四 章


 
 電話を切ってベンチから立ち上がり、軽いめまいに似た妙な達成感に浸っているところで携帯がブルブル震えた。ハルヒに電話するのをすっかり忘れていた。
『キョン、ずっと話中だったけどどうしたの』
「ああ、中河と話してた」
ハルヒはクククと漏らすような笑い声を出しながら、
『で、で、ひとりの女をめぐって男同士のケリをつけたのね?』
「別に決闘を申し込んだわけじゃないさ。あいつは知らなかったんだよ、俺と長門が付き合ってることを」
『へー。世の中にはあんたより鈍い男がいるのね、見直したわ』
それは褒めてんのかけなしてんのかどっちなんだ。
 
「長門と一緒に会社経営したかったんだとさ。昔と変わらず熱に浮かされてるっていうか夢見がちっていうかな」
『前言撤回、中河さんはあんたよりずっと情熱的だわ。好きな人と仲むずまじく会社を運営していくなんてロマンがあるじゃないの』
冷めてて悪かったな。俺のロマンスは爬虫類並みの体温かもしれんが、あんなゴジラ級アメフト野郎のどこがいいのか教えてくれ。
 
「買収の話はあきらめるらしい」
『そう。まあ有希が乗り気じゃないみたいだし』
「買収はきれいごとだけじゃないからな。SOS団が汚い金にまみれるのは俺も見たくない」
『そうね。これで反対票が二人になったわね、あたしも考え直すわ』
収入のほとんどを長門テクノロジーに頼っている我が社の状況から言えばあいつの票は俺の三人分くらいは裕にあると思うが、しがらみってやつを好きになれないのはハルヒも同じだと思う。
 
『それで有希はどうしたのよ、あんたちゃんと謝ったの?』
「ああ、ずっと喜緑さんちにいるらしいんだが、会ってはくれなかった」
『やっぱりね。有希はあんたにかなりがっかりしてるわよ』
俺ばかり責めないでくれ。
『あんたがどうでもいい態度を取るから悪いんでしょ、自覚しなさいよね』
「それは十分分かったから。ここんとこ胃がキリキリ痛んでつらいんだからな」
『あんたにはちょうどいい薬よ』
ハルヒは笑った。俺の性格にまともに効く薬があったら一ダースでも欲しいもんだ。ハルヒは自分がシアワセなもんだから、余裕で他人の恋愛を批評しやがる。
 
 ハルヒが俺の手を離れたことは俺にとっちゃ万歳三唱でも脱帽旗振れでもするところなのだが、長門がもし俺の前から消えてしまったらどうなる?俺のことを三年プラス五年も待ちつづけてくれた長門有希が、とうとう愛想を尽かしてしまったらどうするんだ?あいつにとっちゃゆるやかな恋愛のほうがいいだなんて、実は自分に都合のいいように解釈してただけじゃないのか。あいつの本当の願望が何なのかすら、いまだに分かってないのに。
「いいや、それは違うぞ」
自分で自分に説教するなんてのは誰もやらんだろうが、ボソリと口をついて出た。あいつのことは分からなくてもいいんだ。分かっていなくても俺はあいつを手放したくない。独りにしてはいけないのは長門じゃなくて、俺が独りになりたくないんだ。
 自分が何が欲しいのかやっと分かった。もう前借りでもローンでもなんでもいい、今すぐダイヤの指輪が欲しい。
 
『なにが違うってのよ』
「なんでもない今のは独り言だ。ハルヒ、ちょっと今から会えないか」
『何言ってんの、もうお酒飲んでしまったわよ』
「相談したいことがある」
『もう、めんどくさいったらないわね。車で迎えに来なさい』
俺の思いつめた声で雰囲気を察したのか、ハルヒはそれ以上は怒らなかった。
 
 そこから一度自宅に戻り、車のキーを取ってまた出かけた。ハルヒのアパートの前で車を止めてクラクションを鳴らすと、ドアが開いてブラウスに膝までのジーンズに雪駄履きのハルヒが出てきた。なんて格好してんだ。
「いい?あんたのおごりだからね」
分かったから、とりあえず乗れ。
「ちょっと相談があるんだが」
「なによ、できることとできないことがあるけど」
「こんなときになんだが、退職金を前借りできないか」
「はぁ?そういう話は職場でしなさいよね」
近場の喫茶店に入った。酒場でもよかったんだが、どうもこういう話をするのに酒を飲むのは不謹慎な気がしてな。
 
「それで、なんでそんな急にお金が必要なのよ」
「長門にプロポーズしようかと思うんだが」
こいつとの付き合いも長いが、相談ごとを持ちかけるのははじめてかもしれない。それも結婚の相談と来た日にゃ、俺もかなり思いつめているということだな。
「そう。有希にもとうとう春が来たのね……。今まで努力した甲斐があったわ」
ハルヒが目頭をおさえて……口元はニヤニヤ笑っていた。お前がなにをどう努力したんだ。
「なに言ってんの、あたしはこれでも団員のシアワセのために尽くしてきたんだからね」
「じゃあその、団員のシアワセためにボーナスを前借りさせてくれ」
「取締役にボーナスはないでしょ。あんた、貯金いくらあんの」
「三十万、くらいしか」
「あたしが五十万カンパするから、それでエンゲージリングを買いなさい」
「それはありがたいんだが、カンパじゃなくて貸すってことにしてくれ」
ハルヒにお恵みを受けるなんて夜眠れなくなる。
「いいわ、催促はしないから。キヒヒヒ」
なんだその不吉な笑いは。これでまたハルヒに弱みを握られてしまうかと思うとため息のひとつも漏れそうだが、まあ弱みのストックはまだあるわけでひとつくらい増えたところで変わりはしないだろう。
 
「サイズは分かってんの?」
「ああ、九号だ。前にイエロートパーズをやった」
「じゃあついでにマリッジリングも買いなさい」
「それはまだ早いだろ。そんとき長門とジュエリーショップに行くほうがいい」
「そう、じゃあそれでもいいわ。問題は明日中にサイズを揃えてくれる店があるかどうかね」
「明日って、いくらなんでも急すぎんだろ」
「あんたはモチベーションが下がるのが早いから、思い立ったらすぐやんなさい」
高モチベーションだけで生きてるお前に言われちゃ、グウの音も出ないよ。
「ともかく、店のほうはあたしが手配するから、貯金降ろしておきなさい」
「現金でか」なぜか所はばかるように声を潜めて言った。
「あったりまえじゃないの。あたしたちの就業年数で八十万をカード決済できるわけないでしょ。即金で買いなさい」
明日、現ナマで三十万を持ち歩くのか。ボディガード付けたほうがいいんじゃないのか。
 
 翌朝、長門から休むと連絡があった。長門から直接ではなく喜緑さんからだった。あいつこのままやめるつもりじゃあるまいな。まあ待ってろ、今日はなんとしてでも会いに行く。一軒ずつドアを叩いてでもな。
 
 ハルヒが指輪の手配は任せろというから情報戦でも仕掛けるのかと思っていたが、なんのことはない、手当たり次第に電話をかけまくっているだけだった。
「もしもし、予算八十万くらいで九号のサイズのダイヤの指輪在庫ある?ない?あっそう分かった」ガチャン。
「ええと次はっと」
分厚いイエローページをめくって一軒ずつシラミつぶしらしい。
「僕も手伝いますよ。こういう手配ならお手の物です」
「さっすがはあたしの古泉くん、頼りになるわ」
「涼宮さんのためなら、たとえ火の中、水の中」
ハルヒは古泉のほっぺたにチュと音を立ててキスをした。やれやれ、お熱いことで。本当に溶鉱炉の中にでも突っ込んでもらいたいところだ。
 
 古泉が携帯電話で誰かに問い合わせ、たぶん機関のお抱えの宝石商かなんかだろうが、朗報を伝えてきた。
「夕方までにならなんとかサイズ調整するそうですが、どうします?見てみますか」
「時間が惜しいわ。数点をデジカメで撮ってメールしてもらって」
「かしこまりました」
数分後、古泉宛にメールが送られてきた。
「これ、これにしなさいキョン。ピンク系のダイヤ」
知らなかった、透明だと思ってたダイヤにもほんのりだが色がついてたんだな。
「なんだかインスタントすぎないか。もっとゆっくり品定めしたかったんだが」
「今まで十分に時間があったのに、さぼってたあんたが悪いんでしょ」
「分かってるって。まあ、俺はいいんだが指にはめるのは長門だからな」
「好きな人からもらえるならなんでもいいのよ。ダイヤなんてただの炭素の塊だわ」
それを言っちゃおしまいだろうが。鉛筆の芯でも指に載せてろってのかよ。
 
 結局その、ハルヒのお気に入りというダイヤを頼むことにした。
「手配できました。細工が済んだら連絡をくれるそうです」
「キョンいいわね?連絡が来たらダッシュで受け取りに行くから、二十四時間体勢で待機してるのよ」
はいはい。まるで自分のプロポーズみたいじゃないか。古泉を見ると細い目で俺たちを見て笑っている。余裕かましてるなこいつ、明日はお前の身に降りかかることかもしれんぞ。
「僕はちゃんと計画性を持って行動していますからね」
いまいましい、ああいまいましい。
 
 夕方五時ごろ、古泉の携帯が振動した。俺とハルヒはビクッと飛び上がった。
「すいません、間違い電話でした」
なにやってんだ俺たち。結局店から電話があったのは六時過ぎてからだった。
「そろそろ出かけましょう。用意はよろしいですか?」
「ラジャ」
「らぢゃ!」
なぜか意味もなく敬礼などしている俺たちである。ハルヒも楽しいのは分かるがそこまで付き合わなくてもいいのに。古泉のBMWに飛び乗り隣の街まで高速を飛ばした。
 
 ジュエリーショップなど滅多に来るもんじゃないんだが、というよりはじめてだな。前に長門に指輪を買ってやったときにはネット通販で選んだからな。
 店員が白いジュエリーケースをうやうやしくトレイに乗せて持ってきた。ふつうより大きめの、タバコの箱くらいのサイズだった。うやうやしくフタを開けるとまわりにぱっと光が散った。手をかざすとダイヤから放たれた光の点々が映っている。これは美しい。
 ダイヤの光の屈折の角度を計算して面を作ったとかいう、確かええっと、
「ブリリアントカットですね」
「今そう言おうとしてたんだよ」
カットした面が五十八面あるというこの輝きは確かにきれいだ。本物を手にしたのははじめてな気がする。おふくろが持っているのは知っていたが、一度も触らせてくれなかった。
「なかなかいいじゃないの」
「このランクにしてはかなりお買い得ですね」
 
「注文したのって指輪だけだよな。このイヤリングはなんだ?」
ジュエリーケースにはひとつの大きな点と二つの小さな点が光っていた。
「ああ、それはさる方からの贈り物です」
「俺がいくら動物が好きだからって猿からもらうわけにはいかんぞ」
「指輪とイヤリングのセットをプレゼントすると、長門さんに約束したのでしょう?」
華麗にボケてみせたのにスルーしやがったなこいつ。それになんであのときの会話を知ってんだ、と怪訝な顔をして見せたらハルヒがニヤリと笑っていた。情報漏れはこいつか。
「鶴屋さんからのプレゼント、ということにでもしておきましょうか」
なるほど、出所は機関ってことか。また借りができてしまった。
 
「ではお会計を」
現金で札束を見せても店員は驚いた様子はなく、丁寧に二度数えていた。即金で買う客って俺たち以外にもいるのか。
「稀にですが、いるらしいですよ」
「ふつうはローンとか銀行振込だとかだと思ってたが」
「まあ宝石を買うような金額を生で持ち歩くのは危険ですからね。月賦や金利なしボーナス一括払いなどのほうが多いでしょう。ブライダル専用ローンなどもあります」
どっちが店員か分からんような営業スマイルで解説する古泉は、すぐにでも宝石商に転職できそうだった。
 
「それからこれは、涼宮さんに」
古泉は店員から小さなケースを受け取り、ハルヒに差し出した。
「まあっ」
ハルヒの目が少女漫画のようにキラキラと輝いた。
「急なので、指輪ではありませんが」
箱を開けると薄紫色のピアスが入っていた。古泉はピアスをハルヒの耳につけてやり、鏡を見せた。
「あたしたちの記念の石、アメジストね。すてきだわ、古泉くん」
さっき宝石なんてただの石だとか言ってなかったか。
「なに言ってるの、こういうのは気持ちなのよ。この石には愛がこもってるの」
その言い方、俺のダイヤにはなにも詰まってないみたいじゃないか。などと鬱っぽく突っ込んでる場合ではない。俺はダイヤの指輪が入ったジュエリーケースを握り締めた。今日、これを長門の薬指にはめてやる。カナヅチで叩き込んででもはめてやる。
「さあっ、もたもたしてないで戦場へ行くわよ」
ハルヒの号令一過、ジュエリーショップを飛び出して今にも駐車違反の切符を切られそうな古泉の車に乗った。
 
 長門のマンションの前で車が止まった。
「あたしたちは駐車場で待ってるわね。すぐ結果を知りたいから」
「分かった。とりあえず行ってくる」
「何度も言うと重みがなくなりそうですが、今度こそ幸運を」
「おう、ありがとよ」
窓から伸びた古泉の手のひらをパシリと叩いた。
 
 入り口の前で七〇八を押してみるが、やっぱり出ない。まだ帰ってないのか。俺は四桁の解除キーを押して中に入った。
 ドアの前に昨日残して帰った花束がまだ置かれたままだった。あれからまだ帰ってきてないらしい。もし帰ってるならこんなところに花を放置したりするはずがない。せっかく鶴屋さんパワーが注入された花も一日放置されたとあってはつらかったようで少し萎びていた。
 
 俺はハルヒに電話をかけた。
「いないようだからここで待ってみる。お前たち帰ってていいぞ」
『分かったわ。あとでちゃんと連絡するのよ』
「おう。振られてもここから飛び降りる前には電話を入れる」
『なに縁起でもないこと言ってんのバカ!』
怒鳴られて耳がキンキンしたが、俺にも寒い冗談を言えるだけの余裕が出てきたってことだ。これもハルヒパワーの恩恵か。
 
 ドアの前でじっと待ってると管理人室に通報されそうなので、長門から借りていた合鍵で部屋に入った。当然ながら電気はついておらず、換気されていない空気が淀んでいた。
 
 長門のいない長門空間。問題が起こるたびに、ここに来ればなんとかなった安心の場所。元々静かな部屋だが主が居ない今は静かというより無音だった。ここには長門の無言もない。ページをめくる音もない。静かな吐息もない。俺を見つめる瞳の瞬きすらない。時間すらも止まっているように感じた。
 
 俺は部屋の電灯を付け、手に持っていた花束の重さを思い出してキッチンへ行った。リボンと包みを解き、全体に水をまぶした。空いてる花瓶がないのでパスタ入れを洗って花瓶代わりにした。萎れた花には水に砂糖を入れるといいと誰かが言っていたのを思い出し、調味料入れの砂糖を少しだけ水に落とした。
 バラを挿し真中に背の高い花を立ててまわりにカスミ草を挿した。俺が花を活けるなんて今までにあっただろうかね?
 
 俺は喜緑さんに電話をかけた。
「どうも、キョンです」
『お疲れさま、長門さんはまだこっちにいるんです』
「伝えてもらっていいですか、帰ってくるまで長門の部屋で待っている、と」
喜緑さんは少し考え、『分かりましたわ』と言った。『でも、無理しないでくださいね』とも言った。
 
 俺は蛍光灯が寒々しく部屋を照らす下でテーブルの前にぽつりと座り、じっと待ち続けた。ポケットからジュエリーケースを取り出して、ため息をついては開け、中身を見て閉じ、またポケットにしまうということを何度か繰り返した。
 
 時計の針が八時を回った。長門はなかなか帰ってこない。もしかしたら今日も喜緑さんの部屋に泊まるつもりなのかな。俺はまたポケットからジュエリーケースを取り出そうとして、これが何度目かを数えてやめた。こんなことならもっと前に、大学時代にでもあいつと結婚しとくんだった。ガラじゃないが駆け落ちの末に学生結婚でもすればよかったんだ。長門と付き合いだしてからまさかこういう未来が俺の行く先にあるんだとは微塵も考えていなかった。
 今日だけで数年分のため息をついたかもしれないが、またため息をつき、テーブルに突っ伏した。
「疲れた……」
そう呟いた。
 
 
 
 長門は公園にいた。
 
 なにを探すでもなく、なにを見るでもなく、ただじっと立ち尽くしていた。
 両手のひらを、なにかをすくい上げるように、ゆっくりと上に向けた。
 やがて静かに、まわりに、白い綿の切片が舞い降りた。
 小さな手のひらの上で、舞い降りては消えるそれをじっと見ていた。
 消えたそれは小さな水の玉になり、降りてくるのと同じ静けさで滴り落ちた。
 
 顔を上げ、こっちに向かってゆるやかに手を振った。
 長門の唇が、五文字の言葉を呟いた。
 
 そして長門はゆっくりと消えた。
 
 
 
 物音で目が覚めた。ドアを開ける音だ。誰かが靴を脱いで入ってくる音がした。
「……」
立ったまま、じっとこっちを見ていた。
「な、長門。おかえり」
「……ただいま」
返事だけはしてくれた。こないだ俺をひっぱたいたときのような、なにかを言わんとする真剣な表情は消えていた。少し落ち着いたようだ。
「あ、あのときはすまん。俺は完全に動転していた」
「……」
長門は何も言わなかった。俺がパスタ入れに活けた花をチラリと見た。
「中河に嫉妬していたんだと思う」
言い訳にしては聞こえがいいが、ほんとはそれだけじゃない。
 長門は、少しだけ首をかしげて俺を見た。
「……なぜ、泣いてるの」
「え?」
俺は頬の皮膚がやたら突っ張るのに気が付いた。泣いてたのか俺。
「ああ、さっきうたた寝していた。お前の夢を見た」
「……」
俺は顔を洗いにシンクに行こうかと思ったが改めて座りなおした。言うべきことを言うまではここを動かないぞ。
 
 長門はキッチンに行った。お茶を入れる音が聞こえてきた。俺はネクタイを整えフローリングに正座した。背筋を伸ばしてごくりと唾を飲み込んだ。口の中がカラカラに乾いている。
 長門が現れた。まっすぐにその瞳を見据えて……、そのはずが、視線が揺れてどこを見ているのか自分でも分からなくなった。
「な、長門、俺と結婚してくれないか」
長門は一瞬、湯飲みを載せたお盆を落としそうになった。
「……結婚」
その言葉を噛んで含めるように発音した。その意味を探っているようだった。
「婚姻関係、一対一の男性と女性による法的な関係。財産、生殖、子供の親権などを共有する。通常、生涯連れ添うとされる」
「そうだな。当たってる」
「……」
「ここ数日お前との距離が開いて、やっと分かったんだ。お前と一緒にいたい。この先もずっとな」
 
── 長門、お前とは長い付き合いだ。ハルヒのドタバタのフォローに駆けずり回ったり、とち狂った急進派に命を狙われたり、未来に行ったり過去に行ったり、時間にすりゃ何万年か何億年か分からないがそりゃもういろんなことがあったさ。なにかあるたびにお前に助けられてきた俺だが、お前は愚痴ひとつ言わず、なんの見返りも求めなかった。そんなお前のために俺ができるのは、いっしょにいてやれることくらいしかない。あと五十年か六十年かは分からないが、こんなドタバタが続いてもいい、残りの人生をお前と過ごしたい。毎朝目が覚めて、最初に見たいのはお前の顔だ。
 
 俺はポケットからジュエリーケースを取り出し、長門の目の前でフタを開いた。
「受け取ってくれるか」
「……ダイヤモンド。炭素の純結晶体。地球上の物質でもっとも固いとされる。これは……かなり高価」
いつになく饒舌だな。化学の授業はいいから。
「……分かった。承諾する」長門はうなずいた。
そ、それだけでいいのか?もっとこう、“ほんとにあたしでいいのっ?”、“ああ、世界中どこを探してもお前しかいないさっ”とかいう感動的なセリフはないのか。せめて目を潤ませて笑顔のままキラキラと輝いてみせるとか、いや、俺はメロドラマの見すぎだな。
「よかった。断られたらどうしようかと思った」
「……わたしの答えは、ひとつしかない」」
俺は一気に緊張が崩れ、脱力系のため息と笑いに誘われた。
 
 長門らしいといえば長門らしい返事だが、濃厚な感慨にふけりたいところなのにあっさり味過ぎてレッドペッパーとかレモン果汁を振り掛けたくなるようなプロポーズだった。しかしまあ、女の子の気持ちに鈍い俺とあまり感情を露にしない奥ゆかしい長門にすれば、これがこの二人に似合った運命の瞬間なのだろうね。
 
 長門は指輪をつまんで眺めていた。俺はそれを左の薬指にはめてやる。細い指の上で透明の石が八方に光を放った。
「……これの意味は、なに」
「これはだな、自分には近々婚姻届を出す予定の人がいる、という意味だと思う」
「……把握した」
長門は何を思ったか、ごそごそとノートパソコンを取り出してACアダプタを繋いだ。
「なにをするんだ?」
気が早いが結婚式場でも調べるのか。
「……住基ネットに侵入する。あなたとわたしの戸籍データベースを改竄する」
「ま、待て待て」俺は笑いながら制した。「そういうことじゃなくてだな、もっとちゃんとした手順でやりたいんだ」
「……わたしには、まだ戸籍がない」
「そうだったのか」
考えてみれば、長門には出生届も国民健康保険もないだろう。長いこと一般市民として暮らしているヒューマノイドなのに、その人口にカウントされていないなんて意外だった。
 
 長門はいつものように真っ暗なコマンドプロンプトを開き、呪文のようにやたら長いコマンドをパタパタと入力していた。カーソルがぴこぴこ点滅していたかと思うと、あっという間に大量の数字と記号の羅列が流れ始めた。
「……侵入コードを解析。暗号化ロジック解析、完了。……住民基本台帳データベースにアクセスした」
長門の指はかつてコンピ研と一戦を交えたときより高速に往復していた。長門の手にかかれば住基ネットのハッキングなんてちょろいもんだな。
「……わたしの戸籍謄本を偽造し、あなたとの婚姻関係を記録する。さらにあなたの戸籍謄本、住民票にも手を加える」
そこで指が止まった。俺をじっと見つめる黒い瞳。俺の脳内では曲名すらよく分からない交響曲が大音響で鳴り響いていた。
「……許可を」
その表情を見て俺はハッとした。長門がはじめてみせる満面の笑顔。俺には光輝いて見えた。もしかしたらこれが、長門、これがお前の待っていた奇蹟なのか。
「よし、やっちまえ」
「……そ」
賽は投げられた。二人はいまここに、正式に結婚した。
 ほんとは二人で婚姻届を出したかったんだが、まあこういうのも長門流か。
 
『なにやってたのよアホキョン!携帯の前でずっと待ってたのにぃ』
十一時を回ってハルヒから電話がかかってきた。
「すまんすまん。つい甘いムードになっちまって。長門にかわるよ」
『有希、元気?鈍いバカキョンのせいで辛かったでしょう?』
「……彼と結婚する」
『ほんとにキョンでいいの?なんならもっといい男紹介するわよ』
やっと丸く収まりそうなのになんてこと言い出すんだ。長門は俺を見て、ひとことだけ言った。
「……彼がいい」
『妬けるわ。まあ、あんたが選んだのなら、相手が誰であろうと応援するから』
「……ありがとう」
『ただし、もし飽きたら代わりはいくらでもいるんだからね』
「……分かった」
おいおい、ほんとに分かったのか。俺の代わりっていったい誰がいるんだ。
「ということなんで、古泉にもよろしく伝えといてくれ」
『スピーカーモードで聞いてるわよ』
古泉の、ご婚約おめでとうございますという声が聞こえた。
 
 電話を切って、俺はしばらく長門を抱いていた。イヤリングのことを思い出しケースから取り出して柔らかい耳たぶにつけてやった。襟元に光る点を落としてキラキラと小さく揺れている。長門は薬指の上に乗った石をじっと見つめていた。俺もそんな長門をじっと見つめていた。もう言葉なんていらない気がする。
「……ひとつ、教えて」
「なんだ?」
「……わたしと結婚しようと決めた、その動機」
「それは、なんというかだな、」
そこで口ごもった。俺はたいていの場合、誰かに背中をせっつかれるとかケツを蹴り上げられるとか、外圧でどうしても動かざるを得ないようになってはじめてコトを決める性質なのだが、長門にもそれが分かってるようで、俺がなぜ自発的に重大な決定をしたのか不思議に思ったのだろう。
 
「ややこしくてどう説明すればいいのか分からんのだが、」
俺はポケットから写真を取り出した。長門はそこに写っている中河と自分の姿を見て首をかしげた。
「……この写真を撮ったときの記憶がない」
「これはお前じゃない。信じられないかもしれんが、別世界のお前に会ったんだ」
「……異次元同位体?」
「そういうのとはちょっと違う気がするな。向こうのお前は中河と婚約しててな、なんというか、実に幸せそうだった」
ずっと俺を待っていたことは言えなかった。
「……そう。わたしには考えられない」
「俺もまあ気持ちは複雑だったけどな。あいつにはあいつの人生があって俺の出る幕なんかじゃない、俺には俺の長門がいるって思ったんだ」
「……」
「俺の長門を幸せにできるのは俺しかいない。そう思った」
「……そう。嬉しい」
「正直言うと、二人も中河に取られてたまるかって感じだったんだが」
ガラにもなくかっこつけて汗をかいている俺を見て、長門は微笑んだ。
 
 急にまじめな顔になり、
「……わたしも、異世界のあなたを知っている」
「異世界の俺?どこにいるんだそいつ」
「……物理的な位置を示すことはできない」
「紙の表と裏の間だよな。どんなやつなんだ?」
「……あなたとほとんど変わらない」
「やっぱりお前といるのか」
「……わたしではない別の女性と一緒にいる」
「その女って誰だ?」
「……」
長門はなにも言わず、少しだけ寂しそうな表情をした。それはもしかしたらハルヒなのかもしれないし、俺の知らない別の誰かかもしれない。異世界の俺ってやつが俺と同じ性格を持っているんだとしても、人ってのはひとりで生きてるわけじゃない。誰と誰が出会うかはまったく予想できないわけで、たぶんそうやって歴史も世界も変わっていくのだろう。
 メガネをかけた長門のことを思い出すと今でも寂しい気持ちは起こるが、あいつのおかげで俺自身がなにをするべきかを知ることができた。そのことを、向こうの長門には感謝するべきだろう。そうじゃないか?
 
 喜緑さんのことを思い出して俺はふと疑問が浮かんだ。
「情報統合思念体はどう思ってるんだろうか」
「……これが涼宮ハルヒにどう影響を与えるかを検討している」
「お前自身の意思については?」
「……尊重するか、任務を優先させるか、それも検討している」
「相変わらず勝手なやつらだな」
「……しょうがない。彼らの意思は集合の総意」
「よく分からん。俺があいつらと直接話はできないのか」
「それは……難しい。あなたは概念での会話を理解できない」
「それもそうだな。いやまあ、ふつう結婚するときは相手の両親なり後見人なりに挨拶をするものなんだが」
「……わたしを通して伝えることは可能」
「じゃあ、長門と人生の時間を共有したい、と伝えてくれ」
「……分かった。伝える」
長門は部屋の宙をぼんやりと見つめる。
 
「……我々とは時間の概念が異なるが、あなた自身の自時間でいいか、と聞いている」
「それでいいさ」
「あなたが年老いて寿命を全うしたとしても、長門有希の存在は永世残るがそれでもいいか」
「そうなのか……」
考えてもみなかった。長門は俺が生まれる前から情報統合思念体にいる。俺が死んでからもたぶん存在し続ける。情報生命体から見た有機生命体の寿命は、たぶんカゲロウくらいのもんだろう。
 
 俺はまじまじと長門を見た。
「長門は俺が死んだらどうするんだ?俺は人間だ。いつ事故が起こらないともかぎらん」
「あなたが自時間を終えても、わたしは残る」
「そうだよな。旦那が先に死んで未亡人になるようなものだな」
「……あなたが死んでも、わたしの中に残る」
「そうか。じゃあ質問への答えはこうだ、それでいい」
長門は俺の首に腕を回して抱きついた。
「……伝えた」その声はどことなく頼りなかった。
 
 俺も長門も、二人の存在があまりに違いすぎることに、いまさらながらに気が付いたようだった。
 
 翌朝、俺はハルヒのニヤニヤに遭遇しないうちに古泉を捕まえて男子トイレに引っ張っていった。
「古泉、ちょっと相談があってな」
「なんなりと」
「昨日、長門と入籍した」
「婚約の間違いですか?」
「いや、入籍だ」
「まじっすか、失礼。それはまた電撃的ですね」
「大声じゃいえないんだが、住基ネットに入り込んで戸籍を書き換えた」
「なんということ、それは重大な発言ですよ。こともあろうにシステム構築会社のスタッフが官庁のシステムにハッキングだなんて」
「実は長門には正式な戸籍がなくてな。ついでだっていうんで婚姻情報も書き込んでしまった」
「そうだったんですか。長門さんらしいですね。まあ知られなければ構わないでしょう。わが国のセキュリティ事情なんてその程度のもんです」
「さっきと言ってることが違うような気もするが、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「分かりました。それで、相談というのは?」
「入籍したはいいが、まだ親に婚約すら話してなくてな。可及的急ぎで結婚式をやらねばならん」
「それは順序が逆というか、また急な話ですね。まあ、なんとかならないこともないでしょうが」
「それで、長門の後見人というか、親族代表を誰かに頼めないだろうか」
「ああ、それならお安い御用です。うちの機関にも長門さんのファンがおりましてね」
「そうだったのか」
「年齢的にも新川あたりがよろしいかと。彼も長門さんの大ファンです」
うーむ。闇の組織に長門の隠れファンがいたなんて、ちょっと不安だ。
 
「そうだな。新川さんに頼もう」
「承知しました。打診しておきます」
「それからな、これは無理なら断ってもいいんだが」
「水臭いですよ。なんでも言ってください」
「式場がな、図書館がいいと思うんだ」
「中央図書館ですか。面白い試みですね」
「休館日に場所を借りれないかと思ってはいるんだが、どうだろう」
「ほかでもないあなたと長門さんの頼みです。なんとかしますよ」
「無理言ってすまんな」
「こういうことにかけては、うちの機関はお安い御用です」
なんだかSOS団御用達の便利屋稼業をやらせてしまってるような気もするが、スマン幹部、そのうち埋め合わせはする。
 
「それにしても、あなたがよもや長門さんと結婚されることになるとは。正直驚きました」
「高三の頃から付き合ってたのは知ってるだろう」
「僕が言うのは、宇宙人製アンドロイドと婚姻関係を結ぶということがです」
「俺にとっちゃあいつの素性がなんだろうが関係ないんだ」
「さすがですね。ときに、長門さんのどこがよかったんですか」
「なんというかな。ハルヒはひとりででも勝手に暴走していられるだけのエネルギーがあるが、長門には、ひとりにしてはおけないと思わせるものがあるんだよな」
「長門さんには強力なバックボーンがあるじゃないですか」
「そりゃあ長門には何度も窮地を助けてもらった。だが、完璧を期しているはずのアンドロイドがだ、感情を処理できなくて暴走したり、人間的な自我に目覚めたり、誰かがフォローしてやらないといけない。お前はそうは思わないか?」
「なるほど。もしかしたら、それは彼女の計算の上でのことかもしれませんよ……」
そうなのか……。少し不安になってきた。
 
「冗談ですよ。彼女はあなたが好きなんです。それは僕にもずっと前から分かっていました」
「どれくらい前から?」
「例の、暴走したときでしょうか。あれはどう考えてもあなたへの熱いメッセージですよ」
やっぱりそうか。俺は少しだけ考え、思い直して言った。
「仮にあいつが計算の上でやったとしてもだな、俺は長門と一緒にいるほうが自分が必要とされていることを感じていられる」
「あなたが言うと実に真に迫ってますね。さすがです」
「お前のほうはどうなんだ?ハルヒとはうまくいってるのか。あれから浮いた話すら聞かないが」
「ええ、おかげさまで僕たちは幸せそのものですよ」
ハルヒと古泉がくっついてからというもの、こいつらが単体でいるのを見たことがなかったな。今すぐにでも同棲しそうな勢いだが。
 
「僕はそうでもないんですが、どちらかというと涼宮さんのほうが事を急ぎがちといいますか」
「まさか親に引き合わされたんじゃないだろうな」
「実はそのとおりでして」
 ハルヒは古泉を連れて親類縁者全員に会わせてまわったらしい。たいていの場合、付き合っている相手を親兄弟に紹介するのはそろそろ結婚してもいいかなという打診も含めてそうするもんなんだが、あの告白の日から舌の根も乾かないうちにハルヒの家に連れて行かれ両親とご対面させられたというのだから、ハルヒという生き物の特性を熟知している古泉でなければとても耐えられんだろう。スーツを着てハルヒの実家に乗り込んでいく古泉に向かって、魔よけの札を貼ってやるとか合掌くらいはしてやればよかったなと思う俺だった。
 
「ご苦労だったな、緊張したろう」
「いえいえ、それなりに楽しいイベントでした」
こいつの、人生でどんな局面でもスマイルを通せる余裕はいったいどこから来るのか。
「あいつの両親ってどんな人なんだ?」
「いたって真面目なお父様、物静かで温厚なお母様でいらっしゃいますよ。良妻賢母というのはあのような方をいうのですね」
「親父さんのほうが厳しいタイプか。お前を見る目も厳しかったろ」
「いえいえ。ご存知ないかと思いますが、お父様とは以前から知り合いでして」
「なに、機関のコネか」
「ええまあ。あまり大きな声では言えませんが、涼宮さんが手をつけられない状態になったときの保険の意味で、機関では涼宮さんの身内にツテを作っておいたのですよ」
な、なんと用意周到なのだ。
「ときどき野球の試合を見に行ったりしています」
「なんとまあ。元々の知り合いかよ。それなら安心して娘を任せられるってもんだな」
「僕もこういう展開になるとは思ってもみませんでしたが。先方は僕が涼宮さんの会社の取締役になったことを知って、婿候補の期待のようなものはあったらしいですが」
なるほど。向こうは向こうで前から品定めしてたわけか。まあなんにせよ、ハルヒの父親が味方についてくれているのは心強いことだ。外堀から埋めていくとは俺よりずっとハルヒの扱いがうまい気がするぜ。
 
 長門テクノロジーによって唐突に入籍したのはいいのだが、うちの親は露も知らないでいる。二人ともときどきハルヒと遊びに来ていた長門とは遭遇しているはずで、付き合ってることも妹を通じて知ってるはずだった。盆休みに叔母から早く嫁さんを見つけろと言われたばかりなのだが、できるだけ早く今週中にも婚約を周知させなければいけない。いくらなんでも急すぎんだろと自分に突っ込みを入れたいくらいなのだが、すでに入籍という既成事実が発効してしまったので笑うどころではなくなってしまった。
「おやじとおふくろ、ちょっと相談があるんだけど」
「なによキョン、改まって」
「……なんだ」
最初にしておそらく今回きりの出演だが、うちの親である。息子が改まって話をしようとしているにもかかわらずテレビのバラエティ番組なんかに釘付けになっている二人だった。
 
「ええと実は、唐突だが来月結婚することにした」
あんぐりと口を開けた二つの頭がくるりとこちらを向いた。結納とかもう古臭い習慣はいいからと言おうとしたのだが、息子の結婚します宣言があまりに唐突過ぎたらしく、おやじは呆然としおふくろは泣いて怒った。
「あんたいきなりなに言い出すのよ、心の準備ってもんがあるでしょ!」
この口調、知ってる誰かにすごく似てるな。ネクタイを引っ張られてクビを絞められそうな勢いだ。
「ごめん。ちょっとこみいった事情があってな」
「まさか出来ちゃった婚とかいうんじゃないでしょうね」
違う、断じてそれは違う。長門とはそういうハプニングには至っていない。
「指輪を買うのに金が足りないんだけど少し貸してもらえないかな」
「結婚指輪くらい買ってあげるわよ。この日のために貯金くらいしてあるわ」
いや、自分の結婚のために親のスネかじるのはどうかと思うんだが。まあいつか何かの形で返すことにするか。
「それで、ご両親にはご挨拶に行ったの?」
「いやまだだけど」
「まだって、なに考えてるのあんたは。ちょっとキョンそこに座んなさい」
「さっきから座ってるけど」
「苦労して育てた娘を他所にやるのにまだ挨拶もないなんて、あんた常識でモノを考えなさいよね」
それから一時間ばかし説教された挙句、ともかく先方のご両親と会う席を用意しろと約束させられた。
 
 長門の両親か、困ったな。まさか情報統合思念体を呼び出すわけにもいかんしな。なぜか羽の生えた朝比奈さんの姿が浮かんだが。
「キョンくん、結婚するにも手順ってもんがあるでしょ。まあ相手が有希ちゃんだっていうから驚かないけどね」
妹にまで言われちゃ俺もヤキが回ったな。
「……」
親父はまだ呆然から開放されなくて最後まで黙っていた。その無言、誰かに似てる気がするんだが。
 
 一度長門を晩飯に呼べということになり連れてくることにした。
「長門、結婚指輪を買いに行きたいんだが、いっしょに行くか?」
「……うん」
「その帰りにうちでメシを食いに寄ってもらっていいか。うちの親が会いたいそうだ」
「……分かった」
「ドタバタしててすまんな。ほんとはもっとゆっくり進めたかったんだが」
世間では婚約から結婚式、新居への引越しまでは一年くらいかけるものらしい。俺が言うのもなんだが、気の長い話だな。
「……いい。あなたらしい、やり方」
長門もだんだん俺という生き物が分かってきたようだな。
 
 その週の終わりに、長門を助手席に乗せて古泉の知り合いのジュエリーショップに行った。注文して当日中に婚約指輪を調達するなんて無茶なことをやってのけた店なのだが、そんな芸当が出来るのは機関直営の宝石店だからかもしれんな。もしかしたら多丸さんが直々に経営する店とか。
 
 店に入ると店員が俺の目を見て軽く会釈をした。さすがに顔を覚えられていたようだ。隣にいる長門を見て、この娘さんだったんですね、という感じでニコっとうなずいた。
「あの……今日は結婚指輪を見に、」
堂々と言うのが恥ずかしくて耳元で囁くように言うと、黙ってマリッジリングのショーケースを教えてくれた。ご婚約おめでとうございます!とか大声で叫ばれると覚悟していたのだが俺の誇大妄想だったようで、店員は遠くからそっと二人を見ていて静かに品定めさせてくれた。
 
 白い柔らかな光の下にいろんなデザインのリングが並んでいた。緩くカーブして上から見るとハートになっているやつや、小さなダイヤがリングに沿ってずらりと埋め込まれたやつ、リングの縁に細かい溝が刻まれたやつ、それからエンゲージリングと同じデザインをしていて重ねてはめるやつ。どれもプラチナだが金属なのに温かい感じがする。
「長門、どれがいい?」
いくつかケースから出してもらい試してみていたが、ひとつを手に取った。シンプルな平たいリングに小さなハート型のダイヤがちょこんと埋め込まれたデザインだった。もちろんダイヤがはまっているのはレディスのほうだが。
「いいなこれ」
サイズは九号ではないので少し緩いが長門の細い指にはめてやるといい感じに映えていた。手を握ったり開いたりしながらリングを眺める長門の顔が下からの淡い光に照らされていて、なんとなく花嫁らしい感じがする。
「……これにする」
「すいません、これペアでお願いします」
俺は自分の指輪のサイズなんか知らないので店員に測ってもらった。
 
「長門、リングの裏に文字を入れてくれるらしいんだがなにを入れてもらおうか」
長門は少し考えてメモ用紙を取り、ボールペンで線画のようなものを走り書きした。ラテン語じゃなさそうだが、あれれ、それってハルヒが校庭に落書きした宇宙文字に似てないか。
 店員はメモ用紙を上にしたり横にしたりして、いったいどこの国の文字だろうかとしきりに考え込んでいたのだが、長門がそのままの図案で入れてくれと言ったので注文書の欄にペタと貼り付けていた。文字を上下に分割し、リングを二つ重ねたときに文字が読めるようになっている。気の効いたデザインだ。
 
 前金で払って引き換え証をもらって店を出た。車の中で長門に尋ねた。
「あの文字はどういう意味なんだ?」
「……あの記号にはさまざまな情報が内包されている」
「簡単に言うと?」
「……大まかな意訳をすると、絆」
宇宙文字でいう絆か。なるほど、長門らしい。
 
 自宅のドアを開けて待ち焦がれている俺ファミリーに来客を告げた。なんつーか、あらかじめ彼女として紹介しておけばこんな緊張することもなかったのだろうが、この歳になって初めて女の子を親に紹介するというイベントで妙に照れくさいというか、すでに知られているのに改めて顔合わせをするのが気恥ずかしいというか、俺もヘンなところでシャイなやつだな。
「おーい、帰ったぞ。長門を連れてきたぞ」
「キョンくんおっかえり~、待ってたよ有希ちゃん」
妹が口にアイスをくわえたまま出てきた。いつもは俺が帰ってもにゃあとも言わないシャミセンも、なぜか今日だけは玄関に出迎えていた。こいつも長門のファンだからな。
 
「長門さん、我が家へようこそ。キョンの母です」
「……ようこそ。父」
居間には、俺の血を分けた、じゃなくて血を分けてもらった二親がまるで雛人形のお雛様お内裏様のようにちょこんと座っている。なにかしこまって正座なんかしてんだ。長門もそれに合わせたのか二人の前に座って三つ指を突き、丁寧に頭を下げて口上を述べた。
「……長門有希。お見知りおきを」
「こ、こたびは当家の息子がお世話に、」
お世話にあいなりそうろう、とか言い出しそうなので俺が割って入った。
「おいおい三人とも、時代劇じゃないんだからもっと軽くやってくれ。ほら親父、ビールだビール」
「あいわかった」
カクンとうなずいて冷蔵庫に向かっている。妙に緊張していてどっちが客なのかわからん。
 
 テーブルで長門が親父にビールを注ぎ、親父が長門にビールを注ぐという奇妙なループを見ながら焼肉を食った。こんな日だ、妹がこっそり飲んでいたのはまあ大目に見てやろう。食いながら長門と話をしていたのはほとんどおふくろで、おやじはたまに会社経営のことを聞いていた。
 妹が突然、
「有希ちゃん、どうしてキョンくんに惚れたの?」
などと身も蓋もない質問を浴びせて俺はビールを噴いた。こういう顔合わせではあんまり突っ込んだ恋話はしないもんなんだが。
「……時間軸における因果関係の結果そうなった。通俗的な用語を使用すれば、運命」
「そうなんだあ、赤い糸なんだ。キョンくん聞いた?運命の人だよお」
酔いがまわってるらしく妹は長門のノロケに感動してひとりでキャーキャー言っている。
「二人は付き合ってどれくらいなの?」今度はおふくろだった。
「……六年三ヵ月と十二日、五時間と八分」
「六年前っていうと、ええと、」
「付き合いだしたのは確か高校三年の五月だな」
もしかして長門、付き合っている時間を今もカウントし続けてるのか。あ、もうすぐ九分だ。
「そうなんだ。どういうきっかけだったの?」
「あ、それあたしも聞きたい聞きたい」
「なんつーか、あんときはハルヒが怒ってだなぁ、一時はどうなることかと」
って、それを説明させると夜中になっちまうぞ。
 
 適当にかいつまんで話していると九時を回っていた。長門がそろそろおいとまするというと、おふくろがお約束のごとくに今日は泊まっていきなさいよと引きとめようとした。客布団もあるしそれはそれで悪くはないんだが、長門が猫にエサをやらなくてはならないと言うので俺は酔い覚ましがてら歩いて送っていくことにした。
 
 帰りに玄関灯に背中を照らされながら親父が言った。
「……長門さん。うちの息子、親に似て出来が悪いがよろしくお願いする」
「……分かった。責任を持って承る」
なんだか引き取られてしまった仔猫みたいな気分だが。
 

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