Report.05 涼宮ハルヒの困惑


「あなたに提案がある。」
 わたしは言った。
「わたしの部屋に来て。」
 彼女は目を丸くする。
「あなたは強烈なストレスに晒され続けている。気晴らしが必要。」
「ちょ、ちょぉ待ちぃな!」
【ちょ、ちょっと待ってよ!】
 彼女は慌てて言う。
「そりゃぁ、あたしだって、家には帰りたくない気分やし、誰かと一緒にいたい気分やで? せやけど、有希と一緒におったら、有希まで変な奴らにマークされてまうやんか!」
【そりゃぁ、あたしだって、家には帰りたくない気分だし、誰かと一緒にいたい気分よ? だけど、有希と一緒にいたら、有希まで変な奴らにマークされちゃうじゃない!】
「大丈夫。」
「何が!?」
「わたしのマンションはオートロック。他にも多数の仕掛けがある。あなたの家より部外者は侵入しにくい。」
「そういうことやなくて! あたしと一緒におるところを見られたら、有希まで一緒に変なことされるって!」
【そういうことじゃなくて! あたしと一緒にいるところを見られたら、有希まで一緒に変なことされるって!】
「へいき。」
 わたしは彼女を真っ直ぐに見ながら言う。
「わたしに考えがある。」
「考え?」
「そう。」
 彼女は、何を言い出すのかという表情でわたしを見ている。
「マンション内は部外者が侵入しにくい。入ってしまえば安全。校内も同様。問題は学校を出てからマンションに入るまで。この間、あなたがあなたであると分からないようにすれば良い。」
 わたしは、鞄からあるものを取り出した。
「これを使う。」
 彼女は呆気に取られていた。
「有希……前々から思ってたんやけど、()うて良い?」
【有希……前々から思ってたんだけど、言って良い?】
「なに。」
「あんた、実はめちゃめちゃ大胆やな……」
【あんた、実はめちゃ大胆よね……】
 彼女は、わたしが取り出したものを見て、すぐにわたしの提案を理解していた。
「ていうか、何でこんなもん、持ってんの?」
【ていうか、何でこんなもの、持ってんの?】
「この教室に来る前に、演劇部から拝借した。」
 本当は情報連結で作成したのだが、それは伏せておく。わたしが取り出したものは、この高校の『男子』制服だった。
「まさか男装を迫られるなんてなぁ……」
【まさか男装を迫られるなんてねえ……】
 彼女はまるで『彼』の真似をするように、やれやれと肩をすくめた。
「ま、こういうのもたまには意外性があっておもろいかもね!」
【ま、こういうのもたまには意外性があって面白いかもね!】
 そう言うと、彼女は『男子の制服』に着替え始めた。
「ところで、有希。服を替えるのは、まあ分かるとして、肝心の顔とか頭はどうすんの?」
「これを使う。」
 わたしは、バンダナと眼鏡を取り出した。眼鏡は以前私が掛けていたものと同じ意匠。
「その辺もぬかりはないってわけね……」
 程なくして、頭をバンダナで覆い、眼鏡を掛けた、可愛らしい『男子生徒』ができあがった。先日言語化に成功した『何か』がわたしの中に湧き上がる。
「萌え……」
「ん? (なん)()うた?」
【ん? (なん)か言った?】
「なんでも。」
 声に出ていたようだ。
 彼女は変装が終わると、鏡でしきりに自分の姿を確かめていた。手持ちの鏡では全身が見られないため、『男子便所』の鏡で。
「へぇー、ほぉー、ふぅーん。」
 彼女はあらゆる角度から、生まれ変わった自分の姿を確かめていた。
「どう見ても小柄な男の子です、本当にありがとうございました!」


 学校からの帰り道。わたしと涼宮ハルヒは並んで歩いていた。
 お互いに無言。心拍数の増加を検出。彼女(今は彼)は緊張している。
「なあ有希……今からあた……んんっ。お、俺が独り言を言うけど、気にせんとってくれ。こんなこと()うんも、多分、いつもと違う、ありえへん状況やからやろな。……こ、こんな可愛い娘と一緒に帰ってるんや。て、ててて、手ぇとか繋いでみたいな~、なんて……」
【なあ有希……今からあた……んんっ。お、俺が独り言を言うけど、気にしないでくれ。こんなこと言うのも、多分、いつもと違う、ありえない状況だからだろうな。……こ、こんな可愛い娘と一緒に帰ってるんだ。て、ててて、手とか繋いでみたいな~、なんて……】
 涼宮ハルヒは明後日の方を向きながら言う。声が裏返っている。
「べ、別に変な意味(ちゃ)うで!? お、おっ、『男』なんやから、そんなこと(おも)てまうんも自然なことやろ!?」
【べ、別に変な意味じゃないぞ!? お、おっ、『男』なんだから、そんなこと思ってしまうのも自然なことだろ!?】
 わたしはややあって、彼女(彼)の手を握った。
 その手はじんわりと汗ばんでいる。……わたしの手も汗ばんでいたかもしれない。
 彼(彼女)は耳まで赤くしていた。……わたしの顔も赤くなっていただろうか。
 なぜ彼女(彼)は急にこんなことを言い出したのだろうか。理由はいろいろあるだろう。 彼女(彼)は間違いなく今回の件で疲れていた。先ほど教室で自らの過去を語ったのも、ついこぼしてしまった本音という面があるだろう。
 しかしわたしは、また別の理由を想起した。彼女は孤独なのだ。表面上は明るく振舞っているが、真剣に自分と向き合おうとしない周囲に苛立っていた。そしてついには失望した。閉鎖空間を発生させ、世界を変えてしまおうとするほどに。
 SOS団を結成してから、時が流れ、彼女は明るく、人が丸くなったと周囲は評価している。確かに、自分の言うことを聞き、付き合ってくれる仲間を得て、孤独が解消されたと言えるだろう。……表面上は。
 だが、内実はどうだろう? わたしはあの日の『彼』の言葉を思い出す。
『みんなは、後の影響が怖くてよう物も言われへんイエスマンや。』
【みんなは、後の影響が怖くてろくに物も言えないイエスマンだ。】
 古泉一樹は、『機関』の構成員として、閉鎖空間の発生を恐れている。
 朝比奈みくるは、未来人として、既定事項と禁則事項に縛られている。
 わたしは、観測者として、極力観測対象に影響を与えないように行動してきた。
 『彼』だけが唯一、自らの判断と責任において行動できる自由な存在だが、結局は涼宮ハルヒの言動に振り回され、状況に流されてしまっている面は否定できない。
 SOS団でさえも、涼宮ハルヒが真に求める『時には叱ってでも自分と真剣に向き合ってくれる存在』ではなかった。
 わたしは、自分の状況と心境を振り返ってみた。
 生み出されてから三年間、わたしはずっとひとりで待っていた。時間遡行してきた『彼』が訪ねてきて、わたしは将来自分が置かれる立場、自分が起こす事件を知る。活動期に入り、SOS団が結成されて彼女達に出会い、共に行動してきた。そこでもわたしは、観測者として必要最小限の介入で済むよう努めてきた。観測者として余計である、感情を表す機能は、わたしには持たされていない。いつしかわたしは、『無口だが頼れる団員』、『SOS団随一の万能選手』と位置付けられた。
 人間には『朱に交われば赤くなる』という言葉がある。
 人間と共に行動していると、たとえ作り物の命であってもいずれは感情が宿るらしい。まして涼宮ハルヒと『彼』は、二人揃うと周囲の関係した者達を残らず変えてしまう力を持っている。その影響はSOS団員も……わたしも例外ではなかった。
 わたしの中に『感情』が宿り、芽吹いて茂り、花開いた。SOS団員と共に行動するうちに、最初はまだまだ未熟だった感情も、いつしか大きく成長していた。
 しかし、それを表出することは許されない。観測対象である涼宮ハルヒは、わたしを『無口キャラ』と定義していた。観測対象へ与える印象が変わっては不都合。そうして時を過ごし、延々と繰り返される夏を超えて冬、わたしは世界を改変する事件を起こした。
 事件を通して、わたしは抑圧された感情は暴走することを知った。わたしに感情が存在することに気付いた『彼』の存在が、今わたしの暴走を防いでいる。『彼』になら、たとえわたしの感情をぶつけてしまったとしても、大丈夫だと思えるから。
 ……彼女には、そのような存在がいない。
 『一人でいるのは寂しい』と思いながら、その思いを表すことができない。誰と一緒にいても、どんなことをしていても、内実は孤独。孤独であることを何とも思っていないように装っているが、本当は何より孤独が辛い。
『たった一人でも良い、誰か真剣にあたし(わたし)と向き合ってほしい。』
『たった一人でも良い、誰かありのままのあたし(わたし)を見てほしい。』
 傍若無人、我が道を突き進む無敵の少女の姿の裏で。
 無表情、何事にも動じない無謬の少女の姿の裏で。
 自らをさらけ出せる、信じられる、本当に心を許せる存在を渇望している。
 わたしと彼女は、同類だった。信じられる存在が、いるか、いないか。ただそれだけが両者の違い。


 マンションから近いコンビニエンスストアまで来た。わたしは、ここで食料を調達して帰ることもある。『彼』は誤解しているようだが、わたしは決してカレーばかり食べているわけではない。
 しかし、食事以外のもの、例えば飲み物やお菓子は買っていないのも確か。今日は、涼宮ハルヒという『お客さん』もいる。何か買っていった方が良いと判断した。
「わたしの部屋には、わたしの分の食事しかない。ここで何か買っていこうと思う。」
 わたしは彼女(彼)の手を離して、言った。
「え? ああ、そっか、あた……もとい、俺が増えるんやな。ほな、(なん)()うてこか。」
【え? ああ、そっか、あた……もとい、俺が増えるんだな。じゃあ、何か買っていこうか。】
 わたし達は店内に入っていった。
「何買おかな~? あ、『甘くない炭酸』ある! 俺、コレめっちゃ好きやねんわ~」
【何買おうかな~? あ、『甘くない炭酸』がある! 俺、コレめちゃ好きなんだよな~】
 彼女(彼)は、他にも様々な菓子を籠に入れていく。わたしは、あるものを手に取った。
「あれ? 有希、トラベルセットなんか()うてどうすんねん?」
【あれ? 有希、トラベルセットなんか買ってどうすんだ?】
「あなたに必要になる。客用の洗面具は部屋にない。」
「……えっと。話が見えへんねんけど??」
【……えっと。話が見えないんだが??】
 わたしは彼女(彼)の瞳を見つめながら言った。
「あなたが泊まるために必要。」
 彼女(彼)は籠を取り落とした。目を丸くし、口を開けてわたしの顔を眺めている。
「……………………」
 これはわたしの台詞ではない。彼女(彼)が呆気に取られている。
「あなたは家に帰りたくないと言った。」
「そ、それは確かに()うたけど……」
【そ、それは確かに言ったけど……】
「気晴らしの方法の一つは、誰かに話をすること。今のあなたに必要と判断した。」
 それに、と言葉を続ける。
「わたしもあなたの話が聞きたい。だめ?」
 彼女(彼)は瞬きを数回した。
「えっと、有希がええんやったら、その……泊まらしてもらうわ。」
【えっと、有希が良いなら、その……泊まらせてもらうぞ。】
「そう。」
(なん)か……今日は、有希の意外な面をいろいろ見せられてる気がするなぁ……」
 彼女(彼)は、困惑した表情で頬を掻きながら呟いた。


 マンションに着く。いつものようにロックを解除し、エレベーターで部屋に向かう。
「入って。」
「お邪魔しまーっす♪」
 彼女(彼)は部屋に入ると、キッチンに買い物袋を置き、リビングに向かった。
「とりあえず、コレ取るわ。」
【とりあえず、コレは取るわ。】
 彼女(彼)は眼鏡とバンダナを取る。わたしはキッチンに入ると、湯を沸かしながら買った物を冷蔵庫に入れ始めた。
「あ、有希。手伝うわ。」
「いい。座ってて。」
 お客さん、と言うわたしを制して、彼女は言った。
「まあ、ええからええから。あたしが手伝いたいんやって。」
【まあ、良いから良いから。あたしが手伝いたいんだって。】
「……では、冷蔵庫に入れない物を持って行って。」
「りょーかい♪」
 彼女は、お菓子等をリビングに運んで行った。わたしは飲み物等を冷蔵庫に入れ終わると、お茶と大皿を持って、リビングへ向かった。
「あ、ありがとー♪」
 コタツに着いた彼女は、お茶を受け取りながら言った。
「うーん、男の格好で女の子の部屋にお呼ばれするのって、何か妙な感じやわ。って、有希! よぉ考えたら、あんた、傍から見たら自分の部屋に男連れ込んだことになるやん!?」
【うーん、男の格好で女の子の部屋にお呼ばれするのって、何か妙な感じだわ。って、有希! よく考えたら、あんた、傍から見たら自分の部屋に男連れ込んだことになるじゃない!?】
「……確かに。」
「うわっ、そう考えたら、(なん)か急に恥ずかしくなってきた!」
 彼女は見る見る顔が赤くなっていく。
「うっわー、有希、大っ胆~!!」
 顔を真っ赤にしながら、彼女は笑って言った。
「んっふっふ~。それなら大胆な有希ちゃんの要望にお応えして、おにーさん、大胆にあ~んなことやこ~んなことしちゃおっかな~? な~んて♪」
 彼女は手をひらひらと振りながらお茶に口をつける。わたしは言った。
「……百合?」
 ぶふ――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!
 彼女は盛大にお茶の霧を吹いた。
「げほげほっ、げほっ」
 彼女はむせている。
「こほっ! はぁ、はぁ、はぁ……」
「拭くものを取ってくる。」
「あ、あんたが変なこと言うからやんかっ! いきなり(なん)ちゅうこと言い出すんや、この娘は……」
【あ、あんたが変なこと言うからじゃないのっ! いきなり(なん)てこと言い出すのよ、この娘は……】
 わたしは布巾で後始末をする。
(なん)か……今日はあんたにドキドキさせられっぱなしやな。」
(なん)か……今日はあんたにドキドキさせられっぱなしね。】
「そう。」
「普段、あんだけ無口やのに今日はやけによぉ喋るし……(なん)かあったん?」
【普段、あんだけ無口なのに今日はやけによく喋るし……(なに)かあったの?】
「なにも。」
「いつもとキャラ(ちゃ)うで? 何があんたをこんなに変えたん?」
【いつもとキャラ違うわよ? 何があんたをこんなに変えたの?】
「べつに。」
 こう答えると嘘になるのかもしれない。彼女達と共に行動するようになって、わたしは少しずつ、しかし確かに変化した。もっとも、今日のわたしは、確かに少しおかしいかもしれない。
「ま、まぁ、人間誰しも、普段とは別の顔を持ってるもんやし。今日は有希の意外な一面が見られたってことで! うん、そういうことにしとこ! ……有希の場合、普段とのギャップがありすぎて、その、ちょっとアレやけど……」
【ま、まぁ、人間誰しも、普段とは別の顔を持ってるもんだし。今日は有希の意外な一面が見られたってことで! うん、そういうことにしとこう! ……有希の場合、普段とのギャップがありすぎて、その、ちょっとアレだけど……】
 彼女は気を取り直し、スナック菓子の袋を開け始めた。
「……惚れた?」
 ばり――――――――――――――――――――――――――――――――――ん!!
 彼女はスナック菓子の袋を盛大に引きちぎった。
「全部皿の中に入った。見事。」
「……一瞬、こうなる予感がして、お皿の上に持って行ってん……」
【……一瞬、こうなる予感がして、お皿の上に持って行ったのよ……】
 彼女は、わたしの瞳を見つめながら言った。
「有希……()うても良い?」
【有希……言っても良い?】
「なに。」
「あんた……実はめちゃめちゃおもろい娘(ちゃ)うか?」
【あんた……実はすっごく面白い娘なんじゃない?】
「……さあ。」
 わたしはいつもの顔で答えた。

 



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