…━━真っ青に澄みわたったアンダルシアの空でもなければ、果てしなく続くアタゴオルの草原でも無い…
午後の部室…窓の外に広がる淀んだ空の下の校庭、舞い上がる砂埃でくすんだ周囲の森、そしてその彼方に見える灰色の街並み…
それでも僕は、この景色に何度でも心を惹かれてしまう。
この歳になって訪れた「高校生」として過ごす時間も、それほど悪くないと思える程に…
窓を少し開け、ネクタイを緩めて軽く目を閉じる。
校庭から聞こえてくる少年達の凛々しい掛け声や、校舎から聞こえてくる調子の外れた金管楽器の音…
深く息を吸い込むと、乾いた冬の風の匂いがした。
「あら…今日も古泉君だけですか?」
背中から不意に聞こえる聞き慣れた声に、驚いて振り返る様な事はしない。
僕は窓の外を見つめたまま「ええ…そのようですね、朝比奈さん」と静かに応えた━━…

【K.B.F.】~killing baby-face~


━1━

与えられた任務の為に、ここで彼等と過ごす様になってから既に1年以上が過ぎていた。
任務の対象である『涼宮ハルヒ』、そしてそれにより集められた僕を含む四人の仲間達…
少々複雑な事情とプロフィールを持つ彼等だが、その一員として彼等と過ごしながら与えられた任務を消化していく日常は、様々な紆余曲折や少々の危機的な状況を含みながらも、僕のもとに「二度目の青春時代」とも言えるべき仲間と過ごす充実した時間を与えてくれた。

しかし、最近ではそれぞれが「それぞれの事情」を優先させてしまっている為か、放課後にこの場所で一同に集う機会も少なくなってしまっている。
仲間の内の誰か一人が部室に現れると、それに都合が合えばそのまま各々が集まる訳だが、合わない日は「誰か一人」が居るだけのままで一日が終わる。
さしずめ今日の場合は、その「誰か一人」が僕であった訳なのだが…
偶然訪れた彼女、朝比奈さんと僕の「都合」一致した様で、独りきりで景色を愛でる放課後は静かにその幕を降ろした。

振り返ると、躊躇いもなく制服を脱ぎながら着替えの支度をする彼女が視界に入る。
(まったく…一度関係を持つと、こうまでも遠慮が無くなるものか…)
呆れる僕の視線に気が付いたのだろうか、彼女は悪戯っぽく笑うと「あら、邪魔をするつもりは無かったんですよ?どうぞ、そのままもの思いに更けっていらしたら…」と悪びれた様子を見せた。
「結構ですよ。それより、今日は涼宮さんはどちらに?」
「昨日、キョン君と買い物に出かけると騒いでいた様でしたけど?」
下着姿のままでハンガーに掛けられた衣装に手を伸ばす彼女。
視線を反らすのも癪だから、そのままで会話を続ける。
「そうですか。なるほど、道理で今日も何事も無い訳だ…」


今更説明する必要も無いとは思うが、僕の主な任務は涼宮さんの精神の状態が不安定になった時に発生する「閉鎖空間」の内部で遂行される。
よって涼宮さんの精神状態がこのうえなく安定している最近では、僕に対する出動要請は殆んどと言って良いほど無い。
彼女の精神状態が安定している原因は、紛れも無くキョン君だろう。
数ヶ月前に彼と親密に関係を重ね始めてからというもの、それまで二週間に一度は発生していた閉鎖空間はピタリと出現しなくなった。
そして今では、『涼宮ハルヒ』の持つ力の全てが効力を失いつつあるのではないかと思ってしまう程、穏やかな日々が続いている。

「さてと…今、お茶を入れますね」
「ああ…どうも」
朝比奈さんは手早く着替を済ませるとお茶の支度を始めた。
今日は此処には僕しか居ないのだから、コスチュームに着替える必要は無いと思うのだが…
おそらく、この部屋に来てコスチュームを纏う事は彼女にとって習慣化しているのだろう。
(妙な習慣を身に付けてしまったものだな…)
少々気の毒な気持ちになるものの、彼女が苦に感じていないのならそれはそれで良いかとも思う。
「ところで古泉君…?最近は『バイト』の方はどうなんです?」
微笑みながら、お茶を差し出す。
ちなみに『バイト』とは僕の任務の事だ。
彼女も…彼女の所属する組織もまた、最近「涼宮ハルヒ」が見せ始めた変化について興味を持っているのだろう。
「おや…このお茶と引き替えに情報を提供しろと?」
先程のお返しとばかりに、微笑みを返しながら問返す。
しかし、彼女も負けてはいない。
「あら、お茶では足りなかったかしら?お望みなら、そのお茶以上に『熱い』一時も用意できますよ?ウフフッ」
椅子に座る僕の後ろに立ち、悪戯に首筋に腕を絡ませる…
やれやれ…だ。
つくづく「女」って生き物は解らないと思う。
ここに集まる五人の…僕と朝比奈さんを除く三人の中の、誰が彼女のこんな姿を想像出来よう。
「遠慮しておきましょう?生憎、猫舌なものでね…」
「あらあら…残念ですこと」


「…ここ一ヶ月、『バイト』はありません。残念ながら、もの凄く暇でね…。これはあくまでも私見ですが、このまま僕の『バイト』は、いずれ必要無くなるのでは無いかと…」
「なるほどね…それで長門さんは今日も居ないのですね…」
「…どういう事です?」
突拍子も無い事を言い出した朝比奈さんに、僕の声の音量が少し上がる。
彼女は僕の後ろから離れると、正面に回りこみ椅子に腰を降ろした。
「古泉君の推測は恐らく当たっていると思いますよ?
そして…私は、このまま涼宮さんの力が消えてしまえば、全てが平穏に解決すると思っています」
「同感ですね」
「でも、それを良しとしない勢力も少なからず存在する…」
「急進派…と呼ばれる勢力ですか?」
「…そう。私の周囲にも貴方の周囲にも、そして長門さんの世界にも存在するそれらの勢力は『涼宮ハルヒの力』が消失する前に、なんとかして彼女の力を利用して『何か』を起こそうと企んでいる…
まあ、コレは私自身の私見を含んだ仮説ですけど」
「いえ、的は得てると思いますが…」
「…ところで、長門さんの世界の急進派は、特に過激なのはご存知ですか?」
「ええ。…まあ後で知った事ですが、此迄も幾度と無くキョン君や涼宮さんに接触を試みている様ですね。ことにキョン君は『とんでもない目にあった』とか…」
「確かその時も長門さんが対処した筈…恐らく今回も同じ様な事態に陥っているのではないのかしら…
例えば、涼宮さんやキョン君に危害が及ぶのを未然に防ぐ為に奔走しているとか…


まあ、そんな風に考えると長門さんも此処に来て悠長に読書に興じている場合では無いでしょうね…」
「あなたの場合はどうなんです?朝比奈さん」
「特に何も…だからこそ気になって貴方に訊いたのよ?古泉君」
なるほど、確かにこのまま涼宮ハルヒの力が消えてしまえば、此れ迄の様々な出来事が全て解決する事になる。
しかし、その力を利用しようとしていた者達にとっては、これほど都合の悪い事は無い。
僕は「そうですね…」と呟くと、手元のお茶を少しだけ喉の奥に注いだ。
「何だか…これでは面白くないわ」
茶碗を机に置こうとした僕を彼女が不満気に見つめる。
「何が…です?」
「だって…結局、私の方が喋り過ぎてる…」
「では…二杯目のお茶は僕が入れましょうか?もちろん、貴女の分も…」
「フフッ、お茶では足りませんよ…?」
やれやれ…仕方がない…
椅子から立ち上がり彼女の背中に近付く。
そして、そっと髪に触れながら顔を引き寄せると、こちらに向かせて唇を奪った。
と、その瞬間…
僕の上着のポケットの中で携帯が震えた。
普通の震え方ではない、機関からの連絡事項の着信を示す震え方…
「失礼!この埋め合わせは必ず…」
僕はそう告げながら彼女から離れると、部室のドアを勢い良く開けて廊下へと飛び出した。


━2━

僕は廊下を走り抜けながら、チラチラと携帯の画面を確かめる。
画面には任務を遂行するロケーションが独自に配分された座標により示されていて、その下には現地迄の移動手段…
移動手段のコード表記はd4163…
やれやれ、今回は『お迎え』は無しか…。
ここまで確認して僕は、もう一つの項目がディスプレイに表示されている事に気が付いた。
『ttt-606』
通常の任務では…ない?
閉鎖空間外の任務…?
すると、先程の座標はその場所で再度指示を受けろという事なのか。
まったく、一体どんな厄介事だろう…
部室棟の出口で立ち止まり、走り抜けた為に乱れた呼吸を溜め息で整える。
そして靴を履き替えて部室棟から出た僕は、そのまま学校の近くの駐車場へと向かった。

駐車場の右側の列の奥から二番目…
そこに僕の車は停めてある。
いや、『停めてある』ではなく『隠してある』と言うべきか。
何しろ今の僕は『高校二年生』なのだから、車を所有して運転する事ほど不自然な事はない。
そうだ、『所有』という部分も少し違う。
車は機関が所有するもので、僕は管理を任されているだけに過ぎない。
言うなれば、これは機関が僕を迎えに来れない時の為の移動手段という訳だ。
車の横に立ち、ドアに鍵を差し入れる。
久しぶりに使うのにも関わらずワリと車体が綺麗に見えるのは、ボディカラーが銀色である故だろうか。
ドアを開けて、運転席へ。
さすがに高校の制服のままでの運転はまずいので、制服の上着とネクタイを車に積んであった私服用のモノへと取り替える。
こんな小細工が出来るのも我が北高の制服がブレザーであるからこそだ。
キーを回し、無事にエンジンが回り始めた事に胸をなで下ろす。
この後に及んで「バッテリーがあがっていた」では、ジョークにもならない。


(確か…指示の内容だと、目標の地点は隣町の駅前公園辺りか…)
僕はアクセルを静かに踏み込むと、定められたその場所へと走り始めた。

目標の地点である公園に辿りつく頃には、辺りはすっかりオレンジ色に包まれていた。

僕は路上のコインパーキングに車を停めると、携帯を握りしめながら辺りを見回した。
(さて、辿り着いた訳だが…携帯を介して指示を受けるのか、それとも誰かと接触した後に直接指示を受けるのか…)
とりあえず車から降りて、公園へと歩く。
そしてその入り口に差し掛かった時、正面のベンチに誰かが座っているのが見えた。
初老のサラリーマンといったところか。くたびれた背広と傍らに見える古びた皮の鞄…
(まさかな…)
とりあえず近付いて、そのまま隣に座る。
すると、その男は「早かったですね、予測より12分程早い…」と正面に視線を定めたまま呟いた。
どうやら、この男を介して僕に指示が下されるらしい。
男は続ける。
「今から約37分後、この公園の南側にある『ルシーニュ』に涼宮ハルヒとそのクラスメイトが現れる。そして…彼等を狙う者も」
ルシーニュは1年程前にオープンした流行りのスタイルのショッピングプラザだ。
八階建てのビルに様々な若者向けのテナントを抱えていて、中々盛況だと聞いている。
「なるほどね。今回の任務は『涼宮ハルヒ等の身の安全を確保せよ』と…」
「いや、『命を守る』と言った方が適切だ。敵の狙いは涼宮ハルヒを絶対的な危機に陥れて彼女の持つ『力』を引き出す事。
だが今回彼等を狙っているのは、金で雇われたゴロツキだ…こいつが少々厄介でね、既に20人程殺している」
「敵の人数と襲撃の手段は?」


「1人である事は判っている。それ以外は…すまない、把握出来ていない」
ここまで話を聞いて、僕は先程の朝比奈さんとの部室での会話を思い出した。
急進派の存在…
今回、涼宮さんとキョン君に襲いかかろうとしている『それ』は、まさしく『僕の世界』のものだ。
しかし、この男は一体何者だ?
機関の人間が持つ独特な気配がまるで無い。
にもかかわらず、涼宮さんや此方の動きを的確に把握している様だが…
少々の疑念を感じながらも、僕は「了解しました」と男に告げベンチから立ち上がる。
そして公園の出口へと歩きはじめると、背中から男の声が低く響いた。
「少々危険な任務ではあるが、かつてKilling-babyfaceと呼ばれた君だ、心配は必要無いと思っている。成功を祈るよ」
…この男!
僕の過去を知ってる…!?
驚いて振り返り、先程のベンチを睨みつける。
しかし…
そこにはもう、誰も居なかった。


━3━

「ここがルシーニュか…」
帰宅途中の学生で溢れかえるエントランスで、思わず僕は呟いた。
平日の夕方でこの有り様だ、人気の程が伺える。
ここに来る前に、車の中で制服に着替え直してきたのは正解だった。
もっとも、涼宮さんやキョン君と接触した時の事を考えると、必然的と言えば必然的だが。
ふと腕時計を見ると、先程の男が言っていた時間が迫っている事に気が付く。
(あと10分少々か…)
とりあえず、建物の構造を確認する為に周囲を歩く。
出入り口は約16メートル間隔で、建物の四方から入れる様に四カ所…
これでは、入り口で涼宮さん達が来た事を確認するのは難しい。
(仕方が無い、先回りをするか…)
店内に入り、売り場の案内図を探す。
どうやらエレベーターの横にあるパネルがそれらしい。
1階から2階は女性向けの服飾関係、3階は男性向け…そして4階から上は雑貨やらスポーツ用品やら…
おそらく、1階だけを見て涼宮さん達が帰るということは無いだろう。
確実に、それより上も見て回る筈だ。
だとしたらエレベーターかエスカレーターを使うか…
エスカレーターとエレベーターの数と位置を確認…すると、双方共に一基づつある事が判った。
エレベーターは非常に混雑している様だから、涼宮さんの性格的にエスカレーターを使うと考えるのが妥当だろう。
僕はエスカレーターの登り口にある柱にもたれて、彼等が訪れるのを待った。

「ちょっと、キョン!早くしなさいよっ!」
込み合う通路の向こうから、聞き馴染みのある声が響く。
「大丈夫だって!売り切れる様な代物では無いだろうに…」
「煩いわねっ!アタシのセンスに触れたのよ?もしかしたら今日から爆発的に流行って、一瞬で売り切れちゃうかもしれないじゃないっ!」
来た…
仲良く歩いてくる制服姿の二人が見える。


全く、この一見平凡な高校生のカップルが、殺し屋禍いの連中に狙われているかと思うと哀しくなる。
涼宮ハルヒという存在はある意味悲劇的だな…
まあ、それはともかく…彼等が僕に気が付かなければ、こちらから声を掛けようと思う。
気が付いてくれるに越した事は無いが…
そして、それ以降は状況的に共に行動した方が無難だろう…
色々と考えているうちに、ほんの目と鼻の先まで彼等は近付いていた。
そして僕の存在に気が付いたらしく、驚いた様な声をあげる。
「あれ?古泉じゃないか!」
「本当だ!何してるの?ハハァ…さてはデートの待ち合わせとかっ?」
僕は軽く会釈をすると「さあ、どうでしょうね」と笑ってみせた。
「えっ?何っ?本当にデートなわけ?」
「あははっ、違いますよ。まあ…待ち合わせはしていたんですが、相手の都合が悪くなってしまいましてね。
丁度今、これからどうしようかと考えていた所です」
僕の言葉に二人は顔を見合わせる。
そして、すぐにこちらを向くと「なら付き合いなさいよ」「一緒に行くか?」と次々に口を開いた。
「では、お邪魔でなければ…ところで、何を買いにいらしたんです?」
「ハルヒがな?妙なモノを見付けちまって…
まあ…一見普通の地球儀なんだが、陸地の部分がマグネットになっていて、自分の好みに世界を作れるんだ…」
「はあ…世界を…ですか…」
あなたなら、そんなものは必要ないでしょう?と迂濶にも口にしてしまいそうになるが、当然余計な事だから言わないでおく。
「そうですか、面白そうですね」
「でしょ?ほらキョン?古泉君だって面白いって言ってるわよっ?早く行かないと売り切れるわっ!」
早足で歩き始めた涼宮さんの後にキョン君が続く。
そしてその後を追う様に僕も歩き始めた。

その地球儀の売り場は五階にあった。
雑貨売り場の中ほど、陳列棚に囲まれる様に置いてある腰の高さ程の台の上に何個か並べてある『それ』に、涼宮さんが目を輝かせる。
「あった!ねえ見て、二人とも!これよ、これ!」
「全く…ハルヒの趣味は解らん…」


「まあ、よろしいのでは?それにこれ、随分と良く出来ていますよ?」
僕は地球儀を手に取り、興味深げに見つめる素振りをしながら周囲の様子を伺う。
(おそらく今も、敵は僕達の行動を何処からか監視している筈だ)
さて、その敵は果たしてどのように仕掛けて来るだろうか…
先程の男の話によると相手は金で雇われたゴロツキ、だが20人も殺したという実績を持つらしい。
本来の目的が『涼宮ハルヒを危機的状況へ陥れて、その力を引き出す』という事であったとしても、間違いなく最初から『殺す』つもりで来るだろう。

しかも、それほどの数を殺しておきながら今も尚『殺し』を生業にしているという事は、何か特別な手法を得意としている筈だ。
例えば…事故に見せかけて殺すとか…。
それには、こちらの行動を逐一監視する必要がある筈…
いつでも行動に移せる様な場所で…
(何処だ…何処から見ている…?)
陳列棚の間の通路の全ての方向にそれらしき人影は居ない。
となると…何処かで待ち構えているのだろうか。

「さて…と、さっさと買って部室に置きに行くわよっ!」
「ええっ?部室に置くのか、それ!」
「何よっ!みんなにも遊ばせてあげようっていう、アタシの気遣いが解らないのっ?」

地球儀を抱えた涼宮さんとキョン君が会計へ向かう。
僕は二人に気付かれない様に少しその場から離れると、辺りをもう一度見回した。
売り場…会計の行列…エスカレーター…エレベーター…ん?
エレベーターの横に居る男…
先程からあのままだ…
(何をやっているんだ…)
その様子を不審に思った瞬間…
エスカレーターの方から喚きが起こった!
「あれぇ?止まっちゃったよ?」
「何これ!故障?」
どうやらエスカレーターが、何らかのトラブルで停止してしまったらしい。
何処からともなく係員が飛んで来て、エスカレーターの上から降りる様に呼び掛けている。
そして誰も居なくなったのを見計らうと、入り口に『調整中・申し訳ありませんがエレベーターを御利用下さい』

と書いてある立て看板を立てた。
それにより買い物を済ませた人々の流れが、エレベーターに集中する…

(まさか…こういう事か…?)

僕は一瞬、敵の懐中を見た気がした。
エレベーターでなければ帰れない状況を作り、涼宮さん達をエレベーターへ乗せる…
そしてそのまま事故に見せかけて…
だとしたらまずい!
涼宮さんにエレベーターに乗らない様に告げなければ…
慌てて彼等の居る場所へ戻ろうとする…が、しかしエスカレーターの故障で混乱した店内は、全くと言って良いほど身動きが取れない。
しかも僕は…
予想以上の人波に、あろう事か二人を見失ってしまった事に気が付いた。
慌てて携帯を鳴らしてみるものの…凄まじい雑踏の為か通じない。
(仕方がない、エレベーターの入り口で待ち構えて、二人が乗る直前に阻止するか?…だが…この行列を経てエレベーターに辿り着いた彼等が素直に話を聞いてくれるだろうか…)
どうやら彼等をエレベーターに乗らせない事は諦めなくてはならないとみた…ならば!
僕は壁伝いに移動して少し先にある非常口から非常階段へと走り出た。
そしてそれを、全力で上り始める。
(エレベーターの稼働を止める方が早い…!)
おそらく先程エレベーターの横に居た男が敵だ。
涼宮さん達がエレベーターに乗ったのを見計らって、その場から何らかの操作をする。
その操作を受けるのはエレベーターに仕組まれた細工…
そして涼宮さんがエレベーターに乗った瞬間に事故は起きる!
例えば、制御不能等が原因で下端まで落下する様な事故が!
すっかり暗くなった建物の外…闇の中に浮かぶ非常階段を、足元からの微かな街明かりを頼りに全力で駆け上がる。


やがて僕は、階段を上りきり屋上へと辿り着いた。
(エレベーターの機械室がある筈…)
辺りを見回すと、右の方に四角く付き出た小屋の様なものが見える。
(これだ!)
急いで駆け寄り、扉に手をかける…
(細工を外すのは、恐らく無理だ。せめてエレベーター自体を止めてしまう事が出来れば…)
その時!背中に『何か』を突きつけられた気がした。
振り返ろうとする僕を野太い男の声が制する。
「それ以上動くなよ…?」
視界の右奥に微かに見える黒い影…
まさか…エレベーターの横に居た奴か…?
「…ふん、追い掛けてきたのかい?」
「ああ…君は足が早いね。追い付くのに苦労したよ」
「いいのかい?持ち場を離れて」
「大丈夫。君を始末したら、すぐに戻るからね」

「いや、このまま飛んで貰おうと思ってね?」
「言う通りにしなかったら…?」
「言うまでもなく…背中からコイツでズドン!だ」
本来なら一番それが簡単な筈だ。
だが、そうしないのは後で余計な騒ぎになると面倒だからだろう。
『屋上から高校生落下!自殺?』と『屋上にて謎の射殺体!被害者は、なんと高校生!』では、あまりにも警察や世間の反応が違いすぎる。
「別にズドンとやって貰って構わんよ…
ただ、それほどに言うのなら銃の安全装置くらいは外しておいてほしいモノだな…」
「何だと…?」
背中に付きつけられた銃口から、男の微かな動揺が伝わる。
そしてそれを感じた瞬間…僕は全力で体を反転させながら、左手の甲を銃を握る相手の手首に打突けた!
がチャリと音を立てて足元に転がる銃。
慌ててそれを拾おうとする男の顔面に、すかさず右膝を打ち込む!『ゴキッ!』
鈍い感触…鼻骨をヤレたか…?
だが、その程度では用に足らない。
相手は一応プロの様だし…
すかさず後頭部を押さえ込み、そのまま…2回…3回…
グシャッ…グシャッと不愉快な音がする。
そして血の臭い…
スボンが血で汚れるのがたまらなく不快だが、そうそうキレイ好きでもいられない。
4回…5回…6回…
膝先に更にグシャリとした感触…
それと同時に…ガクリと男は崩れ落ちた。

終わったな…

動かなくなった男と、軽く汗ばんだ僕の間をビル風が足早にすり抜ける。
体が冷える前に帰りたいところだ…
だが、この動かないヤツの後始末をしなければならない。
さて…どうしたものか…


━4━

「ねえねえ、みんなっ!今朝の新聞見たっ?」

涼宮さんが部室に飛込むなり、みんなに語りかける。
最近では珍しく、仲間が全員揃った部室。
いや、『揃った』のではなく涼宮さんが『揃えた』のだろう、昨日買った地球儀を見せびらかす為に。
だが話題は地球儀ではなく、彼女が昨夜体験した『エキサイティングな事件』の報告で終始した。
その事件が今朝の朝刊に大々的に掲載されていたからだ。
ちなみに、事件の内容はこうだ。

『話題のルシーニュで原因不明のエスカレーター故障、そしてその直後に屋上で自殺した男の謎!』

「昨日ね、キョンとルシーニュへ行ったのよ!すっごい混んでたんだけどさ?
あ、途中で古泉君にも会ったわね!
それでね、買い物を済ませて帰ろうとしたら、『エスカレーターが止まったからエレベーターで帰ってくれ』って言われたのよ?
で、仕方なくエレベーターに乗る事にしたんだけど物凄い行列でさ?
結局、並び始めてから1階に降りるまで1時間もかかったわ!
やっと店から出れると思ったら、今度は物凄い数のパトカーが来て…」


自殺…ね。
昨日の屋上での一件、相手の顔を膝で蹴り潰して倒したあと、事を誤魔化す為に相手の口の中に銃を突っ込んで頭を吹き飛ばしたのは、紛れもなく僕だ。
そして…その後に銃を相手に握らせたのも僕…
まさか、これほど大々的に世間が騒ぐとは思わなかった。
余程、他に取り上げるべきニュースが無いのだろう。
平和な社会…いやいや、結構な事だ。

「こら、ハルヒ!あまり騒ぐのは不謹慎だぞ?人が死んでるんだから」
顔をしかめながら諭しかけるキョン君の横で、朝比奈さんが首を傾げながらこちらを見る。
僕はそれに、大袈裟に気付いた振りをしながら「ああ、そうだ!昨日はすいません、急用が入ったもので」と応えた。
「そうですか…ではまたの機会に…ね?」
頷きながら、僕の茶碗にお茶を注ぎ足す彼女。
僕に近付いた瞬間に「今度は最後まで…ね?」と囁く。
そして、何事も無かった様に振り返ると「長門さんもお茶、如何ですか?」と僕の側を離れた。
(案外、長門さんあたりは昨日の出来事を全て把握しているのかもな…)
ふとそう思い付いた僕は、そのまま昨日の出来事を思い出す。
そういえば…公園に居た男、僕をkillingbaby-faceと呼んでいた…
かつて全て失われていた、四年以上前の僕の記憶…
そして最近、断片的に思い出せる様になったそれらの記憶…
killing baby-face…

そうだ…僕はかつて、そう呼ばれていた…


K.B.F.~killing baby-face~

end


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