○第三章

昨日がどんな日であっても、夜が来れば朝が来る。
夢にまで長門有希が出てきてしまった気がするがそれこそ気のせいだと思いたい。じゃないとやってられん。
「キョンくん起きたー? 朝ご飯たべよー」
妹がさっきからこの調子である。長門も余計な事を言ってくれたものだ。
「ミヨキチもくるってー!」
何だって!? 友達呼んでとか長門は言ってたがほんとに呼んだのか妹よ!?
「だめ?」
いやダメと言えるわけないのだが、あぁそうか。そうですか。どうやら今回も俺は巻き込まれ型の本分を発揮しないといけないらしい……。しかし野球ね。何着ていけばいいか聞いてないなそういや。
俺の心の声を聞いたかのように携帯が鳴った。ハルヒからだ。
「いろいろ言い忘れてたけど、集合場所は六月のグランドね。時間は十時。あと、今回は私服でいいわ。ただし、
運動しやすそうなね。それじゃ」
俺が一言も喋らないうちに通話は終了した。通話というかリアルタイム音声メッセージでしかない。
私服でいいってことは、やはりガチンコで野球試合するわけじゃないのだろうか?


「おはようございます」
吉村美代子。通称ミヨキチ。って、これはあの文芸部会誌と同じ紹介だな。わが妹の親友である。非常に落ち着いていて大人びている。見た目にも精神的にも十代半ばで通る。妹の方は年齢二桁と言えるかどうかが怪しいくらいだがな……。
ミヨキチは礼儀正しく挨拶した。はい、こんにちは。
「あの、わたしが来てしまってよかったんでしょうか?」
「あぁ、構わないぜ。どうせお遊びだしな。人数が多いほうが楽しいだろ」


……だがしかし、妹を自転車の荷台に乗せて、さらに自分の自転車に乗ったミヨキチを伴う俺ってのもどうなんだろうね。
世間様の目が健全な方向に向かうことを願うのみである。
「何人来るのー?」
妹がのん気に背中を引っ張る。何人だろうな。とりあえず鶴屋さんあたりは来そうだが……。
谷口と国木田に声をかけようと思っていたのに、昨日の何とも言えない一件のおかげですっかり失念してしまっていた。
ふと横を見ると、ミヨキチはまっすぐ前を向いて自転車をこいでいた。どこかのお嬢様のようである。こんな子が妹の友達ってんだから、つくづく恵まれたものである。
「スポーツは得意か?」
「え? あ、はい。運動好きですよ」
一瞬顔をこちらに向けてにこりと微笑む。うむ。そのまま真っすぐ大人になっていただきたいものだ。変な意味じゃないぜ。


そんなこんなでかなりご無沙汰の球場もといグランドである。
いや、春だね。道端の淡い緑が微笑ましい。
「いーっぱい集まったわねーっ! これは楽しい試合になりそう!」
絶叫のような大声を上げたのはもちろんハルヒであった。あぁ、その言葉に嘘はねぇな。確かに。
……つうか呼びすぎだろ! あほか!
先にメンバー全員を紹介しよう。
まずはSOS団、ハルヒ、俺、古泉、長門、朝比奈さん。んで俺が連れてきた妹とミヨキチ。朝比奈さんが連れてきた鶴屋さん。谷口と国木田。阪中。そしてなんと生徒会長と喜緑さん、多丸兄弟、新川さん森さん。コンピ研部長。
どこからツッコミを入れればいいんだこの顔ぶれは! まず谷口と国木田だ。誰が誘ったんだ?
「あたしよ。阪中も一緒にね」
あっさり即答しやがった。もはや坂中まで準団員化しているというのがなんともまぁ。
えぇと次だ、生徒会長と喜緑さんは……?
この問いには古泉と長門がにこにこしながら手を挙げた。喜緑さんはまだしもあの会長がよく来たものだな。
「こう見えて私は運動が得意なのだよ。大抵の生徒に大抵の種目で勝つ自信がある」
会長は気取った仕草でそう言った。この人をはじめ、それぞれに私服を着てきていたのでなんとも絵づらとしては豪奢というか、楽しい光景ではあるのだがそれをこうして俺の感想でしか表現できないのが勿体ない。どっかの絵描きを捕まえてこの光景を模写してほしいくらいである。
「いやぁ、こんなおじさんが参加してしまっていいんだろうかね」
そういうのは田丸圭一さんである。これで顔合わせは四度目か。ハルヒの思いつきに毎度付き合っているがいいのだろうか。
「この前はどうも。今日は普通の知り合いとして参加しているから、よろしく」
裕さんが爽やかに挨拶した。この前の警官姿とは打って変わって、優雅な休日ルックである。今日は土曜日だし、大人がここにいてもまったく問題はない。まぁ何にしろ金持ちって設定だったしな。
「私達まで呼ばれるとは、これは久々に球児時代の腕が鳴りますな」
新川さん、あなた野球部だったんすか! まったく機関の人々というのは、いったいどれだけのアビリティを持っているんだ。
「私も、ソフトボール部時代の記憶が鮮やかに蘇ります」
森さんがにこやかに言った。ちょっと待ってください。あなた年いくつですか。そういやこれまで女性に年を訊きまくってきた俺だが、ここまで来た以上引き返せない。
「それは禁則事項ということでいいのではないですか?」
森さんは朝比奈さん(大)よろしくウィンクを放った。さすがに大人版朝比奈さんはここにいないが、もしも俺の朝比奈さんが全ての事情を知っていたなら、知り合いとして今ここに参加していてもおかしくないように思うのは俺がこの状況に面食らってるからか?もはや昨日あったこととか、長門が普通のはつらつ女子高生になったこととかは遥か銀河の彼方に飛んでしまっている。
「ずいぶん賑やかだねぇ。また楽しませてもらうよ」
国木田が言った。谷口が続く。
「これみんなお前らの知り合いか? いったいどんな集団だよ」
それは俺が冒頭に入れたいセンテンスである。今回ばかりはお前に同意するぜ、谷口。
「何で僕まで呼ばれなきゃならないんだよ! 今日は買い物しに行く予定だったのに!」
あわれコンピ研部長。あの日、ハルヒがコンピ研部室に乗り込んだ時点で今日に至る運命は全て決定していたのだとしたら合掌するばかりである。どうでもいいが買い物というのはきっとPC関連なんだろうな。
「キョンくんやっぽーい! 今日はいつになく楽しいね! 呼んでくれてありがとにょろよっ!」
感嘆符三連発の挨拶はもちろん鶴屋名誉顧問である。俺的には古泉なんかよりずっと格上の存在だ。先月は本当にお世話になった。


さて、うだうだしていても試合は始まらないというか、実際集合から試合開始まで一時間以上かかってしまっていた。そりゃ18人もいりゃしょうがないな! もう笑うしかねぇぜ。はっはっはっはっは。は。
目が合ったのは長門だった。長門もこちらに気付くと、にこりと笑って手を振った。
……ん、うん。挨拶だ挨拶。俺の心拍数が増加したりなどしていない。残念だったな諸君。


かくしてこれまでの主だった登場人物勢揃いによる野球大会が幕を開ける。
ゼッケンなどつけていないが、都合上赤組と青組に別れ、赤組主将はハルヒ、青組首相は生徒会長という何とも団長の闘士の火に油を注ぐだけの展開である。案の定、
「今日こそ決着を決着をつけてやるんだから! 覚悟しなさいよ」
対する会長は、
「ふん。何のことだ。私は君に決闘を申し込んだ覚えはない」
キマりすぎである。この会長のファンクラブがあったら、ひっそりと入会したくなってしまうような、怜悧な嘲笑だった。
以下メンバーとポジション、打順である。

赤組:ハルヒ(主将)(ピッチャー)、古泉(キャッチャー)、鶴屋さん(ショート)、谷口(セカンド)、ミヨキチ(サード)、阪中(ファースト)、田丸弟(ライト)、新川さん(センター)、喜緑さん(レフト)
青組:生徒会長(主将)(ショート)、俺(ライト)、朝比奈さん(レフト)、長門(セカンド)、国木田(ファースト)、妹(センター)、田丸兄(キャッチャー)、森さん(ピッチャー)、コンピ研部長(サード)

果たしてこの非常にアンビバレントなチームで野球をしてどうなるのか、俺が観客であったなら最後まで物見遊山と洒落込めるのだろうが、あいにく俺もハルヒと対立するチームの一員である。


さて早速試合開始である。サクサク進んでいるかどうかわからないが、俺が覚えていられない程の言語応酬があったことを申し添えておく。チームわけとかさ、ポジションとかさ。
先攻はわれらが青組である。
「ここで会ったが百年目よ。あんただけは完封してやるから覚悟なさい!」
そうそう、野球道具は機関が用意したらしい。ボールは硬式でも軟式でもなく普通のゴムボールだ。バットはプラスチックから木製、金属までそろっていて統制が取れていない。果たしてお遊びなのか本気なのか分かったものではない。
「望むところだ。すまんが、君に対しては手加減抜きで行かせてもらう」
しょっぱなから火花散りまくりである。おーい、二人とも、まだ春の初めだぜ。そう燃え上がるなよな。
「プレイボール!」
主審も機関の人間らしかったが名前は聞いていない。古泉いわく「その道のプロを用意するのが機関の方針」らしい。
こんなお遊びの余興野球にプロもへったくれもないと思うのだが。
ハルヒは六月よりパワーアップしたような豪速球でわがキャプテンの生徒会長からツーストライクを奪い取った。
「ふん、口だけじゃないの。次もストライクよ! 覚悟しなさい!」
「……くくく。そうか。よかろう。来たまえ」
何やら少年漫画の悪役のような台詞を吐いて会長はハルヒと真っ向向き合った。眼光は鈍っておらず、むしろ鋭さを増している。一方のハルヒの球は、微妙なクセ球なのがゴムボールを使っているせいで更に不規則にブレる。しかも無駄に速い。
「行くわよっ!」
ハルヒは振りかぶって第三球、投げたっ!
バシッ!!!
会長は流麗なフォームで持ってバックスタンド近くまで打ち上げた。新川さんが驚くほどの俊足でそれを追いかけるが、フェンスギリギリ手前まで伸びたボールは無事バウンド、会長は足も早く、陸上部エースも真っ青と思われる韋駄天でサードまで駆け込んだ。髪を書き上げる仕草がまた様になっている、古泉におとらずハンサムである。
「くぅーーーーーーーーーーっ!!!」
ハルヒが地団駄を踏んだ。まさかここまで思い切り打たれるとは思っていなかったのかもしれない。
あくまでもストレートだからな、会長がすばらしい動体視力の持ち主であるということかもしれないが。
……さて。何と次は俺の番である。何故だ。どうしてこう俺に重要な役割が回ってくるのだ。会長の視線が胸に刺さるようだ。
「キョン、覚悟なさい」
ハルヒは眼をギラギラさせて俺を見据えている。まずい。のっぴきならない。俺は覚悟を決めてバッティング体制に入る。
第一球。ストライク。……速えぇ。いつぞやの上ヶ原パイレーツほどではないが、それでも十分に速い。一体どんだけ万能なんだ
ハルヒよ。眼の輝きを増すな! まぶしいだろ!
「ふっふっふ」
第二球、ストライク。い、今、今かすったって! 俺頑張ったぜ! ……しかしベンチの視線が突き刺さるようである。いや思い込みか? こっちのチームには比較的穏やかな連中が揃っているはずだ。落ち着け俺。
……。続く三球。俺は数秒の後に帽子を目深にかぶってベンチを目指していた。ちくしょうハルヒ! お前の球が速いんだ!……すいません、俺の力不足です、朝比奈さん、健闘を祈ります。ハルヒの笑みが悪魔の笑いのようだ。
「えぇぇい!」
朝比奈さんは去年のリバイバル上映のようにかわゆく三振なさり、相変わらずバットを持つ手も上下逆だった。
誰が許さなくても俺が許す。うむ。
会長は三塁で腕組みをし、誰もいなければ煙草をふかしているに違いない険のこもりようだった。だってしょうがないじゃないっすか。
二死三塁。四番は長門である。……長門、である。
「長門、分かってると思うが属性変更とかなしだぜ」
俺は早口でささやいた。
「わかってるよー。そんなずるいことしないよ」
長門はぱたぱたとバッターボックスに駆けていった。……だ、大丈夫なのか?
「ハルヒちゃーん! 負けないからね!」
長門は意味が分かっているのか分からないが予告ホームランのポーズを取った。
「こっちこそ負けないわ! あたしは誰にでも手加減なしだから!」
ハルヒは振りかぶり、完璧なフォームで第一投を放つ。直後。
バァン!
体重を乗せ真芯でボールの中央を的確にとらえ、会長に負けず劣らず遠くにボールは飛んでいく。会長は即座に俊足でホームに駆け込んだ。1点。新川さんがまたも高速で走り、ボールをワンバンでキャッチ。初老とは思えぬ豪肩で二塁にレーザービームのような送球。谷口はこれを腰を引かせ眼をつぶってキャッチ。
「あぁ! 捕まっちゃったかぁ! くぅ~」
長門は悔しがってこちらへ戻ってくる。俺はこの一連の光景をまたも愕然として眺めていた。変な情報操作なしでこれか!
ハルヒと同等に運動神経抜群なのかこの長門は……って、前もそうだったといえばそうなのだが。
「有希やるじゃないの! ライバルは強い方がやる気が出るわ!」
ハルヒがバットを持ちつつ長門に声をかけた。
「へへへ。おあいこだったね!」
長門はハルヒに元気に答えた。早くも試合のテンションは高い位置で推移している。ある意味お遊びじゃねぇなこりゃ。


一回裏。ピッチャーは不適に微笑む森園生さんである。なにやらただならぬ気配だ。そういやソフト部って言ってたっけ?
スバァン!!!
……圭一さんのミットを焦がさんばかりにストライクボールが回転している。
ちょっと森さん!? ゴムボールなのにどんだけ球速いんすか! つーか、あんまりハルヒの機嫌を損ねるのは機関的によろしくないんじゃないのか?
「すご、速! やるわねあなた。ただのメイドさんだと思っていたのに!」
一番バッターのハルヒは何やら喜んでいるようだった。ただの負けず嫌いじゃなくなっているあたり、成長といっていいのだろうか?
「私も手加減はいたしませんが、よろしいですか?」
全員本気かよ! それじゃ俺や谷口は立つ瀬がないな。森さんの問いにハルヒはバットを突きつけて、
「望むところだわ! 勝負といこうじゃない!」
闘士メラメラである。森さんの超絶アンダースローによる第二球。
バスッ!
くるくるスピンしたボールは弧を描いてファール。ツーナッシング。しかしハルヒもハルヒだ。二球目であの球を見切りだしている。
緊張の第三球――、
バァン!!!
打ちやがった! 信じられん。しかも当たり所が微妙に中央から逸れていたらしく、中空をみるみる曲がりながらボールが飛んでいく。気付けば俺の真正面に迫り、避ける間もなく顔面にヒット。いてぇ! 狙ってたとしか思えないぞハルヒめ。
俺はなるたけ急いで送球したが、ハルヒはあっという間にグランドを一周してホームラン。おいおい。
「キョン、甘いわよ!」
ホームからわざわざ叫び声をよこすハルヒであった。ちっくしょ。次はぜってぇ取る。
続く組み合わせも中々興味深いぜ。森さんvs古泉だ。機関の面々の直接対決などそうそう見れるものではない。
古泉はいつぞや野球をやっていたようなことを仄めかしていたが、森さんは下手すると国体レベルだ。古泉にどうにかできる球じゃないだろう。
組み合わせ的には面白かったが、古泉はファールを三連発した後に空振りをして凡退した。いやはや、森さまさまである。
「うーっし、行くよーっ!!!」
袖まくりして続くのは鶴屋さんである。この人も非常にオールマイティーな能力の持ち主だ。いい勝負を演じるかもしれない。
「参ります」
慇懃に挨拶して森さんはアンダースローを開始。鶴屋さんは古泉以上に粘ってストライク一回の後ファールを五回、さらにヒットを打って一塁に進出した。さすがである。次はもっと遠くに打ってくるかもしれないな。
「おっしゃ行くぜーっ!」
谷口は一分後にベンチに戻っていたのでこの台詞だけでも記憶しといてやろう。よくやった。これでツーアウトランナー一塁。次に出てきたのは妹の親友、吉村美代子である。運動は好きらしいが正直この森さんに太刀打ちできるとは思えない。
「参ります」
森さんは心なしか穏やかに微笑むと投球体制に入った。……ん?何か違和感が。
バシン!
数瞬のちにボールは高く舞い、わがチームの穴となっている左翼広報へ吸い込まれた。朝比奈さんと妹のコンビは、あたふたする以前に仲良くじゃれ合っていて、そんな場合ではないですよとツッコミを入れたい。ボールの方へ走ったのは長門と生徒会長で、先に球を拾った会長は送球しようとしたもののミヨキチは三塁で止まっていた。鶴屋さんがホームインして2-1の負け越しだ。絶妙なバランスである。
さて森さんは先ほど利き手の逆で投げていたようだ。さすがに小学生相手にあの球は殺生だもんな。それに試合は面白い方がいい。
続く阪中に森さんは手加減をしなかったが、阪中も負けずにヒットを打った。意外と運動得意なのか? これまで女子陣営がやたらと健闘している。
無難にボールを取った国木田が阪中をアウトにすると同時にミヨキチがホームイン、3-1で一回終了。


うむ。中々面白い試合かもしれないと俺は昼食を食べながら思っていた。時にダイナミック、時にドラマチックに試合は進み、三回を終えてスコアは5-4、ハルヒ率いる赤組が勝っている。九回までじゃ長いだろうということで六回で終了の予定だ。丁度折り返しである。
「はい、あーん」
あぁどうも……って長門! 何してる!
「何って、お弁当食べさせてあげようかと思って」
いらん! 俺は小さい子でも病人でもお前の彼氏でもなんでもない! 自分で食う!
「えー? じゃぁいいよ。ふーん」
長門は拗ねたようにフォークに差したタコ型ウィンナーを頬張った。
ところでこの豪華すぎる大量の昼食を用意したのは、ハルヒ、朝比奈さん、長門、喜緑さん、森さん、阪中の女子勢ほぼ全員である。
長門の家に例によって早朝から集まったらしいが、18人分とはいえすげぇ量だ。
「今日は朝から楽しくてしかたないわ! そこの会長! このまま点差を引き離して泣きを見せてあげる!」
品のある動作で食事をしていた会長は箸を止め、
「君は食事中くらい静かにできんのか。戯言なら本当に勝ってから言うことだな」
とだけ言ってまた元に戻った。ハルヒは眉を急角度の逆ハの字にして、
「くぅ~っ! あんたほんっとにムカつくわ! 絶対勝つ、勝つったら勝つ!」
と言うと会長よりたくさん食べると決めたかのようにがつがつとかき込み始めた。あんま食いすぎんなよ。動けなくなるぜ。
「今日は楽しいですね。緑茶どうぞ」
朝比奈さんが言った。どうもありがとうございます。
他に森さんと新川さんが給仕係になっている。この三人のチームプレーたるや見事なもので、新川森コンビが先日朝比奈さんを救出したことなど忘れそうになってしまう、どれが本業なんだ!?
「こういう平和な日々を僕は望んでいたんです」
ふと右を向くと古泉が肩膝を立てて座っていた。お前いつの間にそこにいたんだ?
「おや、初めからここにいましたよ? あなたが長門さんや涼宮さんばかり見ているから――」
「……っ!」
危うくまた茶を吹くところだった。俺はやっとこ逆流しかけた液体を飲み込む。
「ひどい慌てようですね。何かあったんですか?」
俺は無言を貫いた。こういう時のこいつに何か言うと、即座に揚げ足を取られる。
「ま、僕はあなたを信用していますし信頼しています。だから心配もしませんよ」
そりゃいったいどういう意味だ。勝手にお前の思い込みで俺という人間を形作るな。
「それはあなたにも言えることですよ。あなたが見ている僕は未だに一部分でしかないかもしれません。
ある日突然僕がいなくなって、機関が涼宮さんから手を引くことがないとは言い切れません」
はん。言っただろ。俺たちは運命共同体だ。誰かが欠ければ他の団員がそいつを連れ戻すってな。
「そうでしたね。えぇ、この話はここまでにしておきましょうか。少なくとも今日はね」
古泉は一足早い花見宴会状態となっている昼食の場へ眼を転じた。つい頬が緩んでしまうね。
ほとんど全員が、この一年で知り合った人々だ。ある人は仲間、ある人は友達、ある人は先輩。
何人かはいまだに謎を秘めていて、何人かは謎とは無縁の存在。
不思議な気分になるね。その全員が今ここでこうして笑ってるんだからな。
「おいどうしたキョン? 長門とはうまくいってるのか?」
谷口が俺の肩をせっつきつつ昼食にがっつきつつ、冷やかしを入れた。
「だからお前、あの長門を見ただろ? あいつは理由はよく分からんが明るくなったんだ」
「へっ、それとこれとは別問題だぜ。実は春先にも本当に付き合ってて、一度わかれて元鞘ってパターンだろ?
俺の目は誤魔化せねーぜ!」
そりゃ勝手に思い込みしてりゃ誤魔化しようもないだろう。谷口だけがそう思ってるならいいが、変な噂が尾ひれをつけて校内を徘徊するようなことになっては俺の新学期生活が危ぶまれる。
「何言ってんだ。彼女持ちで新学年のスタートなんて、華々しいことこの上ないじゃねーかよ! ひゅーひゅー!」
もういい。ハルヒチームに勝つ。そんで谷口ともども負かす。以上。


昼食が終わり、食休みと後片付けを済ませ、さて後半戦に行きますかと意気込んでいると、
「あの……」
誰かに肩をつつかれた。振り返ると喜緑江美里さんがわずかに表情を曇らせてそこに立っていた。
「何でしょうか?」
喜緑さんが俺に用事など、今まで一度もなかったが、はて。
「ちょっとだけお話、よろしいですか?」
喜緑さんは俺をスタンド裏まで先導すると、一瞬目を伏してから言った。
「長門さんの様子、どうでしょうか?」
……そうか。そういえば彼女も統合思念体のインターフェースだったんだな。二週間ばかり前に生徒会室で出くわした時にはびっくりしたものだが、古泉が言っていた彼女が書記として生徒会に潜り込むエピソードにも興味をそそられた。
「どう、と言いますと?」
「長門さん、急に性格設定を変更したでしょう? あれには、その、負荷があって」
負荷? 服を着替えるように性格を変えられるように思っていたのだが、違うのだろうか。
「統合思念体が設定するデフォルト情報には、その端末に最も適したプログラムが書き込まれているんです。もちろんそれを変更することはできるけれど、元の情報から離れているほど、インターフェース本体に負荷が生じるんです」
「その負荷っていうのは、具体的に長門にどういう影響を及ぼすんですか?」
喜緑さんは一度俺を見上げ、また顔を伏せてから答える。
「無事に適合すれば特に影響はありません。けれど、もしも合わなければ……」
「どうなるんです?」
「正常に動くことが不可能になります。少なくとも、その設定のままでは」
なるほど。やはりあの長門の無口設定にも意味があったのか。その無口な長門をなぜ文芸部の部室に置いたのかは分からないが。
「だから、わたしの知らない範囲で何か不都合が起きていたら、わたしはそれをなるべく早く知る必要があります」
俺は少し考えて、
「今のところ、特に異常動作みたいなのは……その」
「どうかしましたか?」
あいつが俺にキスしたことは異常動作に入るのかと思ったが、言うのはやめておこう。
「あいつは大丈夫みたいです。また何かあったらあなたに言いますよ」
「お願いします」


「キョンくんどこ行ってたのー? 後半も頑張ろうね!」
長門が天真爛漫にガッツポーズを取って言った。負荷……。本当にそんなものがかかっているのだろうか?
とか思っている間に朝比奈さんのほわわんとした三振で後半戦の幕が開けた。ハルヒは相変わらず絶好調である。
続く長門はまたも長打を飛ばしてランナー二塁、しかし国木田と妹が凡退してあっけなくチェンジ。このあたりの打順はうちのチームの穴かもな。もう少し作戦を練るべきだったかもしれん。
四回裏。ハルヒチームはヒット率がやたらと高いので打者も回る。新川さんが二度目のバッターボックスにイン。
精悍な顔つきはさながら敵陣に乗り込んだ中尉のようであり、これが球場でなく戦場だったら眼光だけで敵の下っ端兵士くらいは倒せそうである。さて、偽メイドvs偽執事のこの一戦、第一球は新川さんが思い切り打ち上げたもののファール。第二球は森さんが下から上に上がる恐怖の球種でストライク。しかしハルヒといい森さんといい、振らない限りほぼ確実にストライクなのは試合を早く進めるためか、自分の投球に自信があるからか。はてさて。
第三球で新川さんは二塁に進塁。続く喜緑さんは普通の人間としての立場をわきまえているのか三振。続くはこの女――。
「さぁ森さん! 今度こそバックスタンドまで打ち上げるわよーっ!」
「それは楽しみです」
ズバァン!


――試合は大詰めを向かえていた。どうにもハルヒチームの方が実力が上なのか何なのか、六回を向かえてスコアは7-6。このままじゃ負けるか、くそっ。
バッターボックスにはまたも長門が立つ。驚異的な打率はメジャーリーガー並である。
「頑張っちゃうから!」
だからなぜ俺に向けてそれを言うんだ。朝比奈さん、不思議そうに首をかしげるのはやめてもらえますでしょうか? 遠くの谷口までもニヤけているように見えてくるぜ。あぁ忌々しい。
長門はまた予告ホームランのポーズでハルヒに宣戦布告し、特大のファールを二発放った。
「やるわね有希!」
「ハルヒちゃんもね!」
もう男子勢形無しだな。コンピ研部長氏など日頃運動不足なのかすっかりへばってしまっている。合掌だ。
ハルヒはスピーディに三球目を投げた。この試合の最中にカーブを習得したらしく、それがまたえれぇ曲がる。しかしカーブ三連発だったので、長門はそれを見切ったらしい。
バシィィィン!!!
ボールはまたも大きく弧を描いてスタンドめがけて飛んでいく。まだ着地してないがあの大きさはフェンスを越えそうだ。長門は一塁を回って二塁に差し掛かっている。谷口が唖然としてボールの行く末を見つめてい――

「長門っ!!!」

何の前触れもなく、長門は二塁ベース脇でくずおれた。



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