第1周期 D.I.Y.
 
 目が覚めると、貴方は見知らぬ部屋に閉じ込められていました。部屋にある手掛かりをもとに制限時間までに脱出しましょう。
 みたいなゲームは有名無名有料無料国内国外問わず数多く作られていると思うが、今俺が体験しているもののようにリアリティが間欠泉のごとく溢れるものはあるのだろうか。
 ……万が一あったとしても俺は知らないのでそういうことにしてほしい。
 
 部室から外の景色を見る。勿論、この風景は見慣れているし何ら異変はない。
 外はまだ明るい。そろそろ夕刊を配達するバイクのエンジン音が聞こえる時間のはずだがその気配はない。まだまだ部活を行なっている生徒も数多くいるのだろうがその喧騒も聞こえない。
 窓辺に立って外を眺めても何も変わらない。回れ右をしてもう一度部室を見渡す。ここには俺しかいないので、背を向けている間に何かが変化しているなんてことはなく、静まりかえったままである。
 ずっと立っているのも疲れるだけなので、一番近い距離にある団長席に座った。そして数ヶ月分相当の幸福を逃がしてしまいそうなほどに大きなため息をついた。
 さて、誰か状況を説明してくれないか? 勿論、この部室からの脱出方法も含めてな。
「どうなってやがる」
 再び窓の外を見て俺はそう呟いた。散々調べて結論がこれでは、先が思いやられる。
 
 異変が起こったのは今からだいたい1時間程前のことだ。
 部室で各々が自由気ままに好きなことをしていた中で退屈を持て余した俺は仕方なく寝ていた。
 だがしかし、ふと目覚めると誰もいなくなっていて、扉も窓も開かなくなっていたのである。
 扉の鍵は内側からなら簡単に開くはずなのに、その鍵が動かない。窓は硝子を拳で叩こうが椅子をぶつけようがヒビすら入らない。
「どういうことだよ」
 この時点で何らかの力で閉じ込められているのは明らかだろう。
 その犯人は誰で、その目的が何なのかは現時点では一切不明である。こんな空間を構成できる人物は限られているが、手がかりのないうちから邪推するのは止めておこう。
 とりあえず、この空間は何なのかを考える。
 統合思念体に関連する何者かが情報操作で俺を出られなくしたとも考えられるがもう一回言っておくと、俺はみんなが揃っていた部室で寝ていたのだ。突然消える、なんてバレバレなことをするのだろうか。
 新手の閉鎖空間が発生した、というのが次に立てた仮説である。だとすれば古泉が飛んで来るだろうがその気配はないし、長門も連絡を寄越すはずだがパソコンは全く動かない。
 携帯を見ると、「圏外」という真っ赤な文字を見せることはないものの全く繋がる様子はない。
 何処からも連絡がない以上、この閉鎖空間を脱出する手掛りが掴めない。
 もっとも俺はこの監禁のトリガーになったような言動はしていないように記憶している。何時も通りだった……はずだ。
 
「まだ何もしてないんだから、あれこれ考えても仕方ないか」
 で、原因を考えながらも俺は一人でずっと部室からの脱出を図り続けことごとく失敗して現在に至るという訳だ。
 
 脱出方法が全く無い訳じゃない。ただ、手段は残されているにはいるんだがそれを使う勇気がなかったのだ。
 この部屋から出られるであろう唯一の手段、それは壁に空いている人が通れる程の大きな穴である。
 覗くと中は真っ暗だ。壁に穴を空ければ必然的に隣の部屋に繋がるはずなのだが、それらしきものは見えずもっと奥まで続いているようだ。
 ずっと見ていると、視界は限りなく真っ黒に近づき、そのまま吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
 まるでブラックホールである。入ったら最後、永遠の闇に葬られてしまうかもしれない。
 
 試しに何かいれて大体の長さを確かめる事にする。机に置いてある空き缶を、穴に思いきり投げ込んだ。
 中で金属の音が反響し、やがて止まった。
 失敗はしていないから結構真っすぐ入って行ったはずだ。だが、行き止まりで跳ね返るような音はなかった。
 清涼飲料水の青い空き缶はどこまで到達したのだろうか。携帯のカメラを起動し、フラッシュライトで中を照らしてみる。
 暗闇に転がる缶を見つけたが、まだまだ奥まで続いていた。
 正直言って、気味が悪いのでずっと避けてきたのだが、部室から脱出するのに残された選択肢はもうこれしかないようだ。
 もう一度中を覗く。相変わらず真っ直ぐ暗闇へと続いているようだ。
「行くしか、ないか」
 俺は意を決してその暗い穴に入った。
 何も見えない中で、制服がこすれる音だけが狭いトンネルの中を反響している。湿ったセメントがなんとも気色悪い。とてつもない閉塞感の中、慎重に進んでいく。
 
 しばらく進むと前方がわずかに明るくなってきた。遂に外に出られるのだ。
 だが、その期待は見事に裏切られることとなったのである。
 
「ここは……何処だ?」
 なんとも間抜けな声を出してしまった。
 トンネルを抜けた先は雪国ではないのは言うまでもないのだが、校舎の壁に空いた穴を抜けたら学校とは関係無い場所に出ていました、というのはどういうことだ。
 俺は市街地に立っていた。そして、部室に居た時は確かに夕方だったにもかかわらず、なぜか辺りはもう夜だった。
 一度目を閉じてみて、開いてみても、ここは夜の市街地であった。
 市街地であることは周囲の建物の影ら分かるのだが、それにしても暗い。街灯が全くその仕事をしていない代わりに、頭上に輝く青白い満月が辺りを僅かに照らしていた。この周辺の街灯が全く機能していないが、まさかすべての電球が一斉に壊れるなんてことはあるまい。停電でも起こしているのだろう。
 暗闇に目が慣れて瞳孔が開いてきたところで見回す。
 後ろを振り返る。セメントの無機質な壁に穴があいている。間違いなく、この穴を通じてここへやってたのである。しかし、どう考えても学校の壁にあるトンネルからここまで直通で行けるとは思えないのだが。
「あれか、『魔法のトンネル』みたいなものか」
 そうなると一度は捨てた『誰かに試されている説』が正解である可能性がますます濃厚である。現実には不可能なトンネルが作れるのだから、この仮説が正しいとするならばやはり犯人は統合思念体かそれに類する何者かであろう。
 
 状況をそれなりに理解しているはずであったが、どうしてか俺はまだ一歩も進んではいなかった。
 違う、進めないんだ。
 気味が悪い程に静かなのである。いくら停電になっているとはいえ、車の一台や二台は走っていてもいいというのにそういったものは一切見られない。聞こえるのは自分の呼吸だけである。
 それに、その静けさの中でも何か聞こえるような気がして仕方ない。
「戻っても、仕方ないよな」
 慎重に歩き、ゆっくりとトンネルの出口から離れていく。
 本当に誰もいない。夜ということだけで時刻が分からないので、今が深夜であるならば閑散としていることには納得がいくが、確かめようがない。
 月明かりの下、警戒しながら歩いていくと、大型トラックが横向きに止まって道を塞いでいた。実質行き止まりである。ここは通れなさそうだ。
「よくこんな所に止められたよなしかし」
 迂回しながらそう思っていた。そもそも、両端に隙間なく車を止めることなんてできるのだろうか。思いきりスピンさせればできるかもしれないが、そもそもそんなことをする目的が分からない。
 そのようなことが続いた。ある時はゴミの山が道を塞ぎ、またある時は道が陥没していたりして結局一本道になっていた。やはりここは作られた仮想の世界なのだろうか。
 導かれるように進んでいくと、目の前に見覚えのある建物がにあるのに気付いた。
「ここは……図書館じゃないか」
 
 
 『図書館』
 
 
 実質一本道を歩いた先にあったのは、長門と一緒に来たことのある図書館である。
「こんな所と繋がっていたのか」
 あんな不自然な行き止まりの結果ここにたどり着いたのだから、ここに何かヒントのようなものがあるのだろう。
 
 図書館に近付いてみる。閉館時間はとっくに過ぎているというのに扉が開いていた。
 入口付近の地面には懐中電灯が落ちて、いや、置いてある。なぜ訂正したかというと、立てられていたからである。落ちてこうなることがあったとしても確率的に考えてそれはない。
 どうしてここに置いてあるのだろうか。入口の扉が開きっぱなしであることと関係しているのだろうか。
 ここで簡単な足し算をしよう。開いたままの扉+そこに置かれた懐中電灯=……。
「中に行けと、そういうことか?」
 そう問いかけても答える者は勿論いない。
「これは脱出ゲームなんだな? そうなんだな? そういうことにするぞ?」
 俺は誰かが監視しているという前提でそう言うと、懐中電灯を拾った。スイッチを入れる、どうやら発光ダイオードではなく普通の電球のようである。まあ、こんな暗闇で使うのには全く不足はない。
 それを右手に、中を照らしながら入口へと足を踏み出した時だった。
 
 突然耳鳴りがした。高周波の音が鼓膜を揺らしている。
「! な、何だ!?」
 呟いた自分の声さえ聞こえにくいほどの激しいものであった。それはさらに音量を上げて頭にも響き、痛みを伴っていた。
 その音は数秒で止んだ。全く、何でこんな時に耳鳴りを起こすんだ。
 
 再び歩こうとした俺の足が動かない。靴底に瞬間接着剤でも塗りつけられていたかのように地面から離れなくなっていた。
「……」
 背後から伝わる違和感がその瞬間接着剤の正体だ。
 俺は選択を迫られていた。振り返って違和感の原因を確認すべきか、無視してそのまままっすぐ歩くべきか。どちらにしても、背後にいるそれから逃げられるかどうかの確証はこれっぽっちもなかった。
 頭の中で振ったサイコロは、『まっすぐ歩く』を選んだ。地面に固定された足を引き剥がすようにして一歩踏み出した。
 
「まって」
 
 後ろから声がした。それを聞いた瞬間に俺は液体ヘリウムでもぶっかけられたかのように瞬時に凍りついていた。
 誰がいるんだよ。
 ホラー映画でよくあるよな、こんなシーン。
 背後から何かが近付いていて、いまにも触れそうなところでそれに気付いて振り返り、その恐ろしいものを目の当たりにして絶叫するんだよな。
 実際に体験すると、どうなるか分かってても怖いんだな。足が震えてきた。
 呼び止められた以上は仕方あるまい。恐る恐る、潤滑油が切れて錆びたロボットのようにぎこちない動きで振り返る。
 そこにはゾンビがいた……という訳でもなく、一人の女の子が立っていた。まだ俺の足は震度2程で揺れ続けていた。予想に反して常識的な姿であったその正体を見ても、恐怖感は消えていなかったのである。
 暗闇でもよく見える真っ赤なワンピースを来た、ロングヘアの女の子。顔はその黒い髪に隠れて見えない。身長から推測して、妹よりも年下だろうか。
 直立不動の少女は、小さな声だがはっきりと言った。
 
「ちゃんと準備をしてから入って」
 
 次の瞬間には少女の姿はなくなっていた。
「消えた……?」
 少女の姿を探そうと、立っていた場所を照らすと、そこには赤い足跡が残っていた。
「なんだよこの赤いの……」
 暗闇の中ではそれが本物か偽物か判断しかねるが、どちらにせよ度胸を試されているのだろうか。
 足跡の横には、拳銃と弾倉が置いてあった。これがまだエアガンであれば良かったのだが、拾うとこれがずっしりと重たいのだ。この黒光りはプラスチックではなく金属のであることは間違いようがなかった。
「おいおい、銃って、そりゃあ……なぁ」
 あの少女が言った「準備」がこれならば、この後俺に生命の危機が訪れるのかもしれない。
 どんな危険な目に遭うのかは想像してもしょうがない。拳銃ということはそれを使わなければならないような『敵』に襲われると考えていいだろう。
 射撃に自信はない、夏祭りで見かける射的ですら妹に負ける程度の能力である。そんな俺が本物の銃を初めて触れて(当然だが)すぐに使いこなせるだろうか。
 そう思いながらもそれらをポケットに入れる。
 はは、まいったな、もう手が震えてやがる。
 
 懐中電灯の灯りを頼りに、図書館へ入った。
 俺は図書館で一体何をすれば良いんだろうか。
 別に探検したくてこうしているわけではない。俺はこの異常事態からの脱出方法が知りたいだけなのだ。
「だからさっさと帰してくれよ、真面目に」
 しかし、あの少女といい、拳銃といい、この不気味な様子といい、どうやら脱出は簡単ではなさそうだ。
 
「うわ」
 謎の少女に言われた準備を整えて、いざ図書館に足を踏み入れた時の第一声がこれである。
 内部を見て分かったことは、この世界は不気味を通り越して狂っていたし、簡単でないどころか困難を極めそうなことだ。
「何だよこれ……」
 図書館のロビーは、まるで殺し合いでもあったかのように床や壁は血が飛び散った跡で埋め尽くされていた。
 奥を照らせば、本は棚から崩れ落ちて床を占領し、棚ごと倒れて通路をふさいでいるところも見られる。
 荒れ放題この上ない状態で、しかも長い間と放置されたように見える。その証拠に、これだけの血痕がありながらその臭いがしないのである。まあそれは有難いことなのだが。
 
 しばらくの間、俺の身体はブロンズ像のごとく固まっていた。こんなお化け屋敷レベルMAXを探検しなければならないなんて聞いていない。
「この中を、進めっていうのか?」
 だが、もう引き返すことすらできなかった。この光景に背を向ける事がたまらなく怖いのだ。
 俺は懐中電灯の灯りを頼りにあちこちを見回しながらゆっくりと館内を歩いていく。内部を見回すと余計なものを見てしまいそうな気がしたので、出来るだけ真っすぐに進むことにした。
 
 カンッ カンッ カンカラカラカラカラカラカラカラカラカラ… コン
 
 突然響いた金属音に、全身の筋肉が収縮した。
「はぁ、心臓に悪い……」
 足元にあった鉄パイプを蹴ってしまったらしく、音を立てながら近くの本棚へと転がっていた。
「こんなところに鉄パイプ、か」
 この狂い加減といいこの『武器』らしくない『武器』といい、ホラーゲームを彷彿とさせる訳だが……。
 まさか俺がその主人公なのか? じゃあ俺は裏世界とやらに突入しているのか?
「勘弁してくれよ。俺はゲームの主人公みたいに肝が据わってないぞ」
 恐怖を紛らわす為か、無意識のうちに独り言が増えていた。
 この世界があのゲームの世界だと仮定しても、あくまであれはサードパーソンの視点であってファーストパーソンではない。視野は狭いし、某時計台よろしくパニックにも陥る可能性がある。
「文句を垂れても仕方ないか」
 鉄パイプという(ゲーム中では)なかなか頼りになる武器を手に、しようとして手を放してしまった。表面を覆う錆びた金属の感触に思わず手が離れたのである。しかし、こんなことで苦情を呈していても背に腹は代えられない。
 ざらざらとかべたべたとか、そんな感触に耐えてパイプを握った。その瞬間、手の平から出る汗のせいで気持ち悪さは三次関数並みに急増してしまったが今度は放すことはなかった。
 
 左手に持ち替えた懐中電灯で前方の床を照らしつつ、本棚と本棚の間を歩き回る。
 
 ぺたっ……
 
 嫌な音がした。
 こういう類のゲームにはちょっとしたイベントがある……んだよな。
 例えば、敵とのファーストコンタクト……とかな。
 
 今まさにそれの真っ最中なのだろうな。
 
 音がした方向に懐中電灯の光を当てると、動いている影が見えた。
 未知との遭遇、等と冷静でいられたのも僅かコンマ数秒。
 
 とんでもなく早い周期の呼吸が聞こえる。その呼吸音の正体である人の形をした黒い影が、床を這っているのが見えた。
 それを見た瞬間、全身の毛が逆立っていた。
 鉄パイプという武器があるという時点で、ここがどんな世界でどんな敵がいるのかはある程度想像していたものの、分かったからと言って怖くなくなるわけではないのだ。
 俺は第一に逃げることを考えた。しかし既に足がいうことを効かなくなっていた。
 完全に立ち往生していたが、幸いなことに向こうはこちらに気付いていない。このままの状態が保たれれば、戦闘は避けられる。
 
「そうだ、そのままあっち行け……」
 
 切に願ったものの、運は味方してくれないらしい。
 とうとうそいつがこっちを見た。
 明らかにこっちを見た。
 背筋が氷水でも浴びたようにひんやりと冷たい。
 
「来るなよ……」
 
 向こうは完全に標的を絞っている。とんでもない速さでぺたぺたと音を立てながらこちらに近づいていた。
 相変わらず床から離れない足の震えは止まることなく、震度5以上の激しい揺れを記録していた。
 
「こっち来るなって……」
 
 俺はパイプを両手で握りしめていた。
 そいつは口から液体を垂らしながら近付いてくる。
 パイプを頭上高く振り上げた。
 そいつが今にも俺の足にかじりつこうとしていた刹那、全身全霊の力を込めてパイプをそれの頭に叩きつけた。
 
「来るなっつてんだろうがっ!!」
 
 この渾身の一撃の後も俺は攻撃の手を緩めなかった。早速冷静さを失い、自分が知っているありとあらゆる暴言を吐き散らしていた。
 こんなのが迫ってきている状況で冷静なのが逆におかしいと思うね。
 最初から血まみれで気持ち悪い四つん這いのそいつにはさっさと死んでほしかった。オーバーキルになろうが構わなかった、一刻も早く迫る恐怖から抜け出したかった。
 幾度もパイプで殴打されたその頭部は凹み、血が流れ出ている。致命傷は確実だろう。
 腕がしびれてきたのでいったん手を休めた。これだけ殴れば充分……、
 ところがそいつはまだ這ってこちらに来ようとしていた。とんでもない執着心だ。
「しつこいんだよ!!」
 戦慄を覚えた俺は、パイプを逆手に持ち替えるとそいつの頭部にめがけ、全体重をかけて思い切り突き刺した。
 頭の骨が砕けて中身を貫く例えたくもない擬音とともに、液体を飛び散らしながらパイプが刺さっていく。
 そいつはこちらを睨みつつ「ア」だの「ウ」だのという短い声を漏らした後、とうとう動かなくなった。
 
 ようやく終わった。
 力が入りっ放しだった腕をだらんと垂らし、ため息をついた。両腕はもう力が入らず、動かすだけでも小刻みに震えていた。
「はぁ……寿命が縮まる……」
 こいつ、改めて見ると右手と左手の位置が逆になっていた。人間の姿のようでそうでない異形のモンスターだった。
 異形は死んだようだが、後処理に困っていた。パイプを引き抜こうにも深く刺さっていてなかなか抜けないのだ。
「勘弁してくれよ」
 もたついている間に他の異形生物が現れたらおしまいだ。過剰な焦りを感じた俺は、その潰れた頭を足で押えてようやく引き抜くことに成功した。
 くちゃっという音とともに埋もれていた部分が見えた。パイプの内側に残っていた赤色の半液体が地面に垂れる。
「ぅわ……ぉぇぇ」
 それが見えた瞬間、胃袋が痙攣を起こした。
 毎度毎度こんなのを見たくない、パイプの使い方には気をつけるべきだな。
 制服の下は汗でべたべたになっていた。長距離走でもしたかのような疲労感だった。あれが現れる度にこうなるのでは、体力がもたない。
「冷静にならないとな」
 そう呟いた直後に、またさっきと同じ足音が聞こえた。しかも複数だ。
「まじかよ……もう勘弁してくれよ」
 正面から、四つん這いの化け物、さっきの奴の仲間がこっちに向かってくる。その血みどろが2つ、3つ、4つ。来ないでくれと言っているのにそいつらはどんどん近付いてくる。どこまでも無慈悲な奴等だ。
 奴等は床や本棚を這って猛烈な勢いでこちらに向かってくる。とんだ人気者らしいがこんなの願い下げだ!
 俺は震える足に鞭打って逃げた。いったん落ち着こうとしていたおかげか、足が言うことを聞くようになっていたのは有難かった。
 奴らが一方から来たことは有難かった。ひとまずの逃走経路がすぐに出来上がったからだ。そのぺたぺた音が聞こえたのと反対の方向に、出口がどことかいうのは一切関係なくとにかくあれらから離れることが最優先された。必死に逃げた、そりゃあもう、火事場の馬鹿力と言っても過言ではなかっただろう。
 
 どれだけ走ったか全く覚えていない、それほど無我夢中で走っていた。あの足音が聞こえなくなりようやく落ち着けるようになった時には、マラソンでも完走したかのように体が重くなっていた。
「はぁ、はぁ、ったく……」
 何で俺がこんなゲームの主人公にならなきゃいけないんだ。ああいう主人公ってのはまだ冷静だからいい、俺はそうはいかん。毎回あんな全力逃走劇を繰り広げる体力はない。
 
 ようやく落ち着いて溜め息をしたその時、俺は後退りして本棚にぶつかった。立て続けにやってくる『要素』に、俺の心臓はいつまで耐えられるのだろう。
「っ………!」
 足元に、真っ赤な足跡があった。大きさからすると、あの少女のだろうか。ここにもいたのか。
 その赤い足跡は、その左へと続いていた。懐中電灯の灯かりを照らして辿って行くと、一冊の雑誌が床に落ちていた。
 何かのヒントだろうか。拾って見ると、週刊誌のようだ。
 表紙には、様々な記事の見出しが大袈裟な単語で並べられているが、一番大きな見出しにはこう書いてあった。
 
『見た者は死ぬ?生存者ゼロ:大量怪死事件』
 
 大きなゴシック体で書かれたその赤色の文字を見て思わず寒気がした。何だよこの気味悪い記事は、物騒とかいうレベルじゃないぞ。
 
 そのまがまがしい表紙をめくり、記事を見ようとした時、再び強烈な耳鳴りに襲われた。
 超音波が頭の中を駆け巡り、痛みが襲う。今度の耳鳴りはやけにきつい。
「ぐぁっ………………」
 それに伴う痛みのせいか、目の前が真っ白になっていく。
 
───
 
 ……………ん?
 
 頭痛が止んでいた。ぐっと閉じていた目を開けると、いつの間にか真っ白だった視界は元に戻っていた。
 だがさっきまでの図書館とは何か違う。持っていたはずの雑誌は消え、辺りはやけに綺麗になっていた。あの血痕はおろか、荒れた痕跡さえ全くない。
「もうクリアしたってことか?」
 あの雑誌を拾うことが終了条件だったのだろうか。是非ともそうであって欲しいところではあるが。
 じっと立っていても何も起こらない。ここも探検しろということか。少しずつ前進してみる。
 綺麗になっているのに違和感がぬぐえなかった。あの異形共はいないが、やはり人の気配が無いのはどうも納得がいかないのである。
 
 前方数十メートル先に何かが転がっていた。
 
 あれはさっきの化け物ではない。普通の人間だ。
 
「は?」
 
 だが、不自然な格好で倒れている。こんなに手足が、あらぬところから、新たに出来た関節で、曲がった状態で、寝ている、とは、考え、られ、な、い。
 
 ここもまともではない。
 
 そう悟った時、凄まじい爆発音がしてガラスが飛び散った。飛んできた破片から身を守るために窓に背を向けた。
 が、飛び散ったのはそれだけではなかったことが音から分かった。
 ガラスの破片が床に散らばる音だけではなく、何かもっと大きなものが床に叩きつけられた音がしていた。なにかこう、どすんというどこか鈍い音だ。
 何が爆発したのだろう。あれだけの規模からすると、ガソリンを運搬していたタンクローリーが事故でも起こし
 
 
「宇宙人も、未来人も、異世界人も、超能力者も大っ嫌い!!!!」
 
 突然響き渡った声は、さっきの爆発音とは違って直接頭に響くような声で、どこから聞こえたのか全く分からない。その怒鳴り声に思わず委縮してしまったが、自分の耳を疑った。
 
 聞いたことのある声だ。しかし、その声の主の姿はない。
 
 どこだ、お前はどこにいるんだ。
 
「許さない……絶対に許さないから……!」
 
 その怒りや恨みに満ちた声といったら、その表情が想像できてしまいそうであった。
 
 俺は立てたくはない仮説を立てざるを得なかった。
 
 これだけは、最も正解ではないことを望んでいた仮説であった。
 
───
 
 気付けばまたあの血痕だらけで荒れ果てた図書館にいた。
 俺は茫然としていた。まだ異形がうろついているのだろうが、そんなこと気にも留めなかった。
 
「まさか、あいつが、こんなことを?」
 
 ……!
 
 その時、一瞬にして辺りが明るくなり、焼けてしまいそうな熱さ包まれた。
 ガソリンを図書館中にまんべんなく撒いてあったように激しい炎が上がっていた。持っていたはずの雑誌は炭化して崩れ、原形を失っていた。
 
「おいおいおいおい……!」
 
 全身の神経が「熱い」と訴えている。息を吸い込む度に熱された空気で肺が焼けそうになる。まずい、辺りは可燃物ばかりだ、逃げないと。
 今度逃げる方向は、とにかくあの入口まで炎を避けるルート。
 図書館は天井が高いので、そう簡単に焼け落ちる事はない。小さな炎なら飛び越える事も出来たので、手詰まりにはならなそうだ。
 気のせいか、人影など全くないのに叫び声が聞こえてくる。館内に響く老若男女の断末魔。俺はそれらを意識しないようにして走った。
 
 俺は灼熱の中、不意に足を止めた。
 勿論、逃げなければ俺はさっきの雑誌のごとく炭になってしまうのだが、炎の中に誰か立っているのが見えたのだ。
 さっきの少女よりも背が高いが、やはり長い黒髪だ。向こうもこっちを見ているらしい。
 誰だ。
 だが、にらめっこしている暇はない。焼死なんて御免である。
 入ってきた出入口を見つけ、炎上する図書館から火傷を負うことなく脱出した。
 
「全く……、何がどうなってんのか」
 走って図書館から離れた後に振り返ると、真っ暗だった空は橙色に染まっていた。
 本以外にもカーペット等の人工的に作られた有機化合物が焼けているのだろう、鼻につんとくる有毒ガスの異臭が漂う。
 図書館に来たことによる収穫は、本物の拳銃と鉄パイプと懐中電灯と、これまでにない恐怖だった。
 グロに耳鳴りに火災に、手荒い歓迎を受けた俺はすっかり疲労し混乱していて、ここに何の為に来たのか分からなくなった。
 しばらく炎上する図書館を眺めていたが、特別何も起こらないようなので、この場所から早く逃れることにした。
 部室からは出ることが出来たものの、出た先がこんな地獄だなんて、まだ出られていないに等しかった。俺はみんながいる学校に戻りたいのだ。
 混乱したままの頭を振り、俺はあの壁の穴に入って狂気な世界を後にした。そして、また自ら牢獄へと戻っていった。
 



 第2周期

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最終更新:2010年01月30日 23:20