チャリン――
 
 厳重に閉ざされた扉の向こう。静寂が支配するその空間に、無常の金属音が響き渡る。
 ホールの奥、ステージの中心。そこに座する金の女神像。
 その女神像を前にして、一人の男が声を震わせながら蹲った。
「…………どうして…………こんなことが…………」
 彼――元生徒会長の彼は、金策尽きた中小企業の社長のように絶望の淵へと追いやられていた。
 ニヒルスマートとも言うべき端正なマスクも、今となっては見る影もない。
 だがそれも当然である。今ここで起きたことを鑑みれば、誰しもこの生徒会長のように取り乱してしまうのは吝かではないはずだ。
 その証拠に、彼の言動を――偽りの仮面に潜む素顔を知る『彼ら』でさえ、どのように対処し良いか分からず立ち尽くし、じっと彼の方向に目線を向けるに留まっていた。
 突然の来訪者である俺、漆黒の振袖を身につけた九曜、紋付袴を着込んだ藤原、……そして。
「会長……」
 蹲った会長を励ますかの如く、傍に寄った喜緑さんもまた。
 
 皆が皆、どう行動すればよいかわからずオロオロとしながら震える生徒会長に事の次第を判断しようと近づいた――その時。
「誰だ……一体誰だ…………」
 指輪――宝石の無い婚約指輪を手にし、会長の震える声は次第に大きくなる。
「俺の……我が家の…………家宝を……宝石を………………盗みやがったのは…………」
 そして、遂に――
 
 
 ――どこのどいつだぁぁぁぁっ!!!!――
 
 
 彼の邸宅、大ホール。事件はそこで発生した。
 何と言うフィールソーバッド、いや、バッドアクシデントだろうか。とてつもなく嫌な予感がする。
 一体、何故こんなことになってしまったのだろうか。何故またややこしい事件に巻き込まれてしまったのだろうか。どうして俺はこうも面倒ごとと相性がいいのだろうかね。
 しかし、そんな愚痴を言ったところでどうしようもない。特にここ数年の経験から鑑みるにそれは明らかだ。
 必要なのは、この事件を早期に解決して後へと残さないこと。そのためにも、時間を戻して経緯を説明する必要がありそうだ。
 というわけで、いつもの得意技であるバックトゥザフューチャー、いや、逆向き瞑想を開始してみる。
 
 あれは、今日の午前中。勉強に飽きた俺が淀んだ空を見て昔の出来事を思い起こしてた後のこと。
 二人の少女が俺の家に乱入し、強制的に初詣に行く羽目になったんだった……
 
 ………
 ……
 …
 
 インターネットの天気予報とは裏腹にダウナーでメランコリーだった空色は少しずつ明るさを取り戻し、雲の切れ間から今年一番の天照様、つまり初日の出を拝見可能となった元日の朝。
 年賀状配達を装ってまんまと家の玄関に侵入した極彩色コンビ――オレンジ色の振袖にクリーム色の巾着を手にした橘と、漆黒の振袖にこれまた漆黒の巾着を手にした九曜の悪たれ二人組――は嬉しそうに、
「行かないとこの振袖、キョンくん着せますよ!」
 と、手にした水色の振袖とかんざし付きのウィッグをフリフリちらつかせた。
「いやだぁぁぁぁ!! 誰が着るかぁぁぁ!!!」
 あの時のトラウマを鮮明に思い出した俺は絶叫に絶叫を重ねた。
「ああ……なんか本気で嫌がってますねえ……」
「当たり前だぁ!」
 やや身じろぎしながら腫れ物に触るかのような表情で言う橘に本気で拒絶の態度を見せた。好き好んで女装する男なんぞ危ない趣味を持っている奴か、或いは職業柄着ている奴しかありえん。
 そのどちらでもないノーマルな俺が女装するなどはっきり言って三本の指に入るくらい人生の汚点だ。
「えー」
 えー、じゃない! それにな、
「そんな暇があったら勉強に専念させてくれ。そっちの方がよっぽどタメになる!」
「大丈夫なのです!」何故だか自身満々で平たい胸をドンと叩いた。「信じるものは救われるのです! 祈れば大学に合格できるのです! ですからキョンくんもお祈りを捧げましょう! さあ! さあ!」
 危ない宗教かお前は……って、強ちそうではないと言い切れないところがとっても橘である。
「佐々木さんと一緒の大学に入学したいと言う信念を見せ付ければ、それは絶対叶うのです。なんたって佐々木さんは神様なのですから!」
 遺憾ながら同感である。佐々木と、そしてハルヒの力が混成すれば俺が勉強しなくとも大学に合格できてしまうのは何となく既定事項っぽくも思える。
 だが、それに甘えるってのもかっこ悪いぜ。形だけでも二人に猛勉強しているところをアピールしなければ合格もへったくれもあったもんじゃない。
「意外と義理堅いんですね、キョンくんってば」
 お前とは違うんだよ。
「さらっと酷いこと言いましたね」
 まあな。
「うううう…………なんか悔しいのです。こうなったらあたしにも考えがあります! 九曜さん!」
「――――――――」
 呼ばれて出てきてジャジャジャジャーンと言うわけではなくずっとその場にいたのだが、あいも変わらず存在感の無い九曜はいきなり存在感を露にした。
「やっちゃってください!」
 橘の命を受け、漆黒のマトリョーシカは俺に向かって手を振り上げた。「一体何をする気だ!?」
「―――こう――――する――」
「!!?」
 ……なっ…………体が…………動かない…………
「かな…………しばり………………か………………?」
 痺れて動かない舌と唇を必死に動かして言葉を紡いだ。
「ふっふっふっ…………これであなたはあたし達が今することをただじっと見てなければいけませんね……」
 勘輔の策略を見破った謙信の如く鋭い目つきをした。「まさか…………無理矢理………………つれて行く……気か…………?」
 俺の言葉にしかし口を歪め、奥に見える歯を白く輝かしていた。
「いいえ!」
 しかし橘は俺の目論みをを否定し、それ以上の戦慄を植えつけた。
「そんなことよりキョンくんの家にあるおせち料理、全部食べ尽くしてやるのです!」
 こらお前ちょっと待てぇ!
 俺の言葉も空しく、疾風怒濤の如きダッシュを見せたオレンジ色のソレは、ダイニングに整然と並ぶ正月料理を目の前に燦々と目を輝かせ、そして見つけた重箱の一つに手を伸ばし料理を鷲掴み!
「ムグムグムグ……うん! このられまき、あまくてほいひい! こっひのきんときもあんまいれすう!」
「結局たかりに来ただけかこの大飯喰らいがぁ!」
 ゴス、と目の前にあった重箱の隅が橘のドタマにめり込んだ。
「いったーい! 何するんですかぁ!! てかどうして動けるんですか!?」
「九曜に解いてもらったんだっ!」それより!
「何するんですかはこっちのセリフだ! いきなり上がりこんで電波な宗教論を語った挙句人様のうちのおせち料理を平らげるなぁ!」
「あー、いえいえ。お構いなく。ところでお雑煮はまだですか?」
「――――こっちに……ある――――白味噌……――――京都風――――」
「わあ、甘くていい香りがしますぅ! 九曜さん、こっちにも早く早く!」
「――――どうぞ……」
「いっただっきまーす! うーん、おいしい!」
「――――こってりしていて――――――それでいて――さっぱりして――――口の中で――とろけるような…………――――」
「ふう、美味しかったのです。そう言えばデザートはまだですか?」
「もう――ちょっと……――――待って…………今から――――――お汁粉――――――――作る――――――――」
「やったぁ! 期待してますよ、九曜さん!!」
 こいつら……本気でたかりに来たのか?
 それ以上無銭飲食を続けるなら警察に通報しちゃるがな。いやマジで。
 
 
「とまあ、腹ごなし……もとい、冗談はここまでにして」
 とても冗談とは思えないくらい程がっついた橘は、食事に満足したのかようやく(?)当初の目的を思い出したようで、「そろそろ初詣に行きましょうか」
 だから俺もさっき言ったとおりヤダっていっただろうが。
「一年の計は元旦にあり、なのです。初詣は元日の午前中に行くのがスジってものなのです」
 決して意味不明なことを言っているとは思わないが、だがどんなに名文句も橘が喋ると全て台無しになってしまう気がするのは俺の気のせいだろうか。それはともかく、
「なるほど、お前の言う事も一理ある」
「じゃあ……」
「だがな、もう済ませてきたんだ」
「……へ?」
「実は今朝方、ハルヒや佐々木達と一緒に行ってきた。だから二度も行く必要は無いだろ」
「ええええー!!!」
 何故か橘は驚いた様子で
「そんなぁ! あたし呼ばれてませんよ!」
「そりゃあ、呼ばなかったからな」ハルヒと佐々木が断固として拒否したから仕方あるまい。
「ひっどーい! あたしの人権はどうなるんですか!?」
 さあ、その辺はお前を無視した二人に問い質すか、人権擁護団体に訴え出てくれ。正直俺の知ったことじゃない。
「うううう……キョンくんってば最近冷たい……あたしを人間扱いしてないなんて……ひぐっ…………」
 ヨヨヨと泣き崩れたように見える振袖姿のツインテール。しかし俺はコレが演技であることはとうに見抜いていた。伊達にこいつとの付き合いも長いわけじゃないぜ。
「くっ……やりますね。あたしの渾身の演技を見破るとは……」
 渾身の演技をするつもりならば、先ずは口の周りの汚れをふき取ってからしていただきたい。
「それは後々の課題として組織に提案することにします。……で、キョンくんは初詣に行ったのに、あたしと九曜さんは初詣に行かないなんて我侭、許されると思いますか?」
 いや、許されるも何も。
「九曜は初詣に行ったぜ。俺達と一緒に」
「…………へ??」
「だから、俺とか、ハルヒとか、佐々木とか。その他にもいたけど、とにかくお前以外の奴らで初詣に行ってきたんだよ」
「……えー……と……」
 口の周りを汚したままの橘は、ギギギと言う効果音を立てて首を九曜の方に曲げた。
「本当、ですか……九曜さん!?」
 九曜は橘を凝視した後俺の方を見据え数ナノ単位で首を動かした後、再び橘に目線をロックオン。
「――――本当…………行ってきた――――初詣――――皆と一緒に……――――」
「………………え゛」
 鏡開き時の鏡餅宜しくカチンコチンに固まった。
 まあ……九曜は別段俺たちに害を成すことは無かったし、ハルヒも佐々木も得に問題なく誘ってたみたいだぞ。気にするなって。その代わりと言っちゃ何だが藤原はいなかった。ほら、お前と同じで。よかったなー。ともかく初詣には一人で行ったら……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
 あ、泣き出した。
「ひどいぃぃぃ!! ひどすぎますぅぅぅ!!! みんなであたしをいぢめるぅぅぅ~!!」
 ギャン泣きする様は演技でなく、ガチで泣いているようだった。
「そ、そんなに泣くなって! 誘われなかったくらいなんてこと無いだろ!? 俺達だってお前を除け者にしたわけじゃ……あるけど……いやそうじゃなくて……あ、そうだ。藤原はまだ行ってないだろうから二人で行けば……」
「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~ん゛! う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~ん゛!」
 橘の鳴き声は更にヒートアップした。高周波を醸し出す嗚咽音は俺の家だけならまだしも近隣住民の皆様の平穏なる元日を脅かすのは間違いなかった。
「わ、分かった分かった! 行く! 行ってやる! だから泣くのは止めろ!!」
「本当ですか? やったぁ!」
 あれだけ激しく号泣していたツインテールは嘘のようにピタリと泣き止んだ。
「わーい! キョンくんと初詣だぁ! たのしみだなあ!」
 もしかして、あの涙も演技だったの?
 ……マジ!?
 
 
 こうして俺は、本日というか本年二度目の初詣(二度目なら初じゃなくて二詣でとでも言うのか?)に借り出されることなり……そして。
 実りの無い事件に巻き込まれる羽目になるのだ。
 
 
 
 渋々と言うか橘の姦計に見事引っかかってと言うべきかはさておき、最寄の神社へと向ったのは十時を三十分程過ぎていたことだけは記憶の隅に留めている。何故そんなこと覚えているかって? 単に家を出るとき何となく時計を見たからだ。
 俺の自宅から目的の神社までは歩いて三十分くらいのところにあるので、このまま何事もなく移動できれば十一時には到着するだろうし、そこからお祈り等何やかんやしたところで十二時には自宅に戻ってこられるはずだ。
 避けるのが無理ならば、一刻も早く事を終わらせるに限る。残り少ない高校生活、いや、受験生生活を有意義に過ごすためには一分足りとも時間を無駄にする事はできないのだから。時間にシビアになるのは仕方ないことだと思うね。
「……キョンくん、さっきから何ブツブツいってるんですか?」
 ぴこぴことツインテールを揺らしながら、俺の顔を覗き込むように橘が訪ねてきた。
「どんな願い事をするか考えてたんだ。何せ二度目だからな」とは俺の弁。正直嘘なのだが、本当のことを言っても仕方ない。代わりに「そう言えばお前はどんな願い事をするんだ?」と質問する形で返してやった。
 すると橘は…………って、無言かよおい。
「……え? あ?」
 一人でブツブツ言うのも良くないが、人の質問に答えないってのもどうかと思うぞ。
「あ……失礼しました。誰かついて来てる気がしたんで……」
「ストーカーかもな」絶対ありえんが、と心の中でだけ付け足しておく。
「ストーカーですか……是非一度経験してみたいですね。記念に」
 何の記念だよ、変な奴め。
「ああ、それよりさっきの質問ですけど、そうですねえ……今年もみんなと仲良く遊び回りたいです」
 ニカッとはにかんだ彼女の表情がやけに眩しく感じられた。
「お前の願いはハルヒの能力を佐々木に移管することじゃなかったのか?」
「うん、そうですけど」何故か悲しそうな表情で「でも、無碍に実行する必要も無いかなって」
 およそ橘らしくない発言をしでかした。頭、大丈夫か?
「大丈夫ですよっ! ノータリンみたいな扱いはしないで下さい!」
 ぷくっと頬を膨らませた。冗談だよ、冗談。俺がそう言うと橘は、
「あたしの願いは本気ですよ。確かに『組織』にとっては、涼宮さんの能力が佐々木さんに移行されることに何の懸念もありませんし、あたしの主旨も初志から変わることなくここまで来続けています。でも……」
 でも……何だ?
「あたしは佐々木さんの良き理解者であり、パートナーとしてありつづけたいのです。ですから、佐々木さんの望むべくも無いことをむやみやたらに差し迫るのは、組織のためにも、そして佐々木さんのためにも良くないんじゃないかって思い始めてきたんです」
 それはそれは。橘にしては良い心がけだ。そうしてくれれば佐々木も大助かりだろうよ。それだけ佐々木のことを気に掛けてくれれば何をすべきなのか普通見えてくるもんだがな……
「何か言葉に刺があるように感じますが……まあいいです。古泉さん達が主張する、『涼宮さんが望んだことが現実となる』ように、あたし達も『佐々木さんが望んだことが現実となる』ように仕向けなければいけないのです」
 で、具体的にはどうするんだ?
「さあ、わかりません」
 おいおい、何だそりゃ。
「分からないからこそご神託を聞きに神社でお参りをするんですよ。ねー、九曜さん」
「――――そう――――――」
 俺達の後ろを、足音も立てずに歩く九曜が肯定の反応を示した。
「いずれ――分かる――――日が……来る――――」
 何時だ、それは?
「その――うち――――」
 そうかい。ならその時に備えて構えておくことにするよ。
「それよりも」
 俺は目線をチラリと横にずらし、「まずは目先の懸念を払拭することにするか」
「そうですね。先ずは大学合格が重要なのです!」
 ……いや、それも重要だが、俺の言いたい事はそうじゃない。遠くに見える違和感を尻目に、横に侍る女性陣にだけ聞こえるようぼそっと喋りかけた。あ
「(お前の言ってたのは本当っぽいな)」
「……ん? 何がですか?」
「(確かに誰かついて来てるようだ)」
「えええええっ!!」
 こ、こら! 声を上げるな!
 俺の言葉に橘は、
「だってうれしいですもん。本物のストーカーさんに付きまとわれてこそあたしの人生にも箔が作ってもんです!! やったぁ!」
 ……だから喜ばないでくれ。
 
 
 それは俺達の後ろ、道路の路側帯に組み立てられた物置程度の網小屋――所謂ゴミの集積小屋。野生の動物達がゴミを漁るのに苦慮して市が立てた小屋の一つだが……その周りを確かにうろちょろしている人物がいた。
「(どう見ても犬や猫の類ではないぞ……浮浪者か?)」
「なんだ、ストーカーさんじゃないんですか……残念」
 まだ言ってるのかお前は。
「まあいいや、とにかくゴミを漁っているかも知れませんし、あたし注意してきます!」
 馬鹿! 無視しろ! 構うなそんな変な奴!
「いいえ! 公序良俗に違反する行為をする輩はとっちめなければいけません!」
お前は『公序良俗』なんて四字熟語を使うに値する人間なのか、ゴミ漁りはダメでストーカーはオッケーと言う判断基準はどこからきたのかというツッコミが即座に思い浮かんだが、そんな言葉攻めをしたところででおずおず引き下がる橘京子ではない。
 俺の制止を振り切り、カパンパカンと軽快な下駄音を立てて一直線。
「こらーっ! そのこあなたー! 出てきなさーぃ!」
「――――!!?」
 響き渡るハスキーボイスに驚き、慌てて小屋の中へと隠れる。それを見るや否や、彼女も一緒になって小屋の中へと駆けて行った。
 やれやれとは思いつつ、トタトタと走り出す俺、そして九曜。因みに九曜は橘と同じく下駄を履いているはずなのに足音は全く無かった。さすが長門も舌を巻く別世界の宇宙人である。
「そんなとことに隠れても無駄よっ! 出てきなさい!」
「うおわぁ!」
 大量のゴミに埋もれた人物を難なく引っ張り出した。そこにいたのは、
「あ、ポンジーくんじゃないですか」
「うっ……」
 そう。この寒い中、燃えるゴミと一体化して姿を眩ましていたのは一風変わったオシャマな未来人、ポンジー藤原だった。驚くこと無かれ。何故か紋付袴姿の正装でご登場だ。
「何してんだ、お前。そんな格好で」
「ふん、別段何をしてても構わないだろう。そんな目で見るんじゃない」
 確かに何をしててもお前の勝手だが、そんなところに隠れている時点で周りの人間から奇異な目で見られるだろうし、何事かと声を掛けられるのは仕方の無いことだぞ。
「それに頭の上に魚の骨が乗ってるその姿はいくらなんでもみっともない」
 俺が親切にも頭の上にのっかったソレを取ろうとすると、何故かそれを制止した。「これも規定事項だ」
 ああそうですかそうですか。じゃあ外すなよ絶対にな!
「言われなくてもそうする!」
『ふんっ!』
 と、どうでもいい事で口論となった俺達だが、「まあまあ、いいじゃないですか」という何がいいのかさっぱりわからない橘の宥めによってこの場はそれ以上の惨事は回避された。
「で、何してたんですか? 本当に」
「……いや、その……」
「いいじゃないですか、教えてくださいよ。あたしとポンジーくんの仲じゃないですか」
「ふっ、知りたいのなら教えてやる。えーと、実はな……初詣に……そう、初詣だ。及びそれに係る神への祈祷。そんな古典的風俗を勉強しようと思ってたんだ」
 若干言葉を詰らせながらも答えた。俺には決して言わなかったのに橘相手になるとあっさりと口を割りやがったな、こいつ。何だこの差は……と言いたいところだが、橘にお熱なのだから仕方ない。悔しくなんかない。絶対にない。
「文献によると『神社』の『本殿』という建造物に祈祷を捧げることになっているのだが、如何せんその文献には『本殿』の写真が無くてな。記述からソレらしきものに目星をつけて探索を行っていた。そして見つけたのが……」
 未だ頭の上に魚の骨をのっけながら、藤原は自信満々に集積小屋を指差した。「この建造物だ」と。
「…………」
 思わず沈黙。っていうか何て言えば良いんだよ。
「文献に依ると、それほど大きくもない木造建築物は観音開きとなっており、その中には御神体が祭られているとのこと。然るにこの建造物も同様の造りになっているではないか!」
 ええっと……その……
「だからここでお祈りを捧げようとしていたところなのだ。現地人はこのような格好を正装とし、二礼二拍の後御神体にお祈りを捧げる……ふっ、どうだ。どこからどうみたところで初詣に違いあるまい!」
「そ、そうか……そうだよな……お疲れさん……」
 何と答えて良いか分からなかったので、とりあえず労いの言葉をかけることにした。
「んー、そうだったのですか」
 対照的に納得したたのか、橘は二房の髪をふわふわ揺らして鷹揚に頷いた。
「初詣に対する心がけ、大したものです。キョンくんとはえらい違いですね」
 うるさい。
「でも……それなら何故あたし達の後をついて来たですか?」
「は!?」
「最初は気のせいかと思ってましたが、でもあたし達の後をずっとつけてくる気配がありました。初詣をするのが目的なら、あたし達に付きまとう必要は無いですよね」
「……い、いや……別に付きまとってなど……」
「ならどうしてあたしが追いかけた瞬間、隠れたりしたんですか?」
「うっ……いや! 追いかけてなどいない! たまたまだ神殿に身を委ねたのがそのタイミングだっただけだ!」
「怪しい……」
「怪しすぎる……」
「怪しさ――――大爆発――――」
「そこまで言わなくても!」
 いいや、だって余りにも不可解な解答なのだから仕方あるまい。
「怪しいと言えば……そうそう」橘は手の平でポンと音を立てて言葉を紡ぎだした。「古典的風俗を勉強している割に、神仏に対する基本的なことをご存知無いようですね」
「何……だと?」
「例えば御神体。普通御神体って、目のつかない場所に保管されているんです。神様が人目を気にしているとか、人間が神様を見たら目が潰れるとか……諸説色々有りますが、簡単に目の入るところにはいないのです。文献に書かれていませんでしたか?」
「うっ…………いやいや、そんなことは書かれてなかった気がするが……あ、いや!」
 何かを思い出したか、
「そのような文献も読んだことはある。だが、古来御神体と言うものは自然そのものであったり、または風光明媚な土地・地形が御神体となるケースもあるはず! 決して依り代となった物質が姿を晦まさなければいけないと言うわけではない!」
「うわ、すっごい! よくご存知ですね!」
「へ……へへ。まあな」
 若干照れたように笑う藤原。うん、きしょい。
「でも……それだけご存知なら、ますます怪しい。だってそうでしょ? 本当に神社や御神体についての知識があるなら、こんな場所が神社の本殿なんて言うはずずもないし、それに魚の骨が御神体だなんて言うはずがありません」
「ぐ…………」
「それに関してはどうお答えしますか?」
「いや……だから…………」
「――――彼の…………言う事も…………――――一理――――ある――――骨を…………――奉る……――――――地域も――――――あることは――――…………ある――――――」
「ほ、ほら見ろ! 僕の言う事も強ち嘘じゃないだろうが!?」
 なんともまあ、往生儀が悪い奴だ。いくら九曜が代弁してくれたからと言っても、不利なことは間違いない。
「分かりました。ポンジーくん、あなたはその小屋が御神体を祭っている神社、そして頭の上にあるお魚さんの骨がご神体であると。そう信じて疑わないのですね」
「ああ、そうだ」
「ならば……」
 藤原の返答に、橘は獲物を捕らえたような野獣のような表情で、
「今すぐそこでお参りをして下さい! お魚さんの骨に向かって二礼二拍して祈祷を上げてください!」
「なっ!!」
「お魚さんにきちんと願い事を言えたならばあなたの仰ることが本当であると信じましょう」
「くっ…………」
 とうとう藤原の口が沈黙した。なるほどそうきたか。橘にしては上手い誘導尋問だ。
「さあ、どうしたんですか、お辞儀してください! お手を叩いてください! お魚さんの骨に向かって! ゴミの山に向かって! さあ!」
「……い……いや…………」
「遠慮は要りません! 通りすがりの方達が白い且つ哀れむような目線でポンジーくんを蔑むかもしれませんが気にしないで下さい! あなたはあなたなりの神様がいるんですから!『トラッシュイズゴッド! ボーンイズジャスティス!』と請い願うのです!」
「わ、悪かったぁぁぁぁ!!!! 許してくれぇぇぇぇ!!!!!」
 あーあ、とうとう泣かせたか。顔をくしゃくしゃにしてまで懇願させるとは……結構容赦の無いヤツである。
「だって、本当の事言ってくれないんだもん……そう言うの見るといぢめたくなっちゃう。もうっ」
 再び頬を丸く膨らませた橘は、結構可愛く……絶対気のせいだ。
 
 
 
 観念した藤原はポツポツと事の詳細を語り始めた。
 
 ――神社や初詣について文献を調べたことは本当であり、実際に参拝してみたいと言う気持ちはあった。
 もちろん神社が分からない訳でもない。いくらこの時代の地理に疎くても、地図を調べれば『○○神社』ってのが出てくるからな。
 だが、懸念事項もある。生まれて初めて、しかも遠い異国で自分のそ知らぬ文化行事を万事上手くこなせるか?
 もちろん他人と同じような行動をすればいいのだが、ちょっとしたミスで笑いものにされるのはいただけない。こと過去の人間に笑われるなど屈辱の極みである。
 行くべきか、行かざるべきか。
 神社までの往路をウロチョロして対策を練っていたところ、ふと自分の目の前によく知る人物(俺達のことだ)がいるではないか。思わず隠れてしまい……だがよくよく見ると、女性陣は文献にあった和服の着物を召している。
『まさかあいつらも初詣に行くのではないか? いや、そうに違いない』
 これはチャンス。奴らの後を追い、偶然を装って出会ってやる。そしてそれとなく初詣の話へと持っていき、後はあいつらに合わせていればいいだろう。
『ふ、なんて完璧な計画なんだ。最高だ』と自画自賛していたまでは良かったのだが……。
 ここで想定外の事件が起こった。やおら方向転換をした橘があれよあれよと言う間にこっちに近づいてきたのだ。
 ちょ、待て! 僕の計画じゃ出会うのはもっと先のはずだ! どうやって言い訳するか考えてないんだこっちは!
 等と心の中で叫びながら、近くにあった小屋に隠れ――
 
「……後は知ってのとおりだ」
 少々不機嫌な様子で、藤原は不快感を露にした。
「理由は分かった。だがそれならそうと言ってくれればいいのに」
「ふん」
 ったく、本当にツンデレ野郎だな、こいつは。
「なあんだ、それだけですか」残念そうな顔で橘は「もっと大事件を隠しているのだと思ってました。この集積所に遺体を遺棄しにきたとか、とても言えないところから強奪した金銀財宝を隠しにきたとか」
 頼むから正月そうそう物騒なことを言わないでくれたまえ。
「しょうがないですね。ともかくあたし達と目的は同じみたいですし、ポンジーくんも初詣行きますか?」
「はい、喜んで!」
 今の今までしょぼくれてたくせに、立ち直りも早い奴ではある。っていうかお前、現地の人間と行動するのは嫌だっていってなかったか?
「ふっ、目的のためには多少の羞恥心は目を瞑る必要がある」
 お前の羞恥心の基準が分からんわ。見つかるまではまるで俺達を監視するかのようにつけまとい、見つかったら見つかったで一緒に行くと言い出して……ああ! そうか!
「橘、藤原のの本当の目的がわかったぞ」
「へ?」「なっ!?」
「何やかんや言ってるが、要するにこいつは俺たち、というかお前と一緒意に初もう……」
「わー! わー! わー!」
 どうした藤原。いきなり奇声を上げて?
「本当、どうしたんですか?」
「あーいや、わー……わー……わーたしのお名前ーなーんだっけ?」
「大丈夫か藤原?」いや俺は分かってからかっているんだが。
 対照的に橘は頭にクエスチョンマークを浮かべ、訝しげな顔をしてポンジーを見つめている。そのポンジーはもう面白いくらいにしどろもどろだ。ふふふ、ふっとからかってやる。
「お前の名前は自称藤原じゃないか。橘のことがす」
「とがすー!!」
「ど、どうしたのよポンジーくん!?」
「とがす……とがす…………都ガスでエ○ファーム! コージェネでエコな生活を! 未来人からのお願いです!」
「――――ユニーク――――」
「……あの、一体なにが楽しいんでしょうか……?」
「ちょっとした余興さ」
「くはーっ……くはーっ…………くそ、覚えてやがれ…………」
 やだ。絶対忘れる。そう心に留めながら恨みがましい目を向ける野郎から目をそらた。
 
「しかし、よくこいつの言い分に突っ込めたな、お前」
「えへん、これでも洞察力には優れているのです。言葉や時制、そして行動の矛盾を読み取り、明朗にそれを指摘する。これこそあたしが最も得意とする技なのです」
 全く自覚の無い答えを返しやがった。
 俺が言いたいのは、あんな突拍子も無い嘘をしれっと流さずよく突っ込めるなって事なんだが。大体神社の神殿がゴミの小屋なんて言う奴は280%くらい妄言を吐いているとしか思えないぞ普通に考えて。
「その顔。信じてないですね?」
 じっと覗き込むように見上げた橘はあからさまに不満の色をにじませた。
「いやだから、信じる信じない以前の問題で……」
「それ以前の問題!? そこまで馬鹿にしますかキョンくんは!?」
 ダメだ、聞いちゃいねえ。
「ふふふ……わかりました。ならあたしの明晰な頭脳を披露してやるのです。疑問難問珍問いくらでもかかってきなさい! この名探偵橘京子が全て解いて見せます! おーほっほっほっほっほ……って、あれ? 皆さんどこですか?」
 一頻り高笑いをする橘からそっと距離をとり、重たくなった頭を左手でぐっと支えながら俺は二回目の初詣でお願いすることを決定した。
 願わくば、今年はあいつとの関わりを尽く断ってください、と。
 
 
 とまあ、サプライズゲストと言えば聞こえが良いかもしれないが実質ただの腰巾着、橘のパシリとも言うべき藤原も仲間に入れた俺たち一行は再び歩みを始め――そして、彼と出会うことになる。
 
 
 
 男女二組、ダブルデート状態になった俺達は他愛も無い話を繰り返し、程なく神社に辿り着いた。社の領地内は時期が時期だけあってかなりの人で覆い尽くされていたが、それでも身動きできないほど込んでいるわけでもない。
 所詮は田舎の一神社。こんなものであろう。
 というわけでサクサクっと事を終わらせよう。参道の脇に立ち並ぶ屋台を尽く無視し(途中橘が何回か立ち止まったが無理矢理引っ張ってきた)、祝詞をあげる神主さんも華麗にスルーし(こっちは藤原が興味心身だったが以下同文)、そして祭壇へと並んだ。
 カランコロンと鈴を鳴らし、パンパンと手を叩いてお辞儀。藤原が前もって調べたらしい二礼二拍をしたのち手を合わせてお参りする。橘、藤原、九曜もまた同じ行動を繰り返した。
 藤原がやたらと人目を気にしていたことと、探偵気取りで他の参拝者の願い事を推理し始めた橘を除けば特に問題なくお参りは終了し、これで晴れて自由の身になったわけである。
「やれやれ。それじゃあ俺は帰るぞ。後は任せた」
 時刻は十一時半。ほぼ俺の予定通りの時間である。今から帰って勉強すれば何とか遅れを取り戻せるだろう。
「えー!」しかしと言うかやはりと言うか、空気の読めないこいつがあからさまに不満の色を醸し出した。「せっかくのお正月なんですし、もうちょっと遊びましょうよ! 探偵ごっことか!」
 せっかくの正月に探偵ごっこをしなければいけない理由は一体なんだろうか。そこんところ問詰めて見たいがこいつに付き合うとろくな事が無いので、
「だから何度も言ってるが、俺は受験生なんだ。それに遊ぶなら藤原がいるじゃないか。探偵ごっこするには打ってつけだ。頼んだぞ」
「お……おう! 任せとけ! 犯人役でも被害者役でも何でも演じきってみせる!」
 着物の上から胸をドンと叩いた。しかもなんだか嬉しそうである。
「と言うことだ。頑張ってくれ」
「でもお……」
 どうした。不満でもあるのか?
「ポンジーくんって、一生懸命なのはいいんですが……なんて言うか、必死過ぎてちょっと引いちゃいます」
「がーん!!」
 ……あ、ポンジーが硬直した。
「いくら遊びとは言え、長いことやってるとこっちが疲れるのよねえ」
「ががーん!!」
 今度は白い砂と化した。
「あたしはもっとクールで冷静沈着な人を抜擢したいな、と思いまして」
「ががががーん!!!」
 そして崩れて木枯らしに吹かれ舞い散り……いくらなんでも藤原がかわいそうである。
 なあ橘、人の振り見て我が振りなおせ、って諺知ってるか?
「ああ……どこかにいないですかね、クールでヒールな役がピッタリな王子様♪ 実はさっきお願いしたのです。今年こそきっと白馬に乗った王子様があたしをお迎えに来てくれると!」
 はいはい、それはよかったね。きっと直ぐに来るぜ。白馬に乗った王子様がな。お前を迎えに来てそのままさらって行って二度と俺の目の前に現れないで欲しい。
 ――なんて、心にも無いことを言った俺は自分を呪った。
 まさかこの後すぐにそんな人が現れるなんて思っても見なかったからだ。
「きっと、あっちの方向くらいから!」
 橘が参道の向こう――俺達がやってきた道を指差した、まさにその時。
 
 ――ドドドド ドドドド ドドドド――
 
 胸を突くような重低音が俺達……いや、周りにいる全員の心臓に響き渡った。車かバイクの排気音だと思うが……ビートを刻むような胸の高鳴りはどういうことか。大きい音量は胸が苦しいどころか、むしろ心地よくも聞こえてくる。不思議な音だ。
 一体どんな車なんだろうね。
「あたしが推理してみましょう」
 再び探偵気取りになった橘がしたり顔で言い放った。
「ふむふむ……独特の不協和音……それが奏でるエクゾースト、排気干渉――――これは水平対向エンジン! ポル○ェかス○ルね!」
 ビシッ! と俺に向かって指差した。
「――違う――――――この音は――――空冷Vツイン…………――――ハ○レ○――――ダ○ッド○ン――――――」
 ……だ、そうだ。
「あ、あたしだってたまには間違えます。恥ずかしくないですもん!」
 の割に顔は真っ赤だ。
 
 やがてそのVツインとやらの音はこちらに近づき、そして音を出しているものの正体……かなり大型のバイク――鈍く光る黒のボディと鮮やかに光るメタル部分がコントラストとなってより存在感アピールしている――が、俺達の目の前現れた。
 九割以上が歩行しているこの参道でバイクはただの一台。季節柄というのもあるが、その個体とも相まって注目度抜群。殆どの歩行者はその威圧感からか、恐れおののくように道を譲っている。
 俺達も例に洩れず、同じく道を空ける……が。
 こともあろうにバイクは俺達の目の前で停止した。
「え? え?」
「――――――」
 意味が分からず思わず言葉を失った。
 ライダーは恐らく男性。恐らくと言うのは他でもない。身を包んだ革製のジャケットとパンツ、そしてスモークシールドに覆われた全体から性別を認識するのは困難だからだ。
 しかし、古泉に迫る長身とスタイルの良さから男性であることはほぼ間違いないだろう。
 そのライダーは俺達を一瞥し、納得した様子でジェットヘルメットを脱ぎ、
「よう、久しぶりだな」
 排気音が鼓動する中に、彼の渋い声が響き渡った。
「もしかして……会長!? 生徒会長さんか?」
「ああ。今では『元』と言う方が正しいが……そんな細かいことはどうでもいい。そう、私だ」
 生徒会長……元生徒会長は、胸ポケットに入れてあったタバコを取り出し、ライターで火をつけた。まるで自分の言動を思い出させるかのように。
 ああ、思い出したぜ。彼が学校を卒業してもう一年近くなるんだから仕方ないだろう。
「(ちょっとちょっと、あの人誰なんですか?)」
 くいくいと俺の袖を引っ張り、初顔合わせの力士みたいに顔を強張らせた橘に、
「去年卒業した、俺達の学校の生徒会長だ」
「元、だ。今は違う。と言うかもう金輪際やる気は無いぜ。あんな面倒な仕事はヨ」
 ぷうと吹かした煙が木枯らしによって吹き散らされた。
「古泉に唆されて生徒会長になったのはいいが、あの女のせいでかなり振り回されたからな。お前は知らないかもしれないが、古泉からの注文はかなりウザかったんだからな。……ふっ、でもまあ」
 ここで更に一息。
「おかげで首尾よく進学できたわけだ」
 そう。確かにこの人は古泉……正確に言うと『機関』の助力もあって、都心にある某有名大学に進学したんだった。「一年間、『機関』の言うことを聞いてくれた褒美です」と、去年の春に古泉から聞かされた覚えがある。
 全く、『機関』というのはどこまでパイプを巡らせているんだろうかね。
 余談だが、この話を聞いた時に俺の大学受験の時も頼むってお願いしたんだが見事に断られた。曰く『彼の在籍している大学はともかく、あなたが受験する大学はそこまでの関係を持っていないので』らしい。本当かどうかはしらないが。
「それで、今日はどうしたんですか? 実家で初詣をしに来たんですか?」
「いいや、送迎しに来ただけだ」
「送迎?」と俺。「ああ。そこに――」
 その時ようやく気付いた。会長のバイクのセカンドシートに、誰かが乗っていることを。
 会長よりも一回り小さいその人は、居住まいを正し、被っていた大き目のフルフェイスヘルメットを脱ぐ。ふさぁ、と緩やかなウェイブが肩の下まで垂れ――って、まさか
「明けましておめでとうございます」
「き、喜緑さん!?」
 ワンピースにレギンス、そしてパンプスと言うおよそ普段着のせいか、ゴツイ装備の会長に目が行っていた俺はその存在をすっかり見落としていたが、優しい微笑みを見せる彼女は、俺が思わず言葉を漏らしたその人に間違いなかった。
「どうしたんですか、一体?」
 同じような質問を繰り返す俺に、彼女は暖かい瞳をこちらに向けて微笑んだ。
「こちらでアルバイトをしておりまして」
「アルバイト? どんな?」と聞き返そうとした瞬間、
「(ちょっとちょっと、こっちの人は誰ですか!?)」
 ええい、黙れ橘。今はお前に構ってる時間はないっ!
「(…………)」
 よし、黙ったな。
「……すみません、続きを」
「あ、はい。そこの社務所で他の神官や巫女のお手伝いをしております」
「助謹巫女ってやつだ」
 助謹巫女……つまり年末年始や祭りの際など、忙しい時に手助けする臨時雇いの巫女さんである。
 巫女さん姿の喜緑さんか……朝比奈さんの巫女姿も秀麗だったが、それに劣らぬ見事なものだろうな。
「会長も、結構好きですなあ」
「ふっ……何のことだ?」
 若干ニヤケながらも否定するところがとても彼らしかった。
「昼から夕方までの約束で働くことになっているんだ。大学生たるもの、勤労に対する理解も必要になってくるからな」とは会長の弁だ。だけど高校生の時から働いていた喜緑さんは既に勤労の大変さを知っているのでは……
 ……っと、いけねえいけねえ。高校生時代のバイトはオフレコだったな。
「そう言う訳だ。もうすぐ時間なのでこれでお暇させてもらおう。では」
 再びヘルメットを被りなおし、アクセルを吹かし、鼓動音を響かせてこの場を立ち去る――と思いきや。
「そうだ、丁度いい」
 何かを思い出したようにシールドを開けて喋りだした。
「ここで会ったのも何かの縁だ。これから私の家に来ないかね。年始のパーティに招待しよう」
「パーティ……ですか?」
「ああ。本当は身内だけで行う予定だったんだが、両親が急な用事が入って出席できなくなってな。急遽出席者を募っていたんだ。せっかくの各国の最高級食材ももったいないしな。無論他に用事があるなら強制はしないが……どうだ?」
 うーん、せっかくですが、俺は受験ですし、最後の追い込みもしなければいけませんし。残念ですが今回は
「行きます!」
『!!?』
「是非お呼ばれさせていただきます! あ、あたし橘京子っていいます! 宜しく!」
「あ……ああ……よろしく……」
「――――――九曜―――――…………周防――――九曜……――――夜……露――死苦――――――」
「もうっ! 九曜さんたら高級食材が食べられるからって言って舞い上がりすぎですよ!」
「―――失敬……失敬――――」
「はは……はははははは…………」
 さすがの会長も額に汗を垂らして苦虫を潰したような顔をしていた。その表情から『人選、間違えたかな?』という雰囲気がありありと出ている。
 ここだけの話、正解です。会長。止めるなら今のうちですよ。というか拒否してくださいお願いします。
 俺がそう願う中、残った喜緑さんは顔色一つ変えずニコニコと微笑みを続けている。この人もかなりの大物だ。以前の対決はどこ吹く風で三人の様子をにこやかに見守っていた。
 ああ、因みにポンジーくんだが、ずっと固まったままだったことは付け加えておかなければなるまい。
 
 
『先ずは喜緑くんをバイト先まで送る。それから合流しよう。この先にある店で待ってくれないか? ついでに案内人も呼んでおこう』
 会長はそういい残して再びバイクを走らせ、残った俺達は会長の言いつけどおりの場所まで歩き始めた。
「楽しみです! 最高級料理!」
 笑顔がこぼれんばかりの橘とは対照的に、俺の気持ちはブルー一色に染まりかけていた。やっと束縛時間が終わったと思ったのに、また面倒なことに巻き込まれた俺のこの気持ち。分かるか?
「まあまあ、最高級食材があるからいいじゃないですか」
 こいつの脳みそは喰い気が何よりも優先されるらしい。
「まあそれはそれとして」コホンと咳をついた後、彼女は両手を頬に添え、顔を赤らめて衝撃的な一言を発した。
「それにあの人、かっこいい!」
『なにぃぃぃぃぃぃっ!?』
 橘を除く全員の声があたりにこだました。恐ろしいことに九曜もだぜ。
「マジでそう思ってるのか!?」
「――――かなり……想定GUY……――――予想GUY――害害害――――――」
「ほら、クールでヒールっぽくて。さっきあたしが言ったとおりの方です! 彼こそあたしの白馬に乗った王子様なのです!」
 白馬じゃなくて黒い単車だったんだが、そこは問題ないのだろうか?
「コブ付きだったのが残念でしたけど、あたしは諦めないのです! 絶対あたしの虜にしてやるのです!」
 いや無理だろ普通に考えて。お前と喜緑さんとじゃ人間としての器が違いすぎる。喜緑さんが人間かどうかと言う突っ込みはさておいて俺はそう思う。
 そして困ったことに、勘違いしている人物は一人だけではなかった。
「僕も行く! あんないけ好かない野郎に僕の大切な人を上げるわけにはいかない! 奪い返してやる!」
 もちろんもう一人の勘違い大王、いつの間にか復活したポンジー藤原。こいつも橘のことになると目先が見えなくなるからな……。
 現に今、「大切な人? 誰ですか?」と突っ込まれ、「うあ! き、禁則事項だ!」としどろもどろで言葉を返しているくらいだからな。
「ふふふーん。ポンジーくんにもそう言う人がいたんだ。ふふふふーん……」
 いやらしい笑みを浮かべたまま、
「ではあたしが誰なのか、推理してみましょう。と言うかスバリさっき会長さんの後ろに乗っていた女性ですね!」
「いや、その……」
「いやいや、照れなくてもいいから! 全然知らなかったんですけど二人はそんな仲だったんですね! あたし応援しますから!」
「…………」
 というわけで、勘違いに勘違いを重ねた一行は会長の指示した場所へと向かうのだった――
 
 
「ここは……ジュエリーショップですね」
 会長が示した店は、俺達高校生にはとても縁がなさそうな宝石店だった。それもかなり高級の。
 店に入ったわけでもないのに高級と断定した理由は二つある。一つは作りがいかにも高級そうだったから。そしてもう一つは入り口に常時張り付いている警備員。
 いくら縁が無くとも、これだけ豪奢で厳重な建物を見れば高級ショップであることは一目瞭然だ。
 しかし、一体なんでこんなところに俺達を呼んだのだろうかね。
「あたしの推理によりますと、あたしを一目見て気に入った会長さんがあたしにプレゼントをするため」
「あれ、古泉じゃないか」
「これはこれは。皆さんおそろいで」
「ふん」
「――――――――――」
「に、きっとこう」
「まさか案内人って言うのはお前か?」
「ええ。彼の気まぐれにも困ったものです。何故このような面子をパーティに……失礼。あなたのことを言ったわけではありませんよ」
「分かってる。気にしちゃいないさ」
「――――当然――――」
「あんたに贔屓目をされる筋合いも無いけどな」
「にゅうしてくだ」
「それにしても意外なのは事実です。偏屈で気に入ったものしか家に呼ばない彼がこうも簡単に招待するとは思っていませんでしたから」
「ああ見えて案外いい人なんだろ」
「――――料理――――食べる……――――」
「ああっ! もうっ! 聞いてくださいっ!!」
 おいおい、次は藤原のセリフの番だろうが。割込みはいかんぞ。
「割込みも何も、話し始めたのはあたしです! あたしの話を聞いてくださいよっ!」
 そうだっけ、古泉……?
「さあ、存じ上げません」
「――――――」
「ほら、三対一」
「うわぁぁぁん! みんなであたしをいぢめるぅぅぅ!!!」
「ぼ、僕はあんたの味方だぞ。いつだって助」「もういいです! どうぞ好き勝手やったらいいじゃないですか! 一人でも平気ですよーだっ!」
「……うう……どうせ僕なんか……いいんだいいんだ……」
「苦労、してんだな」
「お察しします」
「――――良きに……計らえ――――」
 誰にも構ってもらえない橘にすら構ってもらえない藤原。彼の背中に漂う哀愁は並半端なものじゃない。
「……す、すまん。みんな」
 藤原、俺、古泉、そして九曜。皆が皆お互いの手をガッシリと取り、友情を高めあう。宇宙人未来人超能力者という相反する勢力ながらも微かな友情が芽生え、俺達は――――
「って! 何なんですかこの流れは!? いい加減にして下さい!」
 ……確かに。ちょっと調子に乗りすぎた。いい加減元の流れに戻すことにしよう。
「で、俺達をここに呼んだ理由は何だったんだ?」
「恐らく、見せびらかせたいのでしょう、アレを?」
「アレ?」と橘「何ですか?」
「橘さんには一生縁の無いものですよ」
 なるほどそれもそうだな。この店でお世話になるような宝石が購入できるとは思えんし。
「反論できないのが悔しい……」
「ま、それはともかく。僕は会長から賜った言い付けを遵守することに致しましょう。それでは皆さん、中に入りますよ」
 
 
 古泉に言われるがまま店の中へと促されると、阿吽の呼吸で門を護っていた二人の警備員はスッと道を開き、特に止められることもなく店内へと入り込んだ。
 店のショーケースに広がる宝石と豪奢な佇まいはさながら金殿玉楼。宝の御殿である。いくら宝石・装飾品に疎いとはいえ、これだけのものが整然と並んでいるとさすがに身悶えするばかりである。
 橘なぞは舐めまわすようにショーケースに張り付いているもんだから警備員に相当睨まれている。気持ちはわかるが若干はしたないのでちょっと距離を取らせて欲しい。
 そんな中、古泉は悠々と近くにいた店員と話しを始め、そしてさらに別の店員――見た目からして貫禄のある、店長レベルの店員――と二言三言交わす。
 そして、
「お待たせしました。僕についてきてください」
 となった。さて移動だ移動。橘、いつもでもガラスに張り付いてるんじゃない。
 
 連れられた先は、店内とは全く異なる一室だった。
 部屋の奥、中央の壁には白黒二色で描かれた幾何学的抽象画が飾られており、右壁には煉瓦造りの暖炉がパチパチと音を立てて燃えている。
 そして左壁。建物の外壁に面するこちらには全面に遮光カーテンが敷き詰められている。カーテンの向こうは恐らく窓になっているのだろうが、分厚いソレに阻まれて窺い知ることはできなかった。
 燦燦と照りつける程日差しが強くなってきた昼時だというのにそれを全く感じさせないくらいだから、その遮光性能は推して知るべしである。この部屋に灯りがついていなければ闇夜の如き漆黒に覆いつくされるんじゃないだろうか。
 その灯りだが、完全シャットアウトされた太陽のピンチヒッターとなって部屋を照らし出しているのは、天井高くに設置されたシャンデリアだ。太陽光に遠く及ばない明るさだが、暖色系の光は厳寒の季節に温かみをもたらしている。
 ……ん、よく見るとあのシャンデリア、電気ではなく蝋燭っぽいぞ。炎が瞬いているのがなによりの証拠だ。なかなか気合の入った照明である。
 部屋の中央に目をやると、豪奢な外装とは異なりテーブルとそれを囲むソファーが数席並んでいるのみ。至ってシンプルなのだが、返って高級感を煽られるのはソファーとテーブルが価値ある逸品なのか、それとも演出なのか。そこまではわからない。
「欧風カブレした貴族が好みそうなところだな」
 心の中でそう野次を飛ばして呆然としていると、それを察したのか店長風の店員に「こちらへどうぞ」と促された。
 言われるがままソファーに座り、出されたロイヤルミルクティーと高級そうな洋菓子を配り、深深と頭を下げ退席し――。
 弦が切れたハープのように一気にまくし立てた。
「何だ、ここは」
 楽しそうに目を細めた古泉はカップを手にとって一言。
「VIPルームです」
「ひっぷるーむ? はんれすかほれ?」
 お茶請けに出された高級菓子を喰らいつきながら訪ねるは……説明する必要は無いな。
「そのままの意味ですよ。重要なお客様を接待するために儲けられた特別室です。こう言った高級店には店の品揃えやサービスに関わらず存在するものですよ。
 ああ……そう言えば聞いたことがあるな。
「最も、」と手を上げて制止した古泉は「僕はその重要なお客様の一使用人に過ぎませんが」
 会長のパシリってわけだな。
「ええ。そのとおりです」
 あっけらかんと言い放った。まあこいつに口で勝とうとは思ってないが……。
「で、あの会長さんはそんな高い宝石を買ったと言うわけか?」
「いえ、購入したわけではありません。ですが、それに近しい依頼をこの店にしたことは事実です」
 で、何なんだその依頼とは。
「そうですね……」
 カップを皿の上に置き、すくっと立ち上がった古泉は俺達が入ってきたドアの前まで来て、
「直接お聞きになってみたら如何ですか?」
 ノブを開いてドアを開けた。すると――
「くくくっ、そうだな。俺から話すことにするさ」
 ダテ眼鏡を外し、ペン回しの如く回しながら長身の男性は喉を震わせていた。もちろんこの店に来るよう指示した会長である。
「お迎えの方はお済みですか。しかしあなたのことだから心配でずっと神社に張り付いていると思いましたが」
「バイトの邪魔になっては元も子もなかろう。終わる頃にはまた戻るさ。それよりもパーティのセッティングが先決だ」
「彼女が気にならないのですか?」
「アレはそんなにヤワな女じゃない」
「それもそうですね」
 二人して同時に喉を鳴らした。
 ったく、何が面白いんだか。お楽しみのところ悪いが、話の骨を折らないでくれ。
「失敬。俺が依頼した宝石についてだったな。実はな、」
 ズカズカとまるで自分に家のように歩いてきた会長は、誰も座っていないソファーの肘掛に腰掛け、胸元のポケットから何やらゴソゴソと取り出した。
「これを磨いてもらってたんだ」
 指で弾いたソレは放物線を描きながらテーブルの上、丁度橘の目の間に落ちた。
「これは……宝石ですよね。うわ、凄く大きい……」
 爽やかな草原の如く美しい翠色を呈したその宝石は、シャンデリアの光にも負けず劣らず燦々と輝いていた。大きさもかなりのもので、綺麗に光らせるためのブリリアントカットも施されている。相当高価なものに違いない。誰の目から見てもそれは明白だった。
 ただ……何かひっかかる。
「こ、これ……もらっちゃってもいいですか!?」
「ああ、構わない。俺からのささやかなプレゼントさ、お嬢さん」
 ニヒルな会長の笑みがくくくと釣りあがった。
「ありがとうございますっ! やったぁ! これであたしも大金持ちです!」
「くくくっ、喜んで貰えて幸いだよ」
 舞い上がる橘の姿をみて、会長はその笑みをさらに歪めた。
 ……なるほどね。何となく分かった。
「橘」
「ん、何でしょうか? この宝石ならあげませんよ」
「いらんわ」と俺。何故なら会長の企みが分かったからだ。その企みとは恐らく……こういうことだ。
「その宝石はイミテーション。偽者だ」
「へ……ええっ!?」
「どう考えてもおかしいだろ。ポケットの中から出した宝石を放り投げて、しかも他人にいとも簡単に上げるようなものが本物のわけがない」
「そ、そんなあ……しゅん」
 本気で落ち込んだ。てか気付けよそれくらい。
「さすがです。よく気がつきましたね。いや、橘さんがちょっとアレなだけかもしれませんが……」
「攻めるな古泉。確かに扱いはぞんざいだが、イミテーションにしてはよく出来てるんだ。素人目なら見間違える事もあろう」
 諭した後、橘が抱えていた宝石――偽者の宝石を指差して、
「お前の言うとおり、それは偽者。本物が磨きあがるまで家に飾っていた代用品さ。よく出来てるだろ? 因みに本物はこっちだ」
 パチンと指を鳴すと、控えていた店員さんは重厚なジュラルミンケースから中身を取り出した。中にあるのは、更に小柄なケース。
 会長はその小柄なケースを手にとり、開錠した後カパッと蓋を開け――
 中から出てきたのは、イミテーションそっくりの宝石。形も大きさも、そして輝きも全く同一。
 ただ一つ、決定的な違いを除いて。
「これ……色が違いますよ」
 彼女が手にした偽者と会長が手にした本物を見比べて、その決定的な違いを口にした。確かに、イミテーションが青みがかかったグリーンなのに対し、本物の宝石は真っ赤に燃えるような紅色。
 さながら、エメラルドとルビーといったところか。いや、構造が同じならばサファイアとルビーを言った方がいいかもしれない。
 ともかく、いくら形や大きさが同じでもこれではイミテーションの意味を成さない。贋作を作ろうとしたのなら明らかに失敗である。
「ふっ、今度は引っかかったな」
 さも嬉しそうに、狡猾な笑い声を上げた。「引っかかった?」何を言ってるのかさっぱりわからない。
「確かに、今のままでは分からないだろう。ならこれならどうだ?」
 そう言うと会長はドアの反対側、カーテンが並ぶ壁へと近づき、そしておもむろにカーテンを引っ張った。
 カーテンの奥にあったのは、俺の予想していたとおりの窓。そこから毀れる、晴れ渡った昼の太陽が部屋の中を、俺達を、そして宝石を照り付け――
 
「……あっ!?」
 ソレが驚くような変身を遂げたのは、この時だった。
 会長が持っていた紅い宝石は、太陽の光を浴びた瞬間その輝きを変化させたのだ。
 俺が今手にしたイミテーションの宝石と同じ、青みがかかった緑色に。
 
「驚いたか? これはアレキサンドライトという宝石だ」
 胴体切断マジックに引っかった観客の如く呆然としている俺達に対し、会長は見事に騙しきったマジシャンの如く悠々と語りだした。
「蝋燭や電球など赤みの多い光に対しては燃えるような紅玉色を呈し、太陽光や蛍光灯など、青みが強い光に対しては優しい翠玉色を呈す。これがアレキサンドライトの面白いところであり、高価である所以だ」
 再び片手を動かし、カーテンが閉まる。すると翠色の輝きはなりを潜め、再び真っ赤に燃える宝石が浮かび上がった。
「すごい……不思議な宝石ですぅ……」
 お菓子を頬張っていた橘ですら手を止め、その不思議な現象に釘つけになっていた。
「ましてやコレだけ大胆にカラーチェンジするものは滅多に見られない。時の皇帝ですら手にできなかっただろう」
 えらく自信満々な発言が鼻につくがそれに見合った逸品であるのも間違いない。
「それで、その宝石を俺達に披露して、一体何がしたかったんだ?」
「簡単なことだ。ちょっとした立会いをしてもらいんだ」
「立会い?」と俺。「何のために?」
「この宝石は代々我が家に伝わってきたもので、一族の仲間になる人間に継承されてきた。つまり婚約の儀式に使用されてきたものだ」
 ほうほう。それで?
「それで……って、ここまで言えば分かるだろう」
「いいえ、彼は筋金入りのニブチンですから。最初から最後まで説明しないと分かりません」
 橘、それはどういう意味だ?
「ほら」
「……なるほど…………」何故か納得した様子で、「実は、だ。俺ももうすぐ二十歳。家の家督を継ぐ妙齢になってきたわけだ。そうなると、人生の中で切っても切れぬ人間関係というのも出てくるものだ」
 はあ……それで?
「そ、それで……だな。そんな人間を……まあ、何と言うか……自分のパートナーとして…………うん、そう言うわけだ」
 珍しく照れたように吃りながら何とか言葉を紡いでいる。「つまり、どういうことですか?」
「どういうこともこういくこともありませんっ! どこまで鈍いんですかキョンくんは!」
 バンッ! と両手を着いて橘が立ち上がった。どうでもいいがお前に鈍いとか言われたくない。
「なら会長さんが何をおっしゃりたいのか分かるんですか!?」
「む……」と、思わず黙り込む。
「こら御覧なさい。答えられないじゃないですか!」
 ならお前は分かったというのか?
 そう言うと橘はえっへんと胸をそらし、「当たり前です!」と大きく出た。
「いいですか、よく考えてください。あの宝石は婚約の儀式に使うもので、そのためにここで磨いてもらったんじゃないですか。そして『切っても切れぬ人間関係』とか『人生のパートナー』とか思わせぶりな発言。そこから推理するのは簡単ですっ!」
 コホンと咳を一つついたあと、
「つまりっ!」
 橘はビシッと指を差し、自信満々に叫んだ。
 
 
「あたしに対するプロポーズですっ!」
 
 
 ――瞬間、暖炉の焚き木すら凍りつくような寒さが此処にいる全員を襲った。
「ああっ! お気持ちは嬉しいのですが……出会ってからまだ二時間も経ってないのに……。溢れんばかりのあたしの魅力……これって罪ですね。どうしたらいいのでしょうかキョンくん!」
「アホかおのれはぁぁぁぁ!!!」
 バコンッ!
「きゃん!」
 先ほど買ったおみくじ型特大ハリセン(天誅大凶バージョン)で橘のドタマを叩きつけた。
「いったーい! 何するんですかぁ!」
 新年早々意味不明なギャグをかますんじゃねえ!
「んん……もう。やだなあ、キョンくんたら。妬いてるんですね」
 違うわ空気読めぇぇぇぇ! 他の皆をよく見ろぉぉぉ!
「あれ……みんな机に突っ伏したり紅茶を吹き散らしたり。どうしたんでしょう?」
 あまりにもKYな発言で橘以外の思考回路が停止したとは露にも思わないのだろうか。
 そんな中、ソファーの脇で蹲っていた会長が何とか起き上がり、ギリギリ平静を装って
「…………な、なかなか楽しいお嬢さんだ。フランクと言うよりはケセラセラと言ったところだな……」
 とは言え、額から滲み出る汗は相当なものだ。恐らくこう言った人間と接するのは始めてらしい。
 ふっ、いくら生徒会長とは言えまだまだ人生経験が浅いな。俺なんか長年付き合ってるせいかよほどのことじゃなきゃ動揺しないぜ。
 ……と、自慢にもならない自慢を思い浮かべて自己嫌悪に陥ったのは言うまでも無い。
「ま、まさかとは思うが、」多量の額の汗をハンカチで拭いながら、会長は小指を突き出し、
「お前のコレか?」
「絶対にち」「いやだぁ! 会長さんったら!!」バンッ!!「ふぐべしっ!」
「もうっ! 妬かないで下さいって言ってるでしょ! キョンくんとはまだ何にも無いんですから♪ 彼ってばホント奥手で困りますぅ! でも会長さんのアプローチに妬いちゃって可愛い……いやだ、何言ってるのかしら! きゃはっ!」
 橘の強烈なビンタ……いや、あれは張り手だな……をまともに喰らい、会長さんは今度こそ沈黙した。
「今年は初日からいいことばっかりですね! あたし嬉しいです!」
 こっちは初日からトラブル続きで泣きたいです。おまけに勘違いした藤原がおぞましい殺気を込めて睨みつけるし……
 カンベンしてください、いやホントに。
 
 
「お、お嬢さんの気持ちは嬉しいが……もう既に心に決めた人がいてね」
 それでもめげずにヨロヨロと立ち上がり、今度は橘を直視しないよう若干視線をずらしながら再びソファーについた。何故直視したくないのかと言われれば……その辺は察して欲しい。
「喜緑くん……さっき神社まであった際、後ろに乗っていた女性がいただろう。その彼女にプロポーズしようと思うんだ」
 ああ、なるほど、そう言うことでしたか。今更ながら全てを理解した。
「お二人の仲睦まじい関係は、生徒会では暗黙の了解でしたからね。いや、それだけじゃない。あなたを慕って同じ大学、同じ学部に入学した喜緑さんも実にいじらしいじゃないですか。そして遂に彼は彼女の想いに答えることにしたんですよ」
 古泉の茶々に、「うるさい、黙れ」と照れながら怒鳴る会長がとても微笑ましい。
「まあ……大筋で古泉の言ったとおりだ。今日俺は彼女にプロポーズする。宝石を磨いたのも、今日のパーティも、全てはそのためだ。そして、」
 改まって身だしなみを整え、
「キミたちにはその立会人になってもらいたい。先にも言ったが両親は火急の用で席を外してしまうから、誰か他に信用できる人間が必要だったんだ。どうか頼む」
 と頭を下げた。
 会長さんもなかなか人道的な御仁である。ただのアウトロー気取りじゃないって事か。ただ、何でそんなに接点のない俺達を立会人なんかに選んだのだろうか? 他にもっと適切な人がいるだろう。例えば、
「言っておくが、『機関』の人間ならお断りだ。アイツらに任せるとロクな事が起きん」
 ――ピクッ、と古泉の微笑が蠢いた。
 
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。アイツらほど下らん人間もザラにいるもんじゃない。この宝石だってお前じゃない他のヤツに取りに来させたら、そのまま盗んで自分の懐に置き去りにする可能性もあるからな」
「……その信用ならない『機関』配下の僕に取りに行くよう命じたのは、どこのどなたでしたか?」
「ふっ、安心しろ。お前はまだ信頼している方だ」
「他の『機関』の仲間は信用できないと?」
「そう受け取って貰って構わん」
 二人の会話に、辺りの空気が一気に淀んだ。
 
 ちょっと待て。何だこの言い争いは? 会長と古泉は反発している? 以前はそんな雰囲気はなかったじゃないか。どうしたんだ一体何があったんだ?
「ふっ、何か知りたいようだな」
 余りにも訝しげな顔をしていたのか、会長は含み笑い一つして問い掛けた。
「見てのとおり、俺や俺の家族は『機関』の連中に良いようにこき使われてきてな。最初は報酬に釣られてこいつらの木偶人形と化してやったが、最近じゃうっとしくてしょうがねえ。俺の役目も終わったのに何時までも束縛するんじゃねーっつーの」
「その件は以前にもお話したとおりです。涼宮さんと偶然接触する機会が潰えたわけではありません。四六時中偽りの仮面を被っていろとは言いませんが、緊急時も対処できるようご留意願いたいのです」
「ご留意ね……もう涼宮との接触を断って一年が過ぎるが、その間あいつからコンタクトを取りに来たことがあったか? 答えてみろ」
 しかし、古泉は貝のように口を閉ざしたままだった。
「答えられないだろ。どうしてだか分かるか?」
 会長の野次に、古泉は更に沈黙を続け――代わりに会長の口が饒舌になっていく。
「『涼宮が望めば、それは全て実現する』。お前達はそう主張してたよな。だが逆に言えば、『アイツが望まないことは、全て実現しない』ってことになる。古泉、俺の言うことは間違っているか?」
「……いえ、仰るとおりです」
「だろうが」ネチリといやらしく笑った会長は勝ち誇ったように「ならば、俺との再来を望んでいるとは思えないアイツが、今後俺と接触をする理由を述べてみろ。俺がまだ操り人形でいなければならない理由を答えてみろ。『機関』の立場としてな」
「……確かに、涼宮さんとは接触されてないようですが、今こうして彼と接触を……」
「話を摩り替えるな。俺が聞きたいのは今後俺が涼宮と接触するかどうか、だ。無関係なヤツを巻き込むんじゃねえ。それに言っておくが、こいつと接触を取ったのは俺の自発的行動だ。無視することも出来たんだぜ。まさかこれも」
 蔑むような表情で、
「涼宮が望んだからなんて戯けたことを抜かすんじゃないだろうな?」
「…………」
「ったく、『機関』とは本当に付き合いきれん」
 再び懐から取り出した煙草に火をつけ、いきり立った自分の心を落ち着かすように一服し始めた。
 俺達はといえばあまりの展開に何も出来ず、ただひたすら時が流れるのを待つのみ。
 沈黙が――正確には、会長が煙草の煙を吐く時の吐息のみが静まり返った部屋に響き渡り――
 
 
 ――どれくらい経っただろうか。
 実際は煙草の長さが半分程度になる程度の時間だったのだが、それ以上に長く感じたのはこの沈黙のせいだろう。
 しかし、その沈黙も遂に終止符が打たれるときが来た。
「……古泉。いい加減『機関』を止めろ。お前はまだ見所がある」
 先ほどの鋭い口調はなりを潜め、何時に無く優しい口調で諭すように言った。
 古泉もいつの間にかいつも通りのスマイルを取り戻し、
「いいえ、そう言うわけにはいきません。『機関』に必要な人間と自負しております。そして、それはあなたも同じだと考えております」
「……けっ」
「我々はあなたを必要としています。できるだけあなたの望みを叶えています。ですから――」
 悲痛な表情を浮かべながら深深と頭を下げる古泉に、会長は何も答えなかった。
 
 
 
「申し訳ありませんでした」
 店を出た俺達に『先に戻る。家の場所は古泉に聞け』と言って一人バイクに跨って走り去った後のこと。古泉はそう言って深深と頭を下げた。
 先ほど会長にしたそれと同じように、悲痛な表情を浮かべながら。
「気にしちゃいないさ」
 それが俺に言える精一杯のフォローだった。
「……聞かないんですか? 彼と『機関』の間に何があったのか」
 それはお前に任せる。言いたければ言え。言いたくなければ黙ってればいい。
「そうですか、わかりました」いつも通りのハンサムボーイはどうとも取れる俺の返答に対して、「歩きながら説明しましょう」となった。
「彼は僕達『機関』の学内……いえ、今は学外協力者とでも言うべきでょうが、ともかく協力者であることは以前申し上げたと思います。彼は涼宮さんのイメージどおりの生徒会長として、我々が在籍する北高の生徒会トップに君臨しておりました」
 ああ、確かにそうだったな。ハルヒが変なことを思いつく前にこちらから情報を提供してご機嫌伺いを取る、言わばかませ犬のような存在だ。
「彼はこちらの予想以上によく働いてくれました。それは彼が命令に忠実だけと言うわけではなく、ある程度の野心、或いは報酬といった見返りを期待してのことです。もちろん我々としては取り立てて問題にはしていませんでした」
 していませんでした、って言うことは問題になったって訳だな。
「……遺憾ながらその通りです」古泉は声のトーンを鎮め、
「実はこちらのミスで、彼が大切にしていたあるモノを壊してしまったんです」
 なんだ、それは。
「それはちょっと……すみませんがお察しください」
 そうかい。まあ別段聞く気もないが。
「つまりそれが原因で会長と『機関』の信頼関係にヒビが入ったってわけだな」
「はい」
「何を壊したか知らんが、直すことや買い換えることは出来んのか?」
「それができればここまでこじれたりはしません」
 確かに。
「彼は怒り心頭に発し、一時は『機関』との関係を拒絶されそうになりました。彼の協力無くして『機関』の活動に多大なる影響が出ると感じた上の人たちは彼を必死に説得し、出来る限りの要望を受け入れ――首の皮一枚繋がった状態で今日に至っているのです」
 ふむふむ……ん?
「ちょっと待て。会長は『機関』の協力者だってことは聞いたが、何故そこまで彼との関係を重要視してるんだ? あの人自身も言ってたが、ハルヒとの接触が無い今となっては寧ろお払い箱状態じゃないか」
「その理由は簡単です。実は……」と言って後ろの橘達の様子を見て、「失礼、耳をお貸しください」
 更に俺に近づき、後ろの三人聞こえないよう、細心の周囲を払って出た彼の言葉は――
「―――――――」
「…………なるほど」
 大きく一つ頷いた。
「それは確かに重要な問題だ」
 
 
「つきました。こちらが会長の自宅になります」
 あれから約一時間後。河川敷の公園に程近い会長宅に到着した時には午後二時をゆうに回っていた。
 こんなに時間がかかったのは単に会長の自宅が遠いだけではなく、普段履き慣れてない草履や下駄で歩いたため足に負担がかかってしまったことも理由に上げられる。
 橘なぞはついさっきまで『もう歩けない、おんぶして』と駄々を捏ねていたのだが、結局誰も手を貸さず(無論藤原は手伝おうとしたのだが自分も靴擦れが痛くてそれどころじゃなかったらしい)、終いにはハダシで歩き出したりしてた。
 おまけに『キョンくんが悪いんですからね! 責任とって下さい!』だとか『困っている女の子を助けないなんて、古泉さんって絶対ガチホモよね』だとか散々罵詈雑言を浴びせるもんだから場の空気はとても悪くなってたりする。
 しかし、
『…………』
 見事なまでの三点リーダが揃いも揃ってアンサンブルを奏でた。橘も、藤原も、そして普段ダッシュ記号の九曜でさえ、である。
「こ、ここ……」
「あの会長の……」
「――――自宅…………?」
 皆が驚くのも無理はない。
 俺達の二倍はありそうな柵とそれ以上に高い門。そこから数十メートル先に聳える白亜の如き邸宅。
「そうです。ここが彼の自宅です」
『……………………』
 古泉の言葉に一同がさらに沈黙した。
 よくよく見ればここ一帯はは高級住宅街で、どの家もそれなりの大きさでそれなりに立派な佇まいをしている。前に行った事のある阪中の家もそれほど離れていない。
 その中でも一際大きい、まるで城のような邸宅が彼の家だったのだ。
「すごい……お金持ちだったんですね……」
 呆気に取られた橘がポツリと呟いた。そりゃそうだ。でなきゃあんな高級ジュエリーショップで宝石研磨の依頼なんてするわけがない。
 斯く言う俺も、古泉から話を聞いて驚いたんだけどな。
「『機関』が縁を切りたくない第一の理由――それは財力。スポンサーのひとつなんですよ、彼の家は」
 俺だけに分かるよう話し掛けたのはそんな内容だった。
 これ以上なくわかりやすい理由であった。恐らく鶴屋家と同じような立場なのだ、会長は。
「ただ、『機関』の活動に干渉するきらいがありますけどね。そこが鶴屋家と大きな違いです」と古泉は付け加えたが、それは些末な問題にしか過ぎない。少なくとも俺にとってはな。
 ただ一人平然としている古泉は門の横にあるインターホンに手を伸ばし、二言三言言葉を交わした。すると門は自動で開き、俺達を奥へと促した。
 玄関まで移動する中でもサプライズは点在している。管理された芝生や木々、奥の方に見えるプライベートプールやテニスコートなど、さながら公園のようである。
 鶴屋家とはまた違った意味で金持ちを実感させる場所である。
 やれやれ。金があるとことにはあるもんだ。『機関』じゃなくてもスポンサーとして協力していただきたいものだ。
 
「ようこそいらっしゃいました」
 ようやっと建物の中に入った俺達を最初に迎え入れてくれたのは、朗らかな笑みが眩しい老紳士。もちろん俺の知っている人物であった。
「新川さん。お久しぶりでございます」
「これはこれは、お久しぶりでございます」
 まさか新川さんの本業はここの執事ってことは……
「まさか。そんなわけありません」と古泉。「今日のパーティのために借り出された臨時雇い人です」
 古泉が言うには、今日のパーティを盛り上げるため、そして会長のプロポーズを成功させるために『機関』からスペシャリスト達が派遣されてきたらしい。
「新川さんは執事兼給仕係兼調理師としてこの場に派遣されました」
「どうぞよろしくお願いします」
 あ、ああ。こちらこそ。
「ではあなたが最高級料理を作ってくださるんですね!」
 そしてしゃしゃり出るはやっぱりこの女。和服姿で謙虚さが少しでも染み着いてくれればと思ったのだがそう言うわけにはいかないらしい。
「おやおや、可愛らしいお嬢様だこと」
「はい! よく言われます!」
 嘘つけ。
「こちらは初めてですね。……ふむ、どこかでみたことのある顔ですが……」
「さあ、あたしはとんと記憶にありませんが」
「そうでしたか、他人の空似でしょう。申し送れました、わたくし執事の新川と申します。どうぞよろしくお願い致します」
「あ、あたしは橘京子って言います。よろしくお願いしますっ!」
「――――!?」
 瞬間、新川さんの動きが止まった。
「あれ? どうしたんですか?」
「ま、まさか……あの…………あの、橘京子か……!?」
 引きつったままの新川さんは、言葉を漏らすように橘の名前を口にした。バドラーオブバドラー、執事の代名詞とも言うべき新川さんが、客を呼び捨てにするなど普通に考えたらありえない。
 ――そう、普通なら。
「あの、ってのが若干引っかかりますが、多分その橘京子です」
「!!!?」
 新川さんの顔が完全に強張った。
 無理も無い。新川さんからしてみれば彼女は『機関』の敵である。しかも橘はその幹部を務めているのだから、その名は『機関』の中でも有名なのだろう。
 そんな相手が自分達の陣地に単身――乗り込んできたのだ。驚くのも無理は無い。
 しかし……である。
 いくら敵対するもの同士とは言え、いくらアポなしで乗り込んできたとは言え、冷静沈着を擬人化したような新川さんがあそこまで驚愕の念を出すとは思えない。
 ならば一体……? 等と考えていたその時、想いも依らぬ行動に出た。何と新川さんはいきなり橘の肩を掴み、軽々と持ち上げたのだ。
「――ひいっ!?」
 実力行使で排除する気か!?
「た、助け……!」
 くっ……何だというんだ!? 
「新川さん! 落ち着いてください! 一体どうしたんですか!? 敵対しているとは言え、強引に追い返すのは新川さんらしくありません!」
 思わず古泉も声を荒げ――
 
「どうしたの新川。玄関が騒がしいわ」
 ホールの先、螺旋階段の踊り場。凛とした女性の声が響いたのはちょうどその時だった。
『――――!!?』
 ここにいる全員、静かな絶叫を上げた。
 そこに立つのは――メイド姿の森 園生……さん。
 
「……ん? そこにいるのは……橘京子!!」
 三日間何も食べてないライオンがシマウマの群れを見つけたような視線でツインテールを睨めつけた。
「ひえっ! た、助けてぇ~!」
 慌てて踵を返し、やたらと怖いオーラを発するメイドさんから遠ざかる。怖いものみたさってやつだ。
 しかし森さんは神速の如きスピードで階段を駆け下り、あっという間に橘京子の背面に回りこんだ。
「!! いつの間にぃ!」
「ふっふっふっふっ……ここであったが百年目。いや実際は半年振りくらいだけどそんなことはどうでもいいわ。あなたには散々お世話になったわね」
 渾身の笑みを込めて橘に微笑んだ。俺はと言えばあの時のトラウマが全身に駆け巡り、反射的に顔をそらした。見れば新川さんも古泉を同じ行動をしている。やっぱみんな怖いんだな。
 九曜は相変わらずのポーカーフェイスでなんのその。さすがは長門以上の無表情エイリアン。唯一森さんの笑みを知らないポンジーは直撃を受け敢え無く失神。ご愁傷様でした。
 そして、失神することすら許されない橘は蛇に睨まれた蛙宜しく、
「いやあのお世話になったのはむしろあたしの方で」
「ふふふふ、そんなことはどうでもいいの。あなたに会えただけでこの上なく嬉しいのよ」
「あのあのあの、嬉しいなら何で目がそんなに据わってるんですか……?」
「気のせいよ」
 嘘だ。絶対嘘だ。
「そうそう、今とっても忙しいの。例のパーティの準備でね。そこでちょっとお願いがあるんだけど、手伝ってくれないかしら?」
「あの……あたしはむしろお呼ばれされた方で……」
「そんなつれないこと言わないで、お願い。んふっ」
 ウィンク一つ繰り出した。
「ひゃ、ひゃい!」
「そう、良かったわ。それじゃこっちよ」
 ガシッ、と、まるで手錠をはめるかのようにガッチリと腕を掴んだ。
「あの……因みにどんな仕事を……? 前みたいに全身しもやけになるようなことはちょっと……」
「ふっふっふっ……大丈夫よ」
 森さんの笑みが、やたらと猟奇的に映った。
「寒かったら唐辛子のペースト塗ってあげるから。全身に」
 
 いっ…………
 
「いやぁぁぁぁぁぁ――――――――ぁぁぁぁぁぁ――――――ぁぁぁぁ――――ぁぁ――――…………――――――」
 
 
「……遅かったか」
 くっ、と顔を顰めながら、新川さんは自分の不甲斐なさに自責の念を感じていた。
「森が彼女を……橘京子を敵対視していたのは前々から存じていたのですが……まさか本日いらっしゃるとは思っていませんでしたので。何とかして森に見つかる前にご退場願おうと思ったのですが……」
『………………』
 一同、沈黙。
「あの分ですと、かなりこってりと絞られそうですな、橘嬢は」
 ええと、新川さん、どんなことされるんでしょうか……?
「……聞きたい、ですかな?」
 え?
「森のスパルタ教育、いいえ、慈善活動の内容を、それほどまでに聞きたいですかな?」
 …………。
 止めときます。
 
 
 とまあ一人ほど森さんの毒牙にはまってしまったが、俺を含めて他の人間には何一つ危害が無かったのでここは一つ運が悪かったと言うことにして橘を見捨てる……もとい、慈善活動に頑張ってもらうことにして、俺達は宅内を案内されることになった。
 若干藤原が不機嫌そうな顔をしていたが、あの森さんに反旗を翻すほどの抵抗力はなかったらしく、ブーブー文句を垂れながらも俺達の後をついてくるに留まった。
 まあ拷問を受けるわけではないし(多分)、これ以上橘の暴走を蔓延らせるわけにもいかないので、この件は森さんに一任しようと思う。
 決して橘の相手をするのに飽きたとか、そんなわけでは……あるが、その辺はオフレコで頼む。
 
 
 新川さんに連れられて案内されたのは、本日のイベント会場になるホールだった。
 大きさはバスケットコートくらいの大きさだが、天井も高く中央に設置されたステージも意外にしっかりしたもので、小さいながらもアリーナ型ホールといって差し支えの無いものだ。
 そのステージの中央には白い布が被せられた何かが鎮座し、そしてその横には会長の姿があった。
 白い布の周りをうろうろしながらうんうん唸っていた彼は、俺達の姿に気がついたようで「よう、来たか」と陽気に声をかけた……のだが。
 次の瞬間、会長の顔色が一気に変化した。
「新川。何をしている。料理の下ごしらえは終わったのか?」
 ここまで案内してくれた新川さんに対しては礼をするでもなくつっけんどんにあしらった。
「お客様がお見えでしたので、案内をしておりまして……」
「それは俺の仕事だ。いいから早く戻れ」
「……畏まりました。では、わたしはこれで」
 逃げるように新川さんはその場を立ち去った。
 再び悪くなった空気で俺は古泉の言葉を思い出した。機関の人間をかなり嫌っているというのはどうやら本当のようだ。
「失礼した。新川の無礼、お許しいただきたい」と、自ら謝りながら場の空気を入れ替えるように話題を切り替えた「どうだ、我が家は。自慢ではないがこの周辺でこれ以上の家はそう多くはあるまい」
 会長に、俺も話を併せることにした。
「たしかに、素晴らしいと思います」
 これ以上の邸宅として真っ先に思い浮かんだのは鶴屋さんの家だったが、由緒正しい日本家屋の鶴屋家とはまた違う赴きなのでどちらがどうと一概に言えるものではない。
「ふ、そうだろそうだろ」
 お世辞に気をよくしたようだ。結構単純なのかもしれない。
「それで、何をしてたんですか? その白い布の前で何かしてたようですが。というかそれは何ですか?」
「これはだな」と言いながら、隠していたと思われるその布をいとも容易く引っ張る。
 青銅の台座の上に居座るのは、黄金に輝く女神像。大きさはほぼ等身大で、台座に乗っている分俺達よりも頭一つ、いや五つ分ほど高い位置にあった。
 両手を前に出し、何かを冀うかのようにしてひざまつくその姿は、女神を模していると言う事もあってか神秘的に感じる。
 一体どの女神がモデルなのかね。アテナとか、ヴィーナスとかか?
「ヘラだ」
 ヘラ……ヘラ……とんと記憶が無い。
「――――オリュンポス――――十二神…………――――筆頭――――ゼウス……――――の――――…………妻――――――」
「その通り。彼女は結婚の女神。その彼女の前でプロポーズを行い、永遠の愛を誓うのだ」
 グッと握りこぶしを作り力説した。会長も意外とロマンチストである。
「まさかそれだけのためにこの女神像を用意したと?」
「いや、彼女にやってもらう事は他にもある。おい!」
 会長が声をかけると、ゴゴゴッと音を立てながら金の女神像が沈み込んだ。よく見ると、その周りの床も一緒に下降している。どうやらここはエレベーターになっているようだ。
 そのエレベーターと共に下降しつつあるヘラの像は台座分の高さ……およそ一メートルほど下がった時点で停止し、頭の高さを俺達を同じ位置にした。
「この手の部分はな」会長は女神の両手を指差し、「ちょっとした窪みが掘ってあるんだ。何のためかというと、これをはめ込むための窪みだ」
 と言って、手にしていたリング――指輪のようなリングだが、頂上に爪のようなものがついていて格好悪い――を、その窪みに当てはめた。リングはその窪みにしっかりと入り込み、ちょっとやそっとのことじゃ動かないくらいピッタリ埋もれている。
「これに合わせて作ったんだから当然だな」
 で、その指輪みたいなリングは何の余興ですか?
「こうするのさ」
 今度は懐から出したケースを開けた。天窓の光を受けて青緑色に光るのは……先ほどの店で貰い受けた宝石。
 丁寧にソレを取り出し、傷をつけないようリングの中央に持っていき、爪に引っ掛けて微調整。少し離れて見てはまた調整しなおしを繰り返し、「よし」納得したのか満足げに頷いた。「これで即席婚約指輪の完成だ」
 なるほど。確かに指輪だったようである。宝石が大きくてアンバランスな感はあるものの、婚約指輪と言われればそう見えなくも無い。
 だが、一つ気になる点もある。
「爪に引っ掛けてるだけじゃすぐ外れてしまいそうですが、本当に婚約指輪として使えるんですか?」
「即席と言っただろう。本物の婚約指輪じゃない。これは我が家に伝わる儀式なのだ」
 儀式?
「結婚の女神から受拝領した指輪……それも家宝の宝石をあてがった指輪を、求婚する女性に託す。これが我が家伝統のプロポーズの方法だ」
 なかなか手の込んだプロポーズである。
「喜緑さんには何も伝えてないのですか?」
「当然だ。サプライズイベントだからこそ価値があるのだ。皆に賞賛されながら俺のプロポーズを受け入れ、はにかむ喜緑くん……どうだ、最高だとは思わんかね?」
 もし喜緑さんが会長のプロポーズを受け入れなかった時の空気の不味さの方が最高に面白そうだが、さすがにこの場で言うわけにはいかないので声を押し殺す。
「本日のメインイベントはその儀式だからな。楽しみにしてくれたまえ」
 ええ。楽しみにしています。色々と。
「説明は以上だが、他に見たい場所や聞きたいところはあるかね?」
「すまない、少し知りたいものがある」
 申し訳なさそうに手を上げたのは、以外にも藤原だった。
「先ほど床が下がっていったが、あれはどういう仕組みで動いているんだ? どういったときに使われるんだ?」
 どうやらエレベーターの仕掛けに甚く興味深々のようである。
 それに対し「ああ、奈落のことか。なんてことはない普通のエレベーターさ」と至って尋常の答えを返す。
「いや、そうではなく……どうやって床が動くのかとか、せり上がるのか……僕にはよくわからない」
 もしかしてエレベーターがどういうものか分かってないのか?
「そうだな……なら見てみるか?」
 ということで、俺達全員エレベーターに乗って降りることになった。
 
 男三人と女一人、そして金の像が乗ったエレベーターは会長の一言でゆっくりと下っていった。地下は闇に閉ざされ――というほど暗いわけではないが、それでも吹き抜けから太陽の光が入ってくる上の階に比べれば暗いと言わざるを得ない。
「うお……これは……なんというか……結構揺れるな…………」
 藤原はやっぱり乗ったことがないのか、珍奇な声を上げて物珍しそうに声を上げている。未来にはエレベーターが無いなんてことはまずあり得ないのだが、単にこいつが知らなかっただけだろうかね。
 やがてエレベーターは地下の床へと降り立つ。コンクリートむき出しの壁と申し訳程度の照明が、この部屋の雰囲気を寒々としたものにさせていた。
 エレベーターの周りには大なり小なりの機材や工具が点在しており、壁際にはエレベーターの制御盤と思われるボックスがある。少し間を取ってあるのは、これまた大小様々なダンボール。何が入っているのかまでは暗くて見えないが。
 所謂、舞台裏って感じの光景である。
 そして、裏方として働く人物が二人。一人は制御盤の前で何やら動かし、もう一人はダンボール箱の整理をしている。暗くて少々分かりにくいが、輪郭やこれまでの登場人物から推測することは可能であった。
 俺はその内の一人、エレベーターから近かった壮年の男性に声をかける。
「圭一さん……ですよね?」
「おや、キミは……久しぶりだね」
 声を聞いてはっきりした。別荘のオーナー兼パトカーのドライバーという異色の肩書きを持った『機関』の諜報員、多丸圭一さんに間違いない。
「どうしたんだい、こんなところに現れるなんて」
 ああ、それはですね……
「余計な話をするなっ!」
 再び会長の檄が飛んだ。
「彼らは俺の客人だ。お前ごときが口を聞くなど、どういうつもりだ」
「……申し訳、ありません」
「わかったら口を開くな。俺の言うことだけ粛々とこなせ。いいな」
「了解、致しました」
 会長の『機関』の人間嫌いはとことん徹底しているようだ。新川さんの時もそうだったが、少し会話をするだけでこんなに怒るなんて……
「お前も、分かっているな」
「……はい」
 逆の方向を見れば、大小様々ば箱を整然させていたもう一人の人物――もちろん多丸裕さんだ――が、彼に侍りながら答えた。
「それより屋根の修理は終わったのか?」
「いえ、まだですが……」
「何をやってるんだこのトンマどもが! 今日中に直せと言ってたはずだ!」
「ですが、こちらの……エレベーターの調整も必要かと」
「言い訳はいい。さっさと直せ! 日が暮れるまでにな!」
「……わかりました」
 またしても場の空気を悪くしながら、その原因ともなった多丸さん達兄弟はすごすごと奥にあったドア――階段が見えるから多分上の階に繋がっている階段だな――から出て行った。
 ふう、と溜息をついた会長はまたしても俺達に詫びを入れ、
「ここはこんなもんだ。あまり人様にみせるような場所ではないんだがな」
 トストスとエレベーターから降り、先ほど圭一氏が調整していた制御盤の前で
「これで上げ下げができる。パーティのクライマックスで操作する予定だ」
 そこで指輪を取って喜緑さんに渡すってわけか。
「その通りだ」
 ふうん、色々な演出を考えるものだ。
「演出なら他にもあるぞ。スポットライトやドライアイスなんかも手配済みだ」
 やれやれ。そこまで出来れば喜緑さんも本望だろう。
「……ふ、そ、そう思うか?」
 ……あ、会長赤くなってる。宝石と同じだ。
「う、うるさい」
 怒ったり照れたり、忙しい人ではある。
 
 
 そんなこんなでもう一度舞台の上へとのり、エレベーターを元の位置まで戻した。ちなみに操作主がいなくなった制御盤の前でスイッチを押したのは藤原。操作してみたいと言う本人たっての希望でこうなった。
 操作といってもボタンを押すだけなので特に難しいことも無い。会長も二つ返事で藤原の要望を受け入れた。
 ゴゴゴゴゴと音を立てながら上昇するエレベーター。徐々に近づく太陽の光。暗いところにいたせいかやたらと眩しく感じる。
 目が眩みそうになりつつも、地上の光恋しさに天窓を望み……
「ん?」
 何かが光を遮った。
「あー! みなさんこちらにいたんですか!」
 プンスカと怒りながら、手にしたモップをトンと床に突くその影は――橘!?
「何をしてるんだお前その格好で!?」
「えへへ、どうですか? 森さんからこれに着替えなさいって言われて」
 エレベーターが上の階についたころ、視力が完全に回復した俺はその不可思議な姿に思わず問い返してしまった。あろうことか、橘は森さんとおそろいのメイド服に身を包んでいたのだ。
 いや、心持ちエプロンとカチューシャのフリルが多い気がするが……気のせいか?
「そこら辺は森さんの趣味なのです」
 多分、と注釈をつけた。「森さんはああ見えてそユーモアがある人ですから」
 マジか古泉?
「恐らく、橘さんの仰るとおりだと思います」
 古泉は俺に近づいて耳打ちした。
「(彼女には他人を和ませる効力があります。森さんはそこを見込んだのでしょう。ほら、会長の『機関』嫌いの一件もありますし。自分の仕事を手伝わせると言うよりは、むしろエンターテイメントとして会長の心を解そうとお考えのようです)」
 むう、と内心舌を巻いた。こいつの言うことも最もな気がしたからだ。
 そして当の橘だが、会長の前で立ち止まり、ぺコリと頭を下げた。
「こちらの掃除をするよう仰せつかって参りましたので、よろしくお願いします」
「客人に仕事をさせるなど、一体どういうつもりだ……いやまて。これはヤツの……そう言うことか。ふふっ、あの女狐、色々と企んでやがる」
 一頻りブツブツ言った後、「森がやるよりはマシだろう。よろしく頼む」と頭を下げた。
 完璧無比な妙齢のメイドより、ややもすると全てを破壊しつくしかねないKYメイドを称えるとは、さすが『機関』嫌いの会長さんである。さっきあれほど橘の変態っぷりを目の当たりにしたと言うのに、なかなか大した人である。
 或いは……悔しいが、橘や古泉の言ったとおりの展開なのかもしれない。
 
 
「ついでと言っては何だが、この辺りの見回り……平たく言えば警備もお願いしたい」
 警備? 昼間から? 俺がそう聞くと、
「そうだ」愉快そうに口を歪ませた。「『機関』の人間がいるからな」
「……さすがにおいたが過ぎますよ」
「怒るな。ちょっとした冗談だ。器物破損はしても、窃盗までは範疇外だろうしな。アハハハッ」
 古泉が唇を噛むのが目に見えて分かった。珍しく顔がマジになっている。あの古泉がここまで敵対心を露にするなど、余程のことがないと現れないはずだ。
 それに、いくらなんでも会長の『機関』嫌いは度が過ぎている。はっきり言って異常だ。後でもう少し詳しく聞いた方がいいかもしれない。良くないことが起きなければいいがな……
「ともかく、警備もよろしく頼むぞ」
「はあ、でも森さんに色々仕事を頼まれていますので……サボると怖いですし」
「むう……それもそうか。森を怒らすと後が怖いしな……」
 さしもの会長も、パーフェクトかつ年齢不詳のメイドさんは怖いようである。
「本当は俺自身がやればいいのだが、もうすぐ喜緑くんの迎えにいかなければいけない。こればかりは他の人間にいかせるわけにはいかないしな」
 チラと時計を見ると、もう十五時半になっていた。喜緑さんのバイトは十六時までと言うことなので、確かにそろそろいかないと彼女を待たせることになる。
「それまでの間でいい。誰か他に代わりはいないだろうか……」
「なら、僕が手伝ってやろう」
「藤原?」と俺。「どういう風の吹き回しだ?」
「パーティの時間までまだ結構あるのだろう? 暇つぶしにはもってこいだ」
「だが、客人に仕事をさせるなど……」
「あの、あたしはいいんですか?」
「森園生の管轄については治外法権だ」
 うむ、納得。
「うう……あたしってとことん不幸……」
 そんな橘の叫びは華麗にスルーされた。まあ当然だな。その代わりと言っては何だが、ずいっと前に出た藤原が、
「僕は一向に構わん。他に使える人間がいないのなら仕方ないだろう」
「そうか……まあ、確かに『機関』の人間よりはためになるだろう。わかった。では申し訳ないが監視の方を頼む」
「ああ、任せてくれ」
 となったわけだ。
「ポンジーくん、ありがとうございます!」
「いやあ、これほどのこと、お茶の子さいさいさ。なんならここの掃除を手伝ってやろう。一緒に頑張ろうではないか」
「ポンジーくんさっすが! 分かってる!」
 橘はモップとちりとりをポンジーに渡し、
「あたし他にも仕事あるからそっちやってきます! それじゃお願いね!」
 エプロンとツインテールをはためかせてこの場を去って言った。
「……へ!?」
「俺達も、いくか」
「そうですね」
「そうだな」
「――――戦線…………――――離脱――――」
 残るはモップとちりとりを手にした紋付袴姿のポンジーのみ。
「えええっと……僕は……一体何を…………?」
「掃除を頑張ってくれればそれでいいさ」と俺。
『変な下心は全て自分に帰ってくるぞ。今後気をつけるんだな』
 本当はここまで言うべきだったのかもしれないが、反省を促すため敢えて黙っておいた。
 
 
 その後は特に見たい場所もなかったので、このホールに程近いロビー兼休憩室で一人寛いでいた。
 そう、一人。
 藤原がガードマン兼会場の掃除係、橘が森さんの下働きに出たのは先にも説明したが、古泉も別途会長から仰せつかった買い物に出かけ、九曜はホールの外でマネキン人形と化していたのだ。
 ガラス製のドアを開けて休憩室に入る。部屋は俺の自室よりも二回り大きく、プロジェクターやブルーレイプレイヤー、インターネットに繋がるパソコンやコミックまで設置され、小さいながらも高級漫画喫茶と言ったイメージが近い。
 ただ一つ違うとすれば、漫画喫茶がパーティションで仕切られているのに対して、この部屋はパーティションどころか全てガラス張りで、廊下からも何をしているのか丸分かり状態ってことくらいか。
 俺はテーブルに設置されたPCの前に座り、適当にネットサーフィンをすることにした。学校のトラフィックとは異なり、非常に快適な速度である。
 これでガラス張りじゃなければ如何わしいイメージビデオがスイスイ再生できるんだが……その辺はぐっとこらえることにしよう。
 代わりに開いたページは、先ほど見せてもらった宝石、アレキサンドライトについてである。あの不思議な光り方をする現象に興味が湧いた。ちょっと調べて見よう。
 検索サイトを開き、キーワードに適当な言葉を入力し、サーチ開始。一秒も待たずに結果が現れた。検索結果の最初のページクリック。
 ええと、なになに……『アレキサンドライトの最大の特徴であるカラーチェンジは、赤色成分と緑色成分がほぼ同程度存在するために発生します』か。ふーん、イマイチよくわからんな。
 マウスのホイールを回し、ページをスクロールさせ次の文章を読む。
『蝋燭や電球など、赤みの強い(色温度の低い)光の前では赤色となり、太陽光や蛍光灯など、青みの強い(色温度の高い)光の前では緑色に光ります』
 ふむふむ。確かに説明されたとおりだ。ではなぜそんな風に光るんだろうか。次……っと。
『アレキサンドライトは含まれるクロムの影響で黄色と紫のスペクトルが』
 カチッ。
『スペクトル』と言う言葉が出た時点でこのページを閉じることにした。難しい言葉にはついていけん。
 その後も他のサイトを見渡したのだが、結局書いてあるのは同じようなことばかり。詳しくかかれているサイトは波長がどうたらとか分光分析がどうたらと、やたら難しくなるのでそこで読むのを断念する。
 まあ、いっか。光の色で宝石の光り方が変わるってことで十分だ。それがわかっただけで良しとしよう。実は最初に会長から説受けた説明以上の知識が身についたわけでもないんだが。
 それはそれとして、パーティの開催までまだ一時間以上ある。何をするかね。
「寝るか」
 本当は帰って試験勉強の続きがしたいのだが、ここまで来たら帰らせてくれそうも無い。話し相手もいないし漫画を読む気にもならん。それに朝から橘のテンションに当てられっぱなしで少し疲れた。
 休むのも受験生にとっては重要な仕事だ。特に勉強ができない今としては打ってつけだ。
 ここで俺は近くの三人がけソファーに移動する。肘掛に頭を乗せ、ガラス越しに廊下を見ながらボーっと寝転んだ。
 ここからは大ホールの扉、そしてそこに連なる廊下が見渡せる。先にも言ったとおり、九曜は入り口前で身じろぎせずその場に立ち尽くしている。身動き一つ取らない姿はザルな守衛といっても過言ではない。
 そして何分か置きに往来するのは橘。手に抱えているのはモップだったり大きな皿だったり、よく分からん工具箱だったり……森さんに言われて何か運んでいるのだろうな。
 その他にも新川さんや多丸さん兄弟も訪れては出て行く。色々と手にしているようだが……ん、あのでっかい竹は何に使うんだ? 後で聞いてみるか。
 因みに藤原の姿は見えない。恐らく中で警備、あるいは橘に使われて仕事しているんだろう。
 しかし、皆が皆忙しく働いているのに俺だけこうも惰眠を貪っていいものかね。とは言え働く気は全く無いからやっぱりこのまま動かないわけだが。ふぁあ……いかん。本気で眠くなってきた。
 ガラスで遮られながら、しかし微かにパタパタと鳴る足音を子守唄にして俺の意識はそのまま途絶え…………
 
 
 
「起きてください。そろそろ式が始まりますよ」
 そう言って起こされたのは、十七時も半分が過ぎていた。外はすっかり暗くなり、ガラス越しに見える廊下も人工の光で照らされている。
 俺は寝ぼけ眼で起き上がり、声をかけた人物――古泉に視線を送った。先ほどまで私服だった彼のスタイルは、何時の間にかダークグレーのスーツに変わっていた。もしかしてパーティための正装だろうか?
「いいえ、平素の格好、略装で結構ですから。お構いなく」
 略装を通り越してカジュアルスタイルで出席してもいいのだろうかね。まあ古泉が良いって言うならそれでいいのだろう。必要なら『機関』が全て用意してくれるはずだ。
 とは言え、跳ねているであろう髪を何とか戻し、くしゃくしゃになったコートは脱ぎ、襟を正してパーティに望むことにする。それくらいは常識だよな。
 ガラス製のドアを開け、俺が寝る前から一糸乱れることなくその場に鎮座していた九曜にも声をかけた。「いくぞ」
 
 会場は明るくも温かみのある色調で彩られており、冬だと言うのにそれを感じさせない光で覆われていた。
「これはLEDですよ」
 LED? 聞いたことあるようなないような……
「ライトエミッションダイオード。日本語で言えば発光ダイオードです。昨今のエコブームで取り入れられた新しいタイプの光です。この照明に使われる白熱球は数年後には製造が中止してしまいますので、その代替品として取り入れられたようです」
 ふうん。つまり明るくて消費電力も低い照明ってことか。
「家庭用照明としての課題はまだ多く残っていますが、概ねその通りです」
 そうかい。
「さて、与太話にはこれくらいにして席につきましょうか。早くしないと会長に叱られます」
 その与太話を始めたのはお前なんだが、と突っ込む前に古泉はそそくさと自席に移動した。
 席は中央のステージを囲むようにして配置されており、そこに一番近い席に会長と喜緑さんが座ることになっている。俺達はゲスト扱いなので、やや後方のテーブルである。
 警備を終えた藤原、手伝いを追えた橘も既に席についており、俺達もそこに着席した。ちなみに橘は未だメイド姿のままである。着替える時間がなかったのだろうか。
「どうだ、橘。森さんにこってりしぼられたか?」
「…………」
「おい、橘?」
「……っへえ!?」
 おいおい、変な声を上げるな。どうせこれから出てくる料理のことばっかり考えてたんだろ。
「……うあう。そのとおりです。もう腹が減って腹が減って」
 白いエプロンの上を弄りながら、橘はやや疲れた様子で喋りだした。どんな仕事をさせられたのだろうか。
「パーティのセッティングはもちろんですが、何故か個室の掃除やベッドメイキング、おまけにペットの散歩と色々です」
 それはご苦労なこった。だがそれでこそ飯が上手いってもんだ。
「そうですね。頑張って平らげます。会長の家の資金がなくなるまで食べ尽くしてやるのです」
 そうか、まあ頑張ってくれ。
 などと他愛も無い会話をしていると、
「お待たせ致しました」
 開いた扉から出てきたのは、淡いブルーのパーティドレスに見を包んだ喜緑さんだった。肩や背中を大胆に露出したドレスと白いバラのコサージュがなんとも魅惑的である。
 その後ろ、ドアを開けていたのはなんと会長だった。そのままドアを閉め、彼女の手を取ってエスコートする姿はいかにも紳士である。自席まで到着した後も、喜緑さんの椅子をサッと引いて着席を促すのも忘れない。
あれほど不良じみたヤサグレ男がああも変わるとは。この状況をハルヒが見たらどう思うかね。ちょっと呼び出してやろうか。
「それだけはカンベンしてください。僕達も事後処理が大変なんですから」
 冗談だ古泉。泣くな。
 
 会長の挨拶と乾杯を皮切りに、表向き年始パーティは盛大に行われた。
 盛大といっても人数にして十人もいないから大盛況と言うわけにはいかないが、古泉の意味不明な説法に始まり、藤原のどこか抜けた常識、九曜の日常など話題に事欠くことはなかった。
 中でも食前酒を一気のみしてフラフラになった橘がいきなり会長に向かって『あたしを捨てるなんてひどいですぅ!』と大絶叫した時は腹を抱えて笑った。引きつる会長と朗らかな笑みを見せる喜緑さんのコントラストが絶品だ。
 なお、この後数分もしないうちに橘は撃沈した。彼女の楽しみにしていた料理はまだきていない。あれだけ最高級料理を食べると騒いでいたのに……かわいそうではある。
 その料理だが、会長が『最高級料理』と銘打っただけあり、俺が今まで経験したことの無いような豊穣の味わいで、舌鼓を十六ビートで叩きつけるような絶賛の嵐を口にした。
 もちろん素材だけではない。新川さんの料理もかなりのものであることは忘れてはいけない。会長は調理が下手だと詰っていたが、それは無碍に嫌おうとする彼の歪んだ心が成せる技であり、無論俺はこの料理に瑕疵があるだなんて微塵も思っていない。
 森さんはと言えば、おなじみの給仕係となってデカンターからワインを注ぐのに専念している。せっかくの年始パーティなんだから皆で楽しめばいいのにと思うんだが。まあ、あの会長がいる限り楽しくパーティなんかできないだろうな。
 残りの『機関』のメンバーである多丸さん達兄弟はこの場にいなかった。恐らくはエレベーターの上下搬送係りとして、この地下でスタンバイしているのだろう。
 全く、働き者のメンバーである。あれだけ嫌われているのによくもこれだけ健気に働けるものだ。
「皆様、お待たせいたしました。本日のメインイベントでございます」
 と、スピーカー越しの新川さんの声と共に辺りの照明が暗くなった。
「喜緑江美里様、当家の主人よりお渡ししたいものがあるとのことです。どうぞ、中央のステージにお寄りください」
 クエスチョンマークを点灯しながら、喜緑さんは会長に手を取られてステージ前まで行く。
「それでは……どうぞ!」
 声と共に照明が完全消え、代わりにスポットライトがステージ中央を照らし出す。瞬間、大地が割れたかのようにステージが開き、その代わりといっちゃ何だが白い煙がもくもくと吹き上がる。
 その煙を割って這い上がったのは、例の女神像。とはいえ、現状は白い布にかぶさっているが。
 ガシャン、と音を立てて一番上についた時、会長は白い布を勢いよく引っ張り――そしてようやく冒頭の時間軸へと繋がるのだ。
 延々長い思い出話で済まなかった。では早速本題に入ろうじゃないか。
 
 ………
 ……
 …
 
 ――ふふふ、あたしの出番でしゅね――
 
 若干ろれつの回っていない、状況判断を全く逸脱した声が響き渡った。
 声の主――答えるまでも無い。メイド姿のまま、何故かモップを手に取った……というより、フラフラしてるから支えられてと言った方が正しいか……橘京子。
「あたしが……はんにゅいんを……宝石を盗んだはんにゅいんを……探し出して見せましゅ……なんたってあたしは……めいたんてぇい…………なんれすから!」
 ああああ……あの馬鹿……酒飲んでるからいつも以上に空回りしてやがる。しかもご丁寧に昼間の与太話をまだ引き摺ってやがる!
「ほ……本当か……?」
 そして会長もそんな酔っ払いの言うことを信じるな!
「ふふふふ……まかせなしゃい…………真実は一つしかないんでしゅ……みてなさい!」
 そして橘は思ったよりもしっかりした足取りで、モップを構えた。
 
 
「悪の汚れ、おしょうじさせていただきまぁしゅ!」
 
 
『……………………』
 ふんと鼻息一つ鳴らした橘に対し、俺達は位相を揃えて三点リーダを紡ぎだした。
「ふぇへへへへへへ…………うみゅ…………」
 バタン。
「くう…………くう…………」
 場の空気を見事なまでに白くした張本人はそのまま倒れこみ、そして再び寝息を立てた。
「な、なあ…………一体どうすればいいんだこの場合…………」
 激昂していた会長も素に戻り、努めてシンプルなツッコミを入れるが……悲しいかな、誰も答えることが出来なかった。
 
 
 
 こうして、会長宅の家宝、アレキサンドライトが盗まれると言うハプニングと、その犯人を探し出すと言う爆弾発言のせいで、俺は年始早々橘の恐ろしさを嫌と言うほど知らされることになるのだった。


橘京子の動揺(捜査編)に続く
 

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最終更新:2020年03月12日 13:09