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 使用済み核燃料棒と一緒に地層処分してしまいたいような経験をして命からがら図書館から逃れてきたものの、手に入れた鉄パイプでも拳銃でも俺を閉じ込めようとするこの部室の扉を壊すことは出来なかった。
 必死に走ったせいでひどくのどが渇いていたが、幸いカバンの中に水の残ったペットボトルがあったので多少は潤すことが出来た。
 この事態の原因を突き詰めようと悩んでいる俺は、顔からつま先までいたるところを血で汚していた。そんなことも気にならないほどに俺は悩んでいた。
 手がベタベタなので石鹸で洗い流したいとか、制服をクリーニングに出さなきゃならないとかいう悠長なことは言ってられないのだ。
 とてもじゃないが、あんなのを見てまだそんななことを考えていられる余裕はない。
 
 無言で外を眺める。
 水をもう一口飲み、ボトルを机に置く。その無色透明であったボトルも、赤く汚れた俺の手に持たれてしまったことでその透明さを失ってしまっていた。
 南中を過ぎた陽は段々と地平線へ落下していく。もはや通信機器としての機能を果たさない携帯を見る。その時計によると、俺が部室に閉じ込められてから2時間以上が経過しようとしていた。
「どうすりゃいいんだよ」
 俺がここに閉じ込められている理由を、あの図書館での出来事をもとに整理しようとしてみたものの、さんざん考えて出た結論は「分からない」であった。手がかりが断片過ぎて繋がらない。明らかに大きさがバラバラのジグソーピースをにらめっこしているかのように、それぞれの関連付けが出来ていないのである。
 
 まず俺が閉じ込められた原因を再考察した時、当初思い浮かんだのは、言わずもがなあのトンデモ能力の持ち主であるハルヒであった。
 それは直ぐに否定した、賛同できるものではなかった。第一、ハルヒがあんな狂気に満ちた世界を望むのだろうか。そこまでハルヒが(精神的に)病んでいたとはとても考えられない。
 しかし、残念ながらそれの心当たりが無いとは言えないのだ。
 
『宇宙人も、未来人も、異世界人も、超能力者も大っ嫌い!!!!』
 
 幻覚の世界でのアイツの泣き叫ぶ声が頭から離れないのである。あんな恨みに満ちた台詞は聞いたことが無い。
 あれはヤンデレとかそういうレベルではない、世界の崩壊を予知させるような絶望的なセリフだ。あれを古泉が聞いたらどうなっていただろうな。長門でも、あれは収拾がつかないのかもしれない。
 あの幻覚の世界で起こったことがすべて事実であるとすれば、あれは当然未来に起こることであり、それを俺に解決させようしてあれを見せたと考えられ、俺を閉じ込めている犯人は未来人ということになる。
 SOS団の未来人である我らがエンジェル朝比奈さんが現れていないということは、他の未来人組織の仕業だろうか。そうすれば図書館に入る前に出会ったあの少女は訓練された未来人で……、
「違うな」
 あれは年相応のしゃべり方ではないし、あの背筋の凍るようなオーラは一体何なんだ。
 
 全ての仮説が破棄され、俺の一人議論は見事に暗礁に乗り上げてしまった。
「あー、どうなってんだよ」
 そう言ってぐしゃぐしゃと頭を掻きまわしていた時であった。またしても俺の心臓は瞬間的に停止しそうになったのである。
 
 俺の呼吸さえよく聞こえるほどに静かだった部室に、突然チャイムが鳴リ響いた。
「!?」
 その瞬間、俺の頭の中を埋め尽くしていたさっきまでの考察はすべて吹っ飛ばされてしまった。最速の素早さで視線をあの壁の穴に移した。
 息を呑む。
 その真っ暗な穴から何かが這い出てきそうな気がしてならなかったのだ。
 俺は座ったままであったが拳銃を引っ掴むといつでも撃てるように身構えていた。
 緊張が走る。
 心臓の動きが伝わってくる。
 そこから目を離さないまま、チャイムが鳴り終わった。
 反響していた音も小さくなり、また重苦しい静寂がこの狭い空間を覆い尽した。
 
 どうやら何も出てこないらしい。ひとまずほっとした。
 あのチャイムは何だったのだろうか。普段ならばこの時間に鳴るのは帰宅を促すチャイムなのだが。
 もしかすると、この部屋に新たな変化が起こったのではないか?
 そう思って立ち上がってあちこち変化していないか探してみたものの、期待とは裏腹に何の変化もない。部室の扉は相変わらずびくともしないままであった。
「……とすると、変わったのは」
 壁の穴を見つめた。
「こっちか」
 
 二回目だ、少しは耐性が付いてるはずだ。そうであることを願い、出来れば惨劇の世界でないことを願い、鉛のように重たい身体を起こした。
 汚れた鉄パイプを拾い、拳銃の弾を確認し、机に置いていたペットボトルを手にとって水をもうひと口飲むと、ゆっくりと立ち上がった。
 あんな狂気に満ち満ちた世界が待ち構えているのだろうか。出来ればそんなところに行きたくないんだが、どのみちこの穴以外の手段で部室からは出られない。
 絶対に、あの世界にこの密室からの脱出の答えがあるはずだ。そう言い聞かせ、再び穴に入った。
 
 今度は懐中電灯があるので、トンネルの中を照らして進んだ。
 トンネルは相も変わらず真っすぐ続いていて、ここは何も変わっていないように思える。この先に待っている世界が変わっているのだろうか。
 
 しばらく進むと外に出た。すると、違う風景が広がっていた。
 相変わらず夜闇でよく見えないのだが、それでもさっきとは別の場所であると分かるのには充分であった。
 
 
 『マンション』
 
 
 トンネルを出てまず見えたのは、長門が生活するマンションだった。
 街灯はついているが、建物の灯りはなく、それはただの巨大な影であった。
 そしてここもやはり、不気味な程に静かであった。
「今度は、何が起こるんだ」
 出来れば何もないことを願いつつ、ゆっくりと歩いていく。
 またしても入口のドアは開きっ放しである。
 ここも停電なのだろう。またしても中は真っ暗であった。
 中を懐中電灯で照らす。
 その光が床を、壁を、天井を順番に照らしていったが、そのすべてに血痕があった。
 もうこれには慣れ……る訳がないだろ。
「ぅわ……」
 再びうごめく胃袋を押さえた。あの異形共に襲われるよりも先に、精神的ショックでやられそうだ。
 思うのだが、どうやったらこんなに激しく飛び散るのだろうか。刃物で切り付けられたとしてもこんなにしぶきが飛ぶことはあるまい。壁に損傷はないので銃撃戦があったわけでもなさそうである。
 
「……ダメだ、耐えられん」
 いったん外に出る。やはりあんな所に入るにはそれなりの覚悟ってものが要る。
 深呼吸をして外のよどみのない空気を吸う。
「はぁ。きが、くるってる」
 赤い液体と暗闇の共演はまさに狂気そのものであった。
 どこもかしこもこんな状態のせいで頭がおかしくなりそうだ。
 
 後方から、何か布のようなものがこすれるような音がした。
「ん」
 今度は屋外にも何かいるのか……。
「うおっ」
 そして音のした方向から、何かがこちらに飛んできた。
 驚いて構えの姿勢もテイクバックも無しにパイプを振り抜くと、それに見事に命中した。
 それは5メートルほど飛ばされてぼとりと地面に落ちた。
 地面に落ちたそいつに近づいてみる。ケイレンを起こしているので、瀕死だろう。安全を確認したうえで更に近づいてみる。懐中電灯で照らしてよく見ると、それはコウモリだった。だが、顔にはその体に釣り合わない程に大きな人間の口しかなかった。
「気持ち悪い形だな……」
 もう飛んで襲いかかる力は無いと見えるが、まだ動いている。とどめを刺さなければならない。
 こいつの息の根を止めるにはどうするべきか。図書館の時みたく頭につき刺すのは後処理が精神的に堪えるので控えたい。こんな小さな異形相手に拳銃なんて使ってられない。
 ならば答えは一つである。
「気持ち悪い!」
 思い切り踏み付けた。
 そのコウモリもどきは、一瞬だけ黒板を引っ掻いたような音を出して潰れた。
 
「さて……」
 改めて巨大な影を見上げる。
 このマンションに長門の部屋がある。
「長門がいれば助かるんだが」
 
 違和感がある。図書館とは違って空気が湿っているとかそんな感じがあるのだが、それだけでないものがある。なんというか、威圧感のようなたぐいの空気を感じるのだが、その源泉は何なのだろう。
 マンションの黒い影を見ていると何故か寒さを感じるのである。
 何かある、勘がそう俺に警告する。
 あくまでも『何か』は『何か』、somethingであり、その正体までは推測できない。
 そのsomethingが良い方向のものであることを祈りつつ、マンション内部へと歩いていく。
 入口に近づくにつれて、その感触もだんだんと大きくなっていく。だが、こんなことで引き返してもどうしようもない。俺には進むという選択肢しか残されていないのだ。
 
 真っ暗闇に差し掛かったところで懐中電灯をつけてその灯りで中を進む。
「やっぱり、慣れないな……」
 どこを向いても嫌でも目に入る赤いものとよどんだ空気に吐き気を覚えながらも、それを出来るだけ意識しないように、この先に長門が要る機体を原動力に突き進んでいく。
 あの血の臭いが無いのがせめてもの救いだった。あれがあったら、もう俺の胃袋はどうなっていることやら。
 聞こえるのは自分の呼吸と足音のみである。立ち止るとたちまち不安を誘う無音に包まれてしまうので、止まることなく常に動き続けていた。
 
 ガタン
 
「ぉうっ…!」
 いきなり聞こえた音に思わず懐中電灯を落としてしまった。慌てて拾って音のした方向を照らす。
 エレベーターが到着したらしい。モーターの音がしてドアが開いた。その金属の箱の中も照明は機能せず、無人であった。
 
 このマンションに俺以外の『誰か』がいるのだろうか。
 
 これは長門が俺が来たことを察知して誘導しているかもしれない。こんな状態だからで迎えが出来ないから遠隔操作でもしているのだろう。
 
 俺はエレベーターを目の前にしたまま動かなかったが、一向にドアは閉まらない。やはりこれに乗れということなのだろう。
 周りに異常が無いのを確認してその箱に乗り込むと、何もしていないのにドアが閉まった。
「!?」
 まさか閉じ込められたのかと思った時には、何もしていないのに上昇を始めていた。どうやら案内されているようである。
 既に「7」という数字のボタンが押されていて、そこが点灯している。そこは長門のいる階だ、ますます長門がいるのではないかという期待が膨らんでいく。
 機械の音が響く。その密室の中で俺は呼吸を整えていた。
「長門……頼むから居てくれ……」
 その期待を唯一の燃料にして動いて来たので、長門がそこにいなかったら絶望してもう動けなくなってしまうかもしれない。
 エレベーターの上昇と共に緊張も高まる。
 この先に何かがあっても取り乱さずに対応できるように、心の準備をしていた。
 
 ………………………………
 
 ………………………………
 
 ………………………………
 
 ……………………あ………
 
 していたはずなのに。
「ぅぉあっ!! ……マジかよ……」
 俺は飛び退いて壁に背中をぶつけた。金属板の大きな音がしたが、エレベーターは相変わらず上昇を続けていた。
 今、一瞬だけ、確かにあの少女が隣に立っていた。人間の視野もそれなりにある。視界の端に、あの赤い服を着た少女が、その姿が懐中電灯の明かりの端に、はっきりとあった。
 ハメられたのか……? これは罠だったのか……?
 希望が潰え、それと当時に自分がおかれている状況を考えて震撼した。そんなことはない、気のせいだ。きっと気のせいなんだ。俺の思い込みだ。そういうことに、しておこう。
 
 エレベーターはやがて止まった。俺は頭を振り、緊張感を無理矢理取り戻して鉄パイプを構えた。
 ドアが開く。
「全くどこもかしこも……」
 到着したのは、血の池と化していた通路であった。
「うg……」
 しかも今度のはまだ新しい、乾いてすらいない血痕だった。ついさっきまで何かが起きていたようだ。
 外に出たところで、ロビーにはなかった生臭い臭いが付加されたことによって、嘔吐感は倍増であった。
 
 ぺた、ぺた、ぺた
 血の池を歩く音がこちらに近づいている。何かが歩いてくる。暗闇からまたしてもあの異形の人型がやってくるのだ。
「またあのリッカーもどk」
 懐中電灯の光がその方向を向くと、ようやくその姿が見えた。
 なるほど、ステージが変われば登場する敵も変わるのか。そう思う余裕があったのは、相手の移動速度が遅かったことに他ならない。ただ、気持ち悪いのには変わりはないが。
 暗闇から現れたその異形について端的に説明すると、神人を人間サイズにしてグロさを強化したものだ、ということだけにしていいだろうか。感情的に伝えるならば、『気持ち悪い』の一言で充分だ。
 それでも説明してほしいという人がいるのであれば、こちらが吐き気を催さない範囲内で説明してやろう。2メートルはあろうその巨体は一見ただの巨人である。だが、図書館で襲いかかってきたあのリッカーもどき同様に血まみれであり、腕には太い血管らしきものが脈打っているのが見える。顔のほとんどを占めるとんでもない大きさの目玉が血走りながら俺を睨んでいる。
 見た目からして体力がありそうだ。鉄パイプでは苦戦を強いられるかもしれない。
 そもそもこいつに近づきたくない。
 ……どうする。相手は完全にこちらの存在に気付いており、ゆっくりではあるが近づいてくる。
 死が近づいてくる。
 エレベーターで戻ろうとしたが、いつの間にか扉が閉まっていた。
「……開けよ!」
 ボタンをいくら連打しても開くことはなかった。
 
 そうしている間にも、確実に死は近付いていた。
 
 そうだ、こういう建物なには非常階段があはずだ。どこだ、どこにある。
 こういう焦っている時というのは、落ち着いていれば簡単にできることも全く出来なくなってしまうのである。飛び回るハエのように視線が落ち着きなく動き、とてもじゃないが発見することが出来そうになかった。
 
 その時、ポケットの中にあるずっしりとした重い感触を思い出した。
 準備ってのは、こういう時のための準備ってことか。
 俺は鉄パイプを床に捨てるように置き、懐中電灯を左手に持ち替えると、ポケットに右手を突っ込んで拳銃を取り出した。黒光りするそれを構える右手は震えていた。先述の通り、俺には射撃の腕前は無いのだが、四の五の言ってられない。
「当たれよ……」
 もう奴が手を伸ばしたら触れてしまいそうな距離で、俺は大きな目玉めがけて弾丸をブチ込んだ。
 引き金を引いた瞬間、鼓膜が破れてしまいそうな破裂音がして、手首に衝撃が走った。標準を合わせるためにはどうしても懐中電灯で照らす必要があったのだが、やはり片手では反動が大きかったようだ。
「いって」
 とっさに手首を押さえていたが、その姿勢のまま俺は硬直していた。
 弾丸は見事にそいつの眼球を潰し、その液体が飛び散った。
「うゎっ……」
 それに驚いている暇はなかった。神人もどきは目を潰されて悶えていたが、それでもまだ前進を続けていた。
「来るな!」
 やっぱりこいつには近づきたくない。手首の痺れるような痛みは我慢し、もう一度拳銃を向けて数発撃ち続けた。最初の一発が致命傷だったらしく、思っていたよりもあっさりと倒れてしまった。
「終わった、のか」
 鉄パイプで相手をしたあの時よりも早く戦闘は終わった。これが銃の威力というものか。
 大きくため息をついた。弾数はかなり少ないから、使うことは出来るだけ控えなければならない。あの神人もどきの気配はない。だがもしかするとどこからともなく湧くように現れるかもしれないので、来る前に急いで長門の部屋へ行こう。そうすれば何とかなる。
 
 710という数字を見つけた瞬間、獲物を追いかける肉食獣の如く全力で走り、ドアノブを掴むと乱暴に扉を開けて飛び込むようにして中に入り、またしても乱暴に閉めると見事な素早さで施錠も完了した。
「はぁ……」
 ようやく落ち着くことが出来る。魂が抜けてしまいそうなほどに深いため息をついた。
 
 ……静かなのはもちろんだが、エレベーター同様、こうも狭いと圧迫感がある。
 室内を懐中電灯の明かりが飛びまわる。それが照らすのは血痕まみれの部屋だけであった。ここに異形共はいないらしい。だが、長門もいないのだ。
 落胆せざるを得なかった。
 確かにいない可能性も考えてはいたが……。やっぱり、こんな世界に味方がいる訳がないんだよ、諦めろ。
 それでも、ここには入れたということは何かの手がかりがあるのではないかと思い、その存在を期待して暗い部屋を銃を構えながら進む。
 
「だ、誰……?」
 懐中電灯の光に反応したのか、奥から声が聞こえた。その細々とした声からすると敵ではないだろう。それに、あの声には聞き覚えがある。そこに光を向けると。
「朝倉!?」
「キョン君!」
 長門の部屋にいたのは、床に座り込んで震えている朝倉だった。
 制服が赤く染まっているということは朝倉もあの異形の相手をしたということだろう。だから通路が新しい血でべたべたになっていたのかもしれない。
「どうしてこんな所にいるんだ」
「通常の閉鎖空間とは違うこの世界についての調査をする為に派遣されたの。でも入った途端に情報操作もなんにも使えなくなって、この有り様」
 言葉は冷静さを失わないようにしていたが、朝倉も恐怖に染まっていることは震えたままナイフを放そうとしない右手がはっきりと表していた。あの異形共を殲滅させようとして延々と相手をしていたのだろうか。
「きりがないんだもの……いくら殺しても湧いて出てくるみたいだし」
 えらく弱気だな。こんな狂った世界だからそれも仕方ないか。
「キョン君は、どうしてここにいるの?」
「実を言うと、自分でもよく分からない。突然部室から出られなくなって、いつの間にか壁に空いていた穴の中を通って進んで行ったらここにたどり着いたんだ」
 朝倉は俺の言葉を聞くとがっつくように立ち上がった。
「別の空間とつながっているの?」
「ああ、俺達の部室にな。俺はそこに閉じ込められてるが、ここより断然ましだ」
「良かった、まともな空間があったのね。そうと分かれば早く行きましょう」
「そうだな、ここにはいたくない」
 ここからは朝倉との行動になる。現在でも精神的に参っている朝倉をさらなる恐怖にさらすことは出来まい。
「じゃあさっさと戻るか」
 
 早速、俺と朝倉は戻ることにした。が、扉の前で二人は止まっていた。
 扉越しにあのぺたぺたという足音が聞こえるのだ、しかも複数。
「奴らがうろついている。静かに通り過ぎることも難しいかもしれない」
「じゃあ、片付けるまでね」
「大丈夫か?」
「任せて」
 扉をそっと開けて隙間から顔を出すと、想定通り神人もどきがうろうろしていた。これでは全く違うゲームになっちまうな、そう思う余裕もなんとかでてきた。やはり二人でいるだけでも精神的にはかなり楽である。
「どうすればいい?」
「とりあえず非常階段で下に降りよう」
 何故ここで階段を選んだか。急がば回れというし、また何か起りそうなエレベーターはもう御免だからな。
「分かった。キョン君は後ろをお願い」
 そう言うとナイフを握った。
「なあ、本当に大丈夫なのか?」
 今自信ありげな表情をしている朝倉は、さっきまではひとりで震えていたのである。
「うん、だって二人でいるだけで違うでしょ?」
「まあな」
 こんなときにも笑みがこぼれるとは、孤独がどれだけ怖いのか改めて感じさせられる。
「行くよ」
「おう」
 軽く合図するとドアを静かに開けると足音をたてないように走り出した。
 周辺をうろつく異形共を、朝倉の先導で攻撃しながら非常階段を目指して移動していく。完全に倒す必要はない、目的地まで走るだけなので、移動速度が遅いこいつらはちょっとした攻撃でひるませるだけで十分なのである。
 
 その調子で非常階段へと到達し、そのまま順調に数階降りた時だった。マンションを目の前にした時と同じ違和感を感じた。ここだけ何かがおかしい。
 憶測は現実となった。神人もどきが全くいないのだ。
「朝倉、ストップ」
「どうしたの?」
 そのまま行こうとした朝倉を呼びとめた。朝倉はこの異変に気付いていないのか、それとも逆に俺にしか分からないのだろうか。
「ここはどうもおかしい」
「確かに、さっきまでいたのがいないみたいね」
「誰か居る」
 
 階段を何かが上がってくる。
「長門……?」
 姿は間違いなく長門であった。
 だが、地面に足をつけることなく空中を漂っている。まるで幽霊のようだ。違和感の正体は間違いなくこの気配だったのだ。
「……」
 長門はこちらに気付き、憎しみに満ちた視線でこちらを睨んでいた。
「まずいんじゃないかしら」
 音もなく滑走して俺達に近づいてくる。それを見てまた寒さを感じた。
「ああ、ヤバいかもな」
 それとともに、視界がぼやけてきている。目の奥が焼けるように痛い。
「かなりヤバいな」
 眼に映るその姿が大きくなるほどに、その痛みも増してくる。
「逃げましょ」
 慌てて階段を駆け上がる。だが走る必要のないゴーストは物凄い速さでやってくる。どうすればいい、このままではあの異形の巣窟に突入してしまう。あの神人もどきの群れとゴーストとの混戦になれば、たちまち殺されてしまう。
 しかし、大人しくゴーストに捕まってしまうというのもいかがなものか。
 
 この先に待っているであろう最悪の状況への対処法が浮かばないまま駆け上がっていたが、非常階段の中に響くバタバタという忙しい足音が一つ消えた。
 振り向けば、後ろにいたはずの朝倉がいない。
「朝倉!?」
 慌てて上っていた階段を下りていくと、そこには朝倉が長門に捕まり首を絞められている光景があった。
「な……g……」
 必死に抵抗していたが、逃れられてはいない。足は床から浮き上がっている、朝倉は今にも窒息しそうな状態だった。
「くそっ!」
 俺は急いでポケットから銃を取り出し、天井に向けて威嚇射撃をした。しかし相変わらず朝倉は窒息寸前である。もう、あれは長門の姿をした悪質なゴースト何だと、そう無理やり納得させて、一発、二発と銃撃する
 何発かは外したがそのうちの一つが長門に命中した。すると、長門は突然力が抜けたようにだらん手や首をさげたまま動かなくなった。空中で突然放された朝倉は、階段から転げ落ちることはなかったものの腰のあたりを強打したらしかった。
 動けなくなって空中につりさげられたような格好で浮いたままの長門は視線を壁に向けたままである。今逃げたらこの鬼ごっこに勝利できる。
「………あ、ありがとう」
「大丈夫か、また動き出さないうちに行くぞ」
 朝倉に手を貸して立ち上がるのを手伝うと、再び二人で階段を駆け降りた。
 
 長門の姿をしたゴーストの襲撃があったものの、なんとかしてマンションを出ることが出来た。ここからは俺があの穴まで朝倉を案内する番である。ここまでくれば、あの神人もどきもゴーストもついてくることはないだろう。体力の消耗を防ぐためにも、外に出たところで走るのは止めて歩いていた。
 時折、コウモリもどきが顔面めがけて飛んで来るが、もはや鉄パイプの扱いに慣れた俺の敵ではなかった。ある程度、接近してくるタイミングが掴めたせいもあってか、コウモリもどきは俺のフルスイングによって暗闇へ消えていった。
 外にはそれ以外は目立って敵がいないので警戒を怠らなければ冷静さを失う事態にはならない。
 
「こんな所にトンネルがあったのね」
 穴が見えてきたところで一安心だ。疲れた腕をストレッチしながら、部室に戻る穴へと歩いていた。
「……!」
「どうしたの?」
 まさか、まだあるのか。
 俺はあまりの痛みに頭を抑えてしゃがみこんでいた。
 再び耳鳴りが襲いかかってきたのだ。
 そうか、これはお決まりのイベントなのか。
「くそっ、またか……」
 まだ二回目だが、分かっている、この激しい頭痛を伴う耳鳴りが、あの幻覚の世界へのトリガーであることくらい。
 毎回毎回こんな苦痛ではかなわないなちくしょう。
「キョン君?」
「ちょっとタイム…くっ……」
 朝倉の呼び掛けもささやき程度にしか聞こえない。自分の返事も、どれ程の声量が出たのか分からない。
 今回は更に音量が大きく超音波がガンガン響いている、それは頭の中をかき回してる。
「キョン君…!?」
 朝倉の呼びかける声は段々と小さくなり、目の前が真っ白になってゆく。
 
───
 
「ん?」
 痛みが消えた。
 辺りを見回してみる。さっきと同じ場所にいたが、朝倉の姿が無い。ここには俺しか招待されないらしい。
 さっきまでの暗闇から一変して明るい。まだ夕方のようだ。
「さて、今度は何だ」
 下手に動いて前回のような爆発でもあったらたまらないので、動かずにそのまま立ちつくしていた。
 すると、何やら声が聞こえてきた。
 
 そのケンカのような会話を聞いた俺は、事態の深刻さを焼き印でもつけられたように無理やりにでも思い知らされた。
 
「何で嘘をついたのよ!」
 
 どこからともなく怒号が響く。
 
「それについては謝る。でも、これは世界の……」
 
 それをなだめるような返答も聞こえる。
 
 二人の声が反響しながら耳に入ってくる。
 あの声を知らない訳がない、ハルヒと長門だ。
 見上げると、長門の部屋だけ灯りがついていた。
 
「言い訳なんて沢山よ! みんなあたしを騙して……!」
 
 随分とヒステリックだな……。何があったのだろうか。
 
「もういいわ……有希もそうなのね……」
 
 おい、最後の一言は何だ? 『もういい』って、やけに落ち着いて……、
 
「待っ………」
 
 次の瞬間、何か嫌な音がした。
 そうだな、文字で表すと、『ぐしゃっ』という擬音だろうか。
 窓が、真っ赤になっていた。
 
「え……?」
 
 は?
 
「嘘……でしょ……?」
 
 それを言いたいのはこっちの方なんだよ。
 
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 
 これが、まさか。
 
 そうではないことを願ってきたが、これはお前がやったことなのか……?
 
───
 
「キョン君、キョン君……」
「うぅ、頭いてぇ」
 どうやら気を失っていたらしい。気が付くと俺は地面に横たわっていて、朝倉が心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「お、おう」
 俺は自力で立ち上がると、大丈夫であることをアピールした。
「突然倒れたから、どうしたのかと思ったわ」
「……すまん」
 案内をしていた俺が突然倒れてしまって、不安だっただろう。俺は謝罪を繰り返した。
 再び歩き出しながら、俺はさっき起こったことを復習していた。
 あのゴーストは、長門の姿をしているのではなく、長門そのものだったのだ。
 この世界の長門は死んだ。だからこそ、長門はここでゴーストになっているのだ。
 長門を殺した犯人は……嫌だ、考えたくない。
 
 だがどうして俺達があんなに睨まれる必要があるんだ……?
 
 もういい。今はここから出るのが最優先事項だ。これ以上混乱するのは止めだ。
 
「やれやれ、もうさっさと戻ろう」
「そうね、落ち着いて休みたいわ」
 間もなくこのステージも終了する。
 またしても部室を脱出できる手がかりを得る事は出来なかった。その代わりに、知りたくはなかったが、この世界で何が起こったのかが少しだが分かった。
 あのヒステリックな声がセーターにひっついたオナモミのように、頭から離れようとしない。それを振り払いながらトンネルの入口へと歩いて行く。
 
 入ってきた穴にたどり着いた。
「ここだ」
「以外と狭いのね」
「文句言うなって」
「分かってる」
 朝倉を先に行かせる。それを見届けた後、もう一度マンションを見た。やはり長門の部屋の灯りはついていない。
 ふと、通路を何かがすーっと滑らかに動いているのが見えた。
 長門だ。
 長門のゴーストがまだ俺達を探しているのだ。
 ゴーストは異形共とは違って、銃撃したくらいでは少しの間動きを止めることしか出来ないらしい。
 そうか、幽霊は一度死んでいるから……。
 まともに相手をしたら確実にやられる。
「長門、まさかお前が敵になるなんてな……」
 長門がこちらに気づいていないのを確認してから急いで穴に入った。

 
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