季節は新春。といってもまだまだ冬と言った方がちょうど良い季候であり、シャミセンも夜中に俺の布団に
潜り込んでくるのを辞めない時期である。学校生活的な表現をすれば、ちょうど三学期に突入したばかりだ。
 一年の入学式、ハルヒの奇っ怪な自己紹介から始まった非現実的な日常生活も二年に進級してからも延々と続きつつ、
それをいつの間にやら満喫していた俺ではあったわけだが、さてさて、そんな非日常生活も二学期中に
文化大革命を赤ん坊に理解させるほどに困難で面倒で複雑な事件で大きな山場を迎えたようで、
冬休みから三学期は現在のところぼちぼち落ち着いた生活が続いている。
 もちろん俺たちSOS団は今日も変わらずに通常運営中であり、ハルヒはぼけーっとネットの海にダイブ中、
朝比奈さんは買ってきた新しいお茶をいかに美味しく作るかポットに温度計を突っ込んだりして熱心に研究中、
長門は相変わらず読書していて、俺と古泉はコンピ研からゲットしたノートPCでこれまたコンピ研制作のゲームの
ネット対戦で暇を潰している。
 しかし。
 宇宙的・未来的・超能力的ではないが、俺たちSOS団に重要な変化をもたらす日が近づきつつあった。
 
 ……それは朝比奈さんの卒業である。
 
◇◇◇◇
 
「みんな集まっているわね。今日はコロンブスの西インド諸島到達よりも重要なことの発表する予定だったから、
いなかったら一週間空気椅子で活動参加強制の刑に処するところだったのよ」
 三学期に入って数日経ったある日。SOS団のミーティングにハルヒがまた何やら思いついたらしい。
俺たちを集めて腕を組み、あの実に純粋で100Wの笑顔を振りまいていた。それはさておき、そういう重要な発表があるなら
事前に言っておいてほしいものだと常々思うぞ。
 そんな俺の心の中の不満を知ることもなく、ハルヒは続ける。
「SOS団にとって絶対に外せないイベントがあることがわかったのよ。これをやらない手はないわ」
「何だ、朝比奈さんの卒業か? それは確かにパーティーの一つもやりたい気分だが」
 俺の言葉に、ハルヒはあごに手を当てて、
「そっちじゃないわよ。それについては今じっくりと準備中だから。今はそれよりも重要なことができたの。
ほら、これを見なさい」
 ハルヒが一枚のチラシっぽい紙を差し出してきた。机の上に置かれたそれは一枚しかないので、逆さまの状態で
その内容を何とか読んでみたところ、
「……卒業式の歌を募集? by生徒会」
 端的に言うとそんな内容だった。なんだこりゃ、卒業式と言ったら蛍の光とか校歌の合唱とかだろ。
それをまさか生徒たちが作った歌に置き換えようってのか。
「生徒会長の置きみやげですよ。今年の二学期からこの計画を立てて教師側へのアプローチをかけていましたからね」
「何だ、またお前らの差し金か」
 古泉の話に、俺はやれやれと肩をすくめる。大方ハルヒが退屈しないように、生徒会選挙で交代する前に、
卒業式に向けたイベントを仕込んでおいたってことだろう。朝比奈さんの卒業とも関係しているのか?
 ハルヒは胸を張って、
「これはチャンスよ! この卒業式の歌をSOS団が作ったとなれば、学校中に与える印象は最大。その影響は計り知れないわ。
というわけで、やるわよ! この卒業歌作りを!」
「……本気か?」
「もちのろんよ」
 どうやらハルヒは本気らしい。ん、だがこの歌は卒業生が作ることになっていないか? お前まだ二年だから参加資格無いだろ。
内容を見る限り、卒業生の歌って感じで行くようだし。
 ちっちっちとハルヒは指を振って、
「だからこそみくるちゃんが必要なのよ。卒業生だし、資格は大丈夫でしょ? もちろんSOS団全面協力ってことで行けば、
万事問題なし。障害も何もなく、卒業歌が作れるってモンだわ」
 偽造かよ。確かに朝比奈さんは卒業生だが、実態は絶対にお前が99%作った物になるじゃねえか。
そんな名義貸しみたいなマネを朝比奈さんもOKするわけが――朝比奈さん、聞いていますか?
「……え、あ、はい」
 朝比奈さんはどこか憂鬱そうな表情でハルヒの話を聞いていた。俺の呼びかけにも上の空で答えている。
昨日までと比べて今日の彼女はどうも様子がおかしい。
 当然、これにハルヒが気がつかないわけがない。
「ちょっとみくるちゃんどうしたのよ。体調が悪いなら保健室行く?」
「……いえ、大丈夫です」
 朝比奈さんの答えからはどうみても大丈夫そうには見えない。本当に気分でも悪いのだろうか。しかし、ぱっとみたところ、
顔色など変調を示すサインは見えないが……
 ハルヒはさらにぐっと朝比奈さんに顔を近づけると、
「ダメよ。キョンみたいなぼけっとしたタイプならそれでごまかされるかも知れないけど、あたしは納得しないわ。
いい? 悩み事とかがあるなら相談に乗るわよ。団長なんだから団員の悩みを解決するのは当然。みくるちゃんの悩みは
あたしの悩みだと思って欲しいんだからね」
「…………」
 その言葉に朝比奈さんはすっと落としていた視線をさらに下に落とした。
 ――しばらく気まずい沈黙が流れる。
 やがて、朝比奈さんは意を決したようにゆっくりと立ち上がり、
「実はみなさんに言わなければならないことがあります……」
 ただならぬ雰囲気にハルヒも一歩身を引いて耳を傾けた。俺と古泉はもちろん、長門も読書を止めてじっと朝比奈さんを見つめている。
 しばらく彼女は喉元につっかえている言葉をひねり出そうと首を数度振ってから、
「あの……もうすぐ卒業式です。あたしはそれで卒業になります」
「知っているわよ。でも、別に永遠の別れじゃないでしょ? 安心しなさい。平日は難しくても休日の不思議探索にはきちんと――」
「そうじゃないんです」
 朝比奈さんはハルヒの言葉を静止して、少し強い口調で言った。
「あたし、卒業したら……その遠くに行くことになっているんです。きっと二度とみなさんとお会いすることが
出来なくなると思っています。大学にも行けないから受験もしません。卒業したらそれっきりになると……」
 その言葉にハルヒは愕然と絶望に染まった顔を浮かべた。俺は驚きと同時に何で気がつかなかったと後悔の念がわき出る。
 朝比奈さんは未来人でハルヒの監視係だ。卒業してしまえば、常にハルヒのそばにいることは物理的に難しくなる。
落第すれば同学年になることも可能だろうが、それでは周囲から奇異の目で見られてしまうだろう。
 そう考えれば自ずと結論が出る。朝比奈さんは卒業とと同時に任務終了。となると朝比奈さんがこの時代に行く必要が無くなるため、
未来に帰ると言うことになる。ハルヒの監視係については、ひょっとしたら後任が俺たちが三年になったら
転校してきたりするかも知れない。
 周りを見れば、古泉は悲しげな瞳でうつむき、長門はただじっと朝比奈さんを見ていた。
 ハルヒは即座に納得できないと朝比奈さんの肩をつかむと、
「何で!? おかしいじゃない! 例え外国に行っても会うことは可能のはずよ。二度と会えない場所なんてあるわけがない!
ひょっとして誰かにSOS団に会うことを禁じられようとしているの? それなら即座にそいつを教えて!
今から行ってバッキバキにしてやるんだから!」
 事情を知らないハルヒの反応は自然だろう。外国でも電話や手紙でやり取りが続けられるし、インターネットが発達した現代なら
ビデオチャットでその姿を伝えることだって容易だ。
 しかし、朝比奈さんが行ってしまうのは未来だ。おまけに朝比奈さんの意思ではこの時代との行き来も出来ない。
未来側が許可を出せば可能だが、SOS団に参加したいからなんていう理由で通る可能性は皆無だ。
「みくるちゃん! 答えてみくるちゃん!」
「…………」
 納得しようのないハルヒは肩を揺さぶって問い詰めるが、朝比奈さんは視線を落としたまま沈黙を続けていた。
言いたくても言えないのだろう。禁則事項ってやつか。
 見かねた俺はハルヒのセーラ服の襟首をつかんで強引に朝比奈さんから引き離し、
「いい加減にしろ。朝比奈さんをあまり困らせるな」
「何よっ、あんたみくるちゃんがどっかに行っちゃって会えなくなっても良いの!?」
 ハルヒはそうつばを飛ばして抗議してくる。当然ながら朝比奈さんがいなくなるのは嫌だ。断固却下であり、言語道断。
絶対阻止してやりたいというのが本音になる。
 だが。
 朝比奈さんの立場を考えれば、やむえない。いつか来るとわかっていたという気持ちも俺の中にはあった。
いつか帰ることになるっていうのは朝比奈さん(大)と会っている俺からしてみれば、まさに既定事項だ。
 くそっ……やりきれねえ。
 俺はいらだつ自分の感情を抑えつつ、
「とにかくだ。朝比奈さんの事情も考えてやれ。人には言えないことは誰にでもあるだろ? それを無理やりほじくり返すのは
お前らしくないぞ」
「…………っ」
 ハルヒは苦渋のうめきを吐くと、自分の団長席に腕を組んで座ってしまった。その顔は納得したいがどうしてもできないという
自己矛盾から来る苛立ちからか、口をへの字に曲げて眉をひそめている。ついでに何かぼそぼそと不満を口にしているようだったが、
誰かに聞かせるつもりはないようでその内容を聞き取ることは出来なかった。
 一方の朝比奈さんは暗い表情のままじっとうつむいていたが、ハルヒが座ったのと同時に椅子に腰掛けた。顔はそのままの状態だったが。
 
 結局、その日の団活はふてくされたハルヒと暗い朝比奈さんという二つのダウナー要素を抱え、陰気な状態のまま終了した。
 
◇◇◇◇
 
 その日の放課後、とっとと帰ってしまったハルヒ、それに古泉と長門から隠れて、俺はこっそりと朝比奈さんを昇降口で待ち伏せていた。
大体の事情は推測できていたが、念のため確認しておく必要があると思ったからだ。
 着替えで遅れてきた朝比奈さんが昇降口にやって来たタイミングで、
「朝比奈さん」
 そう呼び止める。彼女は浮かない顔のままだった。
「……キョンくん」
「帰り、一緒にいいですか?」
 俺の言葉に朝比奈さんは黙ったまま頷いた。
 そのまま二人で校門から出て下校コースを歩き出す。冬至から二ヶ月近くたつというのに、まだまだ日が落ちるのは早く
SOS団活動が終わった頃には地平の境界にオレンジ色の帯を残すのみで、頭の上は深い青と星々の光が瞬いている。
 朝比奈さんは俺から切り出すのを待っているのだろうか、顔をうつむけたまま黙って足を進めていた。
 さて……そうなるとこっちから動くしかないか。
「朝比奈さん。質問いいですか? さっきの卒業後いなくなるっていう件についてです」
「あ……はい」
 こくりと朝比奈さん。俺は続ける。
「やっぱり未来からの指示なんですか? 卒業したらハルヒのそばにいられなくなるから、帰ってくるように命令が出ているとか」
「そうです。あたしの役目は涼宮さんの監視。でも、それももう終わり。だからこの時間平面にいる理由はなくなるから……」
 やっぱり俺の推測通りか。いつか来る日だとはわかっていたが、実際に来てしまうとこうも切なくなるものか。
俺の中ではそんな日は永遠に来なければいい――いや意図的にそのことを頭の中から排除していたのだろう。
 しかし、朝比奈さんに背負わされた責務はまだあった。
「あと、もう一つ未来からの命令があるんです。それは涼宮さんにあたしがいなくなることを納得させろということ。
詳しくは禁則事項で話せないし、あたしも全部は聞いていないからわからないけど、涼宮さんがあたしにこだわり続けると
何か問題が起きるみたい」
 朝比奈さんの口調はどこまでもダウナーだった。
 なんてことを朝比奈さんに命令しやがるんだ、未来人の連中ってのは。あの傍若無人ハルヒを納得させろなんて無茶にもほどがある。
朝比奈さん(大)の仕業か? いや、彼女ならハルヒがどんな人物だろうか理解しているはずだから、
もっと偉いところからの指令かもしれん。
 しかし、ハルヒが朝比奈さんを引き留めると困るっていうのはなんだ? そりゃ、確かに任務引き上げを妨害されたくはないだろうが、
未来に帰ることをハルヒが阻止できるとは思えない。朝比奈さんが未来人であるという認識はハルヒにはないんだから。
 いや――待てよ? ハルヒが未来に帰らせないと考えることはなくても、ずっとそばにいろと願う可能性はあるな。
そうなると、あの変態パワーとやらが発動してやっぱり阻止できてしまうんだろうか。ううむ、その辺りはよくわからん。
古泉がいたら解説してほしい気分だぜ。
 朝比奈さんは頷きつつ、
「きっとそうだと思います。涼宮さんが時間平面に悪影響を及ぼすかもしれないことを恐れている。だから、あたしは涼宮さんに
納得してもらうように努力するしか……」
 そこで言葉が詰まってしまったのか、それ以上口を開くことはなかった。
 言葉は淡々としているように見えたが、やはりどこか無理しているように感じた。朝比奈さんもやっぱり帰るのには
抵抗があるのかもしれない。一時帰省とかなら何のわだかまりもないんだろうが、永久に会えないとかでは、
死んでしまったのと同じだからな。
 ――もっとも朝比奈さん(大)がこの時代にたびたび出現していることを考えると、永久に会えないっていうのはちょっと違うが。
 
 その後、俺たちはそれぞれの帰路につくために別れた。結局最後まで朝比奈さんはうつむいたままだった。
 一人ですっかり薄暗くなった歩道を歩きながら、俺は夜空を見上げる。いつもと同じように星々が輝き、月明かりが俺を照らす。
俺にとってのSOS団は変わらない夜空みたいなものだった。それがある日突然ひときわ大きい星が一つ消えてしまおうとしている。
それが俺にとってどれだけの変化をもたらすのか。はっきり言って考えたくもなかった。
 
 しかし。
 事態はそれだけではすまなかった……
 
◇◇◇◇
 
 翌日。登校した俺を教室で待ちかまえていたのは、決意の表情を浮かべたハルヒだった。
「昨日一晩考えたんだけどさ、とりあえずみくるちゃんと会えなくなるってのは保留にしておくことにしたわ。
理由を聞くのも野暮ったいし、なんかやらしい気もするし。けどどのみちみくるちゃんが卒業しちゃうっていうのと、
遠くに行っちゃうっていうのは事実。あたしたちはそれをふまえた上で行動しなきゃならないと思うのよ」
 俺が席に着くなり、ハルヒは一方的に捲し立て始める。やれやれ、この様子じゃ諦めるなんてほど遠いようだ。
 そんなことを考えつつ、
「で、いったい今度は何をやらかそうってんだ?」
「まずはみくるちゃんを見送る会を開催するつもりよ。もちろん、全校生徒に告知した上でね。でもみくるちゃん引っ込み思案だから、
せいぜいコスプレ握手会ぐらいが限界か。まあそれでも一人500円はかっさらえそうね」
「また金取るつもりかよ。悪徳プロデューサーか、お前は」
 ハルヒはちっちっちと指を振り、
「何言ってんのよ。みくるちゃんはSOS団団員であり、本来はあの萌の固まりを拝めるのは団員だけの特権なのよ。
それを関わりも何にもない一般人に開放するって言うんだから、その視聴代の徴収は当たり前だわ。
キョン、あんただって普段は鼻の下のばしてぼけーっとみくるちゃんを見ているけど、SOS団に入っていなかったら
今頃数十万ぐらいの代金を請求しているところなんだからね」
 つばを飛ばして力説しまくるハルヒ。わかったわかった。とりあえず、朝比奈さんを泣かせない程度にやってくれ。
ついでに公的権力(教師)に連行されないようにな。恐らく――これは俺の推測だが、朝比奈さんはそれを拒むことはないだろう。
ハルヒに自分がこの時代から去ることを納得させるためには好き放題やらせておいた方がいいだろうから。
まあ、今までもなんだかんだでいろんなことをハルヒに引っ張られてやらされてしまっていたんだけどな。
「で、それはいつやるつもりなんだ?」
「詳しくは放課後のミーティングで内容を詰めるつもりだけど、善は急げよ。できるだけ早くやるわ。あまり日も残っていないから
ちゃっちゃと進めないとね。イベントの内容、衣装の選定・試着……やることは山積みなんだから、あんたもせっせと働いてもらうわよ」
 俺はここで昨日の話をふと思い出し、
「昨日話していた卒業歌の制作はどうするんだよ? そっちはやめにするのか? 募集の終了は卒業式の練習を考えて、
確かバレンタインデーぐらいじゃなかったか?」
「そっちも進めるわよ。もちろんみくるちゃん主導でね。たぶん不器用なところがあるから作曲は無理でしょうけど、
作詞ぐらいなら何とかなるはずだわ。曲の方はあたしが軽音楽部に行って作るつもり。歌詞を作ってからになるでしょうけどね」
 こりゃ年末進行ならぬ、年度末進行でえらい忙しい三学期になりそうだ。
 
 そんなわけで数日後の放課後。ハルヒは中庭に無断特設ブースを開設し、そこで朝比奈さんのコスプレ握手会を開いていた。
ビラや伝聞で集まった暇人男子生徒たちが、生者に群がるバタリアンのようにわらわらと群がって朝比奈さんを見つめていた。
 その中、朝比奈さんは困った顔をしつつも、一心不乱に握手を続け、ハルヒは無断撮影を厳しく取り締まったり、
衣装チェンジのタイミングを計ったりと進行役に徹していた。一方、俺は観客誘導をやらされ、手を振って列を先導している。
長門と古泉は朝比奈さんグッズと称したものの販売をやらされていた。
 やれやれ、本当にこの数日でイベントを立案・企画・運営・実施までやっちまうんだからハルヒの能力もたいしたモンだ。
「よっ、キョン」
「やあ大盛況だね」
 ふと声をかけられ振り返れば、そこには谷口と国木田の姿が。なんだお前らまで来たのかよ。
「当たり前じゃねーか。涼宮の懐に金を投げ込むって言うのはいささか気が引けるところはあるがよぉ、あの美貌の女神、
朝比奈さんともうすぐお別れなんだぜ? 最後に握手ぐらいしておいていたいじゃねーか」
「僕もせっかくだし、これが最後のチャンスだと思ったから」
 そう谷口と国木田。全くどいつもこいつも朝比奈さんに鼻を伸ばしたみっともない下心丸出しの顔を見せやがって。
まあ、思わず顔がゆるんでしまう気持ちはわからんでもないが。
 二人を列に並ばせると、俺は再び列の誘導を始めた。ふと、イベントの人だかりが視界に入ったときに――何とも言い表せない
違和感を覚えた。何だ? なんかが引っかかる……
 その違和感の正体を突き止めたのは、握手を求める男子生徒の半分ぐらいを裁けた辺りだったときにやってきたハルヒだった。
新しい衣装チェンジをすませてしばらくブースから離れられる余裕ができたらしい。監視係は古泉が変わって実施している。
「ちょっとキョン」
「何だよ?」
「あんた、ちゃんの事前のビラ配りやったんでしょうね? まさか途中でめんどくさくなって焼却炉に放り込んだりしたなら、
今すぐ白状しなさい。ええ、今ならみくるちゃんの握手会が終わったら、あんたの公開火あぶりショーをするぐらいですませてあげるから」
 なにが火あぶりぐらいだ。そんな中世の魔女狩り裁判みたいなイベントをやる気なら、俺は今すぐここから逃走させてもらうぞ。
それはさておき、ビラ配りならお前の貸したむちゃくちゃなノルマをきっかりとこなしたから、そんなことはやってない。
そもそも朝比奈さんの写真が載っているものを、破いたりくしゃくしゃにしたり折りたたむだけでも心が痛むというのに、
煉獄の炎の中に放り込むなんていう残虐きわまりない行為ができてたまるか。それをしたくがない故に必死扱いて、
全部のビラを手渡しで巻いてきたんだから。
 俺の反論に、ハルヒはうーむとあごに手を当てて不審な表情を続けている。
「何だよ、なんかおかしなことでもあったのか?」
「あんた気がついていないの? 古泉くんも有希もみくるちゃんも気がついていたわよ」
 そうハルヒは朝比奈さんに群がる連中を指さす。
 いや確かに違和感なら感じているさ。その正体がつかめないだけだ。せっかくだから教えてくれ。
 ハルヒは心底あきれた表情を浮かべつつ、
「少ないのよ。明らかに人が」
「なに?」
 俺は頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、もう一度群衆を眺めてみた。同時に記憶上過去の同様のイベントの光景と重ねてみる。
 …………
 確かにハルヒの言うとおり少ない。いつもはこんなモンじゃなかったはずだ。この2~3倍の人を動員できるだけの魅力を
朝比奈さんは持っているし、実際にそれだけの人を集めていた。
 それが今回のイベントに限っては明らかに人が少ない。違和感の正体はそれか。
 ハルヒは怪訝な顔で、
「いるのは熱狂的なファンばかりよ。今までも真っ先にこういったイベントに駆けつけるような連中ばっかり。
普段はみくるちゃんのことを忘れていて、ビラを見て思い出してきたようなニワカはまるっきりいないわ。
あんたがきちんと宣伝していなかったと疑いたくなるってモンよ」
 しかし、異常事態とまでは言えないんじゃないか? 三年は受験を控えているからな。今日はまだまだ北風が身に厳しいことも考え、
興味本位の人間の集まりが悪かっただけかもしれん。
「だといいんだけど……なんかね」
 ハルヒの第六感はどうも俺のように楽観的な推測を導き出していないようだ。こいつの勘は恐ろしいものがあるからな。
俺には感じられないような臭いをかぎつけているんだろうか。
 ――結局、そのまま違和感がとれることなくイベントは終了した。
 
◇◇◇◇
 
 イベントが終わってからは卒業歌制作が本格的に始まった。予定通り朝比奈さんが作詞(ただしハルヒの監修付き)で
作曲はハルヒ(軽音楽部の協力は了承済み)で事を進めていく。
 そんな感じの日が数日続いたわけだが、いきなり作詞をやれと言われても朝比奈さんには酷すぎる話で、
「ダメよダメダメ。こんなんじゃ入選どころじゃないわ。歌詞も平凡で、どうみても仰げば尊しのパクリじゃない。
こないだは蛍の光だったし、もっとちゃんと考えないとダメなんだからね。そんなわけでこれは没。やり直しよ」
「ふえー」
 いつぞやの文芸部機関誌制作の時の状態になってしまっている。しかも、適当な話を書けばいいわけではなく、
なんというかこう歌詞って言うのはもっといろいろな要素が詰まっていないといけないだろうから、
昨日始めて今日できるようになりました~ってことはまず不可能だろう。
 結局プロデューサーハルヒにだめ出しを食らってしまった朝比奈さんは鉛筆片手にルーズリーフと涙目でにらめっこを再開した。
あまりの痛々しさに、同情心を超えて抱きしめて差し上げたくなるよ、全く。
 しかし、苦労はしているものの朝比奈さんは卒業歌制作の主導的役割を担うことに対して、ほとんど否定的な反応を示さなかった。
恐らく卒業までに二度と会えなくなるということをハルヒに受け入れさせるために、できるだけ言うことを聞いておこうと
考えているんだろう。全く考えれば考えるほど、朝比奈さんには酷な仕事だ。
 と、ここでハルヒが席を立ち上がり、
「あたし、ちょっと用事があるから外に出てくる」
「なんだ。また軽音楽部との打ち合わせか? あんまり押しかけて向こうの活動の邪魔をするのはよくないと思うが」
 最近ハルヒは頻繁に軽音楽部に出入りしている。朝比奈さんの歌詞がなかなかできないために、その間にある程度作曲のノウハウを
つかんでおこうという魂胆らしい。
 しかし、ハルヒは首を振ると、
「違うわよ。そっちに関してはもう大体やることはわかったし、今はみくるちゃんの歌詞ができるのを待つだけの状態。
別件でちょっと気になることがあってね……」
 そう意味深なことを言うと、部室から出て行ってしまった。別件? また俺たちに内緒で得体のことを企んでいるんじゃないだろうな?
 ここで古泉が俺の表情から内心を読み取ったのか、
「涼宮さんのことでしたらご心配なく。特にイベントなどを企画している予兆はありません。なにやら学校中の生徒に
朝比奈さんのことを聞いて回っているみたいですが、詳細はいずれ本人の口から語られるのではないでしょうか」
「……何事もなければいいんだがな」
 俺は見送る会から続いている違和感も重なり、妙なもやもや感が抜けきらない状態だった。
 
 翌日の昼休み、今日もあの別件とやらだろうか昼飯を食い終えるととっとと教室から出て行ってしまったハルヒを尻目に、
谷口・国木田コンビと弁当を食っていた。
「最近昼休みに涼宮の姿をあまり見かけないが、お前らまたなんか企んでいるのか?」
「知らん。俺はあいつのSPでも何でもないんだから逐一行動を把握している訳じゃないからな。そもそも縄をくくりつけておいても、
それをくぐり抜けて突っ走るよう奴の行動なんて把握しようがない。鈴をつけてもすぐにはぎ取るだろうよ」
 谷口の指摘に、俺の反論。どうもハルヒと行動をともにしている機会が多いせいか、何でもかんでもハルヒの行動について
俺に聞いてくる奴が多くて困る。直接本人に聞けよと言いたい。一方で聞かれてもどうせあいつは答えないだろうがとも考えてしまうが。
 ここで国木田が、
「でも、涼宮さんも以前に比べると大人しくなったんじゃない? 入学した早々バニーガールになったりといろいろやらかしてきたけど、
最近はそういったこともあまり見かけなくなったよね」
 まあハルヒはSOS団内での活動で満足することが多くなったからな。古泉が退屈しないようにサプライズイベントも
たまに仕掛けたりしているし、無差別大暴れは以前ほどなりを潜めているかもしれん――って、
「こないだ朝比奈さんを見送る会っていうイベントを起こしたばっかりだったじゃないか。結局あいつの行動力は変わっていないんだから、
気分次第ってことだろうな」
「見送る会? なんだそりゃ。知らん間にそんなばかげたことをまたやっていたのかよー」
 谷口は別に深い意味で言った訳ではなかっただろう。しかし、即座に――そして、自然に返されたその言葉は、
まるでボクシングの伝説のカウンターのように俺の脳天を激しく揺さぶった。全身から音を立てて血の気が引き、
ぞっとするとはまさにこのことだろうと思うほどに冷や汗が吹き出る。
 俺はしばらく弁当箱のエビフライを箸でつかんだまま思考停止したのちに、谷口へ確認する。
「何言ってんだよ。お前と国木田も来ていただろ? ほらにやけ面で朝比奈さんと握手していたじゃないか」
「……あ? いやそんなことをした憶えはねーんだけど。なあ国木田」
「うん、僕もそんな催しに参加した記憶はないね」
 ……二人とも何言っていやがるんだ? なんだ、俺を驚かせるためにタッグを組んでからかっているのか?
だとしたら、朝比奈さんの今後を知っている俺には少々冗談の域を超えているぞ、そのボケは。
 しかし、谷口の次の言葉はさらなる追い打ち――いや、急所をえぐるクリティカルヒットだった。
「大体、朝比奈って誰だよ。そんな名前聞いたこともないぞ」
 谷口の言葉。国木田もうんうんと頷く。
 ……おいちょっと待てよ。
 朝比奈さんだぞ? お前ら二人がみっともない下心満載なツラで見ていた女性だぞ?
 こないだの見送る会だって握手していたじゃないか。
 その前の文化祭だって焼きそば食ったりしただろ?
 映画だって撮ったりしたじゃないか。谷口なんて池に一緒に落ちているし。
 さすがにその冗談は笑えねえ。
 俺は思わず机を軽くたたくと、
「おい、お前ら何を企んでいるのか知らないが、さすがに冗談が過ぎるぞ。朝比奈さんはもうすぐ卒業するんだ。
そんな日が近づいているのに、何のことだかわからないとかいたずらにしては悪質すぎる」
 少々きつめの口調で言ったものの、二人は俺の言っていることが全く理解できないらしい。不思議そうな顔でお互い確認しあっている。
 だが、二人の出した結論は、
「いやしらねーな。朝比奈だっけ? 名前も聞いたことねえし」
「僕も知らないや。涼宮さんの団体にいたのかい?」
 俺の心臓が激しく動作し始める。
 思わず俺は立ち上がり、
「何言っているんだ。朝比奈さんだよ! ずっと一緒にSOS団として活動してきたし、お前たちも何回も会っているんだ!
いい加減、目を覚ませ! 訳のわからないことを言っているんじゃねえ!」
「ちょ、ちょっとキョン落ち着いて……」
 頭に血が上った俺を国木田が制止してきた。何言ってやがる。やめるのはお前らの悪ふざけの方だ。さあ、早く言ってくれ。
冗談だった、ちょっとからかうだけだったってな。
 ――しかし、谷口の続けた言葉は俺にさらなる追い打ちをかけた。
「SOS団って、お前と涼宮と長門有希、あといけ好かない9組のイケメン野郎の4人でやっているはずじゃなかったのか?
俺の知らない間に新入部員でもいたのかよ」
 …………
 ……俺はもう何も言えなくなっていた。
 同時に弁当を放り出して教室から飛び出す。
 訳がわからねえ。まるで谷口と国木田から朝比奈さんの記憶がばっさりと切り捨てられてしまったみたいだ。
いや、記憶だけじゃない。ひょっとしたら何か状況や未来からの指令が急遽変更となって朝比奈さんはすでに未来へ――
 階段を駆け下り、三年の朝比奈さんの教室の前に立つ。
 そこで俺は一瞬ためらった。中をのぞいたとき、朝比奈さんがいなかったら? その時、俺はどうすればいいのか……
 …………
 …………
 …………
 ええい、こんなところでぼーっと突っ立っているのでは何も始まらん。
 俺は意を決して教室内をのぞき込む。内部を一通り見回すと――
「いた……」
 そこには弁当を食べている朝比奈さんの姿があった。俺はそれに心底安心し、大きなため息をついてしまう。
 よかった。いきなり予定繰り上げとかでいなくなったってわけじゃなさそうだ。
 しかし、だったらあの二人の頭の中から朝比奈さんのことがさっぱり消え失せているのはどういうことだ? 俺の知らないところで
また何かが始まっているということなのだろうか。
 ふと、教室内で弁当を食べている朝比奈さんにも違和感を憶えた。いつもは友達と和気藹々と食べているはずなのに、
今は教室の自席でぽつんと一人で寂しげに箸を進めているその姿に。
 
 その日の放課後、俺はその話をするべきか迷いつつ文芸部室に足を運んだわけだが、それはあっさりと解消された。
「みんなに話しておきたいことがあるの。まだ可能性だけで確定事項じゃないけど」
 掃除当番のため朝比奈さんがまだ来ていない部室でハルヒが話を始めた。ただならぬ剣幕に団員一同の空気が引き締まる。
ひょっとして……
 ハルヒが話し始めたのは、ここ数日走り回っていた別件についてだった。そして、それは俺の予想通り朝比奈さんについてのことだ。
「こないだの見送る会でちょっと気になっていたから独自に調査していたんだけどね、信じられないけどみくるちゃんの存在が
学校内から消えようとしているのよ。あたしの知る限り、みくるちゃんは学校内でもすごく人気があったから、
一年でも男子生徒は大半はその存在を知っていたはずよ。でも、ここ二日あちこちで全校生徒ランダムに聞いて回ってみたけど、
ほとんどが知らないって答える。あ、知っているって答えている奴もいたわ。昔からみくるちゃんの熱狂的なファンで、
SOS団主催イベントに真っ先に駆けつけるような連中ばっかりだけど。でも、そんな中でも問い詰めてやっと思い出す奴もいた。
これは絶対に何かおかしなことが起きているとあたしは考えている」
 やっぱりハルヒもそのことにとっくに気がついていたのか。まあ、見送る会の時にはすでに察知していたからな。
相変わらず恐ろしい勘と行動力だよ。
 これに古泉は目を丸くして、
「それは……ちょっと興味深い――いえ、別に好奇心をそそられるという意味ではなくネガティブな意味合いで
調査の必要を感じますね。あれだけの人気を誇っていたのに、ここしばらくでそれがあっという間にそれがなくなった。
考えられる理由としましては、その人気に嫉妬した者がデマを流して人気が低下したか、それ以上に興味を引かれる存在が
僕たちの知らない間に学校内で誕生していたのか――」
 その古泉の言葉の端々に俺は意図を感じ取っていた。朝比奈さんのことが忘れられつつあるという話だというのに、
いつの間にか人気がなくなっているというものにすり替えていたからだ。ハルヒの話を意図的に別の方向に持って行こうとしている。
どうやら古泉もそれについては知っていたか――あるいはハルヒにあまり悟られたくないことであると考えているのかもしれないな。
 だが、ポジティブ思考が基本のハルヒでも今回は相当深刻に受け止めているらしく、そんな誘導には引っかからず、
「古泉くん、それは違うわよ。まず悪い噂が流れているって言うなら、知らないとは答えないわ。そういうのは、良くも悪くも
記憶の中にきっちりと書き込まれているからね。あたしに聞かれたから意図的に知らないと答えているとも思えない。
直にあって聞いている時のそぶりからは、そんなものは感じられず本当にただ知らないだけっていう反応が多かった。
後者のみくるちゃん以上の人気者がいるっていうのも却下。そんな奴がいるならとっくにあたしたちの耳にも届いていなければ
おかしいじゃない。それとも古泉くんは何か心当たりのある人でもいるの?」
 ハルヒの反論に、古泉はしばし目をそらして考えてから、
「いえ……特に聞いたことはありませんね」
 ひょっとしたら、うまい具合にハルヒを誘導できていたら人気者をでっち上げるつもりだったのだろうか。
だが、鋭いハルヒの思考にどうやら白旗を揚げたらしい。
「有希はある?」
 念のためにという感じで、ハルヒは長門にも尋ねてみるが、首を数ミリ傾ける仕草を見せただけだった。
 それを知らないという意味でとったハルヒは、
「ね、これじゃ古泉くんのいう人気者の出現は考えられない。例えそんなのが現れても全校生徒からみくるちゃんの記憶が
さっぱり消えるわけでもないしね」
 ここで俺は谷口・国木田からも同様に朝比奈さんに関する記憶が消えていることをハルヒに告げようとして――古泉の視線に制止される。
それから読み止めるのは余計なことは言わないでください、だった。
 俺は一瞬口ごもり、古泉の進言を受け入れるか迷ったが、結局そのことを伝えるのはやめにする。これが偶然ではなく、
誰かが意図的にやっているというならそれはどう考えても未来人たちの仕業であり、これ以上ハルヒに詮索されると
面倒なことになることは確実だと判断したからだ。
 代わりに俺は、
「で、どうするつもりなんだ? 仮に本当に朝比奈さんのことがみんなから忘れられつつあるからといって、
どうすればいいのか皆目見当もつかないんだが」
「わかっているわよそんなこと。まだ確定だと思っていないから今日も調査してみるつもり。みくるちゃんにはあたしから話すから、
それまでみんなは黙っていてね。それで、本当に忘れ去られようとしているなら――」
 ハルヒはしばらく考えた後、
「……みくるちゃんに話した上で今後どうするのか決めるつもりよ」
 
◇◇◇◇
 
 その日の夜、俺はある一つやらなければならないことがあった。それは朝比奈さんに事の真相を問いただすこと。
とは言っても、いつも部室にいる愛らしい朝比奈さんではなく、朝比奈さん(大)の方にだ。
 卒業後、未来に帰る。二度と会えない。ここまでは今まで聞かされていたことから納得せざるを得なかった。
だが、朝比奈さんに関わる人間から彼女に関する記憶を消しているというのはどういうことだ? 何でそこまでする必要がある。
もっともそれが本当に未来人の仕業かどうかわからないから、それを確認しなければならない。
 俺は自室のベッドで寝っ転がりながら考えていた。さて、朝比奈さん(大)にどう接触――いや、呼び出そうか。
今までは向こうから一方的に指令書を渡してきたり、突然現れたりと一方通行状態だったからな。俺の方から会いたいといって
会えるようものなんだろうか。
 …………
 だが、考えていても始まらない。何か行動をしなければ。いっそここから未来の秘密を大声で叫んでみるか?
びっくりして止めにはいるかもしれない。あるいはハルヒに――
 ここでふと俺の部屋の扉を外側からひっかくような音が聞こえてきた。俺が扉を開けると、すぐにシャミセンが俺の部屋に入り、
ベッドの上に寝っ転がる。やれやれ、すっかり暖をとる場所になっちまっているな。
 ――とここで気がついた。シャミセンが何かを口にくわえている。それは名刺大ぐらいの小さな封筒だった。
 俺はシャミセンの背中をさすってやり、それを口から話させると、封筒を開けてみた。
「……さすが朝比奈さんといったところか」
 その中に入っていた手紙の内容に思わず言葉がこぼれた。
 
 すぐさま俺はコートを羽織って家の外に出た。そして、自転車をこぎ目的地である長門のマンションの近くにある公園に向かった。
あの手紙には朝比奈さん(大)から真相が知りたければ、すぐにそこに来るように書いてあったのだ。
全くこっちの行動はお見通しって訳か。さすが未来人。俺にとっては予知能力者とかわらん。
 数十分後、俺は公園にたどり着き適当なところに自転車を止める。みれば、薄暗い無人の公園で外灯により浮き上がったベンチに
一人の女性の姿があった。今日は寒いせいか、いつもより厚着の冬着の朝比奈さん(大)だ。
 俺がそこに近づくと、彼女は優雅な仕草で立ち上がり、
「こんばんわ、キョンくん」
 そう挨拶してきた。俺は適当にお辞儀して返し、
「……説明してくれるんですよね?」
「ええ……できることとできないことはあるけれど」
 朝比奈さん(大)の言葉を確認した後、俺は冷たくなっていたベンチに腰掛ける。朝比奈さん(大)もそれに続いて隣に座った。
 さて、何から聞いていくか。
「今日の呼び出しは、朝比奈さんが未来に帰るっていうことについてですよね?」
「そうです。そのことについてキョンくんにお願いがあったので」
 俺は確認をとった後、質問を続ける。
「大体の事情はSOS団にいる朝比奈さんから確認をとっています。卒業後に未来へ帰ること、そしてその後会えなくなるなること、
これについてはわかっていますし、納得はできませんがいつか来る日だと覚悟も――少しはありました」
「でも他にも聞きたいことがある。そうなんでしょう?」
「そうです。学校――いや、ひょっとしたら学校だけじゃなく朝比奈さんに関わったすべての人たちからその記憶が消えようとしています。
それはやっぱり未来が仕組んでいることなんですか?」
 単刀直入の俺の問いかけに、朝比奈さんはあっさりと頷いた。
「その通りです。未来から過去へやってきた人間がその時間平面を去る時、それに関わる情報すべてを消去する取り決めになっているから。
これはわたしの時に関わらず介入を実施する際には必ず行われることなんです」
「……なんでですか?」
 沸々としてきたいらだちに対して、朝比奈さんは淡々と続ける。
「最初にあったとき――あ、ちっちゃい方のわたしですが、自分はぱらぱら漫画に書かれた落書きみたいなものだと
言っていたでしょ? だから未来には影響はないって。でも、だからといってそれをほったらかしにはできないんです。
前にも言ったとおり過去はとても不安定。その落書きがどんな影響を及ぼすのか。それを検証するより、そのものを消しゴムで
消してしまった方が確実なんです。そのために、この時間平面上のあの子に関わる全ての情報を抹消しなければなりません」
「…………」
 俺は足りない脳みそながら、必死にその内容の理解に努めていた。ようは未来に帰ってしまう人間の影響は、
この時代に残しておけない。置きみやげどころか、思い出すら残すことは許されないってことですか?
「ええ」
 朝比奈さん(大)の口調は冷たい空気に染まったようにひんやりとしていた。それが任務だから、未来人たる使命だからというような
確固たる意志すら感じた。やはり朝比奈さん(小)に比べて、立場も役割もずっと上になっているのだろう。
今の彼女からはそれをひしひしと感じている。SOS団のマスコットキャラではなく、未来人組織の一員。そんな臭いがぷんぷんだ。
 しかし、だからといってはいそうですかと、俺が納得できる訳もない。今まで朝比奈さんには限りないほどの癒しをもらってきたし、
その恩返しなんて俺のもらったものが地球と同じ大きさなら、返せたものなんて砂粒一つ程度だろう。
 そんな状態だというのに、別れたあげく全部忘れろ? 無茶にもほどがある。
「……何とかなりませんかね。朝比奈さんはこの二年間よく頑張ってきたと思います。特例措置の一つや二つあげてもいいと思いますが」
「それはあの子に対してではなく、あなたたちに対してでしょう? 残念ながらそれは無理です」
 その朝比奈さん(大)の返答に、俺ははっと、
「じゃあ何ですか? 朝比奈さんはそのことをわかった上で拒否をするつもりはないって言うんですか?」
 ますます俺の頭に血が上ってくる。朝比奈さんは、そりゃまあハルヒにさんざんいじられて大変だっただろうが、
SOS団に思い入れはあるはずだ。たびたび見せるあの心底幸せで見ているこっちまで癒される笑顔に嘘偽りなど感じない。
 しかし、朝比奈さん(大)は首を振ると、
「わかるとか拒否するとかそういう話ではないの。あの子は未来人である以上、好む好まざるに関わらずそれを受け入れなければなりません。
これは自分のいた未来を守る上で絶対に必要なことだから」
 朝比奈さん(小)にとって自分の世界はここではなく、未来にある。SOS団と未来を天秤にかければ、未来を選ぶしかないのだ。
未来を否定してしまえば、自分の存在も消えることになりそれでは本末転倒だからな。
 だが……やりきれないのも事実だ。
 ふとここで一つの疑問に当たり、
「ひょっとしてハルヒを納得させるって言うのはそれについても関係しているんですか? 朝比奈さんなら、あいつがそんなことを
そう簡単に受け入れないというはわかっていると思いますが」
「それについて何だけどね……ううん、ちょっと完全には話せないけど……」
 朝比奈さん(大)は適切で禁則事項に引っかからない言葉を探してから、
「本来であれば、痕跡の消去――STCデータの改ざんは一度に行われます。ある日のある時間を境に、誰もあの子のことを忘れてしまう。
今回もそうするつもりでした。でも、それができないの。涼宮さんが作り出した次元断層のように、STCデータの書き換えが
できない部分がある。原因ははっきりとはわからないけど、そんなことができるのは長門さん――でも、そんな必要もないことを考えれば、
残っているのは涼宮さんだけ。きっとあの子との別れを惜しんでSTCデータに強力なロックをかけているんだわ。
例え別れることになっても、絶対に忘れない――忘れなくないって、無意識下でそう強く願っているために」
 ――と、ここで一拍ため息をついて、
「あと改善すべきSTCデータの範囲が大きいのも問題の一つです。本来、過去に駐留している人間はできるだけその時代の人間と
関わりが少ないように生活することが義務づけられています。昔言ったかもしれないけど、元々あの子は涼宮さんに
直接接触する予定はありませんでした。でも、ものの見事に彼女に発見されて――それからはもう落書きし放題。
いったいどれだけの影響をこの時間平面に与えたのか、具体的なデータ量を見ただけで頭が痛くなっちゃう。
さらにそれの大半に涼宮さんが関わっているからなお大変なことになっていて……」
 そう頭を抱える仕草を見せる朝比奈さん(大)。そうは言っても連れ回したのはハルヒであって、朝比奈さん(小)ではない。
またハルヒは未来人であることなんて知らないんだから、責任なんぞこれっぽっちもない。
 不信感を強める俺に気がついたのか、朝比奈さん(大)はぱたぱたと両手を振って、
「ああっ、えっと別に非難しているんじゃないんですよ? ただ大変なことになっていることを伝えたかっただけですから」
 俺はその言葉を聞き流しつつ、夜空を眺めて白い息を空に向かって飛ばし、
「つまり、朝比奈さんたち未来人は、ハルヒに朝比奈さんのことを忘れることを受け入れるように努力しろっていうんですか?」
「……そういうことになってしまいます」
 朝比奈さん(大)は申し訳なさそうにうつむく。
 なんてこった。朝比奈さんと別れるだけでもつらいというのに、さらに忘れろというのか。さらに、ハルヒにも忘れてもらうために
なんとかしなきゃならない。無茶苦茶だ。できる訳のない相談と言っていい。
 ここで朝比奈さん(大)はすっと顔を寄せてくると、
「わたしたちはキョンくんに強制はできません。だから、どうするのか判断はあなたに任せます。ただ――」
 さらに口を俺の耳元に近づけて言った。
 
「……あまりあの子を苦しめないであげて」
 
◇◇◇◇
 
 翌日の放課後、俺たちは朝比奈さんを交えた上でミーティングを実施していた。どうやらハルヒは結論を出したらしい。
 結局あの後朝比奈さん(大)はそそくさと立ち去ってしまい、やりきれない気持ちだけが俺に残っていた。
朝比奈さんとの別れ。考えるだけでも嫌だし、忘れるなんてもってのほか。しかし、朝比奈さんは意志に関わらずそれを受け入れなければ
ならない。だから、俺やハルヒが執拗にこだわればこだわるほど苦しめるだけなのかもしれない。
 ええい――どうすりゃいいんだ。
 頭を抱える俺の気持ちも知らずに、ハルヒは話を始める。
「みくるちゃん以外には昨日のうちに話しておいたけど、調査の結果あたしなりの結論を出したわ。確実にみくるちゃんは
誰もから忘れられつつある。北高生徒だけじゃない。映画撮影の時に会った電気屋さんとかに聞いてみたけど完全に忘れていた。
まるでそんな憶えは全くないという感じにね」
「…………」
 そのハルヒの言葉に、朝比奈さんはうつむいたまま特に反応を示さなかった。やっぱり本人も知っているんだろう。
それなら、最初に教えてくれたとき、それについても言ってくれれば――
 ここで俺ははっと気がつく。そうか。あのとき言わなかったということは、それが朝比奈さんの意志なんだ。誰に知られることもなく、
気がついたらいなくなっていた……そんな状態を彼女は望んでいる。そういうことなんだ。
 しかし、状況は変わった。そんな大きな変化をハルヒが察知しないわけがない。朝比奈さんを指さすと、
「驚いたかもしれないけど、これが事実よみくるちゃん」
「……はい」
 朝比奈さんの声はどこまでも鬱々真っ盛りだ。
 ハルヒは続ける。
「本当は原因追及でも何でもして、そんなふざけた悪行をしでかす輩を成敗してやりたいところだけど、時間がないわ。
調査した限りだと、朝比奈さんと関わりの薄い人の記憶から消されていっているみたい。だから、最終的にはあたしたちも
記憶を消される可能性がある。そう考えるのが自然ってものだわ」
 確かにな。朝比奈さん(大)たちの最終目標は俺たちだろう。何せこの二年間もっとも関わりを持っていたんだから。
さらにはそれを妨害しているハルヒの存在もある。
「だが、具体的にどうするつもりだ?」
 俺の問いかけに、ハルヒは腕を組んで、
「対抗手段は一つしかないわ。それは絶対にみくるちゃんのことを忘れられないようにする。それもあたしたちだけじゃなくて、
最低でも北高生の頭の中に焼き印を押すぐらいにね」
「方法は?」
「今もやっているけど、卒業歌よ。これを完成させて、さらに何が何でも採用させる。そうすれば、今年の卒業の歌として
みくるちゃんの名前はでかでかと残るし、歌を歌えばその存在を認識できるようになるはずよ。この学校にいた生徒の一人としてね。
忘れなんてさせない――絶対によ!」
 まるで未来人に対する宣戦布告のようにハルヒは声を張り上げた。
 歌か。確かに卒業の時歌ったものは強く印象に残るだろうし、卒業式では――その前の練習も含めて全生徒が歌うから
記憶には強く、鮮明に残るはずだ。記録や歌詞も残る。この学校に朝比奈みくるという人物がいたと言うことを確実の作れるだろう。
 ハルヒはすぐに朝比奈さんの元に駆け寄って、憂鬱状態の朝比奈さんに檄を入れつつ作詞作業を再開した。
 古泉と長門はそれをじっと見ているだけ。二人はどう思っているんだろうか。朝比奈さんがいなくなる――さらにいなかったことに
されてしまうことについて。
 一方の俺は、困惑していた。ハルヒの言う方法なら朝比奈さんがいた痕跡は残せるかもしれない。だが、それで本当にいいのか?
いたずらに朝比奈さんを傷つけているだけじゃないのか?
 俺はもやもやしたまま二人の作詞作業を見つめていた。
 
 やがて下校時刻を迎え、解散となろうとしたときだった。
「ちょっとキョン。話があるから、あんたは残りなさい」
 そうハルヒから残業通告を受ける。何だ、俺はそんな気分じゃないんだが……
 抵抗したい気持ちになるが、言ってもハルヒが聞くわけもなく俺は大人しく長門・朝比奈さん・古泉が部室から出て行くのを見ていた。
 ほどなくして、ハルヒは俺以外いなくなったことを確認すると、俺の前に立ち、
「ちょっとあんた! さっきからぼーっとしてみくるちゃんがいなくなっていいわけ? もっと協力しなさいよ!」
 どうやら俺の憂鬱モードはあっさりと見破られていたらしい。
 俺は後頭部をかきながら、
「……すまん。どうも朝比奈さんとの別れが近いと考えると気が沈んでしまってな」
「気持ちはわかるけど、今はそれどころじゃないのよ!」
 ハルヒはつばを飛ばして言ってくる。ああ、わかっているさ。そんな場合じゃないってな。でもな、朝比奈さんが
あまりことを大げさにしたくないと思っている以上、俺もどうすればいいのかわからないんだよ。別れるのも嫌だし、忘れなくもない。
しかし、朝比奈さんの意思は尊重してやりたい……ああ、まさに思考の袋小路に陥ってしまった。
 そんな俺の気持ちを察したのだろうか、ハルヒはすっと背を向けて、
「あんたの気持ちもわからない訳じゃない。でも、あたしは決めたのよ。絶対に例え別れてもみくるちゃんのことを忘れることだけは
絶対にしないって。最後まで抵抗を続けてやるわ」
「ハルヒ、お前……」
「みくるちゃんが普通じゃないのは知っている。人のプライバシーに干渉するほど落ちぶれちゃいないからほじくり返すようなことは
しなかったけどね。だから、卒業後会えなくなるっていうのも、みんなから忘れられつつあるっていうのも、問い詰めたりしない」
 気がついていたのか。いや未来人とか突拍子もない正体まではたどり着いていないだろうが、どこか他の人と違うということぐらいは
ハルヒの勘がかぎつけていたのだろう。
「みくるちゃんはもう会えないって言っていたけど、生きていれば絶対に機会はできるはずよ。あたしはそれに賭けることにしたわ。
そのためにも忘れることだけは絶対にできない――できないのよ! 万一、あたしの中から記憶が消されても、
何かの痕跡が残っていれば思い出せるかもしれない。あたしはそれが欲しい。残したい!」
 ……ハルヒは朝比奈さんとの別れを完全に受け入れたんだ。その上で、いつか再会できることを願っている。
 俺はこのハルヒの考え方に救われた気分になった。そうだ。生きていれば必ず会える。それどころか、俺は朝比奈さん(大)と
何度も会っているじゃないか。そう考えれば、今重要なのは忘れないことだ。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。
穏便に済ませたいという朝比奈さんの意志もあるだろうが、きっと彼女だって俺たちが忘れてほしいなんて思っていないはずだ。
 仮に忘れてしまっても、卒業歌という形で残っていれば、それを歌うたびに思い出すだろう。このSOS団に朝比奈みくるという
愛らしい少女がいて、ずっと癒しを提供し続けてくれたことを。
 すっと俺の心の中が晴れていく気がした。俺の腹は決まったな。
「……すまんハルヒ。お前のおかげですっきりしたよ」
「全く、しっかりしてよね。これからが大変なんだから。どうもやる気のないみくるちゃんを奮い立たせて、
さらに採用までされなきゃならないんだし」
「ああ、そうだな。及ばずながら俺も尽力させてもらうぞ」
 ……朝比奈さん(大)。どうやらあなたの申し出は拒否させてもらうことになりそうだ。
 
 俺がハルヒと別れて一人で帰路についていると、待ち伏せしていた人物に出くわす。長門と古泉だった。
「やあどうも。涼宮さんとの話は無事に終わりましたか?」
「ああ、あいつの決意を聞かされて俺も気分が晴れたよ」
 それはよかったと古泉はいつものスマイルを浮かべる。長門は無表情のままだったが。
 俺たちは三人で下り坂を下り始めた。おっと今のうちに聞いておくか。
「長門、お前のパトロンは今回の件について何か言っているのか?」
「何も。特別な指示は来ていない」
「古泉。お前の機関の方はどうなんだ?」
「指示としましては、平穏無事に終わらせることというものだけですね」
 そのどうとでもとれる内容に俺は眉をひそめて、
「なんだ、それだと卒業歌の制作をやめさせて、あっさりと朝比奈さんのことを忘れてしまえともとれるぞ」
「解釈の問題ではなく、きっと機関のお偉方はそういう意味で言ったんだと思いますよ」
「何だと?」
 少し俺はぴきぴきと額に神経を浮かべる。機関ってのはハルヒのやることを邪魔するつもりなのか?
「どうでしょうか? 実のところ、どうするかは僕に一任されている状態でして」
「ならお前はどうするつもりだ?」
 俺の追求に、古泉は目を細めて、
「……以前もいいましたが、僕は機関の超能力者であり、一方でSOS団の副団長でもあります。機関の方からは
事実上好きにやれといわれたようなものですからね。ならばあとは副団長としてその責務を果たすだけです。
もちろん――やりますよ、涼宮さんの卒業歌作りの手伝いを」
「そうか……」
 その言葉を聞いて俺はほっと胸をなで下ろす。ただ古泉は付け加えるように、
「ですが、今回の一件では僕は裏方に回ろうと思っています。積極的に卒業歌制作に携わるのではなく、それを邪魔させないという形でね。
妨害を仕掛けてきたり、SOS団に不利益な行動を仕掛けてくるものがいれば、容赦なく排除するつもりです。
それこそ、機関の全組織能力を使ってでも」
「よろしく頼むぜ、副団長殿」
 そう古泉の胸に一発とんと拳を当てる。
 ここで長門もそれに乗るように、
「わたしも古泉一樹と同様の立場をとるつもり。涼宮ハルヒの望んでいる作業への介入を阻止する。誰の邪魔もさせない」
 そう頼もしいことをいってくれた。
 よっし、これでSOS団の意志は決まったも同然。あとは目標に向けて突っ走るだけだな。
 
 ……しかし、たった一人意識がずれていた人がいた。朝比奈さん本人である……
 

 

    ~後編へ


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