観客席に囲われ、外界から切り離された競技場は、数種類の競技を同時に平行して催すため、端から端まで徒歩でゆうに10分近くかかる、広大な空間を有しており、日常建物の中をこれだけ遮るへだてなしに一体に感じられる場所はなく、それゆえに、周りに大々的な高層ビルの類が建つようなオフィス街のただ中にあるはずもない。見上げれば、空はその、無限の高さを、立ち尽くす少女の小さな胸に打ち込んでいた。

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 気絶していた時、またあの風景を見ていた気がする。
 ずうっと昔に見た景色。
 あんまり昔過ぎて、その景色を見たのが、夢だったのか、現実だったのか、自分でもわからなくなるくらい、繰り返し見てきた景色。
 ちっぽけな私、大きな競技場、高い空――――
 肌で感じたニュアンス抜きにエッセンスを抜き出すと、あれは、私にとって、世界の果てしない輝きを意味するんだと思ってる。
 それくらいの理屈は、私だって考えたりする。
 太陽じゃない。
 輝きは、太陽じゃない。
 それは誰か他の人の輝きであって、私にとっての輝きとは違うんだ。
 青。
 明るさでいっぱいの、雲も、太陽もない、青。
 それが私の望むもの。
 飛びたいなあ……。

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 赤。
 燃えるように鮮やかな赤が、市街の中を、一本の柱のように空まで立ち上っていた。
 既に日も落ちきり、冷え冷えとした夜の真闇には、ポツンとスウィート・ハートの白くひょうげたシルクハット様のシルエットが浮いている。北限に近いとはいえ藩都の道に人通りが絶えているのは、これもアークが告げていた、事象認識フィクション化装置のせいなのだろうか。

 大判のガラスには大概施されているように、焼入れをして結晶構造を変化させたスウィート・ハートのウィンドウガラスは、今は見る影なく粉々に路上側を主として散らばっている。
 店内では十人程度の客たちが、席や、そのそばの通路で崩れ伏しており、例外は、身の丈ほどもある大包丁を手にした不健康そうな着流しの男に、マスカレード風の仮面を付けた、妖しくも艶かしいボンテージファッションの双子、そして、異様に厳しい表情をした燕尾服の美しい小男ぐらいである。彼らは皆一様に事態を注視しているだけで動かない。

 動いていたのは、あの瓶底眼鏡をかけていた白衣の女性や、体格の良い店長で、二人はいつの間にか、砕けたウィンドウガラス跡から路上にまろび出ていた。

 車道で凶悪にも事態の推移のただならぬ様をずっとにらみつけているマフィアの若頭風の男は、同じコックコートにも関わらず、マシンガン片手のコマンドーめいた店長と比べてさえ、もはやカタギどころか常人にさえ見えない力感でもって、彼が今まで相手にしていたはずの、ボロボロの青年の方を向いている。

 青年は、セーラー服の少女に支えられるような体勢で、しかし、立っていた。
 まとっていたはずの上着は、さんざんに痛めつけられ、ほとんど形を成しておらず、血でまだらに赤い。その赤が、さらに赤く、燃えている。
 青年が手にしたリングは、手首に収まり、荒れ狂う力の奔流であった赤い不可視の粒子を、その中心に収めてある、いまやハッキリと輝いて見える真紅の球体の回転によって、彼の元へと逆流させている。
 不可視の赤は、引き裂かれた布地を媒介に得て形を成し、滑らかな光沢放つ、フルフェイスのボディスーツへと変容を遂げていく。唯一、コックコートであった名残りとして、白いラインの走る部分も見受けられる。靴は、スーツと一体になった関係上、ブーツ状に変化していた。

「戦隊モノは、嫌だっつったんだけどな――」

 言いながら、ぶらり、具合を確かめるように左腕を振る。
 その挙動が、疾く、強い。
 風を割る質感から伝わってくる相手の変容に、ヤミノは心底愉快そうに歯を剥いて笑った。

「名を、聞いておいてやろう、小僧」
「――村雲(むらくも)ケンパチ、すぐに忘れな。てめえなんかに覚えておいてほしくねえ、よ」

 ケホリ、最後のところで咳き込みが混じる。
 咄嗟に口元を覆おうとする平素の仕草が出かかって、そして、不発に終わった。
 右腕が動いていない。

「変身しようがダメージまで回復するわけではないようだな。フン、つまらん」

 退屈そうにヤミノが言い放ち、また、関心を失いかけた直後。
 その眼前には、無機質な赤いヘルメットの頭頂部が迫っていた。

「何――!?」

 反射的に下がったのが幸いした。

「オラアッ!!」

 ケンパチの強引な頭突きは、空振り、とまではいかずとも、ヤミノの胸、中央に直撃する。
 おそろしく深い頭突きだった。相手の鼻っ柱をでも、めりこませたいような強さだ。ヤミノの表情が初めて高圧な傲慢の色を潜ませて、警戒に歪む。

「もいっちょオ!」

 今度は蹴りだ。
 以前にケンパチがバール男へと仕掛けたような、相手を突き放す、足の裏を使った正面蹴りではない。内臓を痛めつける、脇腹への薙ぎ払うミドルキックである。
 これも、深い。
 大木どころかトラックが高速で吹っ飛んできたような力感に、ヤミノはやはり初めて腰を沈めた固い両腕ブロックで対応する。

「ぬう――!」

 受け止めた、ヤミノの足元が、えぐれた。
 車道に巨大な獣の爪痕のような、二本の傷が刻み込まれた。まるで列車事故の脱輪痕だ。長い、長い、長い――ざっと5m。いよいよヤミノの表情は、警戒から、ただならぬ相手と対峙しているという、驚愕へと、その色が移り変わる。

「貴っ様ぁ……人間か!?」
「受けきるテメーも言えた義理か、よっ!!」

 高い。
 ケンパチは月を背にした。その場からのジャンプが建物の高度に匹敵している。
 距離の離れたヤミノへの追撃だったであろう、この飛び蹴りは、だが、さすがにかわされてしまう。
 モーションの何もかもが見え見えすぎたからだ。

「っかしーな、ライダーキックは当たったぞ?」
「正義の味方気取りか、小僧っ子!!」

 ヤミノの姿が、着地したケンパチの視界からかき消える。
 否。速すぎる移動だ。
 ただし、常人にとっては、の比較級。

「見えてんだよ!!」

 つむじ風のように回転しながらケンパチの体が沈み込んだ。
 低く、足で周囲の地面すれすれを薙ぎ払う、水面蹴りという技である。
 ヤミノは即座に小さくだけ跳んでこれを避けた。跳んだその足で繰り出した素早い蹴りが、その間にも、ケンパチの頭を強く後ろへと弾き出している。ケンパチが着用していたヘルメットは、見た目通りの硬いプラスチック音を響かせ、この蹴りの威力を受け止めた。
 対峙するかのように、互いに後ろへと飛びすさり、間合いを作る二人。

「そこまでにしておきなさい、ヤミノ――
 村雲の君も、少女のことは放りっぱなしでいいのですか?」

 声が、かかった。
 白熱しかかっていた二人だけの空間に、割って入ったのはアークだった。
 その慇懃無礼で美しい笑みが、さらに糸目で妖しく凍てつき細まっている。
 促され、ケンパチが振り返った先では、支えを失ったミハネが路上に横たわっていた。チ、と舌打ちするケンパチ。
 アークはヤミノへ向かって、こうも告げる。
 笑顔に細いアークの糸目が、言葉の途中から、うっすら、不気味な迫力と共に、見開かれた。

「人間のする、格闘技のモノマネですか――
 遊ぶのは構いませんが、言ったでしょう?」

 今日は、味見です、と。

「…………」

 ケンパチからすれば意外にも、すんなりとヤミノは構えを解いた。

「村雲、ケンパチ。
 また、食いに来てやる。せいぜいあがくんだな、人の身で――」

 スゥ――――

 ケンパチのことを指さした後、影が、夜に溶けるかのように、ヤミノの輪郭が薄れてその場から消えた。
 気がつけば、ヤイーバの姿は既にない。

「面白かったわよお、あなたと」
「あなた」
「もおっと二人の関係が熟れたら、」
「その時は――」
≪ウフフフフ――≫

 双子はミハネとケンパチへとそれぞれ投げキスをしたかと思うと、手をつなぎあい、左右対称を演出しながら、その手足を踊るように妖しく舞わせて、これも背後の闇に消えた。

 エサ、エサ、ミツケタケタケタケタ――!

 わめきちらす九官鳥は、羽ばたきと共に上空へ、そして最後になったアークは、地面と水平になるほど深い退場の一礼を、一同に向けた姿勢のままに、後方へ、フェードアウトするかのように滑り消え――

 時間にしてみれば、わずか三十分にも満たない騒乱は、こうして始まりと同様、唐突に幕を下ろされたのであった。

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最終更新:2018年02月15日 10:38