◇◇◇◇
 
 翌日、のんびりと一人で早朝ハイキングコースを上っていく。
 前日のごたごたのおかげで少し緊張感がぼやけてしまっていたが、朝の職員会議が始まっていることを考えたとたんに、
それなりに緊張感が復活してきていた。
 
 そんなそわそわ感を引きずりつつ、自分の教室まで行き席に座る。ハルヒはすでに俺の席の後ろでぼんやりと外を眺めていた。
 ふと、俺のほうに視線だけを向けると、
「今日で良いんだっけ。文芸部の存続について話し合われているのは」
「そうだよ。今頃職員会議で話し合われているはずだ」
 そんな話をするだけで俺はつい貧乏ゆすりを始めてしまう。
 だがふと気がつく。俺も相当文芸部に思い入れができていることにだ。以前の俺ではとても考えられないようなのめりこみぶり。
変わったのは長門だけかと思っていたが、俺も実のところ相当変化しているんじゃないか? 自分からではよくわからんが。
 ほどなくして、始業のチャイムが鳴り朝のホームルームが始まった。同時に岡部も教室へと入ってくる。
 俺は今すぐ飛び出してどうなったのかを聞きたかったが、ここは我慢だ我慢……
 ただし、今日のホームルームは長くなるに決まっていた。朝倉消滅の件があるんだから。
「急なことだと思うが、カナダに転校することになった」
 そのことを岡部が言うと、クラスからざわめきが起こる。やっぱり長門は転校でかたをつけたのか。しかし、なぜカナダ?
何かこだわりでもあるんだろうか?
 俺的にはそんなことはわかりきっていたので、貧乏ゆすりを続けつつ終了を待った。
 
 高校生活最長のホームルームではなかったのかと思える時間が過ぎ、ようやく次の授業まで隙間の時間帯に入ると、
俺は一目散に教壇へと向かった。
「あの……文芸部について結局どうなりましたか?」
「ああ、その件についてなんだが――」
 岡部は少し目をそらす。まずい、これは悪い知らせのサインか……
 と思いきや、
「すまんが結局部活の統廃合については完全な結論は出なかった。いや、正確には大半は決まったんだが、
文芸部についてだけはお前たちの作ったHPの印象が強かったらしくてな、今一度再考してみようということになったんだ。
結論は数日後に出ることになっている。存続の確約ができなくてすまないと思っているんだが……」
 岡部の言葉に俺は少し――いやかなり嬉しくなった。今の話だと、文芸部も廃部になる予定だったのが、
再考してみるという形に変わったのだ。まだ確定ではないが、風向きは大きく変わったと見るべきだろう。
確実に事態は好転している。
 俺は頭を下げる岡部に手を振りながら、
「いえいえ、良いんですよ。廃部確定路線が一時的にでも変わったんだから、感謝します」
「……何とか存続できるように最大限努力するつもりだ」
 岡部の言葉は、今まで味わったことのない教師への信頼感を持たせるには十分すぎるものだった。
 と、ここでハルヒがやってきて、
「で、どうだったのよ結果は」
「ああ、一応数日後に再検討になったんだと。廃部路線が変わったから俺としては良しと思っているが」
「ふーん」
 ハルヒはそうつぶやく。
 ここで岡部が、
「何で涼宮が気にかけているんだ? お前部員じゃないだろ」
「今日部員になるのよ。後で入部届けを出しにいくから」
 教師を目の前にして堂々とタメ口なところがハルヒらしい。そんなハルヒに岡部が、お前どんなマジックを使って
入部させたんだ?と言いたげな視線を向けてくる。そんなことを言われても、ハルヒが入るといったからとしか
答えようがありませんよ。
 ここで岡部は少し厳し目の表情へと変わり、
「大体だな、涼宮はその前に授業態度や出席日数のことを――」
 そう説教モードに入ろうとしたのを察知したのか、ハルヒはそれを無視してとっとと自席に戻ってしまった。
相変わらず身勝手なヤツだ。岡部の話もたまには聞いてやれよ。まあ、素直に受け入れるとは思えないが。
一方の岡部もやれやれとあきらめ顔である。
 結局そこで授業のチャイムが鳴り、俺も自分の席へと戻った。
 
 そのしばらく後の話だが、岡部は職員会議で文芸部存続への熱弁をふるってくれたらしいことを風のうわさで聞き、
とりあえず姿を見かけるたびに心の中でお辞儀をしておくことにした。
 
◇◇◇◇
 
 その日の放課後、ちゃっかり入部届けを済ませたハルヒとともに、俺たちは文芸部室へと足を運ぶ。
すでに長門は到着済みで部屋の付属物のように読書を始めていた。だが、俺の顔を見るや否や、すぐにこっちへと
じっと無言の視線を向け始める。早く文芸部存続議論の結果を教えろと言っているようだ。
 俺はかばんを置いて椅子に座りながら、
「今日のところは結論は出なかったそうだ。数日後に再検討らしい。ただ廃部確定が再考になったんだから
気に病む状態ではないことは確かだな」
「…………」
 長門は無言でこくりとうなづいて返事をする。
 一方のハルヒは殺風景な部室の中を歩き回った後、今度は本棚の本をぱらぱらとめくり始めていた。
「そうだ、今日からの新しい新入部員だ。紹介は不要だろうが」
「よろしく!」
 ハルヒは元気よく親指を上げて返す。やれやれ、ハルヒ加入のおかげで文芸部は別の意味で活気づいてきそうだな。
 しばらくハルヒは本とにらめっこをしていたが、やがてそれを本棚にしまうと、
「で、文芸部って何をするところなのよ」
 ハルヒの問いかけに、俺はしばし考えた後、
「とりあえず本を読むだけだな。あと、最近だとHPと立ち上げているから、そっちの更新も」
「それだけ? 地味よ地味すぎるわ! もっと行動的な活動をしなさいよ!」
 そう抗議じみた声を上げるハルヒだが、行動的な文芸部って何だよ。二宮金次郎のように薪でも背負いながら
読書に励めと言う気か?
 と、ハルヒは手近の本棚にあった推理小説を取り出し、
「例えばさ、この小説の舞台になっている場所に実際に行ってみるとかってどう? それならみんなで旅行気分を
味わえるし、活動も読書だけなんていうカビが生えてきそうな陰気なものから、健康的で明るいものに変わるわよ」
「無茶を言うなよ。どこにそんな金が……」
 そう反論しかけたものの、確かにハルヒの言うことには一理ある。小説の舞台を視察してみることは
立派な文芸部の活動になるだろうから部費から旅費を捻出することは可能だろうし、部室に閉じこもりっきりという
状態になることもない。さらにそのレポートをHP上にアップしていけば、さらにコンテンツの充実が図れるだろう。
悪くはない活動だ。
 俺の反応をまんざらでもないと受け取ったのか、ハルヒはその推理小説を片手に俺たちの方へやってきて、
「決まりね! ってなわけで善は急げよ! たぶん文芸部の存続について今週中には決まらないとあたしは思うわ。
だから、最後になるかもしれないしぱっと週末はみんなで旅行しましょう!」
「おいおい、そりゃただお前が温泉でも何でも行きたいだけなんじゃないのか?」
「なに? 不満でもあるわけ?」
 俺の言葉に、ハルヒは口をとんがらせる。この様子だと別に何かの思惑があってのことじゃなさそうだ。
最近ハルヒもどたばたしていたから、ぱっとのんびり出歩いて溜まった鬱憤でも晴らしたいのかもしれないな。
確かに文芸部の活動と強弁できるし、俺もインドア生活がずっと続いていたから出歩きたい気分でもある。
長門も読書ばかりではなく、少しは違う空気も触れさせてやりたいしな。
 俺はうんと決断してうなづくと、
「よし、俺はハルヒの意見を受け入れるぞ。週末はみんなで旅行に行くか。長門はどうする?」
 話を降られた長門はしばらく首を二ミリほどかしげていたが、やがて、
「行く」
 最低限の言葉だけを返す。ただし、発散されている感情は期待感に満ち溢れていた。すっかりこいつも人間らしくなったな。
 
 その後、俺たちは週末の旅行プランを練ってその日の部活動を終えた。
 
◇◇◇◇
 
 その週末、俺たちはせっかくだからというわけでかなり遠出をすることにした。向かい先はよく推理小説とかで
出てくる近くに断崖絶壁がある観光地だ。もちろん、温泉つきの旅館もすでに手配済みである。
観光シーズンでもなんでもない時期だったから意外とあっさり予約が取れたのだ。
 で、俺たちは今そこへ向かうための電車に乗っていた。目的地までは1時間ほどかかるんで、その間にハルヒが
用意していた「本日・明日の予定表」の説明をしている。
 しかし、この内容がなんというか……
「おい、これ全部やる気なのか?」
「もっちろんよ。せっかく元ネタがあるんだから、全部探して回らないとね!」
 そう言いつつ今回の旅行先が舞台となっている推理小説をパンパンと叩く。おい本はもっと大切に扱えよ。長門が怒るぞ。
 ハルヒの予定表はスケジュールが分刻みで設定されていた。しかも、徒歩で散策するだけではなく、推理小説の舞台となった場所を
すべてめぐるめくあちこちへ電車での移動まで含まれている。これはかなり体力を要する旅行になりそうだ。
 ここまで来るともう俺の出番はない。ハルヒに任せよう。あのSOS団団長様にくっついていくのと同じ要領で。
「ふふん、まっかせなさい! あたしが絶対に忘れられない旅行にしてあげるわ!」
 ハルヒの威勢のいい声が電車内に響き渡る――
 
 それから二日間、俺たちは徹底的に遊び倒した。
 ――湿地帯の観光地を散策して
 ――小さな山の上までロープウェイで上り、展望台から絶景を眺め
 ――推理小説の舞台となった神社を探してあちこち歩き回り
 ――花畑に囲まれた場所でハルヒが長門を引っ張って走り回り(俺はミツバチの大群に追っかけまわされたが)
 ――推理小説内で殺人犯が通ったのと同じルートで電車に乗ってみたり
 ――もちろん旅館到着後は温泉でのんびりさせてもらった。ちなみにそのときにこんなやり取りが。

 俺がのんびりと温泉に使ってデトックスの真っ最中に、隣の女風呂にハルヒと長門が入って来たらしく、
聞きなれた姦しい(ハルヒだけが)声が浴場に響き渡る。幸い、貸切同然の状態だったから誰に迷惑をかけることもなかったが。
「あれ、有希ってやっぱり肌白いのね。でもちょっと真っ白すぎない? 普段から部屋の中に閉じこもっているからよ」
「別に問題ない」
「へっへっへ、でもまだまだ発展途上な体つきがいいわね~。これならどうとでもいじりようがあるわ」
「別に不都合はない」
「あら言ってくれるじゃない。じゃあまず温泉に入って栄養素をたっぷり吸収して、老廃物を排出するわよっ!」
「急ぐ必要は――」
 長門の最後の言葉は、ばしゃーんと水を叩きつけるような音にさえぎられた。あの調子じゃ、長門ごと温泉に
飛び込んだのだろう。そういやプールに行ったときも一目散に飛び込んでいたな。そんなに飛込みが好きなのかあいつは。
「よーし、じゃあ有希の身体からまず老廃物をたたき出すわよ。こうやって身体中をもめばいいのかしら? それそれ」
「……や」
「なんか言った?」
「なんでもない」
「遠慮なく行くわよ。ほらほら――って、ちょ、ちょっと有希くすぐったいってば!」
「相互にやったほうが効率がいい」
「あはははは! 有希やめてやめてー!」
 そんな感じにばしゃばしゃと女風呂は大盛況だ。なにやってんだあいつらは。
 しかし、壁一枚を隔てたところには全裸の二人がいるのか。いーやしかし、長門の裸はあまり見る気がしないな。
むしろなんだか罪悪感を感じてしまうような気がする。一方でハルヒは――そういや、あいつ朝比奈さんには劣るとはいえ、
バランスという面ではパーフェクトだったっけ。下着姿だけなら拝んだことはあるが全裸はさすがに――
 …………
 …………
 …………
 むういかん。妙な気分になって変な血が流れ始めたぞ。落ち着け落ち着け……
 俺は口元まで湯につかり、となりの馬鹿騒ぎをただ黙って聞いていた――
 
 ――温泉に入った後は、定番だと言うハルヒの進言で卓球大会に。もちろん優勝ハルヒ・二位長門で最下位は全敗の俺。
 ――それでも飽き足らず旅館の遊戯台(ビリヤードとか)を片っ端から遊び倒して
 ――さすがに24時を過ぎようとしたころには俺はくたくたになっていた。ハルヒはまだまだ元気満々で長門はいつもの無表情だが。
 
 その日はそこまでにして、残りは翌日にまわすことになった。もっとも月曜は学校が普通にあるから、長居はできないが。
 ところでこれだけ引っ張りまわされて楽しめたのか?と聞かれれば、こう素直に答える。
 決まってんだろ、と。
 
 その日の深夜、トイレに目を覚ました俺はその帰りがけに部屋の窓脇に置いた椅子座って、夜空を眺めているハルヒに気がついた。
「なにやってんだ? 明日も早いんだろ」
「……ちょっとね」
 俺の問いかけにふうっとため息で答えるハルヒ。何か憂鬱そうな表情を浮かべている。
 ちなみに部屋の奥にしかれた布団では、まるで安置されたミイラのように長門が不動の姿勢で眠っていた。
こいつもなんだかんだで眠るんだな。いや、それともハルヒと俺に寝ろといわれたから寝ているだけかもしれないが。
 ふと、ハルヒもそんな長門をやさしげな微笑で見つめている。
「……いい子よね」
「ああ、そうだな」
 俺は素直にそう返答した。長門は純粋無垢でまっさらだ。俺の世界のハルヒもずっと長門のことをいい子だと
表現していたが、まさしくその通りだといえよう。
「あたし、インターフェースのことを誤解していたわ。ただ情報統合思念体の言葉を発するだけの存在かと思っていた。
でもそれは違ったわ。今そこで寝ている有希は人間よ。本が大好きでやさしくて素直で……」
 ようやくハルヒは長門のことを理解してくれたらしい。そうだ、長門は決して情報統合思念体の操り人形なんかじゃない。
連中からは独立しつつある普通の少女だよ。これに関しては古泉も言っていたことだから、俺一人の誤解じゃないのは確かだ。
 ハルヒは続ける。
「今回のことであたしの考えが大きく変わったわ。今までも古泉くんやみくるちゃんでいろんなことがあったけどね。
それにあんたの存在も必要不可欠なこともわかったし」
「俺が? せいぜい文芸部で活動していたぐらいだぞ」
 俺の言葉に、ハルヒはあきれたような顔を浮かべて、
「わかってんの? あんたが有希をここまで導いたのよ。あたしは以前にもこの子には何度か接触――というより
見かけたぐらいだったけど、本当に感情がなくて情報統合思念体の人形そのものだったわ。それをここまで変貌させたのは
ほかならぬあんたよ、キョン」
「……確かにぼーっとしている長門を見てかわいそうに思ったから読書を進めてみたんだんだが、
それ以降は俺はただ見ていただけさ。俺が作り上げたんじゃなくて、長門が自分で独立独歩を始めたんだよ」
 その俺の返答に、ハルヒはなにやら過剰に納得した表情を浮かべると、
「確かにそうかもね。あんたにそんな器量も才能もあるとは思えないし」
「悪かったな」
 悪態を付き合った俺たちだったが、二人とも表情は笑顔のままだった。
 ハルヒはうーんと大きく伸びをすると、
「さて、これからどうするかな……どのみちどこかでリセットかけて古泉くんとみくるちゃんもつれてこないとならないから
予定をきっちり立てておかないとならないし」
 ハルヒの言うとおりだ。結局のところ、超能力者と未来人を欠いているこの世界はいずれリセットが必要になる。
この読書中毒で完全無欠な普通少女になりつつある長門との別れは惜しいが、やらなくてはならないことだ。
そして、次に作り出される世界こそがすべてが集う完全なものとなる。俺のSOS団の世界と一緒になるかどうかは
ハルヒ次第になるが、今までの経験から言って三勢力がうまくつりあう世界になるだろう。それができれば俺の役割も終わる。
「まあ、今はゆっくりしていようぜ。まだ奴らが今後どう動いてくるかわからないしな」
「それもそうね。じゃ、今日の残りに備えて寝ましょ」
 ハルヒはそういって布団にもぐりこんだ。そして、ものの1分もかからずに寝息を立て始める。なんて眠りつきのいいやつだ。
その寝顔は心地よさそうな笑顔で満たされているから、さぞかしいい夢を見ることだろう。
 俺はふと旅館の窓から見える月を見上げる。満月に近いそれはさんさんとした明かりを俺たちに照らしてきていた。
 情報統合思念体ってのはあの月よりももっと遠くの場所にいるんだろうか? その俺みたいな一般人では到底手の届かない
場所からじっとこちらを監視しているんだ。
 ここで長門の役割について思い出した。そう言えば、長門は結局親玉にはハルヒの能力自覚を伝えていない。
それどころか朝倉の話を聞く限り、ろくに報告も出来ないと言っていた。ならば、今でもそれは継続しているのだろう。
そんな状態をよく見逃し続けているな。いや、まだ様子見しているだけなのかも知れない。そう考えれば、
この先長門が情報統合思念体から独立志向を強め続けていくと、いつかは長門自身がそれと決別すべきかどうかという
判断を下す日がやってくる。その時、連中は長門が普通の人間になることを容認するのか、あるいは排除しようとするのか。
 俺はやりきれない想いに捕らわれ、その日はよく眠ることが出来なかった……
 
 翌朝、旅館を出発後、俺たちはハルヒの決めた日程表をこなしていく。昨日と同じく駆け回ってばっかりだったが、
楽しさのせいか不思議と前日の疲れは感じなかった。
 そして、ラストを飾るべく推理小説――というよりサスペンスドラマのラストシーンで使われそうな断崖絶壁へと
俺たちはやってきた。強い潮風と激しい波の音がまさにがけっぷちという演出をかもし出している。
午後には帰宅する予定だからまだ昼前だが、今日はシベリア寒気団のいたずらか少々寒かった。
 俺たちは崖伝えに歩き、その壮大な光景に見入っていた。長門も興味津々な様子でそれを眺めている。
 程なく進んだところで、俺たちは昼食を取ることにした。内容はコンビニで買ってきたおにぎりとかだけどな。
「こら有希! そんなに急いで食べちゃだめよ! もっと味わって食べないと」
 相変わらずの口にぶち込むだけの食い方に、ハルヒが注意の声を上げた。だがコンビニ弁当を味わって食べるって言うのも
変な感じがしないか?
 そんな俺の指摘にハルヒはそれもそっかとか言って、
「なら競争よ有希! どっちが先に食べられるか勝負を挑むわ!」
 さっきとは正反対に長門同然のバカ食いを始めた。やれやれ、もう好きにしてくれ。健康云々は自己管理でよろしく。
 俺はそんな二人を尻目に、のんびりいくら入りおにぎりを口に運んでいた。ふと辺りを見回すと、
どうやら地元の散歩ルートにもなっているのか、崖沿いの散策道をカップルや家族づれ、ペットの散歩といった
さまざまな人たちが通り過ぎていく。
 不意に――危うく俺は食べていたおにぎりを落としそうになってしまった。なぜなら、その歩く人たちの中に
見慣れた一人がいたからだ。学校ではないため普通の歩きやすそうな私服姿だったが、あの特徴のある髪型は
見間違えようがない。
 ハルヒもその存在を察知したらしい。おにぎりを口にくわえたまま眉をひそめて、そっちのほうをにらみつけていた。
ただ長門だけは意図的に目を合わせないようにしているらしく、むしゃむしゃとコンビニ弁当を口に運び続けていた。
 その人物は俺たちのすぐそばを通る際に、朝倉とは違うタイプの柔らかな笑みを浮かべ
こんにちわとだけ挨拶しそのまま通り過ぎていった。俺とハルヒも頭だけ一応下げておく。
 その人はあの喜緑江美里さんだった。もちろんインターフェースの一人である。しかし、この世界で俺はあの人と
まだ一度も接触していない。ここで知っているような態度をとれば、かえって不自然だろう。
ここは赤の他人の不利をしてやり過ごすしかなかった。
 一方のハルヒも喜緑さんの存在は知っているらしい。
「さっきのもインターフェースよ」
「ああ知っている……俺の世界でもそうだったからな」
 そう言葉を交わしていく間に、喜緑さんの姿が次第に離れて見えなくなっていく。偶然こんなところで
インターフェースに出会う可能性はどのくらいだろうか? ロト6の一等的中より低いのは間違いない。
そうなると何らかの理由により、俺たちの監視を行っていると考えた方が妥当といえる。
「ねえ有希。あいつ何しに来たのかわからない?」
 ハルヒが長門に確認してみると、長門は口に含んでいたおにぎりの一部を飲み込み、
「……喜緑江美里はわたしに用事があったと推測できる。しかし、今は不要と判断したため無視した。
この散策に集中しておきたかったから。帰るまでが旅行」
 抑揚ゼロの口調だったが、言っていることはもう普通そのものだ。そうだな。長門のいうとおり
帰るまでが旅行だ。厄介ごとは帰ってから処理することにしよう。
 俺とハルヒはそう考え二人で笑みを浮かべた。
 
◇◇◇◇
 
 だが、意気揚々と帰ってきた俺たちを待ち受けていたのは岡部からの絶望的な知らせだった。
 
 旅行帰りの翌日月曜日の放課後、俺たちは文芸部室に集まって、週末旅行の結果をまとめていた。
ハルヒ持参のデジカメで大量に写真は取ってきたし、相当の距離を歩き回ってきたおかげで、HPに反映する内容は
多すぎて困るぐらいだ。とりあえず、一日で纏め上げるのは無理だと判断し、今週かけてじっくりと作業しようと
ハルヒ・長門と同意してのんびりと作業をしていたんだが、
「……ちょっといいか?」
 そこに岡部が入ってきた。その顔はどう見てもいい便りを持ってきたように見えない。これは……まさか。
 文芸部員全員に緊張が走る。岡部はそんな俺たちに入りづらそうな感じだったが、とにかく話してくれないと
どうにもならんと考え、俺は椅子を用意して座るように促した。ほどなくして、肩を落とした岡部が
部室内へと入りその椅子に腰掛ける。俺たち部員もそれを囲うように椅子に座った。
 岡部はぐっと頭を下げて、
「まずは謝っておこうと思う。すまない」
「やっぱり廃部なんですか……?」
 岡部の謝罪で決定的だと悟りつつも、俺はそう聞き返した。
 しかし、岡部から返されたのは予想外のものだった。
「結論から言えば、廃部は回避された。部活動の存続自体には問題はない」
 廃部じゃない? ならさっきの謝罪はどういうことだ?
 岡部は続ける。
「ただし、条件がついた。それは部室からの撤収だ。部員二人――今は三人か。この人数で新しい広い部室ひとつを
明け渡しておくのは無駄が多すぎるという意見が出された。HPの公開に関しては活動内容として高く評価されたんだが、
それならば部室からではなく個人の家から更新すれば良いと」
「なによそれ! 部室なしでどうやって部活動をしろっていうわけ!?」
 ハルヒが激怒の表情を浮かべて立ち上がる。まったく同感だ。部活動はOKだが、部室の使用禁止だと?
嫌がらせか、活動内容があるから仕方なく廃部だけは回避してやったと言いたげな決定としか思えない。
 しかし、岡部はずっと俺たちを擁護してくれたんだから責めるのは筋違いだ。
「まあ、落ち着けハルヒ。想いはお前と一緒だが、ここで騒いでも仕方がねえよ」
「だからといってこのまま廃部同然の扱いを甘んじて受けろって言うの!?」
 ハルヒはさらにつばを飛ばして怒鳴るが、怒る相手が違うって言っているんだよ。どこのどいつだ。
そんな下らない妥協案を導き出した奴は。廃部にしてくれたほうがすっきりしたかもしれねぇ。
 岡部は話を続ける。
「何でも同好会の新設依頼が来ているらしい。今までも個人レベルの集まりでやっていた活動を正式に学校の一部として
組み込みたいようだ。この活動自体はあまり深くは知らないんだが、ボランティアに属するものみたいで
新設された場合は十数人は集まる見込みになっている。さらに、これまた先生の中に活動にかかわっていた人がいるみたいで、
強く新設を後押ししているのが実情だ」
 なるほどな……どうやら部室をひとつ空けたがっている奴がいるみたいだ。とはいえ、同好会の新設申請に関しては
校則さえ満たしておけばまったく問題のない行為だし、活動内容自体も至極まともなもののようである。
しかも、俺たちよりはるかに規模が大きく、社会的な貢献度も高そうで、さらに教師の中にその後押しをする人間がいる。
この状態では戦って勝つ見込みなどない。どうやっても部室没収は免れないだろう。
 その後も岡部は謝罪を続けて、ハルヒは口をへの字に曲げている状態が続いていたが、
岡部はハンドボール部の顧問ということもあり、ここはいったん引き取ってもらうことにした。
どのみちこれは決定事項なのだそうで、岡部一人に抗議したところで何も変わらないからな。
「で、どうすんのよこれから。部室棟の立ち退き日はそう遠くないわよ。新設されるまではプレパブの仮部室棟が
できるっていう話だけど、恐らくそこにも文芸部の場所はないでしょうね」
「…………」
 俺はハルヒの言葉に何も言えずにいた。部室がなくなる。その時点で活動休止に等しい状態になるだろう。
いや待て、図書室の学習机を借りて活動するのはどうだ? しかし、それも難しいだろう。生徒の共有スペースを
一集団がずっと占拠しているのは好ましくない状態だ。
 どうする……どうする……
 一向に結論が出せない俺は、長門にも意見を聞いてみようと振り返って――
 …………
 気がついた。長門は俺たちとは背を向けていたが、その身体は小刻みに震えていた。同時に全身から怒りや困惑、悔しさが
入り混じった負の感情を発散させている。ここまでの長門を見た覚えは、俺の世界ですらない。生徒会長との対峙のときも
相当なものだったが、あれ以上に長門は感情をむき出しにしている。
 それを見た俺とハルヒは、目だけで意思疎通を行いお互いにうなづく。
 何とかしたい。長門のためにも何とかしなくてはならない。
 考えろ。廃部にならなかった以上、どこかにまだ突破口が存在しているはずだ。どこかに……
 先に打開策に思いついたのはハルヒだった。ぽんと手を叩き、
「そうだ。部室をのっとればいいのよ」
 
 ……ハルヒのその言葉に、俺はとてつもなく嫌な予感がした。
 
◇◇◇◇
 
「こんにちわー! 部室の間借りにきましたー!」
 ハルヒは長門の手を引っ張りながら、隣のコンピ研の乗り込んだ。俺もそれに続くように、中に入る。
 コンピ研一同何事かとハルヒに視線を集中させていたが、ほどなくして部長氏が立ち上がり、
「部長は僕だけど、何か用かな?」
 ハルヒは部長氏に不敵な笑みをぶつけつつ、
「今度部室棟が新設されるって言う話があるのは知っているわよね?」
「ああもちろん」
「その新部室練の部屋の一部を文芸部に貸してほしいのよ」
「はあ!?」
 素っ頓狂な声を部長氏が上げるのも無理もない。いきなり乗っ取ると言っているんだからな。
 部長氏はしばらく困惑の表情を浮かべていたが、やがてやれやれと首を振って、
「何を血迷ったことを言っているんだい? 僕たちも新しい部室で心機一転広くなった部屋で活動できると
喜んでいるんだ。それを一部明け渡せなんてとてもじゃないけど容認できない。大体、新しい部室なら君たちだってできるんだろ?」
「うちの部活、部室を没収されちゃったのよ」
 ハルヒのあっけらかんとした告白に、部長氏はマジ?と俺に向かって聞いてきた。とりあえず、俺はそれにうなづいて、
「ええ、廃部は免れたんですが、部室はだめという訳のわからない条件付でして。でも部室がないと活動なんて
不可能だからどこかに場所はないかと探しているんです」
「それは……お気の毒に……としか言いようがないなぁ」
 他人事のように部長氏。そりゃそうだろう。ほかの部活の事なんていちいち気にかけている必要なんてないからな。
 ここでハルヒはずずいと部長氏に詰め寄ると、
「そういうわけだから、部室の一部をさっさとよこしなさい」
「なに言っているんだ。だめに決まっているだろ」
 一方的過ぎる言い回しに、怒りの表情を浮かべる部長氏。これも当然な反応だな。
 しばらく二人のにらみ合いが続いたが、やがてハルヒはふーんと言いながら部長氏から離れると、
「あーそう、それならこっちにも考えがあるわ」
 そう言って部室内を見回し始めた。なんだか俺の世界でコンピ研から新型パソコンを強奪したときに似た展開になって来たぞ。
だが、朝比奈さんはここにはいないし、かといってまともな反応が期待できない長門ではあの悲惨な役は務められない。
あいつのポケットにはデジカメが入れられていたはずだが、なら一体何を撮影する気なんだ?
 ハルヒはしばらくそのまま見回していたが、やがてにやりと危険な笑みを浮かべると、コンピ研の備品である
大きなステンレス製の戸棚の前に立った。しかし、本棚とは違い鍵付の扉が閉じられているために
中に何があるかはわからない。
 何をする気なんだハルヒは? そう思っていたが、なぜかコンピ研一同の表情が引きつっていることに気がつく。
ひょっとして……
 ハルヒはその扉に手をかけて開けようとするが、やはり鍵がかかっているらしく開くことはなかった。
そのタイミングで部長氏がハルヒの元に駆け寄り、
「ざ、残念だったね。何が目的は知らないが、そこにはコンピ研の大切な備品が入っているから厳重にロックしてあるんだ。
当然中は見せられないものばかりで……」
「ふふん?」
 ハルヒは悪巧みをする無邪気な子供のような笑みを浮かべると、もう一度扉に手をかける――
「あ、開いた」
 あっけらかんとハルヒが言ったのとは対照的に、コンピ研一同の悲鳴が上がった。しかしハルヒはそんなことお構いなしに
その扉を思いっきり開ける。その中にあったのは――
 …………
 …………
 あー、なんと表現すればいいのだろう。ストレートに言うと下品っぽいし、かといって誤解を招く表現は避けたいし、
まあ何というかパッケージに○18というシールが張られている物体が大量に並んでいるわけだ。
いわゆるアダルトゲームって奴だな。
 ハルヒはコンピ研が止めに入る暇もなく、その内部をデジカメで撮影しまくり始めた。
「待て待て! これはその誤解なんだよっ!」
 そうハルヒにつかみかかろうとする部長氏をひらりとかわして、ちゃっかりそのアダルトゲームで埋まった戸棚が
背景となっている部長氏の姿も撮影する。
 ふと、思い出す。俺はパソコンをもらったときにOSのクリーンインストールするとかあわてていたけど、
あのパソコンの中にもきっとこういう類のソフトが入っていたんだろうな。
 さて、こうなったらもうハルヒのターンだ。そのアダルトゲームのパッケージとデジカメをつかむと、
「こーんなゲームを学校に持ち込んでいると知られたら教師はあんたたちの研究会をどうするかしらね?
きっと廃部は確実よ。下手をしたら停学かも。だって法律違反だし。しかも分配されている研究会費で買っていたら
完全にアウト」
「いいいいいいいいや、ここここここれはそのあの! そう、コンピ研の純粋なゲームの考察活動に必要だっただけで
決して疚しい気持ちで購入したわけじゃないんだ!」
 必死に弁明しようとする部長氏だったが、ハルヒはどこ吹く風。その悪魔の笑みはどこまでも純粋に部長氏を
あざ笑い続けている。こりゃハルヒの勝ちは確実だな。
「さあ、どうする? いいのよ、これを教師に伝えても。そしたら部室がひとつ開くからあたしたちの安泰だし」
「ま、待ってくれ! それだけは! どうかそれだけは!」
 部長氏と部員一同はもう泣いて懇願するようにハルヒにすがり付いてきている。
 勝負あったか。だが、
「いい加減にしろ」
 俺は隙を見計らってデジカメをハルヒから没収する。ハルヒはあっと声を上げて、
「ちょっと何するのよバカキョン!」
「こんなやり方で部室を強奪しても後腐れが残るだけだろうが。それにコンピ研にはパソコンをもらった恩がある。
それをあだで返すようなことをしたくない」
 そういいながら、デジカメ内の証拠写真を削除した。気持ちはありがたいし、ハルヒなりに何とかしようと
考えた末の行動――団長ハルヒのパソコン強奪を見るとそう断言できない気もするが――だろうからあまり非難はしたくないが、
こればっかりはさすがによろしくない。まあ、こんなものを買った上に学校内に持ち込んでいるコンピ研に
問題があるのは当然の話ではあるが。
 俺は消去済みのデジカメをハルヒに返して、あー全部消された!と騒ぐのを尻目に床に倒れこんでいるコンピ研一同のもとへ行き、
「大丈夫ですよ。証拠写真は全部消しましたから。学校側にも通報しません。でも持って帰ったほうがいいと思いますが」
「……ありがとう! 本当にありがとう!」
 部長氏一同は感涙して俺の手を握ってくる。異様なムードなので早々に離してほしかったが、まだ本題が残っている。
「それでですね。今のハルヒの一件はなしにするとしても、うちの部活の存続が危ぶまれているのは事実なんです。
どうにか手助けしてもらえませんか?」
「それは……」
 さすがに即答はできないらしい。室内であんなゲームをやっていたんだからな。女子が同じ部室にいるのは
いろいろと不都合な面が出てくるのだろう。
 さてどうしたものか……ん? 長門は何を指差しているんだ?
 見れば、一台のパソコンが青い画面のまま停止状態になっていた。長門はじっとそれを指差している。
「ああ、それなんだけどさっきから調子が悪くてね。地震のときに壊れたのが今頃出てきたのかと思っていたんだが……」
 部長氏の説明に、長門はそのパソコンの前に立つと、
「再起動していい?」
「……ああ、別にかまわないけどたぶんOSの起動途中でまたおかしくなると思うよ。何度もやり直したし」
 長門は部長氏の言葉を聞いているのかいないのか、さっさと電源ボタンを押してパソコンを再起動した。
するとどうしたことか。あっという間にOSが正常に立ち上がり、動作もまったく問題なくなっている。
 これに仰天したコンピ研一同は、
「そ、そんな! 僕たちがあれだけやっても直らなかったのに! そういえば、こないだのあげたパソコンも……そうだ!
こっちのパソコンもやってみてくれないか? 同じようにブルースクリーンが出て動かないんだよ」
 部長氏が指差すパソコンを長門はぽちっとなと電源を押してみる。するとやっぱりまったく問題なかったかのように
きれいにOSが立ち上がってきた。これは……もしかして?
 次に部長氏は自分のパソコンを持ち出してきたかと思えば、そのカバーをはずし始め、
「じゃ、じゃあ最後にもうひとつ! 実はこれに新しくメモリを増設したんだけど、どうやら相性が発生しているみたいで
メモリをさしたら動作しなくなるんだ。もう一度さしてみるから、今度は君が起動させてみてくれないか!?」
 そう言ってがちゃがちゃとパソコンをいじり始めた。なんだかよくわからんことを言っていたが、どこまで長門にやらせる気だ?
 ほどなくして作業が終了したらしく、電源を押せば良いところまでセッティングされたパソコンの前に長門が立つ。
 そして、ゆっくりと電源ボタンに触れると――
『おおーっ!』
 コンピ研一同の歓声。そのパソコンは見事にきちんと立ち上がり、正常な動作を開始した。
 部長氏はしばらく念入りにソフトの起動などで異常がないか確認していたが、やがてまったく問題ないことを確認すると、
突然長門の手を握り締め、
「すばらしい! 一体どうやっているのかわからないけど、頼みがある! コンピ研に入ってみてくれないか!?」
 今度は勧誘を始めやがったぞ。何だ、このコンピ研製作ゲーム対決後みたいな状態は。
 それを聞いたハルヒは仰天して、
「ちょっとちょっと! なに勝手なことを言っているのよ! 有希は文芸部なの。あたしと一緒にいるのが
使命であってその役割なの! 勝手に勧誘しないでよね!」
 部室の間借りの話がいつの間にか長門の奪い合いに変わっちまったぞ。やれやれ、何だこの展開は。
 その騒動の中心に移動した長門は、しばらくハルヒとコンピ研にもみくちゃ状態にされていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「わたしは文芸部に所属している。残念ながらあなたたちの要請に応じることはできない」
「ほらね。有希はそう言っているんだから」
 強気にフォローするハルヒだったが、長門はそれを無視して続けた。
「しかし、仮に同じ部室内に文芸部とコンピュータ研究会が一緒にいれば、たまにであれば容易にそちらの活動に
参加することが可能。その条件が満たされれば、あなたたちの要請も一部受け入れることができる」
 やっぱりそう来たか。まったくハルヒともども腹黒いことで。
 部長氏はさっきまでの渋りようはどこへやら、即座に首を縦に振り、
「いい! もちろんOKだ! 君みたいな即戦力がいてくれるなら同居ぐらいなんてことはない。
文芸部の備品って本棚ぐらいだろ? そのくらいのスペースは確保できるよ!」
 ……やれやれ、結局茶番劇で事態解決かよ。
 
 そんなわけで、何はともあれ俺たちは新しい移動先の確保に成功したって訳だ。帰りがけに岡部のところにより、
コンピ研との同居の了承を取ったと部長氏ともども報告に行き、それなら問題ないということになって一安心。
これで地震発生から続いていた文芸部存続問題も解決したことになる。さらにコンピ研の部室ならインターネットも
やりたい放題になるし、ソフトももっと使いやすいのを借りられるだろうからHPの更新も容易になるだろう。
いいこと尽くめのハッピーエンドといったところか。
 しかし、やっぱり一応確認しておかなければならないが。俺は学校の帰り道に聞いてみることにした。
「なあ長門」
「なに?」
「お前、最後のパソコンはさておき、その前の動作異常の二台ってお前がなんか細工しただろ」
「そう」
 やっぱりそうか。あらかじめコンピ研のパソコンを故障させておいて、それを長門が復旧させる。それを見た部長氏たちが
長門を勧誘に走り、部室同居の条件ならということで受け入れる。すべては長門が仕組んだことだったって訳だ。
結局宇宙的インチキで解決しちまったな。まあ、ハルヒの脅迫よりかはマシだと思っておくことにしよう。
 長門は続ける。
「手段は正当とは言えないかも知れない。しかし、それでもわたしは文芸部の存続が行えるのならと判断した。
そのためならばいかなる手段も躊躇わない」
 その目は純粋でまっすぐなものだった。ただ無表情によるものではなく、あのハルヒの見せるまっすぐ一直線な
視線によく似ている。
 
 ……やれやれ、育て方をちょっと間違えたかな? これはあくまでジョークだが。
 
◇◇◇◇
 
 さて、それからしばらくは何事もなく平穏な日々が続いた。
 コンピ研との同居が決まった後、実験的という理由で同居を開始していた。旧館からの立ち退き後も同じように
同居することになるから早い段階でやっておいたほうがいいというのが双方の合意だった。
 結果として、部屋の隅で本を読みつつ、たまに長門はコンピ研のパソコン作業に参加するという形が整っていた。
いつの間にやらブラインドタッチを完全にマスターした長門は、読書と半分ぐらいのペースでパソコン作業に没頭するようになり
それこそビルゲイツもびっくりなOSを構築するわ、コンピ研制作ゲームに多大な貢献をしたりと、大活躍の状態で
もはやコンピ研の最高実力者に成り上がっていた。部活以外のときでもコンピ研の連中は長門に挨拶を欠かさないほどである。
俺とハルヒはこれまたコンピ研から借りたパソコンでインターネットをやったり読書したり程度の活動だったが。
ちなみにハルヒのほうはもっぱら週末の不思議探索ツアーならぬ、文芸めぐりの方が楽しみのようで、ネットを徘徊しては
その週末の予定を組んでいた。
 入学式から二ヶ月が経ちそろそろ新部室練の建設と旧館からの立ち退きが迫る中、事態が動いた。
やっとこさ平穏になったって言うのに、それは唐突に無神経極まりなく土足で俺たちの中に入り込んできやがったんだ。
 
 その日も部活動を終えて帰宅しようと、俺たちは校門から学校を出ようとしていた。コンピ研の部員たちは
一足先にみんな帰ってしまっている。
 ふと、いつものように三人で帰宅ハイキングコースへ入ろうとしたタイミングで、
「有希?」
 長門が立ち止まり、不自然に思ったハルヒが呼びかける。
 だが、俺とハルヒはすぐに息を飲んだ。長門の少し離れた背後にはあのインターフェースである喜緑さんの姿があったからだ。
「呼び出された。行ってくる。先に帰って」
 長門の言葉。しかし、その身体はまったく正反対の行動をとっていた。俺とハルヒの腕を自らの手でつかんで
離そうとしない。これは明らかに一緒にいてほしいというサインだった。
 ハルヒはたまらずに、
「有希! 一人で抱え込まなくて良いのよ! あたしとキョンが必要なら言ってくれればいつだって……!」
「いい」
 しかし、長門の口はあくまでも身体の行動とは正反対だった。そして、続ける。
「この手は自分で離す。離さなければならない。わたしが決断しなければならないこと」
 俺とハルヒをつかんでいる長門の手は、小刻みに震えていた。だが、それでもゆっくりとその手を離し始める。
何度もつかみなおそうとして、そのたびに強引に手を自らのほうへ引き戻すというもどかしい動作を繰り返して。
 どのくらいかかっただろうか、やがて長門の手は完全に俺たちから離れ、自らの身体に戻った。
 きっと喜緑さんからの呼び出しは、任務放棄についてのことなのだろう。長門はずっとハルヒのことを報告する義務を負っていながら
それを怠り続けている――またはそれができないでいた。長門の親玉にしてみれば、いいことのわけがない。
よくこの長い間放置状態にされていたものだと思いたくなるほどだ。
 長門は今その問題に自らケリをつけようとしている。しかし、どんな判断が下されるかわからない。
その恐れがさっきまでの俺たちをつかんでいた手。ひょっとしたら離れ離れになってしまうかもしれない。
だから離したくなかった。
 ハルヒも俺と同じことを考えたのだろう。たまらなくなったのか、長門を抱きしめようとするが俺が腕でそれを静止する。
俺もハルヒもわかっていたことだ。口には出さなかったがいつかこんな日が来るだろうってことをな。
それを乗り越えられるのは長門自身だけであって、俺たちはその手助けをしてやることしかできない。
ここで抱きしめてしまえば、長門はもう俺たちを離せなくなる。同時に情報統合思念体はどんなことをしてくるかもわからないんだ。
奴らだって鬼じゃないと信じたい。長門が連中の一部から完全に脱して、独り立ちしたいといえばそれを受け入れられるかもしれない。
その可能性に賭けるしかないのだ。
 ハルヒを静止しつつ俺は長門へ言う。
「最初に言っておくぞ。俺とハルヒはお前が必要だ。それこそ離したくないほどにな。だから、万一困ったことがあったり、
つらいことがあったらすぐに呼んでくれ。俺たちはすぐにお前の元に駆けつける。そして、相手が化け物だろうがなんだろうが
戦ってやるさ。なあハルヒ、そうだろ?」
「当たり前じゃない……!」
 ハルヒは今にも泣き出しそうな声を上げた。俺だって泣きたい。下手をすればここでお別れかもしれないんだから。
そうなれば、恐らくリセットということになるだろう。長門がいなくなったなら、もうこの世界を続ける意味はない。
 長門はしばらく黙っていた。そして、こう言った。
「……ありがとう。また明日学校で」
 そのときの長門がわずかに微笑んでいたのは、絶対に俺の錯覚じゃないと断言しておく。
 
 その日の夜。ああは言ったもののもやもや感を持ったままだった俺は、就寝時刻になっても眠ることができず
長門がどうなったかばかり考えていた。
 信じたかった。明日もいつものように長門がいてコンピ研から称え崇められていて、無表情だけど
全身から感情オーラをむんむんさせている長門のがいることを信じたかった。
 ――だが。
 突如鳴り響く携帯電話の着信音。その番号は見慣れないものだったが、俺はワン切りや間違い電話ではないと確信し、
すぐに通話ボタンを押す。
『こんばんわ。喜緑江美里というものです。恐らくあなたと直接お話しするのは初めてだと思いますが。
名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?』
 電話の主は喜緑さんだった。やはり長門絡みか。
「ええ、知っています。何かあったんですか?」
『長門さんからの伝言を伝えます。会いたい。学校に来て欲しいと。涼宮さんにもすでに連絡済みです。ではまた』
 そう一方的に電話を切られる。だが、いちいちかけ直す必要などない。長門が呼んでいるんだ。だったら俺はすぐに
学校に行くだけだ。
 俺は一目散に着替えをすませると、深夜なので家族に悟られないように家を出て、自転車で学校へと向かった。
 
◇◇◇◇
 
「キョン……有希が……有希がっ……!」
 長門がいたのは、すでに引っ越しして無人となっていた旧文芸部室だった。すでにたどり着いていた私服姿のハルヒが
そこで倒れている長門を抱きかかえている。そばには喜緑さんがあの笑みを浮かべたまま立っていた。
「長門っ……!」
 俺も長門のそばに座り込む。見たところ外傷はなさそうだったが、あのいつもの感情オーラが非常に弱々しくなっていた。
それも徐々に小さくなっているように感じる。
 なんてこった。やっぱり長門のパトロンの仕業なのか?
「わたしは……ダメ……だった……」
 長門のつぶやき。
 俺たちは悲痛な想いで叫ぶ。
「何がダメなんだよ! お前の存在なんて誰も否定できやしない! お前はお前だ!」
「そうよ有希!」
 だが、長門は呆然とうつろな瞳を浮かべたまま、
「情報統合思念体……はわたしの独立を……認めなかった。わたしの役目は……涼宮ハルヒの……観察。
それができなくなれば……必要ないと……判断が下された。情報操作を行える……あるいはそれを知っているインターフェースを
野放しにすることは……情報統合思念体は決して認めない……」
「……道具扱いだって言うの!? 有希は……有希は自分で考えて行動していた! それを踏みにじるなんて最低よ!」
 ハルヒの絶叫。
 わかっていたさ。ああ、こうなる可能性があることはわかっていたつもりだ。それでも――少しでも良いから
奴らにも良心があることを願っていたんだ。
 しかし結果は最悪だった。奴らにそんなものはない。ただ利害や反応で行動するだけの無機質な意識体。
今回連中の正体というものをこれ以上ないほどに思い知らされた。
 ――だが、真相は違った。
 俺はそばに立っていた喜緑さんに振り返り、
「……何があったのか教えてもらえませんか?」
 そうダメ元で尋ねてみた。だが、喜緑さんは意外とあっさりと真相を語り始める。
「長門さんはご存じの通り、本来の役割を果たせない状態に陥っていました。最終的には情報統合思念体は
切り離す決断をしたんです。それは別に長門さんの抹消ではありませんでした」
 俺は予想外の言葉に驚きを隠せない。長門がおかしくなったから排除したのではない? だったらなぜこんな結果になっているんだ。
 喜緑さんは続ける。
「長門さんは切り離しを宣告された後ある行動を取ろうとしたんです。それは情報統合思念体の抹消」
「なんだって……!? ちょっと待ってください! 長門は情報統合思念体から切り離されたんでしょう?
だったらそんなことは不可能に決まっているじゃないですか!」
「できます。その方法がたった一つだけあるんです。切り離される直前のタイミングを狙って」
「……涼宮ハルヒの能力を使って……実行できる。その時はまだ情報操作能力があったから……」
 喜緑さんの言葉を遮って答えたのは長門だった。痛々しいほどにか細い声。次第に意識がなくなっていっているようだった。
 その答えに俺ははっとハルヒを見つめる。だが、ハルヒは呆然と首を振るだけだった。自分は何も知らないと。
「涼宮ハルヒの能力は……情報操作能力があれば外部からでも……使用可能だとわかっていた。だからわたしはその方法で……
情報統合思念体を抹消しようと試みた……」
「……何でそんなことを勝手にやろうとしたのよ! あいつらがそれをみすみす許すわけないじゃない!」
「一緒にいたかったから。ずっと一緒に彼とあなたと一緒に居たかったから……」
 ハルヒの問いかけに、長門の答えは簡潔だった。
 この答えにハルヒは我慢の限界を超えたのか、顔中くしゃくしゃにして泣き崩れる。
 そうか。
 長門はハルヒを敵視している情報統合思念体を消せば、問題が解決されると考えたんだ。
 ただ独立して1人の人間として歩むだけなら奴らも認めたのかも知れない。
 だが、それでは結局また新しいインターフェースが派遣されてきてハルヒの観察を続けるだろう。
 そして、ハルヒが能力を自覚していることを露呈させてしまえば、長門が望んでいる一緒にいたいという願望も叶えられなくなる。
 それでは意味がない。だから奴らを抹殺しようとした。
 で、結果がこの有様だ。
 だが、一つわからないことがある。俺の世界でも同じことを長門はやった。あの冬の日の一件の時だ。
あの時情報統合思念体はすぐに長門を消去したりはしなかった。正常に戻った後でも長門は存在し続け、
ただ長門の言葉をそのまま言えば「処分の検討」というレベルに過ぎなかった。その後なんの音沙汰もなかったのは
俺の脅迫じみた呼びかけが起因しているのかも知れないが、即座に行動を起こさなかったのはなぜだ? 一体何が違うんだ?
「……っく!」
 俺は苦渋のうめきを漏らした。わからねえ。どうして俺の世界で許されて、この世界では許されない?
 それにやりきれない――やりきれねぇ。長門はただ一緒にいたかっただけなんだ。それなのに……!
何でこんな結果になっちまうんだよ……!
 長門は長門を抱きしめたまま泣き続けるハルヒと、呻く俺の頬をそっと撫でてくると、
「苦しまないで……わたしはずっと楽しかった……三年前に作り出されたときからずっとわたしの中は真っ白だった。
でも、あなた達が少しずつ……色を与えてくれた……エラーだとしか認識できなかったものが……今ではそのエラーこそが
わたしの意思なのだとはっきりと……わかった……」
「そうだよ! それはエラーとかそんなもんじゃない! お前そのものなんだ!」
 俺の呼びかけに長門はすっと目を閉じて、
「さようなら……あなた達と一緒にいられて……とても楽し……か……った」
「有希っ!」
 ハルヒは涙駄々漏れの顔で必死に長門を呼びかけたが、それ以降長門が言葉を発することはなかった。
 完全に機能停止――いや、死んだ。長門有希は今1人の人間としてここに息絶えたんだ。
 それを見届けたことを満足したのか、喜緑さんが部室から出て行こうとする。俺はそれをすぐさま呼び止めて、
「待ってください。あなたももうハルヒが自分の能力を自覚していることを知っているんですよね?」
「はい。存じています。長門さんが情報統合思念体の抹消に失敗した後、彼女の記憶情報全てを入手して解析後、
全情報統合思念体へ転送していますので」
「……ならやっぱり次にやることはハルヒの抹殺と人類の抹殺ですか?」
 ここで喜緑さんはすっと視線だけをこちらに向けてきて、
「いえ、確かに涼宮さんの能力自覚の場合における対応措置は情報統合思念体全ての共通意識です。
ですが、それでも各派閥では温度差というものがあるんです。わたしの主はあなたの言うことをするように
指示を出していません。わざわざそうする必要がないからと言う理由が一番大きいのですが」
「何を言って――」
「有希!?」
 俺の問いかけを遮ったのは、ハルヒの声だった。見れば、まるで亡霊のように長門がまたふらふらと立ち上がり始めている。
 しかし、その全身からは何も感じ取れない。当然表情からもだ。こいつは……
 俺はとっさに叫んだ。
「ハルヒ離れろ! そいつはもう長門じゃない!」
「くっ――!」
 ハルヒはとっさに身を離して後ずさった。
 ゆらゆらと蜃気楼のように長門――元長門が立ち上がる。意思も感情も感じられない。あったとき同様の状態。
つまり長門は『初期化』されてしまったんだ。俺たちとともにずっと生きた期間を全てリセットされて。
 ふと気が付けば喜緑さんの姿はすでになくなっていた。確か長門と喜緑さんは別の派閥に属していると古泉が言っていた。
恐らく喜緑さんの主が排除行動を取らないのは、放っておいても長門の主流派がやるからと言う意味なのだろう。
「ハルヒ!」
「わかっているわよ!」
 俺たちの声が交差する。長門は俺には聞き取れない言語をぼそぼそとつぶやき続けていた。ほどなくして
激しい地鳴りと振動が部室を揺るがし始める。排除行動が始まったのだ。
 だが、そうはさせない。その前にハルヒがリセットする。そして、長門が見せてくれた生き様を俺たちは次の世界に持って行く。
それが俺たちに出来る唯一のことだ。
 情報統合思念体の排除行動に呼応するように、ハルヒを中心とした暴風が吹き始める。同時に世界が暗転を始めた。
 
 その中、元長門がうつろな視線でこちらを見つめていた。またこの長門とは次の世界で遭遇することになるだろうな。
 だが、俺は諦めねえぞ。何度だって長門を普通の文芸少女に変えてやる。ああ、何度でもだ。
 
 長門。次の世界ではうさんくさい超能力者や可愛らしい未来人が加わる。だから待っていてくれ。
次の世界はこの世界以上にお前にとって楽しいものになるはずだ――
 ………
 ……
 …
 
◇◇◇◇
 
 次に目を開けたときは、俺はあの灰色の部屋の中にいた。随分久しぶりに戻ってきた気がする。
 見れば、俺の目の前にはうつむき加減のハルヒが立っていた。そして、そのまま俺の胸に倒れ込むように泣きじゃくり始める。
「有希っ……あんなに……良い子だったのに……」
 俺はそんなハルヒを抱きしめてやることしかできなかった。
 
 これで全ての勢力が一通りにそろった。
 古泉のいる機関。
 朝比奈さんのいる未来人。
 長門のいる情報統合思念体。
 
 次の世界はこの三勢力が全てそろったものとなるだろう。今まで得た教訓全てを使い、今度こそ情報統合思念体による
排除行動が行われない世界を作り出す。
 だが、俺の役目はこれでまだ終わったわけではない。先ほどの世界でたった一つの大きな問題を残してしまったからだ。
それを解決しなければ、例え三勢力そろったところでさっきの世界と同じ末路をたどる可能性は極めて高い。
すなわち俺の世界でいう冬の日の世界改変。今のままでは、これが実行されたとたんに長門は消されてしまう。
それが残された最後の問題だ。俺はそれを見届け解決しなければならない。
 
 ハルヒは俺に胸にうずくまったままつぶやく。
「有希もみくるちゃんも古泉くんもあたしが守る……絶対に守ってみせる……」
 
 
 ~涼宮ハルヒの軌跡 SOS団(前編)へ~


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