次に男が彼女を見た時、彼女はとても生き生きとしていた。
「ねえ、マエストロ。外の世界って素晴らしいですね」
弾むように語る笑顔は、小屋にいた頃よりもずっと綺麗で、美しくて、可愛くて。
そんな彼女に、そうかそうかと彼はいつもの調子で応対をした。
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その次に彼女が小屋へやって来た時、彼女は頬を気恥ずかしげに赤らめながら、もじもじと上着の裾を握りしめつつ、こう言った。
「ま、マエストロ、私、好きな人が出来たんです」
ほんのりと色づいた顔ただそれだけで立つ雰囲気のすべてに同じように色がついており、華やかに声は澄んでいる。
男は溜息をつきながら、馬鹿を言うな、好きな相手だと? と、一顧だにせず机に向かう。
しょんぼりとする彼女へと背で続けて彼はこう告げる。
僕の創った作品を一目見て愛さない馬鹿がいるのは、お前の服のセンスが悪いからだ。ちょっと待ってろ、今、もっといい奴を縫ってやるからな。
わあ、と彼女は手を叩き喜ぶ。
泣きそうなほどに嬉しがっているその笑顔が、減らず口で、こう返す。
「いつも同じ服を着てばっかりのマエストロに言われたくないですよう」
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その次にまた彼女がやって来た時、男は初めて驚いたように立ち上がった。
「マエストロ。私、彼の子供が出来たの」
人形に子供が出来るわけないだろう、馬鹿め、と言おうとして、うまく男の口が回らない。
確かに膨らんだ彼女のおなかに、どうぞ、と促されて耳をあてれば一つの鼓動。
にこにこと母親の顔をして笑う彼女に彼は、そういえば、と、やはり初めての、だが、今更の疑問を思いついて口にする。
お前、戸籍はどうしたんだ?
「マエストロ。私、これでも世間の荒波をくぐってきたんですよ?」
悪戯っぽく笑って指をひらりと踊らす彼女に、呆れたように男は溜息をつく。
確かにお前はいまだに僕の最高傑作だな。
それで、と、続けて尋ねた男の問いに、彼女はにこにこ返事する。
「名前、ですか? ええ、お医者様が言うには男の子だそうで、どうしようか迷ってるんですけど……。
え、違う? 私の?」
ポニーテイルに結わえた長い緑髪を、揺らしながら彼女はちょっとだけ照れて、その名をこっそりと耳打ちするように男へ告げた。
男は厳かな面持ちで感慨を漏らす。
お前、センスないなあ。
「マエストロがちゃんとしたのをつけてくれなかったからじゃないですか」
むぅ、とむくれながら、彼女は抗議した。
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それからしばらく、そう、大分長い年月が経つ間、彼女が小屋を訪れることはなかった。
いい加減に島の植生に新しい発見もなくなり、着想も尽き始めていたので、さて、どうしたものかなと男が首をひねり、いよいよこの島を船にでも改造して、この領域を脱しようかな、そう、思い始めていた時のことだった。
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爆音が上空に轟く。
何事かと表に出て見上げた男の視界には、自分が大分昔に乗っていたあの宇宙船が浮かんでいた。
周辺の木々を薙ぎ倒して船は緊急着底した。
タラップが降り、よろめいて彼女がそこに姿を現す。
「すみません、マエストロ――――」
うめくように告げた彼女の体は、傷だらけに壊れていた。
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「誰がやった」
小屋に彼女を担ぎこんだ男の第一声はそれだった。
焦げ茶色の彼の瞳から、感情の色が消え去って、塗り潰されている。
「僕の作品を、誰がこんなになるまで壊した」
「世界、です――――」
床に横たえられた彼女の、傷口から覗くのは木の濃く太い繊維質。
血の流れ出ることは決してない。
悔しそうに彼女は呟く。
「私が、バグ、だって。
まともな世界にいると、周りをおかしくするバグだって、言う、人達が。
突然やってきて――――」
「…………そう、か」
いらえながら破損具合を検分するその腕に、すがりつくようにして人形の腕が抱きついてきた。
「マエストロ、私、悔しい。
私、ただのキャラクターだから。
AIでもなんでもない、ただの、ゲームの中の、キャラクターだから、こんな目にあって。
悔しいよ」
「喋るな。気が散る」
かつて柔らかであった肌の表面が、見る間に硬い手ごたえへと変わっていくのへ、茶化した様子もなく男は言葉を遮ろうとする。
彼女の言葉は止まらない。
「あの人も、ついてきて、くれなかった。
私、悔しいよ。
あの子もいたのに、悔しいよ、悔しいよ……!」
「喋るなと言ってる!」
男に、初めて怒鳴りつけられ、彼女はびくっと目を見開く。
そして、泣いたような、笑ったような顔で、困りながら、はにかんだ。
「すみま、せん。
マエ、ストロ――――……」
次に男が遮ろうとした時、
がらん、と外れた人形の腕が、床に跳ね返って無機質な転がりをする。
乾いた風が、密室にひゅうるりと吹く。