?」
姉「シチュー好きぃっ!」
喜ぶ姉の顔を見ていると、この笑顔を守るためなら何でも出来る気がしてきた。
俺は姉を悲しませる全てを取り除けるように強くならなければならない。
俺はそう決心すると共に、心の中で二人の教師に感謝した。


「果たせない誓い」

俺が姉と登下校を共にするようになってから二週間経った。
その間、姉はいつもニコニコしていたが、時々小さい怪我をしているのが目につ
いた。
理由を聞いても、ただ転んだと言うばかりだったが、俺にはどうして傷がついた
か想像がついた。
俺は何も出来ないことを不甲斐なく思ったが、姉の前では必死に笑顔を保ち続け
た。

男「…どうしたらいいんでしょうか?」
保健医「うーん、難しいわね…」
俺は保健医に相談することにした。
正直、俺の中で頼れる大人は彼女と美術教師しかいなかったのだ。
保健医「そういえば、お姉さんは?」
男「今は美術の先生の所にいます。」
保健医「そう。…それでいじめのことなんだけど、これはとてもデリケートな問
題なの。わかる?」
男「…ええ」
保健医「一方的に叱りつけるだけじゃなんの解決にもならないことが多いの。そ
れに、彼女の場合は相手もいじめてるって意識してない場合もあるし…」
男「じゃあ、何もせずに虐められなくなるまで待ってろって言うんですかっ!?

保健医「落ち着いて。直接的な手段に出るのは危険だって言ってるだけよ。何も
出来ないわけじゃないわ。」
男「…すいません」
保健医「ううん、私も言葉を選べばよかったわ。それにね、あなただから出来る
こともあるの。」
男「なんですか?」
保健医「そばに居て、支えてあげて。」
男「それだけですか?」
保健医「それだけでお姉さんはずいぶん救われるはずよ。ね?」
男「…はい。」
保健医「そんな顔しないの。あなたが暗い顔してると、お姉さんも悲しむわよ?

保健医がむにーっと俺の頬を抓る。
男「い、いたいっす。ちょ、やめてくださいっ!」
保健医「元気でたら放してあげる。」
男「でました!でましたから放してくださいっ!」
保健医「ならよろしい。」
男「ってて…」
保健医「元気出たなら迎えにいってあげなさい。きっと待ってるわよ。」
男「…はい、ありがとうございました。」
俺は少し赤くなった頬をさすりながら保健室を出た。

次の日
男「つ、疲れた…」
体育の授業が持久走だったので、へとへとになりながら水飲み場に向かう。
急いで蛇口を捻り、浴びるように水をがぶ飲みした。
男「ふぃ~、生き返るぅ。」
ひとごこちついていると、体育館裏から姉の声が聞こえた気がした。
俺は無性に気になり、声がするほうに向かった。
上級生A「あんたのせいで負けたじゃないっ!」
姉「ごめんなさい、ごめんなさい…」
上級生A「本当になんもできないのね。足引っ張るなら授業に出なければいいのに
。」
体操着姿の姉が数人の女子に囲まれている。
上級生A「あんたなんかいなければ、順調に勝ってたはずなのに。あんたがぐずで
のろまなせいでっ!」
姉「ごめんなさい、ごめんなさい…」
上級生B「…たぶんこの子わかってないのよ。話してる間中もずっとごめんなさいっ
て言ってるだけだし。」
上級生A「人の話も聞けないのね、これだから…」
上級生C「しょーがないよ、こいつうちらと違うから。」
上級生B「ねぇ、もういいでしょ?教室に戻ろ…?」
上級生C「なんでよー?つまんないこと言わないでよ。ノリ悪いなー。」
上級生A「私はこのままじゃ納得いかないわよ。まったくなんで同じクラスにすん
のよ。クラスわけりゃいいじゃない。」
上級生C「大人のじじょーってやつじゃない?」
上級生が耳障りな声で笑う。
笑い声に釣られたのか、姉は顔をあげ、にへらっと笑った。
上級生A「何笑ってんのよっ!?」
ドンっ!
姉の態度が癪に障ったのか、上級生の一人が姉を突き飛ばす。
姉「いたぁっ!いたいよぅ…」
姉は泣きそうな目で彼女達を見つめた。
上級生A「何よ、あなたが悪いんじゃない。」
姉「…ご、めんね。ごめんなさい、ごめんなさい…」
男「やめろっ!」
俺は思わず飛び出していた。
上級生A「なに、あなた?一年生?」
男「姉ちゃんをいじめるなっ!」
上級生C「この子、こいつの弟だよ。」
姉「おとうとくん…」
上級生A「何よ、私はただ文句を言っていただけよ。」
男「だからってやり方があるだろう。あんた達がやってるのはただの弱いものい
じめだっ!」
上級生A「文句とか言われたくないなら、それ用の学校とか行けばいいでしょ?迷
惑なの、こっちは。 」
男「姉ちゃんは普通の学校に通えるから、通ってんだっ!あんたらはただ出来な
いことがあるのを笑ってるだけだろ!?」
上級生A「は?わかったような口聞かないでよ。一緒のクラスにいる私達の身にも
なってみてよね」
男「なんだとっ!」
その時、俺の袖がくいっと引かれた。
顔を向けると、姉が悲しそうな顔して俺を見ていた。
姉「おとうとくん、おこってるの?おこっちゃやだよぅ…」
男「姉ちゃん…」
姉「けんかしちゃやぁ。おとうとくん、おこんないで…」
姉の目に涙が光る。
その顔を見てると俺はもう何も言えなくなってしまった。
上級生B「ねぇ、そろそろ授業始まるよ。行こう…?」
上級生A「…ふんっ、行くわよ。」
上級生C「あいつ、ちょーうざいんだけどー。」
上級生達が去っていく。
一人が何故か心配気に振り返ったが、その時の俺は気付かなかった。
姉「おとうとくん、もうおこってない?」
姉が不安そうに俺を見上げる。
男「…うん、ごめんな」 姉が俺の胸に顔を埋め、ごしごしと擦る。
姉「おとうとくんはおこっちゃやだよぉ。」
男「ごめん、ごめんな…」
俺は自分の短慮で姉を悲しませていることが悔しかった。
男「…姉ちゃん、ごめん」
守るって決めたのに…
姉を守る力もない自分が不甲斐なくて、強く歯を噛み締めた。


「魔法」


私は卑怯者だ。
A「ほら、さっさとしなよ!」
C「あははっ!そんなんじゃ終わらないよー」
姉「あぅ…うんしょ、うんしょ」
彼女が小突かれながら次の授業の教材を運んでいる。
私は彼女達の少し後ろを歩きながら、彼女を見つめていた。
C「やっぱあいつどんくさいよねー」
A「ほんとっ、いらいらする。ねぇ、B?」
B「あ、うん…」
愛想笑いをしてやり過ごす。
ちくりと胸に痛みが走った。
姉「あわわっ!」
ガッシャーン!
彼女はダンボールの中身をぶちまけてしまった。
A「なにやってんのよ!」
自分が小突いたせいなのに、さも彼女が悪いように罵る。
A「さっさと拾いなさいよっ!」
姉「ごめんなさい、ごめんんさい…」
慌てて這い蹲り、拾おうとするがうまく集められないようだった。
C「さっさとしないと日が暮れちゃうよ~」
Cがニヤニヤしながら彼女の手元の地図を蹴った。
私の胸の痛みが増す。
思わず、声をあげてしまった。
B「ねぇ!」
A「どうしたの、Bさん?」
B「あ、う…もうすぐ授業始まるから先に行かない?」
C「そうだね~行こっ、Aちゃん。」
A「無駄な時間を過ごしちゃったわ。いこいこ。」
必死に拾う彼女に後ろ髪引かれながら、教室へと急いだ。

私はトイレに行くと言い、廊下に戻った。
彼女はまだダンボールの中身を拾っている。
私は無言で手伝った。
姉「ありがとうっ!」
彼女は驚いたように目をパチクリさせた後、ひまわりのような笑顔で微笑んだ。
B「…お礼なんて言わないでよ」
お礼なんて言われる権利は私には無い。
罵られればこそすえ、こんな笑顔を向けられていいはずは無いのだ。
姉「でも、なんかしてもらったときはありがとうっていわなきゃだめなんだよー?」
それでも彼女は無邪気な笑顔を浮かべる。
その笑顔は私の心にトゲを刺す。
…違う。刺しているのは彼女じゃない、私の罪悪感だ。
B「…はい、これで終わり。私は先行くから、これ持って教室に入るのよ。」
姉「はーいっ!」
彼女は元気いっぱいに返事をして、また笑みを浮かべる。
その笑顔から逃げるように私は教室に戻った。

違う学区からこの中学に通っていた私は、同じ小学校の友達がいなかった。
だから一人になるのが嫌で、必死に今のグループにすがり付いた。
中1の時まではうまくいっていた。
派手なAや今時のCと話を合わせるのは若干疲れたが、慣れればなんとかなった。
しかし、中2になり彼女と同じクラスになってから全てが変わる。
たまたま彼女がAの鞄を汚してしまったのだ。
彼女に悪気は無かったのだが、激怒したAはおもしろがるCと一緒にちょっかいをだし始めた。
私は一人になるのが怖かった。
だからAとCを止めることは出来ず、あまつさえ一緒に彼女を…いじめた。
私は卑怯者だ
自分が一人になるのが怖くて、彼女を犠牲にしたのだ。

…あれは?
部活動が終わり、下校していると彼女が私服で川辺に座っていた。
気付くと私は声をかけていた。
B「何やってるの?」
姉「おえかきー」
彼女はスケッチブックを広げ、絵を描いていた。
スケッチブックにはものすごい精緻な夕焼けが描かれている。
B「きれい…」
私は思わずそう呟く
姉「えへへ」
彼女はうれしそうに目を細めた。
よく見ると夕日の前に男の子が描かれていた。
B「この人は…?」
姉「おとうとくんだよっ!」
B「弟?」
姉「うんっ!ここにいてほしいとおもったから。」
そう言ってとても優しい笑みを浮かべる。
私はこの間、必死に彼女を庇っていた男の子を思い出す。
B「…弟さん、お姉さん思いね。」
姉「うんっ!とっても、とーってもいいこなの!」
彼女の目が輝いた。
姉「おとうとくんはね、いっつもやさしいの。たいせつなたいせつなおとうとなんだよ!」
B「弟さんのこと、大好きなんだね」
姉「うんっ!」
姉を守ろうとする弟、弟を思いやる姉。
それは私の薄っぺらい人間関係とはくらべることが出来ないほど尊く思えた。
私はなんて浅ましい存在なんだろう…
胸の罪悪感という痛みが強くなった。
姉「…どこかいたいの?」
B「え?」
姉「くるしそう。だいじょーぶ?」
心配そうに私を見つめる。
姉「だいじょーぶ?おなかいたい?」
彼女は私を心配している?
一瞬理解に戸惑う。彼女はふと私のほうに手を伸ばした。
姉「いたいのいたいのとんでけー!」
その言葉は魔法のように心に染み渡った。
彼女はわたしのおなかに手をあてると、やさしくさすっってくれた。
私は彼女をいじめていたのに、こんなに弱くて醜い私を心配している。
…なんてやさしい子なんだろう。
姉「いたいのいたいの、とんでけーっ!」
弱虫の私を労わるように、彼女は魔法をかけ続ける。
その言葉は私に少しだけ勇気をくれたような気がした。

翌日
A「ほら、さっさとボール持ってきなよ!」
C「キャハハっ!ちょーおそ―いっ!」
今日もAとCがちょっかいを出している。
体育の時間に使うボールをからかいながら運ばせているのだ。
トイレから帰ってきた私は、少し離れた所から見たいた。
…私は卑怯者だ。一人なるのが怖くて何もしてこなかった。でも…
おなかをさする。
彼女がかけてくれた魔法が全身に広がるような気ふがした。
…よし!
私は彼女に駆け寄り、ボールケースの片端を持つ。
B「一緒にに持とう?」
姉「…うんっ!」
彼女は一瞬ポカンとした後、力いっぱい頷いた。
A「何、あんた。なんのつもり?」
C「ちょーわかんないんですけどー」
B「私、この子と一緒に授業行くから先に行ったら?」
AとCは驚いたような目を浮かべていた。
私はそれを無視して先に進む。
B「いこ?」
姉「うんっ!」
彼女をいじめていた私には友達になる資格はない。
しかし、クラスにいる間は彼女のことをそっと守り続けたいと思う。
勇気をくれた魔法のお礼に。


「見えない手」

男「じゃあ最近は放課後以外来てないんですね?」
保健医「そうなのよー。それにね、私の情報によればいじめられなくなったらし
いの」
男「え、本当ですかっ!?」
保健医「うん、中心的にいじめてた子達がちょっかいださなくなったみたい。」
俺は校舎裏であった三人を思い出す。
男「…どうしてっすかね?」
保健医「んー、どうやらお姉さんを庇ってくれる子がいたみたいなの。その子が庇っ
てから、クラス全体がお姉さんをフォローする雰囲気になったみたいよ。」
男「そうなんですか…」
俺の代わりに姉を守ってくれる人がいたんだ…
俺は名も知らないその人物に感謝した。
男「どんな人なんすかね?その人。」
保健医「あら、お姉さんを取られた気分?」
男「違いますってっ!ただ気になって…」
保健医「私もどの子か知らないわ。でもきっと優しい子よ。」
男「俺もそう思います。」
保健医「これであなたも安心して私に性の悩み相談が出来るわね。」
男「えぇっ!?」
保健医「あら、遠慮しなくていいのよ。それともマンツーマンで保健体育の授業
する?」
男「え、えんりょしますっ!」
俺は顔を真っ赤にさせて保健室を逃げ出した。
保健医「あーん、なんで逃げるのよぉ!」
保健医の気の抜けた叫び声がむなしく廊下に響いたのだった。


「準備室の姫」

私が所属する美術部には一つの不思議な噂がある。
それは美術準備室の姫という噂だった。
美術室に飾ってある絵にまつわるものである。
週に一度ほど美術教師が準備室から持って来て張り替えるその絵は、とても精
密なタッチで誰が見てもすばらしいものだった。
最初私達は美術教師が描いていると思ったのだが、彼女は否定した。
美術教師「あれはお姫様のお絵かきだよ。」
美術教師は無愛想にそう答えるだけだった。
それ以来、私達はその絵を描いているミステリアスな誰かを美術準備室の姫と呼ぶ
ようになったのだ。
実は私はその絵のタッチといつも描かれている男の子に見覚えがあった。
正確には最近見たというのが正しいだろう。
ある日、私が遅くまで美術室に残ってると絵を張り替えに美術教師が現れた。
と同時に隣の準備室から聞き慣れた声が聞こえる。
彼女だ…
B「…やっぱり彼女が準備室の姫だったんですね。」
美術教師「お前、気付いてたのか。」
B「絵のタッチに見覚えがありましたから。」
美術教師「そうか。いい絵を描くだろう?」
B「ええ、ガラスのように繊細で精確なのに何故か温かい…不思議な感じです。ま
るで彼女みたい。」
美術教師「お前はあいつのことよく見てるんだな。」
B「そんなことないですよ…」
美術教師「寄ってくか?」
B「…いえ、いいです。」
美術教師「なんでだ?友達なんだろう?」
B「私なんかが彼女の友達である権利はありませんから…」
美術教師「でも、向こうは友達だと思ってるみたいだぞ?」
そう言って新しい絵を飾った。
私は目を見張る。
同時に胸の奥が熱くなり、涙が零れた。
美術教師「いい絵だろ?」
そこにはいつもの男の子の代わりに、夕焼けの川辺で仲良く手を繋ぐ少女達がい
た。
一人はあの子。
そしてもう一人は…私だ。
やっぱり彼女には敵わない…
私は溢れる涙を拭いながら、やさしい彼女の笑顔を思い返すのだった。


「大切なもの、なくしたくない想い」

私は一人、美術室で絵を描いていた。
動揺を隠すようにキャンバスを塗り潰す。
美術教師「…怖い絵だな。」
はっとして後ろを振り向く。
美術教師が絵を覗き込んでいた。
B「…ごめんなさい、ただ気まぐれに描いているだけですから。」
私は絵を隠すようにキャンバスに向き直る。
美術教師「あいつは好きなもの以外描かないぞ。」
B「…わかってます。でも才能がある人に上を求めるのはいけないことでしょうか?」
私は彼女の才能が埋もれるのが悔しかった。
それは彼女に対する屈折した嫉妬だったのかもしれない。
…だから、あんなことをしてしまったのだ。
美術教師「お前は勘違いしている。」
B「…何をですか?」
美術教師「お前がしたことは確かにあいつの気持ちを無視したことだ。」
私の心がズキンと痛む。
私が余計な事しなければ、彼女は傷つかなかった。
それが罪悪感と苛立ちになり、私をどうしようもない感情の袋小路に落としていった。
美術教師「しかし、あいつが怒っているかどうかはあいつが決めることだ。お前が決めていいものではない。」
B「…関係ないですよ。私はお節介なことをしただけです。彼女の信頼を裏切り、才能を売った。」
美術教師「まだわからないのか?お前は…そうやって自分を傷つけてることをあいつが望むと思うのか?馬鹿にするなっ!」
美術教師が声を荒げ、私の肩を掴む。
その顔は普段の彼女からは想像も出来ないほど怒っていた。
美術教師「今、お前を傷つけていいのはあいつだけだ。自分の殻に閉じこもってあいつから逃げるな!目を逸らすなっ!これ以上お前はあいつを裏切るのか!?」
私は何も言えない。
美術教師「少なくともあいつはお前から目を逸らそうとしていない。いや、むしろお前のことが見たくて見たくて堪らないのに、見れなくて悲しんでるんだよ…」
美術教師は私に一枚の絵を突き付ける。
美術教師「お前のために描いたそうだ。」
私のために…
なんで彼女はまだ私を描いてくれるの…?
美術教師「でもよく見てみろ。この絵は未完成だ。何故だかわかるか?」
その絵には顔が描かれていなかった。
美術教師「お前がいないから、顔が描けないんだよ。あいつが最後に見たのはお前の怒った顔だから。そんな悲しい顔は描きたくないんだってさ…」
B「…う、うわ、うわぁぁぁ…」
私はその絵をかき抱く。
涙が止まらない。大きく声をあげて泣いた。
B「ひ、ぐぅ…う、うぅ、ああぁぁぁんっ!!」
私は愚かだ。自分が傷つくのが怖くて、彼女を避けた。
自分の罪に逃げ、彼女から目を逸らしたのだ。
B「う、うぅ、ご、めん、ごめんね…あ、うぅぇ…うわぁぁん!」
私は泣き続ける。
美術教師は黙って私を見つめていた。

私は浮かれていた。
彼女という気心が知れた友人を得て、毎日が楽しかった。
と同時に、彼女と彼女が描く絵に引き込まれるように惹かれていった。
B「じゃ、交換しよっか?」
姉「うんっ!」
私達は互いをモデルにして、絵を描いていた。
どうしても自分のことを描いてほしいと彼女に頼まれたからだ。
正直、彼女に自分の絵を渡すのは気が引けた。
しかし、代わりに彼女が私のことを描いてくれるというのはとても魅力的だったし、何より彼女の喜ぶ顔が見たかった。
姉「ずーっとたいせつにするね!」
B「えぇ、私も。」
彼女が描いてくれた私は本当の私よりも優しい顔をしている気がした。

家に帰り、なんとなく新聞を読んでいた。
テレビ欄を見てから他の部分を流し読みする。
ふと一つの広告が目に入った。
B「○×新聞協賛、全国中高生絵画コンクール…」
私はふと、鞄の中の絵を思い浮かべる。
彼女は進学はしない。
卒業したら趣味以外に絵描く機会はなかなか無いだろう。
…これは彼女にとってチャンスなんではないだろうか。
彼女の才能は埋もれさせるにはあまりに惜しい。 私なんかよりも才能があるあの子が評価されないのはおかしい。
彼女はもっとみんなに認められるべきなのだ。
私はクラスでの彼女の扱いが気に入らなかった。
いじめはなくなったが、まだ彼女をどこか近寄りがたく思っているものが多かったのだ。
彼女はこんなにすごくて、優しいのに。
それはきっと、彼女にたいしての屈折した羨望と劣等感によるものだったのだろう。
私なんかより才能もあり、性格もいい彼女に対する嫉妬と言ってもよかった。

保健医「聞いたわよ、お姉さん金賞取ったんですってね!」
男「なんのことです?」
保健医「だから○×新聞の絵画コンクール。お姉さんの絵が金賞とったのよ。知らなかったの?」
男「いえ、初めて聞きました…」
保健医「え、男くんが出したんじゃなかったの?」
美術教師「私が出した。」
男「先生が?」
美術教師「あいつは才能あるからな、試しに出してみたんだ。それが金賞を取ってな…」
男「でも姉ちゃんは…」
美術教師「ああ、あいつはそんなの望んでいないだろう。取材の電話が来たが断っておいた。」
男「そんな話まで来たんですか!?」
美術教師「私も浅はかなことをした。あいつの気持ちも考えず、勝手な行動をした。すまんっ」
男「あ、頭をあげてくださいっ!姉ちゃんのことが認められたのは単純にうれしいですし。取材とか、お金のために描くとかは姉ちゃんも望まないとは思いますけど…」
美術教師「とにかく、すまなかった…」

放課後、私は絵を描いていた。
気分が乗っていたのか、キャンバスに載せられた色は明るい。
彼女の才能が認められたのだ。
私は自分のことのように喜んでいた。
突然、美術室の扉が開く。
顔を向けると、美術教師に手を引かれて彼女が立っていた。
私の顔が明るくなる。
B「あ、ねえねえ聞いて!やったの、金賞よっ!!」
私は興奮してまくし立てた。
しかしいくら私がおめでとうと言っても、彼女の喜ぶ顔は見れなかった。
彼女は暗い顔で俯いたまま呟く。
姉「…あげちゃったの?」
B「え?」
姉「わたしのえ、あげちゃったの?」
B「あげたって、確かにコンクールに出したから返ってこないけど…」
姉「かえって、こない…」
B「でもね、全国コンクールで金賞なのよっ!すごいよ!これに通ればプロの画家になることだって…」
美術教師「B」
美術教師が静かに私の名前を呼ぶ。
B「なんですか?」
美術教師がそっと視線を斜め下に移す。
彼女の瞳から涙が一滴零れていた。
B「え?どう、したの…?」
私は混乱した。彼女を喜ばせようとしたのに、彼女は泣いている。
美術教師「…どうしてこんなことしたんだ?」
美術教師がふいに聞いた。
彼女は俯いて、黙っている。
B「どうしてって、こんなに素晴らしい絵を描くんだから賞に出した方がいいに決まってるじゃないですか?」
美術教師「こいつがそう望んだのか?」
B「でも」
美術教師「お前のために描いた絵をコンクールに出してくれとこいつが頼んだのかっ?」
美術教師の語気が強まる。
私はなんで自分が怒られているかわからなかった。
B「でも、この子が認められないなんておかしいですっ!現にこうやって賞を取ったじゃないですかっ!?」
美術教師「あのな…!」
姉「せんせい、やめて。」
美術教師の言葉を彼女が遮った。
姉「わたしは、だいじょうぶだから。ごめんね、Bちゃん」
そう言って悲しい笑顔を浮かべると、彼女は去っていった。
…私は彼女を傷つけた?
美術教師も無言で彼女を追いかける。
私は喜ばせようと思っただけなのに…
この時、初めて私は自分が余計なことをしたことに気付いた。
彼女を傷つけてしまうなんて…
やっぱり私は彼女の友人である資格がなかったんだ。
筆にのっていた黒の絵の具をキャンバスに叩きつけた。

それから私は彼女を避けた。
彼女が憎かったわけでは無い。むしろ逆だ。
私は自分がしでかした事に気付き、激しく自己嫌悪した。
そして、友達と思ってくれているのが申し訳なくなったのだ。
私にはそんな価値はない。
彼女に見てもらえる価値は。
だから私は彼女から目を背け続けた。

…それなのに、彼女は私を心配しずっと見ててくれたんだ。

美術教師「落ち着いたか?」
B「…はい。どうもすいませんでした。」
美術教師「謝るなら相手は私じゃないだろ。」
B「そうですね…」
美術教師が入れてくれたコーヒーを飲む。
それはとても苦くて、温かかった。
美術教師「あいつが絵を交換したがったのはな、もうすぐ卒業するからだよ。」
B「え?」
美術教師「あいつもわかってるんだよ。卒業したらあいつはあまりお前に会えなくなる。だから友達の証にお前が描いてくれた自分の絵が欲しかったし、自分がお前をどう見ているか描いた絵を持っていて欲しかったんだろ。」
B「だから…」
だから彼女は私が絵を手放したと知った時、あんな悲しい顔をしたのだ。
美術教師「あいつが描くお前の絵、いつも優しい顔してたろ?」
私の目からまた涙が零れる。
B「はい…」
美術教師「だったら涙を拭いてあいつの所へ行きなよ。この絵を完成させにさ。」
私は涙を拭うと勢いよく立ち上がった。
B「失礼しました。…ありがとうございました!」
美術教師「もうなくすなよ。」
私は美術室を駆け出した。
彼女に仲直りの言葉ととびきりの笑顔を届けるために。
もう絵も大切なものも無くさないように。

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最終更新:2007年02月07日 11:12