土曜日の夕方、ハルヒから電話があった。内容はやはり長門とのデートについて。

「とりあえず日曜は午前中から遊びまわりなさい。行く場所はあんたが決めていい
わ。ただし、午後三時半になったら北口駅前の喫茶店に来ること。わかった?」

 そう一方的に言い渡され、切られた。まあ、こいつが一方的なのは今に始まった
ことでもないし、反論したところで無駄なのは既に了解済みだ。なるようになるだろう。
そんな気分である。
 ただ少々気になるのは今日まで全ての行き先を決めていたハルヒがこと日曜に
限り俺たちに選択の自由を与えたことか。

 ともかく、俺は考えた。今日まで足を運んだ場所の中で最も長門の興味を引いた
のはやはりゲームセンターだ。とは言え、再び行く気にはならない。また騒ぎになり
そうだしな。他にあるとすれば映画か。しかしこれもまた俺が寝てしまいそうだ。

 まあ、何もここ数日で行った場所に限る必要はない。それにこんな短いスパンで
同じ場所にまたぞろ繰り出すというのも微妙だろう。そう判断した俺は、長門が行
きたかろう場所を想像することにした。

 長門が行きたそうな場所。当然、考えるまでもなく決まっているのだが。



 というわけで日曜日。昼を過ぎ、午後に差しかかろうという時間帯、駅前の図書館
には、俺と長門の姿があった。
 開館時間から昼食時を差し引き、俺たちはずっとここで読書に励んでいた。とは
言っても励んでいたのは主に長門であり、俺は軽めの文庫本を読み、時折長門の
様子を見に行くくらいであったが。

 まあ、無難な選択だろう。ここからなら北口駅はすぐそこであるし、何より長門の
ニーズに最大に応えられる場所だ。その分俺がほんの少し我慢しなくてはならない
が、そんなものはなんとでもなる問題だった。
 幸いなことに、適当に取った文庫本は中々に面白く、俺はそれほど退屈を感じず
首尾よく時間を潰すことができた。

 約束の時間の三十分前になり、俺は長門に声をかけ、喫茶店に行く旨を伝えた。
頷いた長門の手を引き、読んでいた分厚い本を以前作った貸し出しカードで借りて
やる。そうして駅前に到着すると、丁度約束の時間ぴったりくらいだった。
 以前は本を借りる作業に手間取ってハルヒに怒鳴られたからな。人間とはこうし
て日々進歩していることを実感していくものなのだ。

 喫茶店に入り、窓際の席に案内される。メニューを開き、俺はレモンスカッシュを
頼んだ。長門は暫くメニューとにらめっこをし、長い時間をかけて「カモミール」と呟
いた。
 程なく、先程のウェイトレスさんが伝票と飲み物を持って現れる。俺と長門のそれ
ぞれにオーダーの品を配膳すると、ごゆっくりどうぞという声と共に去って行った。


 さて、約束の場所に来たはいいが、ハルヒたちの姿はない。大方ここ数日と同様
にどこからか監視をしているのだろうが、流石は何事もそつなくこなすハルヒと言う
べきか、周りにいる客たちの中に、そして外に見える景色の中に不審に思えるもの
はない。だとすれば残るは厨房か…。いやいや、いくらなんでも。まさかな。

 これから何が起こるのか不安で少々落ち着かない気分である俺に対し、長門は
至って冷静である。たなびく湯気を立てているカモミールをちびりちびり、香りを味
わうようにして喉に落としている。俺は自分の分には手もつけず、暫くその仕草を
眺めていた。

「…………」

 視線が気になったのだろう、長門は抗議の目をこちらに向けてくる。とりあえず、
誤魔化すことにする。

「悪い、なんでもないんだ。ただ、猫舌じゃあないんだよなぁって思ってな」
「熱いのはわりとへいき。あなたがどうしてそう思うか、不明。説明を要する」
「いや、それこそなんでもないんだ。忘れてくれ」
 誤魔化しきれたのかそうでないのかは分からない。しかし長門がそれ以上食い下
がってくることはなかった。…ふぅむ。

「なぁ、長門」

 呼びかけた一瞬、俺は賭けをしてみたくなったのだと思う。

 長門は決して自分を出さない。俺たちを困らせることをしない。それは長門の美
徳なのかもしれないが、俺にはそれがなんだか物寂しい。だから、問う。

「一週間、お前と色んなところに行ったわけだが、正直、お前はどうだった?」

 普段の俺ならこれに加えて、楽しかったか?と続けるだろう。そして長門はこう答
える。わりと。それじゃダメなんだ。それは、長門の意思であるのだろうが、長門の
言葉じゃない。

「どう、とは」
「この一週間がお前にとってどうだったか、ってことだ。お前が感じたままに言って
くれていい」
 案の定、長門は質問の意図を図りかねているようだった。俺はそんな長門に最低
限度の助け舟を渡してやり、長門の答えを待つ。

「…………」

 押し黙ってしまった長門の顔は傍目にはいつもの平然としたそれであるが、俺に
は返答に困っているように見える。
 まあ、仕方ないのかもしれないな。長門はどうしても自分の立場を捨てることがで
きない。もしかしたら、こいつの中ではあの冬の事件が尾を引いているのだろうか。
あの、俺の周囲の世界が消失してしまった、あの冬の事件。

 …いや、違うな。俺は覚えている。消失した世界が元に戻り、帰ってきた俺に長門
が言ったあの言葉を。だから、こいつは答えてくれる筈なんだ。

「楽しかった」

 ほうら、ね。

 しかしまあ、こんな感想ひとつを言わせるだけだってのに、よくもこうまでやきもき
とさせてくれる。意思表示が苦手な長門が悪いのか、それとも俺が心配しすぎなの
か。何れにせよ、長門が自分の意思をはっきり語ってくれたことが、俺は嬉しい。

 長門はこちらを見つめていた。一般に言う怪訝そうな目という奴を一万分の一く
らいに薄めた目で、俺を見ていた。どうやら俺が笑っているのが気になるらしい。

 正直に言おう。俺はこのとき目の前にいるこいつを、ちょっとだけ可愛いと思って
しまっていた。

「あなたは?」

 長門は簡潔に問いかける。俺は考える素振りだけすると、口を開いた。
 答えなぞ、元から決まっている。

「そりゃ、もちろんたのs―――」
「お、お待たせしましたぁ!じゃ、ジャンボデラックスパフェになりますぅっ!」


 突如割り込んできたウェイトレスさんの声に、俺は違和感を覚える。はて、パフェ
ですか。そんなもの頼んでませんけどね。というのがまず一つ。しかしそれ以上に
巨大な違和感がそのウェイトレスさんのその声その姿に存在した。

 あ、あの。何をやってらっしゃるのですか?朝比奈さん。

「キョ、キョンくん…」
 そこには文化祭のときに用いられたのと同じウェイトレスの衣装を身に纏った、
朝比奈さんがいた。


『何故朝比奈さんがここに』という問いは既に意味をなさないだろう。ハルヒの指令
があった時点で、ここにSOS団の面々が集まっているだろうことは予測済みである。
 問題は、彼女がどこから現れたか、そしてどうしてこんな格好ででっかいパフェを
載せたトレイなんぞを運んでいるかだ。それが何を表すのか。懸命なる諸兄には既
にお分かりのことだろう。

 即ち、どんな手を使ったのか知らないが、この店の厨房は既にハルヒの手に堕ち
ている、という悪夢のような事実である。

 朝比奈さんは何故だろうか、蹴り足を構えるような動作で右足を一歩引くと、申し
訳なさそうな顔で俺を見た。そのとき無性に感じた嫌な予感を、俺はもっと信じてい
ればよかったんだろうな。だがこのときの俺にできたのは、久し振りに見た朝比奈
さんのウェイトレス姿を瞼に焼き付けることくらいだ。

「キョ、キョンくん…、ご…、ごめんなさいっ…!」

 そんな悲鳴にも聞こえる謝罪の言葉と共に、朝比奈さんは盛大にすっ転ぶ。無論、
支えを失った銀のトレイは宙を舞い、同じく空中に投げ出されたジャンボパフェは、
まるで狙い定めたかのように俺の顔目掛けて飛んでくる。
 次の瞬間、俺は「ああ、お約束ってこういうことなのね」などと思いながら、その
甘ったるい匂いのする物体を、見事顔面で受け止めていた。


「そう!そうよみくるちゃん!ドジっ娘属性はそうでなくてはいけないわ!うんうん!
作戦終了よ!戻ってらっしゃいみくるちゃん!」

 何処からか、具体的には厨房の方から、ハルヒのハイテンションボイスが聞こえて
くる。クリームまみれの俺の心地が憤慨に染まることに、それ以上如何ほどの理由
が必要だろうかいやない。
 だがしかし、俺も大概にガマン強い。怒りに任せ叫びそうになるのをぐっと堪え、
目の部分に付いたクリームを拭い、うるうるとした目を向ける朝比奈さんを視界に
捉え言ってやったさ。

「戻れって言ってますよ…? 戻った方がいいんじゃないですかね…?」

 俺の顔は恐らく、かなーり素敵な笑顔になってたことだろう。朝比奈さんは引きつ
った顔でごめんなさいごめんなさいと繰り返し、厨房へと去っていった。

 あ、できれば布巾とかお願いします。

 さて、顔面から胸元までいびつにデコレートされてしまった俺は、最後の防波堤で
ある股間が汚れていないことを確認すると、二次災害を防ぐ為、まず襟元に引っか
かっていたソフトボール大のアイスクリームをパフェの容器に移した。

 それから紙ナプキンで顔のクリームを粗方拭き取る。しかし服はどうしようもない。
新たに紙ナプキンを数枚とるが、衣類を拭くにはなんともまあ頼りなかった。加えて
言えば周囲の客の好奇の視線が肌に痛い。ならば対処法はひとつしかないだろう。

「長門、ちょっと待っててくれ。洗ってくる」
 そう言って俺は席を立とうとする。だが、

「待って」

 長門が、俺の手を掴んでいた。








 長門は俺の手をひっぱり、引き寄せる。どうした、長門。俺は早く洗面所に行きた
いんだが。という俺の言い分を無視し、長門は更に俺を引き寄せた。なんだ、どう
した長門。距離が近いぞ。てか、おい、なんだこの体勢は。
「じっとしてて」
 離れようとする俺の抵抗も虚しく、俺の頭は長門の両手によってがっちりとキャッチ
されてしまっていた。ホント、この細っこい体のどこにこんな力があるんだ。てか長門
さん?近い、近いよ?いや、だからなんで顔を近づける―――

「キョンくん、あの、おしぼりを―――」
 朝比奈さん。あなたはどうしてこうもタイミングの悪い。

 気付けば周囲からざわざわとしたどよめきが起こっていた。彼らの気持ちは非常
に分かる。俺だって彼らと同じ立場なら同様に困惑し、思わず声を上げたに違いな
い。だが、今この場で最も困惑しているのは俺である。…何故かって?そりゃあ。

 長門が俺の頭を捕まえ、その短い舌で俺の頬を舐めているからだ。

 いや、正確には拭き取れていなかったクリームを舐め取っていたのだがそんな
瑣末な違いはどうでもいい。問題はそれが周囲にどう見られるか、だ。
 年頃の男女が公共の場で密着し、頬に舌を這わせるというこの光景を見て、人は
どう思うだろう。人それぞれに思うところは違うのか知れないが、しかして本心からの
言葉とすれば、恐らく老若男女等しく答えは決まっている。
 即ち、『このバカップルが…!』だ。

 やめてくれ長門!この仕打ちはあんまりに恥ずかしすぎる!

 俺のひた向きな想いが通じたのか、長門は一旦距離を置くと、囁くように言った。
「教わった。こういった状況下における一般的な対処法と理解、実行した」
 教わった?誰にだよ。
「涼宮ハルヒ」

 なんだって…?

 俺がハルヒと出会って以来、このときほどあいつに対し怒りを覚えたことはなかっ
たね。はっきり言って最悪だと思った。

 まあそれはともかく、今は状況を打開することが先決だ。俺は必死の思いで長門
を説得する。
「長門。それは違う。ハルヒは嘘をついたんだ。普通はこんなことしない」
「涼宮ハルヒがわたしに嘘をつく理由がない」
 だから長門、そりゃ違うんだって。てかやめなさい。やめて。

 抗議も虚しく、長門の舌は再び、獲物を狙う肉食獣のようにゆっくりと俺の顔に
近づいてきた。
「まだついている」
 囁いた長門の視線は、俺の顔のある一点に向けられていた。

 マズイ、この狙いは…、唇!

 それだけはダメだ。何がダメなのかよく分からないが、とにかくダメだ!なんとか
身を捩って狙いを外そうとするも、俺を捕まえている長門の手は揺らぎさえしない。
 一体俺はどうすればいい?…そうだ。長門の狙いがクリームを舐め取ることなら
先んじて自ら舐めてしまえば…、いやいやいやもし万が一タイミングが悪くて俺の舌
と長門の舌が触れちまってみろ。俺はその瞬間から谷口以下の存在に成り下がる。
だが大人しく待っていたところで待っているのはほぼ同じ結末……。

 ならばどうする、俺。考えろ。想像しろ。必ず活路はある筈なんだ。考えろ。考える
んだ、俺。……そう、そうだ。逆に考えるんだ。



―――――発想を、『逆転』させるんだ!!!



 そう、確かに今俺の置かれている状況は最悪かも知れない。しかし考えようによ
っては天国、むしろ後先考えなくていいならこのままこの誘惑に溺れてしまうのが
男子としての本懐であり或いは俺は全神経を体の前半面に集中させておもうさま
この青い果実を存分に堪能すべきところでいやしかし長門って実はそんなにナイ
わけではなく案外着やせするタイプ……………、





 ってバカー!俺バカー!
 考えるのはそういうことじゃないだろう!?何想像してやがんだよ!!


 いや、いやいやいや。そりゃあ俺だって健康な若い男だ。性欲を持て余したりも
するさ。しかし一時の劣情で面倒ごとを背負い込むほどバカじゃあない。
 さあ落ち着こう。こんなときは谷口の顔を思い浮かべるんだ。谷口は女を作ろう
として失敗し続ける馬鹿な男。俺に勇気を与えてくれる…………、よし。

 ようやく心と体を落ち着けた俺は、ひとまず長門との距離を測……近っ!もうこん
な距離かよ!近っ!

「だ、だめですーっ!」

 こ、この声は朝比奈さん?どうやら長門に掴みかかっているらしい。
 ああ、朝比奈さん。無理しなくていいですよ。俺は半ば人生を諦めながら、胸中で
朝比奈さんに語りかける。だが、長門の後ろに見え隠れしている朝比奈さんの様子
は、いつものおっとりしたそれとは違いまるで別人だった。

 その瞳に宿る意思は固く、その顔は至って真剣そのもの。前に突き出されたその
手にしても、いつもならばおっかなびっくり恐る恐る伸ばしていたに違いないが、しか
し今に限っては力強い。まるで戦女神のような凛々しさだ。
 これは、ひょっとしたらいけるのかも知れない。俺は心の中で、朝比奈さんに最後
の頼みの綱を渡す。普段なら、それは万引き少年に本屋の店番を任すような愚行
であるのか知れない。しかし今の朝比奈さんならばなんとかしてくれる。俺にはそん
な予感があった。

 頑張ってください、朝比奈さん。俺の進退はあなたの双肩にかかっているのです。
 朝比奈さんは長門の襟首を掴み―――後方へ思い切り引っ張った。

「うーっ!ふぅーっ!うーっ! …はぁ、はぁ、 ふぅーっ!」

 びくともしなかった。
 ま、まあ…、そうですよね。

 最後の頼みの綱がティッシュで作ったこよりよりも役に立たなかった今、もう俺に
打てる手立ては残っていない。後は運命を甘んじて受け入れるのみ、だ。長門の唇
はあと数ミリというところまで迫っている。

 最早これまで、か。 俺は覚悟を決めて目を閉じた。




 その一瞬。俺の体は物凄い勢いで後方へ飛んだ。頭部に急激にかかる慣性力と
喉下への圧迫が、誰かに襟首を引っ張られたのだと悟らせる。
 助かった…のか?
 しかし勢いがありすぎた。受身を取る暇すらなく後頭部を床に激突させると、俺は
猛烈な痛みに頭を抱えながら、このどうにもならない状況を打破してくれた人物で
あり、そしてこの猛烈な痛みを与えたであろう人物を仰ぎ見る。

「何してんのよバカキョン!」
 誰あろう涼宮ハルヒその人だ。ハルヒは床に転がった俺の目の前に仁王立ちし、
まくし立てる。
「言った筈よね。過度の触れ合いを禁ずるって。それが一体どういうこと?仮にも
公衆の面前で恥ずかしくないの?いきなりあんな…、あんな…、この変態!」

 あのなハルヒ。お前怒る方間違ってないか?
 大体長門に変なこと吹き込んだのはお前じゃないか。お前の撒いた種だろうが。
「うっさいわよ変態!バカ!バカキョン!」
 ハルヒは俺に罵倒の言葉を浴びせながら、蹴りを入れてきやがった。うお、ちょっ
と待て。かなり痛いぞ。てか本気だろこれ。

「バカ!変態!変態!!」
 理不尽なハルヒの蹴撃に耐えながら、俺はこいつが何故ここまで怒っているのか
理解できずにいた。なあ、ハルヒ。お前は俺と長門がくっつくことを望んでたんじゃ
ないのか?

 ふと、蹴りの雨が止む。
 見ると、長門がハルヒの手に触れその行為を制していた。


「彼はなにもしていない。非があるとしたらわたし」
 長門はいつもの抑揚のない声でハルヒに告げる。
「あなたから先程の対処法を教わる際、情報の伝達に齟齬が生じた。悪いのは
わたし。彼は悪くない。非難されるべきなのは、わたし」

 ハルヒは驚いているようだった。それもその筈。俺だって驚いている。長門がこい
つにこうまではっきりと意見したことなど、あの夏の孤島での冗談のような一幕を除
き、今までなかったのだから。
 長門は本意が伝わったのかどうか不安なのだろう、休まず言葉を続ける。

「先程の対処法は公共の場での対処法としては第一ではない。恐らく、彼が当初に
とったナプキンで拭うという行為が」
「…もういいわよ」
 長門を遮るハルヒのその声は、何故だろう、俺には何かを諦めたような声に聞こ
えた。こいつが何かを諦める?いやいや。そんなことがあるわけがない。こいつが
何かを諦めるときなんてのは、それこそ世界の終わりのときだ。

「わかった」
 ハルヒは苦虫を噛み潰したような、眉間にしわを寄せた表情で低く呟く。わかった
って、何がだよ。そう言った俺にハルヒは大きく息を吸い込み、



「あんたたちが好き合ってるのはもう充分わかったって言ってんのよ!」



 ―――意識を失するような衝撃を、俺は感じた。






 その感覚は、例えるならふと頭をよぎったフレーズが何という曲の一節だったか
思い出せない、そんなものに近い。覚えている筈なのに思い出せない。解っている
筈なのに解らない。そんなものに近い。
 或いはそれは忘れてしまったものだったか。いつからか傍観者のふりをしていた
俺が、どこかに置き忘れてしまったものだったか。それが今更になって見つかった
ものだから、俺は戸惑っているのだろう。


 ハルヒは不機嫌そうな顔はそのまま、言葉を続ける。

「そう、もう充分ね!はっ、これ以上あんたたちの恋愛ごっこに付き合ってなんかい
らんないわ!あたしたちにはまだ見つけてない不思議を探すっていう大事な使命が
あるんだから!こんなところで時間潰してる暇なんてないのよ!」
 ハルヒはそこで一旦区切り、表情を明るめに作り直すと、パンパン、と手を叩きな
がら、
「はいはい終了!終了日には一日早いけど、これ以上何かを聞くこともないでしょ?
さっきのでもう充分アツアツぶりは見せ付けられたわけだし」
 そう言って、まるで汚い物を見るかのような顔で、俺を見る。

「ってことでこれにてSOS団恋愛強化週間は円満終了!キョンと有希はめでたくカッ
プルになりました!あ、でも目の前で今みたいにイチャイチャされても目障りだから
…、そうね、別れるまで無期限でSOS団の活動に参加することを禁じます!これ、
団長命令ね。さて、そうと決まればみくるちゃん、古泉くん。今からでもあたしたち
だけで不思議パトロールに―――」

 俺には分からない。さっぱり、分からない。
 これは、なんだ?一体全体、何の冗談だ?

 ハルヒの声が意識から消える。聞こえない。聞いていたくない。
 こんな不快な音は、騒音と呼ぶことさえおこがましい。


 置き忘れていたそれは、低く重く、俺の一番深いところまで沈んでいく。どろりとし
た不快感が俺の腹でのたくった。
 ああ、こんな思いをするくらいなら傍観者などではなく、いっそ道化になっていれば
良かった。忘れるのではなく、失くしてしまえば、きっとこんな思いをすることもなかっ
た筈だ。ふと、そんな甘言に惑わされそうになる。

 違う。絶対に違う。

 置き忘れていたそれは、人が決して失くしてはならないもの。傷付けること、傷付
けられること、それらを同時に内包したそれは、つまるところ人そのものだ。それを
失くしてしまったものは、そんなものは、最早道化ですらなく、人でさえない。

「―――――――よ」
「……ん?あんた、今なんか言った?」

 開かれた俺の口から漏れ出た声は、音だけをとれば小さなものだ。けれどそれは
たらたらと続いていたハルヒの語りを絶ち、場に重苦しい残滓を残す。


 俺は、再び口を開く。



















「―――なんなんだよ、お前」





 俺の声、そして瞳に宿るのは、いつか何処かへ忘れていた感情。
 いつもの、乾いたそれではない。

 熱を帯びた、心からの怒りだった。


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