「あふ……ふあ…………おはようごらいますぅ…………んんっ……こころほれすかぁ?」


 会長宅の、とある客室。
 食前酒で泥酔状態になると言う不祥事を起こした橘京子。彼女が次に意識を取り戻したのは、そのベッドの上だった。
「起きたか。ようやく」
 やれやれと呟きながら、俺は座っていた椅子から腰を上げ、ベッドでもぞもぞしている彼女の元へと立ち寄った。
 俺だけではない。心配そうな顔で彼女の様子を見守る藤原、そして無表情ながらもどこか彼女を気にかけたような態度を見せる九曜、そして何時に無く真剣な顔をする古泉も一緒である。
「気分はどうですか、橘さん」
「ひああ……ちょっと頭がクラクラしますぅ……」
 そらまあそうだろう。何でかと言えば、
「食前酒とはいえコアントローを原酒のまま飲むなんて、無謀にも程があります」
「うう……だって良い匂いがしてたから……」
「良い匂いがしようと口当たりが良くても、お酒はお酒。一気飲みなど言語道断です。ペースを考えて飲むようにしてください」
 って訳である。
 ったく、何にも考えてないクセに食い意地だけはいっちょ前なんだから。もうちょっとでいいから後先の事を考えて行動して欲しいものである。
「ふいい……気をつけます……」
「くくっ、分かれば宜しいです」と、いつものスマイルを見せた古泉は、「そうだ、森さんが二日酔いに良く効く薬を沢山お持ちですので、理由を申し上げて少し分けてもらいましょう」
「ああ、そうだな」
 何故森さんが二日酔いに良く効く薬を持っているのか理由を聞きたい衝動に駆られたのだが、古泉の笑顔の奥底に潜む『聞かないで下さい。絶対に』と言う悲痛な叫びを感じ取った俺は適当な相槌を返すに留まった。
 ……まあ、聞かなくても何となく分かるんだが……
「では。少々お待ちを」
 軽快な足音を響かせながら、超能力少年はその場を後にし――残るは俺と藤原、九曜、そしてベッドで寝ている橘。
 因みにその『機関』の皆々様、そして会長と喜緑さん(つまりここにいるヤツ以外全員)は、大ホール手前の控室(パーティが始まるまで俺がいたところだ)にて待機中である。
 本来ならそのままパーティを続行してもいいのだが、あんな事件が発生した後では和気藹々と飲み食いできるものではない。興ざめだ。
 会長は早々にパーティを中止して現場保存と容疑者確保のために皆を一室に閉じ込め――俺達は橘の看病のため別室に行くことを許されたが――自らもその場に赴き、監視の目を光らせ動きを封じているのだ。
 念のために言っておくが、まだ犯人が『機関』の人たちと決まったわけはない。それどころか外部犯という可能性もあるのだが……会長は『機関』の連中が犯人と言って聞かないのだ。
 その辺は度が過ぎるほどの確執が二者の間にあるのだが、それに関しては俺がどうこう言うべき問題でもないし、言ったところで聞く耳持つわけでもない。
 その会長は先ほど橘が酩酊状態で言った電波な一言が耳に残ったらしく、『彼女に任せる。目が覚めたら推理してくれ。お前達も協力してくれ』と懇願してきた。
 さて、困った。
 前者はともかく、後者はどだい無理な相談だ。何しろ俺は女神像を見終わった後ずっと寝てたんだからな。
 だから会長に進言することにした。「『機関』の力を総動員して捜査すれば真犯人を探し出すことなんか造作もないんじゃ」ってね。
 しかし彼は頑なに拒否した。理由はもちろん潔癖なまでの『機関』嫌悪症によるものだ。むしろその『機関』が信用ならないから外部の人間に頼んでいるんだと諭されたくらいだ。
 ならオーソドックスに警察にでも任せればいいじゃないか。こうも進言してみたのだが、こちらは会長に加えて『機関』側も拒否した。表立っての理由は会長宅の世間体を気にしてとなっているが、恐らく『機関』の存在を公にされるのを嫌ってのことだと思う。
 やれやれ。俺にどうしろっていうのかね。
 真面目な話、本気で全てを橘に一任してみるか。コイツが勝手に推理して勝手に犯人を当てて、ソレっぽいトリックや最もらしい犯行動機を語ってくれれば非常にありがたい。
 もちろん健常者に対して斜め四十五度で突き進む橘京子のことだから俺の計画どおりには行かないだろうが、しかし外れたところで俺に被害があるわけでもない。
 ついでに森さんの再教育が始まって橘も真っ当な人生を歩むことになる。ハハハハハ、ラッキー。
「……いや、いくらなんでもやり過ぎか」
 さすがに良心が痛んだ。
 いくら空気が読めないイタイ子だと言っても、根はマジメ……でもないが……いや、ああ見えて友達思い……って程でもないが……いやいや、彼女にだって一つや二つくらいいいところが……ないなあ……。
 いかんいかん、弱気になってどうする。俺。
 ともかく、橘の存在意義がどうであれ、この事件を解決しなければ家にも帰れないし、いくら眠っていたからとは言っても俺は当事者の一人であることは変わりない。
 新年早々、さっそくの面倒事だが――しかたあるまい。
 真犯人……宝石を盗んだ張本人を見つけ出そうじゃないか。


「ふう……それにしても困りましたね。まさかこんなことになるなんて……」
 古泉が出て行って緊張の糸が解けたのか、橘はふうと溜息を漏らした。
「全くまさかの展開だぜ。一体誰のせいなんだろうな」
 言って懐疑的な視線をその張本人に送る。どうせこいつのことだから反省とか自覚とかそんな大層なことはしないんだろうが……と思ったが、
「うん、あたしのせいですよね、ごめんなさい」
 身を起こし、ちょこんとツインテールを垂らした。
 コイツから謝罪の言葉をかけるなんて珍しい。久々に自分の責任を感じているのだろうか。ちょっとしたサプライズだぜ。
「あたしが余計なことをしたばかりに迷惑をかけて。ポンジーくんにも迷惑かけちゃいました」
「あ、あんたは悪くないさ。僕がもっと注意すべきだったんだ」
「いいえ、そうは言ってもあたしがしでかしたことですし……九曜さんも、ごめんなさい」
「――――気にしない―――――気にしない――――…………一休み――――一休み…………」
「うん、ありがとう、キョンくんも、ごめんね」
「分かればいい」
 さしもの俺も、ここまで丁寧に謝られたらこれ以上言い返すことはできない。こいつにしては珍しく神妙な謝り方だったし、反省もしているようだ。これ以上彼女を責めてもしょうがないと思った俺は、
「過ぎた事は仕方ない。それよりも今後の対策を考えようじゃないか」
「そうですね、それがいいと思います」
「先ずは……そうだな、一人一人聞き込みを開始することから始めるか」
 フィクションだろうがノンフィクションだろうが、事件解決の糸口はこう言う地味な捜査活動から始まるものだ。めんどくさい事この上ないが、仕方あるまい。
 俺の言葉に、九曜も、そして藤原も首を縦に振り、そして
「聞き込み……ですか?」
 しかし橘だけは露骨に嫌な顔をした。いかにもやりたくありません、っていうオーラを醸し出している。
「誰にだって聞かれたくないものがあるものですし、それをむやみやたらに聞き出すのはあまり誠実な方法とはいえないのです」
 まあ、一理ある。目撃者が言いたくない事もあれば逆に捜査側が聞きたくないような内容だってあるだろう。しかし、そんなことを言ってては真実を追究することなど夢のまた夢だ。
「真実……って、そんな大げさな」
 大げさなものか。
「あたしとしては他言無用、関係のない方にはできるだけお話しない方向で事を進めたいのですが」
「他言無用といってもなあ……」
 ここにいる全員は既に分かりきったことなんだが。
「ええっ! そうなんですか!? あたしったらそんな恥ずかしいところを皆さんにお見せしたんですか?」
 何をそんなに驚いているのだろうか。そして宝石が盗まれたことで何が恥ずかしいのだろうか。
「いやだっ! 下戸なのがバレちゃう!」
 下戸……? 宝石と下戸に何の関連があるんだ?
「あのなあ……お前一体何をいってるんだ?」
 ――そしてこの後、彼女の恐ろしき解答が俺達を戦慄の渦に巻き込んだ。


「へ? あたしお酒に弱いからその対策をしましょうって話じゃないんですか?」


 ――確かに一気に飲んだのも悪かったですけど、でもそんなに濃いお酒なら前もって言うべきだと思うんです。
 ――だって『乾杯』って杯を乾かすって書くじゃないですか。残すのはルール違反なのです。
 ――それに森さんがどんどん注いでくれるからあたしもつい煽っちゃって……今考えるとどうして森さんがあんなに進めたか分かった気がします。あたしを酔わせるのが目的だったんですね。
 ――あたしを酔わせて何をする気だったのかしら。実は森さんってガチレズ? うん、あり得るわ。相手は年増のオバサンですからね。純真無垢のあたしの秘宝を狙って……きゃー、危なかった。
 ――キョンくんのおかげで助かりました。あのままだったら純潔が奪われたかもしれません。感謝します。
 ――あ、でも。まさかあたしの寝ている時に操を奪ったりなんかしてませんよね……って、どうして床の下で寝てるんですか? 風邪引きますよ?


『健常者に対して斜め四十五度で突き進む橘京子』
 ふと、俺自身が発言した言葉を思い返した。
 そうなのだ。コイツはこう言うヤツなんだ。
 油断すると足元を救われる。常に気を配らないと、何をしでかすかわからんヤツなのだ。
 と、思い込みに自省を促しつつ、俺は若干冷たいフロアカーペットから何とか立ち上がり――

「――――酒席の……前には――――牛乳を飲む…………――――これ……常識――――」
「そうなんですか九曜さん?」
「もちの―――ろん…………――――忘年会の――――シーズンには…………欠かせない――――」
 忘年会のシーズンって。もう年は明けているぞ。それ以前に未成年の飲酒は法律で禁止されているから俺達には必要ないだろ。
「そ、そうだったのか……僕はオーソドックスにウ○ンやヘ○リーゼを服用していたのだが……これからは試してみることしよう」
「ああ、胃に膜を作るってもっぱらの噂ですしね」
「それ――――は…………――事実と――違う……――」
「ええっ! ウソ! あたしずっと信じてたのに! 何がどう違うんですか!?」
「――――ググレ…………カス――――」
「ふむふむ……忘年会のシーズンには牛乳……と。根拠は『ググレカス』と。なるほどなるほど……」

 ――そして再び突っ伏した。

「あれ? キョンくんまたオネムですか? よかったらこのベッド使いますか?」
「一緒に――寝る…………――――添い寝…………――――むしろ夜這――――――――」
「きゃー! 新年早々大胆! いわゆる『姫始め』ってヤツですね!」
「なっ! そんなこと僕が許さん!」
「…………」
 なおもキャーキャー喚く三人に対し、心の奥底から切に願った。
「……頼むからアホに水準を合わせないでくれ……対応できん……」と。


「まあ……お酒に強い弱いは大学に入ってサークル活動でもし始めてから考えることにしてだな、」
 このまま寝ていてもどんどん道が逸れるだけなので、重い腰を上げて何とか話を正常化しようと思う。本当は古泉の仕事なんだが、席を外しているので仕方ない。
「取敢えずは宝石を盗んだ泥棒を捕まえようぜ」
「へ!? 泥棒!?」
 何故か驚いたような声をあげた。
「泥棒って……何のことでしょうか?」
 何を言ってるんだ、今更。
「だから、あの宝石だよ、会長が自慢していたあのアレキサンドライトって言う宝石」
「はあ、それは知ってますが」
「それが盗まれんだよ、いいか。ここまでは分かるか?」
「ああ、そう言えば何となく記憶の片隅に…………え?」
 何かを思い出すような素振りを見せた後、
「えーーーーっ!! あたっ…………あたたたたたっ…………」
 激しく絶叫し、そして頭を押さえて蹲った。二日酔いなのを忘れてたな、こいつ。
「あたっ、あたった……あたっし、知りませんよっ! 全っ然! 記憶にありません!」
「つまり酒を飲みすぎて、あそこで何があったか覚えてないわけだ」
「あうっ」と微妙な声を出した彼女は、「……じ、実はそうなんです……」
「ってことは、あの時お前が言った事も覚えてないのか?」
「はあ……あたし何か変なこと仰いましたか?」
 ふう……これだからこやつは…………何で一から十まで説明せんといかんのだ?
「あのな、犯人を見つけ出すんだとよ。お前が」
「……へ?」
「だから、お前が、宝石を盗んだ、犯人を、捕まえるんだ。わかったか?」
「…………」
「おい」
「…………」
「聞いてるか? たち」
「えーっ!!!」
 絶叫で再び頭を押さえて蹲った。学習能力無いのかお前は。
「ど…………ど…………どうするんですか!」
「自業自得だ。頑張れよ」と言おうとしたが、残念ながら問い掛け先は俺ではなかった。
「ぽ、ポンジーくん!」
「えええっ!? ぼ、僕!?」
 自分に振られるとは思っていなかったらしく、ポンジーこと藤原は頓狂な声を上げた(俺じゃないのか?)。
「だって! だって! あの宝石……あの宝石……ぐす」
 あーあ。泣かせたよ、こいつ。
「いーけないんだ――――――――イケメン…………だ――――――」
 九曜、若干古いぞ。
「わ、わかった! 僕も協力しよう! 協力するから泣かないでくれ!」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、何とかして犯人をねつ……熱情的に探そうじゃないか。それに僕はあそこで警備をしてたし、よくよく時間を振り返って現場を確認すれば、きっと犯人をでっ……デッドエンドに追い込めるはず!」
「本当の、本当ですか? あたしのために協力してくれる?」
「ああ、僕の辞書に『禁則事項』という言葉は無い!」
「やったぁ! それじゃあお願いします!」
「ま、任せておけ!」
 橘の黄色い声援に、若干顔を紅くする藤原。あーあ。見事につられたな。
「キョンくんも、捜査お願いします。決して足手まといにはなりません。直ぐに見つけ出してやります」
 橘にそれが出来るかどうか甚だ疑問だが、当の本人のやる気だけは買おう。それに元々捜査には協力する気だったしな。早く犯人を見つけて帰らせてもらおう。
「九曜さんも、よろしくお願いしますね」
 というものの、部屋の隅でオブジェと化した九曜はただただ無言。しかしこいつの無言は基本的に肯定の返事だけどな。
「というか、九曜に真相を聞いた方が早いだろ。犯人が誰なのか教えてくれるはずだ」
 すっかり忘れていたが、九曜は広域宇宙に蔓延る超高度情報集積体の末端、万能宇宙人である。今回の事件の真相も最初から最後まで全てお見通しのはず。その彼女に話を聞けば犯人も誰だか直ぐにわかるってもんだ。
 これで一件落着だ……と、思ったのだが。
「ダメですっ! 九曜さんに聞いちゃ!」
 否定したのは橘だった。「どうしてだ?」
「そ、それは……ですね、ポンジーくん、お願い」
「宇宙人の力を借りて事件の真相を探るのは簡単だが、それはチーティングに等しい行為だ。僕達人間が起こした事件は、僕達人間の手によって解決すべき。そう思わないか?」
 いや、全然。
「ふっ、これだから過去人形は嫌いなんだ。規定事項は規定事項であ」
「九曜、真相を教えてくれ」
「人の話を聞きやがれぇぇ!!」
 こいつの叫びは無視。既定事項だろうが何だろうが、メンドクサイことに構ってられっか。誰が何と言おうと楽な解決法を取る。
 俺の問い掛けに九曜は一瞬天蓋の方向に目を向け、そして再び俺の方に視線を落とし、一言。
「…………――――真相解明――――不能……――――」
 は?
「どうしてだ?」
「――――ジャミング――――発生した――――――――恐らく…………――――喜緑――――――江美里――――――の……………妨害…………――――」
 どうして喜緑さんがそんなことを?
「恐らく、あの時のことをずっと引き摺っているのだろう」
 ――ああ、なるほどね。
 二年生になって間もない春。佐々木に呼ばれて駆けつけた喫茶店での出来事。
 持ってきたコーヒーをテーブルに置こうとした喜緑さんと、それを拒否した九曜。
 素人目にはそのようにしか映らなかったのだが、そこでどのような攻防があったのかは定かではないのだが……二人の間に確執が生まれたのは確かだった。
 今回も特に変わりなく接しているように見えた二人だったが、その確執が未だ張り込めているのかもしれない。多分、互いの力を制止しあっているかのように。
「だとすると、九曜の力を借りるのは無理か」
「ふっ、だから言ったじゃないか。これは規定事項だって。僕たちの手で解決しなければいけないんだ」
 若干自慢気に言うこいつが憎たらしかったが、そう言うことなら仕方ない。
「俺達だけで真相を解明していくことにするか。それでいいんだろ。藤原、橘」
「おう」
「はいっ」
 俺の言葉に、威勢良く返答した。


 ここから先、なるべく真剣に物事を進めるため余り面白くも無いかもしれないが、その辺はご了承していただきたい。
 橘辺りが的外れなことを言うかも知れないがその辺もお約束と言うことで一応断っておく。



「まずは簡単に事件の成り行きを説明致します」
 ホワイトボードに赤のマーカーで『宝石盗難事件対策本部』と書いた即席メイドは、頭痛でのた打ち回っていた先ほどとは打って変わり、冬眠から目が覚めた蛙の如く元気に文字を書き連ねていった。
 古泉が持ってきた『良く効く薬』とやらの効果は抜群だったらしい。
 因みにこのホワイトボード、会長の『事件解決のためになるなら家にあるもの何でも使ってもいいぞ』という寛大なお気持ちによって貸与されたものである。感謝感謝。
 ただ……何でも良いといったものの、会長が身に付けていた伊達眼鏡を借りる必要はどこにあったのかね、橘さん?
「雰囲気作りなのです」
 ふふん、と眼鏡の鼻をを押さえながら自慢気に答えた。やれやれ。
 若干どころか大部分の思考がイミフな彼女ではあるが、それでも何をすべきなのかは自分なりに把握しているらしく、続けて「経緯」と書き込み、同じく会長に用意してもらった指示棒でパンパンと叩くと、
「本日、一月一日。ここ会長さん自宅、大ホールにおきまして、家宝のアレ……アレ……アレ何とかという宝石が何者かによって盗まれてしまいました」
「アレキサンドライト、な」ちょっとは覚える努力をしろよ。
「んん……! もうっ! ガヤ厳禁ですっ!」
 ガヤってお前……いや、ここで更に突っ込んだら話が余計こじれる。
「続けてください、名探偵橘京子様」
「ま、いいでしょう。それでは続けます」
 KYなメガネ姿は鷹揚に頷いた。
「当時、宝石は会長さんがご用意した指輪にはめ込んだそうで、その指輪は金色の女神像の両手に設置されてたそうです。また、この時からパーティが始まるまでの間、女神像には白い布が被されていたそうです」
 俺的注:橘の説明に「~そうです」ってのが多いが、これは現場に居なかった橘が人づてに(正確には藤原に)聞いた話だからである。
「宝石はそれまでこの家にあったわけではなく、行きつけの宝石店に管理の意味もこめて預けてありました。と言うことは、犯人はたまたま泥棒に入った盗っ人さんではなく、事情を知る内部の人間だと思われます」
 橘の説明に、皆が頷いた。クローズドサークルと言うほど閉鎖された場所で起きた事件ではないが、上記のこともあって外部の犯行を決めつけるにはかなり無理がある。
 考えても見て欲しい。真っ昼間から自分の身長の二倍はありそうな柵を越え、身を隠すところもない庭園を突っ切り、そして誰がいるとも解らぬホールへと侵入し、あまつさえ布に覆い隠された宝石を盗む確率が如何ほどのものか。
 それよりは、内部の人間が犯行を起こしたと考えた方が信憑性が高い。
 恐らくは……会長との軋轢がある、『機関』の人間。会長への嫌がらせのために宝石を盗んだと考えるのが一番理に叶っている。
 しかし、何故『彼ら』が……俺なんかよりも人間が出来ているはずの『機関』の彼らが何故こんな事件を起こしたというのか……? それだけは未だ謎である(本当に彼らの犯行なのか?)。
「この事件のポイントは二つあります」
 そんな俺の心情を余所に、橘は一人解説を続ける。
「まず一つ、犯人はどうやって宝石を盗んだのか。そしてもう一つ、いつ宝石を盗んだのか。この二つを見極めることが事件の真相を暴く鍵となるでしょう。まず最初の疑問ですが、」
 ここで一旦言葉を切り、手にとった黒マーカーでデッサンをし始めた。何の絵かと言われれば、女神像の絵である。
 チョコチョコっと書いた程度の下絵に過ぎないのだが、なかなかどうして。芸術家の卵並に上手かったりする。天は二物を与えずとはよく言ったものだ。或いは人は見掛けに依らぬと言うべきか。
 その無意味なほどディテールに拘ったモノトーン画に対し、橘は全長や台座の高さを示す数字を書き込み、
「この女神像、等身よりも大柄な造りになっているのに加え、台座の高さも結構あります。つまり宝石があった女神像の両手の高さは、あたしはもちろんのこと、長身の古泉さんや会長さんですら手を伸ばしても届かないでしょう。そうですよね、古泉さん?」
「仰るとおりです」
 ツカツカとホワイトボードの前まで立ち寄ったスマイルくんは、青いマーカーで橘の書いた絵を指した。
「僕の目測ですと、宝石があった場所の高さは三メートルはあるでしょう。無論、手を伸ばしたところで宝石に手が届くのは誰一人としていないでしょうね」
「ジャンプすれば届くだろう」これは藤原の意見。しかしいつものスマイルで言葉を返す。
「確かに、助走をつけ渾身の力で跳躍すれば或いは届くかもしれません。ですが、あの指輪を外す程の力を込めるのは実質不可能かと思われます」
 俺もそう思う。あの指輪は結構きっちりと女神像にはまっていたからな。結構力を入れて抜かないと外せないと思うぜ。それにそんな乱暴なやり方で指輪を外せば被せてあった布に痕がつく。それこそ指輪を盗もうとしたことが丸わかりの、な。
「布を外した後に指輪を取ればいいじゃないか」
「いや、それも無理だ」
 何故だ、と言わんばかりに顔を顰める藤原に説明してやった。「その後、どうやって布を被せるつもりだ?」
 先にも言ったが、あの像は台座含め三メートル超のデカブツだ。その像に対して、どうやって元通り布を被せるつもりなのか。会長がやったみたいにエレベーターを下げて被せるならともかく、普通の方法じゃ綺麗に被せやしない。
「恐らく犯人は、何かしらの道具を使用して取り外したのでしょう」
「でも、そんな道具を使って大々的に取り外していたら、いくら何でも気付かれますよ、ポンジーくんに」
 これもその通りだ。椅子や脚立等に乗って被せるのは造作も無いことだが、そんなことをすれば間違いなく怪しまれるはず。
「うん、そのとおりです。ポイントは三つあります」
 橘は置いてあった赤のマーカーに持ち替えて、よく分かるチャート式参考書の如く赤い囲みを加え、連々と書き加えていったのが以下のものである。


 ☆ 京子のワンポイント! ⌒(^ー’)⌒b

 ・犯人はどうやって三メートルも上にある宝石をうばい取ったのか?
 ・犯行を遮る白い布をどうかわしたのか?
 ・警備員たるポンジーくんの目をどう潜りぬけたか?


「うわあ……」
 つっこみてえ。っていうかつっこまずにはいられない。
 ワンポイントの内容はともかく、その顔文字は一体何だんだ? しかも手書きかよおい。
「そ……そうだな……概ねそんなところだよな……」
 少し声が裏返っているかもしれないがカンベンして欲しい。
「そ、そうですね……中々要点をついた意見だと思います」
 努めて平然と言う古泉も、無理矢理細めた目の脇に流れる汗が俺と同じフィーリングであることを物語ってる。
 もう二人ともボーダーラインギリギリ、口から言葉が出かかっているのだが、ここで突っ込んだら負けであることを十二分に実感している俺達は賢者や仙人にも勝る精神力で押さえ込み、その顔文字を見てみぬフリをすることにした。
「ふむう、そうですよね。この辺の解明が犯人確保の足がかりとなりそうです。どうですかあたしの洞察力は!?」
 空気を読む素振りすら見せない達筆メイドはまたしても鼻を鳴らした。まあ……どうでもいいけど。
 それはさておき、橘が上げてくれたポイントもそのとおりなのだが、俺はもう一つ疑問に思っていることがある。しかし疑問と言うよりは違和感のレベルなのでまだ公にはできない。
 そうだな……もう少し捜査が進んだところで少しずつ公言していきたいと思う。
「犯行方法を探るのはここでは限度があります。後ほど事情聴取も行うことですし、犯行時間における検証に移りませんか?」
 古泉の提案に、皆が頷いた。もしかしたら早く話を変えたいだけなのかもしれないが、その辺は古泉の深層心理を汲み取っていただければ自ずと解るはずなので俺からは何も言わず、ただただ首を真っ直ぐ縦に動かすのみである。
「犯行時刻は皆さんがホールから出て行った時刻である十五時半から、同じくこのホールに人が集まり始めた十七時半までの間、この二時間の間に行われたのでは無いかと推測します。異論のある方は挙手をお願いします」
「異論ってほどじゃないが」と、質問する形で切り返す俺。「その時間は藤原がホールの警備をしてたはずだぜ。その監視の目をかいくぐってどうやって盗んだと言うんだ?」
「確かに」
 うん、と頷いた橘は椅子に腰掛けていた藤原にへと向かって歩き出した。
「あなたは会長さんご指示の下、ホールの監視を頼まれていましたね」
「ああ」
「では伺います。犯行可能な二時間の間に、誰がホールに来たか覚えていますか?」
「ええと……あのバトラーとメイド、それにあのエレベーター係の兄弟もいたな」
 要約すると『機関』の人間全員が訪れたことになる。
「すると、全員があの女神像に近づくチャンスがあったわけですね」
 そうなるな。
「ならば」
 何かを思いついたのか、橘はマーカーを手にとってホワイトボードの左上に「新川」と記入した。続いてその下に「森」。以下同様に多丸さん兄弟の名前も縦一列に書かれていく。
 その後、「新川」の文字の上から右端に向かって矢印を記入。右端に「17:30」、左端に「15:30」と書き、中央は「16:30」の文字が連なる。
 いわゆる、タイムテーブルってやつだ。
「よし、これでいいわね」
 ここで橘はマーカーにキャップを被せ、そのまま対面にいた藤原に突きつける。
「ポンジーくん、皆さんがホールに来た時間を書き込んで下さい。そこから犯行時間の割り出しをしましょう。ホールに来た時間これ即ちその人が犯行が可能だった時間と考えてよいでしょう」
 橘としては名案だった。時間の整理とアリバイ証明は犯人を見つける上で重要な手がかりとなるはずだ。
「ああ、わかった」とマーカーを受け取った藤原は、自分の記憶を頼りにホールに来た全員の時間を書き込んでいく。
 キュキュ、と、マーカー独特の筆記音だけが辺りに響き渡る。何故かって? 俺達が一言も発せずその様を見ているからだ。
 何かを思い出すような仕草をしては再びマーカーを走らせ、走らせては止めてを繰り返し――やがて、
「ん、こんなもんか」
 パチンと蓋をし、ホワイトボードを俺達の方へと向けた。
 それでは宝石盗難事件対策本部プレゼンツ、『家政婦は見た』ならぬ『警備員は見た』。
 本邦初公開!

 ……いやまあそんなに大したものじゃないが、とにかく見てくれ。


┌───────────────────────────────────┐
│                                                       │
│              ☆宝石盗難事件対策本部☆                       │
│                                                       │
│○客員がホールに向かった時間体                                │
│                                                       │
│     15:30<――――――――――16:30――――――――――>17:30      │
│                                                       │
│ 新川     <――――>                  <―――>          │
│ 森                               <―――――>           │
│ 田丸兄         <―――>                                 │
│ 田丸弟                                 <――>          │
│                                                       │
│                                                       │
└───────────────────────────────────┘


 さて、ここで何点か捕捉と注意事項をお伝えしたい。
 先ず一つ。各員がこのホールへと赴いた目的は種々様々でそれなりの名目があり、その場にいた藤原も当然それを知っている。本来ならその件に対して藤原に事細かく聞くところなのだが、とりあえず今回は省略することにした。
 何故かって言われれば、曖昧な伝聞しかない藤原の証言を聞くよりも、この後の事情聴取で各々に対して詳細を聞いた方が早いと思ったからである。藤原の証言はそこで照合すればいいしな。
 続いて藤原が書いた矢印に詳しい時間が書かれてない件だが、曰く「細かい時間は覚えてない」とのこと。ま、確かに都合よく時間だけ見てるわけにもいかないだろうし、仕方ないことではある。詳しい時間はやはり各々の取調べで追求していこうと思う。
 そして最後、ホワイトボードに書かれた漢字に間違いがあるのだが……それは書いた人物の人となりを思い起こしていただければ自ずと分かっていただけると思う。
 決して俺からは突っ込まないからな。絶対に。


「こうやって見ると、犯行可能時間の殆どにおいて、最低一人はホールにいたことになるんだな」
 気を取り直し、ホワイトボードを矯めつ眇めつ眺めていた俺は率直に感じた意見を口にした。
「ええ、そうですね」と、間に入ってきたのは眼鏡っ娘メイドのツインテール。
「何度も言いますが、ホールにはポンジーくんがいたはずですし、そう簡単に金品強盗を執行できるとは思えません」
 同意である。誰かが居ると分かっていて犯行に走る窃盗犯などまずいない。後ろめたい事をするなら目撃者はいないに越したことはないだろう、例えそれがプロのガードマンじゃなかったとしても、だ。
「念のために聞くが、怪しい行動をしている人は居なかったんだよな?」
 俺の問いに対し、
「特に怪しい行動をしている奴はいなかったはずだ。念には念を入れて、彼らと近接し仕事を手伝うフリをして監視も行ったが……それでも結果は同じだった」
 仕事を手伝うフリって、それは普通に仕事を手伝っているんじゃないのか……等という突っ込みはさておき。この証言は少々厄介かもしれない。
 何故なら、藤原は『監視』の名目で『機関』の皆様を見張っていたのだが、それは逆に『機関』の皆様のアリバイを成立させかねないってことになる。
 犯人が『機関』の人たちである理由もないし、あって欲しい理由もないのだが、もし全員に確実なアリバイがあった場合、事件は更に混沌の渦へと誘われることになる。長期戦は必死だ。
「ふむ……これは困りましたね。動機と言う観点からすると、『機関』の皆々様が犯行を引き起こしたと考えるのが妥当なんですが。これでは寧ろ無実を証明したことになります」
 本当に困っているのかどうだか解らないような表情で、古泉はにこやかに答えた。こいつにしてみれば、犯人が『機関』の関係者であって欲しくないはずだから当然と言えば当然なのだが。
 その微笑みを絶やさないスマイルくんはしたり顔でホワイトボードの前にやって来て、
「すると、怪しいのはこの時間帯ですね」
 と、十六時半前後を丸く囲った。ちょうど矢印の無い――つまり、『機関』の方々がホールに現れてなかった時間である。
 犯行に及べなかった時間と捉えることが出来るが――これも逆に言うと、藤原が一人でホールに居た時間――即ち、アリバイが無い時間帯と捉えることができる。
 つまり。
 疑っているのだろう、古泉は。藤原を。
「この時間、」
 俺の予想を裏付けるかのように、古泉は獲物を捕らえた猛禽類のように鋭い目つきで言葉を投げかけた。「あなたは何をしていましたか?」
 しかし、藤原も負けちゃいなかった。あっけらかんとした表情で言い放つ。
「手洗いに行ったよ、確か」
『は?』と、俺と古泉の声がハモった。
「ああ。そのちょっと前に天窓修理をやってて、外気が部屋の中に侵入して寒くなったんだ。それで尿意を催してな」
 手洗い……ねえ。
「それを証明できるヤツはいるのか?」
「あ、あたし知ってます!」
 突然、橘が低学年児童のように勢い良く手を上げた。
「実はその時間、森さんに頼まれて清掃しにホールに行ったんです。そしたら股を押さえてムズムズするポンジーくんの姿があったから『あたしが代わりに見てますからトイレに行ってください』って言ったんです」
「ああ、そうだったな。間違いない」
「で、あたしは掃除をしながらポンジーくんが帰ってくるのを待っていました。ホールに誰もいないのは問題でしょうから、その代わりに。それからポンジーくんが戻ってきたのは、時間にして十分くらいだったと思います」
 ん? ちょっと待て。
「用を足すのに十分も懸かったのか?」
 俺の真っ当な質問に古泉は再び猛禽類のように目を細めた。
「ホールから一番近いお手洗いは、ホールから伸びる廊下を少々歩き、控室の角を曲がったすぐ先にあります。普通に歩けは一分もかからない場所にありますが……いくら小用とは言え、どうしてそこまで時間が懸かってしまったのでしょうか?」
 しかし、藤原も待ってましたかといわんばかりの表情で答えた。
「手洗いがどこにあるかわからなかったんだ。初めての場所だからトイレの場所など知っているはずも無かろう。それにコレだけ広いと探すのも一苦労だ。迷って探し回った結果、十分を所要した。妥当な時間だとは思わないか?」
「ふむ……確かに、妥当でしょう」と古泉。「個人の邸宅ですからね。レストランや公共施設のようにお手洗いの案内が都合よく掲示されているわけでもありません」
 ならば、とその視線を即席メイドの方に向けた。
「橘さん。その十分間で不審者等の異常はありませんでしたか? それとも……何か隠してたりはしませんよね?」
「ひゃ! にゃ、にゃにゃ、にゃいです!」
 何故かどもった口調で返答した。……いや。
 理由は分かっている。古泉が放つ視線が未だ厳しいものだったからだ。さすがに森さんの放つソレとは比べるべくも無いが、不意にそんな視線を浴びせられたら萎縮してしまうに違いない。
 それに対し不満を感じたのが藤原だ。ヤツも古泉に負けず劣らず厳しい視線を送り返すと、
「そんな風に喰ってかかれば誰だってすくみあがるさ。彼女を容疑者扱いにするのはいい加減止めたらどうだ?」
 すると古泉はいつも部室で見せるような微笑みをフッと取り戻した。
「これは失礼。ただ、監視していたのがこの橘さんだと思うと少々頼りないものがありましたので」
 柔和に対応する古泉だが、しかしいつもながらの余裕がないように感じられた。理由は……何度も言うが、自身の仲間である『機関』の人間が容疑者扱いされているのが気に喰わないのだろう。
 藤原の監視によって『機関』の皆様の容疑が晴れそうになった時と、藤原に対する視線の鋭さからそれがありありと読み取れる。
 真相はどうであれ、古泉としては藤原を犯人に仕立て上げたいのかもしれない。確かにヤツはホールに一番長時間居たことからも重要参考人の地位を欲しいがままにしているし、空白の時間が全く無いとは言い切れない。
 だがな、古泉。残念だが藤原は容疑者になり得ないんだ。
 何故なら、彼には動機が無い。
 いくら盗む時間や暇があったとしても、動機が無いのに罪を背負おうなんてヤツはいないんだ。絶対にな(そう、絶対に)。
 それよりも、会長に虐げられている『機関』の人間が仕返しとばかりに宝石を盗んだと考えた方がよっぽど理に叶っている。『機関』の人間を助けたいのは解るが……もっと冷静になったほうがいいぞ。
 でなきゃ真実も霞んでしまうからな。

「つまり、」余裕の欠片が見られない古泉に代わって俺が指揮を執る。
「お前が警備している間、何も無かったって事でいいな」
「あ……はい。掃除がしている最中ポンジーくんが戻ってきまして、警備はそのまま引き継ぎました。後は残っている掃除を片付けていました」
 因みに、どんな掃除をしてたんだ?
「ええと……窓やテーブルを拭いたり、床を掃除機にかけたり、です」
 至って普通の掃除である。まあ普通じゃない掃除をする必要性は全く無いんだが。
「それが終わった後は、森さんの最終チェックがあるんで速やかに出て行きました」
 最終チェック? 何だそれ?
「お客様を招待する場所ですからメイド長の承認が必要なんです。ダメだったら再清掃なのです」
 で、合格だったのか?
「もちろん。これでも掃除洗濯炊事は得意な方ですから」
 どうだか……と口にしようとしたところで思わず噤んだ。見掛けに依らず料理が得意だと知ったのは去年の冬合宿のことである。家事全般もこなせる事もその時に聞いた。
「ともかく、森さんは最終チェックと料理の配膳のためにホールへと向かい、あたしは他に頼まれた仕事……客室のベッドメイキングですけど、それをずっとやってました。パーティ開始直前まで」
 そうか。つまりお前は十六時半前後に掃除にやって来た以外はホールに近づいてないって事だな。
「はい、そうです」
 そしてその間も、特に異常は無かったと。
「はい、そのとおりです!」
 何故か威勢の良い返事が返ってきた。
「そうかい。わかったよ。話がズレたが橘もシロって事でいいさ」
「分かってもらえて嬉しいです!」
 ええい近寄るな暑苦しい。
「…………」
 そして藤原、そんな目で俺を見るんじゃない。


「さて、少し話しは逸れてしまいましたが、あたしとポンジーくんの経緯はすでにお話したとおりですので、」
 再びケホンと咳をつき、元のトーンを取り戻した橘は、
「今度は皆さんに行可能時間何をしていたか聞くことにしましょう。先ずはキョンくんからお願いします」
 おいおい、まさか俺達まで疑ってるのか? 言っておくが俺はずっとあの部屋で寝てたんだぞ。
「念のため、ですよ」と橘。「犯人じゃなければ潔白を証明できるはずですからね。『疑わしきは罰せず』なのです。さあ、仰ってください。言わなければキョンくんを犯人にしちゃいますよ?」
 ったく、わかったよ。言えばいいんだろ。「あの後はホール横の控室でボケーッとしてたんだ。三十分くらいネットを見たりしてたけど、その後は眠くなって寝た」
「それを証明できる人はいらっしゃいますか?」
「そんなヤツなど……」と、口に出したところで思い出した。「九曜だ。入り口前でずっと立ってたし、俺の姿を見てるはずだ」
「本当ですか、九曜さん」
「――――――――真実…………トゥルース――――」
「ふむふむ。わかりました。キョンくんのアリバイは九曜さんの証言により成立していることになります」
 自慢気に伊達眼鏡を指の先でくいと動かした。
「だから最初からそう言ってるだろうが」
「実はあたしもキョンくんがあの部屋でお休みしているのを見てたんですけどね」
 分かってるならワザワザ聞くんじゃねえっ!
「うきゃん!」
 投げつけたイレイサーが顔面に見事ヒットした。
「ケホケホ……ちょっとした冗談ですって。そんなに怒らなくても……」
 余計な時間は無いって言ってるだろうが。早く他のヤツのアリバイを確認しろ。
「わ、わかりました……では古泉さん、あなたは何をしてましたか? 因みにキョンくんと違って、パーティ開始まで姿を見ませんでしたが、あたしは」
 橘がそう言うと、古泉はもたれていた壁から身を乗り出して、
「会長の命令で買出しに出かけていました。ここから電車を乗り継いで小一時間はかかる場所です。戻ってきたのは十七時を過ぎていたかと」
「買出し? 何を買ってきたのですか?」
「本日使用する予定だったパーティグッズで、足りないものがあったのでそれを買いに。購入したものは全て会長に手渡しました。もちろんレシートと一緒にね」
 レシートは購入品や値段の他、店舗名や店の所在位置、更には購入時間までかかれているのもある。それを調べれば古泉のアリバイが正しいかどうかも証明できるだろう。
「そうですね。レシートは会長さんにお願いして後から見せていただく事にしましょう。これで古泉さんのアリバイも確認できます」
「最後に……」と、残り一人の人物の方に目線が集中した。
「――――――」
「九曜さんは……ずっとホールの入り口の前に居ましたね、確か」
「――――そう――――――」
「ずっと、あの場所で?」
「――――そう――――――」
「二時間身じろぎせず?」
「――――そう――――――」
「退屈、じゃなかったですか?」
「――――空が…………―――――綺麗――――だったから…………――――」
「…………」
 止めとけ橘。九曜にこれ以上聞いても有意義な情報は出てこないぞ。
「そうですね。彼女が宝石に目移りする理由がありませんものね……はあ」
 何故か一息入れて、
「他の方の事情聴取、してみますか……」
「そうだな……」
「そうしますか」
「ああ」
 一様に同意する中、唯一九曜だけは
「――――そう―――――わたしは――――ここに――――いる…………頑張って――――」
 と言って非参加を申し出た。非常識的な能力で早期解決の要と成り得る九曜のアビリティは喉から手が出るほど渇望しているのだが、ジャミング機能とかにより力が発揮できないのならば話は別だ。九曜は九曜の好きなようにやらせておこう。


 と言うわけで、九曜を除く一同は河岸を変え、事件の現場となったホールへと向かうことにした。



 俺達四人の事情聴取――といえば聞こえがいいのだが、話がややこしく捩れて何がなんだか解らなくなった調書は後回しにすると言うことで、とりあえず次の仕事……他の容疑者である『機関』の御四方の事情聴取をすることになった。
 ここでアレやコレや話したところで机上の空論にしか過ぎないし、下手をしたら妄想に妄想を重ねた橘京子が犯人をでっち上げないとも言い切れない。
 冷静な判断と客観的に物事を見る眼。これが備わっていなければ事件なんて解決できないからな。この提案は妥当だと思う。
 聴取の方法は特殊なものではない。参考人を一人ずつ呼び出し、犯行時間帯の行動を検分し、虚実や他の参考人との整合性を判断するだけである。もちろん口裏を合わせないようにするため、控室には会長が監視の目を光らせている。
 聴取の場所として選んだのは例のホール。どうせ話をするなら実況見分も交えてした方が良いという古泉の案である。確かにその方が手間も省けるし、特に反対するやつもいなかったから即採用となった。
 ここまで決定した後、ふと携帯の時計を確認すると時刻は既に八時を回っている。本来なら今ごろおこたでぬくぬくしながらミカン片手に新春隠し○大会を見てるはずなのだが……今年も大厄がべったりくっついて離れないようである。

 会長に主旨を説明し、許可を得た俺達一行は会場だったホールへと向かう。中止となったこともあり照明は既に消されている。そのため唯一勝手を知っている古泉がこのホールの明かりを付けに先行した。と言っても俺達より数歩先ってくらいだけどな。
 扉を開け、真っ暗な闇の先を駆け抜けた古泉は、照明スイッチがあるだろう場所で何やらもぞもぞと蠢いている。どのスイッチを押すか決めかねているのだろうか。
 しかしそれも瞬きを二つ三つする程度の時間でしかなく、程なく眩いばかりの光がホール全体を包み込んだ。
 放射状に並ぶテーブル、その上に並ぶ料理の数々、そして何より金の女神像が大きく目を引いた。大きさもさることながら、ホールの中心に聳え立つその光景は邸宅の守り神と言っても差し支えない。
 しかし、何故だろう。俺はこの女神像がどこか寂しげに感じた。パーティを始める前は柔和で暖かみのあった女神ヘラの顔も、今となっては妙に寒々と感じて仕方ない。
 一家の象徴とも言うべき宝石が盗まれたことを嘆き悲しんでいるのか、それとも宝石を守り通せなかったことに対して悲観しているのか……。
「いえ、それは多分照明のせいでしょう」
 いつの間にか俺達に合流した古泉は変わらぬ笑みを宿していた。
「失礼。点灯させる照明を間違えたようです。切り替えてきます」
 再び入り口近くの電灯制御盤の前に戻り、指を滑らせてスイッチング操作を開始。
 するとどうしたことか、妙に寒々しかった電灯は一転、パーティが始まる前と同じく暖かみのある――視覚的に言うならば、蒼白色の光から橙色を帯びた白色へと変化していった。
「間違えて夏用の照明を入れてしまったようです」
 夏用の照明?
「ええ。最初の照明は夏の暑さをクールダウンするために青色を強めにしてあります。しかし厳寒なイメージの強い冬場では寒々しさを助長してしまい、より暗澹な気分へと苛まれるでしょう。女神像が寂しげに見えたのもそのせいです」
 なるほど。確かに照明が変わっただけで無機質な像の印象が変わるもんだ。青っぽいと冷たい感じがするし、黄色っぽいと暖かみのある表情が伺える。
「これもあれか? さっき言ってたエル……何とかって照明が色を変えたのか?」
「LEDですね」と古泉。「厳密に言うと単体のLEDはある一定の色しか出せません。しかしあの電球の中には何十個ものLEDが入っていまして、内半分が蒼白色、もう半分が電球色を出すように設計されているんです」
「なら、あの一つの電球で二色の光を出せるってことか?」
「そうなります」
 へえ、凄いんだな、LEDってのは。
 って、パーティの前にも言った気がする。
「もちろん欠点もあります、と、僕もパーティの前に仰ったと思いますが……今はその説明をしている暇はありませんね」
 ああ、そうだったっけか。
「一人目の参考人、新川さんがもうじきやってきます」
 ならば、こちらも襟を正して望もうじゃないか。容疑者であろうとそうでなかろうと、真実を突き詰めるのが俺達の仕事だ。それだけは肝に銘じなければいけないしな。
 わかったか、橘。冷えきったロールキャベツを頬張るんじゃない。


「失礼します」
 ご丁寧も扉をノックし、今や取調室と言っても過言ではなくなったパーティ会場に現れたのは第一参考人の新川さん。
「新川さん。今からあなたの取調べを行います。先ず最初にお断り申し上げますが、事実をありのままに申し上げてください。嘘を吐きますと、虚偽申告罪として『機関』からの制裁があるものとお考え下さい」
 古泉の朗々たる弁が俺達三人と、そして新川さんの耳元へと届いた。緒言こそ刑事ドラマで見るそれと同じだが、『機関』の制裁という意味深な言葉がきな臭さを感じさせる。
「わかりました。主に誓って嘘を告発することはございません」
 胸に手を当て、懺悔するように誓った初老の紳士はようやく椅子についた。
「まずは今日のあなたの行動について伺います。彼――藤原氏の証言によりますと、あなたは本日の十五時三十分から十七時三十分までの間で、二回ホールにやってきたそうですが」
「はい、間違いございません」
「何の目的でここに来たのでしょうか? あと、詳しい時間も解っていればお答えいただきたく思います」
「わかりました。先ず最初の来訪ですが……こちらは調理室に食材や器具を運ぶために何度か往復致しました」
 ここで俺からの補足。このホールは主要な客人をもてなしたり本日のようにパーティを開催する機会が多いため、別途厨房が設けられているのだ。
 出来た料理を温めたり最後の仕上げをする、簡易的な調理場と聞いていたが……。
「ホールに向かった時間は、皆様が退出なさった後から十分も経ってなかったと記憶しています。目的のものを配送し終え、ホールを出たのは、十六時前だったかと」
 先ほど藤原が書いたタイムテーブルを思い浮かべる。確かにそんな時間だった気がする。
「確かなのか、藤原?」
「ああ。嘘じゃない。そこそこ荷物が多そうだったから僕も手伝った」
 そうか……っていうか、結構いいヤツだな、お前。
「監視のためだ」
 曰く、自分は専らホールから厨房までを運ぶことに専念し、新川さんは別の場所にある本厨房からホールの入り口までの運びに精を出したということだ。
 つまり新川さんは殆どホールの中に入ってこなかったことになる。
「ふむ……なるほど。では新川さんがホールに入ったのは……」
「あちらの調理室に入った時が唯一ですな」
 朗らかな笑みを見せながら語った。
「とは言え、入り口から調理場まで一直線に移動しただけです。またそれ以降は調理場から離れず調理をしておりましたので」
 新川さんの弁に藤原も頷いた。
「次にホールに顔を出したのは、パーティ開始時刻の三十分前、つまり十七時頃だったはず」
「出来上がった料理の配膳のためにホールへと顔を出したのですね」
「ええ。仰るとおりです」
「なるほど」
 橘はやたら鷹揚に首を振り、
「失礼ですが、その間あなたはこの女神像に近づいたりはしませんでしたか?」
「そうですな……料理の配膳最中には近くに寄った事もありましたが、それも配膳作業があったが故。すぐさま通り抜けるか、或いは食器や料理を手にしておりましたので、女神像に手を出すことなど叶いませぬ」
「その時の様子は僕も見ていた」と、藤原。
「配膳作業は僕も手伝っていた。その間もできるだけ女神像に目配りしていたが、彼を始め怪しい行動を取る輩は他にいなかった」
 また手伝いですか。やっぱりこいつ、人がいいのか?
「だから監視のためだ」
 はいはい、わかったよ。
「と言うことは、新川さんはシロと言う事でよろしいですか?」
 確かにそうなるが……しかし、気になる点もある。それは老紳士の俊敏なドライブテクニックをまざまざと見せ付けられた俺の野性的なカンなのかもしれないが、どうしても確認したいことがあった。
「何かお気づきの点でも?」
 若干冷めた古泉の嘯きを敢えて無視し、俺は新川さんに向かって言葉をかけた。
「一度、そちらの厨房の確認をさせてください」


「どうぞ、こちらです」
 新川さんに導かれながら辿り着いたのは、部室より二周りほど広いクッキングルームだった。窓は無く、天井もホールと異なり普通の住宅一階分程度の高さしかない。
 部屋の中央には調理用の台や器具が所狭しと並び、部屋の奥隅には大型のガスコンロ。そしてその脇に並ぶ炭火コーナーと大型シンク。冷蔵庫やオーブンと言った台所必需品も業務用のそれである。
 調理の途中だったのだろう。下ごしらえを終えた肉やベストのタイミングで煮込んでいたスープ、それに詰め物をされた魚も現場保存されたままになっている。どれ一つとっても最高級素材だと言うのに、もったいない。
 この部屋に入るための入り口はホールからのものの他にもう一つ、勝手口に繋がるであろうドアがあった。
「ここ、開けても良いですか?」
 二つ返事で了承を貰い、ドアノブを捻る。すると、
「あれ?」
 てっきり外へと繋がるドアだと思っていたが、そこは簡素な小部屋だった。玄関と靴入れ、それに衣類をかけるためのハンガーが置かれている。
「いわゆる風除室と言う場所です。調理場と外を直結するわけには行きませんのでね」
 後ろから古泉の声。ふうん、そう言うものなのか。
「そのドアの向こうにあるドアが本当に外へ出るためのドアになります。ご覧になりますか?」
「いや、いい」
 よく考えたら外に出たところで女神像にアクセスしやすくなるわけでもない。無駄な調査である。
 ドアを閉め、元の調理場へと戻った俺は再び辺りを見渡してから気になった点を一言。
「そのダンボールが先ほど運んだものですか?」
「ええ。中身もご覧になりますかな?」
 こちらは念のため確認させてもらうことにした。もしかしたら犯行に使われるような道具が入っているかもしれないしな。

 俺達監視の元、新川さんがダンボールから順番に物品を取り出していく。新聞紙に包まれていたのは直前で調理するつもりだったのだろうか、野菜の数々。それに……。
「そこに隠れているものはなんですか? ちょっと取り出してください」
 冷蔵庫の裏手、黒い陰に隠れて見え辛いが大きい何かがあるのに気付いた橘は新川さんに指示を出した。新川さんは特に反対もせずその奥手に入り込んだソレを取り出し、俺達の目の前に示した。
「これは……竹ですか?」
「はい、孟宗竹ですな。さして珍しいものではありませんが」
 どこの家庭にでも一つはあると言わんばかりの素振りで申し上げた。
「いやあの、何に使う予定だったのでしょうか?」
「魚を焼く串、麺を伸ばす棒、汁類を入れる器……主にそんなところですか」
 よくよく見ると、竹が置かれていた冷蔵庫の横、そこには節で切断したものや長細く加工した竹がいくつも点在していた。
「新川さんは、竹細工にも精通していましてね。出来合いの調理器具を使うだけでなく、このように自分で加工する事もできるんですよ」
 古泉、そう言うことは早く言ってくれ。
「竹細工が今回の事件の本筋とは関連が薄いとは思いませんか?」
 まあ……それはそうなんだが……。
「だが、この竹を使えば宝石のあった場所にまで手が届く可能性もある」
 それは俺も考えた。しかし、
「でもポンジーくん、こんなでっかいものをもってたらいくらなんでも怪しいでしょ」
 そう言うわけだ。やるにしてももっと細く削ったものか、或いは他の道具を使ってということなら分かるんだが……。
「もう少し見させてもらっても構いませんか?」
「どうぞ、ご自由に」
 新川さんの許可が出たところでダンボールの中身を漁り散らす。
 調理器具で言えば包丁、まな板、砥石、お玉、フライパン返し、ピーラー、たこ糸、パラフィン紙など。調味料で言えばクミン、コリアンダー、ブーケガルニ、甜麺醤、しょっつる、果ては自家製と思われる梅酢まで出てきた。
 種類の多さは賞賛に値するが、しかしどれも女神像の宝石を盗むのには関係がなさそうなものばかりである(果たして、そうかな?)。
「どうですかな。これで疑いは晴れましたかな?」
 結局、藤原の証言も相まって、新川さんが宝石を盗んだと言う証拠は一切みつからなかった。
「わかりました。ご協力有難うございます」
 一応の礼を申し上げた後、「最後に、二点ほど質問を」
「何でございましょう?」
「まず最初に、あなたがここで調理中、妙な気配を感じたとか、物音を聞いたとかありませんか?」
「いや……特にございませんが」
 そうでしたか、ではもう一つの質問。
「新川さん、あなたは会長に何をしたのですか?」
 ――ピクッ。
 ほんの微かだが、しかし確実に彼の眉が動いたのを見逃さなかった。
「彼が……会長が『機関』の面子を嫌っているのは解ります。ですがそれも故あっての事でしょう。『機関』に対する嫌悪感さえハッキリすれば、容疑者の割り出しも楽になるでしょう」
「…………残念ながら、お答えできかねます」
 何時に無く渋い表情で、新川さんは言葉を濁し、そしてそれ以上何も言わなくなった。



 パタン。
 慎ましやかにドアを閉じ、意外な一面を見せた老紳士はスゴスゴと控室まで戻っていく。下手をすれば犯人にされかねないのにも関わらず、真実を言おうとしない新川さんの態度はどう見たところで奇異そのものだった。
「古泉、どうしてか解るか?」
「どうもこうも、見てのとおりですよ」
 辛辣な表情を浮かべながら、それでも目元に残る微笑は消さずに答えた。
「『機関』の信頼関係を壊しかねない出来事です。簡単に仲間を売ることなど出来るわけ無いでしょう」
 珍しく熱くなっているな。
「宝石泥棒の汚名を着せられるより大事なのか、仲間が」
「当たり前です。あなたも長門さんや朝比奈さんには絶大なる信頼関係を築いているのではないですか?」
 長門に関してはほぼ正解、朝比奈さんに関してはこっちから関係を作っていきたいくらいだ。最も、あの何もかも知っているのに何も教えてくれない大人の朝比奈さんについては対象外だがな。
「どちらの朝比奈さんでも構いませんが、」さらに語気を強め、俺を諌めるように声を荒げた。
「もしそのうちの二人が泥棒扱いされた場合、あなたは庇おうとはしないんですか!?」
「それは違うな、古泉。長門だろうが朝比奈さんだろうが、もし本当に罪を犯したのならそれを認めるように諭すのが俺の二人に対する信頼関係だ。間違った事を隠し合い馴れ合いするのは本当の信頼関係じゃないさ」
 俺の言葉に、古泉の表情がハッとなる。
「いくら会長に嫌がらせを受けていたとは言え、報復を仕返したら何時まで経っても信頼関係は修復しないぜ。重要なのは犯人を早く捕まえて真摯に謝罪することじゃないのか」
「…………」
 古泉は顔を下にし、じっと俺の言葉に耳を傾けている――と思った次の瞬間、
「キョンくんの言うとおりですよ、古泉さん」
 ひょいと出てきた橘が古泉の手を取り、優しく諭すように口を開けた。
「あたしだって佐々木さんの大好物だったレアチーズケーキをこっそり食べましたけど、泣いて謝ったら許してくれましたもの。二人の信頼関係があってのことだと思います」
『…………………』
「あれ? どうしてヘチマのように顔を歪めてるんですか? っていうか皆さんも?」
「……さ、仕事しましょう、仕事。アホ武勇伝に構っている暇はありませんからね」
「あ、アホ武勇伝ってあたしのことですか!?」
「おや、そうだったんですか? 僕は誰がとは言わなかったのですが……自覚はあるってことですね」
「はうっ!!?」
「くくくく…………しかし、流石は橘さんですね」
 古泉は元のニヤケスマイルを取り戻し、
「佐々木さんもよほど関わりたくなかったんでしょうね」
「うわぁぁぁん! 古泉さんってばひどいですぅ~!!!」
 …………。

 あーあ。せっかく人がカッコイイ言葉で纏めようと思ったのに……。
 ま。いいか。次だ次。



「失礼します」「失礼します」
 ほぼ同時に上がった声はユニゾンして魅惑の音律を醸しだし、コツコツと鳴る足音はリエゾンして別の音を作り出した。
 テーブルの前に座る俺達の前に現れたのは、二人。言うまでも無く多丸さん達兄弟である。
 当初一人ずつやろうかと思ったのだが、時間の関係上並びに殆ど二人で行動してたからということで同時に聴取に出頭してもらった。
 そう言えばこの兄弟って自称であり、本当の兄弟かどうかは判明してないんだよな。女性の森さんがこの中で一番権威がある匂いもするし、『機関』は色々と隠し事が多い存在ではある。
 多分古泉もまだ俺に話してないことが沢山あると思うが、今後必要になったらゲロッって貰うことにするか。
 古泉は二人に向かって、先ほどと同じく「嘘を吐いたら制裁がウンヌンカンヌン」という説明をしている。内容に関しては全く同じなので省略させてもらおう。因みに橘と藤原は横で傍聴人のように畏まっている。
「……そこでお聞きします」
 前振りを終え、軽く咳を吐いた古泉は、やはり新川さんの時と同じ質問を繰り返した。
「その時間、お二人は一体何をなさっていましたか?」
「会長に命じられてホール上空にある天窓の修理に向かったんだ」
 朗々と語りだしたのは弟、裕さん。光を取り入れるための天窓がホールの中央、つまり今回の事件現場となっている女神像の丁度真上にあり、その窓が壊れて開閉しなくなったらしく、修理のために屋根に登っていたのだと言う。
「窓のヒンジが古くなって動かなくなっててね。取り替えて注油したら問題なく動いたよ」
 作業をしていたのは、何時頃から何時頃までだったか、覚えていますか?
「作業開始はたしか……会長に命令されてから屋根に登ったんだが、ちょっと準備に手間取ってね。十六時近くからだったと思う。修理自身は二十分くらいで終わったはずだけど」
 なるほど……確かに藤原の書いた時間帯と照合する……ん?
「あ、ちょっと待ってください」
 俺が言葉を発しようとした瞬間、橘の声に遮られた。「ポンジーくんによると、あの時間ホールに現れたのはお兄さんだったはずですよ?」
「ああ、それは間違ってないよ」
 今度は兄圭一氏が語りだした。
「わたしは窓が落ちてこないように、反対側、つまりホールの中から窓を押さえていたんだ」
 つまり、ホールの中に入ってきたのは圭一さん。外で作業していた裕さんはホールに現れてないってことになるな。
「ああ、そのとおりだ。その様子もバッチリ見ていた」
「でも、どうやって押さえていたんですか?」
 女神像が三メートルを越える高さにあるのは先に申し上げたが、天窓はそこから更に高い位置にある。もちろん普通に届くわけが無い。
 そう、普通は。
「それはね、」
 しかし、この後裕さんが発した言葉は俺達の表情が一変させる要因となった。


「脚立で登って押さえていたんだ。そうでもしないと届かないからね」
 やけにあっさりとした口調で、禁忌たるその言葉を口に発した。


『脚立!?』
 対照的に俺達は恐々とした表情で圭一さんを凝視した。
 考えても見て欲しい。天窓は女神像の真下にあり、天窓を押さえるために脚立を用意したら、どう頑張っても女神像の傍に脚立を置くことになる。
 会長の宝石は目と鼻の先。指輪を外すのも、布を捲るのだって容易い。犯行への障害になる要素を全てクリアしているのだ。
 それはつまり、自分に疑いをかけてくれと言わんばかりの証言となる。
 なのにあっさりと口を割るとは……一体どうして……?
「まさか、圭一さん、あなた……」
 愕然とした口調の古泉。
 しかし。
 圭一さんはそうくるのが解っていたかのようにほくそ笑んだ。
「ははは、女神像には手を出してないよ。誓ってもいい。その様子は……藤原くんと言ったっけ? 彼に始終監視されていたからね。手を出そうにも出せないさ」
 はっ、とした表情が一斉にある人物――藤原の元へと集中した。
「その人の言うとおりだ。確かに圭一氏は脚立を登り、天窓を押さえていた。しかしそれ以上のことはしてない。その様子も確認済みだ」
 圭一さんをフォローするかのように淡々と語るのは、藤原。そして圭一さんの言葉が追い討ちをかける。
「加えて言うならば、ヒンジを外した時にわたしの両手は塞がってて何も出来なかったよ。安心したかね」
「俺はともかく、古泉は安心したようですよ」と、心の中でそっとぼやいた。古泉のニヤケに余裕が見られるようになったのがその理由さ。表情で心境を読めるのは、何も女性陣だけじゃない。哀楽を分かち合った男同士だからこそ解るってもんだ。
 などとガラにでも無い陳腐な友情主義を思い浮かべて今度はこっちが気分悪くなったので、もうこの件は大脳皮質のうわっぺらから引き剥がし、
「つまり、作業が終わるまで何も無かったわけですね。わかりました」
 と話を切り上げた。続いて、橘の質問。
「じゃあ、その間、不審な人物など確認できませんでしたか?」
「いやあ……さすがに天井の上には居なかったし、この家の周りにもそんな人はいなかったと思うがね」
 会長宅の敷地は広く、庭園が広がっている。逆に言うと、外から人間が侵入して身を隠せるような場所はまずなく、外部犯の可能性はかなり低い。だからこそ内部の人間に容疑がかかっているんだが。
「では、中のホールに誰が居たか覚えていませんか?」
「兄が行ってたと思うが……中の様子ははっきり見えなかったから良く覚えてないよ。明るい場所から暗い部屋を見るのは至難の技だからね」
 ふむ。確かに。明るさに慣れた目で暗がりを見ても真っ暗にしか見えないからな。
「では、圭一さんはどうでしたか?」
「窓から見えるのは一面の青空。仮に不審者が居たとしても死角となって確認できませんよ」
 一理ある。
「では物音などは?」
「物音ねえ……何かあったかといえばあったかもしれないが、我々が立ててた作業音の方が五月蝿くてそこまではわからないよ」
「古い方のヒンジはギイギイ言ってたし、それを外すためにガタガタ音を立ててたし、おまけに隙間から吹く風がビュウビュウと鳴ってては、もし不審な音があったとしてもそれに掻き消されてしまだろうよ」
 と、二人の弁。これも一理ある。
「なら藤原、お前は何やってたんだ、その時」
「その時は……確か、脚立を押さえていたんだ。室内で水平が取れてはいるが、念のためを思ってな」
 やっぱり手伝いしてるんだな、お前は。
「おや、そんなことをしてくれてたのか。てっきり気付かなかったよ。ありがとう」
「ふ、ふん。お安い御用だ」
 照れてるな、こいつ。
「では、終わった後はどうされましたか?」
「どうと言っても、脚立を片付けて、そのままそこの扉から出て行ったよ。それからは地下のエレベーター室に篭って調整だ」
「僕の方も同じ。屋根から下りてエレベーター室に直行さ」
 すると、それ以降はホールに姿を現してないと?
「いや、パーティが始まる直前にわたしがホールに現れたよ」
 と、圭一さんが謙虚に手を上げた。
「パーティの面目状、女神像を地下へと隠さなければいけなかったのは知ってるよね。その監視役だよ。異常がないか念のためホールからも確認することにしたんだ」
 そう言えばパーティ開始前には女神像の姿はなかったっけな。一番盛り上がる時に競りあがってくるように出来ているんだった。
「ちょ、ちょと待って下さい!」
 橘が思いっきりジト目で睨みつけた。
「すると、パーティが始まる直前からこの台が競り上がるまでこの女神像は地下室にあったということですよね。もちろんあなた達もずっと地下室にいたってことになりますね? つまり……」
「お嬢さんの言いたいことは分かってる。パーティが始まる時間までの間、僕達に宝石を盗む余裕があったと言いたいんだね。でも、残念ながら女神像には手を出しちゃいないよ。誓ってもいい」
 意外に鋭い橘の質問に飄々と答える裕さん。俺もフォローする形で質問した。
「誓うかどうかはともかく、それを証明してくれる人はいませんか?」
「うーん……我々二人しか地下室に居なかったからね。お互いに、ということじゃ納得してくれないだろう?」
「当然です。ではあなた方が犯人と言うことで決まりですね!」
「待て、橘」
 単にアリバイを証言できる人がいないだけで犯人と決め付けるのは早計だぞ。『疑わしきは罰せず』じゃなかったのか?
「あう……」
「それに良く考えろ。いくら目撃者がいないからと言って、三メートルの場所にある宝石をどうやって外したっていうんだ?」
「え? えーと……肩車とか……?」
 肩車しても無理だっちゅーの。
「それに万一誰かが現れたらどうするんですか? 言い訳が通りませんよ」
「あううう……」
 ったく、それくらい考えろよな。
「とは言え、空白の時間があったのも事実だ」
 橘に代わってしゃしゃり出てきたのは橘京子のイエスマン。
「そうですよねっ! ポンジーくんっ!」
「念のため地下室の確認もした方がいい。もしかしたら宝石が見つかるかもしれないしな」
『…………』
 そして蛇のように鋭い視線を多丸氏兄弟にぶつけた。
「わかった。そこまで言うなら見てくれ」

 ゴゴゴゴゴ…………
 昼にも聞いた地鳴り音が俺達の足元で鳴り響く。底へ底へと下がっていく感覚と併せて、地獄へ招待される囚人のような感覚に陥る。外が暗くなった事もあり、シチュエーションとしてはこれ以上ない恐怖感だ。
 このエレベーターで移動しているのは俺の他には古泉、橘、そして裕さん。圭一さんはエレベーター操作のため階段を使って先に地下に下り、その様子を観察すると藤原もまた圭一氏と行動を共にした。
「け、結構揺れるんですね、これ」
 びくつきながら俺にしがみつく橘は、昼間藤原が洩らしたのと殆ど同じ言葉を口にした。そうか? 俺はそこまでひどいとは思わんが。
「いや、お嬢さんの言うとおりだよ。このエレベーターの年代もののせいか、ガタがきていてね。調子の良かった時と比べて結構揺れるんだ」
 近くから裕さんの声がする。確か俺の右斜め前にいたはずだが、半分以上が暗闇に覆われているためか姿を確認する事はできない。
「昼間の調整もそれが目的さ。振動が多いのは格好が悪いし、何より女神像から宝石が落ちてしまったら元も子もない。だから我々は天窓よりもこちらを優先して修理していたのだが……」
 その先の言葉は、エレベーターが着地する音によって掻き消されてしまった……と言うことにしてくれ。
 やがてドシンという音が狭い室内に響き渡る。最下層へと到着した証拠だ。
 薄明かりの中、首を捻ると、制御盤に張り付いて操作をする圭一さん、そしてその様子を見ている藤原。階段で先行し、エレベーターを動かしてくれたのだ。
「ご苦労だったな。こっちは特に異常はないぜ」
「こちらも当然異常なしだ」
 作業の引継ぎをする現場監督者のような定型挨拶を交わし、お互い歩み寄る。
 天井――今まで俺たちがいたホールの足元は別のシャッターが閉まり、ホールとの繋がりを完全シャットアウトしている。そのため光は作業灯が申し訳程度についているだけで、はっきり言って暗い。これは昼にも言ったけどな。
 そして当然、この部屋の様子もあの時と変わりない。コンクリートの壁、雑多に置かれた工具の数々、大小のダンボール。どれもこれも特に変わった様子は見受けられないが……。
「ん?」
 いや、一つだけあった。
「あそこから出てる煙は一体?」
 部屋の角に置かれた蛇腹のダクト、そこから僅かではあるが白煙が確認できた。ダクトの先を辿ると、先端にはフード状の蓋。さらに下には金属製の入れ物があり、ダクトから伸びる蓋が完全に入れ物を覆っていた。
「ああ、ドライアイスの解け残りだね」
 薄暗い影を引き摺りながら圭一さんは答えた。「女神像を上昇させる際にやった演出さ。もう大分時間が経っているから残り火くらいの勢いしかないがね」
 あの白い煙の正体か。でも入っているのはドライアイスだけじゃなさそうなんだが。等と考えていると説明したがりの古泉が前に出て話し始めた。
「無論ドライアイスのみでも煙は立ちますが、その量は余りにも少ないです。ですから普通、水を加えて煙を噴出させているのですよ」
 水?
「ええ。誤解されがちですが、ドライアイスの煙は昇華された二酸化炭素ではなく、微細な氷の粒なのです」
 へえ、そいつは知らなかったな。
「ですが、少し疑問もあります」古泉は視線を俺から多丸氏兄弟達の方に切り替え、「これだけの量のドライアイスを気体にすれば、外気と遮断されているこの部屋は窒息状態になりませんか?」
「それは大丈夫。この床には何本もの導風溝があって、空気より比重の重い二酸化炭素はそこから抜けていくんだ。余程大量に、しかも屈んでない限りは窒息と言うことにはならないよ」
 裕さんに言われよく見ると、確かに側溝のような溝が何本もある。イメージはまんま側溝のそれで、コンクリート製の蓋で敷き詰められており、何個かに一個の割合で網状の蓋となっている。
 網状の蓋の前に立つと、足元に流れる冷たい風が俺の体温を奪っていくのがわかる。
「どうなってるんだ? これ?」
 と、藤原が蓋の隙間と隙間から覗き込む。
 しかし、彼はまだ把握していなかった。彼にとっての悲劇はここにあったということなど。
 暫くは普通に様子を眺めていた藤原だったが、突如、「うおあぁ!?」と奇声を上げたのだ。
「どうした、藤原?」
「あ……いや、その……」
 次の瞬間、轟音と共に側溝の隙間から風が吹き荒ぶ。
「うおっ!」「きゃあ!」
 かなりの突風だった。女神像に掛けられていた白い布も勢いよくはためいている。台風並とまでは言わないが、春一番並の威力はあったかもしれない。
「この時期、特に夜に多いんだが、今みたいに突風が吹く時があるんだ。彼もその風で煽られたんじゃいのかね? すまないね、先に説明しておくべきだったよ」
「あ、はい……」
「まあでも、怪我が無くて幸いだったよ。もう大丈夫だと思うが、念のため注意してくれたまえ」
「…………」
 裕さんの諫言に、藤原はただ沈黙を守りつづけていた(…………)。


「……さて、見せるものは見せたけど、後はどうすればいいんだい?」
 天井――ホールの上へとエレベーターを動かし、元いた席に各々着席した後、聴取が再開した。見せてもらうものは見せてもらったわけだし、後はこちらからの質問に答えてもらうだけなのだが……ではまずこんな質問を聞いてみよう。
「一つ聞きたいんですが、エレベーターを動かしたのは地下に女神像を隠すときだけでしたか?」
「そうだったと思うが……あ、いや。可動部の調整をするために何度か上下はしたよ。と言っても十センチも動かしてないけどね」
「そうですか。ならその時、異音等の異常は感じませんでしたか?」
「どうだろうねえ。エレベーターの音と風切音が五月蝿くて特に何も感じなかったね」
 裕さんの言葉に、圭一さんも頷いた。
「……あ、でも一度だけ、女神像の半分くらいの高さまで下げたっけか」
 え? それは何時ですか?
「ええと、十七時前後だったと思う。森に頼まれてその高さまで下げたんだよ。掃除をするとか何とかで」
『えっ!!?』
 俺たちが一斉に声を上げた。
 何と言うサプライズだ。このタイミングでとんでもない証言が飛び出しやがったぞ。というかそう言う大事なことはもっと早く言って欲しかった。
「今になって思えば、あれはもしかして……」
「それは本当ですか?」と古泉。あからさまに動揺している。
「嘘をついても仕方ないだろ」と圭一さん。確かにそのとおりだ。何はともあれ、ウラを取る必要がある。
「おい藤原、」
 お前は見てたのか? と言おうとして、彼がここにいないことに気付いた。再びエレベーターを動かしたいという彼の要望で、地下室の制御盤の操作をしてもらったのだが……。
 ついでに橘も一緒だ。エレベーターに登ろうとした彼女を藤原が無理矢理引きとめたようにも見えたが……気のせいだろうか。いや、今はあの二人に構っている場合じゃない。
「森さんがそんなことするとは思えませんが……」
 古泉、実は俺も同じ意見だ。縦しんば犯人だったとしても、あの森さんがそんな簡単に足を出すとは思えない。やるならもっと慇懃且つ狡猾に窃盗を行うだろう。
「同感です。森さんなら足音どころか気配すら完全に掻き消し、透明人間が行ったかのような完全犯罪をやってのける御仁ですからね。敵に回すとこれほど厄介な方はいません……あ、今のは森さんにはオフレコでお願いします」
 この場にいる全員が一様に頷いた(多丸氏兄弟含む)が、森さんの人となりについてはあんまり関わりたくないので俺は適当に相槌を打つに留めた。
 今重要なのは森さんの身辺調査ではなく、事実確認である。
 しかしそのためには証人となりうる藤原が来ないことにはどうにもならないのだが……本当に遅いな、あいつら。そろそろ呼びに行った方がいいかな。
「す、すまん。遅れた」
「ごめんなさい」
 等と考えを巡らせていた丁度その時、ホール入り口のドアが開くのが見えた。二人の登場である。
「何をやってたんだ」
「ああ、道が暗くてな。思うように前に進めなかったんだ」
「それにちょっと道に迷いまして……」
 果たして迷うような道だろうか。地下室の階段からここまでは一本道だし、暗いと言っても普通に歩く分には難はないレベルである。
 どうせ橘が迷惑千万な振舞いをしていたのだろうが、それを突っ込んでいる場合じゃない。
「藤原、聞きたいことがある」
 先ほどの話を掻い摘んで二人に説明した。
「そう言えば、そうだったっけか。バケツと雑巾を持ってきて像を拭いていた。全身を拭くからとエレベーターを下げて……うん、彼女なら宝石に手が届くはず」
「ってことは……もしかして、森さんが犯人なんですか!?」
 いや、まだわからん。だけど。
「聞くしか、ないですね……」拳を握り、震える体を押し込める古泉。
「ああ」と俺。腹を括るしかない。
「そうだな……」こちらは藤原。絡みが無くとも彼女の怖さは身に染みて解っているらしい。
 そして。
「ふふふふ……森さんが犯人だったのですか。いひひひ……今までの恨み、たっぷりと返してやりますからね」
 約一人ほど勘違いしているKYがいるのだが……とりあえず放っておくことにする。



「話は聞きました。わたしを疑っているとのことですね」
 バタンと開いた扉の音がやけに大きく聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。そして、森さんの口調が極めて冷静に聞こえるのは、これも俺の気のせいだろうか。いや、寧ろ気のせいであって欲しい。
 静かに怒りを携えたまま、腕を組んで仁王立ちするのは、最後の重要参考人こと、アナザー偽メイド、森園生さん。
「あ、いや……疑っているって言うか何と言うか……」
「古泉。」ピシッと張り詰めた空気は彼のスマイルを凍りつかせた。「はっきり言いなさい」
「は、はいっ! 疑っています!」
 二人の会話は何故か逆尋問に発展していた。
「……仕方ありませんね。確かにわたしはあの時、女神像の最終チェックをしにきたんですから。疑われても仕方ありません。あの程度の大きさなら、いくらでも隠し場所もあるでしょうし」
 森さんは溜息をつきながら、やおらエプロンドレスを外した。
「さ、いくらでも調べてください。文字通り身の潔白を証明して見せます」
「ちょ、ちょっと! 止めてください!」
 慌てふためきながら止める俺と古泉。しかし俺たち如きのチープな自制心では森さんの覚悟は止められない。背中にあるホックは既に半分以上がほどかれ、白い柔肌は背中を中心に勢力を拡大中。
 腰までホックを外し終えた後、今度は腕を伸ばし、片方の手でもう片方の袖を掴みゆるゆると外した後、もう片方の袖も同様に外した。
 これで森さんの上半身を覆うのは、脱ぎかけのメイド服を押し当てている胸のみ。
「これ以上は……お願い……恥ずかしくて……」
 少女のようなつぶらな瞳と、大人の魅力がたっぷりつまった胸とのギャップが堪りません。
 ふふふふ、なるほどなるほど。いくら巨大な宝石といえども、その豊満な双丘の隙間に十分入り込めそうだ。重点的に調べ上げなければ……。
「キョンくんってば、またそんな目でおっぱいばかり見て……えっちですぅ」
 うををっ! 橘! 何時の間に!?
「さっきからいましたよ」
 つっけんとんに返す橘の声が妙に痛かった。「結局、おっぱいですかあなたは?」
 い、いや……そう言うわけではないことも無いような……いやいや、無いんだか……
「冗談に決まってるだろ」内心の動揺を隠すべく、努めて平然と言って見せた。
「森さんも、からかわないで下さい」
「そうですか。お疲れのようでしたから少しサービスをと思いまして。少しは楽しめましたか?」
 少女の如き無垢の笑みがぱあと広がる。戦慄に満ちた表情がまるで嘘だったように……いや。恐らく本当に冗談だったのだろう。
「おかげさまで。それよりも早く服を着なおしてください」
「了解です。では背中のホックをつけるの手伝ってもらえます? 一人じゃやりにくくて……」
 フィーリングとしては九割九部九厘肯定の意向に向かっているのだが、万が一にでも噂話があの二人に入ったら「グランド十週。因みに鹿の被り物のみであと裸ね」の刑に処されない。「遠慮しときます」
「あらそう、残念。じゃあ古泉、お願い」
「……はいはい」
 やれやれといった感じで森さんの後ろへと周り、背中のホックを締めなおす古泉の姿を見て俺は思った。
「妙に手馴れてんな、あいつ」


 森さんのユーモラスな一面(?)を堪能した後、えらく時間を費やしたと猛省した俺たちは前置きを全てカットして単刀直入に話を聞くことになった。どうやら彼女は話を把握しているようだし、問題ないはず。
「森さんがホールに来たのは、女神像の最終チェックのためだったと聞いたのですが?」
「ええ。それもあります」
 先ほど脱ぎ捨てたエプロンドレスをもう一度身に着けながら森さんは答えた。
「それも、ってことは他にもあるんですか?」
「パーティ間近でしたから、料理の配膳をしている新川の手伝いを。それにこの子がきちんと清掃できたかのチェックも行いました」
「ひっ」
 偽メイド二号を睨みつける一号の視線が危険なものに感じるのはどうしてだろうか?
「それで、合格でしたか?」
「……そうですね。やることはやってたみたいですし」
 釈然としない様子で憮然と言い放った。
「もう暗くなりかけてたから灯りをつけて隅々までチェックしたけど、床やテーブルに埃はなかったし、椅子も整然とされていたわ。女神像もピッカピカに磨かれていたし、正直文句のつけようがなかったわ」
 ほっ、と溜息が漏れる声が聞こえた。恐らく橘の安堵の現れだろうか(あれ、ちょっと待て)。

「その女神像についてですが、」古泉は緊張した様子で俺の一歩前に出た。
「ご存知の通り、森さんが最近接していたと言う噂が流布しております。これについての弁明がありましたらどうぞ、仰ってください」
「反対尋問ってところかしら」
「その様に捉えてもらっても構いません」
「……ふ、分かったわ。でも本当のことなのよね。これが」
 全く悪びれもせず、むしろ明るい口調で言葉を続けた。
「多丸達にも頼まれていましたし、女神像に被さっていた布を取っ払って像の隅から隅まで見渡しました。時間にして五分くらいかしら。終わったあとは布を被せて、エレベーターの下へ移動させるよう指示を出しました」
 それを見てた、って人は……藤原、お前は見てただろ。
「途中まではな。だがその後はホールから離れたため確認していない」
 どうしてだよ。女神像に近づく人間に目を光らせるのがお前の仕事じゃなかったのか?
「エレベーターを動かす命令を伝えるために地下に下りたんだよ」
 曰く、地下にいる多丸氏達に連絡をとり、エレベーターを所定の高さまで移動した後ホールへと戻ってきたのだと言う。
「時間にすれば五分程度のことだが、布も被さってない、非常に取りやすい位置に宝石があれば五分で事足りるだろうな」
 待て。ならお前は森さんが犯人だと言うのか?
「そうは言ってない。だが、一番疑わしいのも事実だ」
「ってことはやっぱり森さんが犯人なのです! さあ、早く自白してください!」
「だから待てって」再び制止をかける俺。「森さん、少し聞かせてください」
 俺は森さんに近づき、こそこそと耳打ちを立てた。何故かと言うと、他の人から聞かれたくないことがあったからだ。
「……ええ、その通りですが。よく分かりましたね」
 なるほど。やっぱりそうか。
「すみません、もう一つ」
 やはり同じように耳打ちを立てる。
「……ふふふ。ご想像の通りですよ」
 想像通りだな(ってことは……)。
「キョンくん、何を聞いたのですか?」
 橘の問いに、気軽に返答した。「いや、そんなにたいしたことじゃないさ」それよりも、
「藤原。女神像が地下に下りてからはどうしたんだ?」
「宝石を取られる危険性はなくなったから、戻ってホールの手伝いをしていたさ。忙しそうだったのでな」
「そうかい」
 俺の予想通りの反応、痛み入るぜ。



 森さんの尋問が終わった後、再び俺たちだけでテーブルを囲み、参考人からの調書を元に要所要所を搾り出し、犯人の割り出しに精を出していた。
 纏めると、新川さんと裕さんは女神像に近づいていない。多丸圭一氏と森さんは近づいている。圭一さんは脚立を、そして森さんはエレベーターを使って。
 その内、圭一さんの行動は確認されているが森さんの仕事については確認されておらず、アリバイが成り立たなくなっている。
「森さんが一番怪しいって訳か……」
 ポツリと洩らした俺の言葉に、橘が賛美の声を上げる。
「やっぱりそうなんですよっ! あの女ギツネがあたしの宝石を奪いやがったんです! タイホしてやる!」
 現行犯じゃない限り逮捕は無理であるし、そもそもお前の宝石じゃない。などと、どうでもいいツッコミは頭の中だけにして口には洩らさない。
 確かに疑わしいのは事実だし、証言も何もないははっきり言って苦しい。
 しかし――恐らく、彼女は犯人じゃない。
 これは決して森さんをかばっての発言じゃない。森さんが犯人だとは考え辛いのだ。
 何より、動機がない。
「動機? 会長の『機関』嫌いに対する報復に決まっているだろ」もちろんその通りである。しかし、他の面子ならともかく、森さんにはこれは当てはまらない。
 理由は、会長は森さんのことを『治外法権』と称していたから。理由は知らないし知る必要もないが、ともかく会長は森さんに対し罵詈雑言を浴びせるだけの余裕はなかったのではないか?
 実はさっきの質問のうち、一つはその確認だったんだ。会長は森さんに対して高圧的な態度を取ったことがあるか、或いは仕事のミスでネチネチと詰られたことがあるか聞いてみたのだ。
 然して、答えは「ノー」。むしろ会長から恐れられているからやり辛いくらいだと解答だ。
 そんな状況で、森さんが会長に報復する理由は万に一つも無く、つまり宝石を盗んで嫌がらせをしようなんて考えるわけは無いのだ。
 ならば、誰が犯人なのか――。


 実は、俺は既に目星がついていた。
 だが、確証がない。
 どうにかして言い訳できない理由を作り上げたいのだが――。


「ふむふむ……ここが……うんうん」
「…………だろ。…………で………なんだ」
「うーん……でも…………じゃないですか?」
「いや、これは…………で…………」
 横を見ると、何時の間にか仲良く相談タイムに入っている藤原と橘。恐らく今までの事件の整理と、犯人の推理に躍起になっているのだろう。
 橘がいるから万に一つも正しい推理が出来るとは思わないが、その辺はお手並み拝見と言ったところである。
 なんて思った瞬間、
「!?」
 ツインテールが揺らめいた。
「も、もしかして聞いてましたか! 今の!?」
 いや、全然。
 俺の言葉に何故かほっと胸をなでおろした。ついでに藤原まで。一体何を考えているんだこいつらは? 聞かれちゃまずいことでもあったのだろうかね(多分な)?
「で、解ったのか、犯人は?」
 期待はしてないが聞いてみる。
「もちろんです! 解りましたっ!」
 耳を劈くようなハスキーボイスが響き渡った。ちょ、マジで言ってるのか? お前。言っておくが森さんは、
「大丈夫です。その件も含めてお話しましょう。先ほどの事情聴取を総合的に判断した結果、アリバイのない人物がいるのに気付いたんです。犯人はその人に間違いありません!」
 我が耳を疑ったね。あの電波少女が俺たちよりも早く真犯人を当てたなんて。もしかしたら酒を飲んだのが良い方向に向かったのか(もちろん冗談だぜ)?
「ふっふっふっふっふ! どうですか、あたしの実力は!? 今から犯人がして見せたトリックを暴いてやるのです! ポンジーくん、皆さんを呼んできて下さい!」
「わ、わかった」と、慌てた様子でホールから出て行く。
「橘さん、本当にわかったのですか?」
 見るからに心配そうな顔つきで諭す古泉の顔は「お前の出番じゃねーんだよ」と言う表情がありありと出ている。
「任せてください!」
 もちろんそんな親切心に気付くわけもなく、このKYは自信満々に平坦な胸をドンと叩き、(本日二度目)腰に手を当てて遥か遠方を見据えながら名言ならぬ迷言を吐いた。



「なんてったってあたしは会長さんご推薦の名探偵なんですから! あっはっは!!」



 ……ダメだこりゃ。


 ※橘京子の動揺(解決編)に続く


 

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最終更新:2020年03月12日 13:09