YUKI burst error Ⅷ
いったいあたしはどうしたんだろう。
何か悪夢を見ていたような気もするけど思い出せない。
どんな夢? ううん……それどころか今日、あたしが何をしていたかさえ覚えていない。それともここはまだ夢の続き?
だって……
ここは.……どこ……?
気がつけば妙な風景があたしの周りに広がっていた。
もっともこの場合の妙というのは別に奇想天外な風景が広がっていたんじゃなくて、あたしの想像外の景色が広がっていたから。
ええっと……おぼろげ的には部屋で寝てたと思ってるんだけど……何で学校の校舎玄関の前にいるわけ……?
って、あれ?
ふと隣を見てみればこれまた見知った顔が横になっていた。
とりあえず起してみる。
「キョン」
まずは優しく揺すってみると、
「まだ目覚ましは鳴ってないぞ……」
反応はあったけど寝ぼけてるみたい
「起きて」
今度はピシピシ頬を叩いてみる。
「いやだ……俺は寝ていたい……胡乱な夢を見ているヒマもない……」
むかっ!
「起きろってんでしょうが!」
下手に出てあげるのも我慢の限界よ! 何でこいつこんなに寝起きが悪いわけ!
あたしはキョンの首を絞めて揺り動かし何度も後頭部を下のアスファルトにぶつけてやった。
ようやくキョンが目を覚ます。
「やっと起きた?」
どうもまだ目が寝ているみたいだけど、とりあえず現状を教えてやれば目が覚めるかしら?
なんて思うと同時にあたしの胸の内にさっきの不安が渦巻き始めた。
「ここ、どこだか解る?」
問いかけるとキョンは視線を周囲に這わせ始めた。
ゆっくりぐるっと首を回しながら周りを確認しているみたいだけど……あれ? 戻ってきたキョンのあたしを見る目、変ってるし。
何て言うか……ちょっと焦ったような切羽詰まっているような瞳……
「目が覚めたと思ったら、いつの間にかこんな所にいて、隣であんたが伸びてたのよ。どういうこと? どうしてあたしたち学校なんかにいるの?」
キョンがまともな答えをくれるとは思えないけど、とりあえず何か話さないとこの不安がどんどん膨らんでくるもんね。
もしかして今、あたし、か細い声で訊かなかった? まあいいけど。
キョンは何やらもそもそしているようで何かを確かめようとしている。
推測できるけどね。たぶん、夢かどうかを確かめているんでしょ。あたしだって今、現実なのか夢なのか区別つかないもん。
「ハルヒ、ここにいたのは俺たちだけか?」
「そうよ。ちゃんと布団で寝てたはずなのに、なんでこんな所にいるわけ? それに空も変……」
「古泉を見なかったか?」
「いいえ。……どうして?」
「いや何となくだが」
どうして古泉くんのことなんか聞いてきたのかしら? というかキョンも変……
「とりあえず学校を出よう。どこかで誰かに会うかもしれない」
「あんた、あまり驚かないのね」
返してみるが反応はなし……か。
でもキョンの言うとおり、一度学校から出るしかない。この時間、学校に誰もいる訳ないしね。
あたしはキョンと付かず離れずで並んで門扉から足を踏み出そうとして、
って、え!?
何かがあたしの鼻先に当たった。
ねっとりした感覚で、それでいて少しは進めるけどすぐに硬い壁に当たっちゃう!? 何にも見えないのに!?
「……何、これ?」
目を見開いて両手を盛んに突き出してみるけどやっぱり同じ反応しかない!?
何? 何のこれ!?
「ここからは出られないらしい」
そんなあたしにキョンが声をかけてくる。でも不思議なことにキョンにちょっと焦りは見えるけど、あたしと違ってパニックにはなってないみたい。
「裏門へ回ってみるか?」
「それより、どこかと連絡が取れない? 電話でもあればいいんだけど、携帯は持ってないし」
あたしがそう提案すると同時に、キョンとあたしは駆け出した。目指す先は職員室。職員室なら電話がある。
って、うわ、キョン無茶するし。消火器で窓叩き割って入るって。明日、どうするんだろ? というか思ったよりこいつ行動力あるし。
……って、そんなことに構っていられる状況じゃないわね。
あたしは受話器を取り、とりあえず自宅にダイヤルしてみようとして。
「……通じてないみたい」
する必要もなく悟ってしまった。
だって……受話器から何の音も聞こえてこないんだもん……
あたしとキョンは校舎を練り歩く。その間、あたしはずっとキョンのブレザーの裾をつまんでいた。
こんなところで一人にされたくないし……
「頼りにしてくれるなよ、俺には何の力もないんだからな。それに怖いならいっそ腕にすがりついてくれよ。そっちの方が気分が出る」
「バカ」
そんな恥ずかしい真似できる訳ないじゃない……
それだけは心の中で呟いて、しかしあたしはキョンのプレザーを離せなかった。
そのままあたしたちは見慣れた一年五組の教室へとたどり着いた。
え……一年五組……?
という思考が頭を過ったけど、次の瞬間、その疑問は吹き飛んだ。それは前方を見てしまったから。
窓には――
「……キョン、見て……」
あたしは駆け寄りキョンを手招く。こんな光景を見せられてキョンの方へ振り向ける訳ない。
だって……明りが何もないんだし……
「どこなの、ここ……」
隣にキョンがいるけど今は構っていらないしそれどころじゃない。
「気味が悪い」
あたしは我知らず自分の肩を抱くように呟いていた。
結局行くあてもないあたしたちは夕方後にした部室にやってきた。
あたしは茫然としたまま窓の外を眺めるしかできない。もう頭の中が混乱しまくってるし。
「飲むか?」
「いらない」
たぶん、キョンはあたしにお茶を注いでくれた。けど、そんなゆとりなんてない。
「どうなってんのよ、何なのよ、さっぱり解らない。ここはどこで、なぜあたしはこんなところに来ているの?」
悪いけどキョン……八つ当たりさせてもらうから……でないと気が狂いそうよ……
「おまけに、どうしてあんたと二人だけなのよ?」
「知るものか」
ぷつん!
何そのぶっきらぼうな返事! あたしと二人でいるのが気に入らないのかしら!
「探検してくる」
キョンは腰を浮かせてあたしに渋々付いてきそうにしたけど、
「あんたはここにいて。すぐ戻るから」
当然、却下よ! あたし一人だけでも大丈夫ってとこ見せてあげる!
言って、あたしは腹立ちまぎれに文芸部室を飛び出した。
学校を練り歩く間、やっぱりどこにも明りはなかった。
他の教室、体育館、階段。
しかしどういう訳なのかな? なんだかどんどん気持が高揚していってる。
それはそうよね。だって、こんな不思議な世界に今、あたしはいるんだから。
そうよ! あたしが待ち望んだのはこれよ!
退屈な日常、平凡な毎日。そこから抜け出した世界がここにある! これで興奮してこなきゃウソってもんよ!
なんて思いながら、何気なく窓の外を見てみた。
って、あれ……?
校舎と校舎の間から何かがせり出してきて……
それが何か悟ると同時にあたしは駆け出した!
目的地は勿論、文芸部室!
「キョン! なんか出た!」
飛び込んでいって即座にキョンの隣に並んで肩をつかむ!
「なにアレ? やたらでかいけど、怪物? 蜃気楼じゃないわよね」
キョンはまだ呆けているみたい。ちょっと! こんな面白そうなことないわよ!
「宇宙人かも、それか古代人類が開発した超兵器が現代に蘇ったとか! 学校から出られないのはあいつのせい?」
きゃ! こっちを振り向いたわ! 何するのかしら!?
って!
「な、ちょ、ちょっと、何?」
いきなりキョンがあたしの手を掴んで転がるように部室から飛び出した!
その直後、背後から響く爆音! もっともその爆音はこの校舎じゃなくて別の場所から聞こえたけど!
なぁんだ。キョンも焦ってたのね。でもありがと。あたしを守ろうとしてくれたんだ!
でも校舎に居るのは危険かもね。あいつがあたしたちに気づかないまま破壊されたら大変だし。
あたしはキョンの手のぬくもりを感じながら校舎から走って離れることにした。
その途中、
「あれさ、襲ってくると思う? あたしには邪悪なもんだと思えないんだけど。そんな気がするのよね」
「わからん」
あ、そっけない返事。もっとこの状況を楽しみなさいよ。あんたも。
「何なんだろ、ホント。この変な世界もあの巨人も」
などと思わず口に出してしまいながら走っているあたしにキョンの声が届く。
「元の世界に戻りたいと思わないか?」
「え?」
「一生こんなところにいるわけにもいかないだろ。腹が減っても飯食うところがなさそうだぜ、店も開いていないだろうし。それに見えない壁、あれが周囲を取り巻いているんだとしたらそこから出ていくことも出来ん。確実に飢え死にだ」
「んー、なんかね。不思議なんだけど、全然そのことは気にならないのね。なんとかなるような気がするのよ。自分でも納得できない、でもどうしてだろ、今、ちょっと楽しいな」
「SOS団はどうするんだ。お前が作った団体だろ。ほったらかしかよ」
……?
何かがあたしの心を過った。SOS団をほったらかす……?
そんなあたしの葛藤に気づかずキョンが続けてきた。
「俺は戻りたい」
キョンが吠えた。初めて聞いた気がする。キョンのはっきりした意志の声。
「こんな状態に置かれて発見したよ。俺はなんだかんだ言いながら今までの暮らしが結構好きだったんだな。アホの谷口や国木田も、古泉や長門や朝比奈さんも。消えちまった朝倉をそこに含めてもいい」
「……何言ってんの?」
言いながらあたしは思う。
変……谷口や国木田や朝倉はともかく、有希、みくるちゃん、古泉くんとはあたしも……
「俺は連中ともう一度会いたい。まだ話すことがいっぱい残っている気がするんだ」
何? 何なの? あたしの中に去来するこの気持は?
「会えるわよ。この世界だっていつまでも闇に包まれているわけじゃない。明日になったら太陽だって昇るわよ。あたしには解るの」
そう……そのはずよ……またみんなに会えるはず……
「そうじゃない。この世界でのことじゃないんだ。元の世界のあいつらに俺は会いたいんだよ」
……っ!
あたしは急ブレーキをかけて立ち止まる。慣性の法則に逆らってあたしの手とキョンの手が離れた。
「意味分かんない」
あたしは焦燥感溢れる声で首を振りながら呟く。
「あんたは、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの? 特別なことなんて何も起こらない、普通の世界なんて、もっと面白いことが起きてほしいと思わなかったの?」
……特別なことが起こった世界……? 待って……それは本当に面白かったの……?
「思ってたとも」
キョンが真剣な表情で静かにあたしに近づいてくる。
そのままあたしの肩に手を乗せて、
「あのな、ハルヒ。俺はここ数日でかなり面白い目にあってたんだ。お前は知らないだろうけど、色んな奴らが実はお前を気にしている。世界はお前を中心に動いていたと言ってもいい。みんな、お前を特別な存在と考えていて、実際にそのように行動していた」
……面白い目……違う……確かにみんな、あたしを中心に行動していた気はする……でもそれは本当に面白かった……?
「お前が知らないだけで、世界は確実に面白い方向に進んでいたんだよ」
キョンが口調とあたしの肩を握る手に力を込める。
おかしい。あたしは前にキョンに同じことを言われた気がする。でもそれは随分前のことに感じてる。
でも何? この違和感は……
あたしは……今のあたしは……
とりあえず、視線をキョンから逸らして校舎を破壊し続けている青白い巨人へと向ける。
うん……どうしてだろう? ここには不安がない……あたし自身は元の世界に戻りたいと思わない……でもそれはなぜ……?
とと。
キョンが再び、今度は強引にあたしをキョンに正対させる。
「なによ……」
「俺、実はポニーテール萌えなんだ」
「何?」
「いつだったかのお前のポニーテールはそりゃもう反則的なまでに似合ってたぞ」
「バカじゃないの?」
この状況で何言ってんのよこいつは――って、え!?
あたしは次の瞬間世界が回っているような気がした。
不意にキョンがあたしの唇を奪ったから――
もちろん思考停止。
キョンが……あたしを……? これはいったい……
…… …… ……
…… ……
……
そうね……キョンが居るなら……キョンが望むなら元の世界でも……
有希がいて、みくるちゃんがいて、古泉くんがいて、みんなで面白おかしく騒ぐのも……
――!!
違う! ここで戻っちゃ駄目なのよ!
陶酔に落ちていきそうなあたしの意識が一気に覚醒した。
瞬間、キョンの胸を突き押して強引にあたしから離れる。
「ハルヒ……?」
もちろんキョンはいぶかしげな視線を向けてくるけど……
「まだよ……」
「え……?」
「まだなのよキョン! この世界からまだ元の世界に戻るわけにはいかないの!」
あたしはキョンにありったけの思いを込めて視線をぶつけて声を張り上げる。
「どういう意味だ……? それともお前は別の何かを望んでいるのか……?」
「そうじゃない! 今、元の世界に戻ったって有希は変なままだし、みくるちゃんも古泉くんもいないのよ! あたしはみんなを取り戻すためにこの世界に来たの!」
「何の話だ? みんないない? 意味が分からんぞ。この世界から元の世界に戻ればみんないるんだぜ?」
「違う! それは去年の五月の話! 思い出してキョン! 今日、何が起こったのかを! どうしてあたしたちがもう一度この世界に舞い戻ってこなきゃならなくなったのかを!」
あたしは今日の記憶を走馬灯のように頭にフラッシュバックさせながらキョンに懇願した!
刹那――
どういう訳か、あたしの耳にまるで風船を割ったような軽くそれでいて耳をつんざくような破裂音が響いた気がした。
どれくらいそうしていたかは分からない。
しかし、まるで今の破裂音の余韻に浸って沈黙していたあたしに声が届く。
「ハルヒ……これはどういうことだ……? どうして俺はまたこの世界にいるんだ……?」
それは愕然とした響きを持っていた。
「……思い出した?」
「あ、ああ……急に今日、世界が変革されていて……俺は長門が発射したレーザー砲に……」
「その通りよ……で、キョンがいなくなった後、古泉くんもみくるちゃんも……」
「なんだと!?」
「だから……あたしはまたここに舞い戻ってきた……ここなら絶対にキョンがいるはずだもんね……まだキョンがいた頃の世界だったし……それにここならキョンとあたししかいないし……」
「そうか……てことは俺はお前に助けられたって訳だな……って、ちょっと待った。ということはお前は自分の能力に気が付いたってことか!?」
キョンがどこか素っ頓狂な声で訊いてくる。
あたしの能力? 何それ?
もちろん、あたしには何のことか分らない。分からないなら知ってるキョンに聞くまでよ。
と思ったんだけど答えてくれたのはまったく別の声。
けど……できれば聞きたくなかった声……
「涼宮ハルヒ――あなたには何もないところから情報を生み出す力がある――それが発動したことにより、この世界の彼が、わたしたちがいた世界の彼と記憶を共有することになった――異時間同位体の情報連結――同期――」
気がつけばいつの間にか、結構闊歩していた巨人が全て消え失せている。
まるで今、目の前にいつの間にか現れた存在に消されてしまったかのように――
有希……まさか、あの十二月二十日を離れて、あたしの記憶が戻った途端、もう仕掛けてくるなんて……
あたしの頬から冷たい汗が一滴流れ落ちた――