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Close Ties(クロース・タイズ) 第六話

 

 

「よ、よう長門。気分はどうだ?」
 朝比奈さんが出て行ってから、数分程眠っていたのだろうか。私の額に濡れタオルを置き直してくれている彼の挨拶はいつも『よう』だ。
「…よう、キョン」
「え?あ、おう…」
 なんだか彼は辟易しているようだ。いきなり彼の挨拶を真似るのは難易度が高かったようだ。
 普段から制服を着崩している彼だが、今の彼は上着もネクタイも着用せず、腕も足もまくり上げるという随分寒そうな格好をして私の傍にあぐらをかいている。
「玄関マット洗うのにベランダ使わせてもらったぞ。ああ、寝たままで構わんから。お前には一生感謝してもしきれない程世話になってるんだからな。玄関マット如き何百枚でも洗ってやるさ。だから起き上がらんでいいぞ」
 寝転がったままで言うのは気が引けるが、仕方ない。
「ありがとう」
 玄関マットは何百枚も所有していないので安心して欲しいところだ。
 彼は私の顔を覗き込むような姿勢をとっていた。おかしい。彼がこんなに近くにいることは日常茶飯事だが、何故か異性が近くにいるという事について私の潜在意識が違和感を訴えている。
 確かにこの不思議なあだ名を持つ彼に対して、私は好意を抱いている。それは朝比奈さんやハルヒへの好意と同じ。異性というのは問題ではない。
 だが、何故だろう。一樹…古泉一樹…君に対してはまた別の感覚だという事に、たった今気付かされた。
「なあ、お前身内とかいないのか?頼る相手っていうか、そういうんだ」
「いない」
 私は間髪入れずに答えた。朝比奈さんの弁では、なんとかエントランスを突破し、部屋に入り込む事に成功した一樹…古泉…一樹君に窒息死するところだったところを助けられたのだと言うが、それに対して統合思念体は一切の救援を行っていない。有機生命体とはいえ端末の一つに過ぎない物の健康状態を改竄するような真似は児戯にも等しいはずだ。
「ならなおさらだ。朝比奈さんにも言われてるかもしれねぇけどな、やばい時はすぐ呼ぶんだぞ。人間ってのはどうやら一人じゃ生きられないもんらしいからな」
 諭すような口調で言ってくれるのが何故か嬉しかった。
「まあ、俺達しか身内がいないってのはちょっと頼りないかもしれないけどな…お、おい、どうした?」
 私の顔はきっと驚愕の表情を浮かべていた事だろう。私と、皆の間に太く強い線が結ばれている事を実感した。
 彼…古泉一樹、いや、一樹…君の顔が見たい。顔が見えなくても構わない。この見えなくても感じる太く強い線が、彼との間にも存在するのか確認したい。
 しかし一樹…こいず…一樹君の姿は見えない。やはり私と顔を合わせられぬ理由があるのか。
「しょげるなよ。古泉ならバイトだ」
 閉鎖空間が発生したというのか。しかし先程のハルヒは至って落ち着いていたように見えたのに。
「ああ、だから長門。その、変な言い方になるがな、お前が止めてくれ」
 何を言っているのか。私にそんな事ができるはずがない。
「できない。私はヒューマノイドインターフェースであった頃も、そんな力は有していない」
 正直に私は告白した。一樹…君を助けたい気持ちは誰よりも強いが、できない物はできないのだ。
「…今のお前だからできるんだよ!すまん、またお前の力を借りることになっちまう」
 私はなんとか上半身を起こした。
「手を…貸して」
 再び襲ってくる吐き気が私を苦しめるが、そんな事を気にしてなどいられない。
 人間になってしまった私が役に立てるのならなんでもしてみせる。
「ああ、掴まれ」
 私の足は踏み出せという命令をなんとか実行し、部屋を出た。空気がおかしいと感じたのは気のせいではなかった。
 やはり、私達が存在する世界はハルヒの創り上げた世界なのだ。
「涼宮さん、大丈夫ですから、ね?」
 ハルヒはキッチンでうずくまり、朝比奈さんの声に辛うじて反応を示すだけだった。
 先程まで元気な声で話していたのに、一体どうしたのか。
「…この部屋見て」
「はい…?」
 ハルヒの絞りだすような小さな声は、私にも聞こえた。
「この部屋見て…何にも感じない?」
「感じます…けど」
 朝比奈さんは素直に認めた。
「…家具とか、絶対有希が選んで無いし、母親が選んでるとも思えないでしょ…全然使われて無いじゃない!アタシこの部屋見てたら有希にあんな馬鹿な質問して怒らせたりしなかったわよ!」
 朝比奈さんはなんの事を言っているのか分かっているらしく、黙って聞いていた。
「家族とかいたら、一人暮らしでももっと生活感が出ると思わない?なんにも無いじゃない…テレビのリモコンの電池も入って無いのよ…誰かが勝手に調達してきて、その押し着せの中で生活してるとしか思えないじゃない!この部屋にある物全部愛情のかけらもないの…みくるちゃんだって分かるでしょ。恋愛うんぬんなんて普段の生活に馬鹿みたいに余裕がある奴らの精神病でしかない無いなんて、アタシ分かってたのに!」
 興奮して自分の膝に埋めていた顔を上げたハルヒと目が合った。
「ごめん…有希。すっごく孤独だったんだよね…毎日大変で寂しいのに、アタシなんかに振り回されて…もう消えちゃいたい…!」
 ハルヒが消え入りそうな声で言った瞬間、世界は歪みだした。本当に歪みだしたとしか表現できない。
 私はふらつきながらハルヒに抱きついた。
「泣かないで」
 世界が引き歪んでいく事よりも、ハルヒが心配だった。
「消えないで…お願い」
 ハルヒの体は震えていた。それは私の接触を拒むかのようだった。
 ハルヒがどんな風に生きてきていたかなんて、彼女自身しか知らない。この世界が生まれた日より過去を覗き見る事なんてできないからだ。
 ただ、愛情という物に酷く敏感なことは良く分かった。涼宮ハルヒという人間の行動は全て寂しさの裏返しでしかないという事実は皆既に気付いていたのだろう。私だけが全く分かっていなかった。
「お願い…私を置いて消えないで…ハルヒ」
 私の口から出た最後の言葉は、まるで子供のわがままだった。でも、それが私の本音だったのだ。
 突然、空気が張り詰めた。全ての物が元の位置に戻り、均整を取り戻し始めた。
 私はハルヒに押し倒され、床に強く背中を打ってしまったが、痛みは気にならなかった。
 ハルヒは私の胸の辺りに顔を埋めて大声を出して泣き叫んでいた。
「よう、遅かったじゃねえか。ねぎ買いに行くのに時間かけやがって」
「ええ、大変遅くなってしまいました。万能ねぎを買うくらいでこんなに遅くなってしまうとは、副団長失格ですね」
 ドアが開いた音と共に私の心にあったわだかまりは全て消え去った気がした。
「繋がってる」
 誰にも聞こえない声で、ハルヒの髪をゆっくり撫でながら、私はつぶやいた。
「みんな、ちゃんと繋がってる」

 

 

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