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 SOS帝国宇宙艦隊総旗艦兼第一艦隊旗艦ブリュンヒルトは、新人類連邦で建造された最新鋭艦隊旗艦級大型戦艦であった。試作艦としての色合いが濃く、コストを無視した装備がふんだんに使用され、火力、防御力、通信能力、情報処理能力、どれをとっても既存の艦隊旗艦級大型戦艦を上回っていた。さらに、防御スクリーンの効率を高めるために曲線を多用した設計を取り入れ、無骨なイメージが付きまとうそれまでの軍艦とは一線を画する繊細なフォルムに仕上がっている。白鳥に喩えられるその優美な姿は、見る者のため息を誘い、乗員の保護欲を大いに高ぶらせた。
ブリュンヒルトは艤装後、数ヶ月間評価運用がされてから、この最新鋭艦と同じく軍の期待を一身に受けていた英雄の座乗艦となった。英雄は一度乗っただけで「極上の乗り心地よ!」とブリュンヒルトをいたく気に入り、自身が新人類連邦に反旗を翻してからも、密かに呼び寄せたこの艦に乗って指揮を執り続けていた。
現在、コンピケン連合軍迎撃作戦の中枢部となっているブリュンヒルトの司令室では、目の負担を軽くするために暗くされた照明の中、中央に備え付けられた三次元戦況図が妖しく輝いていた。その中では敵を示す赤が、劣勢になった味方を示す青を各所で分断して飲み込まんとしていた。通信士からも各艦隊の悲痛な叫びが伝えられている。
「第二艦隊の戦闘可能艦が半数をきりました。まもなく敵に完全包囲されます」
「第四艦隊旗艦ヒューベリオン大破。キョン提督以下艦隊司令部要員は戦死した模様。分艦隊の指揮をとっていた副司令官クニキダ提督が艦隊の指揮を引き継いでいますが、艦隊は混乱状態に陥っています」
「各艦隊司令部との通信が不安定になっています。敵の電子妨害が我が軍の対電子妨害を上回ったからだと思われます。現在対抗処置を・・・」
司令室の主である超元帥ハルヒは戦況図の前に立って、いらだたしげに報告を聞いていた。ハイヒールを踏み鳴らす音が通信士の声をかき消す。
「閣下、我が第一艦隊も敵C艦隊に半包囲されて防戦を強いられております。ここは艦隊を紡錘陣に編成するなりして前面の包囲を突破し、善戦を続けている第三艦隊へ合流するのが得策かと思われます。合流して敵の総旗艦がいる敵A艦隊を攻撃すればまだ勝機が・・・・・・」
総参謀長であるコイズミが第二艦隊の指揮を執っているので、事実上ハルヒの補佐に当たっているユーリ・イヴァノフ参謀副長が意見を具申した。
「そんなこと分かってるわ。でも、半包囲されてる状態で艦隊を編成するなんて、敵の良い的になるだけよ。あっ、第三十二戦隊に艦隊の中心部へ移動するよう命じて。損害が大きすぎるわ」
ハルヒは刻々と不利になっていく味方を映し出す戦況図をにらみつけながら答えた。豪快で派手な戦法を好むハルヒにしては消極的な姿勢だった。今回の戦いにはハルヒの心を消極的な方向へ引っ張っている理由が存在していたのだ。
「しかし、それでは」
イヴァノフの発言は探査参謀の悲鳴に等しい報告によって遮られた。
「第四艦隊を包囲していた敵A艦隊が移動を開始しました!予想到達地点は我が艦隊の後方RU77ポイント。このままでは敵に挟撃されます!」
ハルヒは鋭い舌打ちをすると、ようやく決心をつけた。
「艦隊を大急ぎで紡錘陣に組み直して!挟撃される前に敵C艦隊を突破するわよ!」
第一艦隊は敵C艦隊の相手だけで手一杯である。味方から支援を受けられないまま、後背から攻撃されて挟み撃ちにされればひとたまりも無い。ゆっくりと死刑執行を待つよりは、一か八かで勝利をつかむことを選んだのだ。
だが、艦隊運動はハルヒの期待を裏切った。戦況図の中で再編されていく艦列の動きは蝸牛よりも遅いだけでなく、無駄が多すぎるようにハルヒは思えた。こちらの意図に気づいた敵が間断なく砲火を浴びせ、味方の動きをさらに鈍らせる。
「閣下!これ以上編成に時間をかけていると手遅れになりますぞ!」
「もう限界です。突撃命令を!」
副司令官のビッテンフェルトとグエンが通信画面に現れて気炎を上げた。この二人はハルヒが新人類連邦軍で戦っていたときからの部下であり、SOS帝国独立時にはリテラート星系駐屯艦隊の司令官と副司令官だったので、そのままSOS帝国軍に加わっている。もっとも、ハルヒに信仰心ともいえる絶対的な信頼を寄せているので、宇宙のどこにいても駆けつけていただろう。
それぞれ非凡な才能を有する指揮官で、特に艦隊の攻撃力と破壊力を引き出す能力はずば抜けて優れており、“猛将”“猪武者”の異名を付けられ敵味方に恐れられていた。どちらも司令官の冷静なコントロールの下でこそ絶大な破壊力を振るえるタイプで、ハルヒの指揮下になった際にはその特性を十二分に発揮していた。ただ、同族嫌悪からなのか二人の仲は非常に険悪で、会議だけでなく廊下で顔を合わせる度に角を突き合わせてきた。一説によると、とある辺境艦隊司令部と赤毛の美女にまつわる挿話からはじまった確執だとされている。
「あんた達正気!?こんな中途半端な編成で突撃するなんて自殺行為よ!あたしに陳情してくる暇があったら、分艦隊の指揮を執りなさい!」
ハルヒは二人の無謀な案を一蹴したが、既に遅かった。軍艦には不釣合いなほどの美しさを持つブリュンヒルトが、ついに敵艦隊の火力の網に捕まったのだ。
「本艦及び旗艦護衛戦隊に対艦ミサイル多数接近。数・・・およそ4000!」
「旗艦を下げるわけにはいかないわ。ブリュンヒルトと護衛戦隊は味方の再編成が終了するまでこの場に踏みとどまり、全力で対艦ミサイルを迎撃しなさい!艦長、この子のことは任せたわよ」
ハルヒはマイクをつかんで艦橋で艦の指揮を執っているザイドリッツ大佐を呼び出した。
「これは……できる限りの努力はしてみます。何か固定されているものにつかまってください!」
艦長の言が終わるや否や、ブリュンヒルトは身体中に付いている姿勢制御噴射口を目一杯吹かして回避運動を開始する。重力制御を超える振動が来る前にハルヒは真後ろにある、快適な座り心地を提供する司令官用の座席の背をつかんだ。視界の隅でイヴァノフがよろめく姿が見えた。
雄雄しき戦乙女と彼女を守護する艦達に装備された近接防御火器が火を噴き、ミサイルを次々に破壊していくが、いかんせん数が多すぎた。必死に艦を守る対宙レーザーの火線や短距離ミサイルの群れをかいくぐり、敵の対艦ミサイルが命と引き換えに自らの使命を果たしていく。
「戦艦アエリア、デ・ロイテル、巡航艦コルドバ、ドーロホフⅢ、タスケ・テエーリン、ハイフォン撃沈。その他護衛戦隊の半数が戦闘不能」
「第五モジュールにミサイル命中!E3からE7ブロック損傷。E1からE10ブロックの気密が破られました。九十七名が死亡、負傷者多数。くそっ!第二と第三にもミサイル!」
「ダメージコントロール間に合いません!」
味方の損害報告に混じって艦橋からのブリュンヒルトの損害報告が入る。
「どうやらブリュンヒルトもここまでのようです。閣下の棺がこの艦になることを艦長である私は幸せに…」
「馬鹿っ!あきらめたらそこで戦闘終了なのよ!」
艦長が不吉なことに最後の別れの挨拶を始めたので、艦隊の司令官らしい風格のある言動で黙らせたが、ハルヒにできることはもう何も無かった。
「推進機関被弾!反物質燃料槽に誘爆しま…」
ここで報告は強制終了させられた。艦内の全ての灯りが消え、一瞬後に復旧する。次に機械音声の無機質な声が、気まずい沈黙の流れる司令室に響いた。
「本艦は撃沈されました。本艦は撃沈されました」
「全軍に告げます。総旗艦ブリュンヒルトが撃沈されました。我が軍の敗北です。繰り返します…」
SOS帝国暦一年十一月二十四日、コンピケン連合艦隊よりニ、三足ほど早くウィンダーズ星系に到着したSOS帝国艦隊は、休息もそこそこに、万能と沈黙をつかさどる女神ナガトが開発した戦術シュミレーションシステムを使用した演習を行った。百隻単位の艦艇で構成されている戦隊レベルでの演習はこれまでにも行われていたが、五個艦隊、70000隻以上の艦艇が参加する大規模な演習はSOS帝国宇宙艦隊成立以来初であった。SOS帝国軍とハルヒの威信をかけた演習の結果は、先のように目も当てられない、もはや一方的な虐殺と表現しても申し分ない結果だった。
実戦はもちろん、士官学校の艦隊戦シュミレーションから通して振り返ってみても、これほどまでに一方的な負け戦はハルヒの記憶層のどこを探っても出てこなかった。ハルヒの自尊心は敗北という鋭利な文字によっていたく傷つけられた。シュミレーションの敵のレベルが最強だったことを差し引いても、己の能力に絶対の自信を持っているハルヒにとっては、耐え難い屈辱的な出来事だった。
影響はハルヒだけにとどまらなかった。無敵のはずだった英雄の敗北は、英雄を信じて付いてきている者達の心に無視できない波紋を広げさせていた。戦闘不能判定をされた艦では、仕事を取り上げられた乗員達が不安な顔をして、上官の目を盗んでは私語をしていた。その上官達でさえも深刻な表情で仲間と相談をしていた。
「閣下、演習終結コードを」
イヴァノフがブリュンヒルトが撃沈された瞬間から、形の良い眉毛を危険な角度に急降下させ、腕を組んだまま身動き一つしない司令官にそっとささやく。司令室の誰が見てもハルヒが怒りを堪えていることは明らかだった。
「……“ロシアン・ティーを一杯。ジャムではなくママレードでもなく蜂蜜で”」
マイクを通してハルヒの声紋が認識された途端、艦外ディスプレイを埋め尽くしていたCGのミサイルが消え去った。戦況図からも敵を示す赤が消え、戦闘の過程で破壊された青が冥界からの復活を果たした。それと同時に全てのシステムが回復、膨大な量の通信が開始された。演習を記録したデータをブリュンヒルトに集め、解析する作業を行うためだ。
ハルヒは無残にも散り散りにかき回された青が映る戦況図を一瞥すると、通信参謀に全軍に通信回線を開かせるように命じると、通信用カメラのある場所を向いて無理矢理、万人を魅了してきたハルヒ特有の不敵な笑みを作った。うなだれた姿を見せて敗北で低下している部下の士気を更に下げる、それだけは避けなくてはならない。ときとして、指揮官は虚偽の姿を見せて部下を鼓舞しなければならない時があるのだ。
「みんな、これで演習は終わりよ。負けちゃったけど、お疲れ様。どうやら行軍の疲れがまだ残ってたみたいね。あたしもコンピューターが敵だと思ってついつい甘くなっちゃったし。今日はそれぞれの艦、戦隊で反省会を開いてじっくり話し合うこと。もちろんRC12ポイントに集結しながらやりなさいよ。時間がもったいないから。反省会が終わったらゆっくり休んで疲れを取って頂戴。ただし、明日も演習をするから、覚悟しておきなさい。もし負けたりしたら、全員死刑だから!!あと、各艦隊の司令部要員は今すぐ通信室に集合。以上!」
威勢よく普段とほとんど変わりないハルヒ節をマイクに叩きつけると、すぐに偽りの仮面を脱ぎ捨てて、まとわりついている敗北の魔手を振り解くように専用通信室へ早足で歩き出した。
その後を追って浮かない顔したイヴァノフ以下の参謀グループ、護衛兼人員不足から首席副官へ昇進したメイ・ユンファ中尉が続く。本来ならば首席副官には佐官以上で副官経験がある軍人が就く予定であったが、ハルヒが強引にメイを任命したのだ。メイは思わぬ抜擢に驚き、かつ自分がハルヒに目を掛けられていたことを知って非常に感動したのだが、彼女はこの大抜擢の真の意図をまだ知らなかった。
ハルヒが専用通信室の席に着いたときには、各艦隊司令部と秘匿回線がつながっていた。司令官から艦隊参謀グループまでが皆、この非常事態を受け止めており、各々の面持ちをしてディスプレイに顔を並べていた。明るい表情の者は一人もいなかった。
「何たるざまなの!」
開口一番ハルヒの怒鳴り声が回線を支配した。ミクルは数万km離れた座乗艦で一回り身を縮こませた。
「我が軍にとって初めての大規模演習だったことを考慮しても、これはひどすぎるわよ。あたしを含めてだけど、みんな反省が必要だわ。特にタニグチ!あんたはブラックホールより深く反省しなさい!!」
「何で俺だけ名指し!?」
正面ディスプレイにかろうじて美形の部類に入るが、部下からはむしろひょうきんな顔と見られ愛されているタニグチの顔がアップで飛び出した。
「あんたがしょっぱなに変な艦隊運動をして撃破されたところから、全てが狂ったんでしょうが!」
奥歯をむき出しにして口角泡を飛ばしているハルヒはタニグチに向かって話しているつもりなのだが、カメラ映りの関係から通信に加わっている全員がハルヒに責められているような気分になる。
「ありゃ敵が予想外の方向から現れたから、そいつを迎撃しようとしてだな…」
「それくらい作戦の許容範囲でしょ!もっと余裕を持って対処しなさい!」
「アホのタニグチに怒りをぶつけるのも良いがな、ハルヒ。お前が突撃ばっかりして味方から離れすぎるのも問題だと思うぜ。あれじゃあ、敵に包囲してくださいって言っているようなもんだ」
ハルヒがタニグチの必死の抗弁を粉砕していると、もはや諸々の会議で定番となっているキョンのつっこみが入った。当然怒りの矛先はキョンへと方向転換する。
「ちょっと、第三者面して説教するつもり?あたしは作戦主任参謀の立てた作戦に従ったまでよ。あたしの艦隊の突撃は作戦の許容範囲じゃない!それと、あたしを呼ぶときは閣下!けじめをつけなさい!」
「俺の立案した作戦が敗北につながってしまったことには責任を感じる。だが、後退していく敵に突撃をかけて、味方の制止も聞かずに深追いしすぎてそのまま縦深陣に誘い込まれる。なんてことは作戦に入れた覚えがないぞ」
「んぐっ。あ、あれは艦隊の速度が思ってたよりも遅くて……はあ。要するにあたしはタニグチのヘマをカバーできないほどしょぼいってこと、か。スズミヤ・ハルヒの名も地に落ちたわね」
身体の中に溜まっていたうっぷんを吐き出した後に残ったものは、自嘲めいた寂しい、ハルヒには似つかわしくない笑いだった。普段の快活とした姿はどこにも無く、秘匿回線に参加している将官を驚かせた。
キョンはついつい嫌味を言ってしまった自分の舌を引っこ抜きたくなった。同時に、ハルヒの憂鬱はハルヒポリスの『黒猫亭』に置いてきたので当面は安全だと結論付けた自分の判断力に、苦情を言いたくなった。最後に、こう考えると俺はあいつよりも太い神経をしてるんだなぁ、というどうでもよい客観論を頭の隅に追いやると、大急ぎで、されど慎重にフォローするための言葉を選んで舌の上に整列させた。
「まあ、そんなに気を落とすな、ハ・・・閣下。今回の敗北の原因は色々とあるが、一番の原因はお前じゃない。艦隊の錬度不足だ」
戦闘中、ハルヒの脳裏に付きまとって積極性を削ぎ落としていた張本人はまさにそれであった。本来五カ国の異質な艦艇が寄り集まって編成された烏合の衆でしかないSOS帝国艦隊は、この演習で弱点を盛大に暴露してしまったのである。
キョンは艦隊の編成を任された際、同じ国の艦艇数百隻を束ねたものを戦隊とし、その戦隊を旗艦直属と分艦隊に振り分けて一つの艦隊としていた。これは、未だに全艦艇の武装の統一がされていない現状を無視して、出身国がばらばらな艦艇で戦隊を編成したら、戦闘で混乱が起きる上に、補給の観点から見ても好ましくないことは簡単に想像できるからだ。かといって艦隊を丸ごと出身国ごとの艦艇で統一したら、他国の兵士との交流が皆無になり、SOS帝国軍であるという意識が薄くなったり、兵士間でいらぬ対立が発生する恐れがある。キョンの処置は大いなる妥協の上に成り立ったものだったのだ。
しかし、演習では、例えば「前面の敵にミサイル攻撃をしろ」という単純な命令が旗艦より発せられたとき、とある戦隊はできるだけ敵との距離をとってミサイルを発射しようとし、別の戦隊では敵との距離を縮めてからミサイルを発射しようとしてお互いを邪魔してしまい、艦隊司令官はいちいちそれを是正しなければならなかった。このような事例は一つや二つで無く、艦隊司令官は続発する戦隊の行動の不一致の対処に時間を取られ、艦隊全体の指揮を妨害されてしまったのだ。ハルヒなどは途中からさじを投げてしまったが、おかげで艦隊運動能力は大幅に低下してしまい、行動の選択肢が減ってしまった。いくら優秀な司令官が知略を尽くした作戦を立てても、艦隊がその通りに動いてくれなければ意味が無いのである。
SOS帝国軍の基本的な運用思想を定めた戦闘教義は、新人類連邦軍のものを基盤としてSOS団のメンバーがアレンジを加えたものを使用している。しかし、新人類連邦軍の出身者ならまだしも、その他の人民統合機関軍や天の川情報共同体軍の出身の戦隊指揮官は、それぞれの軍が使用していた戦闘教義が完全に頭から抜けきっておらず、結果として戦闘中の行動に齟齬を生じさせてしまったのだ。要するに、艦隊にまとまりがなくなってしまったのだ。軍隊はワインやウィスキーと同じで良い味が出るまで時間がかかる、とはよく言ったものだが、生まれてからまだ半年のSOS帝国軍は熟成期間が足りていないことは明白であった。
「……分かってる。何とかしなきゃならないのが艦隊の錬度だってことくらい、あたしにも分かるわよ。ただ、それを言うと自分の失敗を誰かに押し付けてるようだし、あたしを信じて戦ってくれた仲間達に悪いと思って……ああもうっ!英雄やら皇帝やらに祭り上げられて浮かれている間に、あたしも武人としての感覚が鈍ったみたいだわ!」
キョンからの通信をじっくり頭の中で消化してから、おもむろに、ハルヒはポニーテールにするには若干短い髪をかきむしって叫んだ。
「わたしも宇宙艦隊司令長官として謝罪を。全艦隊を統括する役職に就きながら、このような結果を招いてしまったのはわたしのミス。願わくば汚名返上のために、明日以降の演習の修正案を具申させて欲しい。艦隊は実践的な演習より、基本的な艦隊運動の訓練が必要」
「総参謀長の職を全うできなかっただけでなく、シュミレーションとはいえ閣下からお預かりした艦隊を壊滅させてしまうとは失態の極み。本来ならば死を持って償うべきでありますが、もし閣下がお許しになるなら再戦の機会をいただきとうございます」
「えっと、えっと……とにかく補給に関しては気にしないでください。わたしが責任を持って皆さんに補給物資を送り届けます。ビームもミサイルも遠慮なくばんばん撃っちゃってかまいません!」
一時的に饒舌になった宇宙艦隊司令長官、うやうやしい表現を好む総参謀長に続いて、戦線の後方に留まって演習にノータッチだった後方主任参謀までが発言してくると、さすがにハルヒも苦笑して同時に口を開きかけたビッテンフェルトとグエンを手を上げて制した。残念なことにタニグチの「俺は?俺に押し付けてもかまわないのか?」という心の叫びは、ハルヒだけではなく他の通信参加者からも半分意図的に無視されてしまった。いつの時代、どんな場所でもストレス解消用サンドバックはつらい役目なのだ。
「みんなで責任を口にすればいいってもんじゃないわ。失敗はそれ以上の成功で埋め合わせをすること。あたしもそのつもりだから。で、今回の演習の結果を踏まえて、迎撃作戦の大幅な見直しをするわよ。艦隊集結後に改めてこのブリュンヒルトで会議。
本格的な話はそこで。それまでに具体的な案をそろえておいて頂戴。あと、ユキ。明日の演習は今日と同じ模擬実戦よ。負けっぱなしはあたしのプライドが許さない。士気にも関わるからね。ただし、敵のレベルは最弱でお願い。以上。通信終わり!」
こうして通信は一方的に切られ、キョンは安堵のため息をついた。最後の瞬間に見たハルヒは、普段の活力三割減であったが、SOS帝国の頂点に立つに相応しい剛毅な意思で瞳を光らせているハルヒの姿だったからだ。



惑星トナッリ・ベアーの赤道直下に、天候条件さえそろえば衛星軌道からでも視認できる巨大な建造物があった。全コンピケン教徒の精神的な拠り所、もしくは権力という甘い蜜を愛する者の集う場所、唯一神コンピケンを祭るインテルノン神殿である。神殿は縦横の辺が4000m、高さが500mの立方体で、外壁は清浄を表す白で統一され、その内部には高さ223mのコンピケン像をはじめ、300万人を収容できる礼拝堂、神の代理人の一方的な意思発表の場となり集会所とは名ばかりの教徒集会場、歴代指導者や聖人の納骨堂など多数の施設が存在する。コンピケン連合の指導部と一部の狂信的信者にとってこの神殿は聖域であったが、ほとんどの国民にとっては神の名において権力をもてあそび、人民から搾取した富を蓄えることに専念する亡者の住処、諸悪の根源に他ならなかった。
古代ギリシャのドリス式オーダーに基づいて作られた壮麗な円柱が立ち並ぶ神殿の廊下を、これまた古代ギリシャ風の衣服を模した軍人用礼服に身を包んだ二人の男が肩を並べて歩いていた。この二人の軍人は背丈の違いさえあれ、色の薄い目鼻立ちからやや貧弱な体格まで驚くほど似通っていた。一般人が考える優れた武人のイメージにはかすりもしない彼らなのだが、戦場での武勲より唯一神コンピケンと現世での代理人である教皇に対する忠誠心が昇進の条件になっているコンピケン連合軍において、例外的に武勲のみで昇進を重ねてきたのがこのブ・イン・エーとブ・イン・ビーの兄弟なのだ。彼らがいなければ、近年のコンピケン連合軍戦史は全て血文字で書かれた敗北という文字しか必要としなかったであろう。ブ・イン兄弟こそ、その他の提督や教皇ら指導部に代わって、虫食いだらけの傾いた家であるコンピケン連合を真の意味で支えている柱だった。
「なあ、弟者よ。この戦争、勝てるかと思うか?」
二人の足音のみが響き渡る広大な廊下を三分の一ほど進んだ頃、不意にブ・イン・エーが右を歩く弟に尋ねた。
「何を言うんだ、兄者。我々は大神コンピケンのご加護を受けているのだ。コンピケンのご威光の前には異教徒や裏切り者どもの艦隊など無きも同然。必ずや勝利を収めるだろう」
ブ・イン・ビーの答えはコンピケン連合に籍を置く軍人のもっとも模範的な回答だっただろう。軍広報部が喜んで宣伝放送に使いたがる類のものだ。
だが、ブ・イン・エーは回答に満足しなかったらしく、立ち止まって自分より背の高い弟の目を見上げるようにして覗き込んだ。
「安心しろ、この廊下には我らしかおらん。もし、見張ってる奴がいても、そいつらとその背後にいる誰かに大声で教えてやれ。我らを不敬罪なり背信罪なりで告発して辺境惑星か処刑台へ追いやったところで、困るのは奴らだ。我らには昔と違って力があるのだぞ」
「兄者……はぁ。勝利を信じているのは、ボードゲームと艦隊戦の区別もできない教皇と、教皇のご機嫌取りをするしか脳の無い取り巻き連中だけだろうよ。なにせ相手はあの英雄スズミヤが率いる帝国だ。勝てると思うほうが狂っている。まあ、奴らは元から狂っているがな」
見かけによらず豪胆な性格をしている兄を持った弟は、その誰かを探すように廊下を見回してからため息をつき、苦々しい口調で皮肉のオブラートに包んだ真実を吐き出した。もし、一介のコンピケン連合人が街中でこの発言をしたら、たちまち宗教警察が飛んできてその者の人間としての権利と未来への道を奪っていたであろう。
「素直でよろしい」
ブ・イン・エーは弟の回答に満足げにうなずいていたが、弟の方は一度開放してしまった反逆の思いを、再び胸の奥に押し止めることが難しかったようだ。
「兄者、この際聞くが、何でSOS帝国に亡命しないんだ。スズミヤは突拍子もないところがあるし、我らと幾度となく矛を交じ合わせてきた敵だ。それだけに、スズミヤがどれほど優秀か、どれほど良い部下に恵まれているか、どれほど強固な意志を持っているか兄者には分かるはずだ。恐らくSOS帝国は銀河を統一する。天の川銀河に住む全ての人民が待ち望んだ銀河再統一だ。これほど見返りが多く、なおかつ信頼性の高い株に投資しない手はないだろう。良識のある者達はことごとくコンピケンに見切りをつけて去っている。兄者なら今の地位を利用して艦隊ごと亡命できるのに。俺には何故それをしないが理解できない!」
「かくいう弟者はどうなんだ。それだけのことが分かっているなら亡命しているはずだろ。我が弟は良識ある者達の中に入っていると思っていたが?」
ブ・イン・エーは目を閉じて怒れる弟の胸の内を聞くと、年長者の余裕と弟思いな兄の表情を混ぜて聞き返した。
「俺は兄者の後ろに立つだけだ」
弟は間髪入れず憮然として答えた。自らの決意を表すかのように。
敬愛の対象にされた兄は思わず苦笑してしまった。俺を崇拝するのは嬉しいがそろそろ生涯の伴侶を探しても良いだろうに、とブ・イン・エーは考えているのだが、こうも弟のブラザーコンプレックスぶりを見せ付けられるとなかなか言い出せないのだ。もっとも兄の方は「俺は結婚したくないだけだ。別に結婚できないのではない」と見栄を張っているのだが。
「確かに、弟者が後ろにいてくれたおかげで、これまで何かと助かったな。よかろう。俺が亡命しない理由を教えてやる。俺はな、単に神ではなく俺を慕って戦ってくれる部下達を見捨てることができないのだよ。仮に俺が亡命したら、後釜には来るのは祈ること以外何もできない馬鹿提督だ。そんな奴に部下達を任せることは到底俺にはできないね。弟者は艦隊ごと亡命しろとも言ったが、我らの親族だけならともかく、500万人以上の艦隊要員全ての家族を連れて亡命するなど不可能だ。ただでさえ我らは監視されているのだからな」
その程度の予想は弟にもできていた。しかし、ブ・イン・ビーは引き下がらなかった。二人が提督の地位を手に入れるまでに、そして、手に入れてからも受けてきた差別、虐げ、それらに対する抵抗心、それらが一体となって彼の舌を動かしていた。腐敗したコンピケン連合に残っていても、狂信者どもと戦うばかりで少しでも行動を間違えば生命の危機にさらされる。それよりSOS帝国へ亡命してハルヒの下で武勲を立てた方がよっぽど良い。彼は何としてでも兄を説得したかったのだ。
「そうは言うがな、兄者。ウォラス大佐は指揮下の艦艇227隻と乗員の家族全員を亡命させた。艦隊丸ごとだって決して不可能なことでは…」
「と、今までのは建前でな」
「は?」
兄の意外な言葉に弟の反論の濁流が一瞬途切れる。その間隙にさらに意表をつく言葉が滑り込まされた。
「我らはこれまで権力の亡者や無能な上官に対する意地だけで戦ってきたようなものだ。コンピケンのためとはまったく考えないで戦場に立っていた。だからな、今度ばかりは軍人らしく国家を、人民を守るために戦おうと思うのだ」
ブ・イン・エーは蒼白になった。彼は兄との三十八年間の交流の中で様々のものを学んできた。コンピケン連合への反骨精神もその中の一つで、それゆえに国家を守るなどという虫唾が走るような言葉を兄が使うとはとても信じられなかった。
「なっ、兄者らしくもないことを。SOS帝国は銀河を統一して人々に平穏をもたらすことを最終目標として、その実現に向けて動き始めている。それに比べて、コンピケン連合はコンピケン教の布教と異教徒の排斥。SOS帝国に時代の総意がついていることは明白だ」
「そう、弟者の言うことは正しい。正しいが、この国のはじまりを知っているか?天の川銀河統一政府が崩壊した直後、混沌と化した銀河を憂えて、いくつかの星系が集まって銀河の再統一を誓ったのがコンピケン連合の源流だ。コンピケン教などといういかれた連中が台頭して、国名をコンピケン連合に改称したのはたかだか三十年前。しかも、大部分の国民は神の世迷いごとなど信じてはいない。つまるところ“大部分の国民”を守るために存在するコンピケン連合軍は、天の川銀河の統一というSOS帝国と同じ立派な旗を掲げて戦っているわけだ。決して狂信者のために戦うのではない。特に俺はな。これで善悪は問題にならないだろう?」
「あ…兄者はそのような大昔のかびた建前のために、新たな希望の光を阻害し、何百万もの兵士を死地へと追いやるというのか」
ブ・イン・ビーは理解できないという風に頭を振った。
「徴兵されてるとはいえ、コンピケン連合軍憲章に“宇宙艦隊の存在意義はコンピケン教と国家を守ることにある”と記してある。コンピケン教の部分は飛ばしても良いから、同義的には大丈夫だろう。国の興亡や戦争の勝ち負けだって最終的な判断は歴史がするものだ。SOS帝国が滅亡しても、時代が望んでいるなら新たな若く活力のある勢力が現れるはずだ。我らが負ければそれはそれで良い。もし、俺の主張が気に食わなかったり、世のためにならないと思ったら、弟者、この場で俺を撃ち殺してくれ」
世間話をするような軽い口調で大それたことを言われたブ・イン・ビーは、思わず思考の海に投げ出されて下を向いた。しかし、下を向いている時間は長くは無かった。ゆっくりと顔を上げたブ・イン・ビーの瞳には、兄と同じく漆黒の炎が宿っていた。
「……何度も言わせないでくれ。俺の意思はさっきも伝えた通り、兄者の後ろに立つ。それだけだ」
この瞬間、皮肉なことに神を奉る国コンピケン連合は、神を信じぬ二人の男によって守護されることになったのだ。
「そんなに心配するな、弟者。この戦いが終わったら奴らは、我らをまた昇進させなければならないだろう。十分な力がついたら、クーデターでも起こしてコンピケン教を信じている馬鹿どもを追い出して、二人で国を奪い取ろうではないか。銀河統一の大儀だって完全に復活させることができる。それにだ、相手は英雄スズミヤといえども、我らには例の技術があるではないか」
例の技術とは、二ヶ月前に天の川情報共同体よりもたらされたワープに関する画期的な新技術である。この技術を得た教皇コンピケン三世は、SOS帝国に奪われたウィンダーズの奪還作戦の立案を軍部に命じたので、戦争発端の直接の要因はこの技術にあるといっても良い。
「あの技術を使えば、SOS帝国との戦いで有利に立つことができるのは間違いないだろうな。だが、怪しすぎはしないか?」
他国から運ばれてきた戦争の芽にブ・イン・ビーは一抹の不安を覚える。弱肉強食の戦国時代において見返りも無しに新技術を渡すような甘い国は生き残れない。天の川情報共同体はそれを承知のはずで、これには何か裏があるに違いなかった。例えば、SOS帝国とコンピケン連合を戦わせておいて、その間に天の川情報共同体が漁夫の利を占めるような。
「あの国が何を考えているか俺にはわからん。だから、何も考えずに利用できるものはありがたく利用しておこうと思う。見返りを求めてきたり、裏をかかれたらその時考えればよい。SOS帝国との戦争は避けることができない段階だからな。当面はそのことに集中しないといかん。さて、行かねば。教皇も艦隊を率いて出陣するそうだから、他の提督と一緒にちゃんと指揮ができるよう調教してやらないと」
そう嘯いてブ・イン・エーは歩き出した。その後を少し遅れてブ・イン・ビーが続く。ブ・イン兄弟の前には稀代の英雄でも気鋭の帝国でもなく、まずは無能な味方との戦闘が立ちはだかっている。不毛で忍耐の必要な戦いであるが、それだけに勝たねばならない。
 

 

 

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