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雨は既に上がっていた。今日の天気はくもりだ。
今日は祝日であったはずなのに、俺は朝から自転車をえっちら漕いで駅に向かっている。
訳をお話しよう。
昨晩、古泉から電話があった。
―「夜分遅く申し訳ありません。ですが、何分事態は急を要してまして。
あなたにお話したい事があります。明日の午前9時にいつもの駅前で。」
とのことだ。
予想はしてた。今回の一件で閉鎖空間が発生したとあらば古泉から文句の一つでもでるだろうと。
うんざりだ。そんなもんお前がどうにかしてくれ。
俺の頭の中は既に考えることがありすぎてパンク寸前だ。
「せっかくの祝日に申し訳ありません。しかし緊急事態なんです。」
俺は渋々同意した。緊急事態ってなんだよ。―
文句を言いつつ古泉の言いつけ通りこうして駅までやってきてしまうのだから、俺も相当お人好しだと我ながら思う。
時刻は九時五分前。ギリギリセーフ。
古泉はすでに到着済みで、いつもの微笑を顔に浮かべつつそこで俺を待っていた。
「おはようございます。すいませんねえわざわざ。」
謝るくらいなら呼ぶな。
「取り合えず場所を移しましょう。立ち話もなんですから。」
俺たちはいつもの喫茶店に入り、窓際の禁煙席へと案内された。
コーヒーを2杯注文する古泉。
「コーヒーはいいから、早いとこ本題に移れ。緊急事態って何だ。」
俺がそう言うと古泉は、
「無論そのつもりです。事態は急を要しています。」
と前置きしいつになく真剣な表情で語り始めた。
「あなたと涼宮さんの間に何かがあったことは、既に予想しています。大方あなたがクリスマスイブにデートに誘われたとか、そんなとこでしょう。」
いきなり図星かよ。
「二日前の放課後から涼宮さんの精神は非常に不安定な状態にあります。閉鎖空間の発生頻度、大きさ、神人の出現数など、どれを取っても過去に類を見ないほどに。これは危惧すべき事態です。」
俺は息を飲んだ。
「過去に類を見ないっていうのは・・・あの時よりヤバイってことなのか。」
俺はハルヒと共に閉鎖空間に閉じ込められた時のことを思い出していた。
「その通り。一昨日の午後9時ごろから、約2時間半周期で閉鎖空間が発生し続けています。これは異常です。
あの時は長い時を経て積もり積もった涼宮さんの日常への怒りや不満が爆発した、という感じでしたが、今回は違います。
それまでは非常に安定していた精神が、一昨日の放課後を境にして急激に不安定化しています。
おそらくその時涼宮さんにとって信じたくない、許しがたいことが起きたということでしょう。」
それがあの一件か。
「やはり心当たりが・・・あるようですね。」
ああ、あるさ。
「俺にどうしろと?」
俺の問いに対して古泉は意外な反応を見せた。
眉を寄せ困った顔を作った古泉は申し訳なさそうに言った。
「明確な解答を差し上げることはできません。しかしこの事態はもうあなたにしかどうすることもできないでしょう。
我々の抵抗も、もはや時間稼ぎでしかありません。」
「また前みたいなことが起きるってことか?」
灰色の空間に取り残される俺とハルヒ・・・破壊の限りを尽くす神人・・・新世界の構築。
「近いうちに、必ず。僕としては最悪の事態は未然に防ぎたいものです。あなたにならそれができる。僕はそう信じています。」
信じられても困るんだが。
「申し訳ありません。何分事態の発生から悪化までが急過ぎるので、『機関』としても次に何が起こるのか予想がつかないんです。不甲斐無いことこの上ありません。
しかし、あなたならこの事態を収拾できるはずです。僕にはそう思えてならない。」
そんな話をされても、どうすりゃいいかなんて俺には皆目検討もつかん。またハルヒと二人で閉鎖空間はごめんだ。
「ちなみに最悪の事態が生じた場合前回と同じようにあなた達がこちらへ戻ってこられるか、と問われると保証はできません。
以前のようにこちら側から僕や長門さんが閉鎖空間内に干渉できる可能性は限りなく0に近い。」
「なんでだよ。」
「免疫ができてしまっているのですよ。僕や長門さんは涼宮さんの作り出す新しい世界にとってはイレギュラーな存在。つまり、ウイルスのようなものです。
体内に一度侵入したウイルスに対しては免疫ができる。それと同じことです。」
俺は絶句した。マジかよ。なんてこった。ラブレターの一件がこんな事態を生み出すなんて。
万が一もう一度あっち側の世界に閉じ込められた場合、俺は長門や古泉の助言なくして戻ってこれる自信なんてない。
「ですから、最悪の事態は未然に防ぐべきなんです。僕は今回、機関の人間としてでは無く一親友としてあなたにお願いします。この世界を、SOS団を救ってください。」
一体どうやって?俺はお前のような超能力者ではない。未来人でもなければ、宇宙人でもないんだぞ。
「それはあなたにしかわからない。いえ、あなたは既に『答え』を持っているはずです。気づいていないだけだ。」
ウエイトレスがコーヒーを運んでくる。
「残念ですがあなたとコーヒーを飲んでいる時間はなさそうです。そろそろ僕も仲間たちのもとへ向かわなくては。
代金なら僕が持ちますのでご心配無く。失礼します。」
そう言い残し、古泉は喫茶店を後にした。取り残された俺は一人呆然と座り込む。
一親友としてお願いします、か。なんだかその言葉はむず痒い。
『答え』を持っている・・・俺が。なんのこっちゃ。
結局俺も古泉の注文したコーヒーには口をつけず早々に喫茶店を後にした。
世界崩壊の危機。今しがたの古泉の話は俺の心に重くのしかかった。
どうすればいい?いくら頭を捻ってみてもわからん。
もう考えたくない。
俺の精神だってここ最近はアンバランスだ。きっとハルヒと同じくらい。
これ以上懸案事項を抱えたくはない。
まっすぐ家に帰る気にはならなかった。
帰っても何もすることがないし余計な考え事をしてしまいそうだ。俺はなんとなく駅前をぶらつくことにした。
昼前時の駅前は祝日とあってそれなりの賑わいを見せ始めていた。
目の前を過ぎる人々の晴れやかな笑顔とは裏腹に俺の心は憂鬱だ。俺の横を4,5人の女子中学生らしき集団が通り過ぎる。
と、その奥に見覚えのある後姿が見えた。北高の制服に簡素なダッフルコートを羽織ったショートカット。
「長門!」
人ごみの中に対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースがひっそりと紛れ込んでいた。
俺の声に気づいた長門がゆっくりと振り返る。
「何してんだ?こんなとこで。祝日にお前と出くわすなんて珍しいな。」
その場から動かない長門に俺は自分から近づいていって声をかけた。
「プレゼント、」
長門は俺の目の前に赤の包装紙と金のリボンでラッピングされた包みを差し出した。
「買いに。」
そうか。そう言えばプレゼント交換がどうのこうのとハルヒが言ってたな。
それにしても何を買ったのだろう。
「内緒。」
正論だな。ふと、思い立つ。
「良かったら昼飯いっしょに食わないか?おごるからさ。」
俺の問いに長門はコクリと頷き、「いい。」と同意を示した。
俺たちは手ごろなハンバーガーショップを見つけそこで昼食を取ることにした。
しばしお互い無言でハンバーガーとポテトを貪る。はたから見たら恋人同士・・・には見えそうもない。
「なあ、長門。」
チマチマとポテトを頬張る長門に俺は声をかけた。
「聞きたいことがあるんだ。」
俺は長門に先ほど古泉から聞いた話をところどころ割愛しつつ話した。
ハルヒと俺の間に何があったかは極力ボカしつつ、閉鎖空間がこれまでにない頻度で発生していること、
このままだとまた前回の様な事態が発生する恐れがあること、その場合もとの世界に戻る可能性は0に近いということ。
「なあ、お前はどう思う?」
無機質な瞳で俺の顔を捉えた長門はこう答えた。
「一昨日の午後9時からいずれも涼宮ハルヒが発信源である中規模の情報フレアが定期的に観測され続けていることは我々も認知している。
古泉一樹の言うことは恐らく正しい。近日中に涼宮ハルヒによって再び新世界の構築が成される可能性は高い。」
「マジか。」
「マジ。このことに関して統合思念体の急進派の一部は強い関心を示している。
しかし多勢はこれは危惧すべき状況であり事態が発生する前に収拾をつけるべき、という意見が占めている。」
そう言いつつも長門の表情からは焦りなどが感じられない。もともと無表情で何を考えているかなんてわかりかねるが。
「長門、お前ならなんとかできるのか?ハルヒが世界を創り変えちまう前に。」
「それは無理。何故ならこれは涼宮ハルヒの不安定化した精神が生み出した事態。我々は涼宮ハルヒの精神に干渉する術は持っていない。
この事態に収拾をつけるのは、」
長門はそこで言葉を区切り俺を指差した。
「あなた。」
また俺か。古泉といい長門といい。
しかしさっきから長門の様子はおかしい。言ってることとは裏腹にこいつ自身は何も危機感を感じていないように見える。
今日だってのん気にクリスマスプレゼントの買い物なんかしてる場合じゃなかったんじゃないのか?
「わたしという個体は今回の事態に焦燥感や危機感を覚えてはいない。この事態はあなたと涼宮ハルヒが生み出したもの。二人の問題。私の力ではどうすることもできないのが事実。
それにあなたはもう『答え』を知っているはず。」
古泉と似たようなことを言い出しやがった。なぜそんなことが言い切れる。
「あなたを信じているから。」
信じている、か。淡々としたいつもの口調だがその言葉には重みがあるな。
「あなたはあなたの思うまま行動すればいい。自分の気持ちだけを信じればいい。」
俺の、気持ち?
「わたしもあなたを信じる。」
長門はそう言ったきり口を閉ざした。
―長門と別れた俺は自宅に戻り、自室で二人の話を思い返していた。
俺が既にこの事態を収拾する『答え』を持っている。長門と古泉は口を揃えてそう言った。
その答えがなんなのか俺には検討もつかない。
どうすればいい?自問を繰り返す。
ハルヒめ。あいつは何を思って灰色の無人空間で巨人を暴れさせているんだ。
俺がたった一通ラブレターらしき文書を受け取っただけじゃねえか。
ハルヒの泣き顔と電話での台詞が同時に蘇る。
『あんたの好きにしていいわよ。』
お前はそう言ったじゃねえか。
世界を創り変えるくらいなら、俺の襟首をつかんで離さなければいいだろ。
俺のネクタイを引っつかんで、またあの部室に引きずり込めばいいだろ。
泣きべそをかいたあげく俺のことを突き放すなんて、お前らしくないんだよ。
ならば俺はどうなのだ。
この場合俺らしい行動っていうのは一体なんだ。
ラブレターを貰ってクリスマスイブに女子とデートなんて既に俺らしいとは言えないんじゃないのか?なあ俺よ。
でも俺はこういう高校生らしい恋愛に憧れていた。違うか?
違うな。違う。断じて違う。思い出せ、俺の隣にはいつも誰がいた?
俺の手を引き、魔法以上にユカイな世界へといざなってくれたのは誰だ?
そうか、俺は。
俺は自分の気持ちに初めて気がついた。これが『答え』なのかどうかはわからないが。