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【仮説4】その4
 


人名など:
 
磐之媛(いわのひめ)
大鷦鷯(おおさざき)
仲姫(なかつひめ)
去来穂別(いざほわけ)
莵道(うじのわき)
稚足彦(わかたらしひこ)
気長足姫(おきながたらしひめ)
雄朝津間(おあさづま)
去来穂別(いざほわけ)
住吉仲(すみのえのなかつ)
 
狭城盾列(さきのたたなみ)
 


 
 朝早く、屋敷のまわりがやたら騒がしいので目が覚めた。外に出てみると農民が大勢押しかけていた。
「な、なんだなんだ、農民一揆か。この時代にそんなことがあったなんて聞いてねーぞ」
「陛下、落ち着いてください」
衛兵が俺の声を聞いて駆け込んできた。
「あいつら何しに来たんだ」
「宮の様子があまりに荒れ果てているので、せめて修理させてもらいたいとのことにございます。農民だけではありません、地方の司や長も来ているようです」
「そういうことか。ええっと、じゃあ頼もうかな。謁見の庭に入れてくれ」
「かしこまりました」
経費削減で衛兵も減らしたうえに屋敷の塀も崩れかけている。これが農民一揆だったらひとたまりもないだろう。
 
 俺は礼服に着替えて冠を被り、謁見の間に出た。
「陛下、税を免じていただいてから三年余りが経ちました。おかげさまで民一同、豊かな恵みをいただいて暮らしております」
「そうか。思ったより効果あったな」
「そこで、お礼とは言うほどのものではございませんが、宮の掃除をさせていただきとう存じます」
掃除というのは控えめに言ってのことだろう。
「じゃあ、頼むわ。ここんとこ隙間風がひどくてな」
免税してから天候も安定し、疫病もなかった。これも陛下のご尽力によるものです、などと祭り上げられてしまった。俺は知らないが、この時代には伝染性の病気も多かったらしい。ワクチンとかないしな。
「あーそうだ。ついでに免税を三年延ばそう」
「なぜにござりますか」
「みなが飯を食えるのが俺にとってなによりの幸せだからな。それに三年後には税制を戻して、墓を作るのに人を集めたい。それまでは楽に暮らしてもらいたい」
あと三年くらいなんとかなるだろう。地方行政はヒィヒィ言ってるが、自力でなんとかしろとしかりつけておいた。たぶん俺の代が終わったらきつい年貢と徴兵で庶民は苦しい生活に逆戻りすることになる。だったら、せめて今のうちに楽して蓄えておいてほしい。
 
 掃除の邪魔だからと住人は庭に出され、ムシロを敷いてのんびり白湯を飲んでいた。屋敷はきれいにかたづき、屋根の杉皮も藁も新しいのに取り替えられている。壁の穴もきれいに塞いでくれたようだ。日本の家ってリフォームしながら住む造りになってるんだよな。
 みんなで飯を食ったあとボランティアの修繕チームは帰ってゆき、俺は倉庫の食料が増えていることに気がついた。あいつらが置いていってくれたらしい。食料だけではなくて布やら食器やらも備えてくれている。自主的に献じるのが本当の貢物なんだよな。ありがたやありがたや。
 
 磐之媛の喪が明けた翌年の一月、長門が正式に皇后の位を継ぐための立后の儀が行われた。ハルヒがいなくなったのでその後釜というわけだ。まだ免税中で、財政が厳しいので親類と地元の家臣だけを呼んで質素に執り行った。
 
 長門が皇后の位に就いた日、二人で高台に登った。
「……」
「どうした?」
「……鹿が、鳴いている」
俺は耳を棲ませてみた。どこか遠くでキュンキュンと鳴く声がしている。
「ほんとだな。あれはたぶん雄が雌に呼びかけてるんだろう」
「……そう」
ここから海までの間に葦の生えた広い野原がある。ときどき鹿が出るというから、そのどこかで鳴いているのだろう。
「……あの鳴き声を聞くと、妃を欲しがった人の気持ちが分かる気がする」
長門にしては感傷的なセリフだ。何が言いたいのだろうと俺は長門の表情を見た。
「それは俺のことかな」
「……」
長門は何も言わなかった。
「それにしても、ハルヒにはすまないことをした」
「……そう」
「あいつを妃にしなかったら、もっと幸せな人生があったかもしれん。あいつが誰かを選ぶ自由を奪っちまった気がする」
「……あなたは、彼女には彼女の人生があるということを知るべき」
「そう。そうだよな」
俺は遠くの景色に視線を移した。つまり長門は自分だけを見ていてほしい、そう言いたかったのだ。
「すまんな、お前が正しい」
 なぜだか分からんが俺はハルヒに影響力を持っている。望むならコントロールもできる。だがハルヒにはハルヒの、自分の意思で選ぶ道があるはずだ。それを忘れてはいけないんだと思う。それはこの時代でハルヒを妃にしたことだけじゃなくて、七夕の日に遡ってのことでもあるんだが、俺がそれに気がつくのはもう少し先の話だ。
 
「お前に最初に会ったのは、文芸部の部室だったな。あれから十一年か」
過去に来ている俺からすると計算がややこしいが、いまや二十八歳か。気がつかないうちに年を取ったもんだ。
「……そう。わたしはもっと長い」
「だよな。七夕のときすでに会ってたわけだしな。あのときの三年間、どうやって過ごしてたんだ?」
「……あなたのことを、考えていた」
「どんなことを?」
「……わたしたちの、未来」
長門はその間、夢を見ていた。俺たちと会ってどんな生活をするか、どんな出来事が起こるか。これはその夢の一部なのかもしれない。
 長門の長い髪がさらさらと冷たい風に泳いだ。俺は長門を抱き寄せた。俺の胸に体を預けた長門の髪をなでつつ、二人で日が暮れるのを見ていた。
 
 鶴屋さんの具合がよくないらしい。ここ一ヶ月ほど寝たきりの状態が続いている。俺はよくない予感がして古泉に書簡を出した。もし帰ってこれるなら、ひと目会いに帰って来いと。
 
 鶴屋さんの容態は悪くなる一方だった。この時代の人にしては長寿で、そろそろ百歳になると聞いている。俺は長門と朝比奈さん、それから子供たちを連れて見舞いに行った。
「おぅ、大鷦鷯。よく来てくれた。皆も近こう寄れ」
「おばあさま、お加減いかがですか」
「このとおり、歳相応さね」
燭台の光でよく分からないが、あまり顔色はよくなさそうだ。
「お主の夢を見たところじゃ」
「どんな夢でしたか」
「妙な世界じゃったのう。家は山より高く、鉄の箱が走っておった。お主たちは見慣れぬ服を着ていた。イワにゃんと仲姫がウサギの耳をしておったが、あれはいったい何ぞ……」
鶴屋さんは考え込むように夢の様子を話していた。この人には未来を見る能力があるんだろうか。
 
「大鷦鷯、ずっと聞きたいと思っておったのじゃが……」
「なんでございましょう」
「妙なことを聞くが、お主はどこか別の世界から参ったのではないかと、な」
「え……」
鶴屋さんの口からこんなセリフが出ようとは想像していなかった。俺はどう応えたものか口をもぐもぐさせて迷っていた。本当のことを話すか、適当にごまかすか。
「おばあさま、お話しておきたいことがあります」
「なんぞ、申してみよ」
「信じられないかもしれないですが、実は俺は、この時代の人間じゃないんです」
朝比奈さんがキョンくんと叫びそうになって口を押さえた。なぜだか俺は、これ以上鶴屋さんに嘘をつくことができなかった。鶴屋さんは俺の顔をまじまじと見つめ、それから長門と朝比奈さんをじっと見つめた。
「さようか、ずっとそんな気がしておった。どこから参ったのだ?」
「ずっと未来です」
「そうであったか。お主たちはどこか違う星から舞い降りたのではないかと疑うておった」
「今まで黙っていてごめんなさい」
「よきかな。人それぞれ秘密もあるでの」
鶴屋さんは目を細くして笑い、腕時計を外して俺の手の上に置いた。
「これは、お主の時代に持って帰ってたもれ。余の時はそろそろ尽きるでの」
長らく鶴屋さんの腕の上で時を刻んできたこの腕時計も、歳相応に古びてくすんでいた。
「時計をかわいがってくれてありがとうございます」
「なに、礼を申さねばならんのは余のほうじゃ」
話し疲れたらしく、ぐったりと横になった。
「去来穂別、子供ら、近こう寄ってたもれ」
鶴屋さんは去来穂別の頭に手を触れた。
「お前たちは大和を背負って立つ。大陸の国とは仲良くやってたもれ。新羅も伽羅も高句麗も、もちろん百済もな。忘れるでないぞ」
子供たちはうなずいた。これから先、半島には何度も出兵して負けて帰ってくることになるのだが、それはこいつらの時代の話だ。
 
 部屋の外が騒がしい。具合が悪いのに客が押しかけたらしい。いったい誰だ。
「おばあちゃん、おばあちゃんどこ!?」
衛兵が止めるのも構わず、誰かが駆け込んできた。あとから古泉が申し訳なさそうに入ってきた。ああ、帰ってきたのか、間に合ってよかった。
 俺は古泉に耳打ちした。
「って古泉、早すぎるんじゃないのか。昨日書簡を出したばかりだぞ」
「虫が知らせたんだそうです。僕がふんもっふで涼宮さんを抱えて飛んできました」
古泉は男物の衣装を着たハルヒを指した。
「って、ふんもっふのことをどう説明したんだ」
「僕はラマ僧なんです、と」
前にも使わなかったかそのネタ。まったくご苦労だな。
 
 鶴屋さんはぼんやりと目を開け、目の前に迫る男が誰なのか一瞬分からなかったようだ。
「おおぅ、帰ってきたのかい。それとも、お迎えに来たのかい」
「帰ってきたのよ」
「黙って行っちまうなんてひどいじゃないかえ……」
ハルヒはごめんねごめんねと何度も繰り返しながら泣いた。鶴屋さんはハルヒの頭をなでなでしながら目を細めた。俺は部屋から侍女と衛兵を出し、俺たちだけにしてもらった。
「イワにゃん、大鷦鷯のことを許してやってたもれ。あれは余が命じたこと。許しておくれ」
「そんなこと、もういいのよ。キョンがバカなのは元からだしね」
ええ、ええ、おっしゃるとおりですよ。
「未来にお帰り。お主の家はそこなのじゃろう」
「そうね、そのうちね。今はこの時代が楽しいの」
「さようか。それはなにより」
 それからハルヒは、俺たちの時代のことをあれこれ話した。朝比奈さんのこめかみに冷や汗がいくつも浮かんでいたが、まあ他人の秘密には干渉しないという鶴屋さんのことだ、問題あるまい。
「イワにゃん、お主もさっさと連れあいを見つけるがよい」
「連れあい?」
「好きな男を見つけて、早く一緒になれと」
「わ、分かったわ」
ハルヒの顔は真っ赤になった。未来に帰ったら見合いのひとつでもさせてやるか。
「それにしてもイワにゃん、なんという格好をしておる」
くるりと振り向いたハルヒの顔には中国武将っぽい髭が生えていた。全員がぷっと吹き出した。なんて顔してんだ。
 鶴屋さんは疲れたのでちょっと休ませておくれと言い、スヤスヤと眠り込んだ。ハルヒの顔を見て安心したのか、なにかに充たされた血色のいい寝顔だった。俺は腕時計を枕もとに置いてやり、音を立てないように全員を部屋の外に出した。
 
「母上、その格好はいただけません。なんてはしたない」
長男の去来穂別が、ハルヒがするようにピクと眉毛を釣り上げて言った。ハルヒは日焼けしてたくましくなっていた。腕っ節も心持ち太くなっているような気がする。殴られたら痛そうだ。髪は中国風に結ってはいたが手入れしてないらしくボサボサにはねていた。ちょっと見にはやぼったい格好をした無精なおっさんだが、瞳だけはいつもと変わらずキラキラと輝いている。
「こ、これは変装なのよ。付け髭よ、ほら」
ハルヒは長く垂れた鼻髭とあご髭を外し、子供たちはそれが母親であることにやっと納得したらしかった。
 俺は客室を用意してもらい、そこにハルヒ親子を押し込んだ。今日は親子水入らずで過ごしてほしい。
 
 夜中に気になってそっと鶴屋さんの部屋を覗いた。長門が脇に座っていた。
「いたのか」
「……なんとなく、気になった」
俺は長門の肩に布をかけてやり、その隣に座った。しんと静まり返った部屋の中で鶴屋さんの寝息だけが聞こえる。
「長生きだよな」
「……そう」
夫にも息子にも先立たれ、太子になった莵道氏も亡くなり、俺に鉢が回ってきたのだ。その間ずっと摂政として国を守ってきた。
「……手を、握ってあげて」
俺は言われるままに鶴屋さんの手を握った。起きているのかと思えるくらいにぐっと強く握り返してきた。
 
「俺はそろそろ床に戻るよ。お前はどうする」
「……わたしはここで明かす」
「そうか。無理しない程度にな。じゃ、頼む」
長門はコクリとうなずいた。俺は長門の髪に軽く唇を触れて部屋を出た。
 
 翌朝、鶴屋さんの部屋を覗くと長門が妙にやつれた顔をして座っていた。徹夜したらしい。
「どうした」
「……夜中に、何度もあなたの名前を呟いていた」
「そうか。ご苦労だったな」
そのとき、眠っていたはずの鶴屋さんが目を開け、大きく息を吸って咳き込むようにして呟いた。
「大鷦鷯、狭城盾列に頼むよ……」
鶴屋さんはそのままゆっくりと目を閉じて息を引き取った。腕時計が止まった。いくら振っても秒針は進まなかった。俺は長門の手を握り締めた。長門も握り返してきた。
 
 俺はみんなを呼んだ。ハルヒと朝比奈さんは泣き崩れて鶴屋さんから離れようとしなかった。俺は侍女を呼んで小さな祭壇の用意をさせ、鶴屋さんの好きだった卯の花を花瓶に活けた。
 
 次の日、俺は太皇太后崩御の通達を出した。客間に祭壇を設け、親類だけの弔問を受けた。ひとつの時代が終わり、大和の国は静かに喪に服した。
 
 数年前からゆっくりと時間をかけて築いてきた鶴屋さんの寿陵が完成まぢかとなり、俺と古泉は下見に行った。すでに完成していてそこで眠っているはずの磐之媛陵の中身はただの人形なのだが、鶴屋さんが好きだったという成務天皇、稚足彦の墓を挟んでその北側に鶴屋さんの寿陵がある。長さが二百七十五メートルの前方後円墳で、丸い部分が北を向いている。まだ石室の天井は閉じられておらず、遺体を収めてからでかい石の板を被せるようになっているらしい。完成するまでちょくちょく見に行ったが、それにしてもでかい。まだ草も木も生えておらず、裸の土の山だ。
「そろそろ完成ですね。たいしたものです」
「そばで見るとでかいよな」
「向こうにあるのが稚足彦尊の墓ですね」
そっちの墓には誰かが植えたのか、それとも自生したのか広葉樹が立ち並んでいた。下草も生え、野の花が揺れている。
「その向こうがハルヒの墓だよな。本人はピンピンしてるが」
鶴屋さんの墓の、丸く山になったところに素焼きの壷らしきものがいくつも並べられてあった。人をかたどったらしい素焼きも並んでいる。どっかで見たことのある表情だ。
「おい、あのハニワ」
「どう見ても神人ですね」
古泉がクスクスと笑っている。ハルヒの発生させた神人を墓の守りとして置いてるのだろうか。俺も歴史としてこれを知っているわけで、まあこれが既定事項ならしょうがない。
 
 鶴屋さんの眠る棺桶は墓が完成するまで磐余若桜宮《いわれわかざくらのみや》というところに安置されていた。古泉によれば俺の時代の奈良県のまんなかあたりらしい。そこから墓までは北に二十キロくらいだ。
 
 それから鶴屋さんの大喪の儀を行った。方々に通達を出していたので海外からもたくさんの弔問の使いがやってきた。
 
 その日まだ日が昇る前、葬式の行列は若桜宮を出た。俺と長門の御輿を先頭に、朝もやの中を誰の声もなくしずしずと行列は進み、これといった坂道も山もない平地をゆっくりと歩いた。左手にハルヒと稚足彦の墓を見つつ、長い行列が続いた。
 狭城盾列に差し掛かったとき、長門が手を上げて行列を止めた。行進が止まったので、それまでうつむいて歩いてきていた後ろのほうの連中が何が起こったのだろうと顔を上げた。
 静寂のなか、長門がゆっくりと詠唱を始めた。
 
 やすみしし あおがおほきさき 高ししる 日のひめ 神ながら 神さりまして
 けふの日に ひつぎ過ぎゆく たまほこの 道をたどれば そのかみの
 日代宮を いまここに 仰ぎましれぬ そを見れば あが心やすし……
 
長門の、鶴屋さんの死を悼む長い長い和歌だった。静まり返った丘の上で長門の細く透き通るような声が響き渡った。神の導きで天へ往かれた気長足姫様のひつぎは、今日、今ここに道を辿っている。気長足姫様が子供の頃にいた日代宮の跡を見ていると、わたしは心が安らぐ。のような意味だったらしい。歌の詠唱は数分続いた。その場にいた全員がそれに聞き入り、かつての鶴屋さんの、子を見守る母親のような優しさと厳しさの両面を持ったまつりごとの日々を思い返しているようだった。
 
 長門の詠唱が終わると、行列は盛り上がった墓の頂上に続く道に沿って両脇に並んだ。行列の後ろからついてきていた、棺桶を担いだ従者がゆっくりと現れた。墓の頂上には、まだ蓋をしていない石室があり、そのなかにある石棺に遺体を納める。
 石棺の中に布で巻かれた鶴屋さんの体を納めるとその前に祭壇が作られ、巫女姿の朝比奈さんが祈祷を唱えた。それから祭主の俺が教えられたとおりに弔辞を読み上げると、行列の後ろのほうから太鼓と笛、小さな鐘が鳴り始めた。竹のハーモニカみたいなやつ、なんつったっけ。能楽とか神前結婚なんかで聞くアレだ。雅楽なんかこの時代にあったか?
「あれは雅楽ではなく、百済から来た三韓楽です。高麗楽とも言いますが、雅楽の元になったものです」
「お前が呼んだのか」
「ええ。この葬儀ではじめて伝えられたらしいです。既定事項なので別に構わないかと思いまして」
古泉が大陸で世話になった百済王家の弔問団らしい。こいつもたまには気の利いたまねをする。この思いがけない楽隊の登場で、葬列には感動して涙する人の姿を見かけた。
 雅やかな楽隊の演奏が終わり、屈強な男数人が力を合わせて石棺の蓋を閉じた。あとは上から石室の大きな岩の蓋をして、土を被せる工事が終ると完成する。
 
 滞りなく大喪の儀が終って、俺たちは腰を下ろしてそこからの景色を眺めた。
「これが僕たちの時代まで伝わっているとは、なんだか感慨深いですね」
「歴史の勉強をしておいてよかったわ」
朝比奈さんが言った。時間常駐員は歴史の成績がいいだろうな。たまに間違えたりするのがこの人のお茶目なところだが。
「次は、僕たちの番ですね」
「キョンに有希、タイムマシンはいつできるの?」
「その話なんだが、もう少し待ってもらえないだろうか」
「なにか不都合でもありましたか」
「いや、今ここで政治を放り出したらまた庶民が貧乏に逆戻りしそうな気がするんだ。せめて俺がはじめた免税の分、財政状態が戻るまで待ってもらえないか。それに子供たちのこともあるし、いきなりいなくなったりしたら悲しむだろう」
俺は長門とハルヒの間に座っている雄朝津間を見た。
「ええ、いいわ。あたしも向こうでの生活がだんだん楽しくなってきたところよ」
お前が楽しいってことはまわりが後始末に苦労してるってことで、あんまり歓迎すべき事態ではないんだが。そういえば古泉、お前白髪が増えたんじゃないか。
「タイムマシンは必ず完成するから、雄朝津間が俺たちの手を離れるまで、もう少し待ってくれ」
ハルヒはうなずいた。急いで帰ることもない。こいつの場合、なにか楽しめるシチュエーションがあればいいのさ。などと安堵している俺だったが、実は免税したせいで予算が足りなくて、俺の墓の工事がなかなか進んでいないというのは内緒だ。まあ慌てることはないさ。完成に十年かかってもたどり着く時間は同じだろう。
 
 帰る道すがら、長門と話した。
「鶴屋さんは生前に、俺の墓もここに並べてはどうかと言ってた」
「……あなたの墓も、ここにしたい?」
「いいや。鶴屋さんはハルヒのことが気に入ってたから並べて欲しいと願ったんだと思う。俺は別にハルヒと並んで眠りたいわけじゃないしな」
「……」
「俺はお前のそばにいたい。長門、俺と墓に入るか?」
「……」
たぶん長門は、情報生命体である自分は物理的に死ぬことはないのだと言おうとして、言葉の別の意味に気がついたようだ。うつむいた長門の頬はピンクに染まっていた。
 
 それから俺たちは、諸国の弔問団をもてなすために高津宮に帰った。ハルヒと古泉は数日子供たちと過ごしてから船で大陸に帰っていった。ふんもっふで帰るのかと思ったが、ハルヒをお姫様だっこで抱えて数時間飛ぶのは、さすがに腰を痛めたらしい。ラマ僧もご苦労だな。
 
 それからの俺の生活は日々デスクワークに徹し、大和という国は安泰していた。たまに百済から派兵の要請があったり、免税から七年経ってようやく税制が再開されたり、大陸で戦争に負けたりするくらいの出来事はあった。でも国内はいたって平和で、たいした災害もなく少しずつだが豊かさを取り戻していた。俺の隣には長門がいて、総じて静かな人生だったと思う。
 
 一度次男の住吉仲皇子を大陸に使いにやったことがある。百済で政治の勉強をしてこい、というのが表向きだったが、本当は音信不通になっていたハルヒと古泉の様子を見に行かせるための口実だった。大陸ではしょっちゅう戦争をやっていて、帰ってきてから大和は平和ボケしていると愚痴を言うこともあったが、俺の代はそれでいいんだとたしなめた。俺がこの時代を去ったあとはひどいもんだったらしいからな。もしかしたら大陸式の政治を勉強させたのが悪かったのかもしれないが、お役所的に仕事をこなすしか能がない俺にはよく分からん。
 
 ハルヒは元気らしい。いくつもの戦いで手柄を取り、スクスクと伸びる孟宗竹のように出世したという。根回しやら駆け引きとは無縁の実力の世界だから、ハルヒには合っているのかもしれない。
 
 俺は少しずつ、長男の去来穂別に仕事を任せていった。時節のイベントやら地方へのあいさつやら、太子は早いうちから顔を知られたほうがいい。こいつも出来のいい優等生みたいなやつで仕事をさくさくとこなしていた。ほかの三人もすくすくと育ち、俺と長門の元を去って修行に出た。
 
 俺はちまちまと工事を続けていた自分の墓を見に行った。耳を澄ますと静かに波の音が聞こえる、海のそばである。まさこんなでっかいものが、ろくに重機もないこの時代に作られるとは正直言って驚いた。俺の知っている大仙公園のまわりにはいくつもの小さな古墳があるんだが、あれらができるのはもっと後の時代だろう。息子の墓もこの近くにできるらしいのだが、本人には教えていない。
 ある日の夜、長門が築上中の寿陵に行きたいというので、人目を忍び二人で馬に乗って出かけた。
「なにをするんだ?」
「……時間移動の設備を用意する」
「石棺はまだこれから用意するところだが、どこに作る?」
「……石室を二重構造にする」
長門と俺は丸く山になった墓のてっぺんに立った。石の壁で仕切られた石室が完成していた。そのまんなかに石の棺を置くことになる。
 長門は右手を上げて詠唱した。ゴゴゴゴと震動がして足元が大きく揺れ、まわりに置いてあった素焼きが倒れた。長門は石室の中を指差した。一辺が一メートルくらいの正方形の穴が開いている。かさばった上着を脱いで二人でそこを降りていくと、石室と同じ広さの部屋があった。石でできた棺が五つ用意されている。
「ここで時間凍結するのか」
「……そう」
前のときは長門んちの和室で綿の布団に寝かされていたんだが、今回はそういうのはないよな。しかも八時間というから、体が痛くなりそうだ。せめて枕を持ち込もう。
 
 寿陵の外観と石室の設備が整ったので、ハルヒと古泉にそろそろ帰って来いと書簡を出した。実際に帰ってきたのはそれから半年後だったが。使いに出したやつがハルヒの噂をたどって探している途中で迷子になり、手紙が届く頃には年の瀬も暮れようとしていた。
「たっだいまぁ、遅れちゃった」
半年だぞ、遅れたとかいうレベルじゃねーだろ。
「なによ、人がせっかく楽しんでるのに水をさすようなまねをして」
「さっさと未来に帰りたがってたのは誰だっけね」
「ただいま戻りました」
「おう古泉、生きて戻ったか。ご苦労だ」
「おかげさまで。楽しかったですよ、いくつか歴史とは違うことが起きましたが」
「でで、やっと帰れるのね?」
「そろそろ俺の墓が完成するからな。未来に帰る前に家族とゆっくりしていけ」
「そうね。でもあたしはお忍びなんだからね」
ハルヒは髭面でキヒヒと笑った。細かった眉毛もゴワゴワした剛毛になっていた。
「長門、これからの手順はどうするんだ?」
「……まず、あなたの死亡を通達する。大喪の儀を行い、わたし以外の全員を石棺に納める」
「俺たちが先に埋められるのか」
「……そう。いくつかの事務手続きを終えて、わたしも時間移動に入る」
「そうか。じゃあ後始末は長門に任せるとするか」
 
 俺も自分の後始末をしておかなくてはならない。俺はすっかり頼もしくなった息子四人を呼び寄せた。
「兄上、お呼びでしょうか」
「そうだ。ほかでもない、お前たちに話しておきたいことがあってな」
俺は未来に帰る、と言おうとして朝比奈さんが心配そうな表情で俺を見ているのに気がついた。そんなことが日本書紀に載って後世に伝えられたらえらいことになる。俺は今朝見た、未来の夢を話した。
「ええと、夢を見たんだ」
「どのような夢でございましょうか」
「鶴、じゃなくてひいおばあさまがな、抹茶と大納言のジェラートアイスを食っていた」
「兄上、じぇらーと?なんと申されましたか」
「ジェラートアイスとはつまりだな、氷と牛の乳で出来た菓子だ」
ハルヒに二十一世紀風のお菓子を食わされていたらしい息子たちはなんとなく納得した。
「それはまあともかく、ひいおばあさまがその冷やした氷菓子を俺に渡そうとするんだ。でもいくら手を伸ばしてもそれを受け取れない。受け取れないと思っているうちに氷が溶けはじめてしまった」
「……」息子四人は黙って聞いていた。
「それで俺は、おばあさまにアイスが溶けてますよと言った。おばあさまは哀しい笑顔を浮かべられ、俺に向かって手招きをした」
ハルヒまでが聞き入っていた。
「おばあさまの足元にクーラーボックスがあってな、その中に四種類のアイスが詰まっていた。だが俺はとうとうその味を見ることはなかった」
「その夢はどのような意味を持つのでしょうか」
「アイスが溶ける前にこちらに来いということだろう」
「なるほど……」
「四種類のアイスはお前たちだな。クーラーボックスは、まあ籠みたいなもんだが大和の国だ。お前たち四人は仲良く暮らさなくてはならない、という意味だと思う」
「なるほど……お告げでございますね」
「そして、俺はそろそろおばあさまのところへ行かねばならん」
四人が息を飲んだ。ひどいこじつけにもかかわらず、真剣に受け止めているようだった。ハルヒと古泉は苦笑していた。
 
「しかし兄上はまだお元気ではありませんか」
「ああ、それもそうだな」
ハルヒはプッとふき出した。今の俺じゃ心臓発作でも起こさない限り死なないだろう。じゃあ俺もハルヒと同じ月から来たってことでいいや。
「実はだな、俺も月へ帰るんだ。母上は迎えに来たんだ」
「また戻ってこられますか」
「あーどうだろう。気が向いたら俺も母上と一緒に戻ってくるよ」
保証はできないが、タイムマシンが完成すりゃ楽に来れるようになるだろう。
「去来穂別、これからはお前の時代だ。俺のなき後を継いで国民のために尽くしてくれ」
この頼もしい去来穂別は俺をしっかりとした目で見つめ、強くうなずいた。
 
 俺は具合が悪いので寝ているというお触れを出し、その一週間後に死んだことになった。ハルヒのときのように眠ったまま動かないというのはどうも苦手なので、俺そっくりの人形を作ってもらってそれを寝台に寝かせておいた。近寄ってよくよく見なければ分かるまい。ハルヒが俺にも変装しろと言い、女装させようとしたので徹底的に拒否した挙句、長門に不可視遮音フィールドを作ってもらってそこに隠れていた。これのおかげで屋敷内のいろんな噂を耳にすることができたのだが、立ち聞きしてニヤニヤしている自分が情けなくてやめた。
 
 俺の大喪の儀にはやっぱり地方からと外国から弔問客が大勢来ていた。そんなたいそうなことをやった覚えはないんだが、七年間免税したのが有名になったらしく仁と徳の人だったと惜しまれた。それが名前の由来らしい。
 葬儀の当日、高津宮から南へゆっくりと葬列が進んだ。先頭に去来穂別と長門の御輿が進んでいく。俺は行列の最後を行く棺の後ろで、フィールドに隠れたままくっついて歩いた。ゆるゆると運ばれていく俺の人形を見ながら、なんだか幽体離脱でもしたような気分になっていた。
 
 今回も百済から楽隊が来ていて、行進しながら曲を演奏していた。これはいいパレードだ。ベートーベンの葬送行進曲より荘厳で雅やかで、琴線に触れる部分がやっぱアジア的だよなって感じがする。
 
 墓の前に長テーブルくらいの棚を置いて小さな祭壇を作り、布に包まれた人形を石棺の中に下ろした。弔辞のとき、長門が俺の死を悼む和歌を延々と詠んでくれた。自分の葬式に自分が参列するなんて、誰もやったことがないようなまねをしている俺だが、秋の空に遠く高く響く長門の歌に感涙してしまった。ほんと、惜しいやつを亡くしたものだ。
 
 やすみしし わがすめろき わが慕ふ 日のみこ……
 
脇を見るとハルヒが目頭を押さえていた。まさか俺のために泣いてんじゃなかろうな。
「何いってんの、あんたこの和歌知らないの?」
すいません、古文も日本史もほとんど覚えてません。
「これは有希があんたのために贈った恋歌なのよ」
「え、そうだったのか」
朝比奈さんは苦笑し、古泉は肩をすくめていた。まったく無粋なやつはこれだからといいたげに、三人は俺をじとっとした目で見ていた。意味がぜんぜん分からなかったとか言ったら長門が哀しい目で俺を見つめそうだ。帰ったら日本書紀でも読もう。
 
 去来穂別の堂々とした弔辞が終わって、大喪の儀は終了した。葬列はそのまままっすぐ住吉宮に行き、客はそこに泊まることになった。庭にかがり火を灯して弔問客に酒と食事をふるまい、屋敷はいつになく賑やかだった。湿っぽいのはやめてくれと頼んでいたので、まるで祝い事のような告別の宴だった。
 俺はフィールドから出て、物陰から息子たちを呼んだ。
「今宵、行かねばならん。いろいろありがとう。元気でやってくれ」
「兄上もお元気で」
とうとう最後まで父上と呼ばなかったハルヒの息子たちは、誰一人泣かなかった。立派になったもんだ。末っ子の雄朝津間は長門に似て無口で、武術よりは学業に長けていた。国木田に、亡くなった莵道氏に少し似てる感じがする。
 
 息子たちは門のところまで見送ってくれた。従者を連れて行くわけにはいかないので、俺たちは歩いて墓まで行くことにした。高く登った月が夜道を照らしていた。白く浮かび上がった石津原の土地を、俺たちは誰も言葉を発することなく静かに歩いた。
 
 丘のように盛り上がった墓の、石室があるところへ登った。まわりの堀にはまだ水は入っておらず、草も木も生えていない。
 石室の下にある長門が作ったもうひとつの石室に、五人で降りていった。部屋の中は暗く、話し声が固い壁に反射して冷たく響いた。
「時間凍結している間はなにもできませんね」
「俺たち棺の中ではふつうに動いていられるらしい」
「そうなんですか」
「だがまあ、体力を使わないために眠ってたほうがいいだろう」
「……時間移動中は動かないほうがいい。石室内部の酸素を消耗する」
「そうか。俺たちを埋めた後、長門はどうなるんだ?」
「……工事完了を待って、わたしも時間移動に入る」
「じゃあ、先に眠ってるぜ。待ってるからな」
「……分かった」
まったく、こいつがいなかったらどうなっていたことか。俺は仁徳天皇としてここで一生を終えていたかもしれん。
 ひとつ忘れていた。ハルヒの髭面を見て思い出したが、俺たちはこの時代に来てけっこうな時間を過ごしたので、この姿で戻ったらまわりに説明しかねるだろう。浦島太郎の気持ちになれるのも悪くはないが、いきなり中年ってのもショックを与えかねん。長門にボソボソと小声で尋ねた。
「長門、見た目の年齢を戻してもらうわけにはいかないか」
「……分かった」
長門は心得ているという感じでうなずいた。
 
「ではみなさん、未来で会いましょう」
五つ並んでいる石棺に、古泉、ハルヒ、朝比奈さんの順で入った。俺は用意してきた枕を棺の頭のところに置いて横になった。長門が石を動かして蓋を閉じ、棺の中は真っ暗になった。それから長門の詠唱が途中まで聞こえ、まわりの音がすべて消えた。シンと静まり返った中で隣の朝比奈さんを呼んでみたが、もうスゥスゥという寝息が聞こえてきた。
 
 五分くらいしてごそごそと音がした。石棺の蓋が動き、長門が顔を見せた。
「どうしたんだ?」
「……工事完了した」
「もう半年経ったのか、早かったな」
「……わたしも、ここに入りたい」
長門は俺を見つめた。一人用の石棺に二人はちょっときついかもしれんが、まあ詰めればなんとかなる。長門は小柄だし。
「いいよ、おいで」
長門は石棺に入り込み、重たい石の蓋を元に戻してブツブツと詠唱した。貴族の服のまま俺の隣に寄り添った。腕枕をしてやると長門は俺の胸に顔を埋めた。ああ、これがやりたかったんだな。冷たい石の棺の中で、長門の体温だけが暖かかった。
 俺と長門はぼそぼそと話をした。未来に帰ってやりたいこと、俺たちの昔のこと。
 
「じゃ、おやすみ。千六百年後にな」
「……おやすみ」
 
 
 
 ここは、どこ。
 
 目を覚ますと、なんて状況ではなくて目蓋は最初から開いていた。白く光る映像が少しずつ明度を下げ、なんとなくそこが、地上の界隈とは違う雰囲気を醸しているということを理解した。
 
 俺はゆっくりと起き上がって両腕をさすった。白いトレーナーのような服を着せられている。実感はある。触覚もある。頬をパシパシと叩いてみたが痛覚もある。夢じゃないようだ。俺は白いベットのような台に寝かされていた。マットレスではなく、柔らかくも固くもない不思議な素材で出来ている。
 ベットの下にゆっくりと白い靄が流れていた。雲の上なのかと思って足で探ってみたが、ちゃんと床があって安心した。
 俺はベットから足を降ろし、歩けることを確かめて両足で立った。
「どこだここは」
誰かが聞いているわけでもないのに、もしかしたら誰かが聞いているかもしれないと期待したのか独り言が漏れた。
 
 そこは部屋ではなく壁も天井もない空間だった。地平線らしいものは見えず、白くぼんやりとした光が頭上から差していた。振り向くと、ベットには支えがなく宙に浮いていた。空中に固定されているといったほうがいいか。
「おーい、誰かいるのか」
叫んでみた。音の反射はなく、声が四方に吸い込まれていく。
「俺は死んだのか?」
「さよう」
振り返ると、どこかで見たことのある少女がそこに立っていた。巫女さんの白衣に赤いハカマをまとって、背中に大きな羽根があり、後光が差している。なんかのアニメで見たような格好だな。頭の上に浮いてるのは天使の輪?
 
「あ、朝比奈さんじゃないですか。なんてかっこしてんですか」
「ほう。お前にはわしが朝比奈みくるに見えるのか」
一人称がわしの朝比奈さんは意表を突いててすごく萌えますよ。
「だってそうじゃないですか、その顔と体型はどうみても」
「わしは朝比奈みくるではない。お前の記憶が相対的にそう見せているにすぎない」
「ほんとに?その胸は朝比奈さん以外のなにものでもない気がしますが。ちょっと谷間見せてもらえませんか」
朝比奈さんの胸に触れるなどと俺も血迷っていたのかもしれないが、その朝比奈さんの姿をした何者かが烈火のごとく怒った。
「ぶ、無礼ものぉぉぉ」
周囲百キロに響き渡ろうかという怒号が雷鳴と共に鼓膜を直撃した。白と青の稲妻がいくつも走り俺の体を伝って流れた。呆然とした俺の体から湯気が立ち、髪の毛からプスプスと煙が出ている。
「痛いじゃないですか、感電死したらどうするんですか」
「お前はすでに死んでいる」
いつもなら、ひでぶっ、とか返すところなのだが、こいつに通用するのかわからないネタなのでやめとこう。
 
「俺は死んだんですか」
「そのとおりだ無礼者め」
「確か古墳で時間移動しようとしてたんじゃ」
「墓に入ったら死んだと同じことだ無礼者」
「そう無礼無礼と連呼しないでくださいよ。人違いだったんですから」
「人違いでも胸に触れるなど言語道断」
「そうですよね。すいませんでした」
「まあいい」
「ところで、あなたは誰なんですか。神様?」
「お前がそう思うならそう呼べばよかろう」
「じゃあ神様。ここはどこなんですか」
「お前の思考には存在しない領域だ」
「死んだってことは天国ってことですかね」
「天国など、人間が作り出した妄想に過ぎん」
 
「あれからどれくらい経つんです?」
「ここでは時間の概念などどうにでもなる。時間は空間と同じだ」
この言い方、なにか覚えがあるぞ。誰かが同じことを言っていたような。
「あなたはもしかして情報統合思念体の中の人ですか」
「まあそのような者だ」
「ってことは長門のパパさん?」
「わしらに親という概念はないが、そう思ってもらっても差し支えんだろう」
「こ、これは失礼しました。まさかお父さんだったとは。娘さんにはいろいろとお世話に……はい」
「まったく有希の趣味が理解しかねる。こんなチャランポランでいいかげんな男のどこが……。だがまあ、それはいいとしよう」
なにがいいんだかなにを怒ってるんだか分からないが、この思念体は俺と長門が付き合っていることが気に食わないようだ。
「昔から蓼食う虫も好き好きと言うじゃないですか。はっはっは」
「お前が言うな、はっはっは」
朝比奈さんの極上スマイルでグーで殴られた。見る者すべてをマゾにおとしめてしまいそうな笑顔だった。
「痛いじゃないですか」
「お前が有希をそそのかして、くそったれなどと言わせたからだ」
「あ、あれちゃんと伝わってたんですか」
「有希にあんなことを言われたおかげで一パーセクほど寝込んだ。メシも食えなかったぞ」
「一緒に寝てた長門はどうしたんですか」
「お前が戻るのを待っておる。地上に返してやるが、ここであったことは他言無用じゃぞ」
「生き返れるんですか、ありがとうございます」
「今回はちょっと有希のおいたが過ぎたようだ。それについては詫びる」
 
 朝比奈さんに扮した思念体のおっさんは、俺に向かって呪文を唱えた。視界が再びぼんやりと光ってくる。
「ああそれから、これは四回目だ」
「何回目です?」
「四だ」
「四ですか」
「そう。四だ」
「四ですか……」
「ヨン」
「四なんですね……」
「ョン」
「……」
「ョン!」
「……」
「キョン!ふざけてないで起きなさいこのアホンダラゲ!!」
「あ……」
目を開けるとハルヒの顔が目の前にアップで映った。同時に大型台風並みの水がバケツ一杯天から降ってきた。カエルが陸の上で溺れたような感覚に襲われて、俺は水を噴いた。
 
「いまはいつだ?」
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ、二十一世紀よ」
ハルヒが涙目で俺のほっぺたをペシペシっと叩いた。
「に、二度もぶった!親父にもぶたれたことないのに!」
「なにアニメかぶれしたバカなセリフ言ってん、の、よっ」
ハルヒにヘッドロックをかけられた。我ながらバカなことを言った気がする。
「はぁぁ、心配しましたよキョンくん。硬直したまま動かないんだから」
朝比奈さんが大きく溜息をついていた。
「本当にそうですよ。からかったんだったら怒りますよ」古泉が言った。
「ここはどこだ?」
「帰ってきました。伝仁徳陵の真上です」
まわりを見ると石室の蓋が開いていた。これ、埋め戻さないと新聞に載るぞ。仁徳陵で深夜の盗掘、みたいな。
「そういや、ここって確か立ち入り禁止だろう」
「あなたの墓ですから問題ないでしょう」
古泉はクスクスと笑った。
 
 俺は長門をじっと見た。あれは夢?意識混濁ゆえの幻想?それとも俺は本当に情報統合思念体に会ったのか。長門がすまなさそうに俺を見つめている。お前の親父ってやつはいろいろとおもしろいやつだな。
 
 俺は古泉の腕を握って起き上がった。見上げると雲ひとつない夜空に月がぽっかりと浮かんでいた。もうひとつの月が堀の水面に揺れている。なにもなかったはずの墓のまわりには暗い森の影が映り、あれから時間が経過したことがわかる。どうやら本当に戻ってきたらしい。
「さあ、明日からガンガン働いてもらうわよ。これからはあたしの時代なんだからね」
ハルヒが腰に手をあて、俺たちを指差して言った。やれやれ、長い休暇だったぜ。
 
 俺たちは懐かしき時代の名残に別れを告げた。単なる偶然か、あるいは長門にちなんで名づけられたのか、この仁徳天皇の墓が雪陵《ゆきのみささき》と呼ばれていることを知ったのは、だいぶ後になってからのことだ。
 
 暗転。
 


人名など:
 
磐之媛(いわのひめ)
大鷦鷯(おおさざき)
仲姫(なかつひめ)
去来穂別(いざほわけ)
莵道(うじのわき)
稚足彦(わかたらしひこ)
気長足姫(おきながたらしひめ)
雄朝津間(おあさづま)
去来穂別(いざほわけ)
住吉仲(すみのえのなかつ)
 
狭城盾列(さきのたたなみ)
 



【仮説5】その1へ

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