YUKI burst error Ⅶ
「何? スイッチも押してないのに、びっくりするじゃないの」
「タイマーがセットされていたのでしょうか。それにしても、えらく古いパソコンですね。アンティークものですよ」
『あたし』と古泉くんの言葉で今の電子音がパソコンのスイッチだってことは解ったわ。
…… …… ……
パソコン……?
ちょっと待って。
よく考えてみたけど、この世界の『あたし』はSOS団を立ち上げていない。
あたしがこの部室に来たときはパソコンなんてなかったし、あたしが使っているパソコンはあんな古いパソコンじゃなくてコンピ研から、当時、最新型のものを寄贈してもらったものなのよ。
てことは、あたしがここに来なければパソコンなんて無いはずよ。
それに有希にしたって読書好きだけど自分で書く、なんて姿を見たことないわ。
じゃあどうしてパソコンが必要になるの?
まあもしかしたらこっちの世界の有希は書くこともするのかもしんないけど、それでも変。
あのパソコンは電源コードのみだから、文章と印刷だけならこの部室に元々あったワープロで事足りるわ。あのワープロだってここにあったってことは壊れていないはずだもんね。学校なんだから壊れたものであれば早急に処分するし、そうなるまで新しい機材なんて買ってもらえるわけがない。私立ならともかくここは県立高校なんだからお役所仕事で当たり障りなくが学校経営の方針で当然。
ましてやここは零細部の文芸部室。新しい機材を購入してもらえるほどの予算を回してもらえるなんてとてもじゃないけど思えない。
……元の世界とこの世界の間違い探しで唯一の回答?
でもって、それが意味するところは――
掃除ロッカーの中、あたしは腕を組み、視線をやや下に向けて、右手人差し指と中指を額に当てて推理する。
そんなあたしの耳にパソコンの周りにみんな集まっていることが容易に予想できる大きさでいくつかの声が聞こえてきた。
「どういう意味? なんの仕掛けなの? ジョン、あんたやっぱりあたしをからかっているだけなの? 説明してよ」
まずは『あたし』の声。
あっそうか。さっきはキョンを見つけたことと全然進展しない『あたし』とキョンの会話にイライラして頭に血が上ってたんで気づけなかったけど、よく考えてみれば、こっちの『あたし』はまったく事情を知らないのよね。
だったら解らないことだらけでも仕方ないってもんだわ。
でもまあ今はいいわ。
あたしは『あたし』に構っていられない。もちろん古泉くんにもみくるちゃんにも有希にもよ。
いったいキョンが今、何をやっているのか、それを知ることの方が重要なんだから。
そしてキョンの声が届いてきた。
「長門、これに心当たりはないか?」
「……ない」
「本当にないのか?」
「どうして?」
有希に何かを聞いている。
何を聞いているかを想像するのは容易いわね。
間違いなくパソコン画面にキョンだけが知っている何かが映っているはず。
それは何?
でもこれだけじゃまだ、あたしの求めているものと合致するかどうかなんて判断できないわね。
「ねえ、ジョン。どうしたの? また変な顔してるわよ」
「ちょっと黙っててくれ。今、考えをまとめているんだ」
ふっ――そっちの『あたし』ナイス。
今、キョンはパソコン画面に映っている何かに呻吟していることを知らせてくれて嬉しいわ。
それに何か考えているみたいだし。
とと、あれ? 誰かが深呼吸した。
そうね。例えるなら意を決して何かをふっ切るためのように。
「すまない、長門。これは返すよ」
「そう……」
――!!
キョンはこの世界の有希から何かを受け取っていた。それが何かは分かんないけどそれを返したってことはこの世界と決別を誓ったからに他ならない。
もしかしてこれなの? 世界再改変起動プログラムがあのパソコンなの?
「だがな、実を言うと俺は最初からこの部屋の住人だったんだ。わざわざ文芸部に入部するまでもないんだ。なぜなら――」
キョン――!
「なぜなら俺は、SOS団の団員その一だからだ」
続けてくれたキョンの言葉にあたしの目頭がまた熱くなる。でも今度は違う。これは嬉し涙なんだから。
キョンがあたしのSOS団を取り戻すために真剣になってくれていたことが、普段、ぶつくさ文句言っていたキョンがあたしを、そしてSOS団をこんなに大切に思っていてくれたことが嬉しかったから。
もし違うならキョンは世界再改変をしようなんて思うはずがないから。
ぐらん……!
って、え!?
感動の陶酔に浸っていた気分もどこへやら。
いきなり、あたしは周りの風景ごと歪んで――
いったい何が……?
などと考えようとして、しかしその思考が働き出す前に再び、周囲が正常な姿に戻る。
一瞬、この部室に何か異変が起こったのかとも思っちゃった。
あーびっくりした。
キョンがキーボードの何かのキーを押した瞬間、視界が一瞬全部歪んで渦巻いたように見えたもんね。
もちろん錯覚だろうけど。
……って、やけに静かね。
キョンは? 『あたし』は? みくるちゃんは? 古泉くんは? 有希は?
念のためロッカーから出るのは自重して耳を澄ませてみる。
…… …… ……
…… ……
……
ん~~~何にも聞こえない。誰もいないのかな?
…… …… ……
誰もいない……?
誰かが入って来ても出て行ってもこのロッカーの中からでも確認できるのよ。
さっき一瞬、世界が歪んだような気がしたけど意識がなくなった瞬間はなかったはずだから……
…… …… ……
ピポ
ひゃっ!
何? 何? 何の音?
って、さっきも聞いたじゃない。あの古いパソコンの電源が入った音よ。
あたしの予想を裏付けるが如く、今度はジジジという音が聞こえてくる。
でも変ね。
もし誰かいるならあのパソコンに反応しても良さそうなものだけど……
思い切って出てみる?
考えた瞬間、あたしはロッカーの扉を開けた。
久しぶりに吸う空気のなんと清々しいことでしょう。なんたってこのロッカーの仲は煤煙まみれだし。
うわ。服も髪も埃だらけ。
とりあえずパタパタはたき落としながら、あたしは団長席のパソコンを見やる。
幸か不幸か部室にはもう誰もいなかった。
と言うか、もう窓の外が朱色に染まってるし。まだ4時半前だってのにさすがに十二月ね。
それにしてもみんな、どこに行ったんだろう?
……まあいいわ。誰もいないというのなら好都合よ。
さて、いったいパソコンには何が出てるのかな~~~?
興味津々という表情で大きいモニターを見てみると――
YUKI.N>見えてる?
はて? ユキ.エヌってことは有希のこと? もしかしてあの有希がチャットでもしてたのかしら?
ううん。そんなはずない。だってこのパソコン、電源コードしかないもん。ネットに繋いであるなんてありえない。
ということはこれは――
頭の中に閃光が走ると同時に、あたしは椅子に跨りモニターと正対した。
仮説は二つに一つ。
単なる消し忘れか、誰かがあたしにあてたメッセージ。
答えはエンターキーを押せばすぐ判明!
YUKI.N>良かった。これを見ているということは間に合ったということ。
間に合った? 何が?
YUKI.N>世界再構築プログラムは二つあった。ひとつは今、彼が起動させたもの。そしてもう一つは今からあなたが起動させようとしているもの。そして、このプログラムの起動条件は彼がカギを揃えてEnterキーを押し、かつ、この場にこの時間平面の涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹、彼、そしてわたし・長門有希がいないこと。
……随分と難しい起動条件ね。特に部室に有希がいないなんてこと、どうやったらあり得るのかしら?
YUKI.N>今、この画面を見ているのはおそらく涼宮ハルヒ。あなたは時間遡行してここに辿り着いた。
――!!
嘘でしょ……未来人のみくるちゃんならともかく、宇宙人の有希にそれが分かるなんてどういうことなのよ……?
ま、まあ……今はいいわ……それよりも重要なことがあるんだから……
YUKI.N>あなたは周りにいる者達の協力でここにいるはず。彼は半年後のわたしが抹消したはずだが、彼の意思は古泉一樹に伝えられていたと推測できる。古泉一樹はあなたを守り、朝比奈みくるがここに連れてきたことがあなたがここにいる理由。そうでなければここにあなたは来ることはできないし、またあなた以外にここに来れる者は誰もいない。
どうやらあたしの予想、当たったみたい。間に合ったのが何かなんてのはまだ全然分かんないけど。
あたしはこう予想した。
キョンがこの世界のことを知っていて、それを古泉くんが伝えてくれて、みくるちゃんが連れてきてくれた。
とすればもう一人、あたしにヒントをくれる人間がいる。もちろん、それは有希。
有希も何があったかは分からなくても十二月二十日のことは知っていたし。
YUKI.N>なぜ誰もいないのかと言うと彼が時間遡行したことにより世界が改変前の姿に再構築されることが決定したから。その世界では涼宮ハルヒ、朝比奈みくる、古泉一樹、そして私、長門有希はこの日、この時間、ここではなく別の場所にいる。
まあね。あたしたちはこの日の夕方はキョンが入院している病院にいる。
おっと、今は思い出に浸るんじゃなくて先に進まなくちゃ。
YUKI.N>あなたが出発した時間平面、すなわちこの時間からおよそ半年後において、わたしに再び異常動作が起こったはず。わたしはきっとまた世界を改変したことだろう。
その通りよ。思い出すと辛くなるけどね……
YUKI.N>しかし、そのわたしに害はない。時空改変を実行するが直接的影響はない。
何言ってんの! あなたはキョンを、古泉くんを、みくるちゃんを……
YUKI.N>害が出たとするならばそれは涼宮ハルヒが記憶を取り戻したため。しかし、それは今のわたしの意識が残したノイズによるもの。本来完璧な改変操作が行われたなら涼宮ハルヒに記憶が戻ることはなかった。記憶が戻らなかった涼宮ハルヒは世界再構築を実行しようとは思わないし、『わたし』の邪魔をしない。悪いのはわたし。
えっ!? じゃあ何!? あたしが記憶を取り戻さなければあんなことにならなかったとでも言うの!?
YUKI.N>ただ、その世界はこの世界と同じ。それ以上でも以下でもなく平穏。ただし、それが良いか悪いかは私には分からない。
平穏? んな世界なんて願い下げよ! ただ退屈なだけだわ! 戦争は起こってほしくないけど。
YUKI.N>だから私は今、これを見ているあなたに託す。
何を?
YUKI.N>世界を元通り構築するか否か。YesならEnterキー、Noならそれ以外のキー。なお、この選択は一回限りである。もし選択しないまま放置した場合、日没とともにこの画面は消え、あなたの存在も消え失せる。なぜなら彼が世界を再構築のための行動を飛ばされた場所で日没後に開始した。ゆえにこのパソコンの存在も日没をもって消滅するから。そして、あなたはこのパソコンが無くなると元の世界に戻れなくなり、再構築された世界では今のあなたはここに存在しないから。
ふうん。じゃあ選択肢は一つしかないわね。もっともそのつもりしかないけど。
YUKI.N>また忠告しておく。
とと。Enterキーを問答無用で押そうとしたんだけど何かしら?
YUKI.N>Enterキーを押した瞬間、あなたはとある世界に飛ばされる。その世界とは連結させてはあるが私には行けない場所だった。その世界とは、人間のみならず、ほとんどの温血動物が見るとされる浅い眠りに陥るレム睡眠中もしくは深い眠りであるノンレム睡眠時にPGO波という鋸波状の脳波が、視床下部にある端網様体や、後頭葉にかけて現れて、海馬などを刺激して記憶を引き出し、大脳皮質に映し出される映像に限りなく近い世界。
ん? 夢の世界ってこと?
YUKI.N>その世界であなたは一年分、つまり今日今までの記憶が全て消え失せる。しかし時空再構築のためには今日までのことをその世界で思い出さなければならない。理由は夢の中にまで現実の記憶を持っていくことはほぼ不可能だから
そうしないとどうなるのかな?
YUKI.N>もしその世界の流れのままに現実世界に戻ったときあなたはその流れで昨年の五月に戻される。逆に今日までのことを思い出せばその世界もまたあなたと同じく、元々あなたが居た時間平面と同期され、絶対という保証はなくまた成功するという保証もできないが世界再構築が可能になる。なお、あなたが昨年の五月まで戻った場合、今日までのことが再びループされる。ひょっとしたらあなたは何度かループしてここに辿り着いているのかもしれない。
――!!
YUKI.N>今一度問う。世界を元通り構築するか否か。YesならEnterキー、Noならそれ以外のキー。
Ready?
末尾でカーソルが点滅するのを眺めながら、あたしは少し茫然としてる。
あたしが何度かループしてここに来ているですって……そんなはずない……そんなはずないと思ってるけど……
でも、それなら有希がこの画面を見ているのがあたしってことを分かってても不思議がないことになる……
…… …… ……
ふん。だからどうだって言うのよ。だったら何度でもまたここに来てやるわ。あたしからキョンたちを奪うような未来なんて願い下げ!
また戻って来ても何度でも繰り返すだけよ! ゴールに辿り着くまでね!
Ready?
聞くまでもないわよ! もちろん行くわ!
吼えて勢いよく、あたしはEnterキーを力いっぱい押した。