団活を終えた後、長門と坂を下りたところで落ちあい、そのまま長門につれられて日の暮れ始めた道を歩いた。半ば予想はしていた事だが、長門はいつものマンションに向かう道でなく、むしろ駅前の喧騒に向かうのとは逆方向の田園地帯へと向かって行った。
 
 「あのマンションは、あなたとコンタクトを取る為に用意していた仮の住まい。私の本当の住居は此処。誰かを上げるのは、貴方が初めて」
 
 のどかな光景の中を超えて行き、大きな坂道を一つ登ったところで、長門は振り返り、俺の顔を見ながらそう言った。そして、目の前の巨大な門に手をかけ、俺をその中へと導き入れる。俺はめまいを覚えながら、当たり前のように歩み進む長門の背中を見失わぬ様に努めた。
 これ、公園じゃなくて、庭なんだぜ?
 
 
     ◆
 
 
 市役所か美術館かのそれと見紛うような両開きの扉をくぐった先では、広大な玄関と臙脂色の絨毯の敷かれたエントランスが、俺を待ち構えていた。多丸さんの別荘よりもいくらか広い気がする。少なくとも、見た目の豪勢さで行けばこちらの圧勝だ。
 「どうぞ」長門が先に上がり、俺の前に来客用のスリッパを出してくれる。促す言葉が添えられているあたり、やはり普段の長門と少し違っている。促されるままにローファーを脱ぎ、スリッパに足を通す。心なしか、うちのスリッパよりも履き心地がいい。
 
 「お帰りなさい、有希」
 
 見たことも無い艶を放つ絨毯を踏もうか踏むまいか迷っていると、凛とした声と共に、奥から一人の女性が現れた。清潔そうな白のセーターとロングスカートに身を包んだ、四十代前半ほどの、長門に良く似た綺麗な女性だ。その人物が一体何者なのかは、最早考えるまでもない。
 

 「ただいま、お母さん」
 
 長門は、セーターの女性――どうやら長門の母親であるそうだ――に一言言葉を返すと、俺の顔をちらりと見て
 「彼が電話で話した友達」と言葉短く紹介した。
 「は、初めまして」慌てて挨拶をし、名前を名乗る。思わず声が上ずってしまう。
 長門の母は、俺の顔を一秒にも満たないくらいの短い時間見つめた後で、解れるような微笑を浮かべ
 「いらっしゃい、ゆっくりしていってね」
 と、言ってくれた。
 
 「こっち」
 
 長門の母に挨拶をしている間に、長門はエントランスの奥へと進んで行っており、階段の一段目に足をかけた体制で、俺を呼んでいた。俺は長門の母に頭を下げると、いちいちフカフカと気持ちのいい絨毯の上を踏みながら長門の背後まで駆け寄った。
 長門は俺が追いついた事を確認すると、三、四人なら並んで昇降出来そうな階段をすいすいと上って行き、三階まで上ったところで、向かって左側の廊下へと進んで行った。廊下は、学校の校舎の廊下よりはいくらか短いだろうか。しかし、その分を補うように、バッチリ二人が裸で跳ねても頭をぶつける心配ないほどに天井が高い。言い忘れていたが、この家の敷居を跨いでからと言うもの、俺は眩暈を覚えっぱなしだ。
 長門は階段側から数えて三つ目のドアを開き、十六歳の少女の部屋としては随分と無愛想な(けれど、宇宙人少女の部屋として考えたら意外なほどにチャーミングな)空間へと俺を招き入れた。例に漏れずというか期待を裏切らずと言うか、俺の家の居間よりももう少しばかり広い。学校の教室よりは狭いだろうか?
 
 「どうしたの?」
 
 入り口のそばに突っ立ったきり、呆然と室内を見回している俺に対して、長門は小首をかしげながらそう尋ねてきた。長門は既に壁際の机の上に鞄を置き、部屋の中央に置かれたちゃぶ台の脇に、俺の為の座布団を用意してくれていた。青いチェック柄のクッション生地のものだ。
 
 「いや……正直、びっくりしててな。お前にお母さんがいて、こんな立派な家があったなんて」
 
 そう言いながら、俺は自分の言葉に疑問を持っていた。それら本当に以前から存在していたのだろうか。この家も、さきほど出会った長門の母も、或いはハルヒの力によって、この数日の間に生まれた存在なのではないのか? 
 部室で長門が口にした言葉が、頭の中に蘇ってくる。
 
 ――私の置かれている環境について世界の改変が行われた。
 
 「あの人も、その……情報統合思念体関係の、インターフェイスとか、そういうのなのか?」
 「ちがう」
 
 長門は俺の問いかけに対して、電気ポットでお茶の準備をしながら、言葉短く返答した。
 
 「両親はあくまでも普通の人間でしかない。私が情報統合思念体によって造られた生命体であることも知らない。情報統合思念体は、私という固体がこの世界に生まれ、この場所に留まる為の術として、十六年前、私をお父さんとお母さんの娘という媒体を介し、この地球上に誕生させた。私は三年前に誕生したと言ったけれど、それは正確には、私がヒューマノイド・インターフェイスとしての存在意義に目覚めた時間であり、実質は十六年前から存在しつづけている」
 「じゃあ、あの人は正真正銘、お前のお母さんなのか?」
 「そう」
 
 俺の前に、可愛いらしいティーカップに注がれたストレートティーが差し出される。
 
 「……それがどうかしたの?」
 「いや、なんでもないんだ」
 俺はカップに口をつけながら、現状を理解しようと、必死で頭をめぐらせた。長門の身に起きている改変というのが一体何についての事なのかは、最早考えるまでも無い。俺は誰か下世話な生徒が、普段、得体の知れない謎の女性ととして通っているであろう長門について、変わり者なのは育ちが浮世離れをしているからだ。などといった噂話を吹聴している光景を思い浮かべてみた。
 間違いない。この環境は全て、噂話が生んだ物だ。それならば、この突然豊かになった長門の表情の説明も着く。長門はつい先日までは本当に三年前生まれたばかりの、家族を持たないインターフェイスだった。けれど今、長門には記憶がある。十六年間と言う月日を、あの長門の母と共に(そしておそらく、長門の父とともに)過ごした記憶だ。そして、その日々を滞りなく過ごすには、以前の長門には欠けていた感情を表現する力が必要だ。だから今、長門には、以前よりもずっと顕著に変化する表情が備わっている。
 そして、長門は知らない。その感情を表現する力も、十六年間の記憶も、全ては昨晩一夜のうちに――俺の知る限りなら、長門の表情に変化が会ったのは今日が初めてだ――生まれたものなのだと言う事を。情報統合思念体は、長門にそれを教えなかったのだ。
 
 「……それで、昼間の話」
 
 俺が思考の渦に溺れていると、痺れを切らした長門が口を開いてきた。
 
 「私の身におきている改変というものが一体何なのか、あなたは知っているの?」
 
 長門は真っ直ぐに俺の目を見つめている。そこには真実を知ろうとする義務と……一抹ほどの好奇心が浮かんでるように見えた。
 頭の中で、シカイダーが暴れていた。
 
 
     ◆
 
 
 「例えばですよ。涼宮さんの頭の中で、長門有希=宇宙人という構図が成り立っていたとしたならば、事態はもう少し単純な……涼宮さんが固体の宇宙人でなく、一家で人間界に紛れ込んでいる、宇宙人一家の一人である。とか、そんな事にもなったかもしれません」
 
 翌日、昨日と同じような体制で、俺と古泉は、部室で向かい合っていた。今日も長門は遅れており、朝比奈さんは用事が有って団活を欠席。ハルヒはと言えば、昨日の道具集めの延長なのか校内をふらついているらしく、昼休みを境に顔を見ていない。毎度毎度ご苦労な話だが、まだ今回は、俺が一緒に引きずり回されていないだけマシな方だ。

 
 「涼宮さんは、長門さんが宇宙人である事を知りません。長門さんは、人知れず涼宮さんの宇宙人願望を満たしながら、その上金持ちのお嬢様と言う新たな配役までもを任されてしまった。涼宮さんが今もなお、宇宙人の存在を求めていたならば、ついでとばかりに長門さんの家族が宇宙人にされた可能性もありますが、生憎、今現在涼宮さんはそう熱烈に宇宙人を欲していらっしゃるわけではないようで」
 
 無責任な噂と一人の気まぐれで、一夜の内に世を忍ぶ仮の姿を作られてしまうとは、長門も難儀な奴である。いや、この場合は、本来の自分の事を、勝手に世を忍ぶ仮の姿にされてしまった事になるのか。
 全くややこしい。ああややこしい。ややこしい。
 
 「それで、長門さんにはどういった説明を?」
 「どういったも何も……あいつの親玉が説明しなかった事を、俺が勝手に説明するわけにもいかんだろうが」
 「では、どう切り抜けたのですか? 今の長門さんは……見た限り、なかなか情熱的で、あなたの性格では、そうそう上手く逃げられそうに思えないのですが」
 「妹から電話があったんだよ。昨日は母親が帰ってこないの忘れてたんだ。妹を一人にしとくわけには行かないし、この時間まで女の子の部屋に上がりこんでるってのも……って事で、無理やり逃げて来たんだ」
 「本当に無理やりですね。大丈夫なのですか? この先も逃げ続けられます?」
 「それ無理。だから、うまい言い訳を考えて貰おうと思ったんだ」
 「僕にですか? 参ったなあ、これでなかなか忙しいんですが。来週は撮影が多くて」
 「だからこの場で考えてくれと言っているんだ」
 
 古泉は肩をすくめるアメリカンアクションと共に溜息をついた。溜息についてはちょっとした権威である俺に言わせれば、鼻の空気の抜き方が甘い。
 
 「分かりました、考えますよ。大丈夫です、これでもそういう小細工は得意なほうなんです」
 「ゲームには弱いけどな」
 「大丈夫です。すぐに、とは行きませんが、貴方がこの部室を出て行くまでには、ちゃんと……」
 
 ――♪ギュルンギュルンギュルーン クーダケー……

 -非通知-……ではなく、涼宮ハルヒ。鳴っているのは俺の携帯だ。
 

 『キョン、今どこにいるの? ちょっと今から、駅前のマンガ喫茶まで来なさい。三分以内!』
 
 ブツリ。
 
 「……さあ、時間一杯です。古泉さん」
 「すみません、ドロップアウトです。御武運をお祈りしていますよ」
 
 ……俺の安心は何処にあるんだ?
 
 
    ◆
 
 
 「遅い、何処に居たのよ?」
 「部室に決まってんだろ」
 
 世の中にはブツリの法則と言うものがあり、百メートルを八秒で走れもしない俺がどれほど頑張っても学校から駅前のマンガ喫茶までの距離を三分で移動する事は不可能なのである。自転車を過大評価するのはよくない。
 
 「みくるちゃんがいるのよ、隣のブースに」
 
 指定されたのペア席にたどり着いた俺を無理やりに椅子に腰掛けさせたハルヒは、唇の前で人さし指を立てながら、声を潜めてそう言った。
 
 「朝比奈さんが?」
 「そうよ。部活にも来ないで、最近何してるのかと思って、後をつけてみたのよ」
 
 何かと思えば、午後の授業をサボってそんなことしてたのか、お前は。
 

 「違うわよ。放課後になってたまたまさっさと帰ろうとしてるみくるちゃんを見かけたから、追いかけてみただけ。そしたら、此処に入ったっきり出てこないの。聞き耳を立てて見ても何の物音もしないし……おかしいでしょ? 何か、事件の匂いがするわ」
 
 ハルヒの眼はどう見てもマジだ。其処には事件の予感に対する期待と、団活をすっぽかされている事に対する不満――そして、朝比奈さんを心配する気持ちも含まれていると思いたい――それらがありありと浮かんでいた。長門がいくら感情豊かになったとは言え、ハルヒのこの、丸裸の感情が飛び回るような表情には敵わない。千年立っても届きそうにない。
 
 「それで、どうするって言うんだ?」
 「後をつけるのよ、出てくるのを待って」
 「尾行じゃないか。プライバシーの侵害だ、朝比奈さんの人権をなんと心得る」
 この時代の人間でない朝比奈さんに、人権があると言って良いのかどうかは今ひとつ煮切れないが。
 「団員の素行を見守り、管理するのは団長の務めなのよ!」
 
 このハルヒ、自分の行動に疑問を持つ気はさらさら無いらしい。俺はお決まりの溜息をつき、それ以上ハルヒを制止しようとするのは諦めた。いい加減に毎度の事だ。ノリノリのハルヒに俺の言葉などが届くなら、初めからこんな世界は生まれていないはずだ。あ、これはただ格好をつけてみただけだぞ。世界がどうとか、俺はそんな大仰な事を真面目に言及するつもりは毛頭無い。
 
 「なら、どうして俺を呼んだ」お、このセリフも聞き様によっては格好いいな。人間、疲れてくるとどうでもいい事ばかりを考えるものだ。
 「みくるちゃんがいつ出てくるか分からないじゃない。あたし一人じゃ、入れてもらえないところに行く可能性だってあるわ」
 「お前一人じゃって……そりゃ例えば真夜中とかの話だろ? お前は一体どれだけ粘るつもりだ? 親御さんが待ってるぞ、せめて晩飯ぐらいまでには……」
 「晩御飯なんて食べなくても、死なないわよ!」
 
 ……はい、これ無理。俺は自分の無力さを痛感しながら、連日で無断外出などをすると後が怖いので、今日の昼にご帰還なされているはずの母の携帯電話に一言断りのメールを入れ、せめて明日の登校に差し支えのない時間までには帰宅できるようにと、目の前の神様の気分が早めに変わってくれる事を祈った。
 
 
    ◆
 
 
 俺が店に入ったのは午後五時前後。それからまる一時間ほど、せまくるしいブースの中でハルヒと無駄な時間を過ごした。
 たまにドリンクか漫画を取りに行かされる以外は、室内で隣の部屋の様子に気を配っていたのだが、誰かが何かをしたり、部屋を出入りするような気配は一つも感じられなかった。本当にこの壁の向こうに朝比奈さんがいるのだろうかと疑わしく思えてくるほど手ごたえが無い。
 ハルヒは終始眠たそうに、マンガ本のページを繰ったり、あくびをしながらパソコンを眺めて居たりした。
 
 「眠そうだな、大丈夫か?」
 「うーん……まあね。ちょっと寝不足。情けないわ……あんた、代わりに見張ってて」
 
 などと言いながら机に顔を伏すものだから、俺は思わず頭の上にドリンクのコップでも置いてみてやろうかなどと考えたのだが、流石に若い身空で首を折られたくはないので、自重しておいた。そんなこんなが丸一時間。朝比奈さんの部屋から反応はなかった。
 午後七時へと差し掛かる二時間目もとくにどうと言うことは無く過ぎ、ハルヒはうとうとと夢と現実の間を行き来しながら、ジュースとカフェオレを交互に口にし、俺は犬夜叉とめぞん一刻を交互に読みながら、時代の移り変わりを想い、ノスタルジックな気概に深けて見たりした。
 途中、食べても死なないはずの晩御飯と称して、煮過ぎた銅線のようなソース焼きそばが二皿と、皿の中央にとても冷ややかな地帯を抱え込んだ南半球的エビピラフ一皿とが俺たちのブースに運び込まれた。焼きそばが味のほうまで銅線であったか銅かは、俺の口には入っていないので分からない。まあ、ハルヒが特に文句を言わなかったので、そう悪くは無かったのだろう。
 最後の三時間目ともなればもう俺の気も晴れたもので、これは今流行のネカフェニートもといネカフェデートなのだと割り切り、テンションの値を高い位置に保ったまま夢うつつのハルヒの下へと戻った俺は、ジンジャーエールと氷で満たされた絶対零度のグラスをハルヒの頬に抜き打ちで押し当て、ふくらはぎに宿命的な痛みを植えつけられたりなどした。
 その後、大概やることもつき、コンビニのアイスクリームの四倍ほどの値段のアイスクリームの味でも見てやろうかと考え出した頃。
 隣室にて、ようやく動きがあった。
 

 「出たわ、行くわよ」
 
 それまで仮死状態だったハルヒは、隣のブースの扉が開く音がするや否や飛び起き、壁のコートと学生鞄を抱え、廊下の足跡が角を曲がるのを待ってから、俺が着いてゆくのを待たずに飛び出して言ってしまった。
 俺は慌てて後を追いかけ、支払いカウンターで店員に捕まった。
 
 「三時間お二人様いぇ六千円ぃあいあーす」
 
 ハルヒには今度、フリータイム料金と言うものがある事を教えてやらなければならないようだ。
 
 「あじゅじゅしたー」
 
 
     ◆
 
 
 時刻は午後八時。いい加減込み合い始めた駅前で、俺よりも随分と早く出て行ってしまったハルヒと再び合流できたのは殆ど奇跡に近い。携帯電話を使えば楽勝だったのだろうが、どういうわけか俺たちは二人ともその手段を思いつけなかった。
 (というか、ハルヒはそもそも俺の存在など忘れてしまっていたのである)
 夜の街に置き去りにされ、いっそこのまま帰ってしまおうかと駅前に向かった俺は、改札を抜けて(切符は買ったんだろうな?) 二段飛ばしで階段を上がってゆくハルヒの後姿を見つけ、慌てて切符を購入し、ハルヒが上って行ったのと同じ階段を駆け上がった。ホームにはちょうど電車が来ており、俺は反射的に、閉まり始めていたドアの間に体を滑り込ませ、周りの乗客の顰蹙を買う羽目になった。
 ハルヒは俺が乗ったのと同じ車両の、隣の車両へ続くドアの付近に立っており、忌々しそうな目で俺を睨みつけていた。俺が駆け寄ると、ハルヒは俺の脛を蹴り飛ばした後、ドアの窓から隣の車両を指差した。その先には、俺たちには気付かず、窓の外をぼんやりと眺めている朝比奈さんの姿がある。
 
 「おかしいわよ、こんな夜になってから」
 「普通に家に帰るだけじゃないのか。お前、朝比奈さんの家、知らないだろ?」
 「そうだけど……だとしたら、それだけなのを確かめなくちゃならないわ」
 

 息巻くハルヒの目を見て、俺はほんの少しだけ安心した。それはなんの気はなく出た言葉なのかもしれないが、少なくとも、ハルヒは朝比奈さんを心配する気持ちが少なからずあって、この尾行を行っているようだ。
 それに、事実俺としても、朝比奈さんの行動には不審な点を感じざるを得なかった。三時間以上もネットカフェに留まった後、帰宅ラッシュも過ぎた頃の電車で繁華街へと向かってゆく女子高生。どう考えても、あまりまともな筋書きではない。
 朝比奈さんは四駅先で降り、俺たちもその後に続いた。ハルヒは定期券があるので問題なかったのだが、俺の買った切符は二駅分までの料金しか満たしていなかったため、ハルヒに急かされながら乗り越しの清算を行い、それで少し時間をロスしてしまい、またもや神様の顰蹙を買うことになった。凍てつく視線が怖い。
 ロータリーに出た俺たちは、人とネオンで溢れ帰る街を見渡し、朝比奈さんの姿を探した。探すまでも無く、彼女はすぐ目の前の長い赤信号でつかえていた為、俺とハルヒは再び何とか追いつく事が出来た。大通りを暫く歩き、駅前の喧騒の端まで来た所で、朝比奈さんは通りに面した雑居ビルの裏手へと入って行く。ビルを見上げると、三階の窓に貼り付けられた色鮮やかな看板の文字が俺の目に飛び込んできて、それで大体の経緯が把握できてしまった。
 
 
    ◆
 
 
  ―――『コスプレ喫茶 Go☆To☆ThaT』
 
 
    ◆
 
 
 「いらっしゃいませ、ごしゅじゅんしゃ」
 制服姿で入店する俺たち二人への視線やら、朝比奈さんの胸部の開いたメイド服姿と凍結した表情やら、頭の中に思い出される二日前に耳にした噂やら、隣で聞こえるハルヒのテンションが上がってゆく音やら……
 朝比奈さんのこの窮地が、果たして健全なものであったと安心して良いのか、不健全極まりないものであると嘆いたら良いのか、俺には判断しかねる問題だ。近頃は色々と判断に困るものが多すぎて、非常に困る。ああ、ややこしい。

 

 
 つづく

 


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