数日後、古泉の葬式がしめやかに行われた。高校や大学時代の友人が参列する中に混じって、俺とハルヒも古泉との最後の別れに訪れた。たくさんの友人が集まっていたことから、生前の古泉がみんなに好かれていたことがわかる。
誰が言ったか、死んでしまって初めてその人の本当の価値がわかるというのはこのことだろうか。俺も会ったことのないたくさんの人たちが古泉のために涙を流していた。
新聞やテレビの報道では通り魔の犯行とされたが、そんな単純な事件でないことは平凡な俺にもすぐにわかった。なぜなら、古泉の死体はほぼ無抵抗のままナイフで切り刻まれていたらしいから。
古泉を知らない人間が聞けば疑問には思わないかもしれないが、あいにく俺は古泉が機関の人間でそれなりの訓練を受けていることを知っている。すなわち、一般人にはできない芸当だということも。
ハルヒは、国木田からの電話の内容を伝えた時、最初は冗談だと思っていたのか「冗談でもそんなことは言うな」と怒っていたが、本気だということがわかると、顔を真っ青にして言葉を失ってしまった。
それ以後は、何かを考え込むように暗い顔で塞ぎこんでしまい、一切この話題に触れようとしない。いや、あれ以来、まともに話し自体していない。そして今も、まるで生気の抜けたような表情で俺の隣につき添いながら葬式に参列している。
ハルヒはいったい何を思っているのだろうか? やはり、あの日の自分の行動に責任を感じているのだろうか。確かにあの日のハルヒの行動は普段とは異質ではあったが、古泉の死それ自体に責任はない。それとも、他に何か……
古泉の死のショックは確かに大きい。だが、俺はいま、このことが原因となってハルヒとの間に亀裂が生じることのほうを恐れているのかもしれない。不謹慎極まりない話だが……
葬式が終わり、ハルヒと二人で帰路に着く。どんよりとした雲が空を覆い、肌寒く、なにか不吉なことの前兆のような気がした。なんとなくだが、運命のようなものが手招きをしているように感じる。
「すみません」
背後から声をかけられて、振り向くと、機関の森さんと新川さんが礼服姿で立っていた。
「このたびは古泉のために……」
「いえ……」
深々と頭を下げる森さんと新川さん。二人の姿を目にして、『あの時、どうしてもっと早く公園に行かなかったのか』という後悔の念が、再びこみ上げてきた。
「ところで……」
新川さんが神妙な面持ちで顔を近づける。
「あなたが古泉と最後に話した人間だということはわかってます。何か古泉から聞いていませんか?」
周囲を気にするようにヒソヒソ声で問いかけられた。俺を犯人と疑っているわけではないのだろうが、なんとなく責められているような気がして、横にいたハルヒの顔を一瞥する。
ハルヒは暗い表情のままうつむいていた。何も隠し立てする理由はない。そう思い、知っていることすべてを新川さんと森さんに話した。
「そうですか……」
うーんと考え込むようなそぶりを見せる新川さんの隣で、森さんがボソッとつぶやく。
「犯人は朝比奈みくるに違いないわ」
「園生!」
間髪いれず、新川さんが森さんをたしなめる。ハルヒはびっくりした顔で森さんを見た。森さんは、俺とハルヒの顔を一瞥した後、暗く悲しそうな表情で顔を背けて離れていった。
「お恥ずかしいところをお見せしました。もし、気分を害されたのなら謝罪いたします。申し訳ありません。森は古泉のことを弟のように可愛がっていたのです。なので今は神経質になっていて、あらぬ噂話を信じ……」
本当に申し訳なさそうに頭を深々と下げる新川さん。
「い、いや、別に……、朝比奈さんのことを悪く言われて、何とも思わないと言えば嘘になりますが、こんな事態ですし……」
「そう言っていただけると……」
「キョン、取り込み中かい?」
振り向くと、佐々木がいつもとは違う雰囲気を纏いながら立っていた。一目で何か重大な用があることがわかる。佐々木の後ろには、かしこまっているような国木田の姿があった。
「それでは、私どもはこれで……」
もう一度、深々と礼をして、新川さんは去っていった。
「実は、聞いてもらいたいことがあるんだが、今から時間大丈夫かい?」
「ああ、俺は大丈夫だが……」
ちらりとハルヒのほうに視線を向けると、ハルヒは暗い表情のまま顔を上げる。
「あたしも大丈夫よ。でも、もしあたしが邪魔なのなら、先に帰ってるわ」
「いや、涼宮さんにもぜひ聞いておいてもらいたいんだ。古泉くんのためにも」
俺とハルヒに話しかける佐々木の表情は真剣そのものだった。久しくこんな真剣な佐々木の表情は見たことが無かった。普段とは違う佐々木の様子に緊張が走った。
「わかったわ」
ハルヒがうなずくのを確認してから、俺たち四人は近くの喫茶店に入り、片隅の席に陣取った。
「で、話とはいったいなんだ?」
「実は……見たんだ、偶然」
「見た? いったい何を?」
質問に少しだけ言いあぐねた後、佐々木は決意をするように顔を上げて言った。
「古泉くんを殺した犯人さ」
「何だって!!」
思わず叫んでしまう。ハルヒも驚愕の表情で佐々木を見つめていた。
「い、いったいどこのどいつだ、犯人は?」
「あたしたちの知ってる人? いったい誰?」
「ま、まあまあ、ちょっと待ってよ」
佐々木に詰め寄った俺とハルヒを、横から国木田が止める。思わず冷静さを欠いて佐々木に詰め寄ってしまった。国木田に止められてようやくハッと我に返り、ハルヒと見つめあってから椅子に座り直した。
「実はあの日、僕と佐々木さんは光陽園駅前の公園のそばを散歩していたんだ。そしたら、公園から僕たちと同じ年恰好の女性が出てきて走り去るのを見たんだ。で、そのときは何にも思わなかったけど、いま考えてみると……」
「同じ年恰好?」
「うん、そうなんだ。ただ、問題なのは……」
国木田と佐々木がチラッと目を合わせる。いったいなんだ? もしかしたら、俺たちのよく知っている人物とか言うんじゃないだろうな? 緊張感が最高潮に達し、次の国木田の言葉を待って唾を飲み込む。
佐々木と国木田が目でチラチラと相手の意思を確認した後、国木田がおもむろに口を開く。
「僕も佐々木さんも彼女を見た記憶があるんだ。確かに知っているはずなんだ。なのに……名前が思い浮かばないんだよ」
咄嗟に国木田の言っている意味を理解することができなかった。国木田の言葉を頭の中で何度か反芻し、
「はぁ、どういうことだ?」
国木田に問い質しながら、佐々木にも視線を向ける。
「聞いたとおりだよ、キョン。犯人は僕も国木田もよく知る人物だ。でも、名前が思い出せない。絶対に名前を忘れるはずの無い人物だということはわかるのに、なぜか名前が思い浮かばないんだよ。
そして、一番不可解なのは、名前も思い出せないのに、なぜかキョン、キミが知っているということは確信をもてるんだ。彼女のことをキミが知っていると」
言葉を失った。なぜなら、常識的に考えてあまりに突飛な内容にもかかわらず、目の前の二人は真剣そのものだったからだ。とてもふざけて言っているようには見えない。
もちろん、ふざけて話すような内容の話ではないことは、ふたりは十分に理解しているはずだ。何かの目的があって、俺を惑わそうとしている……いや、それはない。長いつきあいだから、二人が嘘を言っていないことはなんとなくわかる。
しかし、名前がわからないのにその人物の交友関係を把握しているなどということがあるだろうか。逆ならばもしかしたら有り得る話かもしれないが……
なにより驚いたのは、佐々木と国木田の言い分が正しいと仮定するならば、古泉を殺害した犯人は俺の知り合いだということになる。そいつはいったい誰だ! 何のために古泉を……
佐々木と国木田は、この話をすることで何か人物特定のヒントを得られるのではないかという微かな期待を込めて、俺を見ているような気がした。だが、雲をつかむような話で二人の期待にそえることはできなさそうだ。
「もしかして……」
漂う沈黙を、ハルヒの控えめなボソボソとした声が破った。
「みくるちゃん……じゃないよね?」
「おい! ハル……」
「いや、違う!」
俺が声をあげる前に、佐々木がきっぱりと否定した。その言葉を聞いて、ハルヒは若干安堵したような表情を浮かべる。だが、目の前の二人は不思議なものを見たような表情でこちらを見ていた。
「涼宮さん、どうして朝比奈さんだと思ったんだい?」
当然抱くであろう疑問を国木田が呈した。佐々木も同じ疑問を抱いているようでハルヒの顔をじっと見つめる。ハルヒは少し言いにくそうにしていたので、実は……と俺が二人にさっきのやりとりを説明した。
「ふうん、そうなんだ」
話を聞いて、国木田が考え込むようなそぶりを見せる。周囲を見回し、ちょっと躊躇するようなそぶりを見せた後、佐々木がさっきより少し声を潜めて話しかけてきた。
「キョン、余計なお節介かも知れないけど、あまり機関の人たちを信用しないほうがいいと思うよ。僕がこんなことを言うのは筋違いだと思うかも知れないけどさ」
「おいおい、古泉は機関の人間だぞ」
「いや、僕も佐々木さんの意見に賛成だな」
国木田の予想外の言葉に三人の視線が集中する。
「僕はあまり詳しいことは知らないけどさ。いまでも暗躍しているそういう工作員みたいな人たちなら、言っちゃ悪いけど素人のキョンや涼宮さんを騙すのなんか簡単なんじゃないかな。
それに、キョンは古泉くんが機関の人間だからって言ってるけど、機関の中の内紛ってことも考えられるし、知らないうちにキョンや涼宮さんを利用してるってこともありえると思うよ」
国木田の言っていることはおそらく正しいだろう。だが、俺たちと森さんや新川さんの関係はそう簡単に理屈で割り切れるものではなかった。おそらく、ハルヒも同じ気持ちだったと思う。俺もハルヒも国木田に反論はしなかったが。
とりあえず、お互いに何かわかったことがあったら連絡しよう、ということになり、佐々木、国木田と別れて再び帰路についた。部屋へと戻った後も、ハルヒの様子は相変わらず暗くて、話しかけにくい雰囲気を纏っていた。
その後は、これといって特別なことはなく、いつもと同じような休日を過ごし、夕食を食べた。その後、リビングで寛いでいる時にそれは起こった。俺が寝そべってバラエティー番組を見ていると、突然、ハルヒが目の前の机叩いたのだ。
「な、なんだ!?」
「キョン、あたし決めたわ!」
何が起こったか咄嗟に理解できず、身体を起こしてハルヒのほうを見る。
「古泉くんを殺した犯人をこの手で捕まえるわ」
「な!?」
普段ならハルヒの言い出しそうなことと予想できただろうが、このときばかりはすぐに言葉が出てこなかった。さっきまであれほど落ち込んでいたハルヒの姿からは想像できなかったからだ。
「そうよね。いつまでも過ぎたことをクヨクヨしてるのはあたしらしくないわ。古泉くんだって、あたしたちに犯人を見つけてもらいたいって思ってるはずよ。だからキョン、協力しなさい」
「待て待て待て、お前わかってるのか? れっきとした殺人事件なんだぞ。警察だって動いてる。俺たち素人の出る幕なんかないだろ」
「警察なんかに任せておけないわ。なんとなくだけど、この事件はあたしたちじゃなければ解決できない。そう思うの。そうよ、きっと、あたしたちが解決しなければ、迷宮入りになってしまう事件よ、これは」
いつも思うが、この自信と根拠のない決めつけはいったいどこから出てくるんだろうね。確かに事件を解決したいのはやまやまなのだが、人生にはできることとできないことがあることを……
「キョン、何を言っても無駄よ! あたしこと、SOS団団長の涼宮ハルヒは一度決めたことは決して曲げたことはないわ。たとえ、あんたが協力しないと言っても、あたしは一人でこの謎を解くわ」
駄目だ、一昔前の役所のように、言っても無駄な顔になった。こうなったら従うしかない。泣く子とハルヒには勝てないと、さんざん高校時代に学んだはずなのに、一向に学習しないのはどういうわけだろうね。
これも、ハルヒに出会ってしまった運命と諦めるしかないのだろうが、もう一度だけ封印したあの言葉を使わせてくれ。
「やれやれ」
大きくため息をつく俺の顔を見て、ハルヒは勝ち誇ったように笑顔を見せた。いやいや、勝ち誇るのは事件を解決してからにしてくれよ。学生時代の出来事を走馬灯のように頭に思い浮かべながらハルヒに視線を移す。
ふと、ハルヒの笑顔に一瞬だけ違和感を感じた。高校時代に見た満面の笑顔ではなく、どこか不安を滲ませるような笑顔。むしろ、その不安をかき消そうとするかのように無理に強がっているかのようにさえ見えた。
その違和感はすぐに消え、ハルヒはいつのも満面の笑顔に戻ったのだが、一瞬だけ垣間見えた不安をかき消そうと無理をしているような笑顔が俺の心に深く焼きついた。
「どうしたの?」
「いや、それで……当てはあるのか?」
「あるわ」
意外な言葉がハルヒから返ってきた。当てがある。いったいどういうことだ?
「あんた忘れたの? 古泉くんは殺される数日前にあんたに電話してきて……」
「……そうか! アルバムか」
「そう」
「でも、アルバムは古泉が持っていったままだぞ。どうするんだ?」
「あたし二冊持ってるのよ、あのアルバム。だから、これから見てみない? なにかわかるかもしれないじゃない?」
さすがハルヒだと一瞬思ったが、その前に一つ当たり前の疑問が湧いてきた。殺人事件に比べれば些細なことかもしれないが、俺にとってはとてつもなく重大、人生を左右するかもしれない問題だ。
もしかしたら、俺ってSOS団の中で仲間外れにされてないか? 俺ってそんなに嫌われてるの? アルバムを取りにリビングから出て行こうとするハルヒの背中に問いかける。
「ちょ、ちょっと待て、なんでお前が二冊持ってるんだ? それに俺はもらってないぞ」
「はぁ?」
ハルヒは『そんなこと今はどうでもいいだろ』というような目で俺を見る。視線がすごく痛い。ついでに胃も痛い。
「今から持ってくるのはあたしの分よ。古泉くんに渡したのはあんたの分。高校卒業するときには、もうあんたとつきあってたじゃない。だから、あたしがあんたの分と合わせて二冊持ってたのよ」
さも、当然といった感じで経緯を説明するハルヒ。よかった~となぜか安堵の溜息が漏れる。俺の様子を見ていたハルヒが大きく溜息をついた。
「あんたって、結構細かいこと気にするのね。その割りに、有希やみくるちゃんには思わせぶりな態度をとったり……」
「む、細かいことじゃないだろ!」
「まあ、いいわ。アルバムとってくるから待ってなさい」
反論をスルッとかわして、部屋から出て行くハルヒ。何かいまの態度は何気に腹が立つのだが……
しばらくして、ハルヒがアルバムを持って部屋に戻って来た。机の上でアルバムをめくり、最初のページの写真からふたりでじっくりと眺める。うーん、どう見ても懐かしい写真にしか見えない。
背景やSOS団以外の人物にも注意を払いながら、ページをめくっていくが、特にこれといった写真は見当たらず、アルバムの最後のページまでたどりついた。
「何か変わった写真あった?」
「いや、全然」
ふと、最後のページに掲載されてあった写真が目に留まる。
「これは?」
「ああ、それ? それはあたしの中学校の時の写真よ。本当はみんなの過去の写真も入れたかったんだけど、有希もみくるちゃんも古泉くんも写真がないって言うじゃない。
古泉くんはともかく有希とみくるちゃんはいまから思えば当然よね。過去がないんだから。でも、せっかくだったから、あたしの写真だけは最後のページに掲載したのよ」
なぜだろう? 最後のページにあった中学時代のハルヒの写真が気になる。
「ハルヒ……この写真、いつ撮ったんだ?」
「えーと、中学校の卒業式の日よ。それがどうかしたの?」
じっくりと写真を眺めて見ても、ハルヒの中学時代の同級生らしき少女が写っているだけで、なにひとつ不思議なところはない。だが、肝心のハルヒの姿は映っていない。つまりこの写真はハルヒが撮ったものということなのだろうか。
「え、まさかその写真っていうんじゃないでしょうね? でも、それは偶然そこにあるだけで、SOS団の活動には何も関係ないわ」
ハルヒの言うとおりだ。もう一度じっくり写真を眺めると、少女の後ろにオールバックの見慣れた男子学生の姿が……谷口か?
「誰だこれは? まさか谷口の彼女というわけじゃないだろうな?」
「え!? そんなわけないでしょ、こんな美人な娘が」
ハルヒは一瞬だけ戸惑った様子を見せ、覗きこむようにアルバムの写真を見てから、呆れるように笑いながら言った。確かにその点だけは同意だ。
「じゃあ、これは一体誰だ?」
「クラスメート……かな? あれ?」
キョトンとした表情で写真を見つめるハルヒ。覚えてないのか? そりゃ、何年も昔のことだから仕方がないのかもしれないが、こんな写真を撮るってことはそれなりに仲が良かったのではないのか?
釈然としない気持ちを抱きながら、写真に映る少女を凝視する。笑顔ではないものの端正な顔立ち、抜群のプロポーション、惹きこまれていきそうな魅力的な瞳、なによりもポニーテールというのがいい。谷口なんかにはもったいない。
まじまじと見つめていると、背筋がゾッとするような視線を感じて、思わずハルヒの方を向く。ジトっとした目つきで、刺すように俺の方に視線を投げかけていた。
「キョンくんは、こんな娘がお気に入りなのかしら?」
「な、なに言ってるんだ?」
「そう言えば、この娘、どこか佐々木さんに似てるわねぇ~」
鋭い視線で睨みつけるハルヒ。そう言われてみれば、確かに顔立ちや雰囲気が似ていなくもない。
「ふ~ん、やっぱり?」
「ご、誤解だそれは」
いまにも飛びかかってきそうなハルヒを前に、あたふたと言い訳をしていると、そんな俺の姿に呆れたのか、それともあまりにも自分が嫉妬深いことに気づいたのか、ハルヒは小さくため息をついて肩を落として戦闘態勢を解いた。
ほっとしてため息をつく俺に、ハルヒは冷たい軽蔑の視線を投げかける。スマン、雑念は捨てて真剣に考えるよ。だからそんな目で見ないでくれ。
しばらくの間、俺は写真とにらめっこをしていたが、
「わからん」
諦めて、アルバムの黒い表紙を閉じた。ハルヒが安心したようながっかりしたような表情で小さくため息をついた。
「しかたがないわね。じゃあ明日、現場検証に行くわよ」
「現場検証?」
「公園よ、公園。事件は現場で起こってるのよ。だから捜査は現場を疎かにしちゃいけないの」
『どっかの刑事ドラマみたいなことを言い出したよ。まったく元気が戻ったのはいいが、ちょっと不謹慎じゃないか』などと思いながらハルヒに視線を向けると、何かを思いつめるように宙を見つめるハルヒの姿があった。その表情はさっき見た笑顔のように不安を滲ませている。
「ハルヒ?」
「え、何?」
ハルヒは不意に名前を呼ばれてびっくりしたようにこちらを見て、ぎこちない笑顔で取り繕う。何を考えていたのだろうか。何か不安に思う理由がハルヒにはあるのだろうか。だが、長いつきあいにも関わらず、いやだからこそ、それを聞くことが憚られた。
なぜなら、ハルヒが俺に隠しごとをするのは、そうせざるを得ない理由があるということを知っているからだ。言えない理由、それは俺には分からないし、知る必要のないことなのだろう。
きっとこの事件が解決すればハルヒの不安は取り除けるという確信がなぜか俺の中にはあった。どうやら、この事件の解決は避けては通れない道のようだ。古泉の無念を晴らすためにも。ハルヒの本当の元気を取り戻すためにも。俺も気合を入れなければならないみたいだな。
「わかった、じゃあ明日公園に行こう」
「うん、決まりね。じゃあそろそろ寝よっか」
両手を上にあげて背伸びをするハルヒの目をじっと見つめる。
「ハルヒ」
「な、何?」
「絶対、犯人を捕まえるぞ。俺たちの手で」
静かに言い放った俺の決意の言葉を聞いて、ハルヒは力強くうなずいた。
 
 
 
翌朝、俺たちは光陽園駅前の公園へとやって来た。警察の現場検証は終わったようで、公園はいつもの静けさを取り戻していた。行きかう人々の様子も普段通りで変わったところは特にない。
古泉を知らない大半の人間にとって、今回の事件は日本全国で数多く起こっている殺人事件のひとつでしかない。だから、近くに殺人犯が潜んでいるかもしれないという不気味さはあるものの、とりたてて騒ぎ立てるほどのことではないといった程度の認識なのだろうか。
仕方がないことだ。俺だって見知らぬ他人が殺害されたら、不気味さは感じても、だから犯人捜しをしたりするかといえばそんなことはしない。そして、事件の記憶は日々の生活に埋没いくのだろう。なんとなく一抹の寂しさのようなものを感じた。
「ここで、古泉くんが殺されたの?」
ベンチの付近を指さしてハルヒが言った。
「いや、新聞報道で見たところ、殺害されたのはこのベンチの後ろの植え込みの中ということらしい」
「ふうん」
ハルヒは、まるでテレビドラマの探偵が現場の様子を見るかのように、ベンチの周辺を見回した後、おもむろに植え込みをかき分けてその中へと侵入を試みる。途中でハルヒの侵入が止まった。
「あ、あんた誰?」
おいおい、まさか犯人が現場に戻って来たんじゃないだろうな。俺は、無我夢中で植え込みの中に駆け込んで、ハルヒの前に立つ。目の前には俺と体格が同じくらいの男性の後ろ姿があった。
「おい、あんた! ここで何をしてるんだ?」
いきなり声をかけられてびっくりしたのか、少し挙動不審になりながらこちらを振り向いたその男の顔は、俺たちを落胆させるには十分だった。
「谷口、あんた何やってんのよ、ここで」
「おい谷口、のぞきは犯罪だぞ」
知り合いだということが分かって安堵したのか、谷口は一瞬ほっとした表情を見せた後、お約束のツッコミを入れる。
「あほかお前ら! 真昼間っから人通りの多い公園でのぞきなどするか!!」
じゃあ、真夜中に人通りの少ない公園ならのぞきや痴漢行為をするのか?
「あほなことぬかすな。そんなことしなくても。俺を慕ってくれる女は何人もいるんだよ」
一瞬だけ、昨日の写真の少女が頭に浮かんだ。いやそんなことはない。あれはただのクラスメートだ。コイツとは何も関係ない。コイツと同じ学校に通っていたということ自体納得いかないが……
訝しげに俺を一瞥したハルヒは、何も言わずに谷口の方に向き直り、冷淡な口調で一言告げる。
「まあいいわ、とりあえずあんた邪魔だから退いてくれる」
「バカ野郎! 俺は用事があってここにいるんだよ。お前らこそどっか行け」
「用事っていったい何よ!」
「何だっていいだろ! 邪魔だから向こうに行ってくれ!」
この後、十五分くらいハルヒと谷口の口論が続くのだが、珍しいことにこの日は谷口が折れることはなかった。聞けば、谷口も古泉の事件について調べているらしい。
最終的に俺がふたりの仲裁に入り、何かあれば後日俺たちに報告することを約束させて、この場は谷口に譲ることになった。
「まったく、キョンは甘いんだから」
不満をぶつぶつと口にしながら帰路に着くハルヒと俺。
「しかしよく考えてみろよ。あの辺りは警察だって調べているはずだから、いまさら探したところで何も見つからないだろ」
「警察が見落としていることがあるかもしれないじゃない。それをあの谷口が見つけられると思う?」
「思わん」
「だったらなんで譲ったのよ」
ハルヒの文句は家に着くまで続いた。正直、後から考えて、どうして谷口に譲歩したのかわからない。ただ、なんとなくここを調べても意味がないと思っただけだ。なぜ、そんな気になったのだろう。
もしかしたら、すでに俺はこの事件の背後に隠された謎に気づいているのだろうか? 気づいたうえで、無意識にその事実から目を背けているのだろうか? だとしたらいったいなぜ? そしてその事実とはいったい……
結局、この日以後、何の進展もないまま時間だけが過ぎて行った。もちろん何もしていなかったわけではないが、俺もハルヒも卒業論文や来年からの就職の件で忙しく、気がつけば古泉の件は後回しになってしまっていたのだ。
 
 
そんなこんなで事件からひと月が過ぎた頃、ちょうど暇を持て余して部屋の中で寝転がって就職先となるであろう会社のパンフレットを読んでいると、なんの前触れもなく玄関のインターホンがなった。
「おーいハルヒ、誰か来たぞ」
言い終わった後に、つい今しがたハルヒが買い物に出て行ったことを思い出す。やれやれ、いったい誰だ。どっこいしょと身体を起こし、玄関の扉を開けると、そこには佐々木の姿があった。
佐々木の姿を見て、少しだけびくっとたじろいだのはおそらく気のせいだ。しかし、この来訪は予想していなかった。ハルヒと同棲して以来、佐々木が俺の部屋を訪ねてきたことなどなかったはずなのに、いったいどういう風の吹きまわしだ。
「久しぶりだな佐々木、まあ上がれ」
佐々木は玄関先で部屋の中を窺うような様子を見せた後、
「涼宮さんは外出中かい?」
小悪魔的な笑みを浮かべた。
「おいおい、何考えてるんだ。ハルヒならちょっとそこまで買い物に出かけただけで、すぐに戻ってくるぞ」
俺の話を聞いているのか聞いていないのか、佐々木は俺の片腕をつかみ、ニコッと微笑んだ。
「ちょっと話があるんだ。このまま僕と光陽園駅前の公園までつきあってくれないかい」
「だから、ハルヒに見られたら大変なことに……」
「古泉くんの事件のことなんだけど……」
古泉というキーワードが佐々木の手を振りほどこうとした俺の手を止める。
「何かわかったのか!!」
「僕のほうもあれ以来進展はない。でも、橘さんと話していて思いついたことがあるんだ。もしかしたら犯人を見つけることができるかもしれないって方法に」
「……それはいったい?」
「だからその話を公園でしたいんじゃないか」
ハルヒの顔が頭に思い浮かんだが、古泉の事と言われればこのまま断るわけのもいくまい。おそらくハルヒも許してくれるだろう。いや、それ以前に俺と佐々木の間に何かあるわけでもないし、これからも何もない。だから後ろめたいことなど何もないはずだ。
「わかった、じゃあ行こう!」
「そう言ってくれると思ったよ」
そう言うと、佐々木は自分の腕を俺の腕に絡ませた。ちょっと後ろめたさを感じながら、玄関のカギをかけ、俺は佐々木と腕を組んで公園へと向かった。
公園へと向かう途中、佐々木は俺の進路やハルヒとの今後のことについて色々と尋ねてきた。なんとなく後ろめたいような気がして、佐々木の質問に適当にあいづちを打っていると、
「キミは上の空で人の話を聞いてるね」
佐々木が少し怒りの感情を含んだ声で、睨みつけながら言った。
「すまん、古泉の事件のことで頭が一杯なんだ」
「涼宮さんに咎められることの方を心配してるんじゃないの?」
心を見透かすような視線で俺を射抜く佐々木。確かにそれもある。返答を聞いて、佐々木は大きくため息をつくと、呆れた表情で視線を逸らした。
公園の古泉と待ち合わせをした例のベンチまで来ると、そこには未来人が偉そうにふんぞり返り足を組んで座っていた。未来人と言っても愛らしい天使ではない。こちらに悪意のある視線を向けてくる小憎たらしい男、すなわち藤原だ。
「いったいどういうことだ、佐々木!! まさかお前……」
思わず立ち止り、藤原を睨みつけたまま、佐々木に問う。『もしかして罠か』そんな考えが頭をかすめた。
佐々木は少し困ったような表情をして少し間を置いた後、
「待ってくれ、キミがいま考えていることは誤解だ」
「じゃあ、なんでコイツがここにいるんだ!! 説明してくれ!」
佐々木は小さくため息をつきながら、それでもこうなることは予想していたというような様子で、自らの考えを語り始めた。
「キョン、僕はね。こう考えたんだよ。今回の犯人はおそらく一般人じゃない。だから、普通の方法では犯人を特定するのは無理なのではないか。もしかしたら、警察や政府にも圧力がかかっている可能性もあるし……
でも、犯人が古泉くんを殺害した瞬間は必ずあるはずだ。だから時間を遡って、古泉くんが殺害される現場を直接見れば、たとえどれだけ犯人が工作の上手い人間であっても、犯人を特定することができるんじゃないかと」
確かにその方法なら古泉を殺害した犯人を見つけることができる。だが、『一般人じゃない』『工作の上手い人間』……まさか佐々木は機関の人間を疑っているのか? いや、それよりまてよ。
「それだったら、俺達が古泉を助けることもできるんじゃないのか?」
ふと思いついた疑問を佐々木にぶつけると、ベンチにふんぞり返って様子を窺っていた藤原が明らかにバカにしたような態度でため息をついた。
「既に起こってしまった歴史上の事実は、それ以後の時間平面の人間が介入しても変えることはできん。そんなことも知らないのか現地人は」
知っていて当然と言わんばかりに、哀れな者を見るような視線をこちらに向けて説明する藤原。その態度に憤りを覚えて、殴りかかりそうになる俺を、まあまあと横から佐々木がなだめた。
「キミが藤原と仲が悪いことは知っている。でも、いまは古泉くんを殺害した犯人を探しだすことが優先じゃないかな。だから、少しの間でいいから彼と休戦協定を結んでくれないかい」
懇願するような瞳の佐々木を見て、俺には首肯する以外に選択の余地は無かった。だが……
「それだったらハルヒも連れてくるべきだったな」
ぼそっとつぶやいた言葉に、佐々木がムッとした表情で反応する。
「キミは相変わらず女心のわからない朴念仁だねえ。橘さんと同じことを言うなんて」
「なに!? あいつもそんなことを言っていたのか」
「そうだよ! キミは彼女のことを嫌っているようだけど、少なくとも僕から見れば、キミは彼女と同レベルだ」
断固としてそれは否定する。朝比奈さんを誘拐しようとした犯人と同レベルと言われては、俺のプライドが許さない。否! 断じて否だ。
「じゃあ、涼宮さん抜きでいっしょに過去に行ってくれるね」
優しい微笑みと鋭い目つきで確認の返答を求める佐々木。あれ!? もしかして嵌められたのか俺?
「待ちなさい!!」
返答に窮する俺を助ける鬼神の怒気がこもったような声が藤原の座るベンチの背後から聞こえた。慌てて藤原がベンチから離れる。間違いなく聞き覚えのある声、がさがさと草むらが揺れた後に、我らが団長涼宮ハルヒが姿を現した。
「え!? お前、いつからそこにいたんだ?」
一歩二歩、後ろに後ずさりしながら尋ねる俺に、
「ふん、おあいにく様。あんたが下宿から佐々木さんと仲良く手を組んで出てくるところから尾行してたんだからね!!」
勝ち誇ったように宣言した後、怒りの視線を俺にぶつけてくる。しまった、なんてことだ。この後ハルヒの罰ゲームが……
「お待ちください、涼宮様」
さらにハルヒの背後から初老の男性の声が聞こえる。さすがにこれには俺もびっくりして、思わずハルヒの出てきた草むらを凝視した。すると、黒服姿の新川さんが姿を現した。その背後からさらに森さんが、今日はメイド服姿ではなく新川さんと同じ黒服姿で、姿を現す。
新川さんは悠然と周囲を見回し、藤原と佐々木を交互に見てから、藤原に鋭い視線を向けた。
「これは、協定違反ではないのかね」
静かな声と物腰ではあるが、怒り心頭であることが容易に見てとれる。穏やかな表情ではあるものの、あの朝比奈さんが誘拐された時に見せた森さんの笑顔同様に、恐怖を感じざるを得なかった。
さすがの藤原も普段の人を嘲笑するような顔から真剣な表情へと変わる。しかし、決して屈伏しているわけではなく、いまにも目の前で決闘が始まりそうな雰囲気を醸し出している。
「ここは引きなさい。あなたの上の人間も、この状況で争うこと望んでいないでしょう?」
明らかに戦闘態勢に入った藤原の前で、あくまで紳士的な態度を新川さん。為す術もなく様子を見守っていると、
「待って!」
普段なら想像はついただろうが、さすがにこの時ばかりは予想だにしなかった。ハルヒ、さすがにこの状況は俺達が口出しできるレベルじゃないぞ。
「あたしは、佐々木さんへの感情はともかく、犯人探しのために過去に遡るのは賛成よ。だって、いまのままじゃこの事件はいずれ迷宮入りしてみんなから忘れ去られてしまうわ。そんな中で犯人がのうのうと生活してるなんて悔しいじゃない」
「しかし涼宮様……」
「わたしも賛成よ」
ここでまた、意外な人物が声を上げる。
「園生!? お前まで何を言い出すんだ!」
「わたしは……一樹を殺した犯人を絶対に許さないわ。例えそれが誰であろうとね。そのためにはまず犯人を見つけ出す必要があるわ」
「な、お前は任務を……」
「はっはっはっ」
やりとりを聞いていた藤原が勝ち誇ったように笑い出した。
「どうやら結論は出たようだなじいさん。あんた以外の連中は、皆過去に遡って犯人を見つけたいと言ってるぞ。この時間平面では多数決で物事が決まるんじゃなかったのか? まあ、怖いから残りたいと言うのであれば、あんただけこの時間平面に残しておいてやるぜ」
「くっ」
穏やかだった表情を初めて崩す新川さん。だが、どうやら話の流れは変えられないようだ。結局、俺たちは全員藤原の能力を借りて、過去に遡ることになった。
 
 
藤原がおもむろに公園の地面に円を描く。
「では、過去に遡りたい奴はこの円の中に入ってもらおうか」
円はかなり小さく、俺、ハルヒ、佐々木、藤原、新川さん、森さん、総勢六名が入るには、かなり身体を密集させなければならなかった。ハルヒを抱きしめるような格好で、俺は円の中で待機する。
「大丈夫か? ハルヒ」
「うん、あたしは平気よ。それより……」
ハルヒは上目遣いで甘えるように俺を見ていた視線を、俺の背中にくっついている佐々木に移して、キッと睨みつけた。
「気持ちはわかるが、いまは我慢してくれ」
「ふん、あんたはいつもいつも……」
最後は言葉にならない言葉をぶつぶつと呟きながら、少しふてくされたような表情で、ハルヒは顔を逸らした。
「では、行くぞ。覚悟はいいな」
藤原の人を見下したような少し癪に障る声が聞こえた直後に、例の無重力状態でぐるぐる回る感覚が襲ってきた。ハルヒの口から漏れた「くっ」という声が聞こえた。さすがのハルヒも初めての時間移動は堪えるのだろうか。
ぎゅっとハルヒを抱きしめる腕に力を入れると、ハルヒも俺の腰に回していた腕に力を入れた。長いような短いような時間が過ぎ去った後、俺たちは夜の光陽園駅前の公園に立っていた。静かな夜の公園。当然のことながら周辺に人の気配はなく、街灯が辺りを照らしていた。
大きく深呼吸をした後、各自がそれぞれ密集した状態からバラける。周囲を見回しながら、なぜか奇妙な違和感を感じた。なぜだろう。心の中にあるもやもやの原因を探ろうと、もっと辺りに注意をこらして観察し、ようやく理由がわかった。
目の前に半年ほど前に撤去されたはずの遊具があったからだ。俺がそれを言葉にしようとした瞬間、おそらく皆が抱いていたのと同じ疑問を新川さんが少しドスのきいた低い声で藤原に問い質す。
「これは一体どういうことだ? どこまで時間を遡ったんだ」
藤原は、新川さんの言葉には反応せず、驚愕した表情で周囲を見回した後、
「なぜだ! 時間平面の指定にミスはなかったはずなのに……、なぜこんなことに……」
初めて見せる藤原の戸惑った様子に、少しだけ意外なものを見た感覚を覚えた。もちろんそれは俺などには見分けられない演技なのかもしれないが……
「とにかく、もう一度時間遡行をやり直して……」
「待って!!」
新川さんの言葉を佐々木が遮る。
「彼女だ!! 彼女が古泉くんが殺害された時、公園から走り出してきたんだよ!」
佐々木が指さす先に、俺達とおそらく同年代の女性の姿があった。彼女はこちらに背を向けてどこかへと急いでいるようだった。
「ちょうどいいわ。じゃあ、あの娘を追いかければ話は早いわ」
とハルヒ。慌てて駆けだそうとするハルヒを佐々木が止める。
「待って、こんな大人数で尾行なんかしたら、いくら相手がバカでも気づかれてしまうわ。不可視遮音フィールドを張るからちょっと待ってて。九曜さん」
「え!?」
みんなの視線が佐々木に集中するのと同時に、佐々木の背後から、まるでずっとそこにいたかのような感覚を伴って、九曜周防が姿を現す。その状況を目の当たりにして、新川さんが周囲に気づかれないくらい小さく舌打ちをした。
「もう――――――――大丈――夫――――――」
「行こう!」
佐々木のかけ声とともに、俺たちは謎の女性の後を追いかけるために駆けだした。周囲に人通りは無く、そんな夜道を女性が一人で歩くのは何か事情があってのことに違いない。追いかけている最中に、新川さんが俺にそっと耳打ちをする。
「我々は嵌められたかもしれません。偶然にしては出来すぎています。ここで襲われれば、時間を遡っている以上、我々には逃げ場がありません。向こうには九曜周防もいますし……」
「な!?」
耳打ちを聞いて、初めて自分の置かれている状況を客観視することができた。しかし、藤原や九曜はともかく、佐々木が俺を嵌めるなどとは考えられないし、考えたくない。だが、新川さんはあくまで冷静沈着に
「万一の場合はわたしと園生が盾になります。あなたは涼宮様を連れてお逃げください。朝比奈みくるか長門有希に会えば、元の時間平面に帰ることができるでしょう」
「新川さんは朝比奈さんのことを……」
「わたしはあの愛らしいお嬢様が古泉殺害の犯人だとは最初から思っておりません。おそらく、黒幕は……」
そう言いながら、新川さんは藤原達の方に視線を向けた。そうこうしている内に、女性の目的地が明らかになる。見覚えのあるマンション、長門が住んでいたマンションだ。
「TFEI、長門の関係者か?」
謎の女性はマンションに入るのかと思いきや、すぐ傍の電柱に身を潜めた。
念のために俺たちも塀に身を隠して謎の女性の様子を窺う。あらためて彼女を見て、心音が高鳴るのが分かった。確かにどこかで会ったことがある。間違いなく俺は彼女を知っている。だが、どれだけ記憶を掘り起こしても、彼女の名前が思い出せない。
『思い出すべきなのだろうか』
そんな疑問すら浮かんできた。思い出してしまうと、いま自分の知っている世界が音を立てて崩れてしまいそうな不安がこみ上げてきた。
まるで世界中のすべての人々が寝静まり、時間さえも止まっているかのように錯覚してしまう静寂の中、心の中に渦巻く得体の知れない不安に終止符を打つかのように長門の住むマンションから一人の女性が出てきた。その姿を見て、思わず俺は叫んだ。
「ハルヒ!?」
驚くべきことに、マンションから出てきたのはハルヒだったのだ。隣にいたハルヒもその光景を目の当たりにして息を呑み、驚愕の表情で過去の自分を凝視する。俺が視線を向けると、ハルヒは首を横に振り全く身に覚えがないことを無言で主張した。
ふらふらとした足取り、おぼつかないような表情で、過去のハルヒはマンションの前の道を歩いていく。まるで誰かに操られているように。そんなハルヒの様子を電柱の影から窺っていた謎の女性は、険しい表情でハルヒの後を、周囲に気を配りながら慎重に、追いかけ始めた。
「どうやら北高の方に行くようだな」
俺たちの背後の電柱の影に隠れて様子を窺っていた藤原がつぶやいた。なんでそんなに後ろにいるんだ? 戦闘訓練を受けている森さんはともかく、一般女性のハルヒや佐々木の背後に隠れるとは、いくらなんでも臆病すぎないか?
「ふん、お前たちがヘマをした時に、巻き添えをくらうのはご免だからな」
「喧嘩は後にして、とにかく追いかけよう」
佐々木が提案する。みんながハルヒと謎の女性を追いかけようとした時、
「ちょっと待ってくれ!」
ハッと閃いて、思わず藤原を呼びとめてしまった。足手まといを見るような視線で刺すように俺を見る藤原。確信にも似た予感があった。この時間平面がいったい何時なのかということに。だが、それを知ることは、ある意味、俺にとって恐怖だったのかもしれない。
「今は、いったい何時なんだ?」
しかし、気づいてしまった以上、それを知らないわけにはいかない。それを尋ねない事は許されない。そんな俺の覚悟を感じ取ったのか、藤原は、いつものようにイヤミを言うこともなく、いまいる時間平面の年月日を告げた。
藤原の言葉を聞いて、恐怖が現実になる。俺たちがいまいる時間平面、つまり今日は、あの何度も何度も夢に出てくる、ハルヒが俺の部屋から出て行った日だ。もしかして、俺はもう自分でも気づかないくらい真実に近づいているのか?
『――――有希が――――』
不意に、あの日ハルヒが出ていく少し前に、ハルヒが長門の名前を口にしていた情景が、声が頭の中に浮かんだ。だが、ハルヒの声で有希という声は鮮明に頭の中に再生されるのに、なぜかその時の話の内容が全く思い出せない。
なぜだ! こんな重要な事をなぜ思い出せない。なにより、いまの今まで話があったことすら忘れていたことがあまりにも不可解だ。あの日、俺はハルヒにいったい何を告げられたのだ? どんな話をしたんだ?
不意に肩に何かに触られたような感触を覚え、振り返ると、新川さんが俺の肩に手を置いていた。
「ご様子から察するに、何か気になることがあるのはわかります。でも今は、彼女たちを追いかけることに専念しましょう」
謎の女性から視線を逸らさず、新川さんが静かな声でそう言った。確かにその通りだ。このままハルヒや古泉殺害の容疑者を見失ったのでは本末転倒だ。意を決し、俺たちは前を行く二人の少女を追いかけた。
北高への坂道を呆然とした様子で登って行くハルヒはどこかこの世の存在ではないように思えた。ちょうどハルヒの頭の上には大きな満月が出ており、月明かりに照らされた夜道はどこか幻想的な感じすらした。
まるで、おとぎ話のかぐや姫のように、このまま月に帰ってしまうのではないだろうか、そんな荒唐無稽な考えが頭に思い浮かぶ。いま自分のいるこの世界自体が現実感を喪失しているような感覚さえ覚えた。
そんなハルヒを変わらず険しい顔つきで追いかける謎の女性。ハルヒを見るその瞳には強い意志が宿っているように思えた。彼女の目的が何であるかはわからない。だが、目的はわからずとも、誰一人彼女を止めることはできないであろうことは容易に想像がつく。
強い意志の宿るその瞳は、何かを俺に訴えかけているようにさえ感じた。そう何かを……
だが、それを思い出すことを俺は恐れている。いままでずっと心の中でくすぶり続けてきたことが、段々と言葉となって理解し始めている自分に気づく。そうだ、俺はずっと恐れていたのだ。真実に気づくことに。
意図的に、俺が目を背けているもの。それが何であるかはまだわからない。だが、彼女の瞳を見ていると、それを思い出しそうになる……どこかで見たことのあるその瞳に言い知れぬ不安を感じて、思わず目を背けた。
「どうしたんだい? キョン」
「いや……」
俺の様子を不審に思ったのだろうか、佐々木が気遣いの言葉をかけてくる。こちらを一瞥した藤原が目の端に映る。そんな佐々木達の一挙手一投足を、鋭い目つきをした新川さんが、決してこちらに視線を向けないようにして、ひそかに窺っていた。
そうこうしている内に、北高の校舎が見えてきた。なぜか校門が開いている。まるで予め誰かが来ることが分かっていたかのように。ハルヒはそのままふらふらと校門をくぐり、校舎の中に入って行った。謎の女性もそれに続く。
ふと見ると、旧校舎の一室に電灯が灯っていた。それが文芸部室であることは容易に想像がついた。おそらく、ハルヒは旧校舎の文芸部室へと向かっているのだろう。謎の女性もハルヒを追って文芸部室に向かうはず。
「文芸部室の方に向かっているようですね。どうしましょうか?」
新川さんが皆の意見を求める。藤原がいつもと同じように嘲笑するように答えた。
「行くしかないだろ。ここまで来たんだから」
「待って!」
予想外に、何かに怯えたような表情でハルヒが口をはさむ。
「どうしても……行かなきゃ駄目?」
絞り出すように弱気な声を出すハルヒ。想像しなかった、ハルヒがこんなことを言うとは。それ以前に、こんなに怯えているハルヒを見るのは古泉から電話がかかって来た時以来だ。だが、さらに驚くべきことが起こる。
「涼宮さん、ここまで来ておいていまさらそれはないよ」
佐々木が厳しい口調でハルヒに告げる。思わず佐々木の顔をのぞきこむと、普段見たことのない厳しい視線でハルヒを突きさすように見ていた。
「佐々……木……?」
「行くよ、キョン」
抗い難い雰囲気を身に纏いながら佐々木が告げる。ハルヒに視線を向けると、怯えた表情のハルヒは俺と目を合わせて一瞬だけ時間を置いた後、意を決したように首肯し、そのまま追いかけることに同意した。
「いざという時は……」
ぼそっと新川さんがすれ違いざまにつぶやく。急激に焦りと不安がこみ上げてきた。何かがやばい。真実から目を逸らすなと、本能が俺に告げている。だが、どれだけ記憶をたどっても、それが何かがわからない。焦る。全身から嫌な汗が吹き出してきた。
ヒントはもう与えられているはず……なんだ、いったいなんなんだ。部屋から出ていくハルヒ、古泉の電話、奇妙な夢、アルバムの写真、佐々木や藤原、新川さんの顔、谷口の奇妙な行動、走馬灯のようにいままでの出来事が頭に浮かんでは消えていく。
藤原に先導されるように校門をくぐり抜け、小走りに新校舎の玄関まで来た時、突然落雷に打たれたかのような衝撃を受けて息を呑み思わず立ち止った。後をついて来ていたハルヒが背中にぶつかる。
「ちょ、どうしたのよ、キョン」
ハルヒが驚いたような声をかけた。様子がおかしいと思ったのか、みんなが立ち止り全員の視線が俺に集中する。だが、そんなことが気にならないくらい、気づいた事実に衝撃を受け、その場で呆然と立ち尽くしていた。
薄暗い校舎の玄関で、何秒か、刹那の時間が過ぎ去った後、ようやく俺は、焦点の定まらぬ目で、一言だけ口にすることができた。
「重なった…………」
 
 
第四章へ~
 


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